デート・ア・ライブ 士道デイリーライフ   作:サイエンティスト

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 「ミッドナイト」=「深夜」
 今回は十香のお話です。意味ありげなタイトルですが全年齢対象なので気にする必要はありません。思ったよりも早く投稿できた……。
 明言していませんでしたが、この「士道デイリーライフ」は「鳶一デビル」後の設定です。そのため「五河ディザスター」であったことはまだ起こっていないので、お読みになる場合はその点を踏まえてくださると助かります。



十香ミッドナイト

 その日、士道は学校でいつも通りに過ごしていた。昼休みにトイレへ行き、戻ってくるまでは。

 

「夜のデェトだと? それは昼のデェトと何か違うのか?」

 

 教室に入る直前、十香の不思議そうな声が聞こえて入り口で立ち止まる。嫌な予感に見舞われてそっと中の様子を覗き見ると、そこに予想通りの光景を見つけた。自分の席に座ってきょとんとした表情を浮かべている十香と、その周りに立つ三人の姦し娘。亜衣、麻衣、美衣。

 

「もちろん大違いよ。んー、何て言えばいいのかな」

 

「昼のデートはイチャイチャできるけど、夜のデートはラブラブできるって感じかな」

 

「そーそー、雰囲気が違うって言うか、ロマンティックになるって言うか」

 

 どうやらこの三人娘はまた何か入れ知恵しようとしているらしい。話が怪しくなる前に止めるべきかもしれないが、今のところは大丈夫そうに見える。それに何より、デートについての女子の会話に割り込むなど、よほどの勇気と男気がなければ不可能だ。あいにく士道はそんな剛の者ではない。とりあえず話の成り行きを見守ることにして、耳を傾けた。

 

「むうっ、よく分からんがそれはいいことなのか? 私はシドーと一緒にいられればそれでいいのだが……」

 

 いまいち理解できていない顔の十香が、恥ずかしげもなくそんなことを口にする。十香のその気持ちは嬉しいものの、少々むず痒いというか、逆にこっちが恥ずかしくなってきてしまう。

 十香の反応に胸を打たれた三人が、三方向から同時に抱きつく。

 

「ああ! 何て純粋なの十香ちゃん!」

 

「もちろんとってもいいことよ! 手を握ってもらえたり、もしかしたらキスだってしてもらえるかもよ!」

 

「そうそう! 十香ちゃんのファーストキスが五河くん如きに奪われると思うと虫唾が走るけどね!」

 

 士道にとっては酷く失礼な美衣の言葉に、十香は顔を輝かせた。

 

「それは本当か!? またシドーにキスしてもらえるのか!?」

 

 そしてダイナマイト級の爆弾発言を教室に投下する。まるで衝撃波のように沈黙が広がり、次いで爆風の如くざわめきが広がった。

 

「ち、違うよな十香! キスなんてしたことないよなぁ!?」

 

 これは傍観している場合ではないと判断し、士道はダッシュで教室に入ると驚愕に凍りついた三人娘から十香を引き剥がした。

 

「何を言っているのだシドー! 私とは何度もキスをしたではないか! 忘れてしまったと言うのか!?」

 

 途端に傷ついた表情を浮かべ、教室全体に響く声で訴えてくる十香。追加のダイナマイトに教室内のざわめきが増していく。飛び交う声の多くは真偽を疑うものだったが、中にはどうやって士道を殺すかという物騒な相談も聞こえた。

 

「わ、忘れてねえって。そうじゃなくて、人前であんまりそういうこと言うべきじゃないんだよ」

 

「む、そうなのか?」

 

 注射針の如く鋭い視線(主に男子の)を全身に感じながら、士道は十香に耳打ちした。

 もちろん士道と十香が恋人同士なら、いくらキスをしていようと誰も文句は言えないだろう。だがその言い訳をした場合、確実に異議を唱える者が一人――

 

「……士道、どういうこと」

 

 今まで沈黙していた折紙が、絶対零度にも等しい呟きをもらした。教室中に聞こえるような大きさではなかったというのに、皆凍りついたように口を閉じる。

 

「お、折紙? どういうことって……どういうことだ?」

 

 席を立ちにじり寄ってくる折紙に本能的な恐怖を覚え、士道は後退りながら尋ね返す。

 何故折紙は怒っているのだろうか。キスによって精霊の力を封印できる士道の能力も、それによって折紙自身を含む精霊の力を封印したことも、すでに知っているはずだ。事情を知らないクラスメート達はともかく、全て知っている折紙が怒る理由など思いつかない。

 

「あなたが十香とキスをしたことは知っている。でもそれは必要に迫られた一回だけのはず。何度もしたことがあるとは聞いていない」

 

 『そっちか!』と士道は内心頭を抱えた。

 確かに霊力を封印するならキスは一度でいい。だからこそ折紙も、士道は精霊と一度しかキスしていないと思っていたのだろう。

 もちろん十香と交わしたキスは必要に迫られた際のものだ。十香の霊力を封印した時と、反転した十香を元に戻した時。少なくともこの二回は。しかし折紙の言い方から察すると、どうも十香が反転した時のことは知らされていないようだ。

 まあ一度十香からキスしてきたことがあるのだが、それを口にしてもいい結果にならないのは目に見えている。

 

「十香だけが何度も士道とキスしているのは不公平。私は一度しかしていない」

 

「な、何だと!? 嘘をつくな!」

 

 TNT並みの威力を持った折紙の爆弾発言に、再び教室内は騒然とした。男子は嫉妬と殺意剥き出しの視線を、女子は怒りと軽蔑に溢れた視線を向けてくる。

 しかしそれを気にする余裕は士道にはなかった。何故なら士道を壁際まで追い込んだ折紙が、ゆっくりと顔を近づけてきたからだ。まるでキスをしようとしているかのように。

 

「待て折紙! 何をしようとしているのだ!」

 

「公平を期するため私もキスしなければならない。怖がる必要はない。私がリードする」

 

「何!? どんなキスするつもりなの!?」

 

 士道は恐怖に体を震わせた。顔を背けようと必死に首を動かすが、両頬にそえられた折紙の手に固定されて全く動かせない。封印したとはいえ精霊化の影響が強く出ているらしい。

 

「おのれ、シドーから離れろ!」

 

 危うい所で十香が折紙を引き離す。解放された士道はすぐさま二メートルほど距離をとった。正直今のは十香が助けてくれなければ終わっていたかもしれない。

 

