テイルズオブフェイティア〜宿命を運命へと変えていくRPG〜   作:平泉

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主人公との戦い( °◊° )


記憶の混濁

「アルス!やめて!ッキャア!?」

 

ルーシェの悲痛な叫びは地下道に木霊するだけだった。バァンッ!殺意と共に放たれた銃弾を、彼女は間一髪で避けた。

ナイフでアルスに斬りかかるカヤが呼びかける。

 

「アルス!やめなよッ!何してんのよアンタ!」

 

「クッ!」

 

ガキンッ!!と金属がぶつかり合う音が響く。アルスは咄嗟に2丁の拳銃をクロスさせ、ナイフを銃の間で挟んだ。ギチギチと散る火花。

 

「誰だ貴様達……!僕に、近づくな!!」

 

アルスはクロスさせた拳銃を力任せにぐりんと右に傾けた。力では男であるアルスの方が断然上だ。カヤは体制を大きく崩された。

 

「しまっ……!」

 

「薄汚いアジェス人が!!炎旋舞ッ!」

 

「ッキャアァアアアアァ!?」

 

カヤの横脇腹に炎を纏った強烈な回し蹴りが炸裂した。容赦など全くない。

 

「カヤァ!!」

 

ガットが吹き飛ばされたカヤを慌てて受け止めた。

 

「全治せよ、万象活性、キュア!」

 

急いで上級の治癒術をかける。幸い早い処置のお陰でガットの治癒能力でも火傷という酷い傷は、すぐに癒えた。

 

「あ、ありがとガット…!」

 

「しばらく下がってろカヤ。アイツは女のお前じゃ前衛だと力負けしちまう!」

 

カヤはこくりと頷き後衛に下がった。更に彼女は加えてアジェス人である。今最も彼の憎しみを向けられる対象なのだ。

 

「聖なる意思よ、我に仇為す敵を……」

 

「六攻弾!!」

 

「ってヒィイィイイー!?あだぁっーー!?」

 

「ノイン!」

 

詠唱など微塵にもさせるかと言うように、ノインに6発の連弾が撃ち込まれた。慌てて詠唱をやめ、避けようとしたが間に合わない。ノインは4発程食らって慌てて下がった。ルーシェが駆け寄り、治癒術を施す。そこにまたアルスが銃弾を撃ち込もうとした所をラオが割り込み、彼らを庇う。

 

「チッ、邪魔だ死ね!」

 

「ワッ!っぶない!アルス!やめて、ヨ!」

 

ラオは弾をクナイで弾き飛ばし、もう片方の手でアルスに向かってクナイを真っ直ぐに投げた。刃先がアルスの頬を掠める。綺麗に切れた頬から直線に血が滲み出した。もちろん本気で当てるつもりはなく、わざと外したクナイだがアルスはわなわなと震え、怒りを顕にした。

 

「ラオっ……!よくも……、よくも!!」

 

「あわわわ!ごめんアルス!でも目を覚ましてヨ!ホラ!皆かつての仲……」

 

「殺してやるっ!深淵に誘え、リベールイグニッションッ!!」

 

一瞬のうちに彼の足元に紫色の円形の陣が出現し次の瞬間には、凄まじい闇のエネルギーを纏ったレーザー2丁拳銃から同時に放たれた。

 

「っワァーーー!?」

 

ラオは急いで横に転がり回避を行った。

 

「皆避けろー!?」

 

ドーン!!という音がし、クラリスは後ろを振り返った。幸いにも一直線の攻撃で来ると分かっていたのでよけられたが、アレをまともに食らったらたたじゃ済まない。地下道の壁の瓦礫がガラガラと崩れ、大きな土埃を立てている。

 

「なんつー大技だ!?かつての仲間にやる術じゃねぇぞコレ!」

 

「もうダメだガット!本気でやるしかない!でないと奴に殺されるぞ!」

 

フィルはそう言い、アルスに立ち向かった。

 

「小生が陽動となる!イラスティシティッ!」

 

