Touhou NET-GAME   作:納豆チーズV

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八.行違暴走(perception gap)

 ――蛇に睨まれた蛙。そんな(ことわざ)を初めて知った幼い頃、私はふと、当時住んでいた故郷の外れにある森のことを思い出した。

 ――滅多に人が寄りつかないあの森では、蛇と蛙の魔物が森の覇権を巡り、日夜争っているのだという。

 ――蛙よりも蛇の方が強い。そう諺を純粋に信じていた昔の私は、どうして蛇が勝たないのかと、母に問うた。

 ――そんな私に母は、あの森には魔物たちだけが知る、蛇さえも恐れるような怖い怖い魔物が潜んでいるのよ、と。そう教えてくれた。

 ――――【蛇蛙の森(Three-way Deadlock)】――――――――

 

 

 

 《蛇蛙の森》はさとりが初めに攻略した、『鋭き右の柔熊』がいた森と比べれば自然の具合が落ちついている。あちらは森というよりも樹海に近い。《蛇蛙の森》は樹海と呼べるほど森が深くないため、あの時よりはいくらか楽に探索できる。

 そもそもクマさんがいた森ではでこぼことした足場にようやく慣れてきたところで猿の群れに何十分と追い回されたりして本当に大変だったので、足場が悪かろうと悪くなかろうと、落ちついて探索できるというだけでありがたかった。

 ふと、先頭を歩いていたこころが、隣を歩いていたフランと後ろに続くさとりたちを手で制す。どうしたのかと小声で問いかけてみれば、進行方向にカエルの魔物の群れがいるようだ。こちらには気づいておらず、見たところ少し先を通りがかっているだけとのこと。

 放置していても勝手にどこかに行ってくれそうだとこころは言っていたが、ここは奇襲をかけることをさとりは提案した。さとりは『斥候』のスキルとして『既知探知』――そのログイン中に一度でも倒したモンスターと同種類の敵を察知する――を持つ。初めは積極的に敵に突っ込んだ方がいいだろう。戦闘を回避しすぎたせいで本当に大事な場面で敵を察知できなかったとなれば目も当てられない。

 それに、今はさとりとこころの二人だけではない。チルノと大ちゃん、フランがいる。戦力的にも余裕があり、大ちゃんの回復がある以上、痛手を負う可能性は皆無に等しい。

 

「よーし、それじゃ一気に焼き殺して――」

「いえ、フランが突っ込むのは二番目よ。一番手はチルノの方がいい」

 

 さとりはさりげなくチルノのことを初めて呼び捨てにしてみたが、特に反応は見られない。さん付けでも呼び捨てでもどちらでもいいようだ。

 それはそれとしていざ飛び出そうとしていたフランがつんのめり、少しだけ不満そうにさとりを見上げた。

 

「真正面からならともかく、今回は奇襲だもの。一番足が速いチルノが一気にかき回して混乱させた方がいいわ。フランはその後に『紅蓮剣』辺りで一掃する役目」

「むぅ……まぁ、さとりの言うことなら従うけどね」

「チルノもいいかしら」

「要するにあいつらのとこに突っ込んでけばいいんだろ? 任せろー!」

「あ、行く前に一つだけ。無理に一匹を仕留めなくていいから、できれば複数の目を引きつけて。チルノの役目は撹乱だから」

「かくらん? よくわかんないけど、とにかく暴れてくればいいのよね?」

「……まぁ、そうね。お願いできる?」

「任せろー!」

 

 だーっ! と元気よく駆け出していくチルノ。子どもじみた走り方のくせに、その速さは『盗賊』だけあって群を抜いている。

 ――その後、敵の群れの殲滅はあっさりと終えてしまった。

 チルノが蛙の魔物たちの背後から水晶の剣で最後尾の魔物を斬りつけ、怯んでいるうちに次の魔物、さらにその次の魔物も。四匹目はさすがに防いできたが、囲まれる前に即座に右へ離脱。離れた位置で氷柱を連続で飛ばして敵の注意をまとめて引きつけている隙にフランが集団に距離を詰め、『紅蓮剣』で何匹か一撃で斬り殺す。届かなかった位置にいた敵はこころが『真空斬』で同じく真っ二つにした。

 事前に役割を決めていたからか、流れるような連携でさとりが手を出すまでもなかった。これが初めからフランとこころが突っ込んでいたらうまくいかなかっただろう。チルノが斬りつけたことによる氷結で動きを鈍らせ、さらに氷柱でその場に釘付けにするとともに囮になった。その動けないところを狙ったからこその瞬殺だ。

