Touhou NET-GAME   作:納豆チーズV

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七.子鬼妖精(the goblin)

 ――太陽の光の届かない世界は、きっと、ずっと日差しのもとに暮らしてきた人々の想像を軽々と越えていく。

 ――松明なんて灯しても、魔法で周囲を照らしても、それがほんのちっぽけな希望でしかない恐怖を、皆、この洞窟で必ず思い知ってきた。

 ――希望であるはずの光は魔物を呼び寄せる。そして暗闇の中にもまた、絶望が潜む。

 ――それらに挑む勇気と、目の前の恐怖を打ち砕けるだけの力が、ここで初めて試されるのだ。

 

 ――――【子鬼の洞窟(Goblin Cave)】――――――――

 

 

 洞窟と聞いていたから、狭い通路が続く足場の不安定な地形なのではないかと想像していた。しかしこうして目の前に広がる光景はそれに反し、足元は言うほど歩きにくくはなく、洞窟と呼ぶにはずいぶんと広いため、通路よりも大空洞と表現した方が正しいくらいだった。

 壁や天井にはごつごつとした岩肌が露出しており、しかしところどころには明らかになにか知性のある生物が掘り進んだ跡や、そして少し高い上の方へ行き来するために削って作っただろう、少し急な小さな坂道が見受けられる。また、炎の灯った松明も飾られていて、一応は必要最低限の光源は確保されていた。

 ただ、あくまで必要最低限。松明の光は、自信を持ってすたすたと歩いたり走ったりするにはあまりにも心もとなすぎるほど、全体からしてみれば本当に小さな明かりに過ぎない。

 

「やはり……大して見えはしないわね」

 

 妖怪は人間と比べて夜目が利き、わずかでも月の光が差し込んでいれば、まるで昼間のように闇の世界を見渡すことができる。この洞窟は月明かりは差し込んでいないにせよ、そこらに設置された松明によってわずかには光が取り入れられているため、現実でならば今よりもずっと暗闇の奥を見渡せるはずだった。

 それが今はどうだろう。足元をよく観察し、一歩ずつ足場を確かめて慎重に進まなければ、すぐにでも転んでしまうだろうほどの不便さを、さとりは感じている。

 それは現実では付喪神であるというこころも同じであるようだった。不安そうな様相であちこちに視線を動かしている。

 

「こころさん。洞窟とは言っても、これだけ広ければ薙刀も十分に扱えるでしょう。そろそろインベントリから出してもいいのではないですか?」

「そうだねー。私も手ぶらじゃ不安だもの」

 

 こころが宙空に手を当てて、おそらくはメニュー画面を操作し始めたのを横目に、さとりもまた指を弾いて『メニュー』を呼び出す。そこから選ぶ項目はこころと同じ『インベントリ』。

 そこには昨日カエルの着ぐるみの店主――諏訪子の店で、彼女のアドバイスをもとに買い揃えた、冒険の役に立つだろう数々の便利アイテムが入っている。さとりの目的はその中にある『光源(ライト)の巻物』という、発動者に追随する魔法の明かりを作る巻物だ。

 巻物。諏訪子いわく、それを開くだけで、登録されている魔法を魔法陣や詠唱等なしに即時発動することができるのだという。聞いた直後、さとりは「それはちょっと卑怯じゃないか」と思ったものだが、当然ながらそれだけ有用なアイテムには制限があるようだった。

 まず一つ目の制限として、登録された魔法を一度でも解放してしまえば、巻物はなにも書いていない白紙に戻ってしまうということ。つまり、巻物は一巻につき一回しか魔法を使うことができない。

 二つ目に、発動する魔法の性能はそれぞれ固定であるということ。検証によれば、巻物に魔法を書き込んだ当人が使える本来の魔法の、ほんの四分の一の性能しか出せないらしい。それでは書き込んだ者が相当な高レベルの魔法使いでもない限り、攻撃として使ったところで牽制程度にしかならない。

 そして三つ目。これは制限というよりもデメリットとでも言った方がいいかもしれないが、たくさん持っているととにかくかさばるのだ。戦闘中はゲームの仕様によりインベントリから即座にアイテムを取り出すことはできないので、戦闘で使いたければ基本的に身につけるなりしていなければならない。しかし巻物なんて一度にそう大量に持ち歩けるわけでもないし、戦士からしてみれば剣などで近距離で戦っている最中に巻物を取り出してから開くなんて動作を行うのは、あまりにも隙が大きすぎる。そして魔法使いからしてみれば、わざわざ数が限られている弱体化した魔法を使わなくとも、多少手間をかけてでも魔法陣や詠唱を行って強い魔法を繰り出した方が明らかにダメージ効率がいい。自分の扱えないタイプの魔法を巻物で代用する、なんてプレイヤーももしかしたらいるのかもしれないが、そんなことをする者はごくわずかだろう。

