それが若干明らかになるかもしれない、第四章第十話。
そしてここが、折り返し地点。
◇◇◇
「ヴェルサがユウキを……?」
突如として、俺の家に数人の見知らぬプレイヤー達が押しかけてきて、家の中は騒然となった。しかしその者達は同行していたユウキによって、ユウキとカイムがALOの頃から行動を共にしているギルド《スリーピング・ナイツ》の人達だという事が教えられ、その全員が俺達に挨拶。俺達はユウキとカイムの仲間達の事を知る事が出来た。
だが問題はそこではなく、顔を真っ青にしたユウキから語られた、ユウキがここに来る原因そのものだった。
「あのヴェルサがユウキを襲ったとは、どういう事なのだ」
リランに尋ねられたユウキはそっちへ向き直る。
先程までユウキはリューストリア大草原にてヴェルサと手合わせのためのデュエルをしていたそうなのだが、そのデュエルの最中でヴェルサの様子は一変。彼女は狂ったように笑い出して、ユウキを切り刻まんとしていたらしい。
その事をユウキが話した時には、俺だけではなく、ヴェルサに助けられたというスリーピング・ナイツの皆もかなり驚く事となった。
ヴェルサの事は知っている。彼女は《SA:O》に居る初心者達、攻略に
本人があまり強くないならば、周りのプレイヤーの迷惑になりそうだけれども、彼女の場合は強さそのものも高いからそうではなく、どんどん周りのプレイヤー達の力になっていく。
そして何より彼女の性格そのものがとても優しくて可愛らしいものであるため、彼女は《白の竜剣士》と呼ばれ、アイドル扱いされるにまで至っている。
「ボクとデュエルしてる最中で、ヴェルサはおかしくなったみたいに笑ってたんだ……ヴェルサはまともな人じゃないんだよ、きっと」
実際にデュエルしたというユウキは色の悪い顔で訴えている。ユウキは時に嘘を吐いて仲間達をからかう事もあるけれど、とても今のユウキはそんな事をしている様子じゃない。ユウキの言っている事は真実だろう。
しかし、あんな良い評判だらけのヴェルサが、突然そんなふうになったという話はにわかに信じがたい。
現に俺もヴェルサと出会って話をした事があるが、彼女は初対面の俺とも気前良く接してくれた。そしてヴェルサが戦闘をしている時の話もアルゴやその他のプレイヤー達から聞いているけれども、誰もがヴェルサが戦闘中に狂ったように笑い出したという話をしていた事はなかった。
恐らくヴェルサがそんな風になったという話をしたのは、ユウキが《SA:O》で初めてだろう。
そんな事を考える俺の横に、ALOの時はウンディーネ、《SA:O》でも後方支援担当というシウネーという女性が、ユウキに声をかける。
「…かの間違いという事は無いでしょうか。例えばデュエルが楽しくなって、思わず笑ってしまったけれど、ユウキにはそれが狂ったように見えたとか……」
「ワタクシもそうじゃないかと。ヴェルサさんとはお話もしましたけれど、とてもそんな事をし始めるとは思えないような人でした」
眼鏡が特徴的なタルケンも続けて言った。他の皆も同じような事を考えているような様子だ。ヴェルサの豹変はユウキの見間違いなのではないか。単純にデュエルの最中にヒートアップして笑っただけなのではないか。少なくともそれは、俺も同意見だった。
だがしかし、ユウキはすぐさま首を横にぶんぶんと振ってみせた。
「そんな事ない! あの笑い方はおかしいよ。あんなの、普通じゃないよ……」
直後、ユウキは俺に向き直ってきた。その顔は来た時と同様に蒼褪めている。ここまで蒼褪めた顔をしたユウキを見るのは初めてだ。
「そもそもヴェルサは……ボクがキリトの仲間って事を妙に気にしてるみたいだった。笑い出した時にも、キリトの仲間とか、そんな事を言って……」
「なんだって?」
俺は思わず首を傾げる。
確かにユウキは俺のかけがえのない仲間の一人であり、カイムじゃないけれども、彼女がいないVRMMOはどこか寂しく感じられるようになりつつもあるくらいだ。その事は他の皆同様、周りにあまり公表したりしていないし、知っているプレイヤーの数は少ない方に入るだろう。