フィルの右手からエヴィの糸玉がアルスに向かってる発射される。単純な攻撃だ。難なくアルスはそれを拳銃で弾いた。しかしそれで終わらないのがこの技である。

 

「何だ!?くそっ!?」

 

その糸玉は弾け飛び、多数の細かいエヴィ糸玉に分裂した。

 

「畳み掛けるぞ!すまないアル兄!グレンツェント!」

 

クラリスのリコーダーが吹かれ、花びらと音符がまるで目くらましのように彼の周囲を漂う。

 

「小賢しいッ!」

 

糸玉、花びら、音符がアルスの周りに散乱し、僅かな隙が出来る。そこに回復したノインがすかさずキューを構えた。

 

「今だ!万有我が手に、来い重力!彼の者を重圧の檻にて潰せ、エアプレッシャー!」

 

「ヅっ、あああぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」

 

詠唱が成功し、術は発動した。アルスは重力によって押しつぶされ倒れた。

 

「クソがっ!うっぐぅ……!」

 

ゆっくりと四つん這いになり、奥歯を噛みしめ、恨めしそうにかつての仲間達をアルスは睨みつけた。さながらその雰囲気はフレーリットそっくりである。

 

「アルス!やめてもう!これ以上貴方が傷つくのは見たくないよ!!」

 

ルーシェは彼に距離を置きつつも近づいた。アルスは何とか立ち上がりルーシェに怒鳴りつけた。

 

「黙れッ!!お前らに、俺の何が分かる!?幼い頃から父親に比べられ!優秀なのは全部父親の七光り!少しでも劣等な部分があればやはり裏切り者スミラの息子!!もううんざりだ!!」

 

「っ!?アルス?アルスなの!?」

 

アルスはハッとし、「違う」と首を振った。

 

「スミラ……?そうだ、スミラ、スミラに会いたい。僕の唯一の……!っいや、何を言っているんだ、俺は」

 

彼は頭を抱えて蹲った。

 

「スミラだって?俺は今スミラと言った?奴は裏切り者じゃないか!そうだ、何故、何故、何故僕を裏切った!?何故だ!?何故殺した!!あんなに幸せだったのに!

 

サーチス、サーチスに会わせてくれ!僕を救ってくれたサーチスに!!いや、何を言ってるんだ俺はッ!?奴は、奴はハウエルとマーシャを拷問したんだぞ!!」

 

自問自答し、訳が分からなくなったアルスは苦しみ出した。アルスの脳内に様々な記憶が駆け巡った。もはや何が何だか分からない。”アルス”であった時のコンプレックス、微笑みかけるスミラの顔、血に染まる花斬り鋏、サーチスの姿。サーチスに会いたい、彼女こそが救いなのだと思った瞬間、ハウエルとマーシャの顔がちらつく。

 

「うっ、ぐぁぁあ!頭が!頭が割れるように痛い!何だ、色んな記憶が、俺の中に!うわぁあああやめてくれ!寒い、寒い、助けてくれ。やめろ。これ以上!これ以上殺さないでくれ!スヴィエートは停戦条約は結ぶ!だからもうこれ以上国民を危険な目に合わせないでくれ!私は…!私はぁ!!」

 

「おい落ち着け大将!?一体どうしちまったんだよ!?」

 

「彼の言い分を聞く限り、記憶が混濁してるようですが……!?」

 

「何なの?フレーリットだけじゃないの!?」

 

ガット、ノイン、カヤが言った。彼の一人称がころころと変わっている。

 

「何で僕ばかりがこんな目に遭わなければならない!全員グルだったのか!助けてくれ、死にたくない。僕は死にたくない!誰か!誰でもいい助けてくれ!僕に力を!誰にも負けない力を!」

 

困窮するスヴィエートの民、停戦条約契約の契約書、雪山の溝に落下していく記憶──────。

 

紫紺の髪の毛を掻きむしり、頭痛に必死に耐え抜く。記憶がそこで一旦収まると、アルスは力なく呟いた。

 

「俺は、何だ!一体何なんだ!僕は………一体誰なんだ……!」

 

