「なるほど、なるほど……このアイテムはこういう時に役立つモノだったのだな」
謎めいた辻デュエリスト、ハルピュイアを何とかして退けた後、俺達は手に入れた書物を読むためのアイテムを持っているとされるシルフ領領主サクヤを探すために街に戻った。
そこで、いつもサクヤの近くにいるためにサクヤの居場所を知る
利用そのものは一般プレイヤーでもできるけれど、領主しか宿泊する事が出来ないように出来ている、都内の超豪華ホテルなどを思わせるくらいに豪華な内装の目立つ宿屋。カイムを先頭にしてその中を進んでいくと、本当にサクヤが使っている部屋に辿り着いた。
目の前にあるサクヤの部屋、その扉をサクヤの側近であるカイムにノックをさせてみたところ、数秒足らずで声が返って来て戸が開いた。招かれるまま入ってみると、その中に居たのは、太腿に届くくらいの深緑色の長髪で、和服に似た戦闘服を纏い、腰に刀を下げた胸の大きな女性――シルフ領主であるサクヤだった。
サクヤはいきなり大所帯でやってきた俺達に最初は驚いたが、姐というくらいに慕うカイムが事情を話したところ、すぐに要件を把握してくれて、手に入れた書物の解析にかかってくれたのだった。その際に、見た事のない虫眼鏡のようなアイテムをストレージから呼び出して。
「そのアイテム、やっぱり文字を読むためのものだったんだね」
「あぁ。多分そう言うアイテムなんじゃないかなって予測はしてたんだけど、やっぱりそうだった。えぇっとこれは……ふむふむ」
カイムと並んで書物を広げ、問題の部分に虫眼鏡をかざして読んでいくサクヤ。二人はALOで同種族であり、尚且つ領主と側近同士の関係でしかないというのに、今の二人の構図はまるで大きな姉が弟に勉強を教えているようなものに思えるものだった。
そういえば、まだリーファ/直葉が小学校の頃、勉強でわからなかった時は俺にこういう感じで聞いて来た時もあった気がする。今となってはすっかり大きくなって、そんな事もなくなったけれど、思い出すと懐かしさが込み上げてきた。そんな思いを抱きながら二人を見つめていると、昔俺に勉強を聞いてきた妹であるリーファが、カイムに声をかけた。
「カイム君、何かわかった?」
「うん。あの装置の正体が何なのか、わかったよ」
そう言って、姉弟に見える二人は俺達に向き直り、書物に描かれた図を、サクヤが指差して見せた。シノンが板の上に人が乗っているような構図と言った絵だ。
「どうやらこれは、君達が見つけた装置の説明書きのようだ」
どことなく聡明な雰囲気を身体から放つサクヤは、俺達に説明を施してくれた。
まず、あの装置の正体は気流発生魔法装置。そこから噴き上がる気流に乗れば、浮島に辿り着く事が出来るようになっていて、その装置の起動の為にはアイテムが必要だという。
結構大層な事が描かれているのではないかとも思っていたけれど、解読してみれば如何にもRPGに出てきそうな説明書きだった事に拍子抜けしてしまったが、あの図の正体とか、やるべき事がわかって心の中がすっきりしたような気がした。
同時に、俺の隣で話を聞いていたシノンは、図の正体がわかった事が一番嬉しかったみたいで、嬉しさと意外さが混ざったような表情を浮かべてつつ口を開いた。
「そういう事だったのね……ようやく謎が解けたわ」
「あぁ。浮島に行くための何らかのものだったとは思ってたけれど、これですっきりした。あとはその気流発生装置の起動アイテムを探すだけだけど……サクヤさん、それについては?」
サクヤは書物を閉じると、カイムに受け取らせてから虫眼鏡をストレージに仕舞い込んだ。髪の毛と同じ深緑色が煌めく瞳を俺達に向け直した頃に、その口が開かれる。
「アイテムはどうやら鍵付きの宝箱の中にあるようだぞ。キリト君、ここまで来るのに何か手に入れなかったかな」
「そういえば、錆び付いた鍵を手に入れてます。だけど、錆を取らないと使えないみたいで……」
「錆びた鍵、か。もしかしたらこれが使えるかな」
