キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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19:房に守られし華

          ◇◇◇

 

 

 詩乃が言い出した、記憶の線引き。

 

 俺は詩乃の協力を受けながら、ノートに次々と覚えている事を書き出していった。俺の記憶だとはっきりしている事も、詩乃の記憶だと自分ではっきりさせているものも、詩乃の記憶なのか俺の記憶なのか、線引きが曖昧になっている記憶もひとつ残らず、ノートに書きまくった。そして一通り書き終わると、詩乃が俺の書いた記憶に、蛍光ペンで線を引いていった。

 

 その線は、勿論詩乃の記憶だとはっきりしているものに引かれていったのだが、中には俺の記憶だと思っていたものにも引かれて、詩乃の記憶の侵喰なるものが、かなり深刻に進んでいた事を自覚し、俺は驚く事になったが、それを隠しつつ、俺は詩乃の話を聞きながら、詩乃の記憶と、俺の記憶の線引きを、しっかりとしたものにしていったのだった。

 

 

 それを続けていくうちに、俺の中にある、俺の記憶と詩乃の記憶の境目を分ける線は黒くはっきりしたものとなっていき、作業が終わる頃には、俺一人では成し遂げる事の出来なかった俺の記憶と詩乃の記憶の分別が、はっきりとしたものとなっていた。

 

 その作業を行うまで、俺は詩乃の記憶を呼び覚ます時に、本当にそれが詩乃の記憶なのか、はたまた俺の記憶なのかの判別が曖昧になって、わからなくなると気があった。この作業を終えた時には、曖昧になる事はなくなっていて、頭の中が混乱する事もなくなった。

 

 

 それだけではない。詩乃の記憶を思い出す時、場合によっては頭の中が混乱する時のどうにもならない苦しさが来てしまうのだが、線引き作業が終わった時には、どんなに詩乃の記憶を呼び出しても、苦しさが一切来なくなっていたものだから、感動してしまって、涙が出そうだった。

 

 同時に、詩乃への感謝の気持ちが止まらなくなって、俺は何度も詩乃に礼を言ったが、そんな中で、俺は詩乃が俺にとってかけがえのない存在である事を改めて思い知った。

 

 やはり詩乃は、俺にとってかけがえのない人。誰よりも愛おしくて、誰よりも守りたい人。

 

 もう、離したりするものか。

 もう、誰にも傷付けさせるものか。

 詩乃とはもう、最後の時まで一緒だ。

 最後まで、詩乃と共に、俺は生きるんだ。

 

 詩乃は、俺にとっての全てだ――その事を噛みしめながら、俺は全ての記憶の書かれたノートを閉じて、詩乃を連れてベッドに行き、共に眠ったのだった。

 

 

 そうして迎えた、詩乃が俺の家に泊まった翌日。

 

 夕食の時のように食卓を囲んで朝食を摂った後、詩乃は俺とかあさんと直葉に深々と頭を下げて礼を言い、帰っていった。その時には、かあさんが「またいらっしゃいね」と言ったが、来たばかりの時のしどろもどろさはどこへ行ったのか、詩乃はそれに快く答え、俺の家を出ていったのだった。

 

 詩乃が居なくなってしまった途端、家族が一人いなくなってしまったかのような、何だか寂しい気がしてきたが、次に詩乃が俺の家に来るのは、そんなに遠くない日になるだろうという確信もあったので、その寂しさはすぐに消える事になった。

 

 そして、いつの日になるのかはわからないし、これから何が起こるかもわからないけれど、詩乃はきっといつの日か、俺と本当の家族になってくれるつもりなのだろう――そんな気も俺の胸の中には起きていて、寂しさを消すのに貢献してくれていた。

 

 

 そんな詩乃を見送った後、俺は自分の部屋に戻り、アミュスフィアの用意をした。今日は土曜日であり、ALOにログインをして、皆と一緒にグランドクエストを進める予定が入っている。それに詩乃が帰る前に、ALOにログインしたら、すぐにフィールドに行かないで、三十分くらいの準備時間を設けるように皆にお願いして欲しいという頼みごともされている。

 

 詩乃が突然そんな事を言い出すものだから、一体何があるのかと気になりはしたが、詩乃の事だから、かなり重要な事があるのだろう。この要求は呑み込まないわけにはいかないと思い、俺はアミュスフィアを起動して装着し、妖精の世界へとダイブしたのだった。

 

 

