第十三話『侵入者』
魔法薬学の先生が変わった。アラスター・ムーディは片方の目が義眼で、鼻が少し欠けていて、他にも無数の疵痕を持つ男だった。
ハリー・ポッターは彼の自己紹介を聞きながら、奇妙な感情に囚われていた。ずっと憎んでいたはずのスネイプが、永遠にいなくなった事に一抹の寂しさを感じている。それはきっと、メリナのアトリエで見つけたマーリン・マッキノンの日記を読んだからだ。
それまで、ハリーはスネイプをある意味で特別視していた。極めて邪悪な存在だと考えていた。けれど、それは間違いだと気がついた。
スネイプはハリーの母親である、リリー・エバンズを愛していた。彼のハリーに対する憎しみは、愛していた女性を他の男に取られたからという、実に情けない理由からくるものだった。
その事実が、ハリーのスネイプに対する幻想を打ち砕いた。スネイプも、一人の人間なのだと気付かせた。
嫌な先生である事に変わりはない。けれど、これからはもっと素直な気持ちで接する事が出来ると思っていた。
「それでは授業を始める!」
ムーディの授業はスネイプに負けないくらい厳しくて、難しい。けれど、理不尽な言葉が飛んでくる事は無かった。
とても良い事の筈なのに、どうして素直に喜べないんだろう。ハリーはもやもやとした気分で授業を受けた。
◇
魔法薬学で感じたもやもやは、魔法生物飼育学の授業のおかげで見事に晴らす事が出来た。
ウィルヘルミーナ・グラブリー・プランク先生は優しくて、同時にユーモラスに富んだ人でもあった。
「さて、今日はアッシュワインダーについて学びます」
生徒達は焚き火を取り囲んで、その中から這い出てくる蛇を見つめた。
真っ赤に輝く目をした灰白色の細い蛇。その姿はとても美しい。
「アッシュワインダーは世界中に存在します。こうして、魔法の火を長時間放置していると創り出される生き物なので、魔法の火の扱いには細心の注意を払う必要があります。アッシュワインダー自体は、這った所が灰だらけになる程度でほとんど無害ですが、塵になる寸前、暗闇の中に鮮やかな赤い卵を産み落とします。その卵は常に高温を発している為、凍結呪文で適切な処理を行わなければ火事の原因になってしまうのです」
さて、とプランクは赤くて美しい卵を取り出した。
「これは凍結処理をしたアッシュワインダーの卵です。この卵はそのまま食べると熱冷ましとして使えますが、もう一つ用途があります。なにか分かりますか?」
誰も答えを知らなかった。けれど、プランクは怒るどころか、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「この卵は《愛の妙薬》の原料として、高い価値を持つのです」
その言葉に女生徒達がキャーキャーと声を上げた。
プランク先生は今年から前任のシルバヌス・ケトルバーンの後を継いで魔法生物飼育学の教師に就任した。
実はハグリッドもこの席を狙っていたけれど、結果はご覧の通り。
ハリーは可哀想に思いつつも、少しホッとした。ハグリッドにプランク先生と同じ授業が出来るとは思えない。きっと、危険な魔法生物を持ってきて、今とは違う意味での悲鳴を生徒達に上げさせていた事だろう。
◇
十月に入り、ようやく新しい授業に慣れてきた頃、ハリーは別の事で忙しくなった。クィディッチの訓練だ。
招集を受けて、ハリーが向かった先の競技場では、今年で引退するキャプテンのオリバー・ウッドは悲壮感を漂わせていた。
「今年が最後のチャンスだ! 俺の! 最後の! チャンスだ! クィディッチ優勝杯の!」
選手達の前を大股で行ったり来たりしながら、ウッドは拳を振り上げ、熱弁している。
「一昨年まではスリザリンが圧倒的だった! それは認めよう! しかし、去年! スリザリンの無敗記録に終止符が打たれた! ……正直に言えば、我々の手で奴等をコテンパンにしてやりたかったが、レイブンクローが優勝杯を獲得した! だが! だが! だが!! 今年は我々だ! 我々が勝つぞ! 分かっているな!!」
ウッドの演説を聞きながら、ハリーは去年の試合を思い出していた。
ドラコ・マルフォイ。セドリック・ティゴリー。そして、エレイン・ロット。
同じシーカーとして競い合った三人。マルフォイとセドリックには競り勝った。けれど、エレインには負けた。
ウロンスキー・フェイント。プロリーグの試合でも滅多にお目にかかれないとロンが絶賛していた彼女の
あの敗北が無ければ、グリフィンドールが優勝していた。
「悔しいか、ハリー!」
いつの間にか、ウッドがハリーの前に立っていた。
「……悔しいよ、ウッド!」
「ドラコ・マルフォイも、セドリック・ティゴリーも、お前にとっては敵じゃない。だけど、エレイン・ロットは危険だ! ハッフルパフ戦では、文字通り命懸けでハッフルパフから勝利をもぎ取り、スリザリンに負けたとなるや、とんでもない必殺技を習得してきた! あの女傑に勝てなければ、グリフィンドールに勝利はない! 分かるな、ハリー!」
「うん!」
「ならば、やる事は一つだ! 去年まで以上の訓練を行う! ついて来てくれるな、ハリー!!」
「はい!!」
「ついて来てくれるな、みんな!!」
「おう!!」
「はい!!」
「もちろん!!」
