◇◇◇
「さてと、プレミアのクエストに関連していそうな場所は……」
愛していた場所であるアインクラッド第二十二層の原型となった場所を見つけ、念願であったログハウスを入手してから三日後。
俺達はジュエルピーク湖沼群の探索を再開していた。あの場所とあの家が見つかったのと同じように、このジュエルピーク湖沼群は広く、思ったよりたくさんの要素が隠されている。そのなかにはこれまでどおりエリアボスにたどり着くためのものもあるだろうし、プレミアのクエストを進行させるためのものも存在しているはずだ。
いや、リューストリア大草原、オルドローブ大森林にはあったのだから、このジュエルピーク湖沼群にもプレミアのクエストに関連するイベントはある。俺達が見つけた聖樹のようなものが、このジュエルピーク湖沼群にいくつかあるはず。
あくまで俺の予想ではあったけれども、それを皆に話したところ、皆も同じように考えていたようで、プレミアのクエストを進行させるという目標を掲げ、それぞれ個別にチームを作ってへ探索に出掛けていってくれた。
そして俺もシノンとリランを連れて今、ジュエルピーク湖沼群の一角に出ていた。周囲に広がっているのはジュエルピーク湖沼群に初めて降り立った時のような、珊瑚礁のようなオブジェクトと透き通った水で構成された地帯だ。ついこの前まではマングローブ林のような森林地帯だったけれど、そこを抜ければ開始地点のような場所に辿り着いた。
生息するモンスターは蟹のような姿をしたもの、水棲トカゲ型といった、如何にもこのジュエルピーク湖沼群という特殊地帯に適応するための進化を遂げたような姿をした者達ばかりだった。
しかし、あまり賢く作られているわけではないのだろう、水の中から不意打ちを仕掛けてくるような攻撃はしてこず、これまでのモンスター達と同じように対処する事で簡単に撃破する事ができた。まぁ、リランという巨大な竜が率先して攻撃を仕掛けてくれる恩恵もあったのだけれども。
そんなこんなで進み続けた今、俺達は珊瑚礁地帯を抜け、再度森林地帯に差し掛かっていた。これまでは地面も水で満たされており、水に足を突っ込みながらの攻略だったのだが、今俺達のいる森林地帯は水のない、リューストリア大草原の時のような場所だった。
「水が引いてきたな。ちょっと最奥部に近付いてきてるのかな」
《そこまでは行ってないだろう。まだ中部に差し掛かった頃ではないか》
「そんなところでしょうね。奥はもっと遠くにありそうな気がする」
リラン、シノンの順番で声をかけてくる。二人も疑問に思っているようだけれど、俺達のいる地点は全体から見てどの辺に位置しているのだろうか。
《SA:O》のフィールドはこれ以上ないくらいに広いうえに、ALOのように空を飛んで全体図を確認する事もできない。マップを確認する事も出来るといえば出来るけれど、わかるのはこれまで探索したエリアと現在地だけで、マップそのものの全体図を掴む事はやはりできないのだ。
今自分達がどのくらいの場所で探索を行っていて、最奥部やイベントを起こせる場所はどこにあるのか。それは結局自分の足で踏破して見つけるしかない。
思いながらウインドウを開き、マップを確認してみる。現在地はあの家がある地帯からこれまでの探索ルートへ戻って、それなりに離れた位置のようだ。その周囲の地形は塗り潰されているようになってしまっていてわからない。未踏の地に足を踏み入れているというのだけはわかるような状態だった。
「この辺は最奥部から見てどの辺りだろうな。マップを見ただけじゃ全然わかりそうにないよ」
「やっぱり皆と一緒に探していくしかなさそうね。いつもの事だけれど」
そう言ってシノンは周囲を見回していた。一応マップデータは皆と合流した時に同期する事が出来るようになっており、皆と一緒にマップデータを広げていく事が出来る。
なので俺達や他の皆の探索が無駄になる事はないし、皆の力でイベントや最奥部へのルートを見つかる事も決して珍しくはない。シノンの言う通り、後で皆の手に入れてきたマップデータと同期して、更新していくのが一番だ。
「仕方がない。とりあえずこのまま進み続けて――」
