さっちん喰種   作:にんにく大明神

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大変ご無沙汰になってしまい申し訳ありません。
そして話は全然進みません。


最初の日

 CCG第二十一区支部。

 東京北部に位置し、市区町村コードで見ると足立区にあたる、二十一区の中央部にそびえるビルがそれである。

 市街地に何気ない顔で紛れ込んではいるが、周囲に住む人間は当然のようにそれが喰種対策局の建物であることを知っていた。喰種という存在の実態をよく知らない街の人々からすると、胡散臭いことこの上ない建造物には違いなかったが、同時に喰種という未知の恐怖に対する抑止力として心の拠り所とする住民も多かった。

 弓塚さつき二等捜査官が配属されたのはそこだった。

 

 さて、さつきがこの支部を初めて訪れたのは九月の始め、まだまだ夏の残り香のするよく晴れた月曜日であった。CCGという特殊な職場ではあるが、バイトをしたことがないさつきにとって社会に出るのはこれが初めてのことである。

 さつきは緊張のあまり電車に乗る時間を間違え、出勤時間の午前九時の一時間以上前に支部に到着してしまった。しかし早く着くことに問題があるはずもなく、むしろさつきは遅刻しなかった自身をほめてあげたいような気持であった。

 正面玄関の前まで来たところで、さつきは一人ため息をついた。自動ドアに映っている自分がどうみても場違いなのだ。

 シワ一つない新品の黒いスーツに、頼りなさげな童顔がのっかっている。さつきはせめて髪だけでも黒く染めてくれば良かったと後悔していた。いくら地毛とはいえ、茶色い頭髪がどうにも学生感を醸し出している。

 

「私、本当にここに来てよかったのかな?」

 

 もう一度ため息。

 さつきは、CCGが喰種という脅威から町の人々を守っていることはこの一年でいやというほど学んできたし、その職業は誇らしいものであることも理解している。力のなかったころの自分なら、きっと警察同様に自分たちの生活を守ってくれる存在としてありがたく思ったことだろう。

 しかし、だからこそさつきは、自分がその立場になっていいのだろうかという疑問を持っていた。なにせ自分がこの職に就くことになったのは完全に成り行きだ。何かを守りたいという強い意思もなく、ただ流されてきただけなのだ。そんな自分が市民の心の拠り所となるのは、何か町の人たちをだましているような気がして心が沈んだ。

 

 

 

 

 

 

「ゆ、弓塚さつきです。よろしくお願いします」

 

 机に並ぶ厳めしい顔ぶれを前に、さつきはすっかり萎縮しながら挨拶をした。

 会議室に集まっているのは下手をすればさつきの父親と同年代の男たちである。しかも、そのほとんどが自分のことを、使い物になるか品定めするような目、もしくは捜査官にふさわしくないのではないかと訝しむような目をして見てくるのだ。さつきは早くも捜査官になることを選んだことを後悔し始めていた。

 さつきが自己紹介を済ませると、続いて横に並んださつきの同期の卒業生たちが挨拶を始めた。それに即して男たちの視線が自分から外れたことで、さつきはひとまず安心した。そして同時に男たちの中に知っている顔を見つけた。

 相も変わらず何を考えているか分からないような無表情で、さつきの同期達の挨拶を眺めている。真戸暁の父が言っていたことが正しければ、彼がさつきのペアとなるはずである。他の強面達が自分のペアではなくてよかったとさつきは心底安堵した。

 そして、挨拶が一通り終わってペアを告げられてみれば、さつきの予想通り平子丈がさつきのペアであった。

 

 会議室で新しい局員の顔合わせを済ませると、さつきが一息つく間もなく捜査の会議が始まった。さつきは平子の隣に収まってとりあえず様子を見ることにした。

 さつきが今いる第二会議室には現在三つの班が集まっていた。会議の進行は準特等捜査官が務め、各班の代表がそれぞれ自分たちの担当する喰種についての報告を行うという形式のものであった。

 他の班の報告を一通り終わった後、平子が報告をする番が回ってきた。さつきは平子が口を開こうとするのを見て、慌てて手元の資料に目を落とした。

 

「私と弓塚は、阿藤準特等から引き継いで、現在問題になっている二十一区での高齢者の失踪事件を担当します。今月に入ってからの新たな失踪者は三名。調査の結果、いずれも認知症の兆候が見られた高齢者であったため、引き続き聞き取り調査をして喰種による犯行か確認します」

