テイルズオブフェイティア〜宿命を運命へと変えていくRPG〜 作:平泉
手についた血をバッと払い、ホレスはそう叫んだ。頬の傷は綺麗に治っている。もう間違いない。それは紛れもない治癒術であった。
「なっ…!お…まえそれ!」
ハーヴァンは口をパクパクとさせながら、指をさした。
「俺は!
「な…何言って…」
「もう貧しい思いをせずにすむんだ!大吹雪や飢え、流行り病でいつ死ぬかも分からない、そんな恐怖におびえることのない人生を!俺は獲得する!」
ホレスはそう独白し、再びナイフを構え立ち上がった。
「だから邪魔を…するな!」
「っ!!」
刃が確実に急所の首中心部分、喉に向かって突き出されるを避けると、自分の髪がわずかに切られはらりと空中に舞う。そのまま横に斬撃を繰り返しかなり危ない。相手は刃物を持っている。ならばこちらも刃物で応戦するしかない、後ろに壁が来て追い詰められる前に…、後退しつつ、頃合いを見てハーヴァンは素早くいつも懐に携帯しているバタフライナイフを取り出し、折りたたまれているナイフを遠心力で抜刀し、逆手で持ち顔の前で構えた。
「やめろ!それ以上危害を加えるつもりなら、こっちもその気で行くぞ!!」
「ハッ、来いよ。お前のその護身用でしかないバタフライナイフで切られた傷なんかどうせ致命傷になりやしないんだ。俺のさっきの術を見ただろう?俺は普通の人間とは違う。治癒術が使えるんだ!お前のそんなのなんか、ただのおもちゃのナイフにしか見えないね!」
「くっ…そ!」
ヒュン、と空気を切る奴のナイフは片手サイズではあるがしっかり殺傷力がありそうな代物。裏路地にわずかにある光結晶ランプで照らされた光でギンと光るそれは、奴の凛とした殺意を表しているように見えた。とにかく落ち着かせなければ、それに理由も訳も分からずこのまま殺されるなんて何一つ納得できない。説得もかねて、ハーヴァンはホレスに語り掛けた。
「おい、おいってば!落ち着けよ!何でそんなに俺を殺したがるんだよ?えぇ?何がお前をそんな風にしちまったんだ!ずっと仲間だったじゃないか!苦楽を共にして!イーストの連中とバカやって、同じ釜の飯を食った仲間、俺の相棒だっただろ!」
「だから何だ?ずっと一緒にいたから、仲間だから、相棒だからと言って俺がお前を裏切らない保証なんてどこにあった?それはお前が勝手に思い込んでいただけだろう!」
「なんで…なんでだよホレス!この前の倉庫襲撃だって!上手くいったじゃないか!1週間は生き残れるって言って喜んでいたじゃねぇか!」
「
「ざっけんな!ちいせぇガキの面倒を進んで見てきた野郎が!今更何勝手抜かしてんだよ!それはお前のエゴだろ!集団で生きるには必要な事だ!分かんだろ!」
「小さいガキの面倒を見てきたのだって、いつか俺の役に立って使える駒にしておく布石でしかない!お前とガキ達が勝手に思い込んでいただけだ!俺に懐いていた顔のいい女のガキだって!俺とは別のグループの売春用に今頃売り飛ばされて、俺の金になるんだ!ハハハハハ!!」
変わり果て人間として最低な事を言い放ち、腹を抱えて笑い出すかつての相棒。ハーヴァンは奥歯を嚙み締めた。ふつふつ湧き上がる怒りの感情をぶつける為にこいつの腐った根性を叩き直すために。思いっ切り振りかぶり、奴の顔めがけてバタフライナイフを奴に投げつけた。
「っうわっ!」
まさか近接戦闘用のバタフライナイフを投げられるとは思っていなかったのか、壁にビィンと突き刺さる刃を見た。その予想外の出来事に隙を見せた瞬間、
「ホレス!!!このっ!!クソ野郎がぁああああ!!」
「がっ!?」
ハーヴァンの右ストレートがホレスの頬に直撃し、左手でそのままひるんだ奴の右手首に払うように手刀を落とし込みナイフを地面に落とさせた。そのままナイフをめいいっぱい蹴り飛ばした。地面をスライドしながらカラカラと転がるナイフは、マイヤの目の前で止まった。
「マイヤ!!それでロープを完全に切ってここから逃げろ!!」
倒れこみうめきを上げているホレスを見つつ、ハーヴァンはマイヤに指示した。