 以上の大量のデメリットが原因となり、巻物は基本的に補助的な魔法を込める用途で使われているようだ。たとえば今回の〝光源(ライト)〟は光源を発生させる魔法であり、多少性能(明かり等)が本来の魔法に劣ろうが、松明やランタンに火を灯して持ち歩くよりは機能的だと言える。他にも巻物には〝治癒(ヒール)〟や〝筋力強化〟など、直接的には戦闘に関わらないような魔法が込められていることが多いらしい。

 

「こころさん、少し眩しいかもしれませんが、驚いて武器を向けてきたりはしないでくださいね」

「そんなことしないよ!」

「ふふっ、すみません。では……」

 

 インベントリから具現化した巻物の封を解き、そのまま開くと、巻物に書かれていた文字が浮き上がって一つにまとまり始めた。一秒もしないうちに金色の小さな塊と化したそれは、次の瞬間にはガラスの砕けるような音とともに白色の閃光を走らせた。

 さとりの頭上一メートルほどに光の球が浮かび、辺りを照らしている。その明るさは松明の火の五割増しと言ったところとなっており、あまり遠くは見通すことはできないが、その場にとどまって敵を迎撃するぶんには申しぶんないほどだった。

 一歩踏み出せば光源も同じようについてくるのを確認し、さとりはこころの方へと視線を向ける。

 

「それがあなたの新しい薙刀ですか」

「ふっふっふっ、どう? かっこいいっ?」

「ええ。絵になってますよ」

 

 ポーズを取るこころに、さとりは素直に頷いて見せた。

 真っ先に目に入るのは先端についた象牙色の刀身だ。昨日こころとともに狩ったクマの右前足の爪よりも少し長いくらいのそれは、切っ先まで綺麗な曲線を描き、〝光源(ライト)〟の光を反射して煌めいている。逆輪はクマの毛皮で覆われており、柄部は上方の三分の一ほどが焦げ茶、残りには黒の色が塗られていた。

 あいかわらず、こころよりも薙刀の方が大きい。別にそれはこころが小さいというわけではないのだけど、身長よりも大きな武器を元気そうに振り回している彼女を眺めていると、なんだか段々と微笑ましいものを見るような気分になってきた。

 

「さとり? どうかした?」

「いえ、なんでもありませんよ。そろそろ行きましょうか。魔法の明かりにつられて魔物も集まってきそうですし、警戒は怠らないようにしましょう」

「はーい」

 

 背につり下げた鞘から剣を抜き放ち、それを右手だけで持って、左手は開けておいた。こうしておけばいつでも魔法陣を書いて魔法を発動することができる。

 『光源(ライト)』の魔法のもとに足元の様子を確認しながら、二人は慎重に洞窟を進んで行く。松明以外の明かりとなる『光源(ライト)』は暗闇の中で非常に目立つのだが、まだ洞窟に入ったばかりだからか、魔物が襲ってくる様子はなかった。

 かつかつ、と。

 さとりはこころが、こころはさとりが少し大きな足音を立てるたびに、びくりと震えて互いを見合わせる。辺りが静けさに包まれていることに加え、洞窟というものはほぼ密閉空間であるために二人の出す音がよく響くのだ。

 

「……あまり警戒しすぎるのもよくないのかもしれませんね。これだけ静かなら私たち以外の足音もよく聞こえるでしょうし、もうちょっと気楽に行きましょうか」

「そうねー。元の世界じゃこんな暗闇滅多に味わえないから、なんだか変に緊張しちゃってたみたい」

 

 無意識のうちに剣を強く握りしめすぎていたことに気づいた。私も、私が思っていた以上に緊張していたようだ、とさとりは肩を竦める。

 一度大きく深呼吸をしてみた。あまり美味しい空気だとは言えないけれど、張りつめていた精神が多少は和らいだ気がする。

 さとりが横を見れば、さとりを真似てか、こころも大きく息を吸っているところだった。彼女がそれを吐き終わった頃を見計らい、さとりはこころに軽く合図をして、再び歩き出す。

