キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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16:空中庭園を守る者 ―守護竜との戦い―

          □□□

 

 

 エリュシデータをリズベットから受け取った後、キリトはシノンと合流。その後すぐにフィールドへ赴く事となった。場所は《ジュエルピーク湖沼群》の最奥部である、《ラ・ファスタル空中庭園》の北部の一角だ。

 

 リズベットの店でリランの尻尾を加工する事で生まれた武器、エリュシデータを手にしてすぐに、シノンがキリトの許へやってきた。どうしてもキリトに協力してもらいたいクエストがあると持ち掛けて。

 

 《ジュエルピーク湖沼群》のボスがヴェルサとジェネシスの手によって倒された事で、新たなエリアが解放された。早速シノンがそこのクエストを拾ってきたのかと思って期待したが、それはすぐに裏切られた。シノンの持ってきたクエストが参照していた場所は《ジュエルピーク湖沼群》だったのだ。

 

 出来るならば解放された新エリアに早く行きたかったのがキリトだったが、シノンの頼みを断る事は出来なかった。シノンはとても真剣な顔でクエストの話をしていたのだ。

 

 元々シノンからの頼みは余程無茶苦茶なものではない限り断らない主義であったし、何よりシノンがとても真剣に頼み込んできている。もう断るわけにはいかない。

 

 キリトは新エリアに行きたいという欲求を置いておき、シノンからの依頼を承諾。リラン、プレミアを連れて現地へ赴いたのだった。

 

 

 最初に来た時はそんなに気にしていなかったが、《ラ・ファスタル空中庭園》はその名の通り空中に浮いている場所だった。設置されている転移石を利用する事でのみ行く事が出来、転移してすぐに振り返れば、《ジュエルピーク湖沼群》が眼下に広がっているのが見える。

 

 陸路ではどうやっても辿り着けない、地面から切り離された場所にある廃墟神殿――キリトはその光景を見た時、狼竜形態のリランならばこの空を飛べるのではないかと考えて、リランを飛ばそうとした事があった。

 

 しかし、そんな自由が利くようには作り込まれていなかったようだった。どうやってもシステムが作る見えない壁に弾かれてしまい、《ラ・ファスタル空中庭園》から《ジュエルピーク湖沼群》へ降下する事も、《ジュエルピーク湖沼群》から《ラ・ファスタル空中庭園》へ向かう事も出来なかった。

 

 だが、こうして空中に浮いているところを見る事で、この世界がアインクラッドを生んだ大地であるというのを実感できた。

 

 そんな事を考えながら、キリトは前を進んでいるシノンに話しかける。

 

 

「ところでシノン、このクエストはどういうものなんだ。クエストボードで受けられるものじゃないよな」

 

「えぇ。《はじまりの街》の商店街エリアにいるNPCから受けられるものよ。内容はあまりよくわからないんだけど、最後にはいいアイテムが手に入るみたいなの。どうしてもこのクエストがこなしたかったから、あなたにお願いしたの。急なお願いになってごめんなさいね」

 

「いやいやいいよ。でも、よく見つけられたな。クエストNPCはいっぱいいて、どれがどれだかわからなくなりそうなのに」

 

 

 シノンはくるりとキリトに向き直った。不思議そうな顔をしている。

 

 

「それなんだけど……ねぇキリト。白いポンチョを着てる女性の情報屋って知ってる?」

 

「へ?」

 

 

 キリトは思わず首を傾げた。情報屋は仲間のアルゴの他に沢山居て、日夜このゲームで幾多の情報をプレイヤー達と売買している。だから、その中にシノンの言ったのがいても不思議ではないが、話の出が突拍子もなさすぎる。

 

 

「白いポンチョの情報屋……誰なんだ、それ」

 

「やっぱりあなたでも知らないか」

 

 

 そこでシノンは話し始める。今日ログインして家を出た後、シノンは《はじまりの街》のクエストボードに向かい、クエストを探した。

 

