◇◇◇
アスナとリランが22層に移動したため、俺達もその後を追って、22層に赴いた。
俺達はアスナのリアル事情を盗み聞きしていたわけだけど、まさかアスナがあんなふうになっていた原因がアスナの現実にあった事、そしてアスナ自身が現実に帰る事を好意的に思っていなかったなど、思ってもみなかった事が沢山あった。
更にアスナの本当の気持ちが聞けた事と、リランの手によって閃光のアスナが死亡した事など、驚くべき事がたくさんあって、なんだかわけがわからなくなってしまった。
しかしその最中で、俺はアスナがリランを道具扱いしようとしていた理由がわかったような気がした。恐らくだが、アスナは現実に帰りたいという気持ちを抱いていた事と、『閃光のアスナ』、即ちデスゲームを終わらせた英雄なるべく、リランの力を使おうと考えていたに違いない。
実際リランの力はとても大きくて、俺達が苦戦するボスモンスターとでも互角に戦う事が出来る。この力を最大限に使えば、あっという間にこの城を登り詰めて、クリアしてしまう事が出来るだろう。そして、そんな力すらも容易く使いこなし、このデスゲームをクリアして見せた英雄……そんな肩書きと実績が、アスナは欲しかったのだろう。
話を聞く限りでは、アスナは心が壊れかけるまで戦い続けたそうだが、そんなアスナの精神状態が正常であるとは言い難い。きっとゲームの中でも活躍し、誰にも使いこなせない力を使いこなしてデスゲームを終わらせれば、両親の期待に答える事が出来る――頭の中が混乱しきって、そんな事を考えるようになっていたのだろう。
心が壊れかけてしまうまで両親の期待に応えようとしていたアスナならば、やってしまいかねないし、考えかねない。そして、この世界はただのゲームであるという考えと結びつき、アスナはリランを欲し、道具として扱う事を推し進めた。――ただの推測ではあるけれど、こんな形なのだろう。
「暖かくないんでしょうね、アスナの両親って」
「暖かくない?」
「えぇ。現実の事を聞くのはマナー違反だけど、アスナの話を聞く限りではそう思えるわ。アスナの親は、アスナの事なんか心配してなかったんだと思う。いえ、アスナに色んな事を押し付けていたのは、きっと優等生アスナという存在を作り出したとして、自分の名声や実績にしようとしてたからなんだと思う。それこそ、アスナがリランを道具扱いしていたみたいに。……結局は自分の事しか考えてない、冷たくて卑しい人間よ」
シノンの言葉はどこか的を射ているように感じた。
自分達の大事な娘のはずなのに、その娘すらも自分達の実績や名声を上げるための道具として利用しようとしていた。娘の意見なんか断固無視して、自分達の名声を上げるための行動をとらせ、娘が辛そうな顔をしている横で、上がっていく名声をほくそ笑みながら見ていた。
――これもまたただの推測だけど、アスナを利用して名声を得ている両親の顔、そんな両親に逆らう事が出来ずびくびくとしながら、身体の至る場所を鎖で縛り付けられ、泣いているアスナの姿が容易に想像できた。
「そこまでして……自分の事のためにアスナを利用する理由って……?」
「アスナの話によれば、アスナのおかあさんが原因みたいね。きっとアスナのおかあさんが、今死んだ『閃光のアスナ』みたいな人なんでしょう。そして、おかあさんもまた、『閃光のアスナ』のように自分を偽って生きているような人……きっと、アスナみたいに心を擦り減らしてしまっているんだわ」
今回はリランがいたからアスナはどうにかみたいだけれど、リランはあくまでこの世界の住人であり、現実に出る事は出来ない。もしリランを現実へ出す事が出来れば、アスナの母親の心を開かせる事が出来るかもしれないのに。
「もし、アスナが両親の期待に応えるのをやめたら、現実でもアスナは『閃光のアスナ』じゃなくなれるんだよな。何とか出来ないかなぁ……別にエリートじゃなきゃ生きていけないような世界じゃないのに」
