初のユウキパート。
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全く予想していなかった方向に事は進んだ。
僅か一年ほどしか暮らせなかった自分の家は、間もなく親戚たちの手によって取り壊される事が決定している。三年近く使い続けたメディキュボイドの中から出て、病院を退院しても、木綿季の行くべき家は無いはずだった。
しかし、新たな家は恩人である海夢によって用意されていた。退院したら役所に行って書類申請をして、海夢の両親の養子となり、そのまま海夢の家で暮らす事になるのだ。木綿季はそんな展開を全然予想していなかったから、病院で治美や倉橋、そして海夢との面談の時に驚かされることになった。
海夢の両親と出会ったのは随分と前だ。丁度海夢と出会って交流を始めて、自分がメディキュボイドの中に居るという事を教え、その部屋に海夢が来るようになってから、二ヵ月くらいたった頃だった。
ある休日の時、いつもと同じように海夢と倉橋が入って来たかと思えば、海夢と一緒に見知らぬ女性と男性がやって来た。いきなり見た事の無い人がやって来た光景に混乱する木綿季に微笑みかけ、挨拶をしてきたのは女性の方で――その人こそが海夢の母親だった。続けて柔らかい態度で挨拶をしてきたのが男性、海夢の父親だった。
なんで海夢の両親がここにと尋ねてみたところ、海夢が「二人がどうしても木綿季に会いたいって言ってたから」と説明した。
木綿季の許へやってくる大人達と言えば病院の関係者か、はたまた木綿季を忌々しく思う親戚や親族の者達ばかりだった。その親族達がいつでも辛辣な態度で接してくるのがあったせいで、木綿季は大人達と話すのがいつの間にか嫌になっていた。
そんな事があったせいで、海夢の両親と話をする事になった時はひどく混乱してしまって、どうすればいいかわからなくなりそうだった。だが、海夢の両親は決してこれまで木綿季と接してきた大人達のようではなかった。カメラの向こうで混乱する木綿季に、優しく微笑みかけ、声をかけてくれた。
海夢の両親は知らない間に、木綿季の話を海夢から聞かされて――二人とも木綿季の事が赤の他人のようには思えなくなっていたというのだ。海夢の両親は初対面であるにも関わらず木綿季と話をしてくれた。そんな二人と打ち解け合うのに時間はかからず、会話を始めてから十五分後くらいには、とても楽しく話をすることができるようになっていた。
海夢の両親と海夢。恩人関係とはいえ、赤の他人同士でしかなかったはずなのに、木綿季は三人と話をしている時、かつての家族と重ねずにはいられなかった。
自分のかかった病気と同じ病気にかかり、あっという間に死んでしまったパパ、ママ、ねえちゃん。全然違う人と話しているはずなのに、木綿季は家族と話をしているようで、楽しくて仕方がなかった。
もっと海夢と、海夢の両親と話がしたい、ずっともっと一緒に居たい。初対面の時点で、木綿季はそんな願いを胸に抱いていた。勿論、そんな願いがかなうはずがないとは思っていたが、木綿季の予想は木綿季がSAOに囚われて、現実世界に戻ってきた後に叶う事になった。
SAOで共に戦った仲間であるキリト/和人が学校で特殊な機械を作った。それはVRと現実を繋げるための機械で、それを使えば木綿季はメディキュボイドを使いながら、現実世界を見聞きする事が出来るようになったのだ。
その機械を、和人は親友である海夢に譲渡し――木綿季は海夢と同じ光景を見る事が出来、同じ家で暮らす事が出来るようになった。機械越しとはいえ、同じ家で暮らす事になった木綿季を、木綿季の両親は拒絶する事などなかった。一緒に暮らせて嬉しいとさえ言ってくれたのだ。
自分の家族のいた家ではないし、自分の家族でもない。けれど本当の家族のように接してくれる人たちがここにいる。それを知った木綿季は、一刻も早く退院したいという気持ちに駆られるようになった。