 しかしそこでは思ったクエストを見つける事が出来なかった。諦めて離れたその時に、急に話しかけてきた人物がいた。

 

 それは白いポンチョを被って顔を隠した女性であり、女性はシノンを呼び止めるなり、今のクエストの情報を渡したという。その女性の事をシノンは知らなかったが、女性はシノンの名前を知っていたらしいという話を聞いて、キリトとリランは驚いた。

 

 

「君の事を知ってる女性だったのか」

 

《だが、お前はそいつの事は知らないのだろう》

 

「えぇ。でもあっちは私の事は知ってて……それで、このクエストを渡してきたのよ。私は情報屋だと思ったんだけど……」

 

 

 キリトは《黒の竜剣士》の二つ名で呼ばれて評判になっているから、その名を知っているプレイヤーの数は存外多い。だが、シノンはそんな評判にもなっておらず、一般プレイヤーの中の一人でしかない。そんなシノンを知っていて、尚且つクエストの情報を持っていたともあれば、情報屋と考えるのが妥当だ。

 

 

「そう考えて間違いなさそうだな。それで、その人の名前は」

 

 

 キリトに聞かれるなり、シノンはその表情を曇らせた。しくじってしまった事があるように思える。

 

 

「それが、名前は教えてもらえなかったの。聞こうとしたら逃げられて……」

 

「え。名前がわからないのか」

 

「そうなのよ。だから、あなたは何か知ってないかって思って。ねぇキリト、白いポンチョを被った情報屋、知らない?」

 

 

 キリトは顎元に指を添えて思考を巡らせる。

 

 これまでアルゴ以外の情報屋を沢山見てきているけれども、ポンチョやケープを被っているのはアルゴくらいで、情報屋達の間ではあまり見られない。それに情報屋は無数の情報を売買する商人達だから、販売者である自身の名前を他のプレイヤーに教えないというのもおかしい。

 

 そんなおかしな特徴を持った情報屋の記憶など、勿論なかった。一応隈なく頭の中を探しても見たが、やはり見つからなかった。

 

 

「いや、俺はそんな人知らない。でも変だな、名前も教えずにいなくなるなんて」

 

「でも、その人は一方的にシノンの事を知っていました。怪しいと考えていいと思います」

 

 

 キリトはきょとんとして声の方に振り向いた。プレミアがキリトの左隣に並んでシノンを見つめている。その表情はこれまで見た事が無いくらいに真剣そうなものだった。

 

 プレミアがそうなっているのが意外だったのだろう、キリト同様にきょとんとしながら、シノンは声をかける。

 

 

「プレミア?」

 

「以前シノンをストーキングしている人がいたと聞いています。また同じような事をする人が現れたのかもしれません。疑ってかかるべきです」

 

 

 プレミアの言う通りだ。

 

 前にはシュピーゲルが仲間に加わりにくい事から、シノンや自分にストーキング(まが)いの事をしてしまっていた事があった。

 

 その問題は既に解決されているけれども、当時のシュピーゲルとは全く異なった目的を持って、同じ行動を起こしているプレイヤーの存在も考えられないわけではない。シノンにクエストを持ち掛けてきた女性というのがそういったものではないという確証も捨てきれないから、プレミアの言っている事は間違っていなかった。

 

 だが、キリトが反応したのはそこではなく、プレミア自身についてだった。

 

 

 これまではあまり人を疑ってかかる事の無かったプレミアがシノンと接したプレイヤーを怪しみ、疑ってかかっている。そしてシノンに注意を促している。

 

 

 今までやる事が無かった、もしくは出来なかった事をプレミアが為しているという事そのものが、キリトにとっては驚くべき事だった。思わず感心して、キリトはプレミアに言った。

 

 

「疑ってかかれなんて、君がそんな事を言うのか」

 

「この世界にいる人々はキリト達みたいにいい人ばかりではありません。中にはジェネシスみたいな危険な人もいます。危険な人がいそうなら、警戒してかかるべきです」

 

 

 かつてプレミアは何も知らない無機質な機械のような()だった。

 