「あなたに私の行動を止める権利はない。卑怯な泥棒猫」

 

「な、何だと!? 私は猫どろぼうなどしていないぞ!」

 

「そういう意味ではない。泥棒猫とは人の男性を奪い取る女のこと。つまりまさにあなたのこと」

 

「いつからシドーが貴様のものになったのだ! そういう貴様こそ猫どろぼうだ!」

 

 そしていつも通りの喧嘩が始まる。この二人は相変わらず仲が悪いが、以前と比べればましになった方だろう。フルネームではなく名前で呼び合っているのがその証拠だ。よく考えるとそれ以外変わっていない気もする。

 

「五河くん」

 

 二人を止めに入るべきか迷っていると、士道は後ろから肩を叩かれた。振り向くとそこにいたのは、三人娘を筆頭とした女子の集団。皆一様ににっこりと笑っているが、全員同じ表情なのが逆に恐ろしい。

 

「ちょっと話聞かせてもらおうか」

 

「まあとりあえず座って」

 

「場合によっては大事なところが使い物にならなくなるから覚悟してね」

 

「……はい」

 

 そんな恐ろしい脅しを聞いては素直に従うしかない。麻衣が指差す床に正座し、士道は自分を取り囲む女子集団を見上げた。見下ろしてくるいくつもの瞳は怒りの炎を宿している。今のところは弱火程度の炎だが、対応を誤れば山火事の如く燃え盛るだろう。すでに嫌な汗をかいているというのに、これ以上の熱さは耐えられない。

 

「その、あれは誤解なんだって。俺も十香も折紙も、キスなんてしたことないからな」

 

 もちろん真っ赤な嘘である。実際には十香と折紙だけでなく、他にも六人の精霊――もとい女の子(うち三人は犯罪になるかもしれない)とキスをしている。もちろんそれを口にすれば確実に袋叩きにされてしまうので、嘘をつくしかない。

 

「ん、私達まだ何も聞いてないけど?」

 

「何、自白? カツ丼食べる?」

 

「情状酌量して欲しいの? 極刑から去勢に減刑してあげようか?」

 

 ひょっとすると話を聞く気はないのかもしれない。このままではこれからの人生を士織として生きることになりそうだ。流石にそんなバッドエンドは避けたい。一人歓迎しそうな人物に心当たりがあるが。

 とはいえ助けてくれそうな人物はこの教室にはいない。十香と折紙は喧嘩をしているし、友人である殿町は他の男子と共に『ざまあ』といった表情を浮かべている。まさに孤立無援の状態だった。

 

「歓喜。今日も夕弦たちの勝利です」

 

 しかし天は士道を見捨てなかった。特徴的な喋り方のする方向を見ると、そこにはちょうど教室に入ってくる夕弦と耶倶矢の姿があった。二人とも袋詰めのパンと紙パックの飲み物を手にしている。恐らく購買部で手にした戦利品だろう。

 頼れるのはもうこの二人しかいない。士道は視線で必死に助けを求めた。

 

「くくく、当然ではないか。我ら八舞の絆の力の前では、群れた亡者どもなど障害にすら――うん?」

 

 視線に気付いたのか、耶倶矢は言葉を切ってこちらを見た。あるいは円になっている女子たちが目に入ったからなのかもしれない。状況が理解できないらしく、顎に手を当て首を捻っている。

 

「……何をしているのだ士道。何かの儀式でも執り行っているのか?」

 

「疑問。集団いじめでしょうか」

 

「違うわ、これは制裁よ。うら若き乙女二人の唇を奪った、卑劣で最低なゲス野郎への」

 

「いや、だから誤解なんだって。二人も言ってやれよ。俺は誰ともキスなんてしたことないって」

 

 できればこれで状況を察して欲しい。士道は縋りつく思いで二人を見つめた。耶倶矢の方は相変わらず首を捻っていたが、夕弦の方は察してくれたらしい。喧嘩中の十香と折紙に目を向けると、納得したようにポンと手を打った。

 良かった、これで助かる。士道は思わず安堵のため息をもらす。

 

「告白。実は夕弦と耶倶矢も士道に唇を奪われました」

 

「はあっ!? おい夕弦!?」

 

 だが夕弦の起爆させたC4(お徳用二個セット)によって、期待は粉々に吹き飛ばされた。十香と折紙以外の教室中の生徒の視線が夕弦に集まる。二人は喧嘩に忙しくて周りの話が耳に入っていないらしい。

 

「補足。更にその後服を剥ぎ取られ、あられもない姿を見られてしまいました。夕弦と耶倶矢はもうお嫁にいけません。しくしく」

 

「お前分かっててやってるだろ!」

 

 わざとらしく両手で顔を覆い、泣く真似をする夕弦。誰も騙される筈のない臭い演技だ。しかし怒りで目が曇っている女子達は、あっさりと騙されてしまったようだ。怒りの炎の温度が急上昇している。

 これはまずいと一瞬で判断し、士道は一目散に逃げ出した。

 

「地獄に落ちろ五河あああぁぁぁぁぁ!!」

 

「貴様の死に場所はここだあああぁぁぁぁ!!」

 

「切り取られるか潰されるか、どちらか選べえええぇぇぇぇ!!」

 

 僅かに遅れて鬼のような形相の女子たちが追ってくる。捕まれば間違いなく男としての人生が終わる。そして始まるのは皆大好き、士織ちゃんの人生だ。

 

「覚えてろ夕弦うううぅぅぅぅぅぅ!!」

 

 せめてもの抵抗に捨て台詞を吐き、士道は怒り狂う女子たちから全力で逃げ回った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ……今日は酷い目に合ったぜ……」

 

 夕刻。何とか午後の授業を乗り切った士道は、女子たちに捕まらないように速攻で帰路に着いた。去り際に放送コードに引っかかりそうな罵声をいくつも浴びせられたが、あえて聞かなかったことにしている。

 あの後士道が教室に戻ったのは授業開始直前で、夕弦の爆弾発言を取り消そうにも本人が自分の教室に戻ってしまったため、結局誤解を解かせることはできなかった。

 

「心配。何があったのですか、士道」

 

「いや、惚けてんじゃねえよ! 主にお前のせいだからな夕弦!」

 

 左隣を歩く夕弦が完全にすっ惚けているので、士道は思わず語気を荒くしてしまう。

 

「だが表現に問題はあれど、お主が我ら八舞に働いた所業は純然たる事実であろう?」

 

「ぐ……いや、それは……」

 