 妖精の世界にダイブした際に辿り着いた場所は、空都ラインの転移門だった。そこでは既に多くのプレイヤー達が行き来しており、多くの声で賑わっていた。平日の昼間ならば、あまり多くのプレイヤーを見る事はないのだが、土曜日や日曜日、祝日となると、朝からものすごい数のプレイヤー達が空都ラインに集う。

 

 その光景はスヴァルトアールヴヘイムの人気、ALOそのものの人気が、未だに衰えを知らないという事の証明であり、それを目の当たりにした俺は、どこか嬉しさが込み上げてくるのを感じたのだった。

 

 

 それから数分後に約束の時間となり、いつものパーティメンバーの皆が、俺の元へ集まって来た。そこで皆は、解放された新大陸である《環状氷山フロスヒルデ》に向かおうと提案してきたが、そこで詩乃が言っていた通り、俺は新大陸に向かうための準備をもう一度行おうと提案した。

 

 その時にはほとんどの者達が異論を唱えてきたが、新大陸に挑む以上は入念に準備した方がいいと、SAOに居た時のように説明をすると、皆渋々納得してくれて、今から三十分後に転移門に集結し、フロスヒルデに出発する事を決定。もう一度、空都ラインの街中に皆は散らばって行ったのだった。

 

 

 皆が居なくなった後、俺の元へ詩乃/シノンはやって来て、自分の提案を呑み込んでくれてありがとうと礼を言い、俺をある場所に連れてきた。その場所は空都ラインの商店街エリア、アクセサリー屋の前だった。

 

 

「着いたわよ」

 

「ここってアクセサリー屋だな。なんでここなんだ」

 

「あなたにプレゼントしたいものがあるからよ」

 

 

 そこで俺は目を丸くする。プレゼントと言われたら、普通ならば誕生日プレゼントを思い描くけれど、今は五月で、俺の誕生日からは五カ月以上も離れているので、誕生日プレゼントはあり得ない。

 

 

「プレゼント? なんで急に」

 

「ほら、あなたって……ダイブしている時にも、症状が出る時があるじゃない。だから、そういうのがダイブしてる時にも出てこないように、あのお守りのVR版みたいなのを、あなたにプレゼントしたいのよ」

 

 

 そう言われて、俺は目を丸くする。

 

 俺の中の問題の対策をやる前に、詩乃はお守りとして持っていた自分の父親の形見である銀の腕輪を、俺の右手にはめてくれた。詩乃が昨日、自分の記憶をしっかりと教えてくれたおかげでなくなったのだが、詩乃の記憶が混ざってこようとして混乱しそうになった時、もしくは混乱してしまった時に、気持ちを落ち着かせて自我を取り戻すお守り。

 

 このお守りの効力はかなりのもので、苦しくなった時、そのお守りを視界に入れる事によって、意識がはっきりとして我に返る事が出来、苦しさがかなり軽減される。まさか、詩乃がこのようなものをくれるとは、思ってもみず、このお守りをもらった時と、その効力を知った時には、本当に感動して泣きそうになったものだ。

 

 しかし、影妖精族スプリガンのキリトとなっている今現在の俺の腕には、あのお守りは存在していない。何故ならば、この銀の腕輪は現実世界にしか存在していないからだ。

 

 そして、かなり軽減されているものの、詩乃の記憶による発作は、VR世界でも起きる。もし、このVR世界で発作が起きてしまった時、お守りがないままではどうにもならなくなる可能性が高い。

 

 それを見越して、シノンは俺にこの世界でのお守りを、与えようと考えてくれたのだ。その心意気に、もう一度強い感動を覚える。

 

 

「確かに、この世界じゃお守りはないからな。だけど、昨日シノンが協力してくれたおかげで発作みたいなのが来る事はなくなったんだ。だから、別に無理にお守りを使わなくても……」

 

「もしあなたのそれが起きる可能性が既にゼロだったなら、お守りをあなたにあげようとしなかったかもね。だけど、今のあなたのそれは、ゼロじゃない。だから、結局必要でしょう。それに……」

 

 

 言いかけた白水色髪の山猫耳の少女は、黒ずくめの俺の両手をそっと手に取り、そのまま両手で柔らかく包み込んだ。目の前の少女だけが持つ暖かさと柔らかさ、心地よさが両手を通じて全身にじんわりと広がってきたその時に、少女は笑む。

 

 

「あのお守りは、私のおとうさんが私にくれたもの。だからせめて、始まりが私の物をあなたに与えたいのよ。もらって……くれる?」

 

