気が付くと、僕は炎に囲まれていた。不思議と熱くない。
「この炎は……、僕の?」
思い切って触れてみる。まるで風を掴んでいるかのような奇妙な感触。少なくとも火傷の心配は無さそうだ。
しばらく触れていると誰かの囁き声が聞こえた。耳を澄ますと、その声が炎の中から聞こえている事に気がついた。
「誰か居るの?」
問い掛けると囁き声が少し大きくなった。
「……助けて欲しいの?」
意を決して、炎の中に飛び込む。
すると、目の前に小さな男の子が現れた。どこか怪我をしているのか、しきりに痛がっている。
「だ、大丈夫? どこが痛いの?」
手を伸ばすと、男の子は煙のように消えてしまった。
「え?」
戸惑っていると、今度はお婆さんが蹲っていた。
苦しいと泣き叫んでいる。
近づくと、お婆さんが蹲っていた場所に何故か若い女性が倒れていた。
「あ、あれ?」
女性はぶつぶつと何かを呟いている。上手く聞き取れない。
「ど、どうしたんですか?」
近寄ると、女性の体が地面に染み込むように消えてしまった。
「どうなって……」
囁き声が次第に大きくなっていく。もはや、それは騒音と化していた。
「な、何なのこれ!?」
耳を抑えても、声は手をすり抜けて耳の中へと侵入してくる。
「……違う」
否、この声は――――、僕の中から響いている。
耳から外した掌を目の前に持ってくる。
「……ぁ」
掌から炎が漏れ出している。まるでドライアイスのように橙色の気体が地面に零れていく。
湧き出る炎の向こうには多くの人が居た。
◆
目が覚めて、初めに