 と、その時。

 

「――ギャギャギャァアアッ!」

「さとりっ!」

 

 ちょうど通りかかった道の角から、人ならざる雄叫びを上げて飛びかかってくるさまが、かろうじてさとりの視界の端に映った。

 ――光を反射する鈍色。刃物を持っている? 回避――刃物の長さによっては間に合わない。だったら迎撃を――無理だ。今の筋力の程度で剣をこんな一瞬で持ち上げることはできないし、同様に魔法陣も書けない。他に撃てる手は――。

 刹那のうちにあらゆる手が脳内を駆け巡る。なにができるのか、なにをするべきなのか。

 それを終えたさとりが選んだのは、剣を捨て、飛びかかってきた相手に向かって一歩を踏み出すことだった。

 

「ギ――」

 

 剣を捨てることで身軽になった手で、今まさに振り下ろされんとする刃物を持っている腕そのものを押さえつけ、逆の手で相手の首元を狙って掌底を繰り出す。飛びかかってきた勢いも相まってか、さとりは手の平になにか硬いものを砕くような感触を味わった。どうやら首の骨を折ったようだ。

 どさりっ、と糸の切れた人形のように相手が倒れる。

 

「ふぅ……」

「おおー! さとりすごいわ!」

 

 こころの賞賛に若干口元がニヤつくのを自覚しながら、落とした剣を拾い直し、今しがた殺した敵の方へともう一度向く。

 それは一〇にも満たない子どもほどの身長をした人型の化け物だった。

 暗緑色の肌に毛は一切生えておらず、汚れからか、ところどころくすんでいる部分が見当たった。頭は胴体ほどに大きく、口は優に人の三倍は裂け、四つの鋭利な牙が上下に二つずつ飛び出している。逆に足はずいぶんと短い。しかし爪は獣のように鋭く尖り、また、太く長い鼻と耳から、およそそれらの感覚が他と比べて発達しているだろうことは容易に想像がついた。

 

「これは……?」

 

 化け物を倒した際に転がった粗雑なナイフを回収したのち、それを持っていた化け物自身に触れ、〝保存する〟と念じて死体をインベントリに保管する。

 周囲を見渡し、敵の影がないことを確認してから、さとりは〝インベントリ〟を開いてみた。

 素材の名称から、その元となるモノの呼び名を特定する。

 

「これは、ゴブリンという魔物みたいですね」

「へー」

 

 昔、西洋の妖怪について書かれた本を読んだような記憶がある。ゴブリンというのはその中にいたような記憶がある。確か、有名な妖精の一種だったか。とても邪悪で人間に忌み嫌われている、とのことだった。

 妖精――現実ではあまり強くないというか、頭が足りない者が多いというか、大半が人間の大人に負ける程度の実力しかないのだが、この世界ではどうなのだろう。こんな序盤でその一種が出てくるところから見ると、そう強い立ち位置だとは言えなさそうだけど。

 まぁ、なんにせよ一概にこの世界の妖精が弱いとは断言できない、と結論を出す。ここでは人に害為す化け物は全員魔物という区分であると諏訪子には教わったし、だとすれば妖精の中でも相当に強い者だっているかもしれない。

 

「しかし、突然襲いかかられましたね……」

「うーん、なんで待ち伏せなんてできたんだろ。こんな暗闇で」

「……見る限り、ゴブリンはなんだか聴覚や嗅覚の辺りがずいぶんと発達してそうですし、それで私たちの足音を察知してこそこそと動いていたのかもしれません。あるいは、現実での妖怪(私たち)のように闇の中でも目がよく見えるのか……なんにせよ、こちらの動きだけがバレて、こうして罠を張られてしまったことは事実です」

「……もしかして、それって結構まずい状況? これが焦りの表情!」

「あ、すみません。あんまり叫ばないでください。まだ近くにゴブリンが潜んでるかもしれないですから」

「ごめんなさい……」

「あ、その、はい」

 

 しゅん、とするこころに、若干申しわけないような気持ちを抱きつつ、さとりは一度呼吸を整えると、すっと右目を閉じた。

 右の視界を遮断する。これは、第三の目を集中的に使ったり、あるいは考え込む際のクセだった。

 ゴブリンがなんらかの手段――可能性が高いのは、おそらくは発達している耳と鼻――を用いて、こちらの居場所を察知してきている。対してこちらは相手の場所がまったくわからず、全力で走って移動するには乏しすぎる光量しかない魔法の光しか持ち得ていない。素早く進むことが難しい以上、ゴブリンが罠をしかける前に突破すると言った手段は行使できないわけだ。そもそも、この洞窟にゴブリンしか魔物がいないなんて保証もない。