 

 そう言われて、俺は心の中が熱くなったのを感じ取った。シノンは始まりが自分であるものを、俺がVR世界に居る時にいつも付けているものとして贈りたいのだ。俺自身がどんなに考えても思い付く事が無かった、俺の心の支えを、俺の発作を抑制してくれるものを、俺に与えようとしてくれている。

 

 いつでもあなたの事を支えていたい。あなたの心を支えられるものを与えたい――自分だって支えが必要になっている心をしている、そんなシノンの気持ちがわかった途端、俺は思わずシノンの事を抱き締めたい、その唇を自らの唇で塞ぎたいという欲求に駆られた。

 

 しかしこのようなところでそんな事をされる事を、シノンは望まない事を理解していた俺は、その気持ちを腹の奥底へと追いやり、笑みながらシノンに頷いた。

 

 

「あぁ、もらうよ。この世界での、俺のお守りになってくれるものを、君からもらおう」

 

「……ありがとう、キリト」

 

 

 そっと微笑んでから、シノンは俺の手を離した。

 

 しかし、シノンは一体俺に何を贈るつもりでいるというのだろうか。シノンがあまりに変なアイテムを人に渡すような人ではない事は、シノンとこれまで過ごしてきた日々や、詩乃の記憶のおかげでわかるけれど、一体これから俺にどのようなものを贈ろうと思っているのかまでは当てようがない。

 

 

「それでシノン、何を俺にプレゼントしてくれるんだ?」

 

「それは……その時になってみればわかるわ。だけど、ほんのちょっとここで待っていてもらっていい?」

 

「え?」

 

 

 シノンによると、シノンが俺に与えてくれるものとは、オーダーメイドアクセサリーを予定しているらしくて、それはここの店に注文する事が出来るのだが、作成するのに十五分くらい、時間がかかるらしい。グランドクエストの攻略に向かう前に、三十分くらい時間を設けてくれと頼んだのは、そのためであるそうだ。

 

 

「そうなのか。それで、どんなデザインなんだ?」

 

「それも、もらってからのお楽しみよ。それで、今から注文しに行くんだけど、ここで待っててもらえるかしら」

 

「デザインを見られたくないから?」

 

「そういう事よ。いいかしら」

 

「わかったよ。十五分くらいなら、結構余裕を残せるからな。楽しみにして待ってるよ」

 

 

 そう言ってやると、シノンは嬉しそうにして「待っててね」と言い、アクセサリー屋に入っていった。フィリアとかリランとかならば、変なデザインの物を贈って来そうな感じだけど、シノンに限ってはそんな事はないので、アクセサリーのデザインは心配しないでもよさそうだ。

 

 それに、きっとシノンが俺に贈ろうとしているのは、現実世界で俺に贈ってくれたのと同じ、腕輪もしくはブレスレットだろう。ブレスレットならばどんなに激しく動いても、動いたり跳ねたりしないし、何より必要な時にいつでも見る事が出来る。そして何より、現実世界で付けているお守りと同じもの。

 

 だから、きっとシノンが俺にプレゼントしてくれるのは、現実世界で贈ってくれたのと同じ、ブレスレットだろう。

 

 

 ……シノンが、俺に与えてくれるであろう腕輪のお守り。

 

 その形はどのようなものとなるだろう。

 もしかして、現実世界で贈ってくれたのと、同じ形状とデザインにするのか?

 もしくはシノンオリジナルのデザインと形状にするのか?

 

 これから出来上がって来るであろうシノンの贈り物について、色々と頭の中で色々と描いたその時に、俺はある事に気付いて、顔を後方の広場の方に向けた。祭の時とかほどではないけれど、広場の方からざわざわとした人の声と、かなりの数の人の気配が感じられる。

 

 それこそ何か大きなイベントの発表がされた時だとか、それが開催されている時のようだ。

 

 しかし、ログインした時にイベントログを確認したが、大きなイベントの発表はなかったし、他の攻略チーム達が新たな大陸に辿り着いたみたいな発表だってされていなかった。だのに、このざわめき。一体、プレイヤー達は何に騒いでいるというのだろう。

 

 

「何の騒ぎだ……?」

 

 

