遡ること、新人歓迎会の日。
実の所、レアは新人歓迎会があることを開始直前まで知らなかった。
何故なら新人歓迎会自体がボルセル大牙佐の思いつきによって当日に急遽決まったものであったからだ。
時刻は日の落ちた直後くらいの時間帯、レアはその日の仕事を終えて夜勤組と交代するために本部へと戻ってきていた。
双蛇党本部の受け付けにはいつもの様にボルセル大牙佐が立っていた、レアはいつもの様に彼に一言挨拶を交わす。
「ボルセル大牙佐、お疲れさまです」
「カトリィ中牙佐か」
ボルセルはレアが来たことを知ると一枚の紙を取り出し、微笑む様子で彼女へと渡した。
レアはボルセルから受け取った用紙に軽く目を通す、一見すると文章が何行も続いているが外見とは逆に内容はいたってシンプルだった。
「レアヌ・カトリィは現時点をもって中牙佐から大牙佐へと昇格することをここに認める……?」
「そうだ、正式な式は今後相互の予定を立てて行われるが、権限自体は今からだ。」
レアはあまりにも突然な事実に大きな戸惑いをその身に覚えた、何故私なのだろうかと、彼女には昇格される直接的な理由が一切思い浮かばなかったのだ。
レアがそんな事をひたすらに考えて頭を悩ませていると、ボルセル大牙佐がまた口を開いた。
「新人が明日から配備されるのは知っているな?実は今日制服の受け取りに来ている、カトリィ中牙佐の大牙佐への昇格祝いも兼ねて歓迎会をやろうと思う。」
「いえ、私は遠慮します」
レア自身は同僚とよく飲みには行っていたが、今回ばかりは状況を飲み込むのが精一杯で歓迎会に行く余裕などどこにも無かった。
「カトリィ、昇格に対して含むところがあるのなら飲みながら聞こう。それでは駄目か?」
ボルセルは少し落ち込んだ様子で案を出してくる、彼の中ではレアが昇格を喜んでくれると期待していたのだろう。
彼女は詳しい理由についてボルセル問う為、飲み会へ参加することとなった。
「カトリィ大牙佐、宿屋へ戻り私服へと着替えて来ても構わないが、このまま行くか?」
「現在クローゼットには寝間着と制服2着しかありません。最近の私服に興味はありませんので」
レアはとある理由から、休暇の日も双蛇党の制服を身に付けている。
その理由をボルセルは思いだし、小さな事で落ち込んでいた自分と何処か変な彼女に呆れていた。
新人歓迎会と昇格祝いの重ね合わせの飲み会は新市街にある冒険者ギルドの酒場で行われることとなった。
星の輝きがハッキリと見て分かる時刻、レアがボルセルと共に会場にたどり着いて辺りを見渡す。
会場には二人以外、新人達はもちろんの事、ボルセルとレアの同期達も参加しており、皆先に到着して各席についていた。
各テーブルには黒衣森で取れた食材をふんだんに使った豪華な料理と高級なワインボトルが並んでいる。
今回の飲み会における第2の主役の登場に、参加者達は夜の暗さを忘れてまるで昼間のような活気を見せた。
周りからは、真の主役のご登場だ、ボルセル大牙佐が珍しくナンパしてきたぞ、なんて言葉まで飛び交う始末。
呆れるような言葉の嵐、どう返せば良いのか分からないレアの代わりにボルセルが苦笑しながら、そこまでしておけカトリィ大牙佐が困ってるぞ、次の給料日は覚えていろ、等それぞれに合わせた代わりの言葉を適切に返す。
彼の有能さがこのような時にも証明された事に、レアは今後この人を越えることはできないだろうと改めて実感する。
その後レアとボルセルが席につくと、周りから乾杯の音頭を誰か取るか、という話題が生まれた。
カトリィ大牙佐ではないか、新人代表の誰かだろう、と各々が意見を口にする。
実のところレアにそんなリーダーシップはない、かといって新人達に初めて会う者の多い中でそれをやらせるのも酷な話。
彼女は先程のボルセルの有能さを思いだし、助けを求める形で彼に視線を向けた。
ボルセルはレアと目が合うと苦笑しながら任せろ、と目で答える。
皆が騒がしく会話をしている中、彼は一人席を立った。
ただそれだけ、なのにも関わらず皆の会話が停止する。
それはボルセルの有能さと信頼性が成せる彼だけの技。
皆が静まりかえって各々の想いでボルセルを見つめた、声が上がらないのは彼が乾杯の音頭をとる事に何の異論もない証拠だ。
中でもレアと新人達は大きな期待を寄せて注視する、彼女は自分を面倒事から救う英雄としての期待、新人達は目指すべき目標の姿としての期待。
期待を寄せられたボルセルはというと、自分の起立だけで静まりかえった会場に驚き、苦笑してしまう。
しかし、先程から苦笑ばかりしていたボルセルの顔が咳払いと共にスッと固くなる。
いよいよだ、と皆が緊張するなか、彼の口が重々しく開いた。
