さっちん喰種   作:にんにく大明神

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長いこと放置してすみません。
話は進んでませんすみません。


おかしな客

 

 

 

 

 

「それでねえ、二人目の子が生まれた頃に家を買うからって――」

 

「はあ、家を出られたんですね?」

 

「そうなの。それからはもう正月とお盆くらいしか帰ってこなくてねえ。本当に薄情なんだから」

 

 夕暮れの公園。昼間遊び回っていた子供たちも家路についたらしく、さつきは老婆と二人公園のブランコに取り残された。聞き取り調査の一環のはずが、気付けば小一時間話し込むことになっていたさつきであった。というのも、老婆が久々の話し相手であるさつきを離さなかったのである。

 

「ちょうどそこの彼みたいにぼんやりした子でねえ、まったく。親のことなんて忘れてるんじゃないかね」

 

 老婆が顎で指し示した先には、ベンチに座って平子がさつきの聞き取りが終わるのを待っていた。老婆の声は明らかに平子にまで届いていたが、平子は微動だにしなかった。

 

「はは、まさか、そんなことないですよお」

 

 老婆に合いの手を入れつつ、さつきは内心冷や汗をかきながら平子の表情を窺うが、やはりそこに喜怒哀楽は読み取れなかった。

 平子と共に行動することになって数日たったにも関わらず、さつきの平子に対する理解は深まりはしなかった。むしろ、さつきの今の平子に対する印象はどんどん理解不能といったものに近くなっている。隣を歩いている人間が表情筋を動かす瞬間が一切ないというのはなかなかに気味が悪いもので、さつきは平子のあまりの感情表現の無さにいっそこの人はロボットか何かなのかもしれないという妄想まで始める始末だった。

 しかし感情が無いということは、やはり人間である以上あり得ないことはさつきも分かっていたので、平子が極端に感情を表に出していないだけなのだということも当然分かっていた。問題はそこだった。

 もしかしたら、こうして老婆と時間を消費している今も、平子は手間取るさつきに対してその無表情の奥で怒りを滾らせているかもしれないのだ。他人の心が読めないことの不便を二十年近く生きて初めて実感するさつきであった。

 

「あら、もうこんな時間じゃない」

 

 老婆はふと見やった自身の腕時計が午後の六時を指し示しているのを見て、ぼんやりとつぶやいた。

 

「引き止めちゃって悪かったわね」

 

「い、いえ。もし何か変わったことなどあればCCGまで……」

 

 杖を突いてベンチから立ち上がる老婆に、さつきは財布から名刺を取り出して手渡した。名刺など自分とは縁遠い存在だと長いこと考えていたので、さつきは名刺を手渡す瞬間はいつも一種の気恥ずかしさのようなものを感じていた。

 

「さつきちゃん、ね。……私の姪っ子と同じ名前だわ」

 

 老婆は渡された名刺を一通り眺めそんなことを呟いた。それから曖昧な表情で相槌を打つさつきを見て一笑いした後、見送るさつきを背に老婆は危なげない足取りで公園を去って行った。そうして公園には場違いなスーツの二人が取り残された。

 

「そろそろ支部に戻るか」

 

「はい」

 

 平子の平坦な言葉を合図にその日の外回りは終了した。さつきの期待とは裏腹に、平子が今までのさつきと老婆のやり取りについての是非を口にすることは終ぞ無かった。

 支部への帰路、さつきはこっそりと平子の表情を窺ったがやはりそこになにがしかの感情を読み取ることは出来なかった。本当にこの上司と上手くやっていけるのだろうかという不安でさつきはどうにかなってしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 喰種と一口に言ってもその生活水準は各喰種によって大きく異なっていた。社会的立場を持って人間社会に溶け込む者もいれば、読み書きすら出来ず半ば獣のような生活を強いられている者もいる。ただ、その全ての喰種に共通するのが、自身が喰種であるということを人間に知られてはいけないという点である。

 現在地球を支配しているといっても過言ではない人間にとって、唯一といっていい天敵が喰種である。種の天敵である喰種は人間にとってその存在すら許されないものであり、ひとたびその姿が確認されればあらゆる手段を使って抹殺された。

 そのため、人間と比べて生物としては圧倒的な能力を有するにもかかわらず、喰種は皆必死に己の爪と牙を隠し人間の社会に溶け込んだ。

 トーカこと霧嶋董香もまた、そんな人間社会に溶け込もうとする喰種の一人だった。

 両親を人間の手で奪われた彼女にとって、喰種を拒む人間社会は忌むべき存在である。かといって、彼女は人間への復讐などという薄暗い決意をしているわけではない。父が死んだ際も、トーカは残された弟と二人、この先の人生日の当たらない場所だけで生きていくであろう現実を受け止め、弟を守って生きていく覚悟をしただけだった。