 呟きながら広場の方に身体ごと振り返ったその時に、突然俺の胸元に何かがぶつかった。あまりに一瞬の事に驚いて目線をそこに向けてみれば、ぶつかってきたのがプレイヤーだとわかったのだが、その身長は俺の胸元くらいまでしかないくらいに低くかったため、俺よりも子供のプレイヤーであるという事も同時にわかり、俺は咄嗟にそのプレイヤーの肩に手を乗せて、その身体を支えてやった。

 

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 

 そこで俺はある事に気が付いた。俺にぶつかって来たプレイヤーは、青を基調とした衣装を身に纏い、小さめの帽子を被っている、腰の辺りまで届くくらいの長さの、美しい銀色の髪の毛の少女だった。

 

 銀色の髪の毛に青色を基調とした衣装を身に纏っている少女プレイヤーと言ったら、俺の知っている中では一人しかいない。その名前を口にしようとしたその時、少女は慌てたように周囲を見回した後に、俺に赤紫色の瞳を向けてきた。

 

 

「あ、あたしを隠してッ!」

 

「はい?」

 

「というか、そこにあたし隠れるから、あたしの事を探してる人が来たら、どっか行ったって言っておいて!」

 

 

 そう叫ぶように言って、少女は俺の近くにある、蓋の開いている大きな樽の中に飛び込み、そのまま気配を消してしまった。あまりに突然の事の連続に目を点にしていると、もう一度背後から声が聞こえてきて、咄嗟に振り返ったが、そこで俺は少し驚く事になった。

 

 水色の髪の毛に長く尖った耳、白を基調として、ところどころに青色のラインのような柄の入っている、袖のないコート状の戦闘服を身に纏った、俺よりもかなり身長の高い、紫色の瞳の男が、いつの間にか姿を現しており、俺の事を睨みつけるように見ていた。

 

 白と青色を基調とした服装と、水色の髪の毛。男が持つその特徴を見る事で、俺はこの男がアスナやディアベルと同じウンディーネ族である事を把握したのだが、そのあまりの眼光の鋭さに、思わず背筋をしゃんと伸ばしてしまった。

 

 

「おい貴様」

 

「な、なんだよ」

 

「この辺で銀色の髪の毛の少女を見かけなかったか」

 

 

 どうやらこの男は、すぐそこの樽の中に隠れている少女の事を探しているようだ。しかし、気配察知スキルなどをあまり上げていないのか、樽の中に少女が隠れている事はわからないらしい。それに今の少女には、ここに隠れている事は教えるなと言われているから、そっちを優先した方が良さそうだ。

 

 

「銀色髪の少女だよな? それならものすごい勢いであっちの方に走っていったぞ。急がないと追いつけないんじゃないか」

 

 

 奥の方を指差して言うと、男は礼の一つも言わずに、そそくさと俺の指差した方向へ歩いていった。早歩きの癖でもあるのか、男の後ろ姿はどんどん小さくなっていき、十数秒で完全に視認する事が出来なくなった。

 

 男の後ろ姿も気配も消えたタイミングで、俺は大きく深呼吸をして、すぐそこの樽に話しかけた。

 

 

「見えなくなったぞ。これでよかったのか」

 

 

 声をかけると、樽の中から飛び出すように少女が出てきて、ぐっと顔を近付けた後に、俺に満面の笑みを向けてきた。

 

 

「うん、助かったわ。ありがとうね!」

 

 

 礼を言いながら、少女は樽の中から完全に出てきて、すとんと地面に足を付けた。その時に改めて容姿を確認したが、そこで俺は、この少女とあの男の正体を思い出した。そして、この少女の名前を口にしようとしたその時に、少女の方が先に、その口を開いた。

 

 

「庇ってくれてありがとうね。あたしはセブン。シャムロックのリーダーよ」

 

 

 やはりそうだ。この少女の容姿は、ALOのアイドルであり、俺達が勝手にライバル視している大型ギルド《シャムロック》のギルドリーダーであり、現実世界では天才研究者であるセブンだ。そして先程の水色の髪の毛の男は、シャムロック一の精鋭である、スメラギだ。

 

 まさか、あのセブンとここで会えるなんて――嬉しさに駆られた俺は、思わず笑みつつ、セブンに答えた。

 

 

「あぁやっぱり! 丁度良かった。俺、君と話してみたかったんだよ!」

 

「あら、あなたあたしのファンだったの? じゃあ、サインでもどうかしら。助けてくれたお礼に」

 

「いやそうじゃない。ファンとかじゃなくて、七色博士としての君に、話を聞いてみたかったんだよ」

 

 