ヴェルサがユウキが俺の仲間という事を知っていても別に不思議ではないけれど、それを気にするというのは解せない。
「……ユウキが俺の仲間だっていうのが何なんだ? そんなのヴェルサが気にする事じゃないはず」
顎元に指を添えて思考を巡らせる俺を見ながら、ユウキは尋ねてきた。
「キリト。キリトはヴェルサと何かなかったの。ヴェルサとキリトの間に、何かなかったの。やっぱりあんなの普通じゃない……」
ユウキの尋ねてきた内容は、俺も気にしていた事だ。ヴェルサがユウキを俺の仲間と認めて襲ったのであれば、ヴェルサは俺に対する何らかの思惑があったうえでの行動なはずだ。
しかし俺はヴェルサの事は《SA:O》で初めて知ったし、当然話し合ったりした事もない。
一方彼女の方は、俺がジェネシスと並ぶ《黒の竜剣士》という情報を聞く事で、俺の名前と評判を知っているようだった。もし彼女がもっと俺の事を深く知っているならば、あの時俺にもっと沢山の事を話しかけてきただろうし、俺に進んで話しかけたりしてくるはずだ。
しかしヴェルサは、あの時以降俺と出会いもしていないし、向こうからこちらに接触してくる事もなかった。
俺とヴェルサが出会ったのは《SA:O》。そしてあの時の出会った者同士という事だけが、俺とヴェルサの関係だ。
「……思い当たる節が全然ない。向こうは情報屋とかの評判を聞いて、俺の事を知ってるみたいだったけど……本当にそれだけだ。俺は彼女と何も関係がないよ」
「本当に、それだけなの」
ユウキが蒼褪めた顔で尋ねて来るが、本当に俺は頷くしかなかった。
本来ならばヴェルサ本人に尋ねるのが一番なんだろうが、ヴェルサはユウキを襲ったし、何よりユウキは具体的な話を始める前にヴェルサに近寄るなと言った。今、ヴェルサに接触するのは危険という彼女の思いは、本物だろう。
本人に話を聞けないというのが尚更、謎を深くしている――そんな気がした。
その時、それまで黙って話を聞いていただけだったシノンが呟いた。
「……なんだか、シュピーゲルの言ってた《アレ》みたい」
「《アレ》?」
シノンを除く全員でそちらに向き直る。シノンは俺に目を向けつつ、言う。
「ほら、《黒服のブルーカーソル》よ。すごく異様なプレイヤーっていうあの……」
その単語を聞いて俺もハッとする。
以前シュピゲールとの話に出てきた、《黒服のブルーカーソル》。
それは全身を黒い戦闘服で包み込み、俺、レイン、ヴェルサと同じように二刀流を使う女性プレイヤーの事だ。そしてそいつは、ありとあらゆる事柄が前代未聞過ぎるという事で、情報屋達の間でも噂になっているモノでもある。
その《黒服のブルーカーソル》はまず、その通商の通り、フィールドに出れば全てのモンスターと守衛NPCにターゲットにされるブルーカーソル状態であり、この世界のどこにも居場所のない存在だ。
この世界にログインした時点で、そいつはフィールドに放り出され、全てのモンスターと守衛NPCの攻撃に晒されて蹂躙の限りを尽くされる。まともにゲームで遊べる状態ではない状態だ。
――そのはずなのに、その《黒服のブルーカーソル》は向かってくるモンスターの群れやNPC達を、あろう事か逆に駆逐するというのだ。どんな敵が来ようとも、高笑いを上げながら
モンスターやNPCがドロップするアイテムで補給をしながら、世界の全てを破壊尽くさんばかりの勢いで、モンスターもNPCも次から次へと殺していくのだ。
不用意に近付こうものならば、モンスター達共々その双剣に切り裂かれるため、プレイヤーさえも近付く事が出来ないし、名前を伺う事さえ出来ない。
そんな恐るべきプレイヤーが《SA:O》には存在しており、情報屋の間でも度々話題に上がっている。
その話を聞いた事が無いスリーピング・ナイツの皆に話すと、やはり皆一斉に驚きを隠せない様子になった。そんなモノがいる事自体信じられないに違いない。
その中の一人であるテッチが、軽く俯きながら言う。
「そんな奴がいるのか? この世界にそんな奴が……」
「なんか信じられないよ。ALOでもそんな事出来る人、いなかったよ」
小柄な少年であるジュンも、俺達を訝しんでいるかのような様子だ。だが事実だから、否定しようがない。