 だが、プレミアは自分達と接した事で様々な体験をし、色々な事を学習していき、段々と感情豊かな娘に育っていった。そして今、危険人物とそうではない人物を見分けられるようにまでなっている。

 

 プレミアはいつの間にかここまで成長していた――周囲に気付かれないようにその事実を嬉しく思ったキリトが頷くと、シノンが同じように頷いた。

 

 

「そうね、あんたの言う通りだわ。ちょっと疑ってかかる事にする。けど、このクエストの事は信用して良さそうよ」

 

「そうでしょうか」

 

「そうだと思うわ。キリト、あなたのゲーマーとしての勘はどう言ってる?」

 

 

 急に吹っ掛けられたキリトは少し驚いたが、すぐに思考を巡らせる。

 

 確かにシノンにクエストを持ち掛けてきた女性が怪しい事に変わりはない。けれどこのクエストは何が起こるかはわからないけれども、そんなに危険なクエストだとは思えない。きっとシノンの目的jに沿ったものとなっているだろう。

 

 もしSAOだったならば危険だと言えるものである可能性もあるが、ここはあくまで《SA:O》。デスゲームではない。だからこのクエストは結局安全だ――今まで培ってきたゲーマーとしての勘はそう囁いていた。

 

 

「別にそんな危険なクエストじゃないだろう。強いボスが出てきても、何度もリベンジできるしな」

 

《それにキリトの背中には、オーバーウェポン(エリュシデータ)もある。いかに強いボスが出てこようと、我らで勝てぬ相手ではないだろう》

 

 

 リランの《声》に頷きつつ、キリトは背中をもう一度見る。黒き神剣と言われるエリュシデータを包んだ鞘がそこに携えられていた。

 

 設定によると、この剣は正式サービス開始からかなり経ったくらいに出現するというリランの種族、《刃狼竜ウプウアウト》の尻尾を切断する事で手に入る素材からしか作れない代物であるという。そんなものをクローズドベータテストの段階で手に入れてしまっているのが現状だから、チートを使っているような気がしてくる。

 

 けれども、そんなものを使わなければ勝てそうにないような相手を戦う事があるのだし、それがいつ襲ってくるかもわからないのも事実だ。

 

 

 周りのプレイヤー達にどう思われようとも、俺はこの剣で戦い、守りたいと思えるものを守る――キリトはそう思って前を向いたが、すぐさま左隣に向き直った。プレミアが声をかけてきていたのだ。

 

 

「キリト、戦いの時はわたしに任せてください。わたしがキリトを守ります」

 

「えっ、どうしたんだよ急に」

 

「キリトはジェネシスという人から、恐ろしい竜からわたしを守るために戦ってくれました。だから今度はわたしの番です。わたしがキリトを守ります」

 

 

 凛とした声で言うプレミアの、その言葉には驚く事しかなかった。

 

 自分達はずっとプレミアを守るべき存在とし、今日この日まで守り続けてきた。これまで守られる一方だったプレミアが守ってくれると言っているという事は、プレミアが成長したという事を意味する。プレミアはここ数日の間に、誰かを守りたいと思えるまでに成長していたのだ。

 

 機械のようだったプレミアには、今やその他のNPC達には見受けられない、しっかりとした意志が存在している。

 

 

 しかしキリトは、プレミアからの言葉を嬉しくは思わなかった。

 

 プレミアはこの世界の真の住人だ。この世界はNPC達にとってのデスゲームであり、《HPバー》が尽きた時は等しく死が訪れる。自分達のように黒鉄宮から復帰(リスポーン)出来ない、唯一無二の少女。だからこそ自分達はプレミアを守るべく、ここまで戦ってきた。

 

 そのプレミアが誰かを守るために戦うのは、唯一無二の生命を危険に晒すのと何ら変わりない。嬉しいようなそうじゃないような、複雑な気持ちを抱いたキリトは、プレミアの頭にそっと手を載せた。

 

 

