第十三話『覚悟』
ルーファス・スクリムジョールは腹心であるガウェイン・ロバーズと共にエドワードの部屋へ向かった。
ノックをすると、中から少女の声が響いた。
「どうぞ」
「お邪魔する」
扉を開けると、そこにはエドワード・ロジャーの頭を膝に乗せているエレイン・ロットの姿があった。
「……おっと。本当にお邪魔だったようだな。申し訳ない」
彼女の膝枕で眠っているエドワードは目元を赤く腫らしながらも穏やかな寝息を立てていた。
「別にかまわないよ。ちょうど、エドも落ち着いたところだ。困ったもんだぜ。人の囚人服を鼻紙扱いしやがって」
エレインが視線を向けた先にはクシャクシャになって丸まっている囚人服があった。
彼女がヌルメンガードで着せられていたものだ。
「このこの……」
頬を緩ませながら、眠っている恋人の頬を優しくつつく彼女の姿にスクリムジョールは安堵を覚えた。
少なくとも、表面的には落ち着いている。彼女の身に起きた出来事を考えれば、他人に対して理不尽な八つ当たりをしたり、泣き叫んでいてもおかしくなかった。
「……彼が起きたら、上の階の……、君が移動キーで現れた部屋に来てくれ。色々と話を聞きたい。辛い事を思い出させてしまうかもしれないが……」
「そんなに気を遣わなくても平気だよ。ダレンの記憶を見ただろ? 別にレイプされたわけでもないしな」
「う……、うむ。まあ、だが……うむ。では、後ほど頼む」
「おう!」
スクリムジョールはゴホンと咳払いをするとガウェインに向き直った。
「……戻るか」
「え、ええ」
年頃の少女の口からレイプという単語が飛び出してきて、二人の歴戦の勇士は少々狼狽していた。
「……魔法使いって、初心なヤツが多すぎじゃね?」
エレインは苦笑しながらエドワードの頬をペシペシと叩いた。
すると、目を覚ました彼にいきなり抱きつかれた。
「エレイン!! ああ、本当にエレインだ!! ゆ、夢じゃないよね!?」
「はいはい、夢じゃないぞ」
ついさっき、滝のように涙を流していた癖に、エドワードはまたもやシクシクと涙を流し始めた。
「……仕方のないヤツめ」
背中をポンポン叩きながら、彼の涙や鼻水が服にベッタリとくっついても気にすることなく、エレインは微笑んだ。
「悪かったよ。心配させて」
「ぼ、僕、君を守れなくて……」
「なら、次は守ってくれよ」
「エレイン……」
エレインはエドワードの耳元で囁いた。
「あーんまりウジウジしてっと、そろそろ怒るからな?」
エドワードは震えた。
「う、うん」
「そうそう。それでいいんだ。私はお前の笑顔が好きなんだからな」
「エレイン……」
茹でダコになる彼に、エレインはケタケタと笑った。
「よーし。それじゃあ、上に行くぞ。爺さん共が呼んでる」
「爺さん共……?」
「ダンブルドアと……、あと、あの二人は誰だっけ? まあ、いいや。それと、聞いたか? イリーナは無事だったってさ! 病院に入院してるけど、生きてるって!」
「……ほ、本当?」
「おう! 今度、御見舞に行こうぜ」
「う、うん!」
またもや泣き始めたエドワードを落ち着かせ、エレインはダンブルドア達の下へ向かった。
部屋にはドラコ・マルフォイとウィリアム・ロジャーの姿もあった。
「よう、ウィル!」
「……無事でよかったよ、エレイン」
ウィリアムはエレインの顔を見ると、顔を伏せながら言った。
「……この似たもの兄弟め」
ウィリアムが罪悪感を抱いている事を察し、エレインはため息を吐いた。
「ウィル。顔を上げろよ」
「……ああ」
「爽やかフェイスが台無しだぜ?」
「……気を遣わせて、すまない」
彼の言葉に苦笑を漏らし、エレインは言った。
「ありがとな、ウィル」
「……なにがだい?」
「エドを逃してくれた事だよ」
「……意識があったのか」
「ダレンの記憶で見たんだよ。もし、エドが死んでたら、私はここに居なかった。たぶん、殺されるまで暴れ続けていたと思う」