退院して、本当の自分の身体でこの家の、この人たちの許へ会いに行きたいと思った。
そんな事を想い続けて今日、海夢から話がされた。
行くところがないなら、ぼくの家に住まないか――。
『本当に、本当にいいんだよね、海夢? ボク、退院したら海夢の家に住んでいいんだよね?』
海夢と倉橋と治美との面談は終わり、海夢は木綿季の入院する病院から出て、帰りの電車に揺られていた。行きの時と違っているのは、海夢の肩にいつもの機械が乗り、木綿季と話が出来るようになっているという点だった。
その帰りの電車の中で、木綿季はもう一度海夢に問いかけていた。海夢はその問いかけに応じる。
「そう言ったでしょ。この話はもうおかあさんとおとうさんともしてあるんだよ。後は木綿季の答えを聞くだけだったんだ。間違いなくそう言ったよ、ぼくは」
『本当にいいんだよね。部屋とかはどうするつもりなの。ボクの部屋は……』
「……おねえちゃんの部屋を木綿季の部屋に変えるつもり。おねえちゃんは……もういないからさ」
海夢にも姉がいたという話を聞いたのは、倉橋と治美から海夢の事について話された時だった。海夢と海夢の姉の両名は交通事故で負傷し、その際の輸血でHIVに感染してしまった。海夢は完全なるHIV耐性を持っている体質だったからそうならずに済んだが、海夢の姉は自分たち同様にエイズを発症。そのまま助からなかったそうだ。
直接海夢と話をした時に、海夢の姉がどれだけ海夢の事を思っていたか、そして海夢がどれ程姉を慕っていたかが、痛いくらいにわかった。それに海夢は、どこかにまだおねえちゃんがいるみたいな事を言っていた。
いつもならそんなはずはないと言い返してやったところだが、それだけは木綿季は否定する気にならなかった。海夢の姉は見えないけれども、いる。そう信じて、海夢が姉に挨拶をするとき、同じように挨拶をしたりするようにしているのだ。
その姉の部屋が退院した自分のために使われるようになるというのは、驚かざるを得ない。
『いいの? 海夢のおねえさんの部屋は……』
「いいんだよ。その方がきっとおねえちゃんも喜んでくれるはずだから」
『そう、かなぁ』
「そうだよ。もしおねえちゃんが生きてたとしても、きっと一緒に使おうって言ってくれたよ」
木綿季はカメラの向こうの海夢の横顔を見ていた。海夢は木綿季に言ったように、今でも姉がどこかに――自分の家にいると思っている。そのはずなのに、今の海夢はその話を忘れようとしているように見えた。
『だけど海夢、おねえさんの部屋には、おねえさんがまだ居るって……』
「……そう思うのはそろそろやめようって思ってる」
『え?』
海夢はゆっくりと顔を下に下げていった。表情に曇りなどは見えない。
「確かに、おねえちゃんはまだ居ると思うんだ。でも、いつまでもおねえちゃんにこだわってるわけにはいかないんだ。身体が成長しなくても、ぼくはそろそろ大人になる。おねえちゃんだって、ぼくがいつまでもこうじゃ、嫌だろうからさ」
海夢は顔を上げて、木綿季に向き直った。カメラの向こうに海夢の顔が映る。
「それに、家に木綿季が来るとなっちゃ、尚更こんなんじゃ居られないよ。木綿季が最終的に良いって言ったら、木綿季はおかあさんとおとうさんの子供になって……ぼくの妹みたいなものになるだからさ」
木綿季は仮想世界の部屋の中、ぱちぱちと数回瞬きを繰り返した。
海夢と出会ってからというもの、木綿季は胸の中で得体のしれない不思議な思いを抱く事があった。正体を掴むことは難しい。けれども暖かくて心地よい事だけはわかる。そんな思いが、海夢と一緒にいる時に胸の中に生じるのだ。このことはアスナ/明日奈にだけ唯一話しているけれど、具体的な答えは得られていない。
海夢と暮らすようになれば、きっと毎日胸の中にこの思いを抱く事になるだろう。そしてそれは――。