 今度は右隣を歩く耶倶矢が冷静に指摘してくる。確かに夕弦の言葉に嘘はほとんどなかった。霊力を封印するためとはいえキスをしたのは事実であるし、その結果霊装が消滅してあられもない姿を見てしまったのも事実だ。ただ一つ間違いがあるとすれば、唇を奪われたのは士道の方だということだろう。

 しかしそれ以外に間違いは見当たらず、返す言葉がなかった。

 

「と、とにかく、ちゃんと皆の誤解を解いてもらうからな。さもないと今日の夕食は二人とも抜きだぞ」

 

「懇願。それだけはご勘弁を」

 

「ちょっ、私何もしてないのに酷くない!?」

 

 よほどショックだったのか、目を丸くする夕弦と素に戻る耶倶矢。多少可愛そうな気もするが、女子たちの誤解を解いてもらわないとこっちが可愛そうな目にあってしまう。

 ちなみに耶倶矢は本当に何もしていないらしいが、否定もしていなかったので同罪としておく。連帯責任というやつだ。

 

「それが嫌なら、上手い言い訳を考えといてくれ。俺の話誰も聞いてくれないしな……」

 

 もちろん士道もただ逃げ回っていた訳ではない。誤解を解こうと努力してみたのだが、誰一人として話を聞いてくれなかった。しかし発言の主である夕弦たちの言葉ならきっと届くだろう。

 

「了承。致し方ありません」

 

「くっ、士道ごときの命に従わねばならぬとは……」

 

 夕弦は存外素直に頷き、耶倶矢は心底悔しそうに睨みつけてくる。完全にとばっちりを食った形の耶倶矢だが、夕弦のためか逆らう気はないようだ。この二人は本当に仲がいい。

 

「提案。どちらがより多くの方の誤解を解けるか、勝負をしませんか、耶倶矢」

 

 唐突過ぎる夕弦の言葉に、勝負大好きな耶倶矢の眉がぴくりと動く。

 

「ほう? 面白い。受けてたとうではないか、夕弦」

 

 二つ返事で引き受けると、歩いてきた道の方を向いて僅かに腰を沈める。同じように夕弦も腰を沈め、二人の姿が士道を挟んで左右対称の格好となった。二人の間に流れるのは妙に張り詰めた空気。西部劇なら草玉が転がってきそうだ。

 まさかこの二人、今から勝負を始めようとしているのではないだろうか。

 

「おい――」

 

 別に今行けなんて言ってないぞ。

 そう続けようとしたのだが、呼びかけた途端に二人が猛烈なスタートダッシュを決めてしまったため、口にすることはできなかった。風そのもののような速さで遠ざかって行く二人の姿を、士道は遠い目で見つめることしかできない。

 まあこうなっては仕方ない。今更後を追ってもあの二人に追いつくのは不可能だ。満足するまで放っておくのが一番いい。

 そう決めた時、士道は今まで後ろを歩いていた十香の様子がおかしいことに、初めて気がついた。両隣を夕弦と耶倶矢が駆け抜けて行ったというのに、何の反応も示していない。

ただただ俯いて何か深刻そうな顔をしている。そういえば夕弦と耶倶矢と話していたため気がつかなかったが、帰路についてから十香は一度も口を開いていない。

 

「どうかしたのか、十香。具合でも悪いのか?」

 

「む、違うぞ。少し考え事をしていたのだ」

 

 流石に心配になって声をかけると、思いのほか元気に返事をしてきた。何を考えていたのかは分からないが、それほど深刻なことではないらしい。

 

「考え事って何だ? 今日の夕食のおかずならハンバーグだぞ」

 

「おお、それはいいな! 楽しみだ!」

 

 少しからかうと、予想通り十香は顔を綻ばせる。だが数秒たつと間違えたように表情を変えた。

 

「いや、夕餉のことではなくてだな……亜衣麻衣美衣の言っていたことを考えていたのだ。夜のデェトのことをな」

 

 そのことか、と士道は昼休みにあったことを思い出す。確かにあの三人が十香にそんなことを話していた。というか吹き込んでいた。毎度毎度怪しげな知識を十香に吹き込むのは勘弁して欲しいものだ。

 

「なあ、シドー。シドーは夜のデェトがどんなものか知っているか?」

 

「……いや、全然知らないな」

 

 少し考えてから、士道は当たり障りなく答えた。

 実際には言葉の響きから大人な世界を想像してしまったので、口に出すことなどできなかった。

 

「おお、そうか……よし!」

 

 そんな答えに満足したのか、何故か嬉しそうな笑みを浮かべる十香。そして強く頷くと、真剣な瞳を向けてきた。

 

「シドー、以前私と交わした約束を覚えているか?」

 

「ん、約束?」

 

 今度の答えはお気に召さなかったようで、十香はむっとした表情を作る。しかし思い当たる節がないので仕方ない。

 

「一日学校でいい子にできたら、何でも一つだけ言うことを聞いてくれるという約束のことだ! 忘れたとは言わせぬぞ!」

 

「ああ、あの時の……」

 

 そういえばそんな約束をした。四糸乃と『よしのん』入れ替わり事件の時だ。<フラクシナス>へ行かなければならない(と嘘をついた)士道についてきたがっていた十香を、学校へ行かせるために交わした約束である。

 多くの波乱があったらしいが一応祖約束を果たした十香は、見事一つだけ言うことを聞いてもらえる権利を手に入れた。しかしそれを使う機会を見極めるためか、ずっと保留にしていたのだ。正直もう十香も忘れていると思っていたのだが。

 

「悪い悪い、だってお前何も言ってこないからさ」

 

「むー……」

 

 頬を膨らませて不満を露にする十香。しかしその頭を撫でてやると徐々に表情は緩んでいき、最終的には心底嬉しそうな笑みへと変わった。犬なら間違いなく尻尾を振りまくるほど嬉しそうだ。

 

「それで? 何か頼みたいことでもあるのか?」

 

「ん? おお、そうだ。忘れるところだったぞ」

 

 十香が思い出したような顔をしたため、士道は撫でるのを止めて手を引いた。一瞬名残惜しそうな視線を手に向けてきたが、すぐにこちらをまっすぐに見つめてくる。

 まあ話の流れからすると、頼んでくることは一つしかない。いくら士道でもそれくらいは分かった。

 

「シドー、私と夜のデェトをしてくれ!」

 

 僅かに頬を染めながらも、十香は遠くの民家にも聞こえそうなはっきりとした声で言い放った。恥ずかしさを感じながらもそんな声で口にしたのは、それだけ真剣なお願いということだろう。

