第三話『ロナルド・ウィーズリーの死』
震えが止まらない。
ヴォルデモートを自称する青年が遺した言葉と、エレインの発した言葉が頭の中で反響し続けている。
――――……テメェ、ロンまで殺したのか!?
――――寝床に戻ったら、僕のベッドの下を探してごらん。
目の前で、ダンブルドアがロンのベッドを調べている。
「……これじゃな」
そこにはトランクが隠されていた。
嫌な予感がする。見るべきではないと、本能が警鐘を鳴らしている。
「大丈夫そうじゃな」
ダンブルドアが慎重な手つきでトランクを開いた。
「暗いのう……。
ダンブルドアがトランクの中に杖を向けた。
「……なんという事を」
その言葉には怒りが滲んでいた。
「……なにがっ、なにが入っているんですか!?」
パーシーが叫んだ。
その顔は死人のように真っ青だ。
「中を見るなら、覚悟する事じゃ」
そう言って、ダンブルドアはトランクの前から退いた。
パーシーが中を覗き込むと、彼は絶叫した。深い哀しみを帯びた叫びに、フレッドとジョージが後退った。
「嘘だよな……?」
「冗談やめろよ……」
パーシーはその場で崩れ落ちた。頭を抱えて、蹲っている。
いつも冷静で、ロンに鼻持ちならないヤツと言われていたパーシーが、まるで幼い子供のように泣きじゃくっている。
「パーシー……。なあ、おい……、どうしたってんだよ」
頭を振りながら、フレッドがトランクに向かった。
そんな筈はない。そう呟きながら、パーシーの肩を叩こうと手を伸ばした。
そして、彼はトランクの中を見てしまった。
「……なんでだよ」
フレッドは、まるで獣のような叫び声を上げた。
「ロン!! ロン!! そんな所で何をしてんだ!!」
トランクの中に向かって怒鳴りつけるフレッド。
誰かが僕の服の袖を掴んだ。
ジニーが涙をこぼしながら首を横に振り続けている。
「……うそ。うそに決まってる。こ、こんなの、絶対……、ありえない」
僕は、何も言えなかった。口を開くと、嗚咽がもれそうになった。
「……そこにいるのか?」
ジョージが哀しみに満ちた声で呟いた。ゆっくりと、フレッドの傍に歩み寄る。
そして、トランクの中を覗き込み、泣いた。
「……ロン。怖かったよな。い、今、だ、出して、出してやるからな……」
ゆっくりとトランクの中へ入っていく。
気づけば、僕の足は勝手にトランクの方へ歩き出していた。
嘘だ。嘘に決まっている。みんな、質の悪い冗談を口にしているに違いない。そこにはロンなんていない。いたとしても、きっと意地悪な笑顔を浮かべている筈だ。
それを確かめる為に、そっとトランクの中を覗き込んだ。
「……いやだ」
ジョージがトランクの底に横たわるロンをそっと抱き上げていた。
僕は立っていられなくなった。
あまりにも悲しくて、悲しすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
「兄さん……? なんで、なんで……、なんで、そんな……」
ジニーは僕の腕に縋り付いて泣き出した。僕も、ジニーに縋った。
そうしないと、とても耐えられない。
ジョージがロンを抱えて出て来た。だらんとした腕、土気色の肌、漂う腐臭。床に降ろされたロンは、息をしていなかった。
「あっ……、ああ、ああああああああああああああああああああ!!!」
それが誰の叫び声なのか分からない。
僕のものなのか、ジニーのものなのか、パーシーのものなのか、フレッドのものなのか、ジョージのものなのか……。
きっと、全員だ。
「何してんだよ、ロン!! 馬鹿野郎!! 冗談じゃないぞ!! 起きろよ!! 起きろよ!!!」
ロンの肩を掴んで、フレッドが怒鳴りつけた。
けれど、ロンは何も応えない。
「起きろよ!! 目を開けろよ!! お、お前が……お前が欲しがってたチャドリーキャノンズのグッズ、なんでも買ってやるから!!」
顔をグシャグシャにしながら、ロンに縋り付いて、パーシーが叫んだ。
「起きて……、お願いだから、起きてよ。嘘よ……、冗談なんでしょ!! やめてよ!! お願いだから目を覚まして!!」
可愛がっていた妹の頼みにさえ、ロンは聞き耳を持たなかった。
酷い奴だ。みんなを泣かせて……、何をしているんだ!!