アルスは力なく膝を折り、涙を流した。

ルーシェはそんな彼を見て、真正面に立ち、しゃがんで目線を向き合わせた。

 

「しっかりしてアルス!?いや、しっかりしなさい!馬鹿!自分を見失わないで!貴方はフレーリットじゃない、比べられる存在でもない。貴方は貴方よアルス!アルスなのよ!皇帝、アルエンスなの!そして目の前にいるのはかつて旅した大切な仲間達!それが貴方の存在を最も証明するもの!思い出して、私達と共に過ごした時間を!それはアルスにしかない記憶でしょ!?」

 

「アルス………俺、……は、アルス…」

 

両肩を掴み、揺さぶりながら必死に訴えかけた。彼女の克は、アルスには効果的麺だった。ルーシェは続けた。

 

「自分が何者かを決めるのは、自分自身よ!」

 

「自分が何者かであるのを決めるのは……自分……自身……」

 

「貴方は貴方なの!それを周りがどう思おうと関係ない!少なくとも私は、アルス、貴方の事しか知らない。他の人なんて分からない!私、ルーシェと初めて出会った時からのアルスしか、私は知らない。例え周りがどうだろうと、例え世界が貴方の敵になろうとも!私は貴方の味方でいる!」

 

ルーシェは、このままアルスが全てを忘れ去り自分の事を忘れてしまうのではという恐怖と悲しみに震え、涙声になっていく。

 

「初めて……会った……ルーシェと……!うっ、あっ、ぐぁぁっ!?」

 

また鋭い痛みが、脳内を貫いて駆け巡る。自分じゃない、様々な記憶が、俺の邪魔をする──────!!

 

「いい加減、目を覚ましなさい!貴方と仲直りしないままお別れなんて、絶対いっ、嫌なんだからね!?アルスのッ、この馬鹿ぁ!」

 

パァン──────!!

 

小気味よい音がし、アルスの左頬が赤く染まった。

 

「っ…………!」

 

沈黙。アルスは目を点にして、虚空を見つめた。ルーシェはついに堪えきれず涙を流した。

 

「うっ、うぅっ…!ひっく……アルスッ、あるすぅ……!」

 

ゆっくりと、顔をあげて彼女を見た。ボロボロと涙を零し、自分の為に泣いてくれる彼女は、彼女の名は─────、そうだ、愛しい、この世で最も愛している。

 

「ルー……シェ……」

 

「っ!アルス!目を覚ましたの!?アルスっ!?」

 

「あぁ………、ありがとう…、はは、ビンタ……きいたよ……」

 

優しげに微笑む彼の笑顔は、ルーシェが最近めっきり見ていなかった表情だ。安堵感が全身を包み込み、歓喜のあまり彼を抱きしめた。

 

「アルス、アルスぅっ!良かった、本当に良かった!心配したんだからね!?うっ、うわぁあぁああん!!」

 

正気を取り戻したアルスは、ルーシェをそっと抱きしめ返した。アルスの髪の毛の黒の色素が細かな粒子のエヴィとなり、抜けていきスーッと宙に消えていった。紫紺色は、元のアルスのコバルトブルーに戻った。しかし、赤い目はそのままだった。

 

(あぁ………でも、凄く疲れた……、眠い、な……。ダメだ……、脳が、動かない……)

 

戦闘による体力消耗、そして脳へのダメージのせいで、アルスはゆっくりと目を閉じた。ずっしりと重くなった彼の体重に耐えきれなくなり、ルーシェは倒れそうになった。

 

「わわっ……!アルス!?」

 

思わず赤面し、何事かと彼の顔を覗き込む。

 

「っと、大丈夫だ、疲れて眠っているだけだ。アレだけの事があったんだからな。はぁ良かったぜ元に戻って…」

 

そこにガットがサポートに入り、2人を支えた。アルスはすーすーと寝息をたて、安らかな顔つきで眠っている。

 

「これぞ、愛の力ってやつね」

 

「ウム……今回ばかりはその言葉が一番お似合いだ」

 

カヤとフィルが微笑みあった。

 