 予想通りとはいえ、女の子からのデートのお誘いはやはり気恥ずかしい。しかし答えは最初から決まっている。ここで断ろうものなら十香の精神状態は乱れ、琴里から容赦のない罵声を浴びせられるだろう。士道は険しい目つきで答えを待つ十香に、笑顔で頷いた。

 

「おう、いいぞ」

 

 答えを聞いた途端、十香はこれ以上ないほど嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もうすぐ時間よ。準備はいい、士道?』

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 インカム越しに尋ねてくる司令官モードの琴里に、士道は小声で返した。周りに人がいる訳ではないのだが、少々静か過ぎたからだ。

 時刻は午後九時。完全に夜中であり、良い子はそろそろ寝る時間だ。暗い夜道は電灯に照らされ部分的に明るくなっているものの、よほど曇っているのか月明かりは一筋も差していない。空にはただ黒い雲が広がっているだけである。

 あの後、十香は今日この時間を指定してきた。今回は夜のデートなので、休日まで待つ必要はなかったらしい。少々急ではあったが、琴里を筆頭とする<ラタトスク>のメンバーは問題なくサポートをしてくれるようだ。

 

「……にしても結構冷えるな」

 

『でしょうね。あと一時間半もすれば雪が降ってくるし』

 

「へ? 何でそんなこと分かるんだよ?」

 

 不審に思い、士道は尋ねた。

 確かに雪でも降りそうなほど寒く、空には分厚い雲が広がっている。しかし雪が降るなど断言はできないし、ましてそこまで正確に時間など分からないはずだ。

 

『顕現装置(リアライザ)を使って調べたに決まってるじゃない。天気予報なんて当てにならないわ』

 

 納得はできたが、また新たな疑問が沸いてくる。いくら<ラタトスク>の司令官とはいえ、空想を現実にする夢のような機械、顕現装置(リアライザ)をたかだか天気を調べるために使っていいのだろうか。まあCR-ユニットなどの兵器に使われるよりは平和的な利用法だが、年中無休で働いてくれている気象衛星の存在意義がなくなってしまう。

 

「そんなことに使っていいのかよ、あれって……」

 

『私がいいと言えばいいのよ』

 

 当然といった口調で疑問を一蹴してくる琴里。何だか空の向こうから気象衛星の泣き声が聞こえてきそうだ。顕現装置(リアライザ)が一般には秘匿技術なのがせめてもの救いだろう。

 

『にしても、夜のデートねえ……士道、ホテルの予約でもしといてあげましょうか?』

 

「余計なお世話だ! ホテルなんか絶対行かないからな!」

 

 冗談めいた口調だったが、琴里ならやりかねない。実際十香との初デートでは大人のホテルへ行かせられる所だった。

 

『あら、そこらの路地裏の方が好み? 人の視線を感じると興奮するタイプなのね。神無月と一緒だわ』

 

「人を変体みたいに言うな!」

 

 反射的に返してから気付いたが、今の言い方では神無月を変体呼ばわりしているように取られてしまうかもしれない。まあどちらかといえばそう思っているし、恐らく本人は気にしていないだろう。インカムの向こうから『ありがとうございます!』という神無月の感謝の声が聞こえた。

 

『まあ士道の特殊な性癖は一旦置いときましょう。十香が今そっちに向かってるわ。まずはちゃんと服装を誉めてやりなさい』

 

「いや、置いとくな。俺にはそんな趣味は――」

 

「おーい、シドー!」

 

 訂正させようとした所、途中で自分を呼ぶ声が聞こえてきた。声のした方向を見ると、丁度十香が精霊用マンションから出てきた所だった。

 駆けてくる十香の首元にはマフラーが巻かれていて、端の部分が動きに合わせてゆらゆらと揺れている。手にはマフラーと同じく、ピンク色の手袋。どちらも毛糸で作られていて、とても暖かそうだ。

 とはいえ十香の着ている薄紫色のセーターほどではないだろう。ケーブル編みというやつだろうか、縦に模様がいくつも入っている。これだけ暖かそうな格好をしている割にはミニスカートなのだから、女の子というものはよく分からない。スカートと同じ色の、黒いニーハイソックスに包まれた白い太股は何とも寒そうだ。

 

「すまんな、シドー。待たせたか?」

 

「いや、俺も今きたところだよ。十香、その格好は……」

 

 士道が指差すと、十香は自分の姿を見下ろし、次いで手袋とマフラーを交互に見やった。

 

「おお、これのことか。夜は冷えるから身に着けていけと言われてな。どうだ、似合うかシドー?」

 

 手袋を見せびらかすように両手を顔の前まで上げ、無邪気に笑う十香。正直その笑顔には寒さも吹き飛びそうなほどの破壊力があった。気のせいか普段より笑顔が輝いている気がする。

 

「あ、ああ、似合ってる。可愛いぞ、十香」

 

 笑顔にやられて心拍が速まっていたが、士道はあくまでも冷静に返した。分かりやすい反応を示せば、容赦なく琴里に馬鹿にされてしまう。例えば僅かに目を見開き、頬を染めている十香のような、分かりやすい反応では。

 

「お、おお、そうか……よし。では行くぞ、シドー! 夜のデェトに!」

 

 照れ隠しなのか妙に語気を荒くして、十香はまっすぐ手を伸ばしてきた。これは恐らく手を握れ、ということなのだろう。七罪が半日かけたことをたった一瞬で行われると、七罪の涙ぐましい努力が虚しく思えてくる。まあ十香と七罪を比べても仕方がないことなのだが。

 差し伸べられた手を少々複雑な気持ちで取り、軽く握る。

 なるほど、確かにこれは暖かい。そこそこ厚手らしく、手の平から指先にかけて柔らかい感触が伝わってくる。

 

「それじゃあ、行くか――って、どうしたんだ十香?」

 

 視線を繋いだ手から上に戻すと、そこには何故か不機嫌そうな十香の顔があった。口を一文字に引き結び、繋いだ手をじっと睨みつけている。何も間違ったことはしていないはずなのだが、無言で睨まれると流石に不安を禁じえない。

 

「……少し待っていろ、シドー!」

 

 そう口にすると、十香は手を離して精霊用マンションへと走っていく。赤いリボンで結ばれた夜色の髪が、その背中で不満を表すように揺れていた。

 

「……どうしたんだ、十香の奴?」

 

『さあ?』

 

