さっちん喰種   作:にんにく大明神

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まだまだ導入です。


世界が変わっても路地裏は変わらずそこにある

 

 さつきが目を覚ますと、そこは畳張りの六畳ほどの空間だった。天井からは、ひもを引っ張ると三段階で光が切り替わる木製のペンダントライトがぶら下がっている。

 部屋の中心には昭和のドラマでひっくり返されたりされなかったりするちゃぶ台。その上には地味な柄の湯飲みが二つばかり。さらに急須と電気ポットが置いてあり、部屋の中にはそこはかとない生活感が出ていた。

 

「えーと、私はいったいどうしてこんなところに……?」

 

 体を起こしてみると、さつきはすぐそばに琥珀からもらった日焼け止めの入った紙袋を発見した。

 そうして彼女は自分の記憶に残る最後の瞬間を思い出した。自分は琥珀の実験に付き合っておかしな容器に詰め込まれたのだ。そして頭上からあふれる液体が止まらず、容器に満ちたその液体に溺れて意識を失ったのだ。

 

「……吸血鬼って溺れるんだ」

 

 同時に実験の目的を思い出す。

 宇宙の果てを見てくる。たしかそんなフワフワしたものだったはずである。

 

「……もしかしてここが宇宙の果て……? ハハッ、いやいやそんなわけないよ。琥珀さんにからかわれてるに決まってる」

 

 手をぶんぶんと振りながら笑って見せるさつき。それは自分に言い聞かせているようにも見え、事実彼女の笑いは引きつっていた。

 さつきは楽観しようにも過去に琥珀の行動が起こした惨事を知りすぎている。ここが宇宙の果てでなかったとしても、さらなる困った事態になっている可能性は否定できない。

 

「それにしても、ここどこだろう……?」

 

 さつきの記憶では、遠野の屋敷に和室は無かったはずである。つまり、実験が終わってどこかに運び込まれたのだとしても、そこは遠野の屋敷ではないということになる。

 見知らぬ場所であるということで、さつきの警戒心が注意を呼びかけ始める。

 ――余談だが、実は庭を深くまで行くと使用人が住む離れがあり、そこには和室がある。しかしそんなことはさつきには知る由も無い。

 

「おっ、目が覚めたみたいだね。どこか痛いところとかないかな?」

 

 唐突に和室のふすまが開き、小太りの警察官と思しき制服を着た男性が入ってきた。

 その目は優しげでさつきにもこの男性に悪意の類が無いものと判断できた。もっとも、仮に悪意があったとしてもさつきには対処できる力があるのだが。

 

「あ、はい大丈夫です。……それで、あの――」

 

「……ん、何かな?」

 

 どこか怪訝そうなさつきに、男性――この交番の巡査は尋ねる。

 対するさつきは若干の人見知りを発揮しながらも、巡査の服装について言及した。

 

「お巡りさんですよね……?」

 

「あ、ああそうか。覚えていないんだね。……君は公園のベンチで気を失っているところを保護されたんだ。優しい人が通りかかってくれて良かったねえ」

 

「公園のベンチに……、そうですか。ありがとうございます」

 

 丁寧に頭を下げるさつきに巡査は慌てて手を振って頭を上げさせる。

 

「いやいや、私は君を預かっていただけで保護したのは別の人なんだ。……ちょっと待っててね」

 

 そういうと巡査は入ってきたところから出て行き、しばらく何かを漁る音を響かせてから再び室内に戻ってきた。その手には一枚の紙片が握られている。

 

「ほら、これ。この名刺の人が君をここまで運んできてくれたんだ」

 

 巡査が名刺を渡す。

 さつきが名刺に目を通していると、巡査は何やら羨望した様子でさつきを保護したという人間について語り始める。

 

「君を保護した人はCCGの捜査官なんだ。しかも特等! すごいなぁ……。私もCCGに入りたかったんだけどね、やっぱり怖いものは怖くてねぇ。結局街のお巡りさんさ」

 

 照れくさそうに笑う巡査だったが、さつきは彼の言葉の中に耳慣れない単語を聞きとがめた。

 

「CCG……?」

 