「起きろよ、ロン!! みんな、君を待ってるんだぞ!! ジニーを泣かせるなよ!! 兄貴だろ!! 起きろよ、ロン!!」
どんなに叫んでも、ロンが応えてくれない。
なんでだよ。意味が分からないよ。
「……皆の者。そろそろ、ロナルド少年を休ませてやらねばならぬ」
「何言ってんだよ!! もう、十分に休んでる!! 休み過ぎだ!! 起きろよ、ロン!! キーパーのいろはを仕込んでやる!! 来年はお前がキーパーになるんだ!! クィディッチの選手になりたいって言ってたじゃないか!! チャドリーキャノンズに入るんだろ!! 僕達の貯金全部使って、最高の箒を用意してやるから、ほら、さっさと起きろ、この……、この……、この……、起きて……、起きてくれよ。お願いだよ……、頼むから、起きてくれよ」
フレッドはロンの手を握りながら、「起きてくれ……」と何度も、何度も呟き続けた。
ジョージはそんな彼の肩を抱きながら、静かな口調で言った。
「……ロンは十分に頑張ったんだ。あんな……、あんな暗闇で……、もう、眠らせてあげよう」
僕はロンの空いた手を掴んだ。冷たい。まるで、温度を感じない。
喉がカラカラに乾いていく。
頭の中に、ロンと過ごした思い出が駆け巡っている。キングス・クロス駅で初めてあった時から、ずっと一緒にいた。何も知らない僕に、いろいろな事を教えてくれた。
チェスの勝負で、僕はまだ一度も彼に勝てたことがない。クィディッチの選手になって、一緒に試合に挑む約束をまだ守ってもらってない。
「やだ……。やだよ、ロン……。やだ……」
こんなの嘘だ。何かの間違いだ。
「……ロンは死んだ。殺されたんだ……、あの男に」
ジョージが淡々とした口調で言った。
思わず顔を上げると、ジョージは今まで見たことがないほど、恐ろしい表情を浮かべていた。
「許さない……。絶対に、許さないぞ。僕の弟を……、まだ、十二歳だったのに!!」
殺された。
ロンが殺された。
その言葉が、少しずつ頭の中に染み込んでいく。
誰に殺された? どうして、殺された? どうやって、殺された?
あの暗闇の中で、ヴォルデモートはロンに何をした?
「……許さない」
これまで、僕にとってヴォルデモートという存在は話の中だけの存在だった。
かつて、僕が滅ぼした存在だと言われても、実感なんてわかなかった。
けれど、今は思う。あの悍ましい存在を、この手で葬り去りたい。嬲り殺しにしてやりたい。
「……ロンを、よくも……、よくも……」
もう、他の事なんて何も考えられない。
あの男をどう殺してやろうか、そんな事ばかり考え続けてしまう。
ロンは友達だった。初めての、親友だった。掛け替えのない存在だった。
「ロン……。ロン……。ロン……」
その時、恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
何故、ヴォルデモートはロンを殺した? どうして、ロンを狙った? ヴォルデモートの狙いはなんだ?