「プレミア、そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、何かを守るのは俺のやるべき事であって、君がやるべき事じゃないんだ。俺の事は守ってくれなくても大丈夫だよ」

 

「ですが、キリトはわたしを……それであんなふうに……」

 

「そうだけど、あれはあの時一回きりだ。今度はそうはいかせない。だから、君はこれまでどおり戦ってくれればいいんだ。戦闘になったらいつも通りに戦ってくれ」

 

 

 プレミアは納得できないような顔をしてキリトの目を見つめた。美しい水色の瞳には温かい光が蓄えられている。優しくて強い意志の光だ。他のNPC達では見る事の出来ない、瞳に宿る光。

 

 それを持っているのがプレミアなのだから、守らなきゃいけないのだ。クエストがどうであうとも。

 

 キリトの思いが伝わったのか、プレミアは渋々「わかりました」と頷いた。確認したキリトは優しくプレミアの頭を撫でてやり、先を目指して歩き始めた。

 

 

 廃墟神殿のような外観の《ラ・ファスタル空中庭園》には虫型から騎士型までの、実に様々なモンスターが闊歩していた。《ジュエルピーク湖沼群》の最奥部ともあってか、それらモンスターのレベルは自分達と近しい数値になっている。戦うだけでもかなりの経験値を得られ、それなりに貴重なアイテムをドロップも手に入れる事が出来た。

 

 新たなエリアが解放された後だから短期間になるだろうけれども、ここはレベリングやレアアイテム探し目的のプレイヤー達で賑わう事になるかもしれない。

 

 そんな事を考えながら北上を続けていくと、広場のような場所に辿り着いた。

 

 土が被さって苔の生えた瓦礫の山や背の高い草木の数々が壁を作っている、四角形の広間だ。全体像や雰囲気はつい昨日訪れ、ジェネシスとアヌビスと戦ったあの場所に似ていなくもない。

 

 実際ここの位置はそこから近しい場所でもあると、マップは示していた。

 

 だが、あそこと決定的に違うのは、部屋の奥の方に祭壇のようなものがある事だ。如何にも何かを祀っているようなその風貌は、これまで見てきた《石祀の神殿》の祭壇に似ている。

 

 その祭壇を見つけ出すなり、シノンが声を上げた。

 

 

「あった、あそこだわ! あそこにあるのが、クエストNPCの言ってたアイテムなんだわ」

 

 

 シノンは嬉しそうな様子を見せている。人前では感情の出す事が稀で、いつもクールに振舞っているのがシノンだが、キリトと二人きりの時、ユイやストレアやリランといった家族が一緒の時はその限りではない。

 

 自分と一緒の時だけ見せてくれる様子(ひょうじょう)が出てきた事に嬉しさを感じながら、キリトはシノンに問うた。

 

 

「おぉ、アイテムを手に入れるクエストだったのか、これ」

 

「そうなの。結構難しいかなって思ってたんだけど、簡単に見つけられるものだったのね」

 

 

 喜ぶシノンの横でキリトは目を細めた。シノンの受けたクエストはフィールドを探索し、目的のアイテムを見つけ出す探索クエストの一つだ。

 

 だが、そういったクエストは目的のモノを見つけ出せても番人に守られていて、番人を倒さなければ入手出来ないなんて事が多い。中には番人がいないものもあるけれど少数だ。

 

 それにこの場所自体も妙に広い。まるで戦場となる事を前提にしているかのようだ。ここにはきっと何かがある。このクエストは、シノンの言うような易々とクリアできるものではないはずだ。

 

 そのキリトの予感はすぐに肯定された。祭壇と自分達の立ち位置の間に、真っ黒い影が広がった。

 

 

 一同が何事かと思った次の瞬間、轟音と共に巨大な物体が陰の真ん中に落ちてきた。床が土と一緒に捲れあがり、震動に足を取られそうになる。姿勢を立て直して目の前を再度確認したそこで、キリトは驚いた。

 

 

 自分達と祭壇の間に、巨大という程ではないが、大きな体躯のモンスターが姿を現していた。

 

