【完結】エレイン・ロットは苦悩する?   作:冬月之雪猫

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最終話『待っている人々の下へ』

 朝が来たようだ。ハリー・ポッターは現実の世界で目を覚まし、キングス・クロス駅にはエミリア・ストーンズとヴォルデモート卿だけが残された。

 エミリアはヴォルデモート卿を抱き上げた。

 

「……貴様はなんだ?」

 

 ヴォルデモート卿は問い掛けた。

 

「エミリア・ストーンズだよ!」

「……そういう意味ではない。そもそも、その名は貴様を飼っていた男が懸想していた女の名だろう」

 

 物心付く前に両親を事故で失い、養父となった男は彼女を一度も名前で呼ばなかった。

 だから、彼女は自分の本当の名前を知らない。

 

「壊れた人間を幾人も見てきた。俺様自身の手で壊して来たからだ。貴様も壊れている」

 

 人間は数多の感情を抱く生き物だ。けれど、彼女はその内の幾つかの感情を失っていた。

 幼少期に受けた過度な虐待と性経験によって、彼女は壊された。

 

「壊れた人間は自分を取り戻す為に必死だ。他者に縋り付く事はあっても、他者を気にかける余裕などない」

 

 それはオリジナルの立場を奪った日記の分霊にも言える事だった。

 少年期に犯した殺人という禁忌によって切り離された魂は死の超越によって人から逸脱してしまった。

 彼もまた、己を取り戻す為に必死だったのだ。

 

「何故、貴様はエレイン・ロットに手を差し伸べたのだ? 何故、貴様はロナルド・ウィーズリーに力を貸すのだ? 何故、貴様は俺様を救おうとするのだ?」

 

 この世界では開心術を使う気がなくとも互いの記憶や感情が流れ込んで来る。

 それでも尚、ヴォルデモート卿には理解が出来なかった。

 

「エレインがわたしを助けてくれたからだよ」

 

 エミリアは言った。

 

「助けたのは貴様だろう?」

「違うよ。何も持っていなかったわたしにエレインは生きる意味をくれたの」

 

 酔った養父に犯され、殴られ、殺されそうになった。

 エミリアは怖くて仕方がなかった。だから、必死になって逃げた。

 そして、辿り着いた場所はスラムだった。何も持たない少女はひたすら大人の食い物にされた。

 死にたくない。だけど、それ以外の何も持っていなかった。意思も感情もなく、生きながらに死んでいた。

 そんな時に彼女はエレインと出会った。彼女はエミリアと似ていた。だけど、決定的に違っていた。

 死にたくない少女(・・・・・・・・)生きたい少女(・・・・・・)と出会った。

 その時からだ。死んでいた少女は生きる事を始めたのだ。

 

「トムくん」

 

 エミリアはヴォルデモート卿を抱き締めながら呟いた。

 

「わたしはエレインから命をもらったの」

 

 エミリアは死の間際、エレインに言った。

 

 ―――― エレイン……。わたし、ママになりたかったの……。

 

 あの言葉の真意をエレインは少し誤解している。

 エミリアにとって、エレインは初めて彼女に与えてくれる存在だった。

 生きる意思を教えてくれた彼女こそ、エミリアにとっては母のような存在だった。

 あの言葉の真意とは、

 

「わたしはエレイン(ママ)みたいになりたかったの」

 

 スラムで蹲りながら、それでも前を向いていた。

 その瞳の輝きが彼女を生かしてくれた。

 

「だから、生きて欲しいと思ったの。たとえ、死んでいたとしても」

 

 死にながら生きるよりも、生きながら死ぬほうがいい。

 滅びが確定していたとしても、その間際までは生きてほしい。

 少なくとも、目の前にある魂には……。

 

「……なんと、愚かな女だ」

 

 救われて欲しい。

 彼女がヴォルデモート卿に抱く感情はそれだけだった。

 それが分かるからこそ、彼は困惑していたのだ。

 こんなにも純粋な心を向けられた事など一度もなかった。

 

「どれほど清らかな心を持とうとも、万人がシルキーになれるわけではない」

 