ガットはアルスを背負うと立ち上がる。

 

「とりあえず、ここから出ねぇとな。さてどうしたもんか、戦闘のせいで周りが崩れちまって……しかも貴族街から研究所のあの騒ぎのあとじゃ出ても安全とは限らねぇしなぁ…」

 

土地勘のあるガットは元来た道を探すが、道が若干変わってしまっている為、キョロキョロと迷う。それに貴族街に出たとしても、身の安全を確保できる所まで移動しなければならない。

 

「あ!ガト兄!それならさ!さっきアル兄のすんごいレーザーで壊れた壁の先にね、どうやら通路があるみたいなんだ。とりあえずこっちに行くのはどうかな?」

 

クラリスが指さしたのは先程リベールイグニッションが炸裂した壁だった。

 

クラリスがそれを音波で吹き飛ばし、通れるようにした。その地下道を進んでいくと天井から光が差し込める場所にたどり着き、ハシゴがあるのが確認できた。

満場一致でそこから出ると決まり、地上に出た────。

 

 

 

平民街東のはずれのマンホールが開き、そこから出た場所は見た事がある。来た事もある。

 

「ここは、あの時来た平民街だ……!」

 

マンホールの近くには放置され、外見はボロボロ。ツタが巻き付き、見るからに廃墟がある。裏切り者のかつての家として、スヴィエート人誰1人として近寄りたがらない家。

 

「あそこだ、あそこに身を隠そう!」

 

ガットの提案に皆賛成し、その家へと足を踏み入れた。いらっしゃいませ、そう書かれた室内の看板の埃が舞い上がり、床からは土埃が彼らを歓迎する。外見は不気味だが、中は至って普通の家。2階へ上がる階段通路の壁には、セルドレアの花畑の写真が飾ってある。

 

そう、ここはスミラの家である。

 

2階のベットは埃にまみれていたが、なんとかメイキングし直しアルスはそこに寝かせられた。アルスの意識は、夢の中の、深い闇へと落ちていく─────。

 

 

 

そう、またあの記憶の夢だ。しかし、最初からかなり明瞭で、ハッキリと声も聞こえる。今自分がどこにいるのかすぐに分かった。スヴィエート城だ。そしてその部屋の一室。………応接室だろうか?

 

ソファに座り、話をしているのは、フレーリットと若き日のサーチスだった。

 

「……しかし一体、莫大な研究費用を何に使っているだい?随分実家から仕送り出されてるみたいなのにまだ足りずに、国に援助求めるなんて。複合光術は少なくとも既にエリートの研究員達は会得したのだろう?まだ足りないのかい?」

 

フレーリットは書類とサーチスを不機嫌そうに交互に見つめた。彼女は居心地が悪そうに目を泳がせた。そしてしきりに自分の肘を手でさすっている。落ち着きがない。

 

「は、はい……。やはりリュート・シチート作戦は、絶対に成功させなくてはならないものです。空に氷の膜を貼らせる為にはもっと人員が必要なのです。しかし、あの作戦が成功すれば、我々はもう勝ったも同然です。その為にも更なる兵士達の教育、エヴィ結晶の補填があまり間に合わず……」

 

スヴィエートで綿密に企てられているリュート・シチート作戦は冬が完全に終わり次第決行されるロピアスの決死をかけた空軍精鋭編成隊対、スヴィエート光軍によって繰り広げられた互いの国の威信を懸けた大規模な人海戦術だ。スヴィエート側は空一面に氷の幕を張り巡らす等、並大抵の人数では作戦は成功しない。それを考えるたフレーリットは「それは……ま、僕が何とか出来るだろうとして……」と小さく呟く。書類を机の上に置き、両肘を太股に立てる。

 

「でもさ………本当にそれだけ……?」

 

フレーリットが組んだ手に顎を乗せ、射殺すような目つきで彼女を睨んだ。

 

「な…………、何、を…仰っているのです…?陛下?」

 

「…………いや?ただ風の噂で、君が最近、研究所に顔を出していないと聞いてね」

 

「ッ!」

 

