キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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アスナの色々な事がわかる、アイングラウンド編第二章第二話。










02:クリームのせ黒パンは謎めいて

           □□□

 

 

 《ソードアート・オリジン》 第二フィールド オルドローブ大森林

 

 リューストリア大草原の最深部にてエリアボスを撃破する事に成功したキリト達は、次のエリアへと進む権限を手にした。

 

 新たなるエリアの名前はオルドローブ大森林。その名前自体は向かう前にも把握していたのだが、その時はとても向かえるような状態ではなかったため、結局実際に赴くのは後日という事になった。

 

 そしてその後日、実際に来てみたところで一同は驚きと感動を覚える事となった。大森林という名前だけあってか、最初に入ったエリアから既に沢山の木々や巨大な植物が所狭しと生い茂っており、足元には小規模な川が流れていたりするなど、現実世界でも見ること自体は出来るけれども向かう事は難しいであろう、大自然の雄大さを感じさせるような風貌であった。

 

 しかし、エリア名を確認してみれば《ダセクトの深緑地》、《ストラガゼット汚泉》、《ヘンダーリム暗霧樹林》などといった不気味さを感じさせるようなものばかりであり、大自然と邪悪が隣り合わせに存在しているのがこのフィールドなのだという事を確かに教えてきていた。

 

 

「アスナー、あとどれくらいだっけー」

 

「あと三つー。あと三つあればクエスト完了だよー」

 

 

 木々から延びる枝葉が空を覆い、中々日が差してこないせいで薄暗さのあるオルドローブ大森林の一角に、アスナは仲間達を数名引き連れてやってきていた。

 

 新エリア開放と同期する形でクエストもまた追加され、納品から狩猟まで実に様々なものが出てきたのだが、その中の一つである納品クエストをこなしている。内容はオルドローブ大森林の各地に点在する採取ポイントから稀に採取する事の出来る特産アイテムを納品せよという、如何にも納品クエストといったそれだ。

 

 別にモンスターと戦うわけでもないし、何か危険なトラップエリアに入り込んだりするわけでもないので、初心者でもこなせるといえばこなせるクエストだし、やろうと思えば一人でもクリアできる内容だ。だが、そのアイテムが希少アイテムであるがゆえに一人で複数個納品するというのは思いのほか難しく、下手すれば丸一日以上かかってしまう可能性もある。

 

 広大なフィールドを一人で駆け回り、納品しなければならないアイテムを探さなければならない大変さを《SAO》の時から理解していたアスナは仲間達数名に声をかけ、手伝ってくれることを依頼。快くそれを聞き入れてくれた仲間達を集めて、クエストを進めているのだった。

 

 目的のアイテムの必要納品数は十個であり、既にアスナ自身の探索と仲間達の協力によって七つが集まってきていて、クエスト達成までもう少しといったところだった。

 

 

「それにしてもまさか、家を買うという事にあんたに先に越される事になっちゃうなんてね」

 

 

 鬱蒼と草木が生い茂る森の中を探索している一人であるシノンが言うなり、その隣にいるリランが周囲を見回しながら頷く。

 

 

「そうだな。我らもあの家を探して回っているところだが、まさかここでアスナに先を越されるとは」

 

 

 アスナはリランに向けてえへへと言ってやる。

 

 普段は探索系、狩猟系クエストに勤しんでいるアスナが採取クエストをやっている理由は、《はじまりの街》の居住区に存在する一軒家を買うためだ。

 

 リズベットの店やその他のNPC達の経営する店のある商業エリア、黒鉄宮を有する転移門広場などといった複数のエリアで構成されている《はじまりの街》には居住エリアも存在しており、多額のコルを用意すれば一軒家を所有する事が可能になっている。

 

 この前アスナはユピテルと一緒にそこへ向かい、現実世界のモデルハウスを思わせるような外観の家々が立ち並んでいる町中を練り歩いたのだが、そこでとある一軒の家に目星をつけた。

 

 それはその他の家々とほとんど変わりがないように見える外観であったが、アスナが注目したのは内装。二階建てで一階にリビングとダイニングとキッチンが一体化した部屋があり、二階に寝室がある。

 