「ヴェルサと《黒服のブルーカーソル》は、どっちも女性プレイヤーで、二刀流使いでしょ。それで同じように狂ったように笑ってる。似てるってどころじゃないわよ」
シノンの話を聞き、ユウキがその目を見開く。何か大きな核心に辿り着いたかのように、言った。
「……そうだよ。きっとそうだよ! ヴェルサはその《黒服のブルーカーソル》なんだ!」
「落ち着けユウキ、それはない」
ユウキの言葉をすぐさま否定したのはリランだった。全員の注目を集めつつ、リランは腕組をした。
「確かにヴェルサとそいつは似ているところもある。しかし、そもそもブルーカーソルはIDそのものに紐づくものだ。仮にブルーカーソルとなってしまったアバターとは違うサブアバターを作ってログインしたところで、それがグリーンカーソルになってくれている事は無い。もしヴェルサと《黒服のブルーカーソル》が同一なのであれば、ヴェルサもブルーカーソルになっていたはずだ。
それに、ありとあらゆる方法で複数のID所持への対処もされている。今のところアミュスフィアで複数のIDを所持するのは不可能だ。だから、ヴェルサと《黒服のブルーカーソル》を同一であるというのはない」
リランの説明を受けて、ユウキは小さな声を出す。確かにヴェルサと《黒服のブルーカーソル》は似ているところもあるが、リランの言う通り、もし同一ならばヴェルサがグリーンカーソルである理由が付かない。
《黒服のブルーカーソル》がブルーカーソルではなくなったという話も聞いた事が無いし、今でも《黒服のブルーカーソル》が暴れているという話は聞くから、尚更ヴェルサと《黒服のブルーカーソル》が同一というのは考えずらい。
「……そ……っか……だけど、ヴェルサは……」
ユウキの顔は蒼褪めたままだ。それはユウキが恐ろしい目に遭ったという事を物語っている。あまり怖気づかないユウキでさえこの有様なのだから、ユウキの見たものは本物であり、言っている事も真実なのだろう。
だが、ヴェルサがそんな風になったというのは、やはり信じがたい事柄だ。どれが真実なのか、全く見当がつかない。
その事について模索しようとしたそこで、プレミアがユウキを見つめ、何かに気付いたような顔をした。
「ユウキ、大丈夫ですか。顔色がひどく真っ青です」
「んえ……?」
ユウキは顔を上げてプレミアを見る。ユウキの顔が青いのは来た時から変わっていないし、その時から知っていた。プレミアは今の今まで気付かないでいたのだろうか。しかし、そのプレミアに続いて、シノンが同じように何かに気付いた様子を見せる。
「本当だわ。怖い目に遭ったんでしょうけれど、それにしたって青過ぎる気がする。ユウキ、大丈夫?」
「……え、え?」
ユウキは少し戸惑ったようにシノンとプレミアを見ている。その時点でおかしい事に俺も気が付く。ユウキの反射神経というモノは実に素晴らしいもので、声を掛けられたりすると即座に彼女は反応して見せる。どんなに疲れていてもだ。
なのに、今のユウキの反応は鈍いように感じられる。顔も青いうえに反応も鈍いと来ているのだから、ユウキにスリーピング・ナイツの皆の視線も徐々に集まってきた。
「本当だよ。ユウキ、あんた具合悪いんじゃないか」
黒髪の女性ノリに、ユウキが向き直る。
「そんな、具合なんか悪くないよ。いつもどおりで……」
「それのどこがいつもどおりなんだよ。明らかに無理してるだろう。白状しろって」
テッチに言われて、ユウキは軽く声を出し、そのまま俯いた。
「……うん……ヴェルサとのデュエルを終えた時くらいかな……なんだか……調子悪くなってきてて……」
ジュンとテッチが「おいおい……」と言い、他の者達も心配そうな顔をする。ユウキの顔の蒼褪めの原因は、身体の調子の悪さもあったようだ。
ユウキは病院のメディキュボイドの中に居て、意識だけが本当にここにきているようなものだが、それでも疲労はするし、具合が悪くなったりもする。
ヴェルサとのデュエルという困難な戦いを斬り抜けたのだ、疲労が蓄積してきてしまったのだろう。――こんな調子でユウキがログインして遊び続けていると聞いたら、間違いなくカイムが怒る。