言いかけたその時、リランが何かに気付いたように顔を上げた。耳が空へ向かって立ち上がっている。リランがこうやった時は何かを感じ取った時だから、なるべくその邪魔にならない程度に、声をかけてみる。
「リラン、どうかしたか」
《……声が聞こえる》
「声ですって? 何も聞こえないけれど……」
シノンが周囲を見回し、俺も同じように聞き耳を立てながら見回す。周囲にあるのはあまり変わり映えのしない森林地帯で、何か目立つようなものは見受けられない。
しかし、リランの言っている事に嘘はないだろう。
狼竜形態となったリランは感覚が人間以上のものとなるため、俺達が認識できないものも認識できるようになる。現にそのリランだけが感じ取れる気配、声、物音などを頼りに探索してみると、意外といいものが見つかる事も多かった。
だからこそ、リランだけが検知できるものというのは信頼できるのだ。
「リラン、どこから声がするんだ」
《前方向からしている。このまま向かえば発生源に辿り着けよう》
《声》を聞いて前方を見る。ジュエルピーク湖沼群の探索はまだ佳境に入っているかすらもわからないくらいだし、プレイヤーが接近する事で発生するクエストもこれまで結構な数見受けられてきた。恐らくリランの感じ取ったものはその
どんなクエストが待っているのかは、行ってみなければわからない。
「わかった。お前の感覚を頼りにしよう」
俺は二人に指示を出し、前方に広がる森林地帯を進んだが、ある程度歩いたところで驚く事となった。
リランが感じ取っていた声が俺達の耳にも届くようになったのだが、それは「追い詰めたぞレアモブ!」「ほら、早くバランスブレイカーを出しやがれ!」といった罵声に近しいものと、人の悲鳴だったのだ。
モンスターの悲鳴ならば特に気にする事はないけれども、人の悲鳴がするという事は、プレイヤーかNPCのどちらかが襲われているという事だ。そして罵声の内容から察するに、気性の荒い何かに人が襲われているに違いない。
悲鳴の根源を見つけ出すべく走ると、森の開けた場所に出た。そこに罵声と悲鳴の発生源はいた。だが、その悲鳴の主を目に居れた俺達は、思わずもう一度驚く事となった。
悲鳴を上げていたのは、青みがかったショートヘアを切りそろえた髪型で、水色と白色を基調とした色合いのゆったりとした服を纏った小柄な少女だったのだ。
少女はほぼ全身にダメージエフェクトを発生させており、尚且つ地面に腰を落として、身体を引きずるように後退している。その目線の先には、片手剣や両手斧、両手剣を装備した男性プレイヤーの姿があり、皆揃ってじりじりと少女に迫っていた。
まるで獲物を追い詰めた狩人のようだったが、その目つきは狩人のものとは程遠い、野蛮でぎらついたものだった。
「「プレミアッ!!!」」
獲物にされている少女の名を叫び、俺達は両者の間に割り込んだ。咄嗟にシノンが座り込むプレミアを支え、俺は背中の鞘から二本の剣を引き抜いて、リランと共にプレイヤー達の前に立ちはだかる。
獲物を取られると思ったのか、プレイヤー達の数名が恫喝するように言葉を飛ばしてきた。
「なんだよお前、急に割り込んできやがって」
「やめろ! この
俺の声に呼応するように、鼻元に皴を寄せたリランが吼えた。狼のものとは違う、甲高い獣の咆吼が木々と地面を揺らし、プレイヤー達は後ずさりする。だがあまり効き目があったわけではないらしく、プレイヤーのうちの一人が歩み寄ってきた。
「おいおい、そいつを横取りするつもりか? それはねぇぜ」
すぐさまその隣の、両手剣を持ったプレイヤーが更に声をかけてくる。
「さては、お前もバランスブレイカーを狙ってるんだろ。それなら力を貸してくれよ。バランスブレイカーは人数分ドロップするかもしれねぇしさ」
プレイヤー達からの言葉に思わず首を傾げる。何を言っているのかわからない。
プレミアは《SA:O》のNPCであり、NPC達は《HPバー》が尽きてしまうと文字通り死んでしまうようになっている。
だが、その際に武器やアイテムがドロップするなんて言う事実は存在しないし、ましてやそれがバランスブレイカーという俗称で呼ばれる代物だという情報もない。
「バランスブレイカー? 何の話をしてるんだよ。そんなものは存在しないぞ」