 さて、こんな状況でどうするべきか。環境や得ている情報量的にこちらは圧倒的に不利、相手側はその真逆。これを完全に覆すのは難しいというか、現状では不可能に近い。

 今できることなんて本当に限られている。でもきっと、やらないよりはマシだ。だって今さっき、突然のゴブリンの襲撃にだってこちらは対応することができた。そこにさらに対策を講じれば、不意打ちでやられるよう確率はかなり低くなる。そうなれば……。

 さとりは、閉じていた右の瞼を開いた。

 

「このゴブリンという生き物は、あの森での猿と同じような強さだと仮定してみましょう。事実、急所に叩き込んでにしても魔法系のジョブを主に取っている私のたった一発の打撃で沈んだわけですし、そこまでは強くないはずです」

「さとりって『魔術師』だっけ? あと二つはなんなの? 『剣士』となにか?」

「『調教師』と『斥候』です。近接で戦うようなジョブは基本一つも取ってませんよ」

「なのに剣を使ってるんだ。これが驚きの表情」

 

 さきほどのさとりの注意を顧みてか、ずいぶんと小さな声で、おそらくはこころの口癖だろう言葉が呟かれる。

 

「さて、そういうわけでゴブリンはまず間違いなく強くありません。そうなると、私たちが注意すべきなのはゴブリンが張ってくる罠のみということになります」

「え? いつの間にか囲まれてたー、みたいなことは警戒しないの?」

「さすがにそんなに大量に集まられたらわかると思いますよ。いくら明かりが少ないにしてもまばらに松明が設置されてるんですから。そして松明を避けて通れる程度の数しかいないゴブリンなら、まともに戦うことができればまず私たちの敵にはならない」

 

 森では猿を相手に逃げ回っていたが、あの時と今ではまるで状況が違う。あの時はその場にとどまっていたら無数の猿に囲まれているという危険性があったが、今回のゴブリンは、待ち伏せ等をしかけてくるところから見ても、猿のように無策で飛び込んで自身の命を無駄にしようとするごとき真似はしない余計な知恵がある。森では猿たちに囲まれないためにもほぼ全力で走り続けなければならなかったけれど、今回は休み休みに慎重に進めるだけの余裕がある。そして森では無数に生える木々のせいでこちらが相手の動きに気づけない部分が数多くあったけれど、今回は大量のゴブリンに動かれた場合は察知が可能なのだ。

 なによりも、さとりもこころもあの時よりもレベルが上がり、クマとの戦闘で仮初とは言え命のやり取りを経験し、装備もきちんと整えられている。少しや普通にではなく、本当に『まるで』状況は違うのだった。

 

「魔物が待ち伏せていそうな場所は、いつ敵が出て来てもいいように事前に準備しながら進む。つけられていないどうか、定期的に後ろをチェックする。そういう風にしていくだけで、ゴブリンという魔物やこの洞窟の環境という脅威はぐっと下がるでしょう」

「へー、さすがさとり。ちょっと不安だったけど、『これをやっておけば大丈夫』ってことを教えてもらっただけですごく気持ちが楽になったわ」

「さすがだなんて、そんな大層なものではありませんよ。私はただ、状況を改めて整理してみただけです。出どころのわからない不安心を抱えていたってしかたがありませんから」

 

 妖怪とは人の抱く恐怖から生まれたもの。ゆえにこそそれを解明されることをなによりも恐れる。そしてその恐れるべきことを人間のようにやってみただけだ。

 どういうことになるのが自分たちにとって不都合なのかを明示し、どうしてそうなってしまうのかを思索し、それに対してなにができるのかということを、一つ一つ頭の中で形にしていく。具体的な対策を導き出すことができたなら、それはつまり、出どころのわからない不安心の出どころの部分がわかったということだから、簡単に自身の精神を落ちつかせることができるようになる。

 

「では、洞窟探索再開と行きましょう。街で時間を取られたこともありますし、ログイン時間も押してきているでしょう」

「ボスまで行けなかったら休憩挟んで再ログインかな? 攻略までどれくらい時間がかかるんだろうね」

 