「お兄ちゃん!!」
「早くしろ!!黙って兄ちゃんのいう事を聞け!!そのナイフも持って逃げるんだ!」
「うん…うん!」
元々聞き分けのいい子だ。マイヤは言う通りにし、手足にまかれたロープを完全に断ち切り自由になると、ナイフの柄をぎゅっと握りしめ中心街の方へと駆けだした。
「ここには絶対に戻ってくるな!!何があってもだ!!港にあるスヴィエートプライベートシップって書いてある船を探して保護してもらえ!お前は文字が読めるだろう!」
「わ、分かった!!」
「ま、待て!いって…、くそ!!」
殴られたときに口を切ったのか、端から血が垂れている。それを押さえながら逃げる妹に手を伸ばしたがそれは空を切った。素早く離脱した妹を見送り、次はサイラスに指示を出した。
「サイラス!!」
「はっはいぃ!?」
目の前のガチ喧嘩にぶるぶると震え、切られた左肩を押さえ縮こまっている情けないサイラスにハーヴァンは怒号を浴びせた。
「立て!!このひ弱野郎が!肩を切られただけで死ぬ奴はいねぇ!テメェが首に巻いてるマフラーガチガチに左肩に巻いてでもいいからとにかく止血して、今すぐ妹を追いかけろ!」
「なっ!?ひっ、酷くない!?僕君を庇ってこうなったんだろう!?」
ぴぃぴぃヒヨコのように震えた涙声で口答えするサイラスの右腕をつかみ、ハーヴァンは無理矢理立たせた。サイラスはひぃいっと情けない声を上げた。
「うるせぇ!!説教と礼なら後だ!分かんだろこの状況が!お前はここにいても何の役にも立たない!だから!妹を…マイヤをどうか頼む!!これは俺の問題だ…、俺はお前の事を本当にお荷物だなんて思ってない!お前はお前のやるべきことを事をやれ!荷物は荷物なりにできることがあるだろ!」
「……分かった…分かったよハー君っ!」
コクコクと頷き理解したサイラスを確認するとハーヴァンは投げ捨てるようにパッと手を放し、ホレスに向き直った。
「僕は必ず戻ってくる!マイヤちゃんを保護して安全を確保したら!必ず戻ってくる!だからそれまで!頼んだぞ!」
マイヤちゃーん!どこー!?と涙声のヘタレた叫びを呼びながら離脱する声が耳に入った。治癒術がすんだのか、完全に元通りに回復したホレスは立ち上がった。
「ハッ…、相変わらずの…、リーダーシップだなぁおい。的確な指示を出して、被害が関係ない奴にいかないようにする。やっぱりお前はイーストスラムのリーダーだよ。いっつも1人で抱えて、それをあっさりと乗り越えちまう。まさにリーダーの器だ」
「なら俺の指示も聞いてもらえないか、ホレス。俺はお前と戦いたくない」
ハーヴァンは壁に突き刺さったナイフをグッとひっぱり抜いた。ここには俺とホレス以外誰もいない。何も遠慮することはなかった。
「ははは、形成逆転ってか?」
バタフライナイフを突きつけられ、ホレスは自嘲気味にこの状況を笑った。
「そうだな。俺は今武器を持っていて、お前は持っていない」
「舐めんなよクソガキが!俺はお前より年も上で!身長も体のつくりも上なんだ!治癒術だって使える!どのみち持久戦になったらお前に勝ち目はないんだよ!」
「んなのは言われなくても分かってんだよ。だから何だってんだ。それは
ホレスのこめかみにがピクリと動いた。ハーヴァンはそのまま続けた。
「何故なら俺はお前より強いからだ。強いから、年上のお前出し抜いてイーストスラムのリーダーはってんだ。お前こそ舐めるなよ、治癒術しか自慢になるモンがねぇ臆病者が。ホントの喧嘩なら治癒術なんて捨ててかかってこいよ。この搾りカス野郎。お前なんてちっとも怖かねーんだよ雑魚が」
バタフライナイフをプラプラと振り回し、煩わしそうな顔をする奴に見せつけるように、音も立ててやった。
「どうした?ホラ来いよ。それとも、武器がないと不安か?自分の力が信じられないのか?だからお前は二番手なんだよ。えぇ?それとも昔の、年下の俺に喧嘩で負けたトラウマでも残ってんのか?怖いんだろう?そうなんだろ?か弱いホレスちゃんよぉ!?」
「こいつっ…このっ…ハーヴァンー!!」
よし、かかった!!