「……もしかして、アスナの事が気になってるの?」
正解っていえば正解だった。何故かは知らないけれど、アスナにはあんなふうに生きてもらいたくない、もっと自由奔放な生活を送ってもらいたいという思いと願いが、心の中で渦巻いていた。
「何でか知らないけれど、あの人には苦しい一生を送ってもらいたくないんだ。まぁ、これは君にも言える事なんだけどさ」
「私にも?」
「うん。君はなんだか、今まで苦しい思いをしてきたっていう感じがあるっていうか……多分、苦しい事にならなきゃ、あんなふうに夢に苦しむ事だってなかっただろうからさ。
もし、現実の事を思い出したら、話してくれないかな。少しでも、君の力になってやりたいんだ。前にも言ったけど」
シノンは目を丸くしていたが、やがて俺から顔を逸らした。
「何言ってんのよいきなり。もしかして、リランがアスナをあんなふうに出来たから、その真似がしたいわけ?」
そうかもしれない。今のリランとアスナを見ていた時、俺はアスナの力になってやれなかった、アスナの事に関して完全に無力だった事を痛感した。無力なままでは、きっとまた、俺はもう起こしたくない事を繰り返すに違いない。
すぐ近くにいてくれて俺の事を信じてくれるシノンの力になってやりたい――そうすれば、きっと俺もシノンのように強くなれる。繰り返したくない事を繰り返さない強さを手に入れられると、そんなふうに考えていた。
「そうじゃない。まぁ確かに《ビーストテイマー》の俺よりも、《使い魔》のあいつの方が活躍してるっていうのは癪だけれど、あいつばかりが何でも出来てしまうところか見てると、俺は無力なんじゃないかっていう不安に駆られるんだ。
あいつは俺に、「お前は無力じゃない、お前は強いんだよ」って言ってくれるんだけど、それでも不安になるよ」
俺はシノンから目をそらし、顔を下に向けて、広がる地面を見つめる。
「嫌なんだよ、無力である事を突き付けられるような事になるのは」
「あんたは無力なんかじゃないよ、キリト。寧ろあんたは凄く強いわ」
シノンの小さな声に、思わずその方へ顔を向ける。
「あんたは強いから、リランを使う事が出来てるのよ。きっとあんたが弱かったら、リランを使う事は勿論、ボスに勝ち続ける事だって出来なかったはずよ。それが出来てるって事は、あんたは強いって事に他ならないと思うんだけど、何か違うかしら」
思わず目を見開くけれど、どうにも腑に落ちないような気を感じる。俺が強いから、リランを使えているというのは本当だろうか。いや、リランが俺の仲間になってくれたのは、きっとあの場に俺だけがいたからだ。
たまたま俺があそこに居合わせて、レアアイテムをリランにくれてやったから、リランは《ビーストテイマー》のイベントに従って仲間になってくれただけ。リランが仲間になってくれた事が俺の強さに関係しているとは思えないけれど、それでもシノンの言葉はどこか暖かく感じられた。
「わからない。だけど、そう言ってもらえると、嬉しいよ」
シノンは後ろで手を組んだ。
「それにねキリト。私はあんたを無力な奴だなんて思ってないわ。あんたの強さは間違いなく大きなものだし、そのおかげでちゃんとみんなの事を守れているわ。それに、もしあんたが無力だったなら、私はとっくにフィールドで死んでたかもしれないから、私がこうして生きてるのはあんたに力があったおかげだと思うわ。リランじゃないけれど、自分をそんなふうに言う必要はない」
もう一度、シノンの口から紡ぎ出された言葉を耳にすると、心の中が更に暖かくなっていくのを感じた。そして不思議と、自分にもちゃんと力があるように思えるようになった。
「ありがと、シノン。もう少し自分の強さに自信を持つとするよ」
シノンは俺と顔を軽く顔を合わせた後にそらし、呆れたような声を出した。