 

 (ワニ)のような輪郭の頭部を持ち、首周りに茶色の鬣を生やし、耳のような直立した一対の角を頭部から生やしている。前足はネコ科の動物のそれを極端に太くしたような形状で、下半身に至っては象や河馬(カバ)のそれを思わせるような形になっているという、異形の体格を黒と金と青を基調とした鎧で包み込んでいる。

 

 見方によってはドラゴンとも呼べそうな存在が、すぐ目の前に立ちはだかっていた。

 

 

「こ、こいつって……」

 

「そんな気はしてたよ。こいつを倒さないとクエストのアイテムには辿り着けないようになってたんだ」

 

 

 キリトは出来たばかりのエリュシデータと、強化を重ねて使い込んできた《マーセナリーソード》という名を持つ銀の剣を引き抜いた。すぐさま目の前の竜とも言えそうなモンスターに視線を向ける。その時モンスターは既に臨戦態勢となっていた。そしてその頭上に複数の英単語が出現してくる。

 

 

《Ammit_The_GrapingDragon》。《貪喰竜(どんしょくりゅう)アメミット》。

 

 

「アメミット……!?」

 

 

 アメミット。アムムト、アーマーンなどと呼ばれる事もあるそれは、アヌビス、セクメト、ウプウアウトなどと同じエジプト神話に登場する幻獣の一体だ。貪り喰らう者という意味の名で、鰐、獅子、河馬の身体の要素を持つ冥界のキメラである。

 

 その名と容姿からRPGに起用される事も多いその存在の、この《SA:O》での姿を認めると、その名の下部に緑色に染まった《HPバー》が三つ出現した。同時に名の横にレベルも表示されてきて、その数値は二十八とあった。

 

 アイテム探しのクエストで、ボスモンスターが番人を務めているというのは珍しくないが、それらは大概《HPバー》の数は二本くらいだった。だから戦い方を間違えたりしない限りは比較的容易に倒す事が出来ていたものだが、このアメミットというボスモンスターは三本《HPバー》を持っている。

 

 出会ったばかりだからまだ何もわからないが、エリアボス並みの強さを持っているかもしれない。そしてこんなモンスターに出くわしたあたり、シノンの受けたクエストはその者が珍しい、高難度クエストに分類されるものだったようだ。

 

 

「随分と面白そうな奴が出てきたものだな」

 

 

 右隣から聞こえてきた声にキリトは向き直った。半分だけの紅いローブを上着とする軽装を纏い、頭部と尻元から生える白金色の狼の耳と尻尾が特徴的な、金色の長髪の少女が両手剣を手に身構えている。人狼形態となったリランだ。

 

 

「リラン、お前縮んで……」

 

「《ビーストゲージ》を見るのだ。どうやらこのボス戦は《ビーストゲージ》の蓄積を必要とするらしい」

 

 

 《使い魔》にそう言われたキリトは自身の《HPバー》が並ぶ部分に目をやった。上から数えて三段目に位置するゲージが空っぽになっている。エリアボス戦の時に《ビーストテイマー》がなる、《使い魔》の弱体化が起こっていた。

 

 リランのような大きくて強い《使い魔》はエリアボス戦の時には弱体化し、《ビーストテイマー》が攻撃行動をする事で溜められる《ビーストゲージ》が最大になった時にだけ本来の力を取り戻せるようになっている。だが、それは基本的にはエリアボス戦、エピソードクエストと呼ばれる特殊クエストの時のみであり、ボス戦の伴うクエストでは見られなかった。

 

 しかし、今こうして《ビーストゲージ》が空になり、リランが人狼の姿になっているという事は、このアメミットとの戦いはエリアボス戦やエピソードクエストに登場する《邪神(エピソードエネミー)》と戦うのと同じくらいの特別性のあるという事だろう。

 

 

「もしかしてこれ、すごく難しいクエストだった?」

 

「かもしれない。気を付けてかかるぞ!」

 

 