「勝つぞ!!」
「今年こそ!!」
後一歩の所まで近づいた優勝杯。今度こそ、グリフィンドールが勝ち取る。選手達の思いは一つだった。
燃え上がる闘志を胸に、ハリーは訓練に励んだ。そして、そんな彼にますます惚れ込んだジニーは甲斐甲斐しく彼のために尽くした。
練習では毎度の如く差し入れを運び、夜はズタボロになった彼を風呂場に叩き込み、着替えをさせて、宿題をやるように発破をかける。優しく、厳しく、彼女はハリーを助けた。
スキルを鍛え、恋人との絆を深めながら、ハリーは日々を過ごしていく。
◇
ハロウィンの日。ハリーは少し落ち込んでいた。
ホグワーツでは、三年生になると年に数回、ホグズミード村に行く事が許される。けれど、ハリーは保護者の許可を得る事が出来なかった。
「ハリー」
みんなが浮かれている傍で俯いていると、ジニーが声を掛けてきた。
隣に座り、そっと寄りかかってくる。
香水を使っているのか、心地良い香りが鼻孔を擽る。
「ジニー」
たったそれだけの事で、ハリーの鬱屈した気分は晴れてしまった。
ジニーの肩を抱き、ハリーはいい事を思いついた。
「ちょっと、待ってて!」
「ハリー?」
ハリーは急いでレイブンクローの席に向かった。目的はエレインだ。
彼女はエドワードと話をしていた。
「エレイン!」
「どうした?」
「アトリエをジニーに見せてもいいかな?」
「アトリエって?」
エドワードが首を傾げると、エレインは腕を組んで唸った。
「うーん。イリーナからは秘密にしろって言われてるしな……」
「頼むよ、エレイン」
「……っていうか、お前はホグズミード村に行くんじゃないのか?」
「僕は留守番だよ。保護者の許可が貰えなかったからね」
「そうなのか……。まあ、あそこはお前の母親のモノでもあるからな。好きにしていいと思うぜ」
「あっ、ありがとう!」
お礼を言って踵を返すと、エドワードに肩を掴まれた。
「えっと、どうしたの?」
「……アトリエってなに? 秘密とか、ハリーの母親のものとか、どういう意味?」
突然、エドワードに敵意を向けられて、ハリーは困惑した。
「……エド」
すると、エレインはエドを抱き寄せて膝に座らせた。
「な、なにしてるの!?」
エドワードが顔を真っ赤にして叫ぶと、エレインは更に強く抱き締めた。
「ヤキモチをやくような事じゃねーよ。今度、お前にも見せてやるからさ」
「一体なんなの!?」
エレインはジェスチャーでハリーに「行け」と言った。
ハリーは片手を上げて感謝の意を示し、恋人の下へ戻った。
すると、ジニーはムスッとした表情で彼を出迎えた。
「ど、どうしたの?」
「……さあ、どうしたのかしらね! いきなり立ち上がったかと思えば、別の女の子の下へ走っていくなんて!」
ハリーは頬を緩ませた。あばたもえくぼと言うように、ハリーはジニーの嫉妬を最高の愛情表現として受け取った。
「ジニー。君に見せたいものがあるんだよ。エレインには、その許可を貰ってきたんだ」
「見せたいもの? それに、許可って?」
「ほら、ついて来て」
困惑するジニーの手を引いて、ハリーはメリナのアトリエへ向かった。
◇
アトリエを見たジニーはハリーを問い詰めた。
「……ねえ、この個室空間にエレインと二人っきりで過ごしたって事?」
ハリーは恐怖した。まるで、ノーバートと対面しているかのようだ。
さっきは可愛いとさえ思った恋人の嫉妬が、今はただただ恐ろしい。
「ハリー。この生活感に溢れた環境で、あの女とナニをしていたのかしら?」
「お、落ち着いて、ジニー。へ、変な事は何もしてないから……」
「このパンツはなによ!? なんで、こんなものが落ちてるの!?」
「あっ、それはママのだよ!」
「ママ!? 二人っきりの時はエレインをママって呼んでるの!?」
「違うよ!? なんで、そうなるの!?」
「ひ、酷いわ、ハリー! わ、私だって、言ってくれれば、そういう事だって……、そういう変態っぽい趣味にだって付き合ってあげるのに!」
「何を言ってるの!?」
涙目になって責め立ててくるジニーの誤解が解けたのは日が暮れ始めた頃だった。
ハリーは心底疲れ果て、頬を赤く染めながらジニーが淹れてくれた紅茶を飲んだ。
「……というわけで、ここはママとエドの母親が使っていた場所なんだ」
「さ、先に言ってくれればいいのに!」
もはや何も言うまい。ハリーは大人しく紅茶を啜る。
「そろそろ日が暮れるし、今日は戻ろうか」
「そ、そうね!」
二人が寮に戻ると、その入口に人だかりが出来ていた。
「どうしたんだろ?」
ジニーも「さっぱり」と肩を竦めた。
しばらく待つと、ダンブルドアがマクゴナガルとルーピン、そして、ムーディを引き連れて現れた。
「……これは、非常にまずいぞ」
ムーディが言った。
四人が来た事で人垣が崩れ、ハリー達にも奥の様子が分かるようになった。
「……ひどい」
ジニーが呟いた。
グリフィンドール寮の入り口である《太った婦人の肖像画》がズタズタに引き裂かれていた。
ダンブルドアは次々に先生達に指示を飛ばしていく。すると、その頭上にポルターガイストのピーブズが現れた。
ピーブズは言った。
『お可哀そうに、ズタズタだ! あいつは癇癪持ちだね! あのシリウス・ブラックは!』