 行動の真意がさっぱり分からなかったので聞いてみたものの、琴里にも分からないらしい。一応士道は手の平を見てみたが、別に汚れているという訳ではなかった。ならば一体何が気に障ったのだろうか。そもそも何故戻っていったのだろうか。

 首を捻って待っていると、三十秒もたたずに十香が戻ってきた。

 

「待たせたなシドー! では今度こそ行くぞ、シドー!」

 

 そして再び、手を差し伸べてくる。ただしその手は毛糸の手袋に包まれておらず、白い肌が夜の空気に晒されている。どうやら手袋を部屋に置いてきたらしい。

 

『あー、そういうこと。士道の手の温もりを感じられないのが嫌だった訳ね』

 

 琴里が納得いったような声をもらす。確かにこの状況ではそれ以外考えられない。しかしわざわざ手袋を置きに戻る必要はなかったのではないだろうか。 

 

「ん!」

 

 せかすように、更に手を突き出してくる十香。

 ここまでされたら手を握らない理由はない。士道は再び十香の手を取り、優しく握った。途端に女の子特有の柔らかさと暖かさが伝わってきて、どきりとさせられてしまう。確かにこれなら手袋など邪魔なものに思える。

 念のため十香の顔色を窺ったが、いらぬ心配だったらしい。これ以上ないほど満足そうな笑みを浮かべ、何度も頷いていた。

 

「それで……どこか行きたい所とかあるのか?」

 

「むうっ、実はあまり考えていないのだ。私はシドーと夜のデェトができれば、それでいいのでな」

 

 十香が恥ずかしげもなくそんなことを口にすると、インカムの向こう側からはやし立てる声と口笛が聞こえてきた。それも一人や二人のものではない。

 

「茶化すな!」

 

「ん、何か言ったかシドー?」

 

 声を抑えたつもりだったが、いかんせん周りが静かすぎたため聞こえたらしい。

 

「あ、いや。何でもないぞ。じゃあどこに行くかな……」

 

 士道はインカムを指で突つこうとした。流石に夜のデートというものは初めてなので、助けなしでは難しい。

 その直前、女の子にしては少々力強い腹の音が、十香のお腹から聞こえてきた。これには士道も反応に困ってしまう。つい三時間ほど前に常人では考えられない量を食べたはずなのだが。

 

「おっと、選択肢よ士道」

 

 困惑する士道の耳に、慣れた口調の琴里の声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分厚い雲の遥か上、高度一万五千メートル。そこに姿を隠して浮遊する空中艦<フラクシナス>の艦橋には、いつも通りの光景が広がっていた。メインモニターには仲良く手を繋いで並ぶ、士道と十香の姿。艦橋下段にはそれぞれの持ち場につき、琴里からの指示を待つ令音やクルーたち。そして艦長席に座る琴里自身と、隣に立つ変体、もとい神無月。

 夜九時という遅い時間に召集をかけたにも関わらず、誰一人として欠けている者はいない。流石は自慢のクルーたちである。とはいえ中には酒臭かったり、タバコ臭かったりする者はいる。まあこれくらいは大目に見てやるべきだろう。アニメの予約をちゃんとしてきただろうかと不安がっているのが一人いるが、そっちは特に何もしてやることはない。

 

「さて、選択肢ね」

 

 口の中で好物のチュッパチャプスを転がしながら、琴里はモニターに表示された選択肢を見つめた。

 ①暖かいラーメンを食べに行く。

 ②お腹に溜まる焼肉を食べに行く。

 ③聞こえなかったふりをしてデートを続ける。

 

「各自選択」

 

 琴里が指示を出すと、すぐさまクルーたちの選択結果が艦長席のディスプレイに送られてきた。結果は①と②がほぼ同数、③にも僅かだが票が入っている。

 

「①と②が半々ずつか。まあ妥当な所よね」

 

 琴里が感想をもらすと、艦橋下段でクルーたちが意見を主張し始めた。

 

「いやいや、やはりここは定番のラーメンにすべきでしょう!」

 

「笑止! 我らが十香ちゃんの胃袋をラーメン如きで満たすことができるとお思いか! やはりここは焼肉でござりましょう!」

 

「聞こえなかったふりをする優しさはないんですか!? 女の子にとってはすごく恥ずかしいことなんですよ!」

 

「ならあんたには関係のない話でしょう! 女の子っていう年じゃあるまいし!」

 

「ああ!? 今何て言った!?」

 

 選択肢がほとんど半々に分かれているせいか、なかなか意見が纏まらない。というか段々と口げんかに移りつつあるようだ。

 

「どうしたもんかしらねえ……」

 

 頬杖を付き、琴里は一人呟いた。

 少なくとも③はない。空腹の十香を放置すれば、まず間違いなく精神状態に影響が出てしまう。となると①か②になるのだが、夕飯のおかずがハンバーグだったことを考えると、同じ肉よりはラーメンの方がいいかもしれない。しかしそれでは十香が満足する量には至らないのも事実だ。果たしてどちらにするべきか。

 

「ここは②にすべきでしょう。焼肉屋といえど平日の夜間なら空いていますし、二人きりでテーブル席に座れる筈です。それに焼肉屋のテーブル席は隣と仕切られていることが多いですから、よりよい雰囲気を作ることができます」

 

 琴里が悩んでいると、神無月が口を開いた。驚くべきことにまともなことを言っていて、しかも的確な分析である。顕現装置(リアライザ)で調べたので間違いはないはずだが、もしかすると雪ではなく雹が降ってくるかもしれない。

 

「ふぅん。珍しくまともなこと言うじゃない、神無月」

 

「お褒め頂きありがとうございます、司令。ちなみに補足すると、私はできたてのラーメンの熱さより肉を焼く鉄板の熱さの方が堪りません」

 

「士道、②よ。焼肉でも食べに連れて行ってあげなさい」

 

 やはり顕現装置(リアライザ)に間違いはなかった。どうやら誉める必要も無かったらしい。とはいえ発言は的確なものであったため、琴里は怪しい補足を無視して士道に指示を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……十香、焼肉でも食べに行くか?」

 

「おお、それはいいな! ちょうどお腹が空いていたのだ」

 

 十香は瞳を輝かせながら頷く。わざわざ口にせずとも空腹なのは知っている。

 喜んでくれて何よりなのだが、十香と違い常人の胃袋を持つ士道は空腹ではなかった。まあ夕食から三時間たっているので胃に多少の空きはあるものの、焼肉などという重いものを詰め込むのは到底無理そうだ。ここはお茶でも飲みながら十香が食事を終えるのを待つのが賢明だろう。