「でもまぁ、病院の時は良いって言ったけれど、木綿季もぼくも、もう一度ちゃんと話し合わないといけない。結局はその時の木綿季の答え次第だから、まだ先の話――」
『あのね、海夢』
「え?」
海夢は急に話を切られた事にきょとんとしている。ちょっと話のタイミングが悪かったかもしれない。しかし木綿季は話を続けた。
『今のうちに言っておくよ。ボク、海夢の家の養子になりたい。さっきも答えたけれど、ボクは海夢のおとうさんとおかあさんの子供になっていい。海夢と兄妹関係になっていい』
「……!」
海夢の目が若干見開かれる。周りの客たちに木綿季の声はそもそも聞こえていない。機械に接続されたイヤホン端子の先、海夢の耳と繋がるイヤホンにのみ、木綿季の声が出力されるようになっているからだ。
『それでね、もしこのまま本当にそうなれるんなら……ボクは海夢と一緒の部屋がいい』
「は!?」
海夢の驚く声が部屋の中いっぱいに木霊し、木綿季は思わず耳を塞ぎそうになった。海夢の声は木綿季の聴覚そのものに届けられているため、意味はなかった。
大声を出してしまった事に気付いたのだろう、海夢は周りに知らせるように小さく咳払いしてから、イヤホンのマイクを口元に近付け、小声で言う。
「んと、何言ってるんだよ。ぼくの部屋はぼくが暮らすくらいのスペースしかないんだよ」
『それでもいい。ボクは海夢と一緒に暮らしたい。部屋も一緒にしてほしいんだ』
「なんでさ。自分だけの部屋が持てるのに、なんでわざわざぼくの部屋に住みたいなんて」
一緒に居たいから――そう言いたいところなのに、どうしてもそう言い出す事が出来ない。場所が悪いせいなのだろうか。
いや、そうじゃない。この気持ちを吐き出そうとすると、何故か妙に恥ずかしくなる。これまで生きてきた中で感じた事の無い恥ずかしさが込み上げてきてしまって、喉を塞ぐ。
肝心な事が言い出せない事をもどかしく思いながら、木綿季は答えた。
『海夢の部屋の方が落ち着くんだよ。ほら、この機械を置いてるのも海夢の部屋だし、海夢の部屋ならどこに何があるかわかるし。もう住み慣れてるから!』
海夢は片手で顔を覆いながら溜息を吐く。現実世界でもVR世界でも見る事の出来る仕草だ。
「仮にぼくの部屋に住まう事になるとして……寝る時どうするつもり? まさか同じベッドで寝ようなんて言うんじゃないだろうね。いくらなんでもそれは無理だよ」
思わずどきりとした。海夢と一緒にいる事で感じるこの気持ちは、海夢との距離が近ければ近いほど大きくなる事がわかっている。海夢と同じベッドで寝られれば、最大限に大きくする事が出来て――最大限に心地よいと思えると考えていた。
だから海夢と部屋を一緒にして、海夢と同じベッドで寝たいと思っていたというのに、当の海夢には見透かされていた。
「ぼくのベッドは……まぁ、頑張れば二人で寝られない事もないけど、寝相とかを考慮すると、全然足りないよ」
『大丈夫だよ。ボク、そんなに寝相悪くないし。SAOの時なんてかなり狭いベッドで寝てたんだしさ』
「そうじゃなくて、ぼくの方。ぼくが一緒に寝ている木綿季をベッドから叩き起こさないとは限らないじゃないか。病み上がりの木綿季にそんな事はしたくない」
木綿季はもう一度きょとんとした。予想した理由とは全く異なったものだった。海夢はまだ一緒に暮らしているわけでもないのに、心配してくれている。
『海夢、ボクの事、心配してくれてるの』
「当然。ぼくの家に来ることになっても、木綿季は病み上がりじゃないか。それに、木綿季はもう少し新薬の投与が遅かったら、色々な合併症やら感染症やらを起こして危なかったそうだから……身体はまだ
海夢は機械に向き直る。カメラを越して海夢と木綿季の瞳が交差した。