 それもまたその他の家と変わりがなかったのだが、雰囲気的に《SAO》の頃に過ごしていた家に似ていて、居心地がよかった。

 

 この世界は《SAO》の元となった世界であり、その中には自分達が暮らしていたアインクラッド第56層、グランザムに該当する街も存在しているに違いない。その場所を発見できるその時までの仮住まいに丁度いい――そう思ったアスナはその家を購入する事を決意し、必要額である二十万コルを貯めるべく、クエストをこなし始めたのだった。

 

 そしてこれについてきている仲間達だが、その者達にもここに来ている別々の理由が存在し、リズベット、シリカ、リーファの目的はそれぞれ鍛冶のための鉱石探し、《使い魔(ピナ)》の好物アイテム探し、素材探しのついでだそうで、残りのキリト、シノン、リランは単純にフィールド探索のためだと言っている。そのついでという形で、アスナのクエストにも協力してくれているのだ。

 

 

「けれど、やっぱり家は持っておくべきよね。アスナにはユピテルがいるんだし」

 

「あたしのピナみたいに、ログアウト中はストレージの中みたいな事はありませんもんね」

 

 

 目的アイテムがある可能性を含む草むらに手を伸ばしながら、リズベットとシリカが言ってくる。

 

 はっきり言ってしまうと、《はじまりの街》で家を買おうという気になったのはユピテルが最大の理由だ。プレイヤー達はログアウトさえしてしまえばゲームから離れてしまえるため、ゲームの中で家を持っておく必要性は薄い。

 

 だが、リランやユピテル、ユイやストレアはそのゲームが稼働している限りはずっとログインし続けているような状態であり、自分達プレイヤー以上に宿屋に寝泊まりしたりしなければならないようになっている。

 

 流石にずっと宿屋を使わせ続けるというのはゲーム内経済的に良くないし、何より他のプレイヤー達とは離れて落ち着ける、快適に過ごす事の出来る場所がユピテルには必要だ。そういう事を考慮したのもあって、アスナは《はじまりの街》の一軒家を買おうと思っているのだ。

 

 まさか、そのためのクエストにリズベットやシリカ、リーファやフィリア、シノンとキリト、リランとアルゴまで加わってきたというのは予想していなかったが。

 

 

「さっきも言ったけど、ごめんね皆。わたしの事情に付き合わせるような事になっちゃって」

 

「いいよいいよ。こうしてフィールドを探索してれば、思わぬお宝が見つかるかもしれないし、わたしも採取クエスト受けちゃってるし」

 

「フィールド探索は情報屋の基礎中の基礎ダ。それにマップ情報も高く売れるから、寧ろ誘ってくれて嬉しかったヨ」

 

 

 得意げに言い返してきたのがフィリアであり、更にそこにアルゴも加わってきた。

 

 二人はアスナが誘いをかけるよりも前に別な採取クエストと探索クエストを起動させていたようで、このフィールドに来て早々一緒になってそれぞれの探索を開始した。

 

 だが、流石はトレジャーハンターと情報屋というだけあってか、レアアイテム発見スキルも高い二人は、自分の探しているアイテムよりも先にアスナが必要としているアイテムを見つけみせて、十個中四つを満たしてくれた。クエストの進行はこの二人のおかげでかなり良く進んでいると言えるだろう。

 

 しかし、このクエストを始める前に、アスナはこのクエストを進めるのに役立つのはリランだと思っていた。リランは狼竜形態と人狼形態を持っており、狼竜形態となればあらゆるステータスがプレイヤーを凌駕する値となる。

 

 そして狼竜形態の元となっている狼は非常に嗅覚の優れた動物だから、どんなレアアイテムも嗅覚を以って簡単に発見できるようになっているはずだ。

 

 そう思ってアスナはこの場でリランに狼竜形態になってもらったのだが、その考えは甘かった。

 

 

 リランは狼竜形態となれば確かに嗅覚もより敏感になるが、レアアイテムを簡単に見つけられるようにはなっていなかったのだ。寧ろ狼竜形態のリランは巨体となるため、足元が採取ポイントを踏み壊して邪魔になったりするなど、利点が何一つなかった。

 

 結局アスナはリランに人狼形態で探すように頼み込み、クエストを手伝ってもらっているのだった。これにはリランもすまなく思ったらしく、しばらくの間は空に向かって立ち上がっている狼耳を情けなく倒していた。