 そう決めた士道は、十香と共に住宅街を歩き始めた。もちろん手は繋いだままである。

 流石に昼間歩く道とは雰囲気が違う。暗い夜道に響くのは自分と十香の足音だけであり、あまりにも静かで少々不安になってくる。時折横を通る車やバイクの騒々しさが、妙に心地よく感じてしまうほどだ。

 

「しかしあれだな。本当に夜のデェトはいつものデェトとは違うな」

 

「そうだな。ちょっと静か過ぎて落ち着かないよな」

 

「む、そうか? 確かに少々静かだが、私は特に何とも思わんぞ?」

 

 答えが意外だったのか、驚いたような顔をしてこちらを見る十香。

 

「……何故だろうな、むしろ私はこの方が落ち着く。もしかするとシドーと二人きりでいるのだと、強く実感できるからなのかもしれないな」

 

 そして穏やかな口調で続け、繋ぐ手に力を込めてきた。まるでより強く温もりを感じようとしているかのように。

 夜なのでテンションがおかしいのか、再びインカムから<フラクシナス>クルーたち(恐らく琴里も含む)の口笛その他が耳に入ってくる。怒鳴り返したい所だが、十香との距離と周囲の静寂を踏まえると、小声でも間違いなく聞こえてしまうだろう。

 仕方なく士道は怒りと羞恥、そしてクルーたちの煽りに耐えながら歩き続けた。せめて十香が何か話してくれれば気が紛れるのだが、穏やかな笑みを浮かべたままほとんど喋ろうとしなかったため、あまり紛れることはなかった。一体何がそんなに嬉しいのだろうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ、すごい匂いだな……」

 

 店に入った途端、これでもかというほど焼肉の芳ばしい香りが押し寄せてきた。店先にも漂っていたが、やはり内部の方は比べ物にならない。空腹ではない士道にとっては、この香りだけでお腹いっぱいである。

 

「うむ、食欲が沸いてくるな!」

 

 店中に広がる香りと肉の焼ける音に刺激されたらしく、十香は今にも涎を垂らしそうな表情をしている。果たしてどれだけ食べるのやら。

 店内はそれほど混んでいないようだった。店の中心付近とカウンターに客が四、五組ほどいるだけだ。皆自分の席で肉を焼くのに忙しいらしく、士道たちの方を見る者はいない。しかし遠くにいた女性店員がこちらに気付き、すぐさま駆け寄ってきた。

 

「いらっしゃいませ。二名様ですね。テーブル席になさいますか?」

 

「あ、はい。じゃあテーブルで」

 

「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」

 

 案内されたのは店の隅にあるテーブル席だった。隣の席とは木版で仕切られていて、ちょっとした個室のようになっている。恐らくこの店員は士道と十香をカップルと勘違いして、気を使ってくれたに違いない。まあ勘違いされるのも無理はなかった。十香が手を離してくれないので、未だに手を繋いだままだからだ。

 

「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい。それでは」

 

 最後に妙に穏やかな笑みを浮かべ、店員は一礼して去っていった。冷やかしが面白くないのは言うまでもないが、これはこれで恥ずかしいものがある。

 

「流石に店の中は暑いな。これはいらぬか」

 

 席に座るなり、十香はマフラーを外した。店内は常に肉が焼かれている状況なので、換気しているとはいえ暖房がかかっているのと同じことである。マフラーをしていては熱くてたまらないはずだ。

 マフラーを横に置いた十香に、士道はテーブルに備えられていたメニューを手渡した。

 

「ほら十香。何か食べたいものあるか?」

 

「むう、どれもうまそうで迷ってしまうな……」

 

 メニューを広げ、真剣そのものといった表情で凝視する十香。この分では全て見終わるまで決まらないだろう。

 

「おお、これはいいな! シドー、私はこれにするぞ!」

 

 そう思いきや次のページをめくった途端、十香は興奮気味に声を上げた。

 

「早いな……何にしたんだ?」

 

「うむ! これだ!」

 

 見せてきたページにあったのは、とにかく巨大なステーキの写真。比較対象がないので分かりづらいが、厚みと幅が尋常ではない。どう軽く見積もっても百科事典くらいはありそうだ。

 

「時間内に完食すれば金子がもらえるのだぞ! どうだ、とてもお得だろう!」

 

 肉の異常さに目が行ってしまい気付かなかったが、確かにそのようなことが書かれている。三十分以内に完食すれば代金はただになり、賞金までもらえると。

 ついでに肉の重さは二キロあると書かれている。百科事典という例えは火力不足だったかもしれない。

 

『二キロを三十分か……十香なら楽勝ね』

 

「だな、話にならないぜ」

 

 とはいえ十香なら苦もなくたいらげてしまうに違いない。

 

「シドーもこれにしないか? とてもうまそうだぞ」

 

「いや、俺は腹へってないしいいよ。ていうか腹へってても食える気しないし……」

 

『お馬鹿。いくら十香でも士道が何も食べなかったら遠慮するでしょうが。後で吐いてもいいから無理して食べなさい』

 

「吐くまで食うこと前提なのかよ!?」

 

 慈悲の欠片もない琴里の指示。確かにいくら十香といえど、自分一人だけ食事をするのは抵抗があるかもしれない。二キロあるステーキを食べること自体に抵抗はないだろうが。

 

「そうか……では私だけ食べる訳にはいかんな……」

 

 案の定、おあずけをくらった犬のような悲しげな顔をする十香。

 これはいけない。十香に空腹を我慢させれば、間違いなく精神状態や感情値に乱れが生じてしまう。

 

「い、いや! 何か急に腹がへってきたな! やっぱり俺も食べようかな!」

 

 棒読みで不自然なことこの上ないが、幸い十香は不審に思うことはなかったようだ。沈んでいた表情を途端に明るく輝かせる。

 

「おお、そうか! よし、では私がシドーの分も頼むぞ!」

 

「へっ? いや、ちょっと待った十香――」

 

「おーい、注文だ! この大きなステーキを二人分頼むぞー!」

 

『残念、手遅れよ。覚悟を決めなさい、士道』

 

 制止が間に合わず、十香は店中に響くほどの大きな声で注文を口にした。当然ながらその声は他の客たちにも聞こえた訳で、こんな馬鹿げた注文をするのはどんな奴か一目見ようと、カウンターや仕切りの向こうからこちらを覗く顔がいくつも見える。最も多い表情は驚きだが、声の主である十香の姿を目にした途端、先刻に倍する驚きを示していた。

