キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 アリシゼーション編面白すぎ。

 KIBTのアリシゼーション編楽しみすぎ。






18:二匹の黒猫と白き衣 ―不明竜との戦い―

          □□□

 

 

 

「ハトホル……?」

 

 

 気付いた時、キリトは呟いていた。

 

 戦いの最中でセクメトは力を開放し、紅い目の強化状態となった。ジェネシスのアヌビスと同じ強化状態なったセクメトと戦う事となったその時、キリトを衝動が襲ったが、それは不可思議にも抑え込まれた。

 

 ひとまず衝動を抑え込めたキリトはセクメトへ挑もうとしたが、その瞬間にそれは起きたのだった。

 

 セクメトは空から突然ここへとやって来た。その時と同じように、突如としてこの場に乱入してきた存在が現れて、キリトの目の前に佇んでいる。

 

 それは猫だった。だがその大きさや姿形は猫とは一切異なっている。

 

 体長は狼竜形態となった際のリランと同じくらいで、セクメトのものとデザインが全く異なる白い衣を伴う鎧のような甲殻に身を包んでいるが、毛並みはセクメトのように黒く、牝牛のような角を生やしている。

 

 背中から純白のエネルギーの翼を発生させ、尻尾が槍の穂先のようになっていて、頭の上には日輪のような白い光の輪が発生しているという、特徴的すぎる異形の猫。先程から戦っているセクメトに似ても似つかないような猫竜(びょうりゅう)

 

 《日命龍(にちめいりゅう)ハトホル》という名を持つそれが、キリトの目の前にいた。

 

 どこからともなくやってきた猫竜にキリトは目を奪われていたが、正確には猫竜ではなく、その背中から目を離せなかった。

 

 主のいない猫竜セクメトと違って、ハトホルの背中には主が乗っていた。全体的に見覚えのある気がするデザインで、下半身がスカート状になっている軽装に身を包み、大きなポンチョをすっぽりと被っているプレイヤーだ。

 

 ポンチョの被り方が深すぎるせいで顔を見る事は出来ないが、確かに女性であるとわかるプレイヤーが、ハトホルの背中に跨っていた。

 

 

「な、なんだ……!?」

 

 

 キリトは呆然と立ち尽くしていた。セクメトが紅い目になったかと思えば、今度はセクメトとは異なれども同じ猫竜であるハトホルが、《ビーストテイマー》と一緒にやって来た。あまりに急な事が重なりすぎて、これまで急な事の到来に慣れてきたキリトでも茫然とせざるを得ない状態だった。

 

 ハトホルはなぜ現れた。

 

 そしてハトホルを使役するあの《ビーストテイマー》は何者か。

 

 疑問が頭の中を埋め尽くそうとしたその時、ハトホルの向こうにいるシノンの声が聞こえてきた。

 

 

「嘘、あんたはあの時の!?」

 

 

 シノンの声で我に返り、キリトはすぐさま問いかける。

 

 

「シノン、あれは一体!?」

 

「この人は――」

 

 

 途中でシノンの声は大きな音に潰された。ハトホルと対峙したセクメトが紅い目を光らせて咆吼したのだ。

 

 猫科の動物と龍の声が混ざったような獣の咆吼は場を満たす全ての音を潰し、キリト達へ襲い掛かった。あまりの音量の咆吼に襲われたキリト達はたちまち耳を塞ぐ。

 

 今のセクメトはアインクラッドに居た際に暴走を引き起こしたリランであり、ホロウアバターだ。その喉から出される咆吼は対峙する敵の自由を奪い取るもの――しかしハトホルとその背中に跨る《ビーストテイマー》は物ともせずに姿勢を保っており、セクメトの咆吼が終わるまで一切冷静な様子を崩さなかった。

 

 キリト達が体勢を立て直したその時、ハトホルは背中に主人を乗せたままセクメトへ走り、勢いよく右手を振り下ろした。色合いのせいなのか、ハトホルの体格はセクメトよりも華奢でしなやかに見え、セクメトほどの攻撃力があるようには思えなかった。

