テイルズオブフェイティア〜宿命を運命へと変えていくRPG〜 作:平泉
ここは一体どこだ────?
アルスは目を覚ました。真っ暗な空間だった。鈍い痛みを頭に感じた。エーテルに最後にやられたせいだ。足を動かそうとしたが、ジャラ、と鎖の音がした。どうやら繋がれていて身動きができないようだ。そして果てしない暗闇。目隠しをされているらしい。手を動かそうとしてもダメだった。縛られている。それはそうと、体が熱っぽくてだるい。まだ体調は優れないのだ。
頭が、ぼーっとする。
(俺は、これからどうなるんだ……)
口にもガムテープが貼られて、喋ることはできなかった。そしてしばらくするとガタン!と音がして、アルスの体が揺れた。
(馬車、か?)
アルスは揺られている感覚と、聞こえてくる馬の蹄の音で、馬車に乗せられていると分かった。そしてしばらくして、馬車が止まった。ガラガラと扉が開く音がして、外の空気が入ってくる。
(スヴィエートか……!?)
アルスは一瞬で分かった。肌に感じる冷たい冷気。慣れしたんだアルスにはこの場所がスヴィエート、しかも雪の多く降る首都付近だと判断する。
「来なさい」
女の声が聞こえた。オリガじゃない。また別の、違う人物だ。アルスは足枷をとられ、腕の縄をグイッと引っ張られた。喋る事は出来ないため、素直にそれに従った。歩かされ、空気が変わった事で何かの建物に入った事が分かった。そしてまたしばらく歩かされ、何かに乗り込んだ時、その浮遊感で気づいた。
(っこれはエレベーター…?しかも、スヴィエート城の……!?)
長年住んでいた家だ。アルスは靴で床を擦り、確認した。この質感、恐らく間違いないだろう。エレベーターから降り、今度はどこかの部屋に連れていかれた。そこでいきなり強く背中をドンッと押されてアルスはうつ伏せに倒れ込んだ。
(っ!)
手荒いな、と内心思いながらも、手も縛られていて、目隠しだ。アルスは大人しくせざる負えない。
「これが例のモノよ」
アルスを連れてきた女性が、相手に何かを手渡した。彼女はそれを満足そうに眺めて首につけた。そして、
「ご苦労、貴方は下がっていいわ」
と言い下がらせた。
(っこの声は!?)
アルスの耳に飛び込んできたその声。アルスはグイッと後ろの縄を引っ張られ、膝をつかされながら起こされた。前のめりになるが、後ろの手の縄がしなり、無理やり前を向かされる。アルスの手に縄の跡ができた。
「目と口を開放してあげなさい」
「はい、母上」
2人の声に、酷く聞き覚えがあった。自分の目隠しと口のテープが取られた。徐々に明瞭になっていく視界。その目に飛び込んできた人物は─────
「サ、サーチス叔母様!?」
アルスは喫驚仰天した。あまりの展開に絶句し、言葉が出てこない。そしてここは、そう、謁見の間だった。
「アルス、待っていましたよ」
玉座を背に、そう言うサーチスは、雰囲気も、姿も全くと言っていいほど変わっていた。長い白髪をポニーテールにしていたが、今は髪の毛を下ろし、いつもかけていた眼鏡はかけていない。琥珀色の垂れ目がはっきりと見える。青色を基調とし、銀のラメが入っているトップスに、下は真っ白のマーメイドドレス。そして首はいつもしていた金のネックレスではなく、雫型の澄んだ水色のネックレスに変わっていた。アルスは目撃していなかったが、それはロダリアがカヤから取り返した時の四角く歪で無骨だった氷石とは形は違うが、全く同じ色をしていた。そして、過去でフレーリットが所持していたあのひし形の物とまた形は異なるが、とてもよく似ている。
とにかく、アルスがいつも見る厳格な雰囲気を漂わせ、それでいて聡明そうな、普段の叔母の様子からは計り知れない程、妖艶で美しかった。
「な、何で、叔母様が!叔母様が俺をここに連れてきたのか!?」
「そうですね、その通りです」
アルスは後ろを振り返った。自分の縄を持っているのは、また顔見知りだった。母親と同じ白い髪に、琥珀色の瞳を冷たく光らしている。サーチスの息子にして、アルスの従兄弟のアロイスだった。
「アロイス!これは一体何の真似だ!?」
「うるさいな。お前は今、そんな口を聞ける立場じゃない」
アロイスはそう言うと足でアルスの背中を踏んだ。