 

「嘘だろ……あんな可愛い子があの化け物肉を食べるってのか?」

 

「待て、決め付けるのは早い! ひょっとしたら一緒に座ってる男が食うのかもしれないだろ!」

 

「いや、あの子さっき二人分って言ったぞ。てことはやっぱりあの子も食うんじゃないか?」

 

「そ、そうか……いや待て! あの男が二人分食べる可能性もあるぞ!」

 

「君ら何大騒ぎしてんの? 大食いの女の子とかマジ最高じゃん。好みどストライクだわ」

 

 まあ彼らが驚くのも無理はない。士道も実際に十香が膨大な量の食事をしている場面を目にしていなければ、こんなにきれいでスタイルのいい子がとんでもない健啖家だとは露ほども思わなかっただろう。

 

「待ち遠しいな、シドー!」

 

「あ、ああ、そうだな……」

 

 嬉しそうな笑みを向けてくる十香。不安を忘れさせてくれそうなほど純真な笑顔だったが、残念ながら士道の不安は簡単には消え去らなかった。

 

「お、お待たせしました……こちらがご注文の品に、なります……」

 

 十分後、先ほどの女性店員が重さに両腕を震えさせながらそれを運んできた。心なしか顔色が悪い。まあ横に長い二キロの物体を片手に一個ずつ持てば当然だろう。

 

「おおっ!」

 

「おおぅ……」

 

 テーブルに置かれたすでに焼かれている肉を目にして、十香は感嘆の声をもらす。しかし士道の口からは絶望に近い呻きしか出てこなかった。

 やはり実物は写真とは違う。これは百科事典より一回りは大きい。皿ではなく鉄板に載せられているが、明らかに鉄板からはみ出ている。添えられたフォークとナイフが爪楊枝に思えるほど巨大だ。

 

「そ、それでは今から三十分となります。頑張ってください!」

 

 多少息を切らせながら言うと、店員はタイマーを押して去っていった。どうやら相当重かったようだ。少々申し訳なく思ってしまう。

 

「よし、食べようシドー! いただきますだ!」

 

「あ、ああ……いただきます」

 

 全く気が進まないが、注文した以上食べない訳にはいかない。フォークとナイフを手に取り、士道は改めてその肉の塊を見つめた。

 大きさに目が行きがちだが、とてもおいしそうに焼けている。肉の表面に焦げはなく、多少の差はあるが全体的に見事な狐色だ。未だに鉄板の上で音を立てている点も実に食欲をそそる。

 しかしどう頑張っても士道が食べられる量ではなかった。というかどこから食べればいいのかさえよく分からない。

 

「うむ。おいしいな、シドー」

 

「あ、ああ……」

 

 一口でかなりの量を食べていく十香に、反射的に頷く士道。気のせいか十香のステーキはすでに一割ほど減っているように見える。

 

『生返事ばかりしてないでさっさと食べたら? 冷めたら余計辛くなるわよ』

 

「こんなもの食えるか! 何だよこの医学書みたいな大きさの肉!?」

 

『そりゃあ二キロもあるから当然でしょうね。大丈夫、全部食べろとは言わないわ。半分で許してあげる』

 

「いや三食抜いてても半分いけるかは怪しいぞ!?」

 

『ごちゃごちゃ言ってないでとっとと食べなさい。十香に怪しまれるわ』

 

 冷徹極まりない琴里の命令。司令官モードになっているとはいえ、本当にこれが可愛い妹の言葉なのだろうか。あんなに優しかった(ような気がする)のに。お兄ちゃんはとっても悲しかった。

 しかしこのままでは十香が不審に思うのも事実だ。もう行けるところまで行くしかない。士道は覚悟を決め、二本の得物を携えて怪物へと挑みかかった。

 その十分後。

 

「ごちそうさまだ!」

 

 二キロのステーキをきれいにたいらげた十香が、満足そうな笑みを浮かべた。当然ながら店内はその快挙に騒然としている。

 

「はええ! まだ十分もたってねえぞ!」

 

「会話しながらで十分とか……フードファイターか何かなの?」

 

「フードファイター? やばいな、余計俺好み」

 

 遠巻きに見ている客達が何か言っているが、気にするほどの余裕は士道にはなかった。

 

「ははっ……早いな、十香……」

 

 無理に笑ってみるものの、胃の中の沸騰するような感覚は薄れない。

 もちろん士道は怪物を打ち倒すことなどできなかった。何とか四分の一程度は胃の中に押し込んだが、正直もう限界である。後一切れでも肉を口にすれば、確実にリバースしてしまう。というかすでに喉の辺りまで出かかっている。

 

「士道は少し遅いな。先ほどから手が止まっているぞ?」

 

「……実はあんまり好きな味じゃなくてな。食欲出ないんだよ」

 

 実の所非常にうまかったのだが、この際そんなことはどうでもいい。この悪夢のような食事を終えられるのならもうどんな嘘でもつく。そして最低でも一年はステーキを口にしない。

 

「む、そうだったのか……」

 

 納得したように呟く十香。しかしまだ何か言いたいことがあるらしく、ちらちらと視線を下の方に向けている。その先にあるのは、士道が食べ残した呆れるほど大きな肉の塊。

 まあ何が言いたいのかは考えれば分かるし、考えなくとも物欲しそうな顔をしている十香の顔を見れば十分である。

 

「……良かったら食べるか?」

 

「おお、食べる! 食べるぞ!」

 

 力いっぱい頷く十香に、士道は残ったステーキ(およそ一キロ半)を押しやった。『まだ食えるのか!』という声が店中から聞こえたような気がした。

 そして五分後。

 

「ごちそうさまだ、シドー!」

 

 一キロ半のステーキを完食した十香が、再び満足そうな笑みを浮かべた。四分の一へっていたとはいえ、食べ終わるのが先ほどより早いのはどういう訳なのだろうか。

 

「マジで食いやがった!」

 

「どうなってんのあの子の胃袋!?」

 

「あの少女こそ我が女神!」

 

「お前恋人いたよな、確か……」

 

 計三キロ半のステーキを制限時間の半分で食べ終えたことに、もはや客たちは驚きを通りこして動揺を露にしている。悲鳴に近い声が店中で上がっていた。

 

「満足したか、十香?」

 

「うむ。満腹ではないが、腹八分と言うしな。このくらいでやめておこう」

 