「……何でもかんでも一人でやろうとしすぎなのよあんたは。あんた一人じゃ出来る事にも限度ってものがあるわ。もう少し、自分に出来る事と出来ない事の差というのを自覚して頂戴。リランはああやってアスナの心の氷を解かす事が出来たけど、あれをあんたも出来るなんて保証はないし、あんたも出来なきゃいけないなんて事もない」
そういえば、俺は今まで大事な事はなんでも一人でやろうとしていたような気がする。リランにも、シノンにも、その他の仲間にも頼らないで、一人で物事を成し遂げられると、そう思い込んで行動していた。今までソロプレイヤーで居続けた弊害なのかな。
「そして……もう少し私に頼るって事を覚えてよ。私だって、出来る事くらいあるんだから」
その時、もう一度俺はハッとした。確かに、今までシノンには色んな事を教えるばかりで、あまり頼ろうと考えた事はなかった。強いて言えば、シノンに頼って事と言えば、食事を作ってもらう事くらいだ。
「何だシノン、もしかして、今まで頼ってほしかったのか」
「……私だって無力じゃないわ。私だってあんたの力になる事くらいできるんだから……もっと頼ってよ」
「それじゃあ、明日のボス戦、一緒に戦ってくれるか? 料理を作ってもらったり、一緒に居てもらったりするのはいつもやってるからさ」
「いいわよ。ボスモンスターとやらがどんなものなのか気になるし、ボス戦はいずれにせよ経験しておかないといけないから。その代わり、あんたにフォローしてもらいたいところだけど、良いわよね?」
「勿論さ。シノンをフォローしつつ、戦うよ。シノンには死なれたくないから」
シノンはフッと笑った。
「それは私も同じだわ。あんたに死なれたらそれなりに困るし、私もあんたを守りつつ戦うとするわ」
俺は軽く頭の中でシノンと一緒に望むボス戦の事を考えた。ボスモンスターは協力ではあるけれど、俺達が居なくても倒されるくらいの強さだから、シノンでも戦うこと自体は可能だろう。流石にまたクォーターポイントが来るような事はないだろうから、そこそこ安心して戦えそうだ。
といっても、シノンにとっては初めてのボス戦、しっかりとサポートしてやらないと。
「さてと、リランはこの層のどこへ行ってしまったのかしら。この層は敵がいない代わりに結構広いから、リランを見つけるのも一苦労ね」
シノンの言葉に答えるようにマップウインドウを開くと、すぐさまリランの反応を見つける事が出来た。リランはどうやら、俺達の家の近くにある草原にいるようだ。リランの傍にプレイヤーの反応があるので、アスナも一緒に居るのだろう。
「リランなら俺達の家の近くにいる。アスナも一緒みたいだよ」
「どんな話をしているのかしらね。私達はマナー違反でもあるにもかかわらず、アスナの現実での話を盗み聞きしてしまったわけだけど。というか、本当に私達、リランに気付かれなかったのかしら」
「え? 俺達は隠蔽スキルを使ってたから、ばれてないだろ」
シノンが腕組みをしながら俺を横目で見る。
「そうとも限らないんじゃないかしら。リランは現に、あんた以上の索敵スキルを持ってる。私達の隠蔽スキルなんか、とっくに見破られてるかもしれないわ」
確かにリランの索敵スキルは俺以上のものになっているから、並みの隠蔽スキルなんか簡単に見破ってしまう。それこそ、リランの索敵スキルがあったからこそ、シリカとの会話を盗み聞きされている事を把握できたわけだし。
「そうかな。だとして、アスナと話してる最中に俺達に呼びかけなかった理由は?」
「……ひょっとしたら、アスナの話を私達も聞くべきだと思われたのかもしれないわ。実際、アスナはボス戦とか、戦闘とかやり過ぎなまでにやってたわけだし、その実情が悲惨なものだったってわからせるつもりだったのかもしれないわ。それに……」
シノンは俺から目をそむけて、前方に視線を向ける。
「それに?」
「アスナは何かとあんたに突っかかってたじゃない。リランをボス狩りの道具にしようだとか、血盟騎士団に入って武力貢献しろとか言って。そんなアスナの素性を、私達に聞かせたかったんだと思う。まぁ、本当の話は本人から聞いてみないとわからないけれどね」