右手のバタフライナイフを素早く折りたたみ握りしめると、ハーヴァンは直線的にストレートに殴り掛かってきた奴の行動を完全に見切り、殴られる直前姿勢を低く左よりにしゃがみ懐に潜りこみ、顎に向かって右拳でアッパーカウンターをかました。
「かはっ…!」
顎を砕けまではしなかったが、奴の歯が空中に吹き飛んだのが見えた。喧嘩で俺に勝とうだなんて100年早い。見事なまでに挑発に乗ってくれたホレスに感謝した。再び倒れこんだ、ホレスにそのまま馬乗りになり、治癒術が使えないように、ハーヴァンは右手のバタフライナイフをパチンと開くと、ホレスの左手の平に突き刺し磔にした。
「ぐっああぁぁあああ!?」
「フンッ。勝てねぇ喧嘩吹っ掛けるからだ。それと妹に危害加えた分、俺は容赦しねぇぞ」
そのまま右手は自分の腕で押さえつけると完全に治癒術は封じられた。
「ちくしょう…ちくしょう……この…悪魔が!」
「あ?ウエストのあだ名か?負け惜しみか?どっちだ?まぁいいこのままサイラスが戻ってくるのを待つだけだ」
「離せこのっ!」
ホレスはまだ抵抗し、暴れるがハーヴァンは押さえつけた。
「よせよ。それとも寝技かけられたいのか」
「うるさいうるさい!!この悪魔!鬼!!外道!」
「んだよ悪口大会か?」
「っ…このっ!人殺し!!!」
「なっ――――――――――――――!!」
ハーヴァンの脳裏に、あの日の夜が過った。暴れる手が、徐々に動かなくなっていく光景。声を出されないように必死に口をふさいで、本当に苦しそうにもがき苦しむ幼い弟――――――――。
「……お前と初めて出会って戦った時から、俺には分かった。お前は明確な殺意を持って誰かを殺したことがあるだろう。どんな状況下であれ、ストチルでも人を殺したら独房にぶち込まれるって分かる。人間にとってそれは禁忌だからだ」
「なんだよ…何…言ってんだよ…」
思わず上ずった声が出た。焦りが声に出てしまった。ハーヴァンはしまったと思ったが遅い。図星だという事が一瞬で分かったホレスはそのまま続けた。
「あるんだな…人を殺したことが…。分かるさ…、俺だってあるさ!人を殺したことがな!だって、そうしなきゃ生きられなかったんだ!俺は治癒術が使える!昔はそれを隠さないで、他人の為に、世のため人の為に使って生きてきたさ!でもそのせいで俺は、
「…それはっ……どういう…」
「俺はただの人の傷を治すマシーンとして扱われたって事さ!!この忌々しい力のせいで俺はロピアス兵に優先的に命を狙われたこともある!軍医所に爆弾が落とされて、俺は自由になった!監禁されていたに等しいその場から逃げて逃げて。それでも追手のロピアス兵に見つかって殺されそうになった時に、偶然落ちていた死んだスヴィエート兵士の拳銃を奪って眉間にズドンとぶち込んでやった。そうしてなきゃ今の俺はいない」
「……お前に、そんな過去が…」
ストチル同士は互いの過去を聞かないのが鉄則だが、親しいものには境遇を共有してより互いに仲を深める為に話す者もいる。だが俺達2人にはそれはなかった。それを初めて破り、ホレスは語り続ける。
「第一次世界大戦が終わって俺は自由の身になった。そしてこの力を隠して生きてきた。他人の為に使ってきたが、そんなのはもう終わりだ。これは俺の力だ!俺だけに使ってやる!もう二度と誰にも使ってやるものか!俺は俺のために生きるんだ!そして忌々しい力を今こそ利用する時が来たんだ!ロピアスじゃ、
「ふざけんなよテメェ!!自分が生きる為に!他人の人生犠牲にしてんじゃねぇ!!」
「じゃあなんだ!?お前は生きる為に一度も他人の人生を犠牲にしていないと言い切れるのか!?人殺しはどうなんだ!?盗みだってそうだ!人を殺すことは、自分が生きる為に他人の人生を犠牲にすること、そのものじゃないか!!!」
ホレスは半ば笑いながら、ハーヴァンの目をしっかりと見つめて言い放った。赤い目が、血のように燃えるのその赤い瞳がハーヴァンを貫いた。
「黙れ!!それ以上喋ったら…!」
このまま馬乗りになり、奴の口をふさぐために首を絞めようとした。しかしその光景がバシンッっと何かと重なった。頭の中が、あの日の夜の事でいっぱいになった。
(―――――――――――母親からの愛情を横取りされて、こいつを生かしておけば食料も今後一人分多く取られることになる。血が少ししか繋がっていない腹違いの弟なんていらない!いらない!!
いらないんだ!!!)