そこで俺達は思わず驚く。サクヤの持っているアイテムと言えば、書物を解読するための虫眼鏡だけかと思っていたのに、まさかの二つ目の登場。ここまで来ると、もはや領主の権限を持つプレイヤーのみが入手できるアイテムがあるんじゃないかと思えてきたが、そんな思いを抱く俺を横目に見ながら、サクヤは一つのアイテムを掌の上に呼び出した。
ストレージの中から光の珠となって出てきて、サクヤの掌の上で姿を得たそれは、少しだけ大きく感じられるハンマーだった。しかしその材質は金属ではなく木製であり、戦うための道具ではない事がすぐにわかった。
「サクヤさん、それは」
「これはアリシャが見つけて来たものだ。用途がわからないからと言って、私にほぼ押し付ける形で渡してきたのだが……もしかしたらこれで錆を落としたりできるんじゃないか」
そこで、この中で唯一鍛冶屋を営んでいるマスターメイサー、リズベットが反応を示してサクヤの近くまで行き、その手に持たれている木製の槌を声掛けの後に受け取って、中止を始めた。
「これは確かに、鍛冶とかのためのアイテムね。もしかしたら、本当に錆を取る事が出来るかもだから、やってみようかしら。サクヤさん、これって借りて行っていいですか」
「用途が見つかったのであれば、君達にそのまま渡すよ。アリシャも用途が見つける人が居たなら、その人に渡してくれと言っていたのでな」
「わかりました。これ、あたしが受け取りますね」
サクヤがアイテムウインドウを呼び出して軽く操作すると、所有権は瞬く間にリズベットに譲られた。もしもサクヤが何かしらの条件を突きつけて来たならば、その時はどうするべきかと思いはしたが、やはりカイムの姉貴分、そんな事をするような人ではなかった。そんなサクヤに礼を込めて、俺は軽く頭を下げる。
「何から何までありがとうございます。今日はお世話になりっぱなしですね」
「なぁに、私はカイムの仲間である君達を放っておけないだけさ。困ったときはまた尋ねてくれよ。なるべく力になるからな」
「ありがたく、そうさせてもらいます」
リーファとカイムが頼りにしているから、結構頼りになる人なんだろうとは思っていたけれど、まさかここまでとは思ってもみなかった。これは、頼もしい仲間が出来たものだと思ったその時に、俺は急に先程の戦いを思い出した。
突然俺達に襲い掛かってきた辻デュエリスト、ハルピュイア。あいつはあれでもシルフだったから、同じシルフ族であり、尚且つシルフを束ねるものであるサクヤならば、ハルピュイアがどのようなプレイヤーなのか、知っているかもしれない。
確認せずにはいられなくなった俺は、リズベットと話すサクヤに問うた。
「サクヤさん、ハルピュイアってプレイヤー、わかりますか」
「ハルピュイア? ハーピーの正式名称だな……それがプレイヤーの名前だって」
「はい。最近巷の方で聞く、辻デュエリストです」
疑問そうに眉を寄せるサクヤに、俺は先程の戦いの事、ハルピュイアの事を詳しく話した。その話が終わる頃には、サクヤは顎もとに手を添えていた。
「同族にすら襲い掛かるシルフ族で、仮面を付けている……そんなプレイヤーは知らないな。ついでに言えば、ハルピュイアという名前にも覚えがない。
「同じシルフ族の人に襲い掛かるシルフのプレイヤーなんて初めて見たよ。って事は、やっぱり脱領者なのかなぁ」
サクヤとそこへ近付くリーファの口から漏れた脱領者という言葉。これまでALOをやってきたのに聞いた事のない言葉を耳にした俺達は首を傾げてしまったが、それをリーファはすぐに察し、脱領者という言葉の説明を施してくれた。
脱領者とは、その名の通り領への所属を破棄したプレイヤーの事を指す言葉であり、主にこれ以上ないくらいに気ままかつ自由奔放なプレイヤーがなるものであるらしい。しかし、大体の理由は犯罪がしたいだとか、種族全体で力を合わせて戦う事が嫌だったり、裏切りをしたくなったりだとか、良くない理由であるそうだ。
