さっちん喰種   作:にんにく大明神

5 / 9
意外といろいろ考えている人達

 

 叙任式は滞りなく終了した。

 平子は壇上で和修局長から辞令を言い渡され、無事上等捜査官に昇進した。周囲の人間も彼の実力は良く分かっていたし、むしろようやくその時が来たかと安堵した。

 彼を良く知る人間には共通認識の事実であるが、彼は印象が薄い。そのため、上層部にもあまり気を留めてもらえず、昇進出来ないのかと心配してる者すらいたのだ。

 しかし実際はそのようなことは無かった。一生下位捜査官に留まる者もいる中、齢三十を前に上等捜査官となったのは十分出世組と呼ばれるにふさわしい経歴である。

 式の後のパーティーで一通り知り合いに挨拶をして回ると、平子は式用の軍服を着替えそそくさと帰路についた。

 そして帰路の途中で喰種に襲われている少女を発見した。対喰種用の兵装、クインケを持ち合わせていることに感謝しつつ、平子は危なげなく少女を助け喰種を倒した。

 

 被害者に規定通りの質問をし、本局に連絡を入れるという一連の作業を終えると、平子とさつきの間に気まずい沈黙が流れた。

 さつきは気付かなかったが、平子もまた彼なりに驚いていた。昨日保護した少女とこんな形でまた出会うとは思わなかったのだ。

 

「そ、それじゃあ私はこれで……」

 

 ひとしきり平子の顔を眺めた後、さつきはすぐさまこの場を離れるという判断をした。

 この世界は一見自分のいた世界に似ているが、三咲や観布子が無い。つまり自分は戸籍すら存在しない、日本人と認められない存在なのかもしれないからだ。

 下手に公的機関と関わると、不法入国者として逮捕される可能性すらある。

 

「いえ、ここで待っていて下さい。決まりなので、外傷は無くても医療機関で検査を受けていただきます」

 

「え、あのでも……」

 

 それはさつきにとっては避けたい事態であった。彼女の頭には『保険証を持っていない』という一点が強くこびりついていた。身に染みた庶民的な発想は、どこにいても変わらなかった。

 

「あの、私ほんとに急いでいるんで」

 

「あ、ちょっと」

 

 さつきは平子の言葉を耳にしながらも、踵を返した。さっきと違って目の前の男は人間のようだし、走って逃げ切ればよい。

 

「ごめんなさい……!」

 

 感謝もたいして出来ないままこの場を去ることに抵抗はあったが、背に腹は代えられない。引き留める言葉を背にしながらも、さつきは夜闇が忍び寄る街に飛び出そうとした。

 しかし、それは現れた第三者の存在にあっさり引き留められてしまった。

 

「やぁ、昇進初日から飛ばすね。タケ」

 

「…………っ!」

 

 現れたのは男だった。危うく正面からぶつかりそうになったさつきだったが、寸でのところで自身の足が止まった。

 それは死徒になってから研ぎ澄まされた一種の危機感によるものだった。

 端的に言えば、命の危険。

 埋葬機関の代行者、真祖の姫に相対したときに感じた絶対的な死のイメージ。程度の差はあれ、さつきは目の前に現れた男に、それに近いものを感じ取った。

 

「有馬さん」

 

「上からの連絡でタケが昇進初日から二体も倒したって聞いてね。たまたま近くにいたから顔を出したという訳だ」

 

「……一体です」

 

 現れたのは有馬貴将だった。

 180㎝はある長身。落ち着いた髪型に学者のような眼鏡という容姿とは反してがっしりとした体格をしている。

 すっかり腰が抜けてしまったさつきは次の一歩を踏み出せなくなってしまっていた。

 二人はしばらくさつき越しに言葉を交わす。

 その会話を終えて、有馬はようやく目の前で震える少女に目を向けた。

 

「君は……昨日の子だね」

 

「……え?」

 

 まるで自分を知っているかというような物言いに、さつきはにわかに驚かされる。昨日の自分はといえば、琥珀の実験室を訪れ交番で目を覚ましただけで、このような恐ろしい人間とは出会った覚えは無い。

 そこまで考えて、交番の巡査の話を思い出した。自分を公園から交番まで運んだ人間がいる。

 巡査から渡された名刺のことを思い出して、さつきは自分のスカートのポケットを探った。

 

「……有馬貴将、特等捜査官」

 

「初めて名刺が役に立ったよ」

 

 自分の顔と名刺を見比べるさつきを見て、有馬は小さく呟いた。

 そして再び平子に向かって話しかけた。

 

「タケ、この子帰るところが無いんじゃないか?」

 

「……は?」

 

「……え」

 

 またおかしなことを言いだしたと思う平子に対し、さつきは心臓が縮み上がるような思いでその言葉を聞いた。

 二人の驚きようを見ながらも有馬は言葉を続ける。

 

「ほら、昨日すごい登場の仕方をしただろう?」

 

「はぁ……」

 

「今日新しい班で懇親会が開かれたんだけどね。そのときにみんなで映画を観たんだ。その中で同じような光景を見た」

 