「お前知らないのかよ。モブを殺せばアイテムが手に入るって話。それで、そのレアモブからはバランスブレイカーがドロップするって話だぜ。お前もそれを狙ってきたんだろ?」
思わず呆れたのが自分でもわかった。確かにずっと前には、NPCを殺害する事でレアアイテムが入手できるなんて言う噂が存在していたけれど、それは今となっては荒唐無稽な嘘であるというのが証明されている。
このプレイヤー達はそれを知らず、プレミアを攻撃していたらしい。俺と同じように呆れたのか、プレミアを支えながらシノンがプレイヤー達に噛み付くように言った。
「その話は嘘よ。大分前から言われてるっていうのに、確認もしなかったわけ」
「そうだよ。その話が嘘か本当かどうかを実証するんだ。オレ達が実際にそのレアモブをぶっ倒して、バランスブレイカーが手に入るかどうか、実践してみるんだ」
思わず全員で目を見開いてしまった。このプレイヤー達はあの荒唐無稽な嘘が本当に嘘か本当かを確認するためにプレミアを攻撃し、その命を奪おうとしていたのだ。
NPCをプレイヤーが攻撃すれば、全てのフィールドのNPCやモンスターから狙われるブルーカーソルになってしまって、ゲームをまともに遊べない状態となってしまうのに。
連中の事実を知って呆れたのだろう、もう一度呆れた様子でシノンが言った。
「随分リスキーな実証をするものね。ブルーカーソルになってゲームをまともに遊べなくなるっていうのに」
シノンから出る辛辣な言葉はいつも否定する方だけれど、今回はシノンの方が正論だ。
無害なプレミア、この世界で生きる住人達であるNPC達に蛮行を働くプレイヤー達に相応の報いを与えるのがブルーカーソルなのだ。そしてこのプレイヤー達は、ブルーカーソルという罰を下されるに値する行為に及んでいる。
最早言い逃れも出来ない。このプレイヤー達は今に――。
(ん……!?)
ふと目の前のプレイヤー達に目をやった時、俺は奇妙な事に気付いた。
プレイヤー達のカーソルが変化していない。正常を示すグリーンカーソルが表示されている。
この者達は先程からくだらない噂の実証のためにプレミアを攻撃している。だからブルーカーソルになっているはずなのに、誰一人としてそれになっている者はいない。禁忌を犯したのに処罰を受けずに済んでいるという奇怪な現象が起きていた。
同じ事に気付いたのか、シノンが驚いたように声をかけてきた。
「キリト、こいつら……!」
「あぁ、ブルーカーソルになってないぞ。どういう事だ?」
武装を解除しないまま思考する。このゲームはまだクローズドベータテストの段階だから、まだ何かしらのバグが残っていても不思議ではない。もしかしたらブルーカーソルになる条件や判定に抜け目が存在し、それが偶然こいつらに出てしまっているのかもしれない。
自覚があったのだろう、野蛮な両手斧使いが両掌を広げた。
「残念、そいつを攻撃してもブルーカーソルにはならないんだよ。だから大丈夫なんだよなぁ」
「そいつのHPももう少しだ。もうちょっとで噂の実証が出来るんだからさ、邪魔するならお前ら諸共――」
一人のプレイヤーが言いかけたその時、一番俺達から近い位置に居たプレイヤーを大爆発が襲った。轟音と共に巻き起こった爆炎が猛烈な勢いでプレイヤー達を呑み込み。その姿を消させる。
あまりに突然すぎる爆発に驚く事数秒後。爆炎と黒煙が晴れたその時、そこには黒く焦げた大地だけが残っていて、プレイヤー達の姿はなくなっていた。最前列のプレイヤーだけではなく、全員が一瞬のうちに戦闘不能になり、全滅判定を受けて街へ強制転移されたのだろう。
俺は咄嗟にリランに振り返った。口元から若干煙と炎が出ている。爆発が起きた時からわかっていた事ではあるけれども、今の爆発はリランの火炎弾ブレス攻撃によるものだった。
「リラン、お前……」
《あれ以上話したところで
デュエルと圏内以外でプレイヤーが他プレイヤーが攻撃すると、オレンジカーソルになってしまうため、迂闊に攻撃を仕掛ける事は出来ない。
けれども、《ビーストテイマー》が所有する《使い魔》の攻撃を受けた場合は、モンスターからの攻撃を受けたという判定が来るようになっているので、《使い魔》は好き勝手に他のプレイヤーを攻撃して倒す事も、パーティを全滅させる事も出来るのだ。