 

 そんなこんなで採取ポイントへ向かっている皆の姿を見ながら、自身もまた足元の採取ポイントにあるオブジェクトに手を伸ばそうとしたその時、声が届けられてきた。

 

 振り向いてみれば、キリトとシノンに同行する形でクエストに参加している小柄な少女、プレミアが近付いてきていた。両手は胸の前に持ってこられており、その上に何かが乗っている。

 

 

「アスナ、目的のアイテムを見つけました」

 

「えっ、本当に!?」

 

 

 驚きながらプレミアの傍へ駆け寄ると、その両手に乗せられていた物の正体が判明した。特徴的な形状の小瓶に入った無色透明の蜜。《大森林の宝蜜》などという大層な名前を持つ、このクエストをクリアするために必要なアイテム。その八つ目であった。

 

 

「これだよプレミアちゃん! 見つけてくれたんだね!」

 

「草むらの辺りを探していたら花があって、そこに触れてみたら出てきました。これであと二つでしたっけ」

 

「そうだよ。プレミアちゃんのおかげであと二つだよ」

 

 

 目的のアイテムを受け取ってストレージにしまい込むなり、プレミアは小さく笑みを浮かべた。それを横目にウインドウを閉じようとしたそこで、アスナは一旦手を止める。

 

 基本メニューが揃うウインドウの中の時刻を示す場所、今そこに十五時過ぎと出ていたのだ。

 

 このクエストを開始したのは十三時過ぎだから、既に二時間が経過している。これまで皆は一切休息を取らずに採取と道を塞ぐモンスターの撃退を続けていたから、そろそろ疲れが出てくる頃だろう。

 

 ウインドウを閉じるなり、アスナは散らばっている皆へと声を掛けた。

 

 

「皆、ここらへんでちょっと休憩にしましょう。もうちょっとだけど、休まないと」

 

 

 アスナの考えは当たっていたのか、皆はその声に一斉に「賛成!」と答えて集まってきた。

 

 オルドローブ大森林は鬱蒼と生える木々の他にも沢山のモンスター達が姿を見せてくるのだが、ここいらのモンスターは採取を始める前に狩り尽くしており、事実上圏内エリアと変わりがない。休息を取るにはうってつけの場所と言えるだろう。

 

 アスナの呼び声に集まってきた少女達――そのうち一人は少年――は飲み物アイテムを取り出して飲み始めたり、「ちょっと疲れたね」などの声を掛け合うようになる。その中でアスナの元から離れなかったのが、つい今目的のアイテムを渡してきたプレミアであった。

 

 

「プレミアちゃん、どうしたの」

 

「ちょっと小腹が空いたと言いますか……おやつが欲しいです」

 

 

 いつの間にそうなったのか、あるいは誰かに教えられたのか。プレミアには明確な変化が見えてきている。それは食欲が徐々に大きくなってきているという点だ。 

 

 これまではそうではなかったけれども、最近になってプレミアは攻略の最中や、街を巡っている時などに小腹を空かせ、おやつや軽食を欲しがったりするようになった。

 

 それだけではない。アスナ達はプレミアと一緒に食事をすることも多いのだが、その都度プレミアの食べる量はどんどん増えていっているような気がする。

 

 そのような変化をプレミアに起こさせた原因は誰なのかはすぐに検討がついたが、あえてアスナ達は気にする事なく、プレミアの食欲のペースに合わせる事にしている。

 

 それに、今プレミアがおやつが欲しいと言ったのは、アスナにとっても丁度良かった。

 

 

「確かにもう三時だもんね。それにわたし、今回プレミアちゃんに食べてもらいたいものがあって」

 

 

 そう言ってアスナはアイテムストレージを操作し、両手の上に二種類のアイテムを呼び出した。

 

 《はじまりの街》の食材店でさぞ当たり前のように売られている安価な食材である小さな黒パンと、銀色の小瓶。アスナにとっては特別なものだけれども、その他の者達からすればなんだかわけのわからないセットが具現してくるなりプレミアは首を傾げ、皆がさぞかし興味深そうに寄ってくる。

 

 