 言葉を失う平子。

 有馬はさつきの顔を覗き込みながらひとつ質問する。

 

「もしかして未来から来てたりするのかな?」

 

 酷くおかしな質問だったが、さつきには彼がふざけているようには見えなかった。

 そこでさつきは一つ賭けに出ることにした。

 

「……分かりません。……けど帰るところが無いのは本当です」

 

 もしかしたらこの人は、自分を庇護しようという方向に話を持っていこうとしているのではないか。さつきはそう推測した。

 いつ来るかもわからない迎えを、あの危険な路地裏で過ごすことはさつきも避けたかったのだ。

 

「もしよければ、何とかしようか?」

 

「お、お願いします!」

 

 さつきは藁にもすがる思いで即答した。

 それほどまでに先程の喰種との遭遇は気味が悪かったのだ。

 純粋に力比べをすればおそらくさつきに軍配が上がったのだが、喰種という存在を知らない彼女にとっては純然なる恐怖としてその存在は心に刻み込まれた。

 

「何とかって、どうするんですか?」

 

「アカデミーに入ってもらおうと思う。あそこはジュニア上がりの喰種被害者の孤児とかも多いし、そこに紛れ込ませれば分からないだろう」

 

 CCGアカデミーとは、CCGの捜査官を養成する機関である。捜査官以外にも、数は少ないが局員補佐などの事務職への道もある。

 

「戸籍が無かったとしても、特等権限でどうとでもなるしね」

 

 そう付け加える有馬に平子は少し意外に思った。

 

「珍しいですね。有馬さんがそんなこと言うなんて」

 

「丸手さんに、地位はこうやって使うんだって教わったんだ」

 

 

 こうしてさつきは当面の宿を手に入れた。

 彼女もアカデミーという場所については見当もついていなかったが、全寮制の短大みたいなものだと説明を受けて何となく理解したつもりになっていた。

 

 

 

 

 

「ところで、新しい班って、有馬さんが隊長のモグラ叩きですよね」

 

「そうだよ。24区捜索隊だとかなんとか」

 

「映画のチョイスは誰が……」

 

「真戸上等の娘さんだよ。

 内容は……うん、なかなか面白かった。確か題名は『ドラ――」

 

「ああ、なるほど」

 

「うん」

 

「俺も好きです」

 

 

 

 

 

 

 有馬と平子の後について、さつきは喰種対策局アカデミーに連れてこられた。

 住宅地から外れたところにある広大な敷地。背後にそびえる山までもがその敷地に入っているようである。

 五、六メートルはある塀の外からは立ち並ぶ木々しか見えず、塀の上には有刺鉄線が張り巡らされ、等間隔に防犯カメラまで設置されている。正門からは建物は見えず、警備員が門の開閉を行う様を見て、さつきは学校というよりむしろ刑務所や軍事施設を連想してしまった。

 正門脇の通用門を通ってから敷地内に入ると、辺りはすっかり闇に包まれてしまった。時刻は既に午後七時を回っており、道にはほとんど街灯が無かったのだ。さつきは夜目が利くので問題は無かったが、彼女は自分の前を行く二人はきちんと前が見えているのか少し不安に感じた。

 十分ほど歩くと、施設が見えてきた。先程までとは打って変わって、建物は影が出来る余地が無い程明るくライトアップされている。コンクリートの白で固められた外観は当てられている光のせいか、光り輝いているようにも見えた。

 道との明るさのギャップを不思議に思ったさつきが尋ねてみれば、なんでも警備がしやすくなるからだとか。未来の喰種捜査官を育てるこの施設は、ともすれば喰種対策局本局よりも警備が厳重であるらしい。さつきの視界にチラと入った窓や扉には、見るからに堅牢な鉄格子がはまっていた。

 正面玄関を抜け屋内に入ると、奥から出てきた職員がさつき達を応接室らしき部屋に通した。

 

「ちょっとここで待っててもらうよ」

 

「は、はい」

 

 そう言い残して有馬は職員と部屋を後にした。

 残されたさつきと平子は、革張りの四人掛けのソファに一人分の間隔を空けて腰掛けた。二人の間に会話は無く、室内には壁にかけられた時計の針の音だけが響いていた。

 さつきは一通り室内を観察すると、いよいよすることが無くなってしまった。どこか高級感の漂う部屋の雰囲気になんとなく自分が浮いているような気がして、せわしなく幾度も居住まいを正した。

 そんな自分とは対称的に、微動だにしない隣の男を横目で盗み見てみると、彼はただひたすらに前方を眺めているようだった。その視線の先を辿ると、熱帯魚の水槽が壁にはめ込まれていた。色とりどりの魚たちは、酸欠気味に水面で口をパクパクしている。どうやら平子はそれを観察しているらしい。

 さつきもまた、それに倣って水槽を観察することにした。

 

 十分ほど経ったかという頃、有馬が部屋に戻ってきた。先程共に出て行った職員はいなかった。

 

「それじゃあこれに記入してもらえるかな。本当はあんまり良くないことなんだけど、君の場合ある程度適当で構わないよ」

 