しかし、そこまで出来るのは余程強い《使い魔》だけで、普通の《使い魔》は他のプレイヤーを攻撃しても返り討ちにされる事が多い。が、リランは普通の《使い魔》とは比にならないくらいの知性と強さを持っているので、並みのプレイヤーを戦闘不能に追い込むなどは容易い事だ。
リランには普段、プレイヤーには手を出すなとは言っておいてあるけれども、今回は手を出した事を叱る気にはならなかった。こうでもしなければプレミアを狙うプレイヤー達を退ける事は出来なかったかもしれないのだから。
「それよりプレミア、大丈夫か!?」
ひとまず驚異の排除に成功した俺は、リランと一緒にプレミアに歩み寄った。プレミアは腰を落としたシノンに抱えられた姿勢で俺の事を見ていた。何が起きていたのか、よくわかっていないような顔をしている。
「本当に危ないところだったわ。もうちょっとでHPが尽きて、死んじゃうくらいになってた」
シノンが回復道具を使ったのだろう、プレミアのほぼ全身に広がっていたダメージエフェクトは消え去っており、《HPバー》も全回復しているのがわかった。
だが、シノンがひどく心配そうな顔をしている辺り、もう少しで手遅れだったのだろう。本当にいいタイミングで駆けつけられたという事に改めて安堵し、俺もまた腰を落としてプレミアに寄り添う。
「プレミア、無事でよかった。……怖い思いをさせちゃったな」
「……」
プレミアは未だに顔を変化させない。普段仲良くしているプレイヤー達から攻撃を受けるという事態に出くわしたのだから、混乱してしまっているのだろう。ひとまずは安心させてやる必要があるのかもしれない。
《プレミア、もう大丈夫だぞ。お前を攻撃する連中は我が退けた》
リランの《声》が頭の中に響いたそこで、プレミアはようやくその顔をリランへと向けた。
「……助けてくださり、ありがとうございます」
《あの程度はどうという事はない。奴らも自分達が悪い事を承知の上でお前に手を出していたのだから、やりすぎという事はないはずだ》
「……そうですか」
普段ならばブレスを発射したリランに「やりすぎではありませんか」などと言うのに、プレミアは必要最低限の言葉しかリランに向けなかった。妙に反応が薄いような感じがする。まるで最初期の状態に戻ってしまったかのようだ。
流石に心配になって、もう一度声をかける。
「プレミア、本当に大丈夫か」
「……大丈夫です。あなた方のおかげで助かりました」
そう言ってプレミアは立ち上がった。シノンの手から離れても、特によろけもせずに立てている。けれども様子はいつものようではない。俺と同じ事を思ったのだろう、シノンが寄ってきて小声で言ってきた。
「キリト、プレミアだけど……」
「多分、プレイヤー達に攻撃されて精神的に来たのかもしれないな。休ませてやるべきだろう」
「そうよね。けれど……なんで……」
シノンの言いたい事は既にわかっていた。ブルーカーソルの事だ。
あのプレイヤー達はプレミアを攻撃していたというのにブルーカーソルにならないでいて、尚且つそれを利用してプレミアを殺そうとしていた。本来ならばあってはならない事が起きていて、プレミアはそれに巻き込まれて命を落とそうとしていたのだから、これは運営者の一人であるセブンに報告するべきだ。
だが、まずは落ち着きを失っているであろうプレミアをしっかりと休ませてやる事が先決だろう。次にやるべき事を決めた俺は、プレミアに再度声をかけた。
「プレミア、辛い思いをしたあとだから、まずは休もう。いいところを知ってるんだ」
プレミアは「いいところ?」と言って首を傾げたが、俺は「来ればわかる」と一言返し、彼女の反応を見つつその場から動き出した。
ここに来るまでに蹴散らしたおかげでモンスターがいなくなっている森林を歩く事十数分。俺達は少し高い丘の上に辿り着いた。
そこは水に浸されていない大地と、大きさの異なる川が存在している、少し広大な土地だった。雰囲気こそは家のある一帯に近しいかもしれないが、ところどころに露出している岩肌がそうではない事を主張している。
そして上を見上げてみれば、そこには大小様々な白い雲がゆったりと流れている、広大な青空が広がっていた。
最高の気象設定のタイミングでやってこれた。これならば誰も不服に思うまい。