 しかし、本人もどうしてそうなったのか未だによく分かっていないが、とある人物の計らいで彼女は四月から高校へと通い始めていた。高校での生活はトーカに、憎むべき存在で、自分たちの食料程度にしか思っていなかった人間に対して、より複雑な感情を抱かせるようになった。

 トーカは高校に通い始めると共に、喫茶店でアルバイトも始めていた。

 二十区にあるその喫茶店『あんていく』はただの喫茶店ではない。というのも、その店の従業員はトーカをはじめその全てが喰種なのである。外観はただの喫茶店であるので当然人間の客が来店するが、店員が喰種であることから、人間と同じくらい喰種も足を運んでいる。そこの店長の喰種――芳村が何を思って喫茶店をしているのかトーカには分からなかったが、高校に通えるようにしてもらった恩もあり一概に彼をただの奇人だと断ずることも出来なかった。

 

 九月の最初の週の日曜日。その日もトーカは『あんていく』の従業員としてアルバイトに精を出していた。

 時刻は三時をまわり、客足がまばらな『あんていく』からまた一人客が去って行く。それを見て繁忙時を過ぎたことを確信し、トーカはゆっくりと息を吐いた。

 『あんていく』は決して混むことは無い。利用した客の評価は高いが、いかんせん駅前などの良い立地ではないので、客層のほとんどは常連客である。そのためいつも満席とは程遠いのんびりとした営業となっている。それでも昼時はトーカも目を回すほどの忙しさになるので、トーカも昼の時間帯は彼女も自然と気を張ってしまうのだ。

 加えて言えば、たった今出て行った人間を最後に店内に残ったのは喰種のみである。『あんていく』では喰種と人間では対応が微妙に異なるため、そのあたりも従業員として気を張っていないといけない一因であるのだが、これでその心配は無くなったことになる。

 トーカがカウンターの中でカップを拭く芳村に目をやると、芳村は口元を緩ませて頷いた。彼も今日の山は越えたという認識なのだろう。

 

「トーカちゃん、陽も傾いてきたしブラインドを下げてもらってもいいかい?」

 

「はい店長」

 

 芳村の指示に返答しつつトーカが窓際まで歩いていく。差し込む陽光に目を細めつつ、トーカがブラインドのひもを弄っていると、『あんていく』に新たな来客があった。扉につけられた鈴の音を聞きながら、トーカは本来の彼女と比べて幾分愛想よく「いらっしゃいませ」と口にする。

 入り口で立ち止まったその客は、店員の案内を待っているようで挙動不審に店内を見渡した。トーカはブラインドを一端そのままにしておき、『あんていく』にしては珍しい新規の客を案内するため入り口に小走りで向かった。

 

「おひとり様ですか?」

 

「えあ? は、はい。おひとり様です」

 

「……ご、ご案内いたします」

 

 おかしなことを言う客に思わず吹き出しそうになるトーカだったが、足の指先に思い切り力を込めてなんとかこらえる。そのまま踵を返し、トーカはその客をたった今自分が下げようとしていたブラインドの近くの席へ案内した。

 

「ご注文お決まりになりましたらお声かけ下さい」

 

 そう言ってトーカは客のついた席の後ろ側に回り、ようやくブラインドを降ろす作業に手を付けた。

 ブラインドのひもをゆっくりと引っ張りながらトーカは客を観察する。

 客は若い女だった。服装はシックにまとまったパンツルックで、卵型の薄いピンク色のフレームの眼鏡をかけている。眼鏡の色が若干浮いてはいたものの、服装だけ見ると落ち着いた社会人女性のようだった。しかし、首の上には高校生といっても通じる茶髪に童顔、しかもお世辞抜きで素朴に可愛らしい顔がのっかっており、不思議と違和感は無かったがトータルとしては到底社会人などには見えなかった。同性であるトーカもぼんやりと、大人っぽく見せる努力むなしくただの可愛い女の子になっちゃってるな、などという気の抜けた所感を抱いてしまった。

 客の外見に毒気を抜かれていることをふと自覚したトーカは、首を振って邪念を払う。彼女は別に客のファッションチェックがしたかったわけではないのだ。客がどちら(・・・)か見極めることこそ本来のトーカの目的であり、そのために自然と距離を詰めやすい状況を作れる窓際に案内したのである。

 

「うわぁ、コーヒーにもこんなに種類があるんだ」

 

 背後から聞こえてくる暢気な声をどうにか無視するトーカ。

 店内にいる喰種の客の視線が集まっていることを感じながら、トーカは感覚を全開にして背後の女の気配を探った。におい、呼吸、心拍数、可能な限りの情報を素早く読み取っていく。自身の瞳が赫眼になっているのを感じ、トーカは開いていた感覚を閉じる。赫眼を隠すようにまぶたを閉じ、一息つきながら一瞬で感じ取った相手の情報を整理しようとする。そうしてトーカは気が付いた。