 有馬はさつきの前に一枚の用紙を広げて見せた。どうやら入学手続きのようなものであるらしい。

 

「あの、この住所とかの欄は……」

 

「ああ、空欄でいいよ。喰種被害者っていうだけでそのあたりは融通が効く」

 

 記入する内容は、名前や生年月日、略歴といった平凡なものだった。さつきは女子高生らしい丸みのある字でそれらを埋めると、ふと用紙の中のある欄に目が留まった。特記事項という欄である。

 そこには丁寧な字で『有馬貴将 特等捜査官 推薦』と書いてあった。しかしさつきが気になったのはその下の一行だった。

 

「部分的な記憶喪失……ですか」

 

「その方がいろいろ追及されたときに潰しが効くだろう?」

 

「そ、そうですね」

 

 さつきはこんなにいい加減な内容が通ってしまうのだろうかと一抹の不安を感じたが、考えても仕方がないことだとすぐに割り切った。

 一通り枠を埋めると、さつきは用紙が二枚組であることに気が付いた。ページをめくってみれば二ページ目は、なにやら同意書のようなものであるらしいことが分かった。

 

『本学は喰種対策局に併設された特別養成学校であり、これに在籍する者は将来的に喰種捜査官、及び局員補佐のどちらかとなることに同意したものとする』

 

 喰種捜査官。さつきには耳慣れない言葉であったが、『喰種』という単語に『グール』というルビが振られているのを見て、いい加減この世界と自分の間にある認識の齟齬を正しておこうと思い立った。

 

「あの、この喰種(グール)ってなんですか?」

 

 その言葉に、隣に座っていた平子がにわかに目を見開く。

 しかし有馬は特に動揺した様子も見せず、喰種について簡単に説明して見せた。

 

「人と同じ姿をしているけど、人しか食べられない生き物のことだよ。そして、それらの被害から市民を守るのが喰種捜査官の役目だ。……君もタケに助けられただろう?」

 

「え、もしかしてあんなのがいっぱいいるんですか?」

 

 脳内に『あんなの』を思い浮かべて戦慄するさつき。平気で仲間を殺し、死徒の自分にもある程度着いて来る身体能力を持った化け物。それが日常的に隣にいるかもしれないという恐怖を想像して、さつきは思わず身震いした。そしてある事実に気が付いた。

 

「え、待って下さい。じゃあ私はその喰種(グール)っていうのと戦わないといけないんですか?」

 

「アカデミーは訓練と勉強だけだよ。もし君が卒業してもここにいるようなら、捜査官か補佐のどちらかになってもらうことになるけど。局員補佐なら前線に立つ必要はない」

 

「なるほど……」

 

 つまり、捜査官と喰種は代行者と死徒のような関係であり、何の皮肉か自分は代行者側の教育を受けなければならないらしい。そうさつきは理解した。

 そして、もし万が一卒業するころになっても元の世界に戻れていなかったら、なんとしても補佐になろうと決意した。

 同意するの文字の横にある枠にチェックを入れ、さつきは有馬に紙を渡した。

 

「弓塚、さつきちゃんね。……有馬貴将だ」

 

「あ、どうも」

 

「平子丈です」

 

「あ、はい。さっきはありがとうございました」

 

 さつきは流れのままに二人と握手を交わした。

 屋根のある部屋で寝ることが出来るのは大分久しぶりかもしれないという小さな感動と、喰種の存在という微かな不安を胸に抱えてさつきはひとまず安堵の溜め息をついた。

 

 

 

 

「Rcゲート、反応しませんでしたね」

 

「そうだね」

 

 弓塚さつきを施設の人間に任せた後、アカデミーを出たところで平子が有馬に話しかけた。

 

「良い子そうじゃないか」

 

「捜査官には向いてなさそうですけどね」

 

 平子はそう返しつつ、先程の少女に思いを馳せる。

 

 路地裏で有馬が現れた後、二人はあることに気が付いた。夕陽の朱のせいでそれまで気付くことは無かったが、少女の瞳は夜闇の中に淡く朱く(・・)輝いていたのだ。

 喰種の赫眼とはまた違う、しかし明らかに人間のモノとは思えない怪しい輝き。喰種と見て駆逐すべきかはたまた人間と見て保護すべきか迷った二人は、言葉を交わすまでも無くRcゲートを使って判断しようという結論に至った。

 Rcゲートとは簡単に言えば喰種と人間を判断することの出来る装置である。空港にある金属探知機と似たような機構であり、喰種の高い血中Rc濃度に反応して警戒音を発する。この装置はこのアカデミーの他に喰種対策局の各支部に設置されている。

 二人の心配をよそに、何も知らないさつきは難なくゲートを通り抜けた。それを見て平子はようやくクインケの入ったトランクを握る手を緩めたという訳だった。

 

「それにしても、本当に何者なんでしょうね」

 

「……赤い目っていったら、やっぱり吸血鬼とかかな?」

 

「それは、……困りますね」

 

「冗談さ」

 

 緊張感の無い会話を交わしながら、二人は夜の街へと歩いて行った。

 




ちょっと強引だったかもしれないです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。