 

 資料と平子の話を聞いて、さつきはひとまず安心した。どうやら自分たちはまだ喰種を追うのではなく、喰種による犯行と思しき事件を調査するだけで良いようである。

 

「ただのボケ老人の迷子だったらいいんだけどなぁ」

 

 机の端に座っていた髭面の捜査官がため息をつくように呟いた。そんな呟きにも平子は律儀に返答して見せる。

 

「ここ三か月にわたって、二十一区、特に二十一区南部での失踪件数は各区の平均失踪件数の数倍を記録しています。喰種では無かったとしてもさすがに何かしらの要因はあるかと」

 

「わーってるよ。希望的観測ってやつだよ」

 

 平子の他の捜査官に対する淡々とした説明を聞いて、さつきは再び不安になり始めた。まだ確定ではないとしても、やはりこの件の裏には喰種が潜んでいそうである。もしかすると自分がクインケを片手に怪物と大立ち回りをする日は予想以上に近いのかもしれない。

 平子の報告が終わった後、各班同士で軽い意見交換のようなものが行われた。しかし平子班の任務については、聞き取りをする以外に今のところ仕事が無いのは誰の目にも明らかだったので、特に意見する者はいなかった。

 五分ほどのやり取りのあと、話が生産性の無いものになり始めた頃を見計らって準特等が口を開いた。

 

「それでは、今日はこの辺でお開きにして。あとは各班捜査を進めてくれ」

 

 準特等の言葉で会議は終了した。さつきは緊張感から解放された安堵から、そのまま椅子に座ってお茶にでもしたかった。しかし、捜査官たちがせわしく立ち上がって動き出すのを見て慌てて腰を上げた。

 そんなさつきの様子に特に反応を見せずに、平子が口を開いた。

 

「今日は聞き取りの前に弓塚のクインケを取りに行く」

 

「わ、分かりました」

 

 会議中と変わらない調子で告げる平子に、自分はこの人と上手くやっていけるのだろうかとさつきは内心ため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 午後八時前、さつきの社会人としての初勤務が終わった。今日の勤務内容は、クインケを取りに行った後はひたすら聞き込み。穏やかな初秋の日差しの中歩き回るという、この通りいかにも平和な内容となっていたが、さつきは生きた心地がしなかった。穏やかな初秋の日差しも、死徒にとっては殺人光線と変わらない。琥珀の日焼け止めがあるとはいっても、本能による警鐘は鳴りやまない。

 自身に与えられたデスクの上を一通り整理すると、さつきは帰って良いのか判断を仰ぐために平子を見た。さつきの頭の中では、上司より先に帰ることは失礼だから待たないといけないなど、以前聞いた本当かどうか怪しいマナーがぐるぐると廻った。さつきは今後の生活のためにも、人間関係だけは良好な状態にしておきたかったので、普段以上に気を遣ってしまっていた。

 しばらくして、さつきが意を決して話しかけようとしたとき、平子もまた帰り支度を始めた。そしてさつきの方を見て伝え忘れていたかのように、「ああ、弓塚も今日は上がっていい」と言った。

 

「あ、はい」

 

 さつきが片づけをしていると、向かいのデスクに座っていた糸目の男が口を開いた。

 

「タケさーん。今日飲んでいきません?」

 

「……ああ」

 

 二人のやり取りを聞いて改めて社会人になった実感を持つさつき。いずれは自分も一緒にご飯に行くような相手が出来るのだろうか、などと考えながらその場を去ろうとしたとき、さつきもまた糸目の男に呼び止められた。

 

「あ、ちょっと待ってさつきちゃん。君も一緒にどう? というかさつきちゃんって呼んでいい?」

 

「えと、……はい?」

 

 

 

 さつきは流されるままに二人について店に入ってしまった。そこはこじゃれた雰囲気を持つ焼き鳥屋で、客層としては暑苦しいサラリーマンというより仕事帰りのOLを狙っているようだった。さつきにはこういった店に入った経験がなかったので、男二人に隠れるように入店した。二人は慣れた様子でカウンターの奥から順に座って行き、さつきはそこに続いた。彼らの様子を見るにもう何度もここへ来たことがあるようだった。