 

 ――分からない。

 

 トーカにはこんなことは初めてだった。入見や笛口といった感覚の鋭い喰種と比べれば確かに自分のアンテナの精度が悪いことはトーカも理解していたが、このような一歩下がれば背が触れるほどの距離で判断が付かないなどはっきり言ってあり得ない事態である。

 

 ――いや、落ち着いて考え直そう。

 

 混乱に陥りそうな思考を一回停止させ、トーカは深呼吸しながら頭をリセットさせる。

 彼女はまず匂いについて頭を巡らせた。そして匂いについてはすぐに結論が出た。即ち、この女から人間の匂いは一切(・・)しない。

 トーカがこれまで嗅いだ人間からは、その全てから喰種のみが感知できる独特なにおいがしていた。唯一の栄養源である人間からは、たとえその人間がどんなに不潔であろうと、高齢であろうと、他の匂いで上書きしていようと、食欲に訴えかける特殊なにおいがするのだ。しかしこの女からはそれが一切しない。

 ならば喰種なのかと問われれば、トーカは素直に首を縦に振ることが出来ない。喰種からも程度に差はあれ基本的に喰種らしい匂いがするはずなのだが、その匂いもしないのだ。ただ、喰種に関しては匂いを隠すのが巧みな個体が稀にいることもトーカは知っていた。入見や笛口などはその最たるもので、仮に彼女たちを喰種と知らずに接した場合、喰種だと気付く自信がトーカには無かった。そのため、喰種としての匂いがしないことは、隠すのが上手いということで強引に納得できないでもなかった。

 次に呼吸や心拍数について思い返すトーカだったが、最大の疑問はそこだった。というのも、呼吸音も心臓の拍動も女からは一切聞き取ることが出来なかったのである。耳がおかしくなった可能性も考慮するトーカだったが、二つ向こうの席の喰種の客の呼吸と拍動を聞き取れたことからそれは無いと首を振る。呼吸も拍動もないなど、そんなこと生物としてあっていいのかと考えかけるトーカだったが、冷静に考えたところ全ての条件に合致する喰種の存在を思い出した。即ち、喰種としての匂いがせず、呼吸音も拍動音も感知できない、存在そのものが希薄なような存在。

 

 ――店長。

 

 そう、芳村もまたそうした特徴を持っているのだ。逆説的に考えれば、女が芳村と同じ特徴を持っているということになる。

 トーカは芳村について詳しく知っているわけでも、戦っているところを見たこともなかった。しかし、彼女の言葉数の少ない叔父によれば、芳村は相当な実力者であるらしい。そんな芳村と同じ特徴を持つ後ろの女は、やはり実力者なのだろうか。

 

 ――いや、まさか。

 

 到底そうは見えない。トーカは脳裏に『あんていく』入り口でおどおどする女の姿を思い返す。

 しかしそれならば結局この女は何なのだろうという疑問。

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「へ?」

 

 唐突に後ろから声をかけられ自身も意図しない声を発してしまうトーカ。慌てて振り向くと手に持っていたブラインドの紐が引っ張られ、勢いよくブラインドが床まで落ちた。一気に遮光されて『あんていく』内が一瞬で少しだけ薄暗くなる。ブラインドと床の接触する大きな音で、トーカはようやく自分が女性客の後ろでカモフラージュのブラインド下げすら行わずぼんやりと立っていたことに気が付いた。

 

「し、失礼しました!」

 

「い、いえそんな」

 

 自分が女性客の正体について考えるあまり、その客本人にボーっと立っている姿を観察されていたことに気が付いたトーカ。彼女は気恥ずかしさと若干の焦りから、珍しく赤面して言い訳を口にした。

 

「あの、ちょっと考え事をしてて……」

 

「ああ! 考え事してると我を忘れちゃうときってありますよね! うん!」

 

 自分のことを考えられていたとは微塵も思っていない様子の女性客は、トーカの返答に思うところがあったのかしきりに同意を示した。その様子はやはり女子高生のようで、落ち着いた社会人女性にも、まして芳村に肩を並べるほどの実力者とはトーカにはどう頑張っても思えなかった。

 

 





本当にご無沙汰しておりました。
ただ怠けていただけなんですが、これからは更新速度を頑張って上げたいと思います。

内容に関しては、誤解が無きように言っておきますと
謎の女性客と芳村が拮抗する実力を持っているようにもとれる文章になっているかもですが、そういうつもりはないです。
拙い分で申し訳ないです。



怠けがちな自分を叱咤する意図も込めて、ついったで投稿報告垢のようなものを作りました。もし最新話すぐに読みたいと思って下さる方がいらっしゃれば、作者ページにリンクがあるのでよろしければ監視しておいてください。

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