「これは……街で売られている黒パンでしょうか」

 

「そうだよ。けれどその黒パンに使うのがこっちなの」

 

 

 プレミアの視線が銀の小瓶に向けられると、アスナは小瓶を指先で触れる。呼び出された小さなウインドウの中に存在する《使用》ボタンをクリックすると、ウインドウが閉じられると同時に指先が若干紫色に光る。

 

 《対象指定モード》となったのを確認してからその指先で黒パンを触ってみたその時、如何にも素朴な外観をしていた黒パンの上に、乳白色のクリームがごってりと盛られた。

 

 その様子をまじまじと見つめ、プレミアはわずかに口を動かしてみせる。

 

 

「これは……」

 

「はいプレミアちゃん。食べてみて」

 

 

 アスナより差し出されたクリームの乗った黒パンを受け取ると、プレミアはどこか不可思議なものを見ているような顔になってそれを見つめた。しかしそれからすぐにその口を開き、おそるおそる(かじ)る。

 

 次の瞬間、少しだけ驚いたような顔をしてから笑みを浮かべ、プレミアはクリームのせ黒パンを食べ進めていき始めた。口に合わないの真逆であったようだ。

 

 

「どう、プレミアちゃん」

 

「はふ、おいひいでふ」

 

 

 その美味しさが意外だったのか、プレミアはあっという間に二口、三口とクリームのせ黒パンを食べていってしまい、数秒足らずで食べきってしまった。周りを見てみれば、その様子をさぞ羨ましそうな目で見つめているのがわかり、アスナは少し苦笑いした。

 

 

「そんな顔しなくても、皆の分もちゃんと用意してあるから、食べてみてよ」

 

 

 プレミアの時と同じ動作で黒パンを人数分取り出し、それに使えるだけの分の数の銀の小瓶も出すと、友人達は待ってましたと言わんばかりにそれを受け取り、アスナの実演と同じように黒パンに小瓶を《使用》。

 

 ぼそぼそとして(あら)いパンにたっぷりクリームを塗りたくり、それぞれ違った大きさの口で(かぶ)り付いた。もぐもぐという効果音が聞こえてきそうなくらいの咀嚼ぶりを見せて飲み込んだ後に、少女達は驚きと感動が混ざったような顔をして、そのうちリズベットとリーファが声を出した。

 

 

「えっ、なにこれ美味しい!」

 

「すごい! これすっごく美味しい!」

 

 

 二人に続く形で、その他の仲間達も次々感動の声を上げていく。その声の一つ一つを聞いていくと、アスナは胸の中に嬉しさがこみあげてくるのを感じた。もしかしたら皆の中に、口に合わないという人がいるかもしれないと思っていたからだ。それが杞憂に終わった事こそが、アスナに安堵と嬉しさを(もたら)すものであった。

 

 互いに見合いながら「美味しい」と言っている仲間達の様子を見ていると、そのうちの一人であり、この中で最もこのゲームや世界の事情に詳しいアルゴが、アスナの元へとやってくる。その手には食べかけのクリームのせ黒パンが持たれていた。

 

 

「アーちゃん、これはなんダ? アーちゃんオリジナルの料理なのカ」

 

「ううん。これは《はじまりの街》で受けられるクエストで手に入るアイテムを使ってるだけ。黒パンも《はじまりの街》で買えるものだよ」

 

「そうなのカ!? そのクエストはなんダ? 出来れば教えてくレ! この組み合わせ料理の情報は高く売れるゾ!」

 

 

 アルゴの懇願っぷりにアスナが苦笑いすると、アルゴとも付き合いが長いという黒髪の剣士キリトが傍へ寄ってきた。

 

 

「この組み合わせは《SAO》の時からあったやつだよな。アルゴが知らないなんて意外だったよ」

 

「あれ、キリト君もこれの事知ってるの」

 

「あぁ。《SAO》の時は《逆襲の雌牛(めうし)》っていうクエストをクリアすれば、このクリームを手に入れられたんだ。しかもそのあとは店売りのアイテムになるから、俺もシノンとリランと会う前はよく食べてたよ。《SA:O》は《SAO》の元となった世界のゲームだから、それもあったんだな」

 

 