本当の話は、リランの口から聞かなければ確かにわからない。とにかく今はリランと合流するべきだろう。――そう思いながら歩き続けていると、村を出て、少し暗い森林地帯に入り込み、やがてそこを抜けて草原に出たが、目の前に広がる草原の中央部にいきなりリランの姿が見えて、今まで姿を隠して行動をしていた俺達は思わず驚いた。
周りの遮蔽物はなく、姿を隠すのは難しい。
「やばっ、隠れるところない!」
思わず焦ったその時に、聞き慣れた《声》が頭の中に響いた。
《隠れる必要はないぞ。来い、キリトにシノン》
リランの《声》だった。どうやら、既に気付かれていたらしい。
「やっぱり、私達に気付いてたのね、リランは」
「あぁ、やっぱりリランから隠れるのは並大抵の事じゃないな」
そう言ってシノンを連れて、俺は草原に寝転んでいるリランに近付いたが、そこでシノンと揃って目を丸くしてしまった。寝転ぶ、というよりも座り込んでいるリランの背中に凭れ掛かって、アスナが眠っていた。それも、これまで見て着たアスナからは想像が付かないくらいに、穏やかな寝息と寝顔で。
「アスナ、寝てるな」
《そうだ。この層を軽く歩いていたら、急に眠気を訴えてな。今日はぐっすりと眠れそうな気候だったから、昼寝させてやってるのだ。間違っても起こそうとするでないぞ》
とても安らかな顔をして寝息を立てているアスナを見つめつつ、シノンが腕組みをする。
「ねぇリラン。その様子だと、あんたとアスナが一緒に居た時から、私達が傍にいた事に気付いてたみたいね」
リランがフッと息を吐き、横目で俺達を見る。
《お前達も意地汚い事をするものだ。我を尾行して隠蔽スキルを使い、我とアスナの話を盗み聞きしているのだから。まぁ、そのおかげでお前達はアスナに気付かれなかったわけだし、貴重な話を聞く事が出来てよかっただろう》
それは確かだ。まさか色々俺達に突っかかってくるアスナに、あんな現実が待ち受けていたとは思ってもみなかった。
「アスナのすごい素性を知る事が出来たな。この人自身、何をしたらいいのか、もうわからなくなってたんだろうな」
《我の力を使えば確かにこの城の攻略を早く進める事が出来る。しかし攻略を終わらせた後に待っているのは親に束縛された現実。そこから逃げ出そうとしても周囲が異様なまでに期待してしまっているから、結局攻略を進めるしかない。
この世界に生きる事も出来ず、現実世界では息苦しく生き……混乱してしまって当たり前のところに、この者はいたのだ》
シノンの表情が曇る。アスナの心の中がそこまで荒んでいたとは、思ってもみなかったのだろう。
「ひどいものね。『閃光のアスナ』なんて呼ばれたくなかったのに、周囲はそう呼んで……ひょっとしたらだけど、アスナは血盟騎士団の
俺は思わず首を傾げた。確かにアスナは血盟騎士団の副団長という地位にいるけれど、血盟騎士団のボスはヒースクリフだ。だから血盟騎士団の聖像または導く者はボスであるヒースクリフで、アスナはそうじゃないはずなのだが……。
「でも、血盟騎士団のトップはヒースクリフだぜ? アスナが聖像なんて事はないだろ」
シノンが横目で俺の事を見つめる。
「あんた、ヒースクリフがボス戦に出て来たって話聞いた事あるの」
「えっ」
「ここ数日のボス戦とか攻略の戦況を聞いてると、血盟騎士団が出てきてもそれを率いていたのはいつもアスナだった。正月の時にもあったでしょ、ボスのラストアタッカーがアスナだったって。アスナの話はよく聞くけれど、血盟騎士団を率いているボスであるヒースクリフの話は聞かない。
聖竜連合のボスのディアベルは団員達に混ざって戦ってるから、あいつがボスだってわかるけれど、ヒースクリフはほとんど戦場に出てこない……これって、ほとんど血盟騎士団のボスはアスナになっているようなものじゃない?」