 

 だが振り下ろされたハトホルの右手がセクメトに直撃すると、とても重いものが衝突したような轟音が鳴り響き、セクメトは鈍い悲鳴を上げて苦しんだ。

 

 一見華奢で攻撃力やSTR(ストレングス)とは無縁そうなハトホルだが、確かな攻撃力を持っている事が証明されて、キリトは声を出して驚いていた。

 

 

「セクメトにダメージが……!」

 

 

 次の瞬間、初手を叩き込まれたセクメトは姿勢を無理矢理立て直し、口元から涎と紫の火を巻き散らしながらハトホルへ掴みかかった。しかしセクメトに掴まれるよりも先にハトホルはバックステップしてセクメトから距離を取る。

 

 セクメトは勢いを殺せずにそのまま地面へ倒れかかり、両腕を叩き付けた。紅い目となって攻撃力を激増させているセクメトに叩かれた地表は轟音と共に捲れ上がり、砕かれた土が(つぶて)のようになって周囲へ飛び交う。

 

 飛ばされた土の礫の射線上にハトホルはいたが、飛んできた礫のほとんどをハトホルの身を包む白い外套(がいとう)と鎧のような甲殻が弾いて守った。

 

 セクメト、アヌビス、ウプウアウト。それらと同じようにエジプト神話の神々の名を冠しているのがハトホルだ。彼らと同じようにかなりのステータスを持っているに違いない。

 

 しかもセクメトに攻撃されてもあまり動じず、更に一撃でセクメトにかなりの打撃を与えられていると来ているのだから、ハトホルの能力値は全て今現在のリランを超え、セクメトに迫っているだろう。

 

 敵か味方かはわからないが、セクメトと戦っているという事から察するに、少なくとも敵対しているわけではなさそうだった。

 

 

 そのハトホルが自分と同じような見た目をしていながら自分よりも強いのがわかったのか、セクメトは怒り狂ったように紫の火炎弾を放つ。猛毒を含む火炎弾が真っ直ぐに飛んできても、ハトホルは回避しなかった。

 

 その場に強く踏ん張り、力を籠めるような姿勢を取った直後、ハトホルの背中から生じる白いエネルギーの翼が一気に肥大化する。その翼を思い切り前方に延ばして閉じて、ハトホルはセクメトと自身の間に光の壁を作った。

 

 紫の火炎弾はハトホルの背中から延びるエネルギーの翼の盾に衝突して破裂。紫の炎が巻き散らされたが、ハトホルに炎が及ぶ事はなかった。勿論背中に乗っている《ビーストテイマー》も無事だ。

 

 まさかのエネルギーの翼を使った防御行為。セクメトも持っているエネルギーの翼には、そんな使い方もあるというのか。

 

 キリトが思わず感心し、ハトホルの翼が元の形状に戻ったその時だ。セクメトがハトホルのすぐ目の前に居た。セクメトが、ハトホルの視界が火炎弾の爆発で見えなくなった隙を突いて飛び掛かりを仕掛けていたのだ。

 

 この攻撃は予想できていなかったのだろう、ハトホルは驚いたように動きを止め、背中の《ビーストテイマー》もはっとしたように顔を上げた。

 

 

 まもなくセクメトの渾身のタックルがハトホルを襲い、轟音とハトホルの悲鳴が周囲に響いた。

 

 

 掴まり方が足りなかったのか、ハトホルの背中にしがみ付いていた白衣の女性は勢いよく投げ出されて宙を舞い――キリトとプレミアのすぐ傍に落下してきて、地面に激突した。

 

 痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)が働いていてもかなりのものが来たのだろう、女性は軽く呻き声をあげた。

 

 

「あぅッ!」

 

「あっ……!」

 

 

 キリトは咄嗟に女性へ駆け寄った。その傍まで近付いて姿勢を落とし、声をかける。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 

 次の瞬間、女性は驚いたようにキリトへ向き直ってきた。キリトと女性の顔が向かい合う。あれだけ衝撃を受けているというのに、女性の被っている白いポンチョはしっかりと女性の顔を隠していた。

