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「…………おい、見ろよ!」
太陽がその日の役割を果たし、遠い稜線に消えようかという夕暮れ時。
繁華街の外れの路地裏に、押し殺したような興奮した声が響いた。
「嘘だろ……、俺たちどんだけラッキーなんだよ!」
最初の声に返答するかのようにもう一つの喜悦の声が上がる。
その声からは疑いようのない歓喜と、そして少しばかりの安堵の色が見て取れた。
路地裏に現れたのは二人組の男性であった。
パーカーにジーンズというカジュアルな服装の若者と、グレーのスーツというサラリーマン風の若者。組み合わせとしては、違う道を進んだ高校の頃の同級生が偶然出会って、これから飲みに行こうというようにも見える。
しかし、一時でも彼らを観察した人ならばすぐに気が付くであろう。二人の服装が少し汚れすぎていることに。そして、二人の頬が健康体と呼ぶには少々こけすぎていることに。
つまり、二人の立ち居姿は世間的に見れば浮浪者というものに近かった。
そして、実際二人は浮浪者であった。家も無く仕事も無い。社会から見捨てられたような存在だが、彼らはそもそもその出生からして社会の一員として認められていなかった。
それがこの二人であった。
「しっかし、『食事』なんて何時ぶりだろうなぁ……」
「最近ここらへんで勢いがいいナントカの樹とかいう集団、あいつらにほとんどの喰場奪われちまったしな」
感慨深く呟く二人。その足元では一人の少女が小さな寝息を立てていた。
ここで言う『食事』とは、当然この少女を食すという意である。
「しかもこれ、女子高生だろ? 十代の女の肉は最高なんだよ」
「……俺はもう少し脂がのってた方がいい」
「贅沢言うなよ。それに俺はこのぐらい引き締まってた方が……。時代はヘルシー志向さ」
「餓死寸前の奴が良く言うぜ」
そうして笑いあう二人。その目にはこれまでの苦労と、隠しきれない疲労がありありと映し出されている。
この少女のおかげでまた生きていける。その事実から、二人は食欲と同じくらい感謝の気持ちを感じていた。
「それじゃあ、さくっと殺そう」
感動も冷めやらぬまま、スーツを着た男が口を開く。もたもたしていたらこの御馳走を他の喰種にかっさらわれてしまうかもしれないからである。
しかしもう一人が不満げな声をあげた。
「……俺、生きたまま喰いてえ」
「おいおい趣味悪いなお前」
「せ、せっかくの御馳走なんだ。俺は楽しみながら喰いたい!」
興奮した様子で一人がまくし立てる。その目は紅く充血していき、終いには人間のそれとは全く異なる喰種特有の瞳――赫眼となった。
しかし、相棒の空腹が限界を迎えようとしていることを悟りつつも、スーツ姿の喰種はその提案を却下した。
「駄目だ。まだ少し明るいし、こんなところで悲鳴でも上げられたらすぐに人が集まってくる。ここは安全に行こう」
「……でも俺は!」
「派手なことやって
「……」
「………分かってくれ。踊り食いならまた今度余裕のあるときにやればいいだろ、な?」
あくまで冷静に相棒を宥めようとするスーツの喰種に、もう一人も納得したのか、うつむいて「ああ」と呟いた。
その様子を見てスーツの喰種は安堵の溜め息をつく。食事に余計なスリルはいらないというのが彼の持論である。
実際、彼の言ったことはまさしく真であった。力の無い喰種はすぐに淘汰されるという事実は、全ての喰種の共通認識であり、変えようのない世界のルールなのだ。
「それじゃあ殺すけど、……お前やるか?」
「いや、いい……」
スーツの喰種は相棒の返答を聞くと、腕まくりをして少女に向き直った。
首を折るつもりである。余計な血しぶきを出せば、数少ない衣服を駄目にしてしまうからだ。赤い斑模様のワイシャツを持ってコインランドリーに現れる男は、社会では受け入れられないのだ。
スーツの喰種はいたって落ち着いた様子で少女の首に手を伸ばす。そこにこれから殺人を犯すという罪悪感など微塵も存在せず、レストランでハンバーグを取り分けるような何気なさで事を為そうとした。