 糸目の男は伊藤倉元と名乗った。二等捜査官で、さつきが来るまでの一年間平子とコンビを組んでいたらしい。

 

「タケさん無口だからさ。よく怖い人だと誤解されがちなんだけど、そんなこと全然ないからね。あ、俺ビールで」

 

「私ウーロン茶でお願いします」

 

「ビールで」

 

 各々が自分の飲み物を選んだ後、倉元がメニューも見ずに店員に幾つかの品を注文した。平子が口を開かないことから、さつきは倉元が平子の分まで注文しているのだろうと予想をした。果たしてその予想は当たっていたようで、倉元は一通り品名を羅列した後、さつきにメニューを渡して何が食べたいか尋ねてきた。しかしさつきにはメニューをざっと見渡してもどの品も同じように見えたので、若干申し訳なさそうに倉元に任せることを伝えた。倉元は特に気を悪くした様子も見せず、店員に数品追加で注文した。

 

「そういえばさつきちゃんってタケさんと初対面じゃないっぽいけど、もしかして知り合いだったり?」

 

「あの、以前助けて頂いたことがあって、その時に少し」

 

「それは、その――」

 

 少し間を置く倉元に疑問を持ったさつきだが、すぐに彼が何を言おうとしているのか察しがついた。

 

「あ、はい。喰種からです」

 

「へえ! ……ああ、いや。当事者の前でこういう反応をするのは配慮が足りなかったね。ごめん」

 

「い、いえ。全然大丈夫です」

 

 見た目の軽そうな雰囲気とは反して気を遣ってくる倉元に、若干驚きながらもさつきは気にしていないことを伝えた。

 さつきは一年と少し前の出来事を思い出して何とも言えない気持ちになった。喰種の歯が自身の太ももに当たった感覚は今でも忘れることは出来ない。

 同時にさつきは再確認する。さつき自身忘れがちだが、平子丈は命の恩人なのだ。再び横目で平子を確認するが、平子は運ばれてきたつくね棒に手を付けようとしているところだった。

 

「あ、タケさんフライング!」

 

「お前が注意を怠るからだ」

 

 会議中と変わらない調子でそんなことを言う平子を見て、さつきは思わず吹き出してしまいそうになった。

 

 

………

 

 

 料理を一通り片付けた後、何故だか話題はさつきが住んでいる区の話になった。さつき自身なんでその話になったのか上手く思い出すことが出来なかったが、特に気にすることもなく自身が二十区にアパートを借りていることを伝えた。

 

「ふーん、さつきちゃん二十区に住んでるんだ」

 

「その、局が紹介してくれた賃貸物件の中では大分安めだったので」

 

「二十区ねぇ……」

 

 さつきの言葉にしばらく思案したような顔をする倉元。

 

「まあ安いのは妥当なのかな?」

 

「え……」

 

 思案した挙句に倉元が発した言葉に、さつきの心に不安がよぎる。物件が安いときは大抵地価自体が安いとか交通の便が悪いとか、まれにいわく付きだったりする時だというのがさつきの基本的な認識ではあるが、このときの倉元の”安いのは妥当”という言葉の裏にそれらの理由がないことはさつきにも容易に想像できた。

 さつきの予想は的中した。

 

「『大食い』や『美食家(グルメ)』をはじめとした強力な喰種が多いんだ。だから二十区は指定危険区扱いされてる。隣の二十二区みたいに」

 

 予想通りの”良くない理由”を聞いてさつきの思考は停止した。倉元との間に沈黙がというに足る間が出来そうになったころ、さつきはようやく言葉を絞り出した。

 

「……そ、そんなこと紹介されたとき一言も言われませんでした」

 

「はは、まあ人にモノ売るってなったらそりゃね。あ、そうだ指定危険区一覧とかは一度目を通しといたほうがいいよ」

 

 軽い調子で言ってのける倉元と反して、さつきは冷や汗をかいていた。自分がただの人間ではないというちょっとした安心感から、セキュリティが甘めのアパートを選んでしまったのだ。しかし、さつきもすぐに喰種が相手ならばセキュリティの有無など大した意味を持たないことを思い出し心を落ち着けた。

 

「って、それって何の解決にもなってないよね!」

 

 結局危険であることには変わりはないのだ。

 

「え、……どしたのいきなり?」

 