「あ、ああ。あんまりこういう言い方は一般じゃないのかな。喰種対策局って言えばわかるかい?」

 

「グール対策局……えーと」

 

 なおも頭に疑問符を浮かべるさつきを見て巡査は訝しむ。現代社会に生きていて、喰種対策局の名を聞いたことが無いというのははっきり言って珍しいからだ。

 特に喰種の活動が活発なこの東京において、その名に触れないことはまずない。

 眉をひそめる巡査にさつきはおどおどしながらも質問する。

 

「グールって、あの食屍鬼(グール)のことですか?」

 

「あのグールもどのグールもないよ。グールは喰種(グール)さ」

 

 さつきは困惑する。

 彼女の知識では、一般人は死徒はもちろん食屍鬼(グール)のことなど知っているはずがないのだ。それはシエルのような人知れず死徒を葬る教会の代行者などが隠蔽工作をするためであり、実際そんな存在が公になれば世間は大騒ぎだろう。

 さつきはカレー臭い法衣を纏う代行者の姿を脳裏に描いて思わず身を震わせるが、同時に自分と巡査の間に何か決定的な認識の違いがあることを感じ始めていた。

 対する巡査はいよいよさつきに不信感を持ち始める。

 

「君、もしかして頭でも打ったんじゃ……」

 

「あ、あー思い出しました! 食屍鬼対策局ね、あーなんで忘れてたんだろう。すみませんほんと、アハハハ」

 

 白々しいほどの誤魔化しだった。 

 巡査の怪訝な目は変わらず、耐え切れなくなったさつきはこの場を脱出することに腹を決めた。いろいろ詮索されうっかり自分の名前が相手に伝わり、それが行方不明者として届出を出されている人間のモノだと分かった場合、さらなる面倒は避けられないと踏んだのだ。

 さつきはこそこそと近くにある日焼け止めの入った袋を掴むと、勢いよく立ち上がった。

 

「あ、それじゃあ私はそろそろお暇させていただきます! 今日は本当にありがとうございました」

 

 そそくさとその場を後にしようとするさつき。

 自分の横を足早に通り過ぎようとする女子高生の腕を、巡査は慌ててつかんで引き留めた。

 

「何を言ってるんだ君は。もうこんな時間だし、今日はここに泊まっていくか親御さんを呼んで迎えに来てもらうんだ」

 

 そういって巡査が指し示した壁のデジタル時計は、0時35分を表示していた。

 

「い、いや私の家はほんとすぐ近くなんで大丈夫です! 走って三分かからないくらい! うわー近いなー、ってことで離してください!」

 

「じゃあ私がついて行ってあげるよ、ほんとに夜道は危ないんだ!」

 

「結構です!」

 

 適当な嘘をでっちあげるさつきに対し、あくまで職務精神を全うしようとする巡査。巡査のそれはお手本のような立派な心がけだったが、今のさつきには迷惑この上なかった。

 

「ほんとに、大丈夫ですから!」

 

「うわっ、君力強いなあ」

 

 派出所内の押し問答はさつきに軍配が上がった。見た目は女子高生であっても彼女は吸血鬼である。死徒二十七祖の番外位に数えられるアカシャの蛇を親に持つ才能豊かな死徒なのだ。

 当然のようにその膂力は成人男性のそれをはるかに超越している。

 巡査の腕を振り払い、紙袋を抱えたさつきは勢いよく派出所を飛び出していった。

 そして最後に振り返って、巡査に最終確認をする。

 

「あの、ここって宇宙の果てだったりします?」

 

 既にさつきを追うのを諦めた巡査が固まった。

 痛いほどの沈黙の後、

 

「……随分詩的なことを聞くね君は」

 

「はは……」

 

「…………とりあえず病院に行こうか」

 

 さつきはお礼を言って駆けだした。

 心の中では琥珀に対する恨み言のようなものを吐き出しながら、とりあえず服は着てきて良かったと再確認した。

 

 

 

 