 少しだけ焦っているような様子を見せていたシノンは首を数回横に振り、背中に携えていた大槍を構えた。直後、アメミットが咢を開いて咆吼した。びりびりと大気と瓦礫の山を震わせてから改めて臨戦態勢を作る。咆吼が終わったのを見計らい、キリトが大きな声で号令を出した。

 

 

「全員散会! ひとまず動きを見るぞ」

 

 

 キリトの号令は一体に響き渡り、他の三人は指示通りに散会してバラバラの動きを取り、やがてアメミットの後方、前方、横方向を位置取った。いつもはこれくらいの敵を相手にした時、仲間達ほぼ全員を駆り出しているものだから、四人パーティの現在はとても少なく感じられる。恐らく火力不足もかなりのものになっているだろう。苦戦は避けられないかもしれない。

 

 そうキリトが思った矢先、アメミットが下半身に力を入れて跳躍した。大きな身体を最大限に利用した飛び掛かり攻撃、狼竜形態のリランもよく使う攻撃の一つだ。その矛先を向けられていたのはシノンだった。このクエストを受けた張本人という点があるせいなのか、アメミットは最初に敵視(ヘイト)をシノンに向けていたらしい。

 

 しかし、ただ狙われるだけのシノンではない。アメミットが飛び出すなり、シノンは予想していたように後方へ大きくバックステップして、アメミットの身体を回避した。アメミットは対象のいなくなった広場の一角に落ちて、轟音と共に地を揺らした。

 

 喰らっていないのでわからないけれども、あの相貌と《HPバー》の数、二十八というレベルから察するに、アメミットはかなり強いモンスターであろう。レベルこそは自分達の三十五を下回っているが、ステータスは向こうの方が上なのは目に見えている。

 

 あの巨体から繰り出される攻撃を耐えられる回数は恐らく二回。三回以上連続は一溜りもない。頭の中で分析しながら、キリトはアメミットの後方を陣取る少女の姿を認めた。いつにもなく意気込んでこのクエストにもついてきたプレミアだ。彼女は今細剣(レイピア)を構えてアメミットとの戦いに挑んでいる。

 

 細剣を構えてボスの様子を見計らうその姿はいつもどおりだが、全体的な雰囲気はいつもよりも遥かに勇ましく感じられた。プレミアはいつも以上のやる気を持ってこの場に臨んでいるのは確かだった。

 

 

(くそっ)

 

 

 しかしキリトはそれが嬉しくはなかった。

 

 プレミアにとってこの世界における戦いは全て、敗北が直接死に繋がる戦いだ。だからこそ、強敵と戦うような場面は出来る限り避けなければならない。エリアボスの時は致し方ないため、仲間達全員の手でプレミアを守って戦うようにしている。

 

 そのエリアボス戦と現状は同じようなものだが、今は明らかに普段のエリアボス戦と比べてこちら側の戦力も人数も圧倒的に少ない。少人数でエリアボスに挑んでいるようなものだ。プレミアをいつも通り守れるかと言われると難しいし、そもそもこのクエストにはプレミアは参加すべきではなかったのかもしれない。

 

 

 事前に内容を把握していたならば、プレミアを避けさせる事もできただろう。もしこの戦いで彼女に無理が続くならば、クエストを破棄するという手段を取る必要も出てくるかもしれない。

 

 だが、このクエストはシノンがとてもやる気になって受けてきたものだ。シノンは本気でこのクエストを完了させようと意気込んでいるに違いないのは、今まで見てきてわかっている。きっとクエストの中断は考えていないだろう。

 

 

 最早プレミアを守りながら、アメミットを倒すしかないのだろうし、自分のやるべき事はそれなのだろう。キリトは大きく深呼吸をして剣を握り直し、地面を蹴って走り出した。

 

 丁度その頃、アメミットは――きっと自慢だろうのものであろう――咢を開き、シノンに連続で噛みつきかかっていた。完全にシノンを狙うのに夢中になっていて、側面や後方ががら空きになっている。

 