 

 それでも鼻から上までしか隠れておらず、口元は確認する事が出来るものだった。

 

 そこから見えている女性の口は若干開かれていた。戸惑っているかのような、驚いているかのような形に開かれている。《HPバー》を見てみても、少し残量が減っている程度で済んでいるから、ハトホルの背中から投げ出されたのが余程予想外だったのだろうか――。

 

 

「……え……?」

 

 

 思わず女性の口元を眺めたその時、キリトは気付いた。

 

 

 この女性を見た事がある気がする。

 

 

 輪郭と口元しかわからないけれども、自分は確かにこの女性を見た事があるような気がしてならない。

 

 

 いや、見たどころではない。

 

 もしかしたら会いさえもして、話さえもしているかもしれない。俺は確かにこの女性を知っている。

 

 

 それはいつの事だっただろうか。少なくともVRMMOの世界で出会っていたという事だけはわかる。

 

 ALOか、それともSAOか。もしSAOだったとしたらそれはどのくらいの時だったか――女性を見つめたまま記憶の奥底を探ろうとしたその時、耳元に届く声があり、キリトは我に返る。

 

 いつの間にかプレミアが隣に並び、女性に声をかけていたのだ。

 

 

「あの、あなたは……わたし達を助けてくれているのですか」

 

 

 女性はプレミアに驚いたようになっている。先程から自分もこの女性も驚き、戸惑ってばかりだ。だが、そんな事を気にしている場合ではない。

 

 確かにこの女性の事を自分は知っている。それはきっとこの女性も同じなはずだ。今は外観を見て僅かに判断出来ている程度だが、その声を聴く事が出来れば、もしかしたらもっと詳細を思い出せるかもしれない。

 

 

「な、なぁ()。君は俺とどこかで会ったか」

 

「……!」

 

「人違いだったらごめん。けど俺、どうも君の事を見た事があるような気がして――」

 

 

 女性は答えなかったが、代わりにプレミアがぴくりと反応を示して、女性に問うた。

 

 

「キリトと知り合い? キリトと知り合いだから、助けてくれたのですか」

 

 

 女性は胸の前で両手を合わせ、じりじりと後退した。何かを伝えたがっているが、躊躇(ためら)っているかのような仕草。もしくは何か悟られたくないような事があるような様子。明らかに自分達を嫌がっているようなものではない。

 

 

 やはりこの女性には何かがあると考えて違いない――キリトは軽く近付きながら、女性に声掛けする。

 

 

「なぁ君、君は――」

 

 

 次の瞬間、広間の方から大きな音がした。誘われるように向き直ってみると、二匹の黒猫が宙を舞っていた。セクメトが背中からエネルギーの翼を発生させて飛行し、その後をハトホルが追っている。

 

 二匹の猫が文様の走るエネルギーの翼で空を飛んでいるという超常的な光景が作り上げられていた。

 

 二匹は何をするつもりだ――キリトがそう思うとしたそこで、セクメトがハトホルへ飛び掛かりを仕掛けた。ハトホルはそれを回避して、カウンターと言わんばかりの突進攻撃を仕掛ける。両者はこの応酬を上昇しながら行い――そのまま空へと消えていった。

 

 

「えっ、お、おい!!?」

 

 

 キリトは目を見開いて驚いた。セクメトが戻ってくる気配はない。ひとまずセクメトの撃退に成功したようだが、戦っていたハトホルまでいなくなってしまった。

 

 ここに主人がいるというのに。

 

 

「ハトホルが行ってしまいました」

 

 

 プレミアも少しきょとんとしたような様子で空を眺めていた。《ビーストテイマー》が《使い魔》に取り残されてしまったなど、前代未聞の事態だ。

 

 ……いや、自分ならばこのような状況になる事も珍しくはなかったが、それは《使い魔》がリランという極めて特異な存在であったからであって、普通の《使い魔》を使役しているならば絶対に起こりえない事態に変わりはない。