 《SAO》では《黒の竜剣士》と呼ばれ、後々自分の所属するギルド《血盟騎士団》の団長を務めたキリトからの話に、アスナは思わず首を傾げてしまった。続く形でアルゴがキリトに向けて反応を示す。

 

 

「あ、そういえばそんな情報はあったナ。けど、こんな料理の情報は全くなかったゾ」

 

「そうだろうな。こんなのは余程の物好きじゃなきゃ気付かないよ。クエスト自体もクリアに時間がかかって、結構面倒くさいものだったし」

 

 

 《SAO》の時を振り返るような会話を繰り広げる情報屋と《黒の竜剣士》だが、その内容は掴めるようで掴めない。クリームの入手方法を語っているというのだけはわかるけれども、アスナが初めてこのアイテムを手にした時のそれとは全く異なっている。

 

 首を傾げ続けるアスナに違和感を抱いたのだろう、キリトのすぐ隣にいるシノンが声をかけてきた。

 

 

「アスナ、どうしたのよ」

 

「えっ、あぁ、うん……」

 

「アスナ、どうかした?」

 

 

 続けて声をかけてきたのがフィリアだが、その顔は何か不思議なものを見ているようなそれだ。余程自分の顔が不思議さを感じさせるものであったらしい。その事に気付かされたアスナは、キリトと会話を繰り広げるアルゴへ声を掛けた。

 

 

「ねぇアルゴさん。覚えてる限りでいいから教えてほしいんだけど、このクリームの入手方法って、それだけなの」

 

「んナ?」

 

 

 アルゴのきょとんとしたような表情を見てから、アスナはクリームのせ黒パンとの出会いを思い出しながら、アルゴへ尋ねた。

 

 

 今からおよそ二年前、《SAO》の攻略最前線がまだ一層であった時。兄である浩一郎(こういちろう)の部屋にあったナーヴギアを被ってしまった自分を呪う日々を終え、アインクラッドからの脱出を目指して細剣を片手に宿屋の一室を飛び出し、モンスター達との戦い、ゲームそのものとの戦いに明け暮れる日々を開始した頃。

 

 何一つ知識のなかったMMORPGの荒野を歩き続ける日々のある時の事だ。

 

 

 当時出来る限りレベルを上げて強くなる事を目指していたアスナは、最も使いやすそうだと思っていた細剣を手にしてそこかしこのダンジョンに潜り、モンスターとの連戦を繰り広げていた。

 

 何十匹、何百匹ものモンスターの群れを狩って狩って狩りまくり、経験値を(むさぼ)るようにかき集めて、レベルと自身の戦闘能力を上げるのに死に物狂いになる。それが当時のアスナの日常のようなものであった。

 

 

 そんな日常を繰り広げていたがゆえの疲れを感じ、《はじまりの街》の宿屋――ではなく、第一層の随所にあった農村の民宿に泊まったある時、《はじまりの街》の宿屋では見る事の出来なかったものがアスナの元へ訪れる事となった。

 

 中世ヨーロッパの農村を思わせる簡素な作りの内装で構成された自室のテーブル。それは《はじまりの街》の宿屋やその他の街の宿屋でもよく見られるものだ。だが、その時アスナが宿泊した民宿のテーブルの上には、あるアイテムセットが置かれていた。

 

 それは他でもない、《はじまりの街》で一コルで買う事の出来るパサパサの黒パンと、銀色の小瓶だった。そのアイテムセットの近くにはメモ用紙オブジェクトが添えられていて、

 

 

『瓶をパンに使ってください。それを食べて、休んでください』

 

 

 そう一言だけ書かれていた。メモ付きの黒パンと銀色の小瓶。アスナはそれが置かれている意味が全く分からなかった。

 

 この民宿にだけ設定されているルームサービスのようなものだろうか。それにしても渡してくるものが《はじまりの街》で一コルで買う事の出来る黒パンとはどういう事なのだろう。

 

 半分呆れながら、アスナは一旦黒パンを手に取り、試しに銀の小瓶を使用。《対象選択モード》となったところで黒パンに使ってみたところ、ごってりと黒パンの上にクリームが盛り付けられた。その時点で既に驚きだったのだが、更なる驚きを齎したのはクリームの乗った黒パンの味だ。

 