「……木綿季の病気とおねえちゃんの病気は同じだった。だから、心配もするよ。ぼくだけじゃなく、おかあさんもおとうさんもそうなんだからね。退院してしばらくするまで、ずっと木綿季が心配なんだからね」
木綿季はもう一度きょとんとしたが、胸の中から突き上げるものを感じた。海夢と一緒にいる時に感じる、温かくて不思議な気持ち。それの上位版と言えるような温かい思いが、胸の中に広がってくる。
パパもママもねえちゃんも死んで、後はボクが死ぬだけ。ひとりぼっちで死んじゃうだけ――木綿季はずっとそう思っていた。助けてくれる人なんて、大切に思ってくれる人なんていやしない。そう思っていた。
けれど違った。
海夢は助けてくれた。
海夢の両親が暖かく接してくれた。
ひとりぼっちにさせてくれなくなった。
ボクを心配してくれる人は居てくれる。
ボクにこの不思議な暖かさをくれる人は確かにいる。
そしてボクはこれからその人達と暮らす事になる。
その時の事を考えると、嬉しさのあまり涙が出そうだったが、それを誤魔化して、木綿季は笑った。
『ありがとう、海夢。海夢のおとうさんとおかあさんにも、お礼言わないといけないね……』
「……それもいいけれど、まずは早く身体を治さないといけないよ。まぁ、治美先生が解析に当たってるから、すぐに治るとは思うけれど」
治美によると、自分がメディキュボイドの使用を終了できないのは、まだ自分の中に新薬のウイルスが漂っているからだという。
本来ならば役目を終えると死滅するはずのウイルスが生き残っているというのは、奇妙な事だ。治美はこの原因を突き止めるまでメディキュボイドから出せないと言っていた。
けれど、世界的に有名になれるほどの技術を持っているのが治美だ。すぐに原因を解明して、メディキュボイドの中から出してくれるに違いない。木綿季はそれだけは信じている。
『えぇっと、メディキュボイドを出たらー……まずは栄養剤の投与かなぁ。ボクの身体、前見た時はがりんがりんになってたし』
「確かに筋肉はごくわずかって感じだったね。リハビリも大分必要になるかもしれない」
同じメディキュボイドを使ってSAOに閉じ込められていたというシノン/詩乃は、ダイブしている間は医師たちによって肉体に適度の負担と運動を施してもらっていたそうだ。なのでSAOクリア後はリハビリ無しで動き出す事が出来たという。
おかげで同じくSAOに閉じ込められてミイラみたいになっていた和人のリハビリを手伝ったりしたそうだが、自分の立場はその時の和人の方だ。自分はエイズという外部との接触を極限まで避けなければならない病気を患って、今も無菌室にいる。そんな自分の身体に負担や運動が施されていたわけがない。
メディキュボイドを出たら、まずは長くリハビリする事になるだろう。
『そうなったら、海夢は手伝ってくれる?』
「……そうするつもりだよ。それに、おかあさんも乗り気だから、心配しないでいいよ」
どこか答えづらそうにしている海夢だったが、その答えに木綿季は安堵した。リハビリは辛い日々になるだろう。でも、そこに海夢と海夢の母親が居てくれるんなら、乗り越えられる気がしてならない。
そこまで考えてみて、木綿季はある事に気が付いた。自分はずっとしてもらっている側だ。海夢に心配してもらって、海夢の両親に養子の手続きをしてもらって、海夢の家に住ませてもらえる。
してもらう一方で、肝心な自分は海夢や海夢の両親に何もできていない。その事がわかると、無性に済まなさが込み上げてきた。
『ありがとう、海夢。でもボク、海夢にしてもらうばっかりで、何も出来てないね。何もお返し、出来てないね……』
海夢は軽く首を傾げた。不思議な事を言われたかのようだ。
「別にいいんじゃないかな。君はまだメディキュボイドの中に居るわけだし、それにぼくやおねえちゃんと違って、十五年間ずっとHIVに感染し続けてたわけだし……別に君から何か返してもらいたい気持ちがあるわけじゃないよ」