 さて、さつきの当面の目標は三咲町に帰ることである。

 そこまで行ってしまえばあとは再びシオン達となんでもない日常を過ごせばいい。さつきはそんなことを考えていた。

 そのためにはまず現在位置の確認である。

 幸運なことに、さつきは自身の大まかな位置を理解していた。派出所を出てすぐのところにあったJRの駅の名前に見覚えがあったのだ。

 実際に降りたことは無かったが、そこが三咲の駅からおよそ十数駅程度のところであることは知っていた。

 終電はとうに出た後であったが、そもそもさつきに電車に乗る金は無い。さつきは当然のように10㎞以上ある距離を徒歩で帰ることを選択した。

 事実、彼女は動きづらいローファーでも電車などより早く移動することが出来た。ただ、走っている途中で自分が何の疑問も無くその選択をしたことに気が付いて、さつきはいよいよ自分が人外じみてきたことを痛感しいたたまれない気持ちになった。

 

 線路沿いを、時に塀の上を、時に家屋の上を走っていたさつきだったが、ある時異変に気が付いた。

 気付かないうちに美咲の駅を越えたところにいる。

 

「……そんなに考え事してたのかなぁ。観布子まで通り越してるよ」

 

 そう、三咲の隣にある観布子の駅のさらにその次の駅付近まで来ていたのだ。

 生ぬるい夜風を切って引き返すさつき。悪い予感を全身に感じながらも、彼女は力の限り走った。

 

 そして数分後、さつきはいよいよ現状を理解した。

 

「どうしよう、三咲町が無くなっちゃった……、ついでに観布子市も」

 

 三咲の駅と観布子の駅が無い。それどころか街自体が無いのだ。

 三咲町と観布子市が無くなり、その周囲の地域がそのまま連結している。

 絶句するさつき。琥珀はそんな大それたことまでしでかせるようになったのだろうか。

 

「それとも、私が違う世界に来ちゃったのかな……なーんて。ハハ」

 

 さつきの口から乾いた笑いがこぼれる。

 観布子市と三咲町を世界から抹消するか、それともさつきを異世界に飛ばすか、そのどちらが現実的なのかさつきには見当もつかなかったが、どちらにしたって最悪の事態であることには変わりない。

 

「どうしよう、これじゃあ遠野君と海行けない……」

 

 抱きかかえた日焼け止めを強く抱きしめるさつき。

 もっと気にするべきことがあるような気もしたが、彼女の思考は完全に止まってしまった。

 さつきはその場にへたり込むと、放心状態で空を見上げた。かつて自分が人間だったころ、夏の大三角形と教わった星の群れを見つけようとしてみるが、星の並びが三角形になっているところがたくさんありすぎて彼女にはどれが夏の大三角なのか見分けがつかなかった。

 さつきは星にまで裏切られたような気分で視線を地面に落とす。

 

「なんか私の人生こんなのばっかりだなぁ……」

 

 

 数時間後、朝陽が昇ろうかという時間になってさつきは再び動き出した。

 このままここに居ては日光に焼かれてもだえ苦しむことになってしまう。とりあえずは日光を遮れる場所、廃工場でも路地裏でも良い、そこに身を隠そうと思い立ったのだ。

 

「うん、琥珀さんだって鬼じゃないんだし、その内何とかしてくれるよね!」

 

 本日の寝床と見定めた路地裏の隅で、さつきは自身を鼓舞するようにそう呟く。

 むしろそうであってもらわないと自分の精神がもたないのだ。

 適当に見繕ったダンボールを、日光が当たらないことを厳重に確認した場所に敷き、さつきはその上に寝転がった。

 

「おやすみなさい。目が覚めたら全部夢だったとか、そんなだったらいいなぁ……」

 

 希望的観測に全ての希望をつぎ込み、こんな慣れない世界でも路地裏にはある程度の安心感を覚える自分に対してがっかりしながらもさつきはゆっくり目を閉じた。

 

 

 また暑い夏の一日が始まる。

 多くの人が活動を開始しようという午前七時前。一人の若い吸血鬼は自らの未来を憂いながら、路地裏の隅で体を休める。

 この街に、すぐ近くに、人の肉を喰らう喰種(グール)が存在することにも気付かないまま……。

 




他の連載と比べて一話一話を短めにしようと思います。
区切りをつけやすいので。

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