 もしも何匹か逃れていたとしても、それはさとりが足止めしておけばあとは袋叩きにできる。やはり人数が揃っているというのはやりやすい。今回はそれぞれ得意なことが分かれているからなおさらだ。

 フランは火力、チルノは速度、こころはその両方を及第点レベルまで収めている。さとりは後方から補助、いざなにかあっても大ちゃんの回復や支援。これだけ揃っていて今更雑魚の群れに苦戦する道理はない。

 以前フランがいなかった際は無数のカエルの魔物に追われて逃げ回ったりしていたが、連携を深めることさえできれば、あの数に襲われても意外となんとかできるかもしれない。いくら敵が何十匹といようが一度に全員と戦うわけではない。地形を利用したり戦い方を工夫したりすればいくらでも手はある。

 やはり問題は長期戦、あるいは強敵への対処。作戦がうまく機能しない場合の臨機応変な対応も、組んだばかりの今のパーティではおそらく少々ぎこちなくなる。『既知探知』の対象を増やすほかにもパーティの動きに慣れるために、まずは積極的に敵に向かって行った方がいい。

 その方針を他の四人にも伝え、さとりたちは順調に森の中を進んで行った。

 一度目の遭遇以降はこちらからではなくあちらが先にこちらを見つける場合もあったが、不意打ちされるよりも先に誰かが接近に気づいたために敵方からの奇襲の被害は負っていない。時には気づいていないふりをして裏をかくなんてこともして連携を深めたりもした。さとりとこころだけなら何度か攻撃を受けていたかもしれないだけに、やはり仲間が多いということはそれだけで心にゆとりができることを味わった。

 この森の攻略が終わった後、一度このパーティは解散となるだろう。大ちゃんとはフレンド登録をしているので今後も声をかければ一緒にどこかへ行ったりはしてくれるとは思うが、おそらくさとりとこころのように常時ペアを組むというようなことにはならない。それでも多人数で行動する利便さを知ってしまったさとりは、今後はこころと二人だけでなく、一緒にダンジョンへ潜ってくれそうなフレンドをもう少し増やした方がいいということを身をもって実感した。

 あるいは、そろそろ本当に『調教師』のスキルを習得して魔物を従えてみるか。そうすれば今後チルノと大ちゃんと別れ、フランさえ離れていったとしても、数の面では補うことができる。

 

「あ、さとり。また魔物発見したよー」

 

 進んでいると、こころがそう報告してくる。『既知探知』に反応はない。ということは、これまで遭遇したことのないタイプの魔物だ。

 それを全員に警告した後、そっとこころの視線の先を覗き込む。

 そこにいたのは蛇の魔物だ。もちろん、ただの蛇ではない。まず普通の蛇より何十倍も体が大きく、人と同等以上の体つきを誇っている。頭から尾の先までの長さは五メートル以上はあるだろうか。あれに巻きつかれて締めつけられたら相当苦しそうだ。

 なにより、その巨大な巨頭に生えそろう蛇の牙が非常に鋭く、脅威に映る。よく注意してみれば薄い鱗の鎧を全身に展開していることもあり、少なくとも数に利があるからと言って油断していい相手ではなさそうだ。

 まだこちらには気づいていないようだったので奇襲を提案しようとしたが、その直後、ちょうど蛇の視線がさとりたちの方に向いた。こちらからあちらが見えている以上、あちらからもこちらは見えている。

 蛇の魔物はちろちろと舌を出しながら、ずるずると体を引きずって。その巨体からは想像できないほどのすさまじい速度でこちらに迫ってきた。

 

「っ、大ちゃん下がって。フランは前へ、こころとチルノはフランのサポートに。私は大ちゃんを守りながら一緒に援護します」

「私一人が前ってことは、今度は私が囮?」

「近いけど、囮とはちょっと違うかしらね。自分からは無理に攻撃はしなくていいからできるだけ攻撃を引きつけて防御して。私や大ちゃんに向かってくるようなら迎撃。それから、もし攻撃がこころとチルノに向かうようなら全力で斬りつけてやりなさい」

「ふぅん、いいじゃない。奇襲なんかよりもそっちの方が存外向いてるわ」

 