周りの風景の有り様に喜んでいると、シノンとプレミアが疑問そうに訪ねてきた。
「キリト、ここは?」
「ここはどこなのでしょう」
ここは俺達の家のある地帯へ進む場所から行ける、言わば滝の上というべき場所だ。
以前リランと一緒に探索していた時に偶然見つけ出した場所なのだが、ここは強い敵モンスターと出会えるわけでもなければ、レアなアイテムが見つかる場所でもない。他のプレイヤーからすればどうという事のないフィールドの一角でしかないのだが、俺にとって家のある場所と同じくらいに重要な場所だ。
ここはジュエルピーク湖沼群の中でも一際高い場所に位置する場所で、これまで通ってきた道にあった岩壁の上に当たり、辺りにある大きな川の下流からは、水が落ちていっているようなごおごおという音が聞こえてくる。
そんなここからはジュエルピーク湖沼群の最初のエリアなどを見下ろす事ができ、その風景がこれまた絶景なのだ。
普通にプレイしていては見る事ができないであろう景色を見ながら、太陽の光を沢山浴びて昼寝をする事ができる。だから俺はこの場所をリランと一緒に特別な場所と決めて、マーキングしているのだ。
その事を話すと、シノンは納得したような顔をして、地面を覆う芝生に腰を下ろした。
「なるほどね、だからここに私達を連れてきたわけ」
「そういう事。眺めもいいから、落ち着けるだろ」
座りながら言うと、シノンは下に広がっている景色に目をやり始めた。
「確かにいい眺めだわ。流石にミニチュアってほどじゃないけれど、綺麗……」
「そうだろう。君にも教えようって思ってたんだけど、言い忘れてた」
「もっと早く教えて頂戴よ」。そうシノンは言うかと思っていたが、シノンは俺の予想を裏切って、広がる風景に釘付けになっていた。リランもそうだったのだけれど、余程ここから見える風景が気に入ったらしい。普通のプレイヤーは何もない場所だと思って去っていくであろうからこそ、俺はここを落ち着ける場所と思っているのだ。
まぁ、それもあの家の近くの方が勝っているのだけれど、広大な景色を見渡せるという面ではやはりここが勝っている。
「どうだプレミア。ここは眺めも良いし、人も来ないから、いいところだろ」
プレミアは風景を見ておらず、俺の事を見ていた。フィールドで初めて出会った後、《はじまりの街》で会話を交わした時のように、じっと俺の事を見つめているだけだ。俺に何か気になるものでも付いてるのか、それとも何か俺に伝えたい事でもあるのか。
癖のように首を傾げようとしたその時、プレミアの口は開かれた。
「あなたはどうして、わたしに何もしないのですか」
「へ?」
「わたしに声をかけてくる人は皆わたしを襲います。わたしは狙われているのです。なのにあなた達はわたしを襲おうとしません。そればかりか、わたしを守ってもくれました。あなた達はどうしてわたしを狙わないのですか」
思わず目を見開いた。シノンもリランも同じように目を見開いてプレミアを見ていた。
プレミアの事はずっと守ってきていたし、プレミアを狙うプレイヤー達からも遠ざけるようにしてきた。俺達がログインしていない間はリランやユイの近くに居るようにと言ってきたから、プレミアはいつでも俺達に守られているに近しいと思っていた。
けれども、プレミアはまだ狙われていた。未だに心無いプレイヤー達に命を狙われて、傷付けられていたのだ。
ずっと一緒に過ごしてきたというのに、全然気づいていなかったという真実を突き付けられ、言葉が一瞬出なくなってしまったが、すぐに取り戻し、俺はプレミアに言った。
「プレミア、君はまだ狙われていたのか。あんなふうに、プレイヤー達に」
「……はい。わたしはいつも狙われています。逃げても逃げても、皆は追いかけてきます」
「そうだったの……? 私達が居ない間はリラン達に守られてるんじゃ」
シノンが向き直るなり、リランは苦虫を噛んだような顔をした。思い当たる節があるのだろう。
《我でも四六時中プレミアの傍に居るわけではない。なるべくプレミアの傍に付き添ってやっているつもりだったが……我のいない間を狙う連中もいるという事か》
確かにリラン達にも私情があるから、プレミアを守ると言ってもいつでもその傍に居てやれるわけではない。恐らくプレミアはリラン達のいない間を狙われていたのだろう。怖い思いからは遠ざけられていたと思っていたのに、現状はそうではなかった。