サーチスの目が大きく開かれた。彼は静かに怒りを現しているのだろうか?サーチスにはそれが怖くてたまらなかった。

 

「わ、私はロピアスからの遠征から帰って間もない身ですよ……?そのせいでしょう?」

 

嘘をついた。遠征にいく前からも、しばらくずっと研究所には顔を出していない。

 

「まぁ、確かに、ねぇ?でも別に……、僕としては君は優秀だから光軍の仕事と兵士の教育さえしてくれればいいんだけど。僕はスヴィエート軍総司令官だ。この国を導く必要がある。あまり君にも構ってられないけど、仕事の合間を縫って何してるのかなぁってちょっと気になってね」

 

「な、……にもしてなどいませんわ。陛下。ご冗談を」

 

サーチスは何とか平静を保った。フレーリットのその不気味で見透かすような視線は本当に恐怖そのものだ。

 

「ふーん……?国に黙って、何か。”変な”事はしていないだろうね?それ、もしやってたら国家への反逆、つまり裏切りだよ?」

 

「なっ、めっ、滅相もないわフレーリット!?私が!よりによって、この私が貴方を裏切るわけ────」

 

「あそう?なら良かった」

 

フレーリットは彼女の言葉を遮って、フッと表情を無表情に戻した。

 

「じゃこの話はおしまいね。そっ、光軍は任せたよって事で!さっさと戦争終わらせないとね〜。はは、スミラの子供の為にも、早くこの血なまぐさいスヴィエートとロピアスの2回目の殴り合いに、決着つけて。話し合いして、ある程度は平和な国にして行かないと。ま、勿論それ相応の仕返しはするけども」

 

「っ!?こっ、子供!?」

 

サーチスはテーブルに手をつき、ガタン!と音を立て立ち上がった。

 

「いつの間に……!?」

 

「うん。あれ?言ってなかったっけ?あ、そっか。遠征に行ってたからか。そう、もうすぐ僕とスミラの間に子供が産まれるんだ!いや〜!楽しみだなぁ〜!」

 

そしてまたフッと変わる表情。無表情から一転。サーチスの肩をポン、と叩くと心躍ると言いたげに、応接室から出ていった。コツ、コツと離れていく靴音。サーチスのその時の顔は、まるで百面相だった。

 

「何でフレーリット……、昔の貴方はどこ行ったの………?語ってくれたじゃない私に……。ロピアスも、アジェスも、踏みにじるんじゃなかったの…?スヴィエートが全世界を支配するんじゃなかったの……?私の今までの努力は……?反逆する国のトップ達につかう私のシフレス技術は……?」

 

彼は何もかも変わってしまった。それも、全て

 

───────あの(スミラ)のせいで!!!

 

 

 

瞬く間に場面が変わった─────。

 

フレーリットの私室。青髪の赤ん坊がベビーベッドに寝かされ、静かに寝息をたてている。スミラは満足そうにそれを見つめると、フレーリットの部屋の窓のサッシに置いてある花瓶の花を手に取った。セルドレアの花が幻想的に輝きを放っている。彼女自身の手で生けた花だ。少し葉や花が枯れかかっているのを見て、彼女は花切り鋏を取り出した。チョキン、チョキンと切られる枯れた花───────。

 

「あれ?スミラいたの?」

 

ガチャンと音がしてフレーリットが部屋に入ってきた。書類をデスクに置くと、赤ん坊の眠るベビーベッドを覗き込む。

 

「ふぁぁ……。よく寝るねぇアルスは。僕なんて連日の仕事三昧、他国訪問にクソ忙しいから羨ましいよ……」

 

フレーリットは疲労で更に酷くなったクマを手で擦った。どうも赤ん坊がスヤスヤと寝ているのを見るとこちらまで眠くなってくる。

 

「あ゛〜…なんだか僕まで眠くなってきた……昼寝しようかな……」

 

何気ない日常風景のように見えた。いやその筈、だった。

 

パチン、パチン、パチン!