「図星だろう!?そうなんだろう!?お前はそれが事実だから、何も言い返せないから暴力で解決しようとしてる!」
「黙れェーー!!」
「ぐぁっ!」
ハーヴァンは首を絞める手を振り上げ、渾身の力で奴に頬をまた殴った。
「へははははは……、俺とお前は…同じだ………」
「黙れっ!黙れっ!」
押さえつけていた手を解放し、両手で交互に殴ったが、ホレスは喋ることをやめなかった。
「何のために生きているかもわからない…。いつ死ぬかもわからない恐怖と戦いながらも…、この世の不条理とこんな生きづらい世の国にした大人たちを恨んで、何のあてもなく何の目標もなくただただ生きていく…」
「黙れ!」
吐血し、咳き込み、それでも互いにやめなかった。
「ケホッ…。そんな状況と自身の力に嫌気がさしたから…、俺は自分が自分らしく幸福に生きていくために、お前の妹を犠牲にしたのさ。ぐッ…ごほっ…。もう…、この力を持って生まれたときから…賽は投げられていたのかな…。
「黙れってんだよ!!」
「皮肉なもんだな、この治癒の力で物心ついたころからこき使われて兵士の傷を治すだけのモノとして扱われてきたってのに、今じゃその力のおかげで新しい人生を獲得できるチャンスを手に入れたんだ。それはもう…お前に打ち破られたけどな…」
「もう喋るなよッ…!頼むからっ…!」
ハーヴァンの殴る手が、思わず止まった。ホレスの口調はもうヤケを起こしているように、大きな声になっていった。
「なぁハーヴァンー!お前は何のために生きているんだ?何が嬉しくて、何が楽しくて、何が幸せでストチルをやって生きている?あと5年もしたらお前はチルドレンじゃなくて大人になるんだ。5年なんてあっという間だぜ?俺はあと2年しかない。昨日誕生日だったからな…。誕生日なんて…誰にも言ったことないけど…」
「俺は…俺は妹の為に…たった一人の妹の為に…!」
何のために生まれて、何をして生きるのか。そんなの、ガキの俺には答えられない難しい質問だった。家族のために生きようとは思うが、そうなると、妹はじゃあ一体何が幸せなのか?妹を幸せにしてやることとは何なのか?ハーヴァンはそれが頭の中でぐるぐると回った。
「妹のためを思うんだったら、ストチルなんかやめてまっとうに生きろよ。軍の志願は今の世の中、15歳からいけんだろ」
「でもそれじゃあ!俺をリーダーとしているイーストの連中が路頭に迷うだろう!」
「だがそれはお前にとって妹の為、で割り切れる話だろう。俺だってそうだ。俺の為にお前との友情と、妹を犠牲にした。どの道この力は普通の人間には理解されないんだ。だったら同じ力を持つものがたくさんいる所に行って生きていきたいんだ…、何のために生まれて、何をして生きるのか。何が俺にとっての幸せなのか。同じ境遇の仲間と出会って…、同じ力を持つ女と恋をして結婚して…どうやってそれから幸せになるのか…。それが知りたいんだ…。分からないまま、何も行動しないまま、死ぬ、そんなのは嫌だ。俺の夢は今話したことだ。なぁハーヴァン、お前に夢はあるのか」
「ゆ…め…?」
「何も切り捨てられない人間なんかに、何かを得られるわけも、ましてや夢なんかを叶えられるわけがないんだ。俺達ストチルは生きることが夢なのか?何のために?何故生きようとする?何故死から抗う?社会から見放されて、大人達に白くて汚い目で見られる、必要とされていない存在なのに何故生きようと抗う。それがお前の夢なのか?」
「夢なんて…考えたことねぇよっ…。俺達はっ!俺達は生きていくだけで精一杯でそんな余裕なんて!」
「夢を持つことは罪じゃねぇだろ…。この前盗んだ倉庫を管理している商人のおっちゃんの話を偵察中に聞いたんだ…。あの人の夢は、儲けて市場に今よりデカい店を開いて、買いに来る客全員を笑顔にさせるってな。俺達はその夢を、遠ざけさせちまったなぁ…」
ハハハ、とホレスは乾いた笑いをこぼした。もう、治癒術を使う気などさらさらないのだろう。手はだらんと地面に曝け出し、大の字でされるがままである。
「なんだそれ…。そんな…そんな事知らねぇよ!!生きていくためには仕方がない事だろ!」
「あぁ…それが俺達ストチルの魔法の言葉だ。生きていくためには仕方がない―――――――――――――。
だったら!!!だったら俺もそうだ!!生きていくために!!仕方がなくお前の妹を売ろうとした!!ただそれだけだ!!何で生きようとすることをお前に否定されなくちゃいけない!?俺は、俺達はただ生きたいだけだ!ただ生まれて生きているだけなのに社会から冷たい目で見られる!!そんな何の意味もない人生はもう嫌なんだよぉ!!!」
「やめろ!やめろよぉ!!そんなの聞きたくない!やめてくれよぉ!!!」
ずっと目を背けていた。いや、考えたことすらなかった。俺達が生きる意味は何なのか。それに答えてしまえば、答えがあるとすれば、その答えは、ない、だからだ。それは即ち、存在を否定されることを自ら受け入れることだ。
「幸せになりたい。そう思う事が罪なのかよ…。俺は…俺はどうすればよかったんだ…。俺が、俺という特殊能力を持った人間が生きていく為には…」
「そんなの………」
そんなの分かるわけがない。どうしようもない。どうすることもできない。
「俺の夢は…今ここで終わった…。またこき使われる人生と、力を欲する人間や、軍に狙われる…。そんな人生に俺はぁ!!!」
ホレスがカッと目を開き、ハーヴァンに向かって頭突きをぶつけた。
「いッ!?」
額に強い衝撃が走り、思わずひるんだ。目の前がちかちかし状況を立て直そうとするハーヴァンをホレスは渾身の力で自分の体の上からどかした。慌てて受け身を取って体制を立て直した次の瞬間、断末魔が聞こえた。ホレスが左手のひらに刺さったバタフライナイフを自力で片方の手で抜いたのだ!