 流石十香だ。肉三キロ半をこのくらい呼ばわりするとは。客たちはもはや言葉も出ないらしい。

 不意にどこかから拍手が鳴り響き、士道は音のする方向を見やった。白一色のコック姿をした中年の男性が、拍手をしながら近づいてくる。その顔に浮かんでいるのは人の良さそうな笑みと僅かな悔しさ。たぶん彼は店長か料理長なのだろう。妙に長いコック帽が頭の上で揺れているのを見て、士道はそう判断した。

 

「いやー、まさかほとんど二人分食べる方がいるとは……しかもこんなに可愛らしいお嬢さんが……」

 

「あ、すいません。俺の分はちゃんとお金払います」

 

 テーブルまできて何故か嬉しそうに言う店長(そう決めつけた)に、士道は頭を下げた。あのステーキは一人で制限時間内に食べ終えなければいけないものだ。十香は見事それを成し遂げたが、士道が残した分はその条件に当てはまらない。

 だからこそ代金を払おうとしたのだが、店長は制するように片手を上げた。

 

「いえ、いいんですよ。久しぶりにいい食べっぷりを見せてもらいましたし」

 

「そ、そうですか……ありがとうございます」

 

 どうもこの店長は人がいいというか、随分と気前がいい。二キロ分のステーキの値段はどう軽く見ても辞書七、八冊分に相当していたというのに。

 もしかするとあのステーキは儲かるためというより、店長自身が楽しむためのものかもしれない。それなら嬉しそうな笑みを浮かべていた理由も納得がいく。

 

「どうです、記念に写真を撮りませんか? 完食できた方の写真をあそこに飾るようにしているんですよ」

 

「な、何!? 写真だと!?」

 

 店長の指し示す方向を見ようとしたのだが、十香が顔を真っ赤にして驚いていたため後回しにした。前にも教えたというのに、まだ勘違いしているようだ。士道は少々呆れながらテーブル越しに耳打ちした。

 

「いや、前にも言ったけど服脱ぐ必要はないからな、十香……」

 

「お、おお、そうだったな……よし! シドーも一緒でよければ撮るぞ!」

 

「ええ、恋人さんも一緒で構いませんよ。ではお二人ともこちらへどうぞ」

 

 どうやらカップルだと思われているらしい。否定しようかとも思ったが、十香が満更でもない表情を浮かべていたので止めておいた。精神状態が乱れる危険を冒してまで否定することではない。

 

「行こうシドー! 写真を撮りに行くぞ!」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ十香……」

 

 軽い身のこなしで席を立つ十香。しかし士道の方は腹が重くて立ち上がることができなかった。

 

『情けないわねえ……』

 

 そんな士道に琴里が優しい言葉をかけてくれることなど、当然ありえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお……写真というのも、なかなかいいものだな」

 

 感動したような声をもらす十香の手には、一枚の写真が握られている。もちろん焼肉屋で撮った士道と十香の写真だ。店に飾る用以外にも印刷してくれたのでもらっておいたのだが、十香は非常に気に入ったらしい。隣を歩きながら、ためつすがめつ見入っている。

 その様子を微笑ましく思いつつも、士道はどことなく寂しさを覚えてしまった。たった一枚の写真を大切そうに抱え、顔を綻ばせるその姿。それはまるで、あの七夕の日にいなくなってしまった少女のように儚く思えて――

 

『……士道、いつまでも感傷に浸ってないで、十香と何か話をしなさい』

 

 感情が顔に出ていたのだろうか。琴里は相変わらず命令口調だったが、声音には慰めるような優しさが感じられた。

 十香にも琴里にも心配をかける訳にはいかない。士道は微笑みを作ると、十香の顔を覗き込んだ。

 

「写真、そんなに気に入ったのか?」

 

「うむ。この写真を見ていると何というか、こう……胸が温かくなってくるのだ」

 

 こちらを見て答えた十香は、言い終えるなり再び写真に目を戻した。写真に写っているのは、満面の笑みでピースサインをしている十香の姿。そして十香に左手を抱かれ、恥ずかしそうに目を逸らす士道の姿。

 確かに微笑ましさで胸が温かくなりそうな光景が切り取られている。もっとも写真の中の士道は肉の詰め込みすぎで顔を青くしているので、微笑ましさより痛々しさが感じられた。ちなみに店に飾ってあった写真の多くにも、同じように顔の青い人たちが写っていた。案外あの店主は性格が悪いのかもしれない。

 そんな写真を大層気に入っている十香の純粋さに、士道は思わず苦笑した。

 

「ははっ。それなら写真立てに入れて枕元にでも飾ったらどうだ? 起きた時とか寝る前とかに見られるぞ」

 

「おお!? それは……いいな! 起きたらすぐシドーの顔が見られるのか!」

 

「あ、ああ、まあそうなるな……」

 

 予想以上の驚きと喜びを示す十香に、士道は少々気圧されてしまう。起きてすぐに士道の顔を見られることが、そんなにも嬉しいことなのだろうか。確かに寝起きに十香の眩しい笑顔を見られたら、とても爽やかな気分になれるかもしれない。しかし気分の悪そうな士道の顔に、そんな効果があるとは思えなかった。

 

「よし! では行くぞシドー!」

 

「えっ、ちょっと待てよ十香! 行くってどこにだ?」

 

 突然繋いでいた手を引っ張られたため、士道は尋ねた。振り返った十香は当然といった顔をして、なおも手を引っ張ってくる。

 

「写真立てだ! 写真立てを買いに行くぞ!」

 

「い、今からか?」

 

「善は急げだ! 行くぞシドー!」

 

「うわっ、ちょっ! 引っ張るなって十香!」

 

 はしゃぐ十香に手を引かれ、夜の街を駆けていく。その横顔に浮かぶ楽しさ全開の笑みに、士道は呆れの笑いをもらした。どうやら十香には儚さは無縁のようだった。 

 

 

 

 

 




 ちょっと見せ場が少ないような気もしますが、前編終了です。というかステーキ食べただけですね。何はともあれお疲れ様でした。短編集なのに毎回二部構成になっている気もしますが、それもたぶん気のせいでしょう。
 そういえばもうすぐ「デート・ア・ライブTwin Edition 凜緒リンカーネイション」が発売されますね。前二作を持っていなかったのでこの一本でとても楽しめそうです。できればゲーム版のキャラクターのお話も書きたいなぁ……でもそろそろ期末試験の勉強に集中しないと駄目か……。

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