エレインの言葉にエドワードは青褪め、ウィルはため息を吐いた。
「君なら、そう言うと思ったよ」
「逆の立場なら、お前も同じ事をするだろ?」
「ああ、間違いなくね。エドにもしもの事があったら……、俺は耐えられないよ」
「同感だ。もし、逆の立場なら、私もウィルを切り捨てた。エドが最優先だからな。だから、互いに恨みっこ無しでいこうぜ」
「……ああ、そうだね」
エレインとウィリアムが互いに笑みを浮かべる様を見て、ドラコはこっそりとエドワードに囁いた。
「君、ずいぶんと重たい人間に好かれているね」
「えっ!? エレインは軽いよ! まるで羽みたいに! ウィル兄ちゃんは……うーん、重いかな? でも、痩せてると思うよ?」
「……ああ、うん。そうだな」
ドラコは、どこか呆れた目でエドワードを見た。
「さて、よろしいかな?」
ダンブルドアが手をたたきながら言った。
「……まずは、ミス・ロット。お主がダレンを打ち倒した後の事を聞かせてもらえるかね」
「いいけど、話すより見せたほうが早くね?」
エレインは杖で眉間を叩くと、取り出した記憶を近くの水盆に落とした。
「これって?」
「憂いの篩だ。聞いた事ないか?」
「えっと……、前にドラコが話してたっけ」
「ああ、だいぶ前だけど、勉強会で話したぞ。記憶を他者に見せるための魔術品だ」
ドラコは出来の悪い教え子を小突くと、そのまま彼の頭を水盆へ近づけた。
全員が意識をエレインの記憶に飛ばすと、そのあまりの惨状に誰もが震えた。
出会い頭に陰嚢を潰され、記憶を消去される死喰い人達。
まさに死屍累々。
記憶の再生が終わると、エドワードとドラコは少し腰が引けていた。
「……なっ、なるほど。こうして脱出したわけか」
青褪めた表情でスクリムジョールが言うと、エレインは「おう!」と悪そうな笑みを浮かべた。
「どんなに屈強な男でも、そこだけは鍛えられないからな。潰してやれば確実に行動不能になる」
「……これは、敵ながら同情を禁じえませんね」
「し、しかし、これは効率的であり、実践的だ。たしかに、人体のどこを壊すよりも的確に行動不能状態にする事が出来る。……しかし」
スクリムジョールは引き攣った表情のままエレインを見た。
「君は、杖なし呪文の才能を持っているのだな」
「杖なし呪文?」
「そうだ。君は杖を持たなくても魔法を発動させる事が出来る筈だ」
「マジで!?」
エレインはダンブルドアを見た。
「そのようじゃな。極めて稀な才能じゃ」
「……えっと、これも鷹の目みたいにマッキノンの血が関係してんのか?」
「いいや、マッキノン家に伝わる能力は鷹の目のみ。もっとも、条件の一つである極大の魔力がマッキノンの血に由来する事は否定せぬがのう」
「ふーん。鷹の目といい、マッキノンの血ってスゲーんだな」
他人事のように言うエレインにダンウルドアは目を細めた。
「……そろそろ、お主には話しておいたほうがいいかもしれんのう」
「なにが?」
「お主の血。マッキノン家についてじゃ」
エレインは嫌そうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
エドワードが問いかけると、エレインは肩を竦めた。
「……なんて言えばいいのかな。私がホグワーツに入学するまで、生きるために使っていた力が私自身のものじゃなかったんだなって……。私にとって、マーリンとバンは教科書に乗ってる有名人程度の認識しかないんだよ。だから、感謝しないといけないのに、どうもモヤモヤするんだ」
「お主にとって、やはり親はエミリア・ストーンズという少女のみを指す言葉なのじゃな」
「そういう事だよ。鷹の目のおかげで私はヌルメンガードを脱出出来た。他にも、知らなかっただけで、マーリン……いや、マッキノンの血に何度も助けられてきた。なのに、やっぱり他人としか思えないんだ」