そのまま立ち上がり、ナイフを構えた。ハーヴァンは慌ててガードの体制をとる。油断した、まだこんな力があったとは。火事場の馬鹿力というやつだろう。やっちまった、また形勢逆転だ。
「そんな人生に、もう……もうウンザリだよ…」
しかし襲ってくる気配は微塵もない。ガードした手を思わず緩め下げた。不思議に思い彼を見つめていると、大粒の涙が両目からこぼれていた。何を…と言う前にホレスが口を開いた。
「あばよハーヴァン……。先に地獄で…待ってるぜ」
サクッと軽い音がした。目の前の光景にハーヴァンは絶句して息を呑んだ。
喉に一突き。自分で自分の喉をナイフで突き刺したのだ。ごぼぼ、とうめき声をこぼしながらそのままホレスは仰向けに倒れていった。
「うっうわぁああぁああぁぁあああ!?」
かつての親友が、相棒が自ら命を絶つのを目の前で見た。ハーヴァンはおもわずどこにもぶつけることができない思いを声にして叫んだ。力なく、どさっと倒れたホレスに慌てて駆け寄った。彼はハーヴァンを見つめた後、ゆっくりと目をつむり、絶命した。安らかな死に顔である。しかし最後に見つめられたその目つきは、間違いなくハーヴァンには鮮血の、赤い血の色に染まる呪いの目に見えた。
「ホレス!ホレス!!何でッどうしてこんな!」
揺り動かせば、喉からあふれる血液。喉に刺さってはもう声もだせない。ゆっくりと冷たくなっていくその体に寄り添うように項垂れるハーヴァンをサイラスが軍を連れて迎えに来たのは、それから1時間後の事だった―――――――――――。
オーフェンジークの軍港から離れた海辺の海岸でしゃがみこみ、落ちていた石を朝焼けの海に向かって投げた。たった一夜の事だったのに、長い長い夜だった。昨夜から一睡もしていない、寝る気もおきない。
あれからサイラスに保護され、応援で連れてきた軍や警察によって売られた女児達も大人数の力の総動員であっという間に探し出され、ストリートチルドレン誘拐事件は無事解決を迎えた。人身売買で儲けていた軍港上層部の人間たちは全て逮捕され軍法会議にかけられた。誘拐組織キレサもしかるべき刑を法によって正しく課せられるだろう。妹は、ベラーニャの所に連れていかれ検査と休養をとらされている。幸い、衰弱はしていたが、どこにも傷はないし命に別状はなかった。何もかもが綺麗に終わったのだ。それでも、俺の胸には何か大きなものがつっかえていて苦しかった。
ホレスの遺体は、ロピアスの大陸がうっすらと見えるスターナー貿易島の郊外の海辺の崖の上に建てられた。奴が呪ったスヴィエートではゆっくり安らかに眠れないだろう。いや、違う。俺がいる国だ。奴が呪ったのは、俺なのかスヴィエートなのか、それとも両方なのか。そんなものは今は知る術もなかった。
「ハー君、まだここにいたのかい」
冷えるから帰ろう。そう言うサイラスの声をひたすら無視し、海に向かって石を投げ続けている。目の下にはクマが出来て、顔色もとても悪い。サイラスが心配するのも無理はないだろう。何も口にしなくても、サイラスはまたしばらくそこにいてくれた。そしてまたしばらくしたら消えて、また様子を見に来る。今まさにそれのループを繰り返している。事情を帰る船の中でも、静かに聞いてくれた。それでも、心の傷はそう簡単に癒えるものではなかった。
「なぁ…、サイラス」
「ん?何だい?」
サイラスはゆっくりと隣に腰かけた。左肩はベラーニャに治してもらったのだろう。綺麗に傷跡も消え元通りになっている。
「お前…お前は、何のために生きているんだ」
「え?何いきなり。どうしたの?」
サイラスはびっくりして一瞬からかわれているのか?と思ったが今の空気ではあり得ない事か、と次に紡ぎだされる言葉を待った。