海夢はそう言ってくれた。きっと海夢の両親も同じことを言うだろう。
しかし木綿季の心が晴れる事はなかった。
そう言われていても、自分にだって出来る事をしたい。世話になりっぱなしになっているのは嫌だ。世話になった礼を、世話をしてくれた人たちにしてやりたい。そう思って、木綿季は思考を巡らせた。
すると、一つの事情に辿り着く事が出来た。海夢の家の話だ。
『……あ』
「え」
聞いた話によると、海夢の家は京都を本家に置く神社の家系だ。名前は海夢の姓名と同じ白嶺神社という。
白嶺神社は伊勢神宮や出雲大社などといった有名どころと同じくらいの歴史を持つ大きな神社で、なんでも、縁結びと縁切りを司るものすごく強い神様が祭られているらしい。悪い縁は容赦なく断ち切り、良い縁をしっかりと結び直す力を持つとされる神がいるから、白嶺神社は日本有数の縁切りと縁結びのパワースポットとされている。
特に良い縁をしっかり結んでくれるということもあって、本家の白嶺神社は結婚式場やブライダルをやる施設としても機能している。このブライダル施設、結婚式場の管理をやっているのが海夢の父親であるから、海夢の家はお金に困ったことがないというのだ。
そしてこの白嶺神社には代々、巫女が舞を奉納する仕来たりがあり、かつてその巫女を勤めていたのが海夢の祖母だったと聞いたし、その跡を継ぐのが海夢の姉であったと聞いた。しかし海夢の姉はエイズによって死んでしまい、次の巫女は空席になってしまっているのが現状だ。
……これだ。これこそが、自分が海夢たちにお返しをできる事柄だ。
思い立った木綿季は海夢にしっかり届くように発言する。
『海夢、ボクにできること、見つけた』
「へ?」
『ボク、巫女さんになる。海夢の家の神社の巫女、白嶺の巫女になる!』
「えぇっ!?」
それが海夢にとっての予想外だったというのは容易に予想できた。予想通り、海夢はまた大きな声を上げて驚き、回りの客達の注目を集める。
また同じように軽く咳払いをし、客達の注目を逸らしてから、海夢は話しかけてきた。
「何言い出すんだよ!?」
『白嶺の巫女の舞いは京都でも有名だったんでしょ。それをやるのがおねえさんだったけど、今は誰もいないんだよね。なら、ボクが跡継ぎに適任だと思うんだ』
ボクなんて一人称を気に入って使ってるけど、自分は女性だし、神様の事は信じてるし――処女だ。だから巫女をやれる資格は十分にある。
「あ、あのね。そんな急に言っても、簡単に任せてもらえるものじゃないよ。お祖母ちゃんにも話さなきゃいけないし、第一木綿季はカトリック信者だったって話じゃないか」
そうだ。自分の家はカトリック信者だった。イエス様を信じ、祈りを捧げたりもした。それを由来にしてオリジナルソードスキルに《マザーズ・ロザリオ》と付けている。それほどのカトリック信者の自分が白嶺の神に舞を奉納する巫女になるなど、一見無茶苦茶な話だろう。
『それはそれ、これはこれ。大丈夫だよ、神様は喧嘩しない。イエス様だって
「それなんて漫画作品? とにかく、木綿季が巫女になるかどうかは話し合わないと決まらないからね」
直後、海夢の顔に変化が起きた。頬が少し赤くなっている気がする。
「……まぁでも、ぼくは反対しないかな。木綿季が元気になったら、巫女姿も似合うだろうし……」
そう言われて、木綿季は目を丸くした。頬が何だか熱い。もし身体がそこにあったならば、頬が紅くなってしまっていた事だろう。
自分が白嶺の巫女になると聞いて、真っ先に反対するのは海夢だと思っていた。本来ならば海夢の姉が就かなければならなかったところに就こうとしている自分は身の程知らずだなんていうと思っていた。
しかし実際の海夢は反対するどころか肯定し――巫女姿が似合いそうだとさえ言ってくれている。その巫女姿が似合いそうだなんて言葉が出てきたせいで、木綿季は胸の中が妙に熱くなったの感じていた。