俺達の見ていないところで、プレミアはプレイヤーに狙われるという、辛い思いをしていたのだ。だからこそプレミアの様子はおかしかったのだろう。
「そうだったのか……プレミアは、ずっと……」
「あなた達は彼らと同じではないのですか。彼らのようにわたしを狙ったり――」
「するわけないでしょう」
シノンに言葉を遮られたプレミアは視線を向ける。シノンはその手を華奢なプレミアの肩に置いて、じっとその目を見つめた。
「私達はあいつらとは違うわ。あんたを狙ったりなんかしないし、寧ろあんたを守るつもりでいる。これまで、私達はあんたに手を出した事なんかなかったし、守って来たでしょ?」
プレミアはきょとんとした様子のままシノンを見つめていた。シノンは続ける。
「確かに、あんな馬鹿みたいな連中があんたを狙ってくる事もあるかもしれない。けど大丈夫よ。私達はあんたを狙ったりなんかしないし、狙われてるあんたを見つけたら、真っ先に助ける。だからもう、あんたは大丈夫よ」
「……本当ですか」
「えぇ、本当よ。私達はあんたを守るって決めてるんだからね。だから忘れないで、プレミア。あんたには私達が付いてるんだから」
シノンの言葉にはいつになく力強さがあったが、その内容には俺も同意だった。
俺達はずっとプレミアを守り、一緒に過ごしてきた。その理由はクエストを進めているからというのもあるけれども、それはあくまで副次的のようなもの。
本当はプレミアが命を持った存在であるから、《HPバー》が無くなったら本当に死んでしまうという事実があるからこそだ。この世界に二つと存在しないかけがえのない存在だからこそ、俺達はプレミアと一緒に過ごし、その命に危険が迫れば守るのだ。
シノンがかけた言葉で再確認し、俺もまたプレミアに声をかける。
「そうだよプレミア。君には俺達がいるんだ。俺達はこれからずっと君と一緒にいるし、ずっと君の事を守り続ける。だから、何があっても心配しないでくれ。君に何かあったなら、その時は俺達が駆け付ける」
そこでリランの《声》が頭に響いてきた。手を組んで伏せていたリランがその身体ごとプレミアに向き直る。
《キリト達が居ない間は我らがお前を守る。我もなるべくお前の近くでお前の事を守るようにするから、そんなに不安に思うな》
これまで思っていた事、これからの事を全て話し終えると、プレミアは黙って瞬きを繰り返した。水色の瞳はずっと俺の方に向けられており、その中に俺の姿が映り込んでいる。プレミアには前にも同じような事を言っていたが、今回それを破るような形になってしまったから、怒っているのだろうか。胸の中に若干の不安が出てきそうになった時、プレミアは小さく唇を開いた。
「……なら、わたしはあなた達を信じてみようと思います」
その声を聴いて、力が抜けそうになった。いや、安堵したといった方が正しいかもしれない。プレミアが人間不信ならぬプレイヤー不信になってしまったのではないかと思っていたけれど、それは杞憂に終わっていた。
プレミアは俺達の事を信じてくれている。ならば、俺達がやるべき事は、これまで以上にプレミアの事を守ってやる事だ。いかなる脅威からも。
「あぁ、信じてくれプレミア。俺達はこれからも君と一緒だし、君と一緒に色んな所を冒険するつもりだ。一緒に楽しんでいこうな」
プレミアは一瞬何を言われたのかわからないような顔をしたが、
「……はい」
と、すぐに頷いてみせ、俺達に更なる安堵を与えてくれた。ひとまずプレミアを落ち着かせる事も出来たし、これからやるべき事もはっきりした。そして俺達は今、そのやるべき事の途中にいる。
目的を再確認して立ち上がると、三人もまた続けて立ち上がった。
《よし、休憩はここまでにしよう。キリト、次のルートはどうなっている》
「ここはさっきのルートから離れてる。だからまずは戻って――」
「あ、あっははははは、あははっはははははは! 最高、最高だぁ、これぇ!!」
リランの《声》に応じるようにウインドウを開いて、マップを確認しようとしたその時。突然大きな声が耳元に届いてきた。一瞬聞き間違いや空耳かと思ったが、他の三人も驚いたように周囲を見回している。声を聴いたのは俺だけではなかったようだ。