 そしてシノンは持ち前の身軽さを生かして、繰り出される攻撃を次から次へと回避している。その行動は敵視を取っている隙に攻撃してという意思表示そのものだった。

 

 それに応じるように走ってアメミットとの距離を縮め、両手の剣の刀身に光を宿らせたその時、キリトは隣にいる存在に気付いた。守らなければならないプレミアが、自分と同じようにアメミットに接敵していたのだ。その細剣の刃は既に青色の強い光に包まれている。

 

 思わず驚いているキリトに、プレミアは一瞬だけ向き直ってから、アメミットへ向けて突きを放った。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 神速ともいえる速度で四回の突きが繰り出され、そのどれもがアメミットの身体に深々と突き刺さった。

 

 

 四連続攻撃細剣ソードスキル《カドラプル・ペイン》。

 

 

 アスナも得意とするソードスキルが決まると、キリトはプレミアを遠ざけてスイッチ、

アメミット目掛けて両手の剣で叩き付けるように連続斬撃を放った。刃がその肉を斬り抜ける度にバチバチと静電気が巻き起こり、斬撃と電撃が二重になってアメミットを切り裂く。

 

 

 十連続攻撃二刀流ソードスキル《ボルティッシュ・アサルト》。

 

 

 予想していなかった二人でのソードスキルが決まったその時、アメミットは悲鳴を上げて体勢を崩した。《HPバー》の一段目がかなり減少し、中頃付近で止まる。

 

 鎧を着ているから防御力も高いと思っていたが、切り裂いた時には予想に反した手応えがあった。どうやらソードスキルだけでも相当なダメージを与えられるようだ。

 

 エリュシデータという現段階ではオーバーステータスな武器を持っているおかげなのか、それともアメミット自身のステータスによるものなのか。

 

 正確な答えはわからないが、攻撃は確かに効いている。

 

 

 そう思いつつ後退するキリトとプレミアに替わって、敵視を引き付けていたシノンが怯んで隙だらけになったアメミットに再度接敵する。

 

 そのタイミングはリランと一緒で、二人はそれぞれの武器に光を纏わせ、それぞれ別方向からアメミットにソードスキルを叩き込んだ。

 

 

「はああっ!!」

 

「これでも喰らえ!!」

 

 

 シノンは槍で舞い踊るかのように斬撃と突撃を連続で繰り出し、リランは両手剣を目にも止まらぬ速さで振るって斬撃の嵐を引き起こした。

 

 

 四連続範囲攻撃槍ソードスキル《ヘリカル・トワイス》。

 六連続攻撃両手剣ソードスキル《アストラル・ヘル》。

 

 

 属性の異なる二つのソードスキルは見事にアメミットに炸裂した。斬り付けられた箇所に赤いダメージエフェクトが発生し、頭上に表示されている《HPバー》の一本目が終わりごろ付近まで減った。

 

 シノンとリランの使っている装備は月並みだが、アメミットに確かなダメージを与えられているようだ。

 

 プレミアを守りつつの戦いだから、必然的に戦力は半減している。けれども、自分達四人の力だけでアメミットに充分なダメージを与えられているのは確かだ。この戦いは勝てるかもしれない――高鳴る胸の中で思いつつ、キリトはプレミアと一緒に後退した。

 

 直後、アメミットは体勢を立て直してキリトを睨みつけた。敵視が向いた。恐らく一番のダメージを与えたのが理由だろう。キリトはプレミアの前に出て声をかける。

 

 

「プレミア、下がれ。あいつは俺を狙ってる。君はいつも通り後退を――」

 

「いいえキリト。そういうわけにはいきません」

 

「えっ!?」

 

 

 プレミアはそう言うなり、キリトの前に歩み出た。アメミットの敵視は依然としてキリトに向けられているが、今のアメミットの前に出るのは攻撃を受けに行くのと同じだ。驚いたキリトはプレミアに大きな声を出す。

 

 

「どうしたんだよプレミア、下がるんだ!」

 