「俺達ストチルは何のために生まれて、何をして生きるんだ。生きる権利は人間、生き物全て皆平等にあるのに、俺達はそれを否定されている。疫病を撒き散らかす不衛生で汚いハエガキ、市場と治安を荒らすクソガキ。それらがデカくなればゴロツキ、娼婦で社会から除け者扱い。そんなのは分かってるんだ。でも、生きていくためにはそうするしかなかった。食べ物を盗むしかなかった。人も…殺すしかなかった…。何が幸せで何のために生きているのか分からないのに、それでも死にたくないから毎日必死に生きているんだ」
「それは…、誰でも思う事だよ。誰だって死にたくない。人間、恐怖っていう感情がある限り、死っていう絶対的な自分の終わりから逃れようとするのはもはや本能で抗ってしまうものだ」
「……生きているから…辛いんだ。生きているから、悲しいんだ…。それを放棄して、何もかもから逃れようとしたホレスの気持ちが今なら分かる…。俺の人生、何一ついいことなんてありゃしない。クソな人生だ。俺は、俺は何をして、何が喜びで生きていくんだ。何も生きる希望が見つからない。今までも今でも、生きる希望なんて漠然と妹っていう存在しかなかった。けど、何が妹にとって幸せなのか。生きる希望なのか。そんなのを考え出したら堂々巡りなんだ。生きる意味って…何なんだ?」
「そんなの簡単じゃないか。それに逆を言えばね、生きているから嬉しいんだ。生きているから、笑うんだ」
「え?」
「生きる意味は、これから見つけていこう。まだ君は15歳で、そういうのに悩むのは誰もが通る道さ。生きる意味を模索するっていうのはね、人間特有の悩みなんだ。人間生きながらいろいろ悩むんだ。でもそれは僕達人間にしかない悩みだ。何故なら感情と社会、言葉を人間は交わすことができるからね。動物や魔物は、本能で生きてる。でも人間は理性がある。生きる喜びを探して獲得しようと努力する」
それを模索しようとしたのが、ホレスなのだろう。ハーヴァンはサイラスの言葉を聞きながら、昨日までは生きていたかつての親友を思い出した。
「…君と妹は仲睦まじい兄妹だ。正直とても羨ましいよ。兄弟仲が最低な僕からしたらね。それで、妹さんの幸せ?希望だっけ?そんなの、ハー君に決まっているじゃないか」
「俺…?」
ハーヴァンは自分の顔を指さした。
「そうだよ。何分かりきったこと言ってんの。兄が助けに来てくれた時の彼女の顔はそりゃもう嬉しそうだった。保護した時、お兄ちゃんなら絶対助けに来てくれるって信じてた、って顔を輝かせて、緊張の糸が切れたのか、泣きながら言ってたよ。よっぽど好かれているんだね」
「そうだったのか…」
「そうだよ。マイヤちゃんの幸せは多分、ハー君とずっと一緒にいることなんじゃないかな。少なくとも今は、ね。まだ子供だし、この先の彼女の長い人生の幸せは変わっていくかもしれない。けど、家族なんだ。助け合って今まで生きてきたんだろう?お互いに大好きなんだろう?」
「そりゃ…可愛い妹だよ…。全然俺に似てねぇし、大人しくて温厚で頭もいい真逆の性格してるけど、可愛いんだ」
「うんうん、ハー君みたいな凶悪な目つきはしていないね、目の色は一緒だけども。温厚で大人しくて言葉遣いも丁寧で…」
「喧嘩売ってんのかテメェ」
「うそうそ冗談冗談!」
そういえば!と、サイラスは立ち上がりながら言った。
「船の中で夢の話をしたね。ホレスの夢。なかなか興味深かったよ。彼、君の相棒は
「あぁ…。知らなかった…ずっと。俺には、普通の人間には理解できない悩みをずっと抱えてたんだろうな…。それを知らないで勝手に相棒なんて言ってた俺は、とんでもない勘違いな思い込み野郎だった」
「…仕方がないよ。誰だって、話したくない事柄一つや二つあるだろう。むしろ無い方がおかしいさ」