 一コルで買えるというものだけあってか、黒パンには一切の味がつけられておらず、パサパサとしていて粗く、お世辞にも美味しいと言えるものではなかった。だが、用意された小瓶の中より()でたクリームを使ってみたところ、どっしりとした質感の田舎風ケーキに様変わりしたのだ。

 

 しかもこのクリームは甘くて滑らかなうえに、ヨーグルトのような酸味がある。間違いなく、美味しいと感じられるそれだ。確認したアスナはそれを瞬く間に食べ進めた。

 

 親切な民宿のルームサービスであるクリームのせ黒パンは、その時確かにアスナの腹と胸を満たしてくれ、明日も頑張ろうという確かな意志を抱かせてくれた。

 

 その後の攻略や戦闘を上手くいかせる事が出来たのも、すべてその時のクリームのせ黒パンのおかげであったと言っていい。

 

 

 だが、後でアスナはある異変に気付く事となった。そのクリームのせパンの味が恋しくなって、第一層の攻略が終わった後もその民宿に立ち寄ってみたのだが、あの時と同じ黒パンとクリームのセットは提供されなかったのだ。何度立ち寄ってみても、やはりあの黒パンとクリームはやってこなかった。

 

 もうあの時のクリームのせ黒パンは食べられないのか。あの胸と腹を満たしてくれたうえで背中を押してくれたアレをまた頬張る事は出来ないのか。その時の絶望感にも似たがっくり感は忘れられない。 

 

 

 だが、その後に《はじまりの街》のアイテム屋へ戻ってみたところ、民宿のルームサービスと同じクリームが売っている事がわかったので結果オーライ。アスナは引き続きクリームのせ黒パンをアインクラッドがクリアされるまで楽しめたのだった。

 

 

「っていうのが、わたしがクリームのせ黒パンを知った経緯なんだけど……アルゴさん、何か知らない?」

 

 

 ある程度個人的な意見などを抜かした話を、アルゴも皆も最後まで聞いてくれた。だが、話が終わったその時に、アルゴは少し困った――あるいは何かを必死に思い出そうとしている――ような表情をした。

 

 

「第一層の民宿のルームサービス……聞いた事がないナ。少なくともオレっちの情報の中にアーちゃんの言ってるそれはなイ」

 

「やっぱりそうなんだ。他の皆も何か知らないかな」

 

 

 アルゴ以外の友人達の反応も似たようなものだった。やはり皆あのルームサービスに巡り合えてはいなかったようだ。そのうちの一人であるキリトが、顎に手を添えて考え込んでいるように言う。

 

 

「俺もそこを利用した覚えがあるけど、そんなルームサービスがあったなんて初耳だ。しかも内容がクエストをクリアしなきゃ手に入らないものが手に入るだなんて……何か特殊な条件を満たしていたとか、そういうのかな」

 

「わたしも色々考えてみたんだけど、やっぱりわからなくて……それにね、それで終わりじゃないんだよ」

 

 

 このクリームのせ黒パンの二つ目の謎は、ユピテルと出会った後に起きた。

 

 

 当時の攻略戦線がどのくらいだったかは思い出せないが、アスナは攻略を休んで、ユピテルと一緒にアインクラッドの《はじまりの街》に買い物へ出かけた時があった。

 

 既に《アインクラッド解放軍》からの圧政から解放され、元の活気を取り戻していた街の中を練り歩いていく中で、アスナは「何か欲しいものはない?」とユピテルに尋ねた。ユピテルは少しだけ悩むような仕草を見せた後に、ある店へ行くようにアスナへ持ち掛けた。

 

 その要望に従う形で向かった先にあったのは、今でも利用している食材屋であり、そこでユピテルは欲しがったのだ。クリームのせ黒パンを再現できるセットを。その時に思わず声を出して驚いてしまったのは、今でもはっきりと覚えている。

 

 購入を済ませると、ユピテルは手慣れた様子で黒パンにクリームを付け、さぞかし美味そうに齧り付いた。当然そこでアスナは何故それを買ったのかと尋ねたが、ユピテルは「これが好きなの。これが好きな食べ物だっていうのは覚えてる」と答え、「それ以上の事はわからない」とも言うだけだった。

 

 