 

 そんな事態に出くわしてしまったのだから、プレミアの反応も自然なものだった。

 

 

「キリト、プレミア!」

 

 

 空を眺めて茫然としていると、二つの足音が耳に届いてきた。シノンとリランが駆け寄ってきていた。アメミットとセクメトの戦いに巻き込まれていたが、ハトホルの乱入のおかげか、二人の被害も最小限に抑えられていたらしい。

 

 キリトは寄ってくる二人に安堵しながらも応じる。

 

 

「二人とも無事だったか」

 

 

 キリトの呼びかけにシノンが掌を立てるサインで応じた。間もなくシノンは取り残された女性へ顔を向ける。その顔はそれなりに険しいものとなっていた。

 

 

「あんた……まさかここで来るなんてね」

 

 

 この女性がハトホルと共にここへやって来た時、真っ先に反応をしていたのがシノンだった。

 

 シノンが何かを知っているのは違いないと思っていたが、ハトホルとセクメトの戦いのせいですっかり聞きそびれていた。

 

 思い出したキリトは女性ではなくシノンへ尋ねる。

 

 

「シノン、この人は一体。君は何か知ってるのか」

 

「知ってるも何も、この人よ。この人がこのクエストを私に教えてくれたの」

 

 

 キリトはリランと一緒に驚く。シノンが受けたこのクエストは、謎めいた女性から受け取ったものだと聞いていた。情報屋なのかそうではないのか全くわからない、シノンは知らないけれどもシノンの事は一方的に知っていたという、白い衣装の女性。

 

 

「う……うぅ……」

 

 

 シノンと再会したその女性は立ち上がり、ゆっくりと後ろに下がっていき始めた。喉元から声が出ているが、小さくて声色が聞き取りにくい。意図的にそんな声を出しているようにも思え、キリトは胸に疑問を抱いた。

 

 

「なぁ、君は一体何なんだ。どうしてシノンを知ってるんだ。どうしてシノンにクエストを与えたりした?」

 

「なんで、私達が戦ってるところに来たのかしら。しかも《使い魔》と一緒に。そして私はずっとあんたの名前も聞けてない。あんたは結局なんだっていうのよ」

 

 

 ついにシノンが詰め寄ったその時、女性は右手を動かしてウインドウを呼び出し、いくつかのボタンをクリックしていった。

 

 メニューウインドウの中でも下側の方を操作する動作――それを見たキリトはハッとする。ログアウトコマンドだ。把握したその時には、女性の身体をログアウトの光が包み込まんとしていた。

 

 

「お、おい待ってくれ! 君は一体、なんなんだ!?」

 

 

 思わず女性へ手を伸ばしたその時。キリトの頭の中にフラッシュバックが起きた。

 

 それは今までのようなはっきりとしたものではなく、ひどくぼやけてしまって全体像を掴む事さえもできないものだった。自分は以前にもこうして何かに向けて手を伸ばした事がある。

 

 

 手を伸ばしたけれど、何に向けたものなのかわからない。ただ、そういった体験をした事があるというのだけがわかるフラッシュバックだった。

 

 

 いつの出来事なのかは思い出す事が出来ない。いや、その余裕がなかった。

 

 見慣れた光は女性の身体を一気に包み込んでいった。光が女性の上半身に広がったそこで、僅かにその口が動きを見せて、言葉が紡がれた。

 

 

 

「……ま……ね………………キリト」

 

 

 

 最後の言葉を聞いたそこで、キリトは目を見開いて硬直した。

 

 女性の身体は白い光に包み込まれ、アイングラウンドから消えていった。

 

 その場に沈黙と静寂が取り戻される。

 

 風が吹き、植物と水面が揺れる音を聞きながら、キリトは立ち尽くした。

 

 

 

 消える直前、女性は言った。

 

 ――キリトと。

 

 

 聞き間違いではない。

 

 確かに女性は自分の名前――キリトという単語をしっかりと口にした。

 

 