そう言われて、かつて存在した弟の事を思い出した。自分が生きる為に、犠牲にした命…。
「でね、突然だけど今度は僕の夢の話をしようと思うんだ。僕の夢はね、スヴィエートの皆を幸せにすることだよ」
何の屈託もない笑顔でサイラスは言った。
「今のスヴィエートは貧困で、戦争の爪痕がまだ残っている。ストチルなんてその代表の社会問題だ。僕は皇帝でその夢が届く地位にいる。この国を立ち直らせて国民によりよい豊かな生活を提供して、みんなが笑って幸せに暮らせる、そんな国を作るのが僕の夢」
「はぁ?そんな夢無理に決まってる、馬鹿じゃないのか?スヴィエートの皆?あり得ないし、できるわけがないだろう」
ハーヴァンはバカバカしい、と言い再び石を海に投げた。
「分かってるよ。そんなこと。笑われることだって想定済み。でも夢なんだからあり得ない事を見たっていいだろう?デカいこと言っても、夢です、で片づけられる。それでもこの夢は、すくなくとも皆を幸せに出来なくても、そうするように努力するし、中途半端に終わらせれば、それこそお笑い種だ。1人でも多くの国民を幸せにする、生まれてくる子供たちの未来を創る。そういう事かな」
「ふーん…それは…それは…大層なこった…」
「ハー君は?ハー君の夢は何だい?」
「俺の夢は…。なんだろうな……」
ハーヴァンは自分が情けなく思った。俺には何一つ夢はない。こいつは立場も関係しているが、そりゃもう立派な夢だった。夢は何ですか、と聞かれてそう言ったら、それはそれはとても素晴らしい夢ですね、と返される受け答えの模範解答みたいだった。
ホレスの夢を聞いて自身の夢についてもずっと考えていた。生きる意味を見つける、夢があれば、何のために生きているのかがはっきりとわかるのではないのだろうか。
「ならさ、僕の夢を手伝ってくれない?」
「………は?」
ハーヴァンは目が点になった。
「だから、君と君の妹を助けてあげた代わりに、僕の夢を叶える手伝いをしてって事」
何て恩着せがましい奴、とハーヴァンは思ったが、正論だし、何も返せる言葉が見つからなかった。それに、その夢には興味がある。
「そりゃあ一体どういう…」
「マイヤちゃんを城に連れて行った時にねぇ、国立図書館の前を通ったんだ。城の近くには国が管理している最大の図書館がある。簡単に言えばめちゃくちゃ本がある所。城に住めば徒歩3分で行けるよって言った時に、じゃあ私お城に住みたい!って言ったんだ。可愛いよねぇ?」
こいつ。ちゃっかり外堀からがっちりと埋めてきやがった。
「君が療養中に寝ていた部屋をあげるって言ったよね?だから、君と妹は城に住みなさい。そして僕の夢を叶えるお手伝いをしなさい。それを夢にするんだ」
「はぁ!?しっ城ぉ!?んな場違いな所で暮らせってのかぁ?!」
ハーヴァンは驚いて立ち上がり、サイラスと向き合った。
「そうだよ。住み込みで。勿論働いてもらう。働かざる者食うべからず!」
「んな…んなこといきなり言われても…!」
「え?何、なんでそんなに迷ってんの。ストチルの中には既に大半はスカウトしたよ。特に女の子は後世のメイドとして育ってもらいたいからね。これで人手不足だって困ってたクリスの事も助けられたから一石二鳥!」
「ま…まじかよ…」
「まじだよまじ。その他に腕っぷしのいい子とか、喧嘩に強いことを自慢にしている子は、新しく作った軍士官学校に通ってもらう。士官学校に通っていれば、国から学生といえど公務員扱いで、お給料もでる。卒業したらこの国を背負って守ってもらう軍隊に所属。で、手先が器用だったり、運動に向いていない子はね、グランシェスクっていう技術発展途上の街行きを勧めた。まだまだ職を紹介するツテはある。あと数年もしたら働き盛りの若者になるんだ。こんなに貴重な人材はないだろう?