 こころにとっては今日中にこの洞窟を踏破することは決定事項らしい。

 せっかくさとりと一緒なんだから、二人でクリアしたい。そんなこころの思いが見えた気がしたが、今の自分に第三の目(サードアイ)がないことを思い返し、かぶりを振った。

 こころの思いではない。今のは、自分の思いだ。

 

「街で話したカエルの着ぐるみの店主は、ほんの一、二時間で終わると言っていましたよ。ログインし続けていられるのは二時間までなので、洞窟に来るまでの時間も考えると一回は休憩を挟むでしょうね」

「そうなのかー。じゃあ、根気よくがんばろっか」

「ふふ、はい。根気よく進むとしましょう」

 

 こころと並んで、再び洞窟の中を歩き出す。もしなにかが隠れていそうな曲がり角や岩陰に出くわした時は、いつでも対応できるよう最大限に気を張り巡らしつつ、敢えて回り込んで進んだりもする。

 そうすることで不意打ちを未然に防げたり、隠れていたゴブリンを見つけたりと言ったことができたことも多かった。時には待ち伏せではなく落とし穴のような仕掛けもあったが、元々待ち伏せ以外の罠もあると考えていたさとりにとっては予想の範疇だったため、引っかかることも危なげもなくずんずんと洞窟の奥へ奥へと潜っていく。

 

「そういえば」

 

 近くに罠がなさそうな開けた道を進んでいる最中、ふいと思いついた質問をしてみる。

 

「こころさんはジョブをなににしたんですか? 近接のジョブはまず間違いなくあると思いますが」

「えーっと、私は『槍士』と『奇術師』と『精霊術師』にしたよ」

「……ふむ。なるほど、薙刀を扱うジョブはなにかと思ってましたが、『槍士』で扱えるのですね。『奇術師』と『精霊術師』というのはどういうジョブなのでしょう。『精霊術師』は『魔術師』と同じように魔法を扱うジョブだと予想はできますけど……」

 

 『奇術師』――奇術というと、つまりは手品? 絵札を入れ替えたり、シルクハットからハトを出したり……いや、さすがに私が今考えたような子供だましではないと思うけれど。

 

「うーん、『精霊術師』は『炎、水、風、地、雷、氷に適性を持つ。耐久面に劣る』とか書いてあったような気がするわ。たくさんスキルがあって、昨日はレベルポイントをどれに振ろうか迷ったんだっけー」

「……おそらくは魔法スキルの適正なのでしょうが……確かにずいぶんと多いですね」

 

 『魔術師』はなんと説明にあっただろうか。三つ目として適当に決めたので、そう読み込んではいなかったが……そうだ。『魔に適している。光と闇に強いが、呪に弱い』とか、そんな感じだった気がする。やはり、『精霊術師』はかなり適性が多めだ。

 

「『奇術師』はー……『奇抜なことに優れている。能力値を二つ、Bランクに上昇させることができる』って。奇抜なことってなんなんだろ?」

「いえ、私に聞かれても……」

「『能力』もよくわかんないのが多いし……あ、でも、三つの複合で『仮面舞踏』っていうのがあってね、なんだかすごく面白そうだからちょっとポイントつぎ込んでみたんだよねー」

「なるほど、こころさんにぴったりそうですね」

「でしょでしょ」

 

 クマに対抗するために〝魔術〟にすべてつぎ込んださとりには、好きな〝能力〟に好きな風にポイントが振れたらしいこころが少し羨ましく思えた。〝能力〟にはスキルやアビリティの選択肢がまさしく無数にあって、余裕があればさとりだって好きに選ぶことができたのだから。

 ただ、あの時のことを後悔するような気持ちは微塵も湧いてこない。

 ――私だけでも勝てなかったわ。私もきっと、さとりがいたからクマさんに勝てたの。だから、たぶんこれは。

 ――きっと、私たち両方のおかげっ!