「皆も知っての通りだが、双蛇党にまた新しい新人が到着した。党員数は見ての通り3人ほどだ、今回はその歓迎会が主となる。」
その言葉に新人達が慌てた様子で全員起立し、綺麗だがまだ少しぎこちない双蛇党式の敬礼を皆に見せる。
ぎこちなさのお陰か、場の空気が少し和らいだ。
ボルセルは新人達が着席したのを己の目でしっかりと確認すると言葉を進める。
「しかしそれとは別でもう一つ大事な事が出来た。これも皆知っていることだろう、カトリィ中牙佐が本日付で大牙佐となった事だ。短い期間に二つも喜ばしい事が出来たため、急遽本日に祝いの席を取ろうと考えたのだ。」
本当に急遽だった、恐らく冒険者ギルドの酒場の席を人数分取ることも無理矢理行ったのだろう。
ボルセルが少々焦りつつも冷静に席を取る交渉をしている姿が皆の脳裏に浮かぶ。
「さて、長い話をしては酒も不味くなることだろう。もっと話すことはあるが、それは後に各員へ直接話すつもりだ。では最後に、新人とカトリィ大牙佐の今後の活躍を祈って……乾杯ッ!」
『乾杯!!』
本の少しの間静かだった酒場が参加者達の掛け声とぶつかるグラスの音を開始の合図として途端に騒がしくなる。
聞こえるのは会話の音、食器の音、食べる音。
時折、やっぱりボルセル大牙佐は流石だぜ、なんて言葉もレアの耳にはいる。
少しの間彼女が食事を取っていると、主役として挨拶周りをしろとどこからか声が上がる。
レア自身、持ち上げられることに抵抗はあったが、主役である以上安易に断ることも出来ない。
結局レアは、ゆっくり食べる暇もなしに参加者に挨拶回りをすることになった。
まずは彼女が話しかけたのはレアの同期達。
「お、来たかレア!くぅ、先に昇格しやがって!!」
「同じ時期に入ったくせに!羨ましいぞ大牙佐!」
皆笑いながら先を越されたこと事に嫉妬する。
「やめなさいよ、昇格なんて、仕事が増えて面倒なだけよ?」
レアも同期達につられて、笑いながら不本意なことをそれとなく伝えようとしたが、同期達は口々に給料が増えるから良いじゃないかと反論された。
「そう言えばボルセル大牙佐と一緒に来てたけど、何かあったの?」
「なになに?!もしかして、そういう関係!?」
少し話すと、皆もう酒が回ったのか、昇格の話題からズレ始める。
「っ!?んな分けないでしょ!?」
レアはこのままでは変な誤解を生みそうだと考え、その場を後にする事にした。
「なんだ、もう行くのか?」
「さっさと挨拶回り終わらして、私も食事したいのよ。それじゃ、次行ってくるわね」
次に彼女が話しかけたのはボルセルの同期達。
「お、来たぞカトリィ大牙佐の登場だ」
「そうか、あのひよっ子がここまで来たか。こりゃ不味いな、抜かれる。」
彼らは可愛い部下が自分達と並んだことに笑いながら優しい焦りを見せていた。
「年上の部下なんて嫌ですよ、もっと頑張ってください」
レアは年上の彼らにもっと頑張るよう叱咤するが、お前ほどの急成長は無理だとまた反論された。
「さて、そろそろ行きな。ボルセルと話がしたいんだろ?顔に出てるぞ。」
「む、もしかしてまだ昇格したりないのかコイツは?ま、ゆっくり話してこいや。」
少しの会話の後、レアの同期とは違って、ボルセルの同期達は自分達から話を切り上げる。
「分かりました、次行ってきます。」
流石年長者は違うとレアは感心しながら、その場を後にした。
次にレアが話しかけたのは新人達。
新人達は彼女の存在に気がつくと、全員席を立って敬礼をした。
「カ、カトリィ大牙佐!」
とミコッテの女性が焦りながら、
「お、お疲れさまです!」
とヒューランの男性が緊張しながら、
「お疲れさまです」
とララフェルの男性が普段通りと取れる様子で、
それぞれの言葉を口にした。
「楽にしていいわよ。それと現場でもここでも、会話の時間を極力減らせるようにレアって呼んで。堅苦しい敬語も私には不要よ。」
その言葉に新人達は安心したのか、力を抜いて席に着く。
そこからの会話はレアの仕事場での武勇伝披露会だったり、双蛇党の規則説明会だったりと、最初はあまりプライベートな事は話さなかった。
新人達はやっぱり緊張しているのだろう、ただ一人を除いて。
「カトリィさんは普段何してますか?」
ナンパ目的ではなく、純粋な興味心で聞いてくるララフェルの男性、イタバシ。
この時のレアは彼の不思議な雰囲気は酒の回りによるものだろうと、大して気に止めなかった。
「えっと、そろそろ私は行くわね。」
レアはある程度新人達と会話して、場の緊張が完全に解けたのを確認してからその場を後にした。
レアは最後に話しかけたのはボルセル、自分が昇格したその重大な理由を聞くために。