「――――あ?」
それが、彼の最期の言葉だった。
力の無い喰種は淘汰される、確かにその事実は全ての喰種に共通である。しかし、それも喰種にとっての空腹の前には何の意味もなさない。彼らの空腹は理性を奪い、あらゆる現実は『餓え』という地獄の前に価値を失う。
噴水のように血をまき散らしながら、スーツの喰種の首が飛んだ。
「俺の、俺のだ……!」
音も無く彼の首を薙ぎ払ったのは、後ろにいた彼の相棒の『赫子』である。
喰種だけが持つ捕食器官。液状の筋肉とも表現されるそれは、夕暮れの朱に染まりながら怪しく輝いた。
「ひゃっ……!?」
そして、同時に先程まで寝ていた少女が跳ね起きた。いや、正確には
彼女――弓塚さつきは、喰種二人の食事相談の一部始終を耳にしていながら、どのタイミングで逃げ出すべきか独り目を閉じ煩悶していたのだ。
本来ならば即逃げ出すような状況だが、そもそもその時のさつきは冷静な思考力を欠いていた。
それも仕方がないだろう。聞こえてくる、自分を食料として見ている会話。寝起きで頭がはっきりしない状態で、そんなにわかには信じがたい話を聞かされたのだ。
そのため困惑しながらも寝たふりを続けていたが、終いには二人組が仲間割れを起こした。しかも、首を飛ばすという明らかな殺人行為で。
さすがのさつきもこれには耐え切れず反応してしまった。命の危機を明確に認識したということもある。
とにかく、こうして喰われる側と喰う側は初めて正面から相対した。
寝ていると思っていた獲物が跳ね起きたのを見ても、若い喰種は一切動揺を見せなかった。それどころか、むしろ歓喜した。
――久しぶりに狩りを楽しめる。
つい今しがた首を刎ね飛ばした仲間のことは既に頭から消え去っている。今はただ、目の前にいる活きの良い獲物を狩る興奮に身をゆだねている。
抑えきれない空腹から口からはよだれが滴り落ち、赤黒く染まった赫眼はドクドクと脈を打つ。腰から尾のように生えた赫子は舌なめずりをするかのようにのたうった。
若い喰種が今にも飛びかかろうと姿勢を低くしたとき、彼の目の前の少女が口を開いた。
「あの……」
通常ならば悲鳴を上げるような状況で、予想外に冷静な調子で声をかけられた。その事実に、思わず拍子抜けした若い喰種は一瞬動きを止めてしまう。
「……失礼します!」
その瞬間、さつきは身を翻し一目散に駈け出した。
どう見ても人間ではない相手に無理して立ち向かう必要はないのだ。
「……待て俺の肉ぅ!」
若い喰種も遅れて駈け出す。
人間を遥かに超えた身体能力を有する喰種だが、追いかける相手もまた人間を遥かに超えた身体能力を有する死徒。しかもさつきはただの死徒では無い。言うなれば血統書付きの名馬である。
若い喰種の予想に反して、路地を曲がるごとに差は開いていく。予定外の現状に若い喰種は苛立ちを募らせていった。
対するさつきの方も、すぐさま引き離せると思った距離がなかなか広がらず、泣きたいような気持で路地を走りぬける。
「あの人なんなのかなぁ。……新手の死徒だっ――――ひゃ!」
また一つ路地を曲がろうとしたとき、さつきは転倒した。
さつきは自分のどん臭さに呆れるが、すぐさま自分がただ転倒したわけではないと気が付いた。足に何かが絡みついている。
「こ、これさっきの……!」
追っての喰種の赫子が、さつきの右足首に巻きついていた。スーツを来た人の首を刎ねた触手、というのがさつきの認識である。
さつきはこのままではまずいと思ってそれを振りほどこうとするが、それを待たず10mほど後ろを走っていた若い喰種はさつきを自分の元へ引き寄せた。
「はぁ、はぁ。……驚かせるなよ」
荒い呼吸を整えながら足元のさつきを見る若い喰種。
「空きっ腹にはきつい運動だったが、まあ楽しかったよ」
そう言って口角を吊り上げると、若い喰種は自らの赫子でさつきを逆さまに吊り上げた。
さつきは慌ててスカートの裾を押さえるが、同時に目の前の男が自分の太ももに噛み付こうとしているのを見て凍りついた。この男は本当に人を食べるのだ。