 自分は女性の事を知らない。でも女性の事を見た事があり、話をした事もあるような気がしてならない。

 

 

 しかし誰であったのかわからなかったし、未だに思い出す事が出来ない。

 

 もしかしたら女性に聞いてみれば、答えを教えてくれるのではないかと思っていたが、それは当たっていた。

 

 

 今の女性は自分の事を知っている。

 

 シノンの事だけではなく、自分の事も知っていた。

 

 やはり自分達はどこかで会っていたのだ。

 

 

 しかし、女性の示した答えはそれだけで、その他の事はヒントさえも与えてくれなかった。知りたかった名前さえも、聞き出す前に消えられてしまった。

 

 彼女が《使い魔》に置いてけぼりにされたように、キリトも彼女に置いてけぼりにされてしまったような気がしてならなかった。

 

 それから十秒ほど経った頃のリランからの声で、キリトはようやく我に返った。

 

 

「今のは一体、なんだったのだ。一応我らの助けに入ってくれたようだが……」

 

「わからない。なんにもわからせてくれないまま、行ってしまった。

 けど……俺はあの人と会った事があるような気がする」

 

 

 その一言に反応したのがシノンだった。シノンはキリトの眼前に入り込み、目を合わせてきた。

 

 

「あなた、あの人を知ってるの。あなたの知り合いだったっていうの」

 

「いや、正確には会った事があるような気がするだけなんだ。もしかしたら会った事が無いかもしれない。何だか変な感じだ。けど、どうやら向こうは俺の名前も知ってたらしい。消える直前で俺を呼んでいた……」

 

「あなたの名前を知ってたって……確かにあなたは《黒の竜剣士》って呼ばれてるから、有名人だろうけれど……」

 

 

 明らかにそんな話を聞いて名前や存在を理解していたような様子ではなかった。本当に自分と会って話をした事がある――そんな感じがあの女性にはあった。しかしどんなに考えても、キリトの頭の中にそれらしい人物の姿は浮かび上がらなかった。

 

 

「ひとまずあの人については皆にも聞いてみるよ。それにあの人は俺達のピンチに駆けつけてきてくれたみたいだったから、また会う機会もあるかもしれない。その時が来たら今度こそ話を聞いて見る事にするよ」

 

「我もユイやストレアと一緒に調べてみよう。とりあえず我らを助けてくれたのは確かだから、警戒する必要はあるまいて。今出来そうな事と言えば、それくらいだな」

 

 

 そう言うリランにキリトは頷く。

 

 女性はハトホルを連れてセクメトに攻撃を仕掛け、最後こそ不可思議な事になったものの、セクメトを撃退してくれた。そして最後までジェネシスのような邪険な様子も見せなかった。

 

 どのような意図があったのかはセクメトとその主人同様に不明だが、自分達を助けてくれたのは確かであり、警戒する必要はあまりないと言える。

 

 頭の中で考えをまとめ上げ、キリトは言った。

 

 

「そうだな。ひとまず今度会えたら今日の分のお礼をしよう」

 

 

 そう言うと、三人とも頷いてくれた。その光景を最後まで見てから、キリトはシノンへ向き直る。

 

 

「それでシノン。クエストはどうなった。アメミットはセクメトが倒しちゃったけど……」

 

「あ、そうだったわね。ええっと……」

 

 

 思い出したようにシノンはウインドウを開く。クエストの進行を確認しているのだ。横から覗き込んでみたところ、『祭壇へ祀られた神の道具を入手せよ』と書いてあった。

 

 どうやらセクメトがアメミットを倒した事になっても、クエストは正常に進行してくれたらしい。

 

 ウインドウの導きに沿うように広場の最奥部を見てみると、祭壇に光るものが見えた。プレミアのクエストを進行させた際に手に入る、《聖石》を祀る祭壇を思い出すが、それよりかは簡素に作られているのが一目でわかる。

 

 一応周囲に気を付けながら、キリトは三人と一緒に祭壇へ向かった。石造りの柱が周囲に規則正しく配置されている祭壇の上に置かれていたのは――白金の腕輪だった。

 