「あ、あははは。何でもないです」

 

 さつきが自身の心の声を大胆に漏らしてしまったことを適当にごまかしたところで、平子が口を開いた。

 

「二十区は、強力な喰種こそ多いが捕食件数は他の区と比べて圧倒的に少ない」

 

「あれ、そうなんですか」

 

 驚く倉元に平子が淡々と続ける。

 

「だから指定危険区ではあるが、今のところ本局の捜査官は派遣されていない。『大食い』や『美食家(グルメ)』の正体の見当もついていないというのもあるだろうが」

 

「へぇ、まあ捜査官は常に人手不足ですからねえ……」

 

 感心したようにつぶやく倉元。同時にさつきはこの世界で生きる以上どこにいても危険であるという真理を改めて思い知らされた。セキュリティが強固なマンションも、そうでないマンションも、隣の部屋の住人が喰種である可能性があることには変わりはないのだ。それは区によっての差にも通じる。本局のある一区を除けば、どのみち喰種はいるのだ。

 

「安く済んだだけマシ、なんですかね」

 

「そゆことだね」

 

 涙交じりのさつきのため息に倉元がニコニコと返答した。

 

 

 

 

 

 

 十一時過ぎ、店を出て平子たちに別れを告げてから、さつきはようやく家路についた。

 最寄りの駅で降り、出来るだけ街灯が多い明るい通りを選んでさつきは歩いた。彼女の頭の中では、先ほど聞いた『大食い』や『美食家(グルメ)』の名前が何度も廻っていた。

 路地の入口に見える暗闇に通り名を持つ喰種の影を探しながら、びくびくと歩く。さつきはアカデミーで喰種の見た目が一般人と変わらないことを学んでいたし、実際にその目で見たこともあったが、噂に聞いたそれらの喰種達には漠然と怪物のようなイメージを持っていた。

 『大食い』などと名をつけられているくらいなのだから、当然それは人をたくさん食べているということなのだろう。そんな生き物が、依然として人間と見分けがつかないレベルの容姿をしているとはさつきには考え難かった。『美食家(グルメ)』に至っては知り合いですらあったが、記憶の中の月山習とそのイメージを結びつける発想はまるで無かった。

 と、その時唐突に1mほど先の建物の扉が開いた。

 

「ひゃっ」

 

 イメージの中の『大食い』達に怯えて気を張っていたさつきは、それだけで腰を抜かしてしまった。結果、さつきは扉から出てきたおとなしそうな女性に、しりもちをついている姿をしっかりと見られてしまった。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「あ、はい!」

 

 女性に心配され、さつきは慌てて立ち上がった。

 久しぶりに人前で醜態をさらしてしまったことに頬を赤らめるさつき。その様子を見て、女性は少し微笑んだ後会釈をして去っていった。

 顔から火が出そうな心持でうつむいていたさつきだったが、女性とのすれ違いざまに、その女性から珈琲の良い香りがすることに気が付いた。不思議に思ってふと、その女性が出てきた建物を見ると、そこは喫茶店だった。おそらく今の女性はこの店の店員なのだろうとさつきは予想した。

 時刻が時刻だったために当然喫茶店は閉まっていたが、その喫茶店の出で立ちだけで、さつきはいずれここに足を運んでみたいと思った。

 

「店員さんも感じ良さそうだし」

 

 休日にすることがなく困っていたさつきは、今度の休日にはこの『あんていく』という喫茶店に足を運ぶことに決めた。文庫本などを持って喫茶店で優雅に珈琲でも飲んでいれば、自分も少しは大人のように見られるかもしれない、という淡い期待を持って。

 

「よしっ」

 

 このたかだか一分ほどの出来事で、さつきの足取りはすっかり軽やかになった。不安に思っていた職場にも倉元という話すことが出来る相手を見つけられた上に、持て余しそうだった休日の過ごし方まで決まったからである。

 なんだか自分の未来もそう暗くは無いのではないのかという希望を胸に、さつきは自宅へ速足で向かった。

 

 その頭の中からは、”通り名持ち”喰種たちのことや、昼間にキノコ頭の研究員に執拗にさまざまな検査を受けさせられそうになったことなどはすっかり放り出されていた。

 

 

 




次もいつになるのやら……。
気長に待っていただければ幸いです。

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