考えてみればそうだ。俺達が休みを取っていた間にも攻略が進んだけれど、その時参加していた血盟騎士を団を率いていたのはアスナだったし、主に攻略を進めていたのもアスナだった。肝心な血盟騎士団の首領であるヒースクリフは全く出て来ず、血盟騎士団の本部に籠ったままだ。
普通ならヒースクリフが戦場に赴いて戦うはずなのに、全く出てこないでアスナに周りの連中の指揮や、攻略を任せきりにしていた。それこそ、アスナの嫌がっていた押しつけをやっていたんだ。
《そう言えば、先程アスナが話してくれたのだが……キリト、お前の事だから忘れていないとは思うが、あの巨像はわかるな?》
「巨像……50層のボスの事か。あのボスがどうかしたのか」
《あの巨像と我らが戦った後に、血盟騎士団は我らの支援をするべく50層ボス部屋に向かったらしい。その時に、お前達の話すヒースクリフはいたそうで、50層ボスはヒースクリフを中心に攻略される予定だったらしい。それを我らが倒した事に、ヒースクリフはさぞ驚いたそうだ。勿論アスナもな》
あの巨像は確かに強かったし、死亡者が出てしまうような戦いだったが、その戦況を俺とリランの『人竜一体』がひっくり返し、勝利を導いた。多分血盟騎士団も動き出すような戦いだったんだろうなとは思っていたけれど、血盟騎士団はヒースクリフを中心とした作戦を立ててあの巨像に挑むつもりだったのか。
「でもその後、ヒースクリフが戦場に出て来たって話は聞かなくなったな。どうなってるんだ」
「きな臭い……っていうのは間違いないけれど……ただ一つだけわかるのは」
シノンの方へ目を向ける。シノンの見ていたのは、リランに横たわって眠っているアスナだった。
「そのヒースクリフも、閃光のアスナっていう虚像を作り上げて、アスナの心を擦り減らすのに一役買っていたって事ね」
それはそうだ。彼女はあんなに戦う事を、誰かに従わされることを嫌がっていた。なのにヒースクリフは自分の組織の戦闘や指揮などの激務を副団長のアスナに押し付けて、何もしていなかった。やった事と言えばクォーターポイントの戦闘の作戦を立てて、戦おうとしただけだ。
「確かにヒースクリフもアスナの親と同じような感じだ。それだけじゃない、ヒースクリフは血盟騎士団を率いるボスのはずなのに、自分からは何もしなかったんだ。全部アスナに押し付けて何もしなかったんだよ」
「だけど、わかったところでどうしろってところね。まさか血盟騎士団の本部に乗り込んで抗議するわけにもいかないし、抗議したところで聞いてもらえないのは間違いないしょうし」
「だよなぁ……それでもアスナはあぁやって攻略だけが全てじゃないってわかってくれたし……閃光のアスナはこのアインクラッドから消えた。もう、攻略の鬼になる必要なんかなくなったはずだ」
《それは間違いない。閃光のアスナを失ったアスナが、血盟騎士団にどのような影響を与えるのか、少々興味深いと思わないか》
「思うな。いきなり鉄仮面みたいだった人が表情を取り戻したりしたら、そりゃ驚くだろうな連中は」
シノンが腕組みしながらアスナに目を向ける。
「さてと、突然心を入れ替えた副団長の姿に、団長のヒースクリフはどう思うんでしょうね。少なくとも驚きはするだろうけれど、また役目をアスナに押し付けるのかも」
それは変わらないだろう。アスナが今までいろんな役割を引き受けてくれてたんだから、それをいきなり変えるのはヒースクリフでも出来ないはずだ。だが、アスナ派の考えはリランのおかげで根本から変わったみたいだから、何でもかんでも攻略優先、効率優先とはならないだろう。
そもそも彼女があんなふうになっていた影響の一つにヒースクリフがいるんだから、いきなりアスナが考え方を変えて血盟騎士団が混乱する事になっても、ヒースクリフがアスナを責める事は出来ないはずだ。まぁろくにボス戦にも出てこないでいるくせに、余裕綽々な様子を見せる事で有名なヒースクリフが慌てる事なんか早々ないと思うから、そこまで混乱しないかもしれない。それはそれで、なんかむかつくけれど。