茎をポッキリと切られたセルドレアの花はトサッ、と落ちた。

 

「ねぇ、アルスをマーシャ達に任せて、スミラも一緒に昼寝しな──────」

 

後ろを振り返った直後だった。

窓際にいた筈の彼女はいつの間にか目の前におり、そして腹部にずぶりと何か刺さっている─────。

 

「──────え?」

 

己の身に、何が起こっているのか分からない。一体何が………?と恐る恐る下を見れば、血に染まっていく服。じわりと侵食してゆき、鋏から伝った血が床にしたり落ちた。その挟を持っている人物は、

 

「スミ……………ラ?」

 

「っ!」

 

スミラは、困惑して身動きの取れないフレーリットの首に手をかけ、水色のネックレスを手に取り無理やり鋏と共に引っ張った。氷石だ。鎖がちぎれた反動で、よたよたと少し下がる。

 

そしてシャラン、と手の中のネックレスをすばやくエヴィで生成した糸で修復し自らの首にかけた。ズブリと傷口から抜かれた挟は生暖かい血に塗れていた。彼女の手も、真っ赤に染め上げられている。

 

「っかはっ……!うっ、が、はっ!?スミッ………ラ!?」

 

深く突き刺された。鋏を抜かれたせいで一気に血が吹き出した。とてつもない痛みが襲う。両手で傷口を押さえるが、血は止まらない。痛い、苦しい。

 

「な゛っにを……してっ………!?」

 

フレーリットはベビーベットに手をかけた。膝がガクンと曲がり、腹部を支えつつずるずると落ちていく。何が起こったのか、彼女に身に何があったのか。倒れ込む寸前でベビーベッドの柵に寄りかかり、なんとか耐えた。霞む瞳でスミラの顔を見た。ゆっくりとまたこちらに近づいてくる。

 

その目には光など宿っていなかった。冷たい瞳だった。

 

「な、何……を………!?」

 

「…………」

 

彼女は一切言葉を発しなかった。まるで操られているかのように─────。

 

「ま、まて!まさか!?」

 

予測は当たって欲しくなかった。しかし、その冷たい瞳は赤ん坊に向けられている。我が子を見る時のスミラのあの慈しみに溢れていた瞳など忘れてしまったかのように。

 

「……………ッ!」

 

「そんな!やめろ!」

 

彼女は赤ん坊のアルスにゆっくりと鋏を振りかぶっている。フレーリットは絶句した。アルスが、我が子が殺される─────!

 

「アルスッ!?スミラッ!!やめろぉおおおおおお!!!」

 

「っ!!」

 

最後の力を振り絞り、フレーリットはスミラとアルスの間に割り込んだ。スミラは最初からこう予想していた、とでも言うように割り込んだフレーリットの心臓に迷わず鋏を突き立てた。

 

貫かれた心臓───────。

フレーリットは悲鳴もあげられずただただ涙を流した。

 

「あ………アルス………無事か…………?」

 

「ふぇ……うぅ、わぁあああぁああん!」

 

「よかっ……………た……」

 

周りの音にビックリしたのか赤ん坊は泣き出した。フレーリットはこれでもかと安堵した。赤ん坊が泣いていると言う事は、元気な証拠だ。

 

「何で………、スミ……ラ…、何で……」

 

確実に死へと近づいていく。困惑と、絶望と、最も愛した女性に裏切られたというどうしようもない悲しみが全身を駆け巡る。

 

「ふぇぇえぇええええんん!!!」

 

「アル…………………ス…」

 

フレーリットは血塗れの手で泣き止まない赤ん坊のアルスの額をゆっくりと撫でると、絶命した─────。

 

 

 

ただただ赤ん坊の鳴き声が部屋に木霊する─────。

 

「………………………え………!?」

 

スミラは、目の前の彼の目を見た。虚ろな銀の瞳。涙が零れ落ちている。スミラの目に、光が戻った。

 

「いっ、………や………!?ああっ!?いっ、いやぁああああぁあああああああぁああああああっ!?」

 

スミラは自分の血に濡れた両手を見て発狂した。

 

「何よこれッ!?何!?何!?何なの!?いや、フレート、そんな!?あっ、あぁっ!許して、い、いやぁあぁああっ!!」

 

気が動転し、錯乱したスミラは部屋から飛び出した。

 

「誰かっ!誰か助けを呼ばないと!?フレートが!私がやったの!?嘘よ、嘘よ、そんな!?そんな事って!何が起こったのよ!?」

 

何が起こったのか理解出来ない。必死に廊下を駆け出した。

 

誰か、誰か、誰でもいいから助けて──────!