『ぼ、ボクの巫女衣装、似合いそうなの……?』
「ま、まぁ、着てみないとわからないし、そもそも木綿季を巫女にするかどうかを決めるのはお祖母ちゃんだから、まずは話をしてみないとだよ」
そう言って海夢は視線をそらした。まだ決まった事じゃないけれども、海夢は白嶺の巫女に自分が就く事を否定していない。胸の中に大きな喜びがどんどん突き上げてきて、木綿季はたまらず大きな声を上げた。
『やったぁ! ボク、巫女さんになるね!!』
「だから、それはお祖母ちゃんと話し合って――」
海夢の言葉を無視して、木綿季は仮想空間の部屋の中、一枚のウインドウを展開した。
この部屋はオンラインのVR空間だ。最近セブンから分けてもらった通信ソフトを導入したことにより、別なVRMMOの中に居る友人や仲間とSNSを使うような感覚で通話やチャットが出来るようになった。
木綿季はそのソフトを起動すると、宛先を《SA:O》で遊んでいるであろう《スリーピング・ナイツ》の皆、その中のシウネーとノリを指定し、ホロキーボードを操作した。
『二人とも、今はどんな感じ。ボクと海夢の用事は終わったから、これから《SA:O》に行くね。皆に発表したい事があるんだ!』
ひとまずそう書いて送信ボタンを押す。ウキウキしながら待つ事三十秒くらいで、返信があった。ノリからのメッセージだった。
『おぉ、終わったんだね。こっちは今《はじまりの街》の大宿屋で休んでるよ』
続けてシウネーからの返信が飛んできた。
『こちらにも良い事がありました。ユウキとカイムが抜けている間に思わぬ助けがあって、最新エリアでレベルを上げる事が出来ました』
木綿季は少し首を傾げた。思わぬ助けとは何のことだろうか。すかさず聞いてみると、すぐに返信があった。返信者はノリだった。
『白い猫みたいな帽子を被ってる二刀流剣士さ。ヴェルサって言うんだ』
『ヴェルサ!』
木綿季は少し驚いた。ヴェルサの名前は知っている。キリトと同じ二刀流使いで、尚且つ竜を使う《ビーストテイマー》であり、白い衣装が特徴的な事から《白の竜剣士》と呼ばれている女性プレイヤーだ。
そのヴェルサは、他のプレイヤーのパーティ等に率先して入り、確かなプレイヤースキルでプレイヤー達を徹底的にフォローするプレイスタイルをしており、多くのプレイヤーが助けられている。そのため、ヴェルサは《SA:O》のアイドルのように言われているのだが、その人と《スリーピング・ナイツ》が合流できるとは。
聞いた話によれば、ヴェルサが居れば初心者パーティでも最新エリアでレベル上げが出来るなんて事だったけれど、どうもそれは真実だったようだ。
『ヴェルサさんがパーティに加入してくれたおかげで、私達は最新エリアでレベル上げをする事が出来たんです。ヴェルサさんは今でも私達のパーティに居てくれて、一緒に話をしていますよ』
『今ならヴェルサと話せるよ!』
『わかったよ! ボクはすぐにログインするから、詳しく聞かせて!』
シウネーとノリに素早く返信して、木綿季はウインドウを閉じた。すぐさま海夢に声をかける。
『海夢、ボク先に《SA:O》に行ってるね!』
「えっ、もうログイン? どうして急に」
『皆と連絡したら、面白い事になってたんだ。皆、あのヴェルサに協力してもらえたみたいなんだ』
海夢は再度驚く。皆があのヴェルサと合流したというのが意外だったのだろう。
「ヴェルサって、あの《白の竜剣士》っていう人? あの人と皆が?」
『そうだよ。しかもヴェルサ、皆と一緒にいるみたいなんだ。だからボク、一足先に行ってくるね!』
海夢の「ちょっと待って」という声を無視して、木綿季は通話を終了。そのまま《SA:O》へのログイン処理を行い、仮想空間の部屋の中にしっかりと宣言した。
『リンクスタート!』
次回、オリキャラのヴェルサとユウキが邂逅。