「ところでこの人はいつまで眠っているつもりなんだろう。お前、平気か」
《我は平気だ。そもそもこいつは今まで休まずに戦い続けてきた悲劇の戦士だ。いや、休まずに戦い続ける事を、現実でもこの世界でも強いられ続けてきた娘だ。この娘と先程会った時にも、疲れ果てて眩暈を起こしていたからな……いずれにせよ、こいつはじっくりと長い間休む必要がある》
「そうだな。アスナはずっと戦い続けてきた……そろそろ休ませてやらないとだな」
シノンが少し困ったような表情を浮かべる。
「だけど、この人が抜けた攻略の穴は誰が埋めるのよ。この人が抜けたって、攻略が続けなきゃいけないし……」
リランの顔がシノンと俺に交互に向く。
《それならばお前達がやればいいだろう。お前達、特にキリトは我を《使い魔》とする《ビーストテイマー》……周りの者達が一斉に希望と期待を寄せている存在だ。シノンはまだ周りの連中よりもレベルが低いけれど、意志と判断力は並大抵のものではなく、強者といえる。お前達で次のボス戦に参加し、ボスを打ち倒せばいいのだ》
「簡単に言ってくれるけれど、私だってボス戦は初めてなのよ。というか、何であんたボス戦から外れるような事を口にしてるの」
リランはアスナに顔を向ける。
《アスナが、22層を廻るのは我と一緒がいいと言っているのだ。だからひょっとしたらだが、次のボス戦には出られないかもしれない。我もさすがにこんな状態のアスナを一人にしたくはないしな》
心の中に焦りが徐々に生まれてくる。俺はずっとボス戦はリランありきで進めるつもりでいたし、リランの力を使ったうえで、シノンを、みんなを守るつもりでいた。
「おいおい、まさかそのままアスナの《使い魔》になるつもりじゃないだろうな? 俺だってお前がいないと困るぞ」
《それはないから安心しろ。だが、お前に頼みたい事はある。我にお前から離れていい日を作ってほしいのだ》
「お前が俺から離れていい日?」
《文字通り、我がお前から離れて別行動をとる日を作ってほしいという意味だ》
俺からリランが離れるという事は、その日リランを使って攻略が出来なくなるっていう意味になるはずだけど……。
「まぁお前もそうやっていろんなことを考えられるから別行動をとるっていうのもありだとは思うけれど、お前がいない間はどうすればいいだ。まさか、攻略を休めっていうのか」
リランが答えるよりも先に、シノンが言う。
「いいんじゃないかしら。あんただって別にやりたい事があるみたいだし、それにキリトだってアスナと似たような状態だったじゃないの」
リランからシノンの方に目を向けると同時に、シノンがその口を再度開く。
「あんただってずっと攻略に勤しんでばっかりで、あまり休んでないみたいじゃない。それに皆を守るとか言って、常に気を立ててるし、リランの事だって酷使してる。あんたも時折しっかりした休息を取るべきだわ。それこそノーリランデーみたいな。リランが休むって言った時はあんたも休むみたいにね」
言われてみれば、俺は戦闘以外特にやりたい事を見出せず、ずっと攻略のためにダンジョンやらフィールドやら迷宮区やらに飛び込んで数多くのモンスターを倒しまくっていた。
休まない事だって多かったし、リランが仲間になってからも正月まではほとんど休まずに戦い続けていた。まぁ、このあたりはシノンが強くなりたいって言ったからやったようなものだけれど、それでも俺はあまり休まずに今まで戦い続けていたかもしれない。
「確かにあまり休まないで戦ってはいたな……」
「そうでしょう。だからあんたにも休む日は必要よ。あんたは攻略の鬼じゃないし、戦いに明け暮れる日々を送っていいわけでもない。今回のリランの要求はあんたも呑み込んでおくべきだと思う」
凛と澄んだシノンの声は心の奥底まで響いた。きっとだけど、シノンはどうやら俺の事を心配してくれているらしい。それにひょっとしたらだけど、もしかしてリランも俺が休まずに戦い続ける奴だと見抜いたうえで……?