 ヴォルデモート卿は言った。

 

「貴様には魔法族の血が流れている。俺様がよく知っている血だ。なにしろ、貴様の両親の殺害を命じたのは他ならぬ俺様なのだからな」

 

 彼女の両親は不死鳥の騎士団ではなかった。けれど、ヴォルデモート卿に反抗する勢力に属していた。だから、殺した。

 なんと滑稽な話だろうとヴォルデモート卿は嗤う。

 彼女が救おうとしている男こそ、彼女の不幸の元凶だったのだ。

 

「そうなんだ」

「……貴様の心を壊した元凶は俺様だぞ」

「うん」

 

 ヴォルデモート卿は表情を歪めた。

 終わりの時は近い。既に彼の魂は無へ還ろうとしている。

 けれど、苦痛の理由は自己の消失ではなかった。

 

「どこまで愚かなのだ……? 俺様こそが元凶なのだ!! 恨むがいい!! 憎むがいい!!」

「……もう、いっぱい恨まれたでしょ? 憎まれたでしょ?」

 

 向けられた感情に怒りや憎しみはなく、ただ悲しみが混ざった。

 

「もう、苦しくならないで……」

 

 ヴォルデモート卿は理解出来ない感情に襲われた。

 胸が張り裂けそうになった。

 そして、彼の分裂した魂が彼の下へ帰って来た。

 

「わー! イケメン!!」

「…………愚か者め」

 

 瞳を輝かせるエミリアにヴォルデモート卿は顔を背けた。

 すべての魂が一つとなった時、彼はようやくエミリアから向けられている物の正体を理解した。

 アルバス・ダンブルドアが信仰するもの。

 ヴォルデモート卿が唾棄して来たもの。

 エミリア・ストーンズの無償の愛を前にして、ヴォルデモート卿は恐れ慄いていた。

 なんと恐ろしく、なんと抗いがたいものなのだろうか……。

 

「……アリス」

「え?」

「貴様の名はアリスだ。アリス・ベル。それがベル夫妻が娘につけた名だ」

 

 アリスは目を大きく見開いた。その様にヴォルデモート卿は微笑った。

 死の間際に生かされた。だから、死の間際に生かしてやろうと思った。

 ただの気まぐれだ。そう笑いながら、ヴォルデモート卿の魂は無へ還った。

 

「……トムくん」

 

 白い世界の輪郭が変貌していく。

 キングス・クロス駅はハリー・ポッターの心象世界であり、同時にヴォルデモート卿の心象世界だった。

 

「ありがとう」

 

 そして、アリスも白い小さな部屋から現実へ戻っていく。

 彼女はシルキー。還るべきは無ではなく、彼女を待っている人々の下だ。

 

 最終話『待っている人々の下へ』

 

 ヴォルデモート卿は討たれた。彼が操っていた人々も解放された。けれど、その爪痕はあまりにも深い。

 死者の数は100を超え、その多くが魔法界の名家であったり、魔法省の中枢に位置する人々だった。

 魔法省はルーファス・スクリムジョールが中心となって立て直しを図っている。

 

「大変そうだな」

「そうだね」

 

 日刊預言者新聞でスクリムジョールの奮闘振りを読みながら、エレインはエドワードと共にホグワーツの湖の湖畔に寝そべった。

 

「ついでに結婚年齢も引き下げてくれねーかな」

「そ、それは難しいんじゃないかな……」

 

 困ったように笑うエドワードにエレインはムッとなった。

 

「おい! お前はわたしと結婚したいんじゃなかったのか!?」

 

 そう怒鳴りながら、彼女はエドワードの唇を奪った。

 その姿を遠巻きに見ながらハーマイオニー・グレンジャーとレネ・ジョーンズは不満そうだった。

 

「エドも大変よねぇ」

「だねぇ……」

 

 人には友情より恋愛を優先する事を責めていながら、自分はエドワードにばかりかまけて友達を放ったらかしにしているエレインに彼女達は些か不満を抱いていた。

 