 初めて会った時、視界外から『紅蓮弾』撃ってきた人がなにを言っているのかしら。そんな嫌味が反射的に出かけたが、すぐそばにもう蛇の魔物が迫っていたため、さとりは大ちゃんの手を引いて急いで後方へ下がった。

 蛇の魔物は先頭に立ったフランへ一瞬威嚇の姿勢を取ると、まっすぐ頭から突っ込んでいく。

 

「ふん、正面から来るしか能がないようなやつ、がっ?」

 

 フランが蛇の突進に合わせて大剣を振り下ろす。そのままの速度でお互いが近づいていれば確実に当たる軌道を描いていたそれは、しかし蛇が直前で体が進行する向きを真上へそらしたことで、ぎりぎりのところで外れてしまう。

 このまま再度飛び込まれたらまずい。そう考えて、フランはすぐさま防御に回ろうとした。大剣を引き、体の前にかざすように。けれど蛇の動きはそんなフランの行動よりも一歩早く、そして速い。

 大剣が地面に衝突すると同時に蛇が飛び込んだのはフランではなく、地面にのめり込んだ大剣自身だった。ぐるぐるとその巨体を剣に巻きつけていく。

 フランが大剣を引いても、きつく巻きついた体は離れない。振り回しても解けない。振り下ろして、巻きついた体を地面との挟み撃ちで叩き切ろうとしても、長い長い蛇の体重が加算されている大剣は普段より何倍も重量があるせいで、大した威力にはなり得なかった。

 切っ先から根本に至るまで、その刀身が欠片も見えなくなるほどにきつく体を巻きつけた蛇の魔物は、その顎を大剣を持つフランの頭へ向けた。口を大きく開き、鋭い牙でその頭をまるまる飲み込んでしまおうと。

 大剣を離して逃れようとしても、もう遅かった。柄にまで蛇の体が巻きついてしまっているせいで離れられない。

 

「『真空、斬』っ!」

 

 そんなフランの窮地を救ったのは、過去同じように彼女を追い詰めたことがある二人の片割れ、仮面の少女こと秦こころ。

 『真空斬』。いつもは薙刀を振り回し、その斬撃を飛ばす。だが今回こころはそれを突きによって放った。

 範囲は振り回した時と比べれば大幅に下がる。それは普段ならば欠点ではあるが、今この場面においては利点となる。フランを巻き込まない。そして範囲が狭い代わりに、その威力は普段の『真空斬』よりも何倍も高い。

 ちょうどフランの頭部を飲み込まんとしていた蛇の頭へ向けて、フランのすぐ隣を真空の斬撃が通りすぎた。大抵の生物は――妖怪は例外として――頭部がなければ活動できない。蛇の魔物もその範疇にあるらしく、蛇は直前で身を翻し、胴体を横に倒すことで飛ぶ斬撃を躱した。

 真空の斬撃が見えている。それも脅威ではあるが、今はそれよりも目の前の窮地への対応が先だ。

 フランの大剣はあいかわらず、その片腕ごと取り込まれている。実は彼女は一瞬前から『紅蓮剣』を行使して刀身に炎を纏わせているのだが、蛇はまるで堪えた様子はない。どうやら火に強い耐性を持っているらしい。

 このままでは再び同じ攻撃を繰り出されて、今度こそやられてしまう。その巨躯に似合わぬ回避能力と、まだ未知数な鱗の鎧の防御力。少なくとも、フランが捕まっている間の一瞬で仕留めることは相当に厳しい。

 であれば、今ここですべきことは一つでしかない。フランはそう結論を出す。さとりでも、こころでも、チルノでも大ちゃんでも一瞬では思いつかない。それは狂気に満ちたフランだからこそ反射の域でたどりつくことができ、戸惑いなくできる選択だった。

 

「『紅蓮弾』」

 

 それ自体はなんてことがない火の球を生み出すスキル。蛇の魔物にも効果は薄い。だが。

 フランはそれを大剣を手離し、蛇の体に隠れて見えない手の中に創造した。普段なら着弾点、あるいはある程度距離を進んだところで爆発する熱量を、フランはその場で解き放つ。

 蛇の胴体によって密閉された空間の中で熱量が暴れ狂い、隙間から火花が飛び散っていった。それでも当然、蛇の体にほとんど損傷はない。しかしそれでいいのだ。フランが狙ったのは蛇ではなく、自分。

 自らの魔法によって肘から先を焼滅させ、強引に蛇の締めつけから逃れたフランは、再度巻きつかれる前に素早く後ろへ下がった。

 