エレインは自嘲するように言った。
「ダレンがマーリンとバンを殺した張本人だって聞いても、心が全然揺れなかった。そんな事よりも、エドの父親である事の方が衝撃的で、それ以外の事をどうでもよく思った」
眉間に皺を寄せ、エレインはつぶやく。
「さすがに……、人でなし過ぎるだろ」
「エレイン……」
エドワードはエレインの肩を抱いた。
「……エレインは人でなしなんかじゃないよ」
気休め程度の言葉しか掛ける事の出来ない己を、エドワードは歯痒く思った。
「エレイン・ロット。お主にとって、世界とは直接触れたものが全てなのじゃな」
ダンブルドアは言った。
「眼で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、肌で触れて、そうして感じた世界こそ、お主にとって唯一無二の現実なのじゃろう。他者のように、大きな流れに流される事も、空想に溺れる事も無い。きっと、一時でもマーリンとバンに会う事があれば、彼らもお主の現実に取り入れられる事じゃろう。お主は人でなしなどではない。ただ、強いだけじゃ」
「……こんなの、強さじゃないだろ」
エレインはため息を吐きながらエドワードにもたれ掛かった。
「それで? マッキノンの話ってのは?」
「……マッキノン家はロウェナ・レイブンクローの末裔じゃ。本来、鷹の目とは彼女の持つ力じゃった」
「わーお」
あまりにも予想外な話に、エレインは眼を丸くした。
スクリムジョール達にとっても寝耳に水だったようで、ぽかんとした表情を浮かべている。
「これは、あまり知られておらん。黒き髪に、黒き瞳の賢明公正なる魔女。彼女の瞳もまた、万里を見通し、嘘を見破り、変装を看破したという」
「私の髪と眼は琥珀色だぜ?」
「それはお主の魔力が瞳と髪を染め上げた結果じゃよ。レイブンクローは普段、魔力を封じておったそうじゃ。何もかも視えるということは、見るべきではないものまで視えてしまう事があるからのう。お主も、魔力を封じれば黒い髪に黒い瞳となるじゃろう」
「魔力が瞳や髪を染める事なんてあるのか!?」
「そこまでの影響を及ぼす程の魔力の持ち主は少ない。じゃが、稀におる。たとえば、あのヴォルデモートも、興奮した時に瞳の色を赤く染める事があった。あれは、あの者の魔力が瞳を染め上げた結果じゃ」
「ゲェ……。アイツと一緒なのかよ」
嫌そうに表情を歪めるエレインを尻目に、ダンブルドアはエドワードに顔を向けた。
「さて、次はお主の番じゃ」
「ぼ、僕ですか?」
「うむ。お主に聞きたい事がある。分霊箱という言葉を知っておるな?」
「……どうして」
エドワードの表情がこわばった。
「エレインが持ち帰ったダレン・トラバースの記憶にあった。お主は、分霊箱の詳しい説明を聞いたことがあるのではないかね」
エドワードはゴクリとツバを呑みながら頷いた。
「……知っています」
「教えてほしい」
エドワードは少し迷った様子を見せ、それからハッとした表情を浮かべた。
「ま、まさか……」
「どうした?」
エレインが心配そうに声を掛けると、エドワードは震えた声で分霊箱の説明を始めた。
闇の魔術の中でも、最も恐ろしく、最も穢れた術であり、殺人行為によって命を分割し、死後も魂を現世に縛り付ける邪法である事を……。
「……これが、僕の知っている知識です」
エドワードが説明を終えると、部屋には沈黙が広がった。
「……どうやら、ダンブルドアの考えは正しかったようだ」
「そのようじゃな」
スクリムジョールは深く息を吐くと、エレイン達に向き直った。
「情報の提供に感謝する。君達は部屋に戻りなさい。多少不便を掛けると思うが、状況が落ち着くまではここに居てもらう必要がある。何か入用があれば遠慮なく言ってほしい」
「は、はい」
「おう」
エレインとエドワードが頷くと、スクリムジョールはドラコを見た。
「君も、彼らと一緒にいなさい」