 ふっ、とさとりの口元が緩む。

 そう、後悔なんてまったくしていない。こころと共有したあの短くも鮮烈な時間を、たかが一レベルぶんのポイントで得ることができたのだ。安いも安い、安すぎる。そもそも、一レベルぶんのポイントなんてこれからいくらでも取り返しがつくのだし。

 

「それで、その『仮面舞踏』というのはどういうスキル……いえ、アビリティなんですか?」

「『仮面を装備中、仮面に設定した属性の力を近接スキルに付与する』って書いてあってね、とりあえずクマの仮面には風を設定してみたわ」

「なるほど、確かにあのクマさんには風の属性がふさわしいです」

 

 諏訪子いわく、スキルとは能動的(アクティブ)に繰り出す力――『魔弾』や『円盾(シールド)』、『衝撃(インパクト)』など――のことで、アビリティとはオンオフで切り替えるような常時発動型(パッシブ)の力のことらしい。こころの話を聞く限り、『仮面舞踏』は『スキルに影響を及ぼすアビリティ』のようだ。

 

「私も聞いていい?」

「はい、なんでしょう」

 

 無表情ながら、どこか心底不思議そうな瞳の色で、こころはさとりをじっと見つめた。

 

「ここに来るまで結構な数のゴブリンと戦ってきたけど、さとり、昨日と比べてずっと……それこそ、どんなに才能があったって『一晩がんばった』じゃ絶対済まされないくらい剣の扱いがうまくなってる。それだけじゃなくて、体術も。どうして?」

「……そんなに変わっていましたか?」

「結構振り回されてた感じだったのに、今日はきちんと剣を操ってる。自分のものにして使いこなしている。最初にゴブリンに不意打ちをされた時も……あんな超反応、さとりは昨日はできなかった、はず」

「それは……」

 

 返答に困っていたところで、さとりの視界に、宙空に描かれ始めた赤い文字が留まった。

 

【ゲームを始めてから二時間が経過しました。戦闘中の際は速やかに離脱し、ログアウト処理を行うことを推奨いたします】

 

 ちらり、とさとりはこころに視線を送る。こころは不思議そうに首を傾げていたが、数秒もすると、目をぱちぱちとさせてなにもない空間を見つめ始めた。彼女にも同じメッセージが届いたのだろう。

 さらに、歩いていた洞窟の光景にも変化が見え始め、さとりとこころの足が自然と止まる。

 二人の目の前に現れたのは、粗雑な金属で造られたとても大きな扉だった。質の悪いぼこぼことした金属の板に取っ手を不格好に取りつけたような、大した知恵のない生物が人間の真似事をして作ってみたかのような。

 その扉の左右の壁には一つずつ松明が設置されており、暗にこの先が重要な場所であると示してくる。

 

「ねえねえさとり、これは」

「十中八九、ボス部屋でしょうね」

 

 二時間が経過する前にここまで来れたのは案外早いのではないか、とさとりは思う。暗闇の中でも、慎重ながら着実に進んできたからこその、この成果なのだろう。

 ごくり、と生唾を飲み込む。さとりの脳裏をよぎるのは、こころと力を合わせてなんとか倒すことのできた〝鋭き右の柔熊〟との戦い。

 この洞窟は初心者用と聞いているし、ここまでのゴブリンの強さをかえりみても、そこまで強いボスが出てくるとは考えられなかった。しかし、あのクマの脅威を体験しているさとりとこころからしてみれば、そんな程度の理屈がボス戦前に油断をする理由にはならない。

 

「一度ログアウトをして休んでからボスに挑みましょうか」

「うん、わかった。万全を期さないとね」

「そういうことです。時間は……どうしましょうか」

「三〇分? は、ちょっと短いな……昨日ログアウトした後、なんだかすっごく体がだるかったもん……」

「でも、一時間はちょっと長い気もします」

 

 あれこれと話し合い、間を取って四五(よんじゅうご)分ということに決まった。

 さとりとこころはそれぞれ『メニュー』を開き、ログアウトをしようと、その項目に指を当てかける。そんな時、ふいとこころが思い出したかのようにさとりの方に顔を向けた。

 

「そういえばさっきの質問の答え、まだ――」

 

 さとりはこころと違い、すでに『ログアウト』を押してしまっていた。

 消えかけている自分の体を見下ろしながら、さとりはこころへと急ぎ気味に返答をする。

 

「それが、私の能力なんですよ」

 

 半分嘘で、半分本当。いや、違うか。

 嘘はついていない。でも、語っていない部分が数多くある、ただそれだけ。

 ――すべて、能力を応用して行使した結果だった。

 ――でも、この世界での私は心を読むことができない。だったら、私が現実でなら心を読めることなんて明かさなくてもいいじゃないか。

 だって、心を読めることを知られることで幾度となく嫌われてきた。

 ――嫌われたくない。せっかくできた、初めての友達に。

 

「また、四五分後に」

 

 少し後ろめたい気持ちを抱きながらも。こころの次の言葉を聞くよりも早く、さとりの姿は仮想世界から消え去った。


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