「ちょっ、そこで出てくるのもユピテルなわけ?」

 

 

 リズベットが驚いたような顔をしているが、その他の者達もほとんど似たような顔をしている。続けてシリカがクリームのせパンを食べ、ごくりと呑んでから問いかけてきた。

 

 

「アスナさんが教えたとか、そういうんじゃないんですか」

 

「それを教える前だったんだよ、ユピテルがこれを食べたいって言ったの」

 

「それってイリス先生に聞いてみた? リランやユピテルを作ったのってイリス先生だから、何か聞き出せたんじゃない」

 

 

 シノンの言う事は勿論実行済みだ。だが、尋ねてもイリスは「ユピテルは自分の知らないところで色々学習していたから、その過程でそれを知ったんじゃないか」という曖昧な答えを返すだけで、具体的な情報はくれなかった。寧ろイリスさえも知らない部分がユピテルには存在していたのかもしれない。

 

 その事を話すと、シノンは難しい顔をした。

 

 

「クリームのせ黒パンがユピテルの好物……何かありそうな気がするけれど、思いつかないわね。リランは何かわからないわけ。あんたとユピテルは姉弟でしょ」

 

「我もそこまでは理解していない。現に我の好物はリンゴだが、ユピテルはそれを知らなかったみたいだからな。互いにそこまで深々と理解してはおらぬよ」

 

 

 リランはそう言いつつも美味そうにクリームのせ黒パンを齧っている。その様子から、リランもユピテルの好物が美味しいと思える感性を持っているという事を察する事が出来た。

 

 結局ユピテルとクリームのせ黒パンの関係性はよくわからないし、何故あの時自分の元にあのような形で現れたのかもわからない。だが、それでもクリームのせ黒パンが美味しい事に変わりはないし、何より息子と母親である自分がクリームのせ黒パンを好物としているという点を持っている。

 

 親子間で好物が共通しているというのは、実にいい事だと言えるだろう。自分とユピテルは良好な親子関係を築けているに違いない――そう思ったアスナは顔を上げた。

 

 

「そっか。けれどいいんだよ。ユピテルが好きな食べ物が分かるだけ、いいの」

 

「そうですよね。何が好きかとかわからないよりも、わかる方がいいです!」

 

 

 リーファの笑みにはアスナも頷く。同時に自分の口角が上がるのも感じた。直後、皆が既にアスナの配ったクリームのせ黒パンを食べ終わった事がわかり、キリトが声を上げた。

 

 

「さてと、休憩はこのくらいにしておいて、クエストを続けようぜ」

 

 

 その言葉に皆で了解し、引き続きフィールド内に散らばっている採取ポイントへと向かっていった。

 

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

「ねぇ、シノン」

 

 

 急に声を掛けられて、シノンは少し驚きながら向き直った。そこにあったのは素材の採取ポイントを探っているはずのリズベットの姿であり、その顔はどこか複雑そうなものとなっていた。

 

 

「どうしたの、リズ」

 

「アスナの事だけど……あの()、随分とユピテルにべったりじゃない?」

 

 

 そう言うリズベットの目線は、少し遠いところで採取を行っているアスナの後ろ姿に向けられていた。

 

 リズベットの言っている事は理解できないものではない。

 

 確かに最近のアスナは、口を開けばユピテル、店行けばユピテルが好きそう否か、食べ物屋に行けばユピテルに買っていくべきか否かと、これでもかと言わんばかりにユピテルの名を口にする。現実であろうとVRであろうとだ。

 

 

「確かに、最近のあの娘からユピテルの話題が出なかった事はないかもね」

 

「そうでしょ。確かにユピテルは可愛くて愛想も聞き分けもいいから、可愛がりたくなるのもわかるんだけど……それにしてもアスナはユピテルを溺愛しすぎてるっていうか……」

 

 

 徐々に困り顔になっていくリズベット。

 

 アスナのユピテルへの愛情は本物と言えるし、どれ程アスナがユピテルの事を大事にしているかも、シノンはよく理解しているつもりだ。そしてそれが、傍から見れば親馬鹿のようにも見えるというのにも。

 

 だが、シノンには決してアスナの事を親馬鹿だとか馬鹿親だとかと思う事は出来ない理由がある。それを口にするよりも前に、右隣に並んでいるリランがその口を開けた。

 