「でも、エドは凄いよね。例のあの人に勝っちゃうんだもん」

「愛のなせる技って奴なのかしらねぇ……」

 

 ハーマイオニーはカバンから羊皮紙を取り出した。

 

「結婚式の友人代表スピーチの草案でも作っとこうかしらね」

「き、気が早すぎると思うよ……?」

「安心して。レネとアランのスピーチもちゃんと考えておくから」

「ハ、ハーマイオニー……」

 

 ハリーとジニーもいい感じ。ロンとエミリアもいい感じ。エリザベスとジェーンも女同士だけど怪しい感じ。

 

「……なんか、取り残された感がすごいんだけど」

「カ、カーライルとかは?」

「あまり者同士くっついとけって?」

 

 ギロリと睨むハーマイオニーにレネはあうあうと困り顔だ。

 

「……まあ、気長に考えてみるわよ。もう、焦らなきゃいけない状況でもないし」

 

 世界を震撼させた悪は滅び、波乱万丈だった三年目と較べて、四年目には平和な世界が戻って来た。

 今はその平穏を甘受しよう。

 

「そ、そう言えば! アランが言ってたんだけどね? 来年、三大魔法学校対抗試合が復活するかもなんだって!」

「え、そうなの!?」

「前々から密かに進められていた計画なんだって! 別の魔法学校の人達も来るみたい!」

「たのしみね!」

「うん!」

 

 ◆

 

 平和な時代が続いていく。

 ハーマイオニーがダームストラング専門学校のクラム・ビクトールという少年と交際を始めるのが一年後の事。

 エレインとエドワード、レネとアランが合同で結婚式を挙げるのが四年後の事。

 ハーマイオニーとクラムの国際結婚のニュースが日刊預言者新聞の一面を飾ったのが五年後の事。

 ロンとエミリアが魔法界でも稀に見るゴーストとシルキーの結婚式を挙げるのが六年後の事。

 ハリーとジニーの結婚式がその半年後の事。

 彼らの子供達がホグワーツに入学するのが十六年後の事。

 両親が亡くなり、ロンとエミリアがホグワーツに住み憑き始めたのが六十年後の事。

 そして……、

 

『……黒髪だとイメージ変わるね』

 

 エレイン・ロットは棺の中で横たわっていた。

 太陽を思わせる明るい髪色は魔法力が失われた事で夜を思わせる黒色に変化している。

 

『92歳だもんね。大往生じゃん』

 

 共にホグワーツに通った友人達。その最後の一人も旅立った。

 ゴーストの身でありながら友人の代表として葬儀に列席したロンは隣に座る伴侶の肩に触れた。

 

『……そろそろ、僕達も行こうか』

 

 エミリアは頷いた。

 ヴォルデモートから本当の名を教えてもらった後も彼女はエミリア・ストーンズであり続けた。

 そして、今日がエミリア・ストーンズとしての最期の日となった。

 二人の旅立ちを多くの人が見守った。

 みんな、赤ん坊の頃から成長を見守ってきた子供達だ。

 彼らに手を振り、二人は白い世界へ足を踏み入れる。

 そこは隠れ穴だった。隠れ穴を超えるとエレインとエドワードの家だった。その家を超えるとレネとアランの家だった。その家を超えるとネビルとルーナの家だった。

 たくさんの友達の家を抜け、二人で過ごした草原を超え、マッキノン邸を超え、スラムを超え、ホグワーツを超えた。

 白い小さな部屋でしかなかったエミリアの心象風景はロンと過ごした長い年月でここまで広がっていた。

 そして、その先でエレイン・ロットが待っていた。

 

「遅いぞ!」

「いやいやいやいや! 君の葬式の準備で時間が掛かったんだよ!?」

「頑張って盛り上げたんだよ!」

 

 開口一番に文句を言うエレインにロンが突っ込むと、エミリアも頬を膨らませた。

 

「いいから行こうぜ! みんなも待ってるんだからさ!」

 

 そして、三人の魂は還るべき場所に還っていく。

 彼女達を待っている人々の下へ。


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