「ぐぅ……やっぱり焼かれるのって、普通に斬られたりするより何倍も痛いし苦しいわね……他人にやってやるぶんには、だからこそいいんだけど」

 

 さしものフランの目元にも若干涙が滲んでいる。

 

「とんだ無茶するわね……大ちゃん、回復を」

「は、はい!」

 

  フランはすぐには戦線に戻れない。さとりはそう判断すると、こころとチルノに注意を引きつけてもらうように指示を出す。ただ、フランの二の舞いになってはいけないのでできるだけ距離を取りながら。

 

「これくらい無茶って言うほどでもないわ。それより、えっと、ごめんなさい。さとりが言った役割、全然果たせなかったわ……」

「いえ、さっきの指示は私のミスよ。連携がうまくいきすぎて油断してたわ。こころと二人だった時ならもっと慎重にやってたはずなのに……警戒してことに当たるべきだった。謝るわ」

 

 大ちゃんが生み出した緑の光に包まれ、どんどん治っていく焼けただれた片腕を見ながら、さとりは顔を伏せる。

 いつもならきっと最初は様子見で、敵のスペックを測っていたはずだ。初めから誰か一人に攻撃の対処を任せたりはしない。

 数が多いに越したことはないが、利があるからと言って無理な手を打ち続けてはいけない。今回はこころとチルノが押さえてカバーしてくれているけれど、今後もそんな余裕があるとも限らない。

 

「……私の」

 

 回復し切った手を握っては開いてを何度か繰り返した後に、フランはその手をぎゅっと握りしめた。

 

「私の力不足を謝られても、不愉快なだけだわ」

「え。って、待ちなさいフラン。今は武器がないんだから前に出ないで私と一緒にサポートに」

「嫌」

 

 さとりの言うことを聞く。それは交わした約束の一つだったはずなのに、さとりの言葉を突っぱねたフランは、一直線に蛇の魔物へ突っ込んでいった。

 

「そこの仮面のやつとちっこいの! もういいわ、どいて! あとは私がやる!」

 

 そう叫んだフランは、最初に蛇の魔物がフランへ一直線に進んできたように、まっすぐに蛇の魔物に突っ込んでいく。こころとチルノは一瞬戸惑って、その硬直に蛇が体を振り回して攻撃をしかけ、それを躱すために交代せざるを得なくなった。

 フランの得物たる大剣は蛇の長い胴体の下敷きとなっている。そう簡単に回収することはできない。

 だというのにフランは迷わず蛇の頭に向かって跳躍した。その両手には『紅蓮弾』が宿っている。

 空中で回避はできない。蛇もそれはわかっているようだ。長い胴体の筋肉にひねりを加え、その勢いのすべてを尻尾に集中させ、薙ぎ払うようにしてフランへ繰り出した。頭の方が近いのに噛みつきを仕掛けてこなかったのは両手の『紅蓮弾』を警戒してのことだろう。

 確かに、空中で回避はできない。他に推力がなければ、と注釈がつくが。

 フランは尻尾の躍動になってすぐに、左手の『紅蓮弾』を真下へ向けて高速で繰り出していた。ほんの一メートルほど離れたところで、フランの意思に沿ってそれは爆発をする。

 爆風によって吹き飛ばされたフランの体は尻尾によるなぎ払いを回避し、蛇の頭のさらに上空にまで飛び上がった。

 

「まだ……!」

 

 さきほどのように欠損はなくとも、少なからず服が焼け、露出した肌は軽くないやけどを負っている。当然だ。吹き飛ばされるほどの爆風を受けて無傷で済むはずがない。せいぜい数回が限度と言ったところだろう。

 だが、それだけあればじゅうぶんだ。

 尻尾の勢いを利用し、うねりを上げて跳ね上がった胴体が、頭を見据えるフランの視界を遮った。同時に、通り過ぎていたはずの尻尾がフランの背後に回るように展開されている。このままフランの体を巻きつけるつもりらしい。

 このままでは捕まる。だから今度は真上に二つ目の『紅蓮弾』を放った。重力に爆風が加われば着地に一秒もかからない。衝突とも言えるほど強く地面に着地したことで、さらにひどくなった全身のやけどがひどく痛むが、まだ体は問題なく動く。