「君にそう言われたんじゃ、断れないな。わかったよ、ノーリランデーを承諾してやる。ただし、あまり攻略が切羽詰ってる時とかはやめてくれよな」
俺の許可をもらって、リランは本物の犬のように目を輝かせる。
《恩に着るぞ、キリト。それと、もう一つあるのだ》
「今度は何だよ」
《アスナが我を貸してと頼んできたら、断らないでほしい。アスナは思ったよりも甘えん坊で寂しがりなやつでな》
リランの提供した情報に思わず驚いてしまう。まさかアスナは攻略に勤しむ事でそんな素性までも隠していたなんて。っていうか、アスナが俺にリランを貸してと言ってきたら、その日はノーリランデー、即ち俺の休暇という事になる。俺の休暇はアスナによって決定されるって事か……?
「アスナにお前を貸すって……アスナはそんなに信じられる相手なのか」
《そうだとも。アスナは悪人ではないし、やましい事を考えているような奴でもない。だからアスナの事は信じても大丈夫だぞ》
シノンが再度口を開く。
「リランが言うなら、そのとおりかもね。ここは一つ、アスナを信じて、リランを貸し出していいようにしたらどうかしら、キリト」
「君まで、アスナを信じられるのか」
「そもそもリランは火を吐く事が出来る。もしリランがアスナに悪用されるような事があるならば、リランはアスナを火達磨にして殺すと思う。だからアスナにリランを任せても大丈夫でしょうし、それに私も、アスナが悪人だとは思えないわ」
俺はそっとアスナの寝顔を覗き込んだ。無邪気でとても穏やかな寝顔と、安心しきっているような寝息。確かに悪人がこんな寝顔をするかと言われたら、首を横に振ってしまうし、何よりアスナは俺に突っかかって来はしたけれど、俺を罠に嵌めたり、騙したりするような事はなかった。
それにアスナもまた、この世界に閉じ込められて心を傷めた人間の一人で、その傷を癒さず、むしろ悪化させながらここまでやってきてしまったような人だ。それがリランによって癒されるならば……貸し出してやってもいいかもしれない。
「しょうがない。わかったよリラン。時々、アスナのところに行っていいぞ。それで、アスナに呼ばれたら行ってもいい」
リランはフッと笑い、頷いた。
《ありがとう、キリト》
「その代り、アスナの事しっかり見てやってくれよ」
リランが《あぁ》と答えたその時、リランの凭れ掛かって眠っていたアスナの目が開き、ゆっくりとその身体が動き出した。皆の視線が一斉に集まる中、アスナは何が起きたかわからないような顔をして周囲を見回し始める。
「あれ……」
まるで本当にじっくり眠って目を覚ましたかのようなアスナに、声をかける。
「おはようございますアスナ姐さん。よく眠れましたか」
アスナはぼんやりとした顔でこっちを眺めていたが、すぐに意識がはっきりしたような表情を浮かべて立ち上がった。
「な、あ、あんた、あんた達は!」
シノンが腕組みをしながら苦笑いする。
「リランの飼い主とその連れよ。ゆっくり休む事が出来たみたいじゃない」
アスナは俺とシノンとリランを交互に見まわした後に下を向き、やがて顔を上げたかと思えば、俺に歩み寄ってきた。まさか寝顔を見られた事に起こったのかと思ったその時に、アスナの口が小さく開いた。
「……貴方の《使い魔》にはすごく助けられた……お礼にご飯作らせて」
「はい?」
「お礼に、ご飯作らせて頂戴!」