あの時襲い掛かってきたハルピュイアは、スヴァルト・アールヴヘイム中にいるプレイヤー達に片っ端からデュエルを仕掛け、断られた場合は襲い掛かるような凶悪なプレイをしているし、俺達に襲い掛かった時には同じ種族にも問答無用と言わんばかりに武器を振るってきた。
そんな事が出来るのは、領という概念を捨てた者ではないと難しいだろう。
「という事は、ハルピュイアは脱領者で間違いなさそうなんだな」
「そうだと思うが……そのハルピュイアとやらの目的は何だ? 辻デュエルなどというものを仕掛け、断られるとそのまま襲い掛かるなんて、まるでモンスターではないか」
「だからこそ奴はハルピュイアなどという魔獣の名前を持つのだろう。そして、あいつのターゲットには、領主であるサクヤ、お前も含まれているはずだ」
リランが腕組みをして壁に寄りかかりながら言うと、サクヤがそこへ視線を向けて、驚いたような顔をする。そう言えば、今やっているリランの姿勢は、イリスが経ったまま話をする時の癖に似ている気がする。
「私まで狙うのか、そいつは」
「というよりも、このスヴァルト・アールヴヘイム全体、いや、ALO全体にいるプレイヤー全員をターゲットにしているみたいなんだ。だから、姐もフィールドに出る時は気を付けた方がいいよ。あいつは、どこからともなく現れるんだ」
今はサクヤの側近という役割を休んで、俺のパーティに加わっているカイムがサクヤに向き直る。本来ならば、カイムはサクヤの近くに居て、有事の際は力になって戦うんだろうけれど、今はそれが出来ない状態だ。……それを作り上げているのは俺だから、何だか申し訳ない気分になってくる。
「わかった。私も気を付けるが、同時に周りの者に声掛けして、ハルピュイアについて調べさせてみよう。君達も、また襲われないように気を付けた方がいい」
「わかってます。サクヤさん、気を付けてください。それと、協力してくれてありがとうございました」
サクヤに礼を言うと、俺達はひとまず領主専用の宿屋を出て、広場まで歩いた。穏やかな風が吹き付けてきて、尚且つ様々なプレイヤー達の話し声が聞こえてくる中で、俺はこれからの事に頭を回す。
あの装置の正体が、浮島に行くためのものだとわかり、同時にアイテムが無ければ起動しない事、そしてそのアイテムを手に入れるためのモノが、錆びた鍵である事がわかった。あとは錆を取った鍵を持って、アイテム探しに行くだけ。目的ははっきりしている。
それらの事を頭の中でまとめてから、俺は皆の方に向き直った。
「さてと、これからやるべき事もわかったわけだけど……皆はどうする。これからすぐにアイテム探しに行くか」
そこで、さっさとダンジョンに向かう事になるのではないかという俺の考えは見事に外れる事になった。まずは、採取に出かけたいと言ってフィリアとシリカが挙手をし、次にエギルが店の品ぞろえなどを調節したいと言い出し、フィールドに出かけてモンスターの素材を集めたいとシュピーゲルと言い出して、ユウキとカイムがその他のクエストをこなしたいと発言、リズベットは鍵が再生できるかどうか試すために店に戻ると挙手。
更に、アスナとリーファがシノンを連れて路地裏の店に行きたいと言い出してシノンはそれを了解、クラインはセブンの元へ行くと言ってそそくさとどこかに消えてしまい、ディアベルは所持品の補充をしたいと発言。
ユイはリランとストレアとユピテルに用があるから、宿屋に行きたいと発言。先程の団結力はどこへ行ったのか、皆やりたい事も行きたいところも別々だった。
そこで俺は、一度パーティをここで解散する事を決定。ダンジョン攻略は明日の午前から開始する事にして、その時まで完全な自由時間にする事にした。それを皆に伝えると、皆喜んでそれを受け入れてくれ、それぞれの目的地へと散っていった。
明日のダンジョン攻略とアイテム探しがどのようなものになるのか。一体どのようなイベントが待ち構え、最終的に辿り着くヴォークリンデの三神獣がどのようなモンスターであるのか。――これから起こり得ることを想像しながら、俺は空都ラインの商店街方面へ向かった。