「下がるわけにはいきません。わたしがキリトを守るんです! わたしを守ってボロボロになったキリトを……今度はわたしが守るんです!」

 

 

 プレミアはひと際強く細剣を握り締めていた。そして発せられた言葉は強い意志を持ったものであったが、キリトは全く嬉しいと思わなかった。そればかりか、ぎりりと歯を喰いしばってしまった。

 

 プレミアはクエストが始まってからというものの、守ってくれると言ってくれていた。しかし、それはデスゲームの世界を生きるプレミアにとっては無茶過ぎる行為だとわかっていた。

 

 だからキリトは、プレミアに守ってくれなくていいと言い返したが、プレミアには伝わっていなかった。いや、伝わりはしたけれども、プレミアは拒否してしまったのかもしれない。キリトの願いを拒否して、暴挙に等しい行動に出てしまっている。

 

 

「プレミアッ!」

 

 

 思わず怒りたくなってプレミアに掴みかかろうとしたその時だった。アメミットがその大きな口を開いた。

 

 

 口の奥の方で赤い光が生じ、炎のように揺らめいているのが見える。リランが狼竜の際、火炎弾ブレスを放つ時の前兆によく似ていた。

 

 アメミットは形はわからないけれども、ブレス攻撃を仕掛けようとしているのだ。

 

 そのアメミットと自分の間に居るのはプレミア。このままではプレミアがアメミットのブレスの餌食になってしまう――はっとしたキリトはプレミアに掴みかかり、強引に後ろに下がらせようとした。

 

 

 その時だった。ブレス攻撃を放とうとしていたアメミットが突如として爆発した。アメミットを中心に爆炎が起こり、激しい閃光と爆風が周囲に広がった。

 

 

「!!」

 

 

 キリトは咄嗟にプレミアの前に出て覆いかぶさり、アメミットから来る爆風を背中で受け止めた。

 

 閃光こそは感じなかったものの、強い熱波が押し寄せてきた。焼けるような熱さと痛みに似た不快感が背中を中心に走り、《HPバー》が少しだけ減少する。それでも耐えきれないものではなかったため、収まるまで踏みとどまる事は出来た。

 

 熱風が収まったタイミングを掴むと、キリトはアメミットに向き直った。突如爆発したアメミットは地面に倒れていた。それもただ倒れているのではなく、まるで上から爆撃を受けたかのような姿勢で地面に突っ伏している。

 

 

「今、何が……!?」

 

 

 明らかにアメミットを起因としない爆発と、倒れ伏すアメミット自身。今のは一体なんだ――そう思ったその時、キリトはアメミットの周囲にあるものを見つけ出した。爆発の残りなのか、アメミットの周囲で炎が上がっている。

 

 

 それはオレンジ色ではない、白紫色の炎だ。

 

 

「……!!」

 

 

 白紫色に燃え盛る炎に、キリトは見覚えがあった。あれはユピテルと一緒にパーティを組んで、オルドローブ大森林に出かけたその時に見る事になったものだ。そしてその炎を見た後には――。

 

 

「キリト、来ます!!」

 

 

 次の事を思い出そうとしたそこでプレミアが叫んだ。間もなく、眼前に巨大な黒い影が降ってきて、倒れ伏すアメミットに激突した。再度轟音が鳴り響き、暴風が吹き荒れる。

 

 次から次へと一体何なんだ――思わず言いたくなったところで暴風は止んだ。すぐさまアメミットに視線を向ける。

 

 

「え……!?」

 

 

 その時キリトは言葉を失った。倒れ伏すアメミットの上に巨大な影が姿を現している。

 

 

 リランとほぼ同じくらいの大きさの猫の体格。全身を黒色の毛と甲殻に包み、首の周りに獅子のような鬣を蓄えている。先端が槍のようになっている長い尻尾を、耳の前に天へ向かって生える角を持っている、巨大な黒猫。

 

 

 その姿を認められたところで、キリトはその名を呼んでいた。

 

 

「セクメト……!?」

 




 次回、重要なイベント発生。

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