 

「あ……これ……」

 

「これは……腕輪か?」

 

 

 首を傾げるキリトを横に、シノンは祭壇の腕輪を手に取った。すぐにプレミアがシノンに尋ねる。

 

 

「シノンが探していたのは、その腕輪なのでしょうか」

 

「えぇ、そうよ。こういうのを、探してたの……」

 

「こういうの?」

 

 

 シノンの様子と言葉に増々キリトは首を傾げた。「これを探していた」ではなく、「こういうのを探していた」とシノンは言っている。どういった意図があってこのクエストを進め、あのアイテムを入手するに至ったのかがよくわからない。

 

 シノンの考えている事はある程度わかるつもりだが、今回ばかりはそうではなかった。

 

 そんなキリトにシノンは向き直り、ゆっくりと歩み寄って、すぐ目の前で立ち止まった。

 

 

「キリト、右手を出してくれない?」

 

「え?」

 

「いいから、右手を差し出してほしいの」

 

 

 キリトは「あぁ」と言い、右手を差し出した。シノンはキリトの右手を両手で受け取ると、そっと袖口を捲り上げて――手に入れたばかりの腕輪を填め込んだ。

 

 かちゃりという金属音がしたその時、キリトは思わず驚きの声を上げる。

 

 

「えっ、シノン!?」

 

 

 キリトは急いで右手をシノンから離し、手首を見つめた。何もなかった右手首に、中央に純白の宝玉が納まる、複雑な文様が刻み込まれた白金色の腕輪が嵌め込まれていた。

 

 それは紛れもなく、シノンがこのクエストで入手するはずだったアイテムだ。どうしてこれが自分の右手に填められたのだ。

 

 少し慌てるキリトの事を、当のシノンは何かを伺うような顔で見つめていた。

 

 

「付け心地は……どうかしら」

 

「付け心地って、これは君が欲しいって言ってたものじゃないか」

 

「そうよ。あなたに与えたかったから、欲しかったもの」

 

「え?」

 

 

 シノンはきょとんとするキリトの右手をもう一度掴み、そのまま自身の両手で柔らかく包み込んだ。VRでも現実でも変わらない、シノンだけが持つ温もりがじんわりと右手に広がる。

 

 

「私、ずっと探してたの。この世界でのお守りを。あなたを守ってくれるお守りを……」

 

「お守り……?」

 

 

 キリトはハッとした。

 

 そうだ、現実世界でもALOでも、自分の右手首には腕輪が填まっている。シノン/詩乃が贈ってくれた、自分が苦しんだ時に救いの手を差し伸べてくれるお守りだ。

 

 昨日、衝動に呑み込まれる直前にも、キリトはこのお守りを探して右手を見つめた。けれどそこには何もなかった。

 

 そのせいもあってか、キリトは一気に意志を持てなくなり、カーディナルの防衛機構の器――ホロウアバターになってしまったのだった。

 

 

「この世界にいる時、あなたはお守りを持ってなかった。だから、お守りになりそうなものを探してたんだけど、全然見つからなくて。見つけられても、効果がなさそうなモノばっかりで、困ってたの。ユイと一緒にアクセサリー屋に行ってみても全然駄目で……」

 

 

 以前シノンはユイと一緒にアクセサリー屋に出向いていたのを見た事がある。何を求めてくれているかは話してくれたなかったが、まさかそれが自分のためのお守りだとは思っていなかった。

 

 

「でも、これならいいかなって思ったの。現実で付けてるお守りによく似てたから……一応効果も良いみたい。どうかな、キリト」

 

 

 シノンに言われたキリトは、じっとお守りを見つめていた。

 

 白金で作られているそれには複雑な模様が刻まれていて、現実世界で付けている腕輪によく似た雰囲気があった。中央に白い宝玉が納められているという違いもあるが、大して気にはならない。

 

 寧ろ、その宝玉と模様を見ていると、大きくて暖かな安らぎなようなもの――現実でお守りを見た時に感じるものと同じものが心に広がってくるのを感じられる。

 