 

「アスナの場合は無理もないぞ、リズ」

 

「え?」

 

 

 きょとんとするリズベットを横目に、リランはその紅色の瞳でアスナを見つめる。それはいつしかの日を思い出しているかのような様子であった。

 

 

「……アスナの心を治療した時、あいつは思っていた事の全てを洗い(ざら)い吐き出した。我らにはわからぬ事かもしれぬし、アスナ自身も話したがらないだろうが、アスナは今までずっと両親に束縛された人生を歩まされて、条件付きの愛しか受け取れず、半狂乱になって苦しい思いをさせられていた。

 それから解放された後に、無条件で愛情を注いでくれて、愛情を無条件で注がせてくれるユピテルに出会った。アスナにとってユピテルは希望の光そのものだったのだ」

 

 

 リランの言葉が終わったその時に、ようやく胸の中にあるものを言葉に出来、シノンはリランに続くように言う。

 

 

「リズ、アインクラッドの百層で戦ったラスボス、覚えてる?」

 

「……!」

 

 

 リズベットの顔がはっとしたものへ変わる。アインクラッドの第百層で戦った最後のボスモンスター。《皇帝龍ゼウス》という名を冠するそれは、本来《SAO》の裏ボスとして用意された存在であり、本来ならばアインクラッドに出てくるはずのないモノだった。

 

 それを不正な手段で呼び出したのが、現実でアスナと関わりのあったアルベリヒ/須郷(すごう)伸之(のぶゆき)――当時は《壊り逃げ男》というべきか――だ。更にその須郷は《皇帝龍ゼウス》を更に強大な存在へ変えるべく、心を破壊して戦闘AIへと改造されたユピテルを土台に使うという暴挙に出た。

 

 須郷の操る《皇帝龍ゼウス》との戦いは熾烈を極め、最終的に自分達の勝利で終わったが、その《皇帝龍ゼウス》と化したユピテルに止めを刺したのがアスナだった。愛する息子を突然連れ去られ、戦闘兵器に改造された挙句戦わされ、最後は自分の手で止めを刺す事となり、その原因を作ったのが他でもない、自分と結婚する予定だった人間。

 

 あの戦いで一番酷い目にあったのはアスナだと言っても過言ではないのだ。それらの事を話すと、リズベットの顔に悲しげな表情が徐々に浮かんできた。

 

 

「そっか……アスナは目の前でユピテルを殺されたようなもの、だったもんね……」

 

「それに《ALO》で《スヴァルト・アールヴヘイム》が実装される前、アスナはそんなに元気ではなかった。我らと話をしている時も、無理に元気を取り(つくろ)っているような感じだったからな。ユピテルがいないという事は、アスナにとってはこれ以上ない苦痛だったのだ」

 

 

 そうして《スヴァルト・アールヴヘイム》が実装され、アスナが《SAO》からコンバートした自分の持ち物に気付き、その内容物によってユピテルが再度具現化した時からだ。アスナがユピテルの事をひっきりなしに話すようになったのは。

 

 その時までの事を思い出しながら、シノンは左腕に右手を添え、呟くように言った。

 

 

「だから、私もあの娘が気持ちがわかるのよ。私もユイがあんな事になったら……とても耐えられそうにないから」

 

「消えたとばかり思ってた子供が生きてたんだから……そうね、あんなふうになっても変じゃないわね」

 

 

 リズベットの視線が再度アスナに向けられる。

 

 アスナは今、取り戻す事の出来た我が子のために色々やっていて、常日頃その子の事ばかりを考えている。それはもうユピテルを失いたくないという意思の表れなのだ。

 

 アスナはユピテルを本当の子供だと思っていて、本物の愛情を注いでいる。だからこそあぁなのだ。その事を再認識したシノンは、リズベットに再度声を掛けた。

 

 

「……アスナも大事な子のためにやってるんだから、私達も応援してあげましょう」

 

 

 リズベットとリランは静かに頷き、再度採取ポイントへ戻っていった。




――原作との相違点――


・アスナが『クリームのせ黒パン』と出会った経緯が異なっている。

・キリトがアスナにクリームのせ黒パンを教えていない。

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