その様子が容易に想像でき、俺はユウキに言った。
「ユウキ、無理してログインしてるとまたカイムに怒られるぞ」
「ん~……もう怒られるのは確定してるっていうか……」
思わず溜息を吐きそうになる。そもそもユウキとスリーピング・ナイツの皆が来た時から、カイムの姿がない事には気付いていた。ユウキはカイムを散々振り回した挙句、どこかに置いてきたうえでここに来ているのだろう。
「それなら尚更だ。君の事だから遊びたい気持ちもあるだろうが、具合が悪いなら早く休んだ方が良いぜ。無理して遊んでも良い事は無いよ」
「だ、だけど、今日は皆が……」
そう言うユウキの肩に手を載せたのは、ノリだった。
「確かにアタシ達もユウキと遊びたい気持ちはあるよ。でもさ、ユウキは何も絶対に《SA:O》で遊んでいないといけないわけじゃない。それに、調子悪いユウキの事をフォローしながら戦ったり攻略したりするのは、アタシ達でも難しいよ」
「ですからユウキ、今日のところは休んでください。明日元気になって、また遊んでくれればそれでいいのですから」
ノリに続けてシウネーが言うと、ユウキはゆっくりと俯いていった。彼女はまだまだ遊びたい気持ちなのだろうけれど、身体がそれを許してくれていない。それがもどかしく感じているようだ。間もなくユウキは顔を上げて、静かに頷いた。
「……わかった。今日はもう休ませてもらうね。カイムが来たら、ボクはごめんって言ってたって伝えて」
「わかったよ。ユウキ、今日はお疲れ様。ヴェルサの情報をありがとうな」
ユウキはうんと頷き、俺、シノン、リラン、プレミアの四人に挨拶をしてから、スリーピング・ナイツの皆と一緒に家を出ていった。シノンとプレミアの二人は玄関まで見送りに行き、全員がしっかりと帰っていったのを確認してから、戻ってきた。
家の中がユウキ達の来る前に戻った。しかし、そこに漂う雰囲気は大幅に変化していた。
「……《SA:O》のアイドルは、何か裏のある者のようだぞ」
リランの言葉に頷く。《白の竜剣士》と呼ばれるヴェルサは、《SA:O》のアイドルのように扱われているけれども、ALOの時のセブンのような裏面を持っているのは間違いない。しかも彼女はセブンよりも遥かに凶悪な存在であるという危険性さえもある。
「そうだな。まさかあのヴェルサが、ユウキを襲っただなんて……」
ふと目を閉じると、つい先程のユウキの顔がフラッシュバックしてきた。
――キリトはヴェルサと何かなかったの。ヴェルサとキリトの間に、何かなかったの――
ひどく蒼褪めた顔で、ユウキは訴えるように俺に尋ねてきた。
それ以降周りの皆と会話をしながら、頭の中の記憶を巡らせてみたけれど、ヴェルサにそんな事をされるような事を仕出かした記憶が全くない。一応シノン/詩乃の記憶の方も調べてみたけれど、やはりヴェルサらしき人物の記憶はない。
俺とヴェルサの出会いは《SA:O》で変わりがないはずなのに、ヴェルサは俺の仲間であるという事を口にしてユウキを襲った。しかも狂ったように笑いながら。
どんなにユウキの話に出てきたヴェルサの情報について考えても、答えが出てくる気配はなかった。
「ヴェルサ……君は一体……」
思わず呟いて目を開けたその時、左腕に重みを感じた。何事かと思って目を向けてみたところ――プレミアが華奢な両手で俺の左腕をしっかりと掴んでいた。……妙に気合の入っている顔をして。
その様子がヴェルサの言動以上に解せず、俺はプレミアに話しかけるしかなかった。
「……ちょっとプレミアさん、どうかしました?」
「ユウキの話でヴェルサが危険な人だとわかりました。だから、わたしはヴェルサからキリトを守ろうと思います。わたしの持つ《むがむちゅうのちから》で、今度はわたしがヴェルサに勝ち、ヴェルサからキリトを守ります」
プレミアの言葉を聞き、俺達は目を点にした。プレミアは俺を守ろうと意気込んでくれているけれど、今の話でそれが更新されてしまったようだ。
だがしかし、ヴェルサが危険な人物であるという可能性が出てきているけれど、何もそれは百パーセントではない。