 現実のお守りがアイングラウンドにやって来た代物であると言われても、違和感はない。

 

 

「……あぁ、現実で付けてるのによく似てる。すごくいいものだよ」

 

「もし昨日みたいな事になりそうだったら、それを見て心を強く持って。カーディナルの防衛機構がどれくらい強いのかわからないから、もしかしたら役立たないかもしれないけど……」

 

 

 キリトは少し驚いた。イリスがしてくれた話はあの場に居た者のみが知っているもののはずだ。

 

 

「聞いていたのか、イリス先生の話」

 

「えぇ。二階からこっそりね。カーディナルはすごく強いから、勝てないかもしれないけど……それでもあなたの力になりたくて……」

 

 

 キリトは再び右手首の腕輪の煌めきを見つめた。現実で付けているお守りが放つそれによく似た暖かい光だ。

 

 もし今後カーディナルの防衛機構に呑み込まれそうになっても、このお守りがあれば太刀打ち出来る――まだやった事が無いからわからないけれども、お守りの放つ光は、確かにそんな気を感じさせてくれた。

 

 キリトは深呼吸し、シノンに向き直る。

 

 

「ありがとう、シノン。これがあれば、カーディナルにも勝てる気がする」

 

「本当?」

 

「あぁ。君が贈ってくれたお守りなんだ。君のお守りはいつも俺を助けてくれた。だから、これがあれば大丈夫だよ。本当にありがとう、シノン」

 

 

 思っている事全てを伝えると、シノンは頬を桜色に染めて微笑んだ。右手に伝わる温もりが更に大きくなり――なんだかお守りそのものがその温もりを宿していっているような気がした。

 

 しばらくしてシノンがその手を離したその時、離されたキリトの右手は再び受け取られた。少し驚いて目線を向けると、今度はプレミアが両手でキリトの右手を包んでいた。

 

 

「え、プレミア?」

 

 

 きょとんとするキリトにプレミアは何も答えず、静かにその瞳を閉じた。まるで《聖石》に祈りを捧げた時のようなその様子に、三人は思わず言葉を封じた。そしてプレミアの瞳が再度開かれると、キリトは言葉を取り戻し、問うた。

 

 

「プレミア、今のは」

 

「お祈りしました」

 

「え?」

 

「キリトをあんなふうにするものから守ってくださいと、お祈りをしたんです。これで……お守りの力は強くなってくれたはずです」

 

 

 プレミアはいつになく強気な顔をしていたが、キリトは少し戸惑いを感じた。プレミアは祈りを捧げてくれたようだが、腕輪に何か変化があるようには思えないし、身体の方にも何も感じない。

 

恐らく景気付け、もしくは元気付けなのだろう。

 

 

「キリト、わたしのお祈りはどうですか」

 

 

 尋ねてくるプレミアの頭に、キリトはそっと左手を載せた。そのままゆっくり優しくなでてやると、プレミアはきょとんとした。

 

 

「ありがとう、プレミア。シノンの思いと君の思いが重なったおかげで、このお守り、一層強くなってくれたみたいだぜ」

 

「本当、ですか」

 

「あぁ。これがあればもう大丈夫だ。それに、あの時は助けてくれてありがとうな、プレミア。君のおかげで、俺はあんな風にならずに済んだ。守ってくれてありがとう」

 

 

 そう言うと、プレミアは嬉しそうに笑んだ。その笑顔を見ていると、細かい嫌な事を忘れてしまえそうだったが、キリトは先程の事を思い出すのを止められなかった。

 

 

 セクメト戦で衝動に呑み込まれそうになった時、プレミアに接したところで、急に衝動は収まった。明らかにプレミアが衝動を鎮めたようにしか思えない。

 

 

 あの時自分はプレミアに何かされたのだ。

 

 

 その正体は何なのか、詳しく調べる必要がある。キリトはそう思いながら、プレミアの頭を撫でていた。

 




 あと二話程度で第三章終了予定。

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