□□□
「ねぇ、アスナにリーファ、本当にこの先にお店なんてあるの」
シノンは今、アスナとリーファに連れられて、空都ラインの路地裏を歩いていた。空都の街並み、その路地裏は表に比べて非常に入り組んでいて、まるで迷路のようだった。そのうえ、何だか薄暗くて湿っぽく感じて、空気がへばりついてくるような錯覚さえも抱けるような場所だった。
その事をしっかりと感じ取っているのであろう、少し苦笑いしているリーファがシノンに振り返る。同時に、アスナも同じようにシノンと目を合わせた。
「信じられないって思うかもだけれど、ちゃんとお店があるんですよ、シノンさん」
「そうそう。わたしも最初は半信半疑だったんだけれど、ちゃんとお店があるのよ。
そして、そこのケーキが飛び切り美味しいのよ。アインクラッドのケーキ屋さんのそれなんて目じゃないくらいに!」
「そうなんだ。だけど、なんでそんなものを路地裏に作るのかしら。なんだか空気がべたついて良い気がしないわ」
「ま、まぁ確かにね。わたしも、そのお店の唯一の弱点は、こういう怪しい路地裏にあるって事だから」
やはりアスナも同じ気分なのだろう、その顔に苦笑いが浮かび上がる。というよりもこんなに湿っぽくて空気がべたついているところは、女の子ならば誰も通りたくないようなところだ。よくもまぁ、そんなところに美味しい店など作ったものだと、シノンは開発者を批判したい気持ちが大きかった。
「ここは居心地悪いですけれど、お店はすごく居心地のいいところなんです。だから早く入っちゃいましょうよ」
「そうね。それが一番だわ。っていうかリーファにアスナ、そこのお店ってテイクアウトとか出来る?」
「え? あぁうん。確か出来たはずだけど……もしかして、ユイちゃんに?」
VR世界の中に限った事ではあるものの、最近は美味しい店とか、出店とかを見つけると、真っ先にテイクアウトが出来ないかどうかをシノンは尋ねるようになった。もしもテイクアウトとが出来れば、その場にいない時が多いユイに美味しいものを食べさせる事が出来るし、それが出来ないと一人で食べる事になり、ユイに悪い気がしてくる。
「えぇ。私一人で美味しいものとか食べると、どうしてもユイに悪いような気がしてね。だから、テイクアウトできるならユイに買ってあげたいのよ」
「それ、わたしもわかるよ。美味しいものはユピテルに買ってってあげたいって思うもの。今日はわたしもテイクアウトして、ユピテルに買ってってあげよっと」
「じゃあ、ユイちゃんとユピテル君のためにも、早くお店に辿りつかないと、ですね」
リーファの言葉に頷いて、シノンはアスナとリーファの後を追うように歩き続ける。
そのケーキ屋にはどんなケーキがあるのか、どんなケーキをユイに買って行ってやろうか。そして、ケーキを届けた時には、きっとユイは可愛らしい満面の笑みを浮かべてくれるだろう――そんな事考えて心を弾ませながら、暗い路地の中を歩み続けたその時に、シノンの山猫のそれによく似た耳に、声が届いて来た。
「よぉ、見つけたぜ」
□□□
「うわっ……!」
突然後ろから聞こえてきた、悲鳴にもよく似た声を聞き、アスナとリーファは立ち止まった。声の声色を思い出すと、シノンのそれが合致した。――もしかしたら、シノンが躓いたりしたのだろうか。
「シノのん、どうしたの――」
振り返ったその時に、アスナは驚いた。先程まで、後ろにはシノンがぴったりとくっついて来ていたのに、今は暗い路地裏が広がっているだけで、どこにもシノンらしき白水色の髪の毛の猫耳少女の姿はない。それにはリーファも気付いたようで、戸惑ったように周囲を見回している。
「あれ、シノのん?」
「シノンさん? シノンさん、どこに行ったんですか」
どんなに探しても、どんなに声をかけても、シノンの姿も、応答もなかった。ただ、薄暗くて空気のべたついた路地裏がそこに広がっているだけだった。