そしてプレミアの話を聞く限りでは、イリスから教えてもらった《むがむちゅうのちから》はプレミアにとって森羅万象も跳ね返して俺を守る、とんでもない何かになりつつあるようだ。
それがわかったのだろう、シノンが苦笑いに似た顔で声をかけてきた。
「キリト、これ……」
「……あぁ、《むがむちゅうのちから》がどういうものなのか、ちょっと教えてやる必要あるかも……」
その言葉はプレミアの耳には届かなかったらしく、彼女は「《むがむちゅうのちから》!」と力強く呟いたのだった。
イリスの教えた事が本当はどういう意味なのか、是非ともイリス本人を呼び出して教えさせたかった。
□□□
スリーピング・ナイツの皆に安全を確保してもらいながら《はじまりの街》の大宿屋でログアウトをしたユウキ/木綿季は、メディキュボイドが作り出す仮想空間の中に戻ってきていた。
周囲にはいくつものウインドウが浮かんでおり、それが発する光が木綿季の仮想空間での身体を照らしている。その中にある定位置に、木綿季は体育座りをしていた。
ちょっと顔を上げてウインドウの一枚を見る。そこには時刻が表示されていた。それが指し示している時間は午後五時四十五分。カイム/海夢の家の夕飯が始まる頃だ。
この時間になると、木綿季はここに戻ってきて、仮想空間での食事をする。専用のメニューを開いて操作する事で、自分の好きな料理をこの場に出す事が出来るシステムが、ここには搭載されているのだ。
そのシステムはメディキュボイドに入ってから、ずっと使ってきているけれど、海夢と出会ってからは使い方を変えた。今の木綿季は、海夢の家で作られる料理と同じ物をなるべく食べるようにしている。海夢とその家族と一緒に食事を摂っている気になれるからだ。今日もその時間を迎えている。
海夢、今日の晩ご飯は何?――いつもはプローブの中に入って海夢に尋ねる木綿季だが、今日は違った。
ヴェルサと戦った後辺りから、身体の調子が悪い。
身体が妙に重いのだ。
疲労がたまっている時とはまた違う、身体に錘が付けられているかのような重さ。それだけならばまだしも、なんだか思考を巡らせるのも難しい。さっきだってスリーピング・ナイツの皆やキリト達と話をしていたけれど、いつものように素早く反応する事が出来なかった。
これらが積み重なっているせいで気力にも悪影響が出ているらしく、木綿季はプローブの電源を入れてそこへ行き、海夢と話をする気にも、海夢の家族と一緒に食事をする気にもなれなかった。
「……無理、し過ぎかな……」
そういえば今日の眠りはあまり深いものではなかった。スリーピング・ナイツの皆が《SA:O》に来るというのにわくわくし過ぎて、深夜まで眠る事が出来なかったし、朝も早く目が覚めてしまった。
だから海夢も叩き起こして、一緒に散歩に出かけた。その後《SA:O》と病院とプローブを行き来して、《SA:O》に戻って、ヴェルサと戦った。今日はかなり多忙な一日だったと自分でも思う。
倉橋と
「……今日は……」
もう眠ろう。明日になればきっと良くなるはずだ。
――そうだ、もう良くなるのだ。
かつてHIVに喰われていたこの身体は、海夢が作ってくれた新薬が投与されたおかげで元の形に戻っている。主治医である治美も、もうすぐメディキュボイドから出ていけると言っていた。少なくともこの一ヵ月以内に、自分はここからようやく出られるのだ。
その後、自分は海夢の家に行き、海夢の両親と養子縁組になる。海夢と家族になって、一緒に暮らしていくのだ。一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、一緒に色んなところに出かけたりする。
そして、海夢の姉が勤めるはずだった海夢の家の神社、白嶺神社の巫女になるのだ。
ボクは巫女さんになるんだ。
エイズから立ち直ったボクが、京都の白嶺神社のお祭りで巫女舞をするんだ。
海夢のおねえさんの代わりに巫女さんになって、海夢と海夢の家族に恩返しするんだ。
それだけはもう、決まってる事だ。
だからもう何も心配いらないんだ。
もうボクの身体は大丈夫なんだ――。
「ボクはもう……大丈夫なんだからッ……」
木綿季は独り言ちてウインドウの明かりを全て消し去り、暗闇の中で目を閉じた。