「……僕は」
「君の協力には感謝している。だが、ここから先は私達に任せなさい」
有無を言わさずにスクリムジョールはドラコをエレイン達と共に部屋の外へ追い出した。
「……クソッ」
追い出されたドラコは腹立たしげに扉を蹴りつけた。
「ドラコ……」
エドワードが心配そうに声を掛けると、ドラコは息を吐いた。
「……とりあえず、ここの案内をするよ。ついてきたまえ」
「う、うん!」
「おう!」
◇
三人が立ち去った事を確認すると、スクリムジョールは言った。
「……実際、分霊箱は幾つあるとお考えですか?」
「ヴォルデモートがあそこまで変貌した理由は複数の分霊箱を作った事が原因ではないかと、貴方は仰っておりましたね」
スクリムジョールとガウェインの言葉に、ダンブルドアは「おそらく……」と険しい表情を浮かべながら言った。
「六つじゃろう。七は数秘学上で最も強い数字と言われておる。あやつならば、その数字を選んだはずじゃ」
「六つ……」
スクリムジョールは舌を打つと杖を取り出した。
「一度、報告を聞きに戻ります。ガウェインはここに残り、子供達の保護を頼む」
「かしこまりました」
スクリムジョールが姿をくらますと、ガウェインも部屋を退出した。
「……さて、これで確証は得られた」
残されたダンブルドアは思考に耽る。
やはり、スネイプの死は痛手となった。本来ならば、隠密に事をすすめる必要があったが、彼の死によってダンブルドアの手札は一気に減った。
加えて、ムーディとマクゴナガルの死。スネイプ亡き後、最も信頼の置ける二人を失った事で、ダンブルドアは完全なる劣勢に立たされた。
もはや、取れる手段は限られており、使える駒にも限りがある。
「大々的に動けば、わしらが分霊箱の存在に気づいている事があやつにも気付かれる。さすれば、あやつは分霊箱を何としても奪われないように隠すじゃろう。……さて、どうしたものか」
かねてより考えていた手はもはや使えない。かくなる上は、使いたくなかった手を使うしかないかもしれない。
「……不死の存在ならば、殺さなければ良い。霊体さえ通さぬ密室の中に閉じ込め、地中か、あるいは海中深くに封じてしまえば、分霊箱の存在など関係なく無力化する事が出来る。じゃが……」
それでは、あまりにも非情過ぎる。
生きながら、地獄に落とすようなものだ。
「トム……、すまぬ」
もはや、残された手で彼の者に救いの手を伸ばす事は出来ない。
ダンブルドアはさっきまでこの部屋にいた少女の事を思い出した。
「……同じ境遇にありながら、何故じゃ」
エレイン・ロットとヴォルデモート……、トム・リドルの境遇はとても似ていた。
まず、二人共、マグルに虐げられた過去を持つ。エレインはロット家で、トムは孤児院で、共に化け物として扱われた。
そして、二人は偉大なる魔法使いの血を受け継いでいた。エレインはロウェナ・レイブンクロー。トムはサラザール・スリザリン。
加えて、二人は共に魔法使いとして優れた才能に恵まれた。
「一方は闇に呑まれ、一方は光の中を進んでおる。トムにも、エレインと同じように生きる道があった筈」
グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、スリザリン。
四つの寮の生徒が、魔法生物飼育クラブで友情を育む姿に、ダンブルドアは少なからず衝撃を受けていた。
その中心にエレインがいた。悪の道に走ってもおかしくない経歴を持ちながら、彼女はどこまでもまっすぐであり、光り輝いていた。
「エミリア・ストーンズ。是非、会ってみたかったのう……」
エレインに生きる道を示した少女。
「……わしはトムが悪の道に走る事を止められなかった。お主ならば、止められたのかのう」
顔も知らない、幼くして死んだ少女にダンブルドアは畏敬の念を抱いた。
「わしに出来る事は、これ以上の惨劇を止める事だけか……」