「……まさか、ヴォルデモートは」
体に力が入らない。
「ヴォルデモートは僕を狙って……、だから、ロンを……? なら、ロンは……、僕のせいで……」
「それは違う!!」
フレッドが怒鳴った。
「間違えるなよ、ハリー!! 殺したのはヴォルデモートだ!! あのクソ野郎だ!!」
僕の肩を掴んで、フレッドは言った。
「自分のせいだとか言ってみろ、ロンがどう思うか想像しろ!! これ以上、弟を苦しめるな!!」
パーシーも唇を噛み締めながら頷いた。
ジョージも拳を震わせながら「その通りだ」と言った。
「ハリー……」
ジニーが僕の腕を掴んだ。
「自分を……」
『そうそう。君の悪い癖だよ?』
「そう。その通り……、え?」
幻聴かもしれない。なんだか、すごく聞き覚えのある声が聞こえた。
「……ロン?」
なんだか、体が透けているけれど、そこにはたしかにロンがいた。
「な、なんで……」
『僕に聞かれても……。気付いたらこうなってたんだけど……』
ふわふわと浮きながらロンは気まずそうに僕達を見つめている。
「ロン……、なのか? 本当に!」
「お、お前……」
「ロン……」
フレッド、ジョージ、パーシーの三人も目を見開きながらロンを見つめた。
「……兄さん」
ジニーが手を伸ばすと、その手はロンの体をすり抜けた。
「……ゴーストになったの?」
『そうみたい』
頬を掻きながら、ロンは言った。
「だ、ダンブルドア先生!! ロンです! いました!! 助けてあげてください!!」
僕は慌ててダンブルドアに言った。
「……ハリー。ゴーストを救うという事は成仏させるという事じゃ」
「そうじゃなくて!! どうにか出来るはずでしょ!! ヴォルデモートだって、死んでた筈なのに生き返ってたじゃないですか!!」
「あやつは邪悪な術に手を染めておった。他の者には使えぬ」
「なんで、なんで、そんな事言うんですか! ヴォルデモートが生き返れるなら、ロンだって生き返られる筈でしょ!! ロンを助けてください!!」
『……ハリー』
ロンが困ったような表情を浮かべて僕に声を掛けた。
「ロン……」
『……僕、死んじゃったんだ』
「し、知ってるよ! でも、ダンブルドアなら!」
『どうにもならないよ』
「なんで、そんな事を言うんだよ!! 生き返れよ!! 僕、まだ君と一緒にいたいんだ!!」
『……嬉しいけどさ。無理なんだよ』
「なんで……」
ロンは悲しそうに言った。
『分かっちゃうんだ。もう、僕は生きられないって……。死んだから……、なのかな。傍にいるはずなのに、すごく……、遠いんだ』
「……兄さん」
ジニーが震えた手をロンに伸ばす。けれど、どんなに頑張っても、彼女の手はロンの体をすり抜けるばかりだった。
『僕、怖かった。暗闇の中に閉じ込められて……、何も食べられなくて……、何も飲めなくて……』
怒りが……、また蘇ってきた。
『死んだ時、すごく悔しかった。それに、君やジニーや、家族の事を思った。また、会いたいって……。そうしたら、こうなってた。きっと、望んじゃいけなかった事を望んだんだ』
「望んじゃいけないって、どういう事!? 会いたいって望んで、当たり前の事でしょ!?」
『ダメなんだよ、ジニー。覚えといて。死ぬ時は、出来るだけ満足して死ななきゃいけないんだ。じゃないと、ちゃんと逝けないみたいだ』
「……苦しいの?」
『うーん。苦しいっていうか、窮屈な感じかな。あんまり楽しい気分になれない感じ』
もう、頭の中がメチャクチャだ。
ロンに会えて嬉しいのに、同じくらい、怒りや哀しみが湧き上がってくる。
「ミスタ・ウィーズリー。君が望むのなら、わしがアチラに逝く橋渡しをしよう」
『……それって、今すぐですか?』
「君が望む時、望む場所で」
『なら、今はハリー達と一緒にいてもいいですか?』
「君が望むなら」
『……へへ。ねえ、ハリー。僕と一緒にいたいかい?』
「当たり前だろ!!」
『……なら、仕方ないね! 僕、もうしばらくコッチに残るよ。いつの間にか妹に手を出してる親友に説教もしてやりたいしね!』
「ロン……」
ロンは自分の死体を見つめた。
『死体はうちの庭に埋めてもらいたいな』
「そうしよう」
ダンブルドアが請け負うと、ロンは微笑んだ。