 セブンの目が丸くなる。きっと今まで、セブンに会いたかったと言うプレイヤーは、セブンのファンとかで、セブンにサインなどをねだる傾向にあったのだろう。そんなプレイヤー達から離れた発言をした俺は、レアアイテムのように感じられたに違いない。

 

 

「シャムロックに入隊したいとか、そんなふうでもなさそうね」

 

「そんなふうじゃないな。それでセブン、早速だけど――」

 

 

 そう言いかけたところで、広場の方から聞こえていた声が、大きくなったのを感じ取れた。どうやら、声を出している者達が、こっちの方に近付いてきているらしい。それは目の前のセブンも感じ取れたようで、セブンは広場の方に向き直り、軽く溜息を吐いた。

 

 

「う、まだ探してるわ。追いついてきそう」

 

「なるほど、あれはシャムロックの人達だったか。そして、君はそんなシャムロックから逃げてるわけか」

 

「そうよ。だから隠してって言ったのよ」

 

「シャムロックは君の付き人みたいなものだろう? なんで逃げてるんだ」

 

「このあたしにだって、一人でのんびりしたい時だってあるわ。けれどシャムロックの皆がいると、そんな事は出来なくて。だから、こうして逃げてるのよ」

 

 

 確かにセブンはアイドルであり、シャムロックという巨大精鋭ギルドのギルドリーダーだから、常に付き人達がいるような状態だ。一人の時間を満喫したくとも、出来ない時の方が多いのだろう。逃げたくなる気持ちも、わからないでもない。

 

 

「そうなのか。しかしまぁ、君はよく学者と歌手の両方を掛け持ちなんて出来るな」

 

「まぁね。けど、こっちの活動だって、ちゃんとした考えがあってやってるのよ。それに、面白がられてる事だって承知の上よ。こういうのを、日本(こっち)じゃ神輿に担がれるっていうんだっけ?」

 

「なるほどな。アイドル様は、意外と冷静であられるんだな」

 

「研究っていうのは、お金と時間との戦いよ。まぁ今は幸い、パトロンがいるからお金の心配がないのだけれど、研究費がいつ打ち切られるかわかったものじゃないから、稼げる時に稼げる算段を整えてるだけよ。アイドルって、弾けると色々と儲かるからね」

 

 

 セブン/七色博士はまだ十二歳だ。中学生になるかならないかくらいの年齢であると言うのに、もう既に研究費の事だとか、金の稼ぎ方だとか、そこら辺の十二歳の子供達じゃ知らなそうなそういったものを、知り尽くしている。もはや、規格外の領域と言ってしまってもよさそうだ。

 

 そんなふうに思いつつセブンを眺めていたその時、広場からの声が更にその大きさを増してきて、気配も寄り濃いものとなって来たのが感じられて、セブンと一緒になって向き直る。セブンの付き人達が、どんどん近付いてきているようだ。

 

 

「やば、そろそろ追いつかれそう。悪いけど、ここで退散させてもらうわ」

 

「おぅ、そうか。となると、じっくり話が出来るのはまた今度になりそうだな」

 

「あなた、なんだか気に入ったわ。名前を教えてよ」

 

「キリト。スプリガンのキリトだ」

 

「なるほど、キリト君ね。いい名前だわ。じゃあまた、どこかで会いましょう。ダスヴィダーニャ!」

 

 

 セブンは最後にそう言うと、そそくさと広場とは逆方向に走っていってしまって、すぐにその姿を確認する事が出来なくなった。イリスからは、あのセブンには注意しろと言われていたものだが、今話した限りではセブンから注意すべき気配のようなもの、もしくはその片鱗のようなものを確認する事は出来なかった。

 

 本当にセブンは注意すべき人物なのだろうか。そしてシャムロックもまた、注意しなければならない者達なのだろうか。本当に、そうなのだろうか――。

 

 

「キリト!」

 

 

 そんなふうに考えを回していたその時に、背後から声が聞こえてきて、俺は驚きつつ振り返る。白水色の髪の毛に、少し大きめの山猫のような耳を頭から生やしている、少し露出度が高めの戦闘服を身に纏っている、水色の瞳の少女。アクセサリー屋に入っていって、十五分後に戻ってくると言っていたシノンだった。

 

 セブンと話したり、スメラギに会ったりしたことで、時間を忘れていたけれど、どうやらもう、十五分経っていたらしい。

 

 

「シノン。もう終わったのか」

 