やがてシノンが不気味なものを感じたように言う。
「な、何よ今の声?」
「……坂の下に誰かいるようです」
そう言ってプレミアはある方向を指差していた。そこはこの丘まで上がってくる時に使った坂道だったが、かなり下に複数の人影があるのが見受けられた。声の発生源はあの人影のどれかのようだ。
プレミアを狙ってきたプレイヤーかと思ったけれど、聞こえてきた言葉の内容によるとそうでもなさそうだ。あの集団は一体何か。気になって坂を下り、人影達に接近する。
ある程度近付いたところで物陰に隠れ、様子を伺った。人影の正体は四人の男性プレイヤーであったが、一人だけ三人から距離を置いた位置にいた。この三人組はパーティを組んで探索しているプレイヤー達で、残りの一人は無関係のプレイヤーだろう。
ソロプレイヤーとパーティプレイヤーが鉢合わせしたという、この世界でならばよく見られる状況だ。
「あははは、あははははは、あはははははははははは」
そのソロプレイヤーに、俺達の目は真っ先に行った。プレイヤーは男性であり、至って普通な装備に身包んでいるという、如何にも冒険者といった出で立ちだった。だが、その様子は明らかにおかしかった。
男は異常に興奮しているような顔をして、口から
「なんだよこいつ、急に狩場に入ってきて笑い出しやがって」
「お、おいおい。ここはオレ達が狩りをしてたんだぞ。急に割り込んで来るんじゃねえ!」
「な、なぁ、なんか変じゃないか、こいつ」
三人に応えるように、男は涎と一緒に声を出した。
「お前ら、周り、周り見てみろよ! すげぇ可愛い、可愛い女の子で溢れかえってるじゃねえか!! どの
表の三人同様の反応をする事しか、俺には出来なかった。
確かに周りを確認してみれば、シノンとプレミアとリラン――リランに至っては狼竜――という三人の可愛い女の子がいる。けれども、三人とも物陰に隠れているから、男から見えるわけがないし、そもそもこの三人以外の女性プレイヤーの姿などどこにもない。いるのは俺達だけだ。
「何言ってるの、あれ……」
戸惑うシノンを横に思考を巡らせる。
もしかしたら隠匿スキルを上げて姿を消しているプレイヤーでもいて、それが男に見えているのだろうか。もしそうなら、感覚の鋭いリランがその存在に気付きそうなものだけれど、当のリランは何も感じ取っていないように男を見ているだけだ。一応、声をかけてみる。
「リラン、何か感じるか。姿を消してるプレイヤーがいるとか」
《……それはない。ここにいるのは我らだけだ》
頭の中に響いた《声》に俺は思わず驚く。リランからの《声》は明らかにか細いもので、何か悲しい思いをして狼竜になっている時に飛ばしてくるものに似ていた。あの男と同様に何かあったのかと思って向き直るが、リランはじっと男を見ているのを続けていた。
「あはははははははは、お姉ちゃん、可愛すぎ! もっともっと盛り上げていこうぜ! テンション上げていこうぜぇぇ! いいもの、持ってるからさぁ! 遠慮するなって! 俺が色々教えてあげるからさぁ!」
男は大きな声で独り言を言いながら、あたかも近くに誰かがいるように振舞っている。その様子は酔っ払いのようにも見えるが、このゲームの中で酔っ払う事など出来ないから、酒に酔っているわけではないだろう。
ならば酔っ払いの演技でもしているのだろうか――そう思ったその時、興奮する男の身体を白い光が包み込んだ。今度は何事か――そう皆で思った時には、男は身を包む光と共に消えていた。表の三人組は再度戸惑って、男のいた場所を見つつ呟いた。
「お、おい、消えやがったぞ!?」
「なんだったんだ、今のは?」
三人の言っている事と、俺の思ってる事はほとんど同じだった。男が消える際の光はログアウトの時に発生する光に似たものだったから、ログアウトしたのだろうけれど、その処理を行ったようには見えなかった。
男は何もせずにこの世界から離脱した、そうとしか思えない。俺達に見えない何かに興奮して、突然消える。あまりに常軌から逸した現象に、俺は近くのプレミアに尋ねるしかなかった。
「今のは、一体……?」
尋ねられたプレミアは、
「わかりません」
と、一言呟いた。