「っぐぁ!」
そしてまた手首の縄を引っ張り、違う方向を向かせた。そこには光の帯がカーテンのようになり、何かを隠していた。サーチスが指をパチンと鳴らすと、そのカーテンがバサッと降りた。そこには─────
「ッハウエル!!マーシャ!!」
何かの光術で、2人は光の鉄格子の中に閉じ込められていた。手首と足首を縛り、口にも何かの術をかけられているのだろう。光の帯が猿轡(さるぐつわ)となり2人の唇に巻かれていた。
「んんん!!」
ハウエルもマーシャも苦しげにアルスを見つめた。
「2人に何て事してるんだ!?早く解放しろ!」
「だから、お前は今そんな事が聞ける立場じゃないって言ってるだろ!!」
「どうゆう事だ!っやめろ!何する!?ハウエル!マーシャ!」
アロイスは無理やりアルスを縄で引っ張ると、その光の鉄格子の少し前まで誘導した。2人の悔しそうな表情がアルスの目に映る。
「2人共!大丈夫か!あぁっ、何で、どうしてこんな事に…!」
アルスはサーチスを睨んだ。
「何してるんですか叔母様!?っ俺はスヴィエート皇帝だ!こんな事が許されると思っているんですか!これは立派な反逆罪だ!軍は何をして……!」
「果たして、本当にそうですか?」
サーチスは嘲り笑った。
「な……に……?」
アルスは予想外の答えに狼狽えた。
「ロピアスと平和条約が結ばれた事で、スヴィエート国民に少しでも反対がないとお思いで?」
「っどうゆう……!」
「わかっていないようですわね。7代目、ツァーゼル皇帝から続いた人種主義。ここスヴィエート。特に身分制度を含め、差別を正当化するその考え。悲しいことに、人間は差別し、その対象を卑下し、抜かれたくないと争う事によって成長していくのです」
サーチスはアルスを見下し、続ける。
「スヴィエートにとって、今まで仮想敵国はロピアスでしかなかった。当たり前ですね、ほんのつい最近まで戦争になりかかったのですから」
「ッ…!」
「いくら先代の平和主義政策を引き続こうか、何もかも付け焼刃の貴方には到底及ばないのです。先代だって昔は超合理主義で、スヴィエート人以外なんて、人間以下だと思っていらしたわ。貴方の父、フレートはね。しかしあの人には、説明のしようがない圧倒的なカリスマ性があった。だから皆信じて突き進んだ。でも、あの人のような、この人に付いて行きたいと思わせる事を微塵にも感じさせない貴方なんかに、平和条約、平和主義などと言う馬鹿げた政策、務まるわけが無い」
フレート。スミラが呼んでいたあだ名だ。サーチスは、ごく当たり前のように父の名をそう呼んでいた。
「っ、そんなのは、俺が一番よく分かっています!俺が父に劣っている事も!」
「フン、どうしてお前について行きたくないか、分かるだろ?おいおい忘れた訳じゃないよな?なんたってお前の母親は…」
アロイスがそう言い、アルスの髪の毛を掴み、ぐっと下げて俯かせた。
「あの裏切り者、スミラだ!!」
「ッ!!」
それを聞いた瞬間アルスの目は大きく見開かれた。そう、これは呪いにも近いアルスの生まれながらの宿命だ。超カリスマ性を持ったスヴィエートの英雄、フレーリットを父に持つという反面、スヴィエートで最も忌み嫌われる行為、裏切りという行為をした母、スミラを持つ。彼女は、そのスヴィエートの英雄を殺したのだ。国家を裏切った大罪人だ。
「父親が立派で、多少その七光りのお陰で!表面上は上手く事は運んだんだろうよ!でも、反対勢力がいるのも事実だ!リザーガのようにな!お前があのスミラの息子なら、愚息だと思われても仕方ないだろうよ!!」
アロイスはアルスの髪の毛を強く引っ張りながらそう言う。サーチスはアロイスの言葉に頷いて、
「そう、貴方はどうあっても、その宿命を背負い続ける。なら、そんな宿命など捨てて、生まれ変わればいいのです」
と言った。
「生まれ……変わる……?貴方は何を言って……」
アルスはその訳のわからない事に、思わず聞き返した。突然サーチスは指一本、檻に向けて振った。
「私が、生まれ変わらせてあげる…!」
そう言って、術が操られた。ハウエルがくわえていた猿轡を光の槍へと変え、それを彼に突き刺した。口が自由になり、悲鳴が上がる。