 

「っあ!?サーチス!?」

 

バルコニー近く、サーチスが静かに佇んでいた。スミラは彼女に駆け寄った。

 

「お願い助けて!?フレートが!フレートが!?」

 

「触らないで!っ離しなさい!私が欲しいのは彼の形見だけよ!さぁネックレスを寄越して!」

 

サーチスは今、”形見”と言った。フレーリットに何が起きたのか、彼女は知っている────!?

 

「何よこれ、ネックレスって………いつの間に私こんな物を……、それに形見って、何で─────!

 

違う!彼はまだッ生きてる!?いいから助けて!部屋に来てよ!フレートが大変なのよ!私、何も覚えていない、気がついたらフレートがっ、や、殺ったのは、私!?私ィッ!?あぁ、あぁあ!!いやあああぁああああ!?誰か!!誰か助けて!!」

 

スミラは錯乱し、泣き出した。涙に顔を濡らす彼女の顔を見て、サーチスは最高級に不愉快だった。

 

「何故、何故!何故こんなポッと出の女なんかと!?私の方が早く彼と出会っていたのに!彼は籠の中の鳥だった、私の才能と力を見出して認めてくださったのに!私の、運命の人なのにっ!私の方が、ずっと優秀で価値があるのに!!何でこんな女なんかと!?ただの平民の女じゃない!?貴族の私の方が、断然彼に釣り合うと言うのに!私の何がいけないの!?」

 

「いやぁあぁ!?何するの!?」

 

サーチスは怒りに任せてスミラに掴みかかった。

 

(早く彼のネックレスを回収しなければ────!)

 

「私の結婚は、彼としたかった!ヴォルフとなんて、望んではいなかった!彼と同じ志を目指していたのに!どこかで歯車か狂ったのよ!そう、全てアンタのせい、アンタのせいよ!!彼にはあのシフレスの術は使えないっ…。既にアンタの記憶があるフレーリットなんて、いらないわ!」

 

サーチスは彼女に詰め寄った。スミラはじりじりと後ろに下がり後ろのバルコニーの柵に手をかけた。

 

「何!?何を言っているのサーチス!?やめて離して!こ、怖い!いやぁ!」

 

サーチス首のネックレスを奪おうとするが、スミラは恐怖で激しく抵抗する。

 

「私は彼を裏切れない─────。

 

だったらアンタが………、アンタが裏切り者になればいいのよ!!彼の目を一度覚まさせてあげなきゃ……!そしてマクスウェルの力で彼を復活させる!スヴィエート一族には、代々記憶のエヴィが子供に継承される!新たなフレーリットを再構築するのよ!私の、私にしかできなかった研究という取り柄が今ここで生かされる時が来たのよ!」

 

「一体何を言って、あっ、いっ、嫌!?」

 

ネックレスに無理やり手をかけられ、スミラは首を後ろに仰け反らせた。苛立ちが限界まで達したサーチスは右手で思いっきりネックレスを引っ張り、

 

「アンタなんかっ、死ね!」

 

スミラをそのまま左手で力の限り押した。バチィン!と音を立てて切れるネックレスのエヴィ糸。サーチスは勢い余ってそのネックレスの僅かに残った鎖部分を離してしまった。

 

「………え?」

 

「しまっ─────!?」

 

落下していく、スミラの体。空に舞う氷石。氷石を掴もうと、空を切るサーチスの手───────。

 

「イヤァアァアアァァアアァァァアアァァッ!!!」

 

45階の、最上階のバルコニーから、スミラは氷石と共に中庭へと転落して行った───────。




真実が、今明らかに

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