「えぇ、出来たわよ。待たせちゃって悪かったわね」

 

「別に大丈夫さ。丁度時間を潰す方法も、たまたま見つかったんだ」

 

 

 首を傾げるシノン。店屋の中は防音になっていて、外の音などが聞こえてこないように出来ているから、俺がセブンやスメラギと話していたのは、わからなかったのだろう。まぁ、話す必要もないくらいに些細な事だ。

 

 

「それでシノン、どんなのが出来たんだ。ちょっと見てみたい」

 

「慌てないの。今から渡すから……ちょっと、腕を出してもらえる?」

 

 

 そう言われて、俺は右腕の袖を軽くまくり、シノンに伸ばした。その手をシノンが受け取ると、現実世界で俺にあの銀の腕輪をくれた時と同じ要領で、俺の右手首に何かをはめてみせた。丁度、あの時銀の腕輪を初めて装着した時と同じような感覚を覚えて、右腕を顔に近付けて、右手首を注視する。

 

 シノンがはめてくれたものはやはり、金属のブレスレットだった。太さや大きさは、シノンが現実世界で渡してくれた、あの銀の腕輪と同じくらいだが、その色は現実世界で渡してくれたものよりも白さが強く、光り方もどこか豪華さを感じさせるようなもの。そして腕輪の表面全体に、大きな文字のような文様が彫られている。

 

 それ以外の特徴はこれと言ってない、シンプルなブレスレット。余計に飾る事を好まない、シノンらしいデザインの白金色の腕輪。それがシノンからのプレゼントだった。

 

 

「やっぱり、ブレスレットなんだな」

 

「ん、もしかして嫌だった? 別なのが良かった?」

 

「ううん。寧ろこれを望んでいたんだ。やっぱり、ブレスレットが一番見やすいし、動いたりしないからな。ありがとう、シノン」

 

 

 礼を言うと、シノンはどこか嬉しそうに、頬を桜色に染めた。その様子が可愛らしいものだから、俺は思わずもう一度笑みそうになったが、その時にシノンの腕輪の表面を見て、ある事に気付く。

 

 そういえば、この文字は一体何なのだろうか。連続して書かれてるから、言葉であるという事はわかるのだが、如何せん現実世界には存在していない文字なので、読みようがない。恐らく、このアルヴヘイムの世界の文字なのだろう。

 

 

「ところでシノン」

 

「うん?」

 

「この文字だけど、なんて書いてあるんだ。ちょっと読めなくて……というか、これって何の文字だ?」

 

 

 そこでシノンが説明を加えてくれた。俺の思った通り、この文字はアルヴヘイムの世界の文字であるらしく、注文の際に選択できる事に気付き、彫り込んだそうだ。そしてわざわざ英語や日本語ではなく、この世界の文字を選んだ理由は、周りの者達に簡単に読ませないためであるらしい。

 

 

「そうだったのか。それで、これってなんて書いてあるんだ」

 

「……答えなきゃ、駄目?」

 

 

 そう言って、少し顔を赤くするシノン。もしかして、何か恥ずかしい事を書いているのではないかと一瞬思ったけれど、シノンがそんな事を書くはずがないという事もわかっているから、それはない。――そんな事もあってか、余計に内容が気になる。

 

 

「出来れば、教えてほしい、かな」

 

「……」

 

 

 シノンは少し恥ずかしそうに俯いたが、やがて顔を上げて俺に一歩歩み寄り、俺の両手を静かに掴んで、そのまま自分の両手で包み込んだ。音無く目を閉じると、その唇を小さく開く。

 

 

「《私を守ってくれるあなたを、私も守ります》。そう、刻んであるわ」

 

 

 その言葉を聞いて、俺は心の中が暖かくなったような気がした。やはりこれは、このブレスレットは、俺のお守りだ。俺が守ろうとしているシノンもまた、俺の事を守ってくれているという事が彫られており、心に安らぎと落ち着きを与えてくれるもの。これがあれば、発作が起きたとしても、すぐに落ち着きを取り戻せる――そんな確かな気を、俺は感じていた。

 

 

「……もう一回言うな。ありがとうシノン。大切にするよ、シノンのお守り」

 

 

 そう言うと、目の前に愛する人は静かに頷き、暖かな笑みを顔に浮かべた。このお守りがあれば、どんな敵も怖くないし、発作が起きるのも怖くない。そんな自信が、いつの間にか俺の中に現れていた。

 

 

 

 


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