「っぐぁぁああああ!?」
アルスはハウエルのいる檻へと素早く振り返った。
「っハウエル!!何してっ!?」
アルスはサーチスのやっていると思われるその行為に絶句し彼女を睨みつけた。
「うっ、うぐぁああああ!?」
貫かれた槍から電流も流れ出した。ハウエルの服からじわりじわりと血が滲み始めている。
「んんんん!!」
マーシャは涙目でその兄の姿を見つめた。
「やめてくれ!!何で!どうしてこんな事が出来るんだ!?」
「あぁ、やっと計画が始められる…!」
叫ぶアルスをよそに、彼女は恍惚の表情を浮かべ、両手を広げ天を仰ぐ。そしてぐりんと体制を戻すと、
「アロイス!」
と、名を呼んだ。呼ばれた彼は頷き、鉄格子に更にアルスの顔を近づかせた。そしてまたサーチスが指を鳴らすのが聞こえたかと思うと、今度はマーシャの猿轡が光の鎖へと変形し、それは首に勢い良く巻き付いた。
「っマーシャ!!」
「っ、ぅっ、あっ!?」
マーシャはギリギリとそれに締めあげられ、やがて宙に浮かんだ。彼女は必死に抵抗し、前で縛られた手首をこれでもかと動かし、指で苦しげにカリカリと首を引っかき回した。その光景を、アルスはまさに目の前でそれを見せつけられている。
「っやめろ!!やめて下さい!!お願いします!!やめて下さい!!」
あまりに卑劣な行為。見るに耐えられず、アルスは涙を流し、上を見上げてサーチスに懇願した。サーチスはその目を見るとハッとして唇を噛み、
「憎たらしい、あの女のその目つきにそっくりだわ…!」
と言って、指を鳴らしハウエルにもう一本槍を刺した。
「っぎゃぁあああぁあああ!!!」
「は、っ、ぁ!ルエンス……様!」
「ッハウエル!!マーシャァ!!」
サーチスは手を握り締め、彼らが死なぬように、苦しみが長く続くように術を操った。
「大人しく私の言う通りにしなさいアルス、私が貴方を、変えてあげるわ」
「だからさっきから生まれ変わるとか、何言ってるんだ!?2人を、2人を助けてくれ!」
アルスは首を左右にぶんぶんと振って答える。
「どうあがいても、裏切り者スミラの息子という汚名は着せられる!けれども、貴方はあの英雄、フレートの息子でもある!」
「それが何だって言うんだ!!!」
2人の悲鳴を背に、アルスは叫ぶ。早く解放して欲しい。彼らを傷つけないで欲しい。それだけを願っていた。
「アルエンス、様っ……!」
「っか、ハッ……!」
マーシャはもう限界に近い。アルスの額にじわりと汗が流れた。
「2人を解放して欲しいですか!?」
「頼む!お願いだ!!このままじゃマーシャが、マーシャが死んでしまう!!」
「なら!!私の命令に従いなさい!!」
「っダメですッ、アルエンス様っ……!彼女はっ、サーチスはっ……!うっ、がぁああ!?ダメだッ、アルッ、エンスッ…!」
ハウエルは苦しげにアルスを止めた。しかし同時に、妹マーシャの様子も見る。マーシャは息苦しさに涙を流し、口からは涎がだらりと垂れた。
「私に従え!!そうすれば2人の解放は約束するわ!」
「っく………!」
アルスは奥歯を噛み締めた。どうして2人がこんな目に遭わなければならない?仲間達もあんな傷つけらた。それは全部、全部俺のせいなのに。彼らはちっとも悪くないのに。俺が、俺が従えば彼らは救われる。俺が、いっときの間だけでも命令を聞けば!ならなぜ迷う必要がある?2人は俺の家族じゃないか!!
「ア゛、アル、エッ……ンス……」
マーシャの呻き声がアルスの耳に入った。サーチスは追い詰めるように、叫んだ。
「さぁ!?」
「っ分かった!!貴方の!貴方の言う通りにする!!」
「少しでも命令に違反すれば、2人はすぐに殺す!!他の関係のない者も、大勢ね!?」
アルスの脳裏に、仲間達の姿が走った。それに、他の召使い、自分によく尽くしてくれた軍関係者、そしてスヴィエートの国民。一体今この国が何がどうなってるのか分かりはしない。でもこれだけは分かる。サーチス、彼女がスヴィエートの覇者にならんとしていることだ。全てを人質に取られていると言ってもいい。悔しいが、今俺にはどうすることも出来ない。出来ることは、一時的だけでも彼女に従い、被害を甚大にさせない事。救える命なら…!