死徒である自分も、人から血液を摂取するのは抵抗がある。それなのに目の前の存在は目を輝かせて口を開けている。
外見から既に相手が人間ではないことは理解していたが、その行動にいよいよ本当に人外であることを理解させられた。
「……いただきます」
ニタニタ笑いながら自分の足に口を近づけていく喰種。その歯が肌に触れた瞬間、さつきは自分の身体の一部が食されるかもしれないという嫌悪感から、思わず大きな声で叫んだ。いつかの冬の日、体育倉庫に現れた眼鏡の少年の顔を思い浮かべながら。
「――助けて遠野君!!」
「…………ごはぁっ!」
若い喰種の身体が弾け飛んだ。
赫子の拘束から解かれ落下するさつき。しかし地面に叩きつけられる直前、誰かに受け止められるのを感じた。そのままゆっくり地面に降ろされる。
「少しそこにいて下さい」
困惑するさつきを背に、彼女を救った男は吹き飛んだ喰種に向かって走って行った。
その後ろ姿を見送ってから、数分後。
背広姿の男が、白いスーツケースを片手にさつきの元に戻ってきた。
「怪我はありますか?」
「……あ、ありません」
「そうですか」
あまりにも平然と聞かれ、さつきは慌てて返答する。
それを聞いた男は特に反応をせず言葉を続けた。
「他に喰種を見ましたか?」
「……グールって今の人みたいなやつですよね。向こうで一人死んでますケド」
「分かりました」
何事も無かったかのように接してくる男にさつきは若干恐怖を覚えるが、すぐに彼が何かのマニュアル通りに質問をしてきていると理解できた。
さらに二三質問に答えると、さつきも次第に平常心を取り戻し始めた。そして、質問を終えてどこかに電話をかける男を見て、かつてのことを思い出していた。
冬の寒い日。同じ部活の友達と、古い体育倉庫に閉じ込められた時の事。
寒さに震えながら、生まれて初めて死というものを意識したあの日。どうしようもない状況を魔法のように覆した自分の想い人。
本当に大変な時に助けてくれるのが、彼のような人だ。そう思った。
彼はそのことを覚えていなかったけれど、さつきにとっては今でも鮮明に思い出すことが出来る大切な思い出である。
奇しくも状況はあの時に近い、とさつきは思っていた。
命の危機に突然現れて救ってもらった。ことが終わった後も何でもないように話しかけられた。
さつきはその救ってくれた男の顔を観察する。
その姿に、かつて救ってくれた彼の姿を重ねようとして、
「……あれ」
「はい、はい。喰種の死体が二体。はい。……いえ、一体はまだ確認してません。それと被害者が一人、はい。……お願いします」
重ならない。
「……」
「どうかしましたか?」
「……いえ」
電話を終えてこちらを見てくる男。
やはり重ならなかった。
さつきの少女の心に存在する王子様のような登場の仕方をした男。この上ない程理想的な王子様像に合致するはずだ。
しかし、さつきにはどうしてもそうは見えなかった。
「あの、ありがとうございました」
「仕事ですので」
無表情、無感動に言葉を返してくる男。
その男の顔は、
――なんていうか、地味だなぁ。
失礼だとは思いながらも、さつきは心中でそう呟いた。
そう、地味だった。王子様というには物足りず、ブサイクと表現されることは無いであろう程度に整った容姿。
正義の味方になるには気迫が足りず、悪の親玉になるには欲が薄すぎる表情。
中世の冒険譚においての役割を当てはめるなら、村人。
可も無く不可もないその佇まいに、さつきは到底志貴の姿を重ねることは出来なかった。
男の名は平子丈。
CCGの喰種捜査官であり、今日この日上等捜査官に昇進した実力者である。
最初の段階では、さっちんは助けられる予定はありませんでした。
助けて遠野君、のときにもう片方の足が喰種の顔面に直撃して昏倒させ、その後一ヶ月さっちんには路地裏ライフを堪能してもらうつもりでした。
でもそれだと話が一向に進まないのでこんな話になりました。
なので、平子さんはこんな活躍しない! という人はごめんなさい。