 胴体が跳ね上がったことで下敷きになっていた大剣が露出していた。それをさっと素早く拾うと、落下してくる蛇の胴体を、片手で大剣を振り上げて強引に吹き飛ばす。

 しかしその胴体に隠れて蛇の頭がフランへと迫っていた。大剣を振り上げた直後、一切の間を置かず近づいてくる蛇の顎。蛇の行動はフランの動きを予測していたかのように早く、振り下ろす暇さえない。

 蛇の口が大きく開かれ、フランを飲み込まんと迫る。あの牙に貫かれれば、フランはきっと間違いなくやられてしまう。

 避ける方法はない。

 いや、避ける必要はない。

 

「爬虫類風情の浅知恵なんて無駄よ」

 

 蛇がフランの攻撃を予測していたように、フランも蛇の動きを予測していた。

 フランが蛇の胴体を吹き飛ばしたのは、片手に握った大剣によって、だ。もう片方の手は別のことを、すなわち『紅蓮弾』の生成を行っていた。

 至近距離で、しかも目の前にあるのは頭。いかに火に強いと言ってもひとたまりもないに違いない。相当なダメージを負わせられるだろう。しかし、きっとその後すぐにフランは怪我によって満足に動けなくなる。その程度の結果ではフランは満足できない。

 フランはこの蛇を一人で倒すつもりなのだ。

 だからこそフランは、『紅蓮弾』を真後ろで爆発させた。

 

「あははっ!」

 

 三度目の爆風。大剣を手離し、されるがままに吹き飛ばされる。そうして進む先は蛇の口の中。

 蛇の予測よりも。噛みつかれるよりも、牙がフランの体に刺さるよりも。さらに早く自ら蛇の口の中に突っ込んだことで、フランは意識を保ったまま蛇の体内に入り込んだ。

 消化液だろうか。焼けただれた全身にさらに酸性の液を塗りたくられる激痛は想像をはるかに絶する。あまりの痛みに叫びたくなる。だが、それでもフランの口元に浮かぶのは笑みで、口からこぼれるものも笑い声。

 今にも途切れそうな意識を強靭な精神で繋ぎ止めながら、フランは最後の魔法を行使する。『紅蓮弾』。何度も何度も繰り出し、自らの身体のみを傷つけたそれを、今度こそ本来の用途で使用した。

 いくら鱗が火の魔法に強かろうと、体内からであれば。

 そのフランの考えは間違っていなかった。密閉された空間内で破裂し、全身に行き渡る炎の奔流。蛇が上げた断末魔の振動が、体内にいるフランさえも震わせた。

 ばんっ! と爆発点であったフランがいた部分の蛇の胴体が破裂する。鱗が吹き飛び、倒れ伏した蛇の胴体の隙間から、フランの体が露出する。

 

「あ、はは……勝った……勝ったわ。私が、勝った……」

 

 フランは火の魔法を扱うゆえに火に対しては高い耐性を誇るが、これだけの無茶を繰り返して無事で済むはずがない。

 勝利の余韻に浸りながら、蛇の体からずるずると這い出たフランは、ばたりと地面に倒れ伏す。意識は一応まだあるみたいだが、放っておけばヒットポイントが〇になってしまうことは想像に難くない。

 

「……本当、狂ってるわね。なんて戦い方……」

 

 ぶっちゃけ、さとりは若干引いていた。

 自爆を繰り返して敵を葬り去るなんて普通の精神性ではできない。思いついたとしても、リスクが高すぎて実行しようなんて思うはずがない。

 というかこんな戦い方を目の前でされて引かないのは同じように狂ってるやつくらいである。無表情なこころも硬直して明らかに思考が追いついていないし、頭が弱いチルノでさえ「うわ」とか目元をぴくつかせている。大ちゃんに至ってはさとりにしがみついて涙目になってぷるぷる震えていた。

 さとりはそんな大ちゃんをどうにか正気に戻して、フランを回復してあげるようにお願いする。こころとチルノには周囲の警戒を任せた。

 さとりはさとりでやることがあるので、大ちゃんと一緒にうつ伏せで倒れるフランに近寄って、そのそばにしゃがみ込んだ。

 

「さ、とり……どう? わ、たし、勝ったわ……私の力、は、さとりの策を……ちゃんと、遂行できる……だ、から」

 

 見捨てないで、と。フランは言った。

 それに少し、面食らう。

 フランが片腕を自分で落として後方に下がった時、さとりは指示を自分のミスだと言った。あれは当然本音だった。断じてフランの力が足りないから気を遣って別の理由を話したりしたわけではない。