2人を、家族を殺したくはない!!
「従います!!貴方の言う通りにします!!だからっ………!」
「私に全てを捧げますか!?」
「2人を助けてくれるなら何でもする!俺はどうなっても構わないっ!関係のない人達には手を出すなっ!だから、だからお願い…っします……、どうか……!」
アルスは声を枯らして叫んだ。2人はアルスにとっての親代わりだった。幼い頃から一緒で、血は繋がっていないが、本当の家族のようだった。祖父と祖母が生きていたら、こんな感じなんだろうなぁと思っていた。
アルスは、彼らに育てられたも同然なのだ。
サーチスは今のそれを聞くとにやりと笑い、2人の術を解いた。マーシャは落とされ同時に咳き込み、ハウエルの悲痛な声も一旦やむ。彼女は檻に手をかざし、光のカーテン、光の猿轡を作り出す術を再び彼らにかけながらアルスへと歩み寄った。アルスは嗚咽しボロボロと涙をこぼした。惨めで、情けなくて仕方なかった。自分の無力さをこれほど嘆いたことはない。
「貴方はっ、これ以上、俺から何を奪いたいんだ……、地位か?名誉か?俺は仲間達とも離れ離れになって……。なぜこんな事をする?何が望みだ…?どうして、いきなりこんな事を?」
サーチスは黙って聞いていた。アルスは涙で顔がくしゃくしゃになる。
「俺が、憎いのか…?裏切り者スミラの息子が……、それほど憎いのか………?」
「そうね…、憎いわ」
サーチスはアルスの顎を履いているヒールの先ですくい、静かに見つめた。
「なら、俺はどうすればいいんだ……、何がしたい?俺は、一体何をすればいい?何をすれば許してくれる?何でっ、何でっ、どうしてこんな事をする……?」
アルスの目に光が消えかかっていた。絶望的な状況。抵抗する意思など、今はとっくに消え失せていた。ただこれだけは聞きたかった。なぜこんな事をするのか。納得がいかないまま終わらせられるのはごめんだ。
「私の望みはただ1つ………本当のあの人の復活……」
「………本当の、あの……人……?」
もう深く考える気力もなかった。元々体調はすこぶる悪い。思考力は著しく低下している。
サーチスはしゃがみうなだれるアルスに視線を合わせ、艶をきかせた猫なで声で言った。
「ねぇアルス、フレートに劣っていると思うなら────」
彼女の瞳が、ギラリと光った気がした。そして、静かに、しかしはっきりとこう言った。
「フレートになればいいのよ」
「っは………?」
アルスは、一瞬幻聴かと思った。何を、何を言っているんだこの人は?
しかし一瞬、あのとてつもなく濃い光景が頭に浮かんだ。そう、過去へ行き見たもの。部屋一面がフレートの写真だった、その光景。
「私が、貴方をフレートにしてあげる」
「…………何………言って…………」
ぞわりと鳥肌がたった。あの部屋の持ち主が、今確かな確信を持って分かったのだ。彼女は艶めかしい表情で、語り始めた。
「あぁ、愛しの人……可哀想に、今から私が貴方の、スミラなんていう女が存在しなかった人生を作ってあげる。心から愛してた彼女に裏切られた悲しみは、辛く、痛かったわよねぇ?」
「おば………様………?」
アルスは、サーチスの言動が全く理解できなかった。一体俺に何をしようとしているのだ彼女は。けれど、その言い様のない何かとても愛憎溢れ、そして狂気じみた雰囲気だけは感じ取れた。
「ふふっ、まぁアルス、貴方はどうせここで終わりだから教えてあげるわ」
サーチスはアルスの耳元に口を寄せ、こう囁いた。
「フレートを殺したのは………私よ」
「っえ………!?」
アルスはその衝撃的発言に体を大きく仰け反らせた。涙も止まる。ただ驚き、叔母の目を見つめた。もはや、その妖艶な笑みはアルスにとって恐怖そのものにしか見えなくなった。サーチスは続ける。
「スミラに狂わされた、途中で偽者の、別人と化してしまったのフレートの人生に、終止符を打ってあげたのよ。あの女の手で殺されたんだもの。焦燥、絶望、困惑、そして…、恭悦、至福に満たされ、胸はいっぱいだったでしょうね」