「カトリィ、来たか。」
ボルセルは祝いの席で話す内容じゃないと言いながら、彼女を連れて二人で祝いの席から離れた。
レアの同期達からはそういう仲なのか?というニヤついた視線が来るが、ボルセルは相変わらず大人の対応で受け流してくれる。
冒険者ギルドのテラスにて二人はワイングラス片手に話し始めた。
「私が双蛇党に入った理由を覚えていますか?」
「これからは階級が同じだ、敬語は止せ。」
皆の騒がしい声を背に二人はそれぞれのグラスを口にする。
「覚えているぞ。色々理由は言っていたが、一番の理由は色が気に入った、だったな。私服の持ち合わせがないのも制服を普段から着用しているからだな。」
「えぇ、制服の色が他のカンパニーより好きだったから。」
二人はレアの入隊当初の姿を思い浮かべる、当時の彼女は今の姿と大して変わっていない。
「分かるわよね?私の忠義心ここにいる皆より少ないわ、制服着たいから入ったって党員としては下の下よ。」
「あぁ、党員としてはな。しかし実力の話をすれば君は相当な実力者だ、実力で見れば昇格は妥当な判断だ。」
ボルセルが言っているのは現場の対応度の話、彼の観点では忠義心など二の次だった。
レアは話題を変えざるを得なくなる。
「聞き方を変えるわ、指揮官としての能力が私にあると思う?」
「無い」
ボルセルはポーカーフェイスで、たんたんと口にする。
言い方とその事実にレアは怒りを覚えた。
「ならなんで!」
「指揮の訓練だ。蛮族がいる以上、ここにいる者達もいついなくなるか分からない。分かるな?」
ボルセルは会場の様子に目を向ける、その表情はポーカーフェイスから悲しげな物へと変わっていた。
「私を自分の予備にするつもり?」
「そこまでは言っていないさ、だがここにいる私の同僚だけでは手一杯の時に働いてもらうつもりだ。」
上に立つ者の判断としては正解、しかし双蛇党としては不正解だと、レアは感じた。
「それを予備だって言ってるのよ。もう一度言うわ、貴方は冒険者を、いえ、制服好きで忠義の無い一般市民を自分と同じ指揮官にしようとしてるのよ?」
「カトリィ、お前の考えは否定しないさ。だが双蛇党は不老不死じゃない、いずれは人の移り変わりでお前のような人間が増えていく。」
その言葉を口にしたボルセルの表情は少し落ち込んでいた、自分でもこの行いが双蛇党としては間違っていることを感じているのだろう。
「もう十分よ、上と貴方の考えが聞けたから。でも勘違いしないで、貴方は何も間違えてはいないわ。これは私のワガママだしね。」
レアはボルセルが必要以上に落ち込まないように精一杯の言葉選びをした、それが彼に届くかは彼女には分からない。
けれども皆のもとに戻る頃には二人とも晴れた顔をしていた、思いの丈を吐き出せたおかげだろうか。
レアとボルセルが皆のところへ戻ると、何故だろうかそこは飲み比べ大会の会場になっていた。
辺りには空き瓶と人間が転がっている、その惨事に二人は先程の会話も忘れて呆れてしまった。
「霊災か何かじゃないのこれ」
新人達もレアの同期も全員参加したのか、皆酔いつぶれている。
意識を保ち残っていたのはボルセルの同期達だけ、しかも酔いすぎたのか皆気分が酷く高揚している。
レアは流石に止めなければと怒った様子で彼らに声をかけた。
「ストップストップ!何してるんですか!」
「お、遅いぞぉカトリィ大牙佐ぁ?」
向こうはレアの言葉に聞く耳持たず、あわよくば巻き込もうとしていた。
彼女が何か不味いと感づく前に、気づくとレアも飲み比べに参加していた。
実のところレアは酒に強くはない、負けず嫌いな彼女が酔い潰れるのはもはや時間の問題だった。
「良い飲みっぷりだぜカトリィぃ!」
「ばっかじゃないの?!本当に!」
口では飲み比べを否定するが、次々と出される酒瓶をらっぱ飲みするレア。
いつの間にか彼女の意識は遠退いていた。
気づくとレアはボルセルに宿屋のベッドで介抱されていた、彼女はその事実に大きなリアクションを取ろうとしたが、彼女の体と頭が思ったように動かない。
あの後歓迎会は残ったものと夜勤組の党員が潰れたものを送っていくという、なし崩しの形で終わりを告げていた。
ボルセルはベッドで横になっているレアに対して、上に立つ者としての実力はまだまだだと話始める。
彼女は上に立つ気は無かったと反論する元気もなく、彼の言葉を子守唄にして今度こそ深い眠りへと落ちていった。
「おやすみカトリィ、明日遅刻するなよ?」
「おやすみ……父さん……」
何故だろう、レアは眠りを誘うボルセルの姿に父親の影を感じていた。
「父さんか、そんな歳では無いのだがな。」