これで首都から、ストチル達は姿を消すだろう。彼らはもう、社会から冷たい目で見られることはないんだ。ちゃんと、きっちり、大人から教育を受けて、この先の国の礎となっていく。子供は国の宝だ。みんなで大切にしないと。で…
ハー君はどうするんだ?」
何て奴なんだ。俺よりずっと何もかも先を見据えて考えていた。役に立たねぇなんて言っちまったが、またもや前言撤回だ。コイツと出会ったことで、何もかも変わった。俺達ストチルを救ってくれた。このことは、感謝してもしきれない。どんな言葉をもってしても、表すことができないほど、世話をしてもらった。ならばもう俺に残された道はたった一つ。
「俺は…俺はお前に命を救われた。あの時、リンチされてた時にお前が来なかったら俺は殺されていただろう。妹も助けられなかっただろう。俺は確かに、助けられた恩を返す義理がある。でもそれだけじゃない。俺は、俺の意志で、お前の夢を手伝いたい。お前になら、俺は付いていきたい。そう思う」
「そうか!!良かった良かった!いや~断られたらどうしようかと思ってたんだよー!ありがとうハー君!君ならそう言ってくれると信じてたよ!」
バシバシと肩をだいて叩くサイラスにうぜぇ、と思ったがそのままにしておいた。親友を失った悲しみも、こいつと一緒にいたら癒せるかもしれない。そして、生きる喜びも、何のために生きるのかも、分かるかもしれない。パッと頭の中に、まだガキだが、ガキはガキなりにガキらしく、そう。将来の夢というのを思い浮かべた。それは笑いながらコイツと、その生まれた子供と遊ぶ夢だった。その次は、そいつの孫の世話を焼くマイヤと俺の場面だ。妄想でしかない、夢でしかないけど、なんて幸せな夢なのだろう。何て生きる喜びなのだろう。
夢はデカく持っても、罰は当たらないはずだ。
「俺は…、俺の将来の夢は…、お前にいつかできるガキや孫とか出来て、そういう奴らを守っていくことだ。勿論、できる限りの夢の手伝いはする。でも…、今思いついたんだ。お前含めて、お前の子孫には幸せになってもらいたい。十分世話をしてもらった恩返しと、俺個人の、ささやかな願いも含めての…、将来の夢だ…」
「ありがとうハー君。すっごく嬉しいよ。きっとそれってとても素敵で、幸せな事だ!じゃあ一応、儀式しようか!」
「儀式?」
サイラスはそう言うと、突然スーッと息を吸いきりっとした神妙な顔立ちでハーヴァンに向き直った。空気が一瞬で切り替わりこいつごときにこんな空気が醸し出せるのか、と驚いた。緊張感が走り、思わず背筋がピンと伸びかしこまってしまう。
「ハー君、いや。ハーヴァン。今からお前は僕の専属執事だ。この先何があっても僕と僕の子孫に仕え、その身をスヴィエート皇族に捧げると誓うか。誓うなら、ひざまずいて胸に左手を当てるんだ。スヴィエート式の皇族に対する敬礼と誓いを、今ここにその証を示せ」
凛とした声とその立ち振る舞いに、昨日のヘタレた様子はまるで感じられなかった。まさに目の前にいるこの人が、この国で一番偉い皇帝なのだろう。今身に染みて分かった。スヴィエート特有の遅い朝日が、海から顔を覗かせる。それと同時に、ハーヴァンは恭しく頭を下げ、ひざまづいて心臓部分に手を当てた。
「……はい、誓います。この身全てを、スヴィエート一族に、捧げます」
「…よろしい。じゃあお前はもうハーヴァンじゃない。今までのハーヴァンは死んで、新しく生まれ変わるんだ。そのために、新しい名前を授ける。今日からお前の名前は
――――――――――――ハウエルだ」
朝日が完全に上り、2人を照らした。ハウエルは、これから60年、75歳までスヴィエート家に仕えることになる。人生、まだまだ捨てたもんじゃない。悪いなホレス。地獄に行くにはまだ俺は早いみたいだ。待たせちまう事になるが、必ずいつかそっちに行く。それまでお前の分まで生きてやるし、お前の分まで幸せになって、自分の夢だって叶えてやる。
「よーし誓いの儀式終わり!ドッジボールしようか!」
「は?!ドッジボール!?」
「そう!砂浜でストチルの子供達と交流を図るためにドッジボール大会を企画したんだ!もうすぐ約束の時間だから集まってくるよ、あ、早速きたみたい!おーいこっちこっち!」
「俺寝てないんだけど!?」
「後で寝ればいいの!ハウエル!ドッジボール大会に参加しなさい!これは皇帝勅命!!」
「えええええ~~~~!?」
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数年後の兄妹2人の写真みたいなもの
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アルスはマーシャの写真を見てコーヒーを吹き出し、アロイスは危うく一目ぼれしそうになったとか。ちなみにハウエルは執事になっても口の悪さと喧嘩の強さ、喧嘩っ早いのはしばらく変わらなかった。アロイスは小さい頃から何度も反抗の度に猫のようにつっかかって喧嘩をふっかけているが、勝てたことは一度もない。
あと超絶小話だけどフレーリットにダーツを教えたのはハウエル。同僚と酒を飲みながら賭けダーツをやっている所を5歳ぐらいの時に覗き見られ、クリスティーナに言いつけない代わりとして教えて丸め込んだという。フレーリットはそのうちダーツの才能を開花させハウエルより10倍は上手くなる