「貴方が………父を、殺した!?でも、父を殺したのはスミラだって……!?何が、一体…、一体それはどうゆうことだ!?」
喚くアルスをサーチスは完全に無視する。
「でも安心して?今からもう一度貴方を作ってあげる。私は貴方の理想世界を作る手伝いをする伴侶となるのよ。昔語ってくれた貴方の夢、共に叶えましょう?前はきっと、スミラに悪い夢を見せさせられていたのよ。感謝してよね?私が覚まさせてあげたんだから。そして、今へ、現代へ蘇るのよ。私と…、未来永劫共に生きましょう?フレート…!」
サーチスはアルスの顎を手で愛おしそうに撫でてすくって、顔を見つめた。
「フレー、トって……、何、何言ってるんだ……?俺は、俺はアルス、だ、ぞ?」
声を震わせて半泣き、そして半笑いで言った。冗談だろう?意味不明な言動に彼はただただ戦慄し、全身を震わせた。冷や汗が滴り落ちる。喉もカラカラだ。
サーチスはアルスの両目に手を横にし、かざそうとした。
戦(おのの)く体が、本能が、逃げろと叫んでいる。ダメだ、怖い、嫌だ、この人に捕まったら、俺は、俺という存在が消えて、死んでしまう!!
アルスは恐怖に耐えきれず叫んだ。
「っひっ、あっ、あああぁあっいっ、嫌だやめろ!?来るな、さ、触るなァ!」
「大丈夫よ、何も心配はいらないわ。だってもう、私は何よりも完全な力を手に入れたんだもの」
「い、嫌だ!!やめろ!?俺はフレーリットじゃない!!フレーリットになりたくもない!!うっ、うわぁあああ゛あ゛ぁあ゛ぁあ゛あああ!!!」
ピタッと手で両目を覆われ、アルスは完全に視界を絶たれた。あまりの恐怖に総毛立ち、歯もガタガタと震えて鳴る。手足はそのまま痺れ、少しも動けない。サーチスはまるで我が子の、赤ん坊に語りかけるように優しい声で言う。
「さぁ、お別れよ。あの女の、憎き息子。愛する人によく似た、私の甥っ子。おやすみ、ゆっくりお眠り」
「やめっ…………っ!?」
アルスはそう言われると、彼女の手から発動された術によって眠りに落ちていった。フッと、サーチスの肩に倒れ込んだアルス。アロイスは、その狂気的な光景に、全身を震わせた。ただ傍観せざる終えなかった。
「貴方はもうお下がりなさい」
「っ、は、はい……」
アロイスは素直に従わざるおえず、急いでその場を立ち去った。母の目、まるで自分を見ていなかった。何もない、何も映ってなどいない、ただ、無。息子を見る目じゃない。
「─────僕は、どうすればよかったんだ……、誰か、誰か教えてくれよ……」
アロイスの嗚咽交じりな声が、ただ静かに廊下に響いた。
それから1ヶ月後──────
とある実験室に横たわるその体。彼女はそれを見ると、予想以上の結果にほくそ笑んだ。左手で首にかけている水色雫型のネックレスを触ると、やがて彼の頭を愛おしそうに撫でた。
「素晴らしいわ、流石マクスウェルの力ね……!あぁ、20年越しの夢がついに叶うのよ……!」
「………………」
彼のすっかり憔悴しきった体。虚ろで廃人のような瞳。目の前で不気味に、そして、とても無邪気にも見える笑いを浮かべるその人が、もはや今は何も感じさえしなかった。いや、何も感じられなかった。
「おやすみなさい……フレート……」
彼女はそう言うと、また1ヶ月前のように、彼の両目をゆっくりと手で覆い隠した。実験室に横たわる体。その髪の毛は黒紫色に染まっていた。記憶という記憶は全てが曖昧になり、もはや自分がもうどうなっているのか、何なのかも分からなかった。
俺は何してたんだっけ…、家族はいたんだろうか…?何でこうなったんだっけ…?ダメだ、さっぱり分からない。
あぁ、なんかもう、何もかもどうでもよくなってきた─────。
理想通りのフレーリットがいないなら作り出せばいい(狂気)
息子は当然のように遺伝子配列が似ているし、記憶も一部継承している、なんと好都合な生贄でしょう。
愛とはこれ程歪んでしまうのか。