 むしろフランはこの中で単体の力なら一番強いはずだ。かつては敵だったけれど、いや、かつては敵だったゆえにこそ、そんな彼女の力を信じていたから、最初に一人で止めてくれと頼んだのだ。

 まだ付き合いが短かったからか、フレンドになりたいとフランが言った時に、さとりが否定的な態度を示したからか。その後も嫌味のようなものを言い合い続ける態度だったからか。フランはさとりの言葉を勘違いしていたらしい。

 いや、本当はさとりの言葉が本音だとわかっていたけれど、そうではない可能性も思いついてしまって、それがよほど恐ろしかったのかもしれない。それこそ、今まさに全身に負ってしまっている凄まじい怪我以上に。

 見捨てないで。そうフランは言った。

 フランは自分が楽しむために生きている。そしてその手段を見つける方法は彼女にとって、さとりにしか残されていない。さとりはそれは知っていたはずなのだが、その思いの深さを理解し切れていなかった。

 いや、そもそも理解しようとしていなかったか。狂っているからと考えることを放棄していた気がする。

 さとりは小さく息をつくと、ぐっ、と人差し指を親指で押さえて、フランの顔の少し上に持っていった。

 そして、フランの額を小突く。俗に言うでこぴんである。

 

「い、いたっ! ちょ……やけど、まだ治り切って、ないんだか、ら……やめ、て」

 

 大ちゃんの力によって徐々に治ってきてはいるが、全身のやけどともなると治すのには時間がかかるようだ。フランが涙目で抗議してくる。

 さとりはそれに憮然な表情で返答した。

 

「自業自得よ。私の言うこと無視して突っ込んで……なんで妹っていうのは誰もかれも人の言うことを聞かないのかしらね」

「え、さとりって妹が、いるの?」

「ええ。あんたと同じで人の言うことを全然聞かないから、いつも心配してるのよ」

 

 そっと、フランの頭に手を乗せてみる。

 

「あんたはまかり間違っても私の妹じゃないけど、まぁ……ちょっとは自分の体を大切にしてほしいわね。以前までならともかく、今は一応仲間なんだし」

「……それって、心配、してくれてるの?」

「さぁね」

「……さとりが私に言ってた仲間って、形だけで、本当は都合のいい時だけ利用するようなドライな関係だと思ってた」

「あのねぇ」

 

 元々は敵であり、恨まれているかもしれないという自覚はあったらしい。

 ただ、フレンド登録をすると決めた段階で、すでにさとりはフランのことについては大分割り切っていた。こころだって彼女の性格からしていつまでも昔のことをねちねちと引きずったりはしないはずだ。

 こうして話しているうちに、死亡判定一歩手前だったフランの怪我は完治していた。かかった時間は大体三十秒から四十秒と言ったところだろうか。戦闘中であれば致命的なロスではあるが、合間に回復するぶんには破格の性能だ。

 

「ほら、先に進むわよ。それともちょっと休んでく? あれだけのことをやったんだから結構疲れてるはずでしょ?」

「……ううん、いい」

「そ。じゃあ、行きましょうか」

「うん」

 

 らしくもなく、しおらしい。思わず、すっと手を差し出してしまっていた。

 完全に無意識だった。でも、今更引っ込めることもできない。しかたなくそのままの状態でいると、フランは目をぱちぱちとさせた後に、そっと、さとりの手に自分の手を重ねてきた。

 そんなフランを引き上げる。そうしてふらつくこともなく、問題なく立ち上がれたことを確認すると、その手を離して、こころやチルノに声をかけに行った。

 

「もう大丈夫。先へ進みましょう。あの蛇の魔物については、進みながら対策について話し合いましょう。無理をすれば倒せるからってさっきのフランにみたいに無茶だけはしないように」

 

 今後は複数同時に出現する可能性もある。かなり体が長かった上に移動の際にずるずると音がするので奇襲を受ける心配はなさそうだが、単純に強いというのはそれだけで厄介だ。

 一番火力があるフランの火が通じず、巨体の割に素早くこちらの攻撃を躱してきて、その身は鱗の鎧によって少なからず守られている。どうにか安定した戦法を確立した方がいいのは明白だ。

 そして考えることはさとりの仕事だ。この場にいるメンバーは全員にそれぞれ個性が存在し、優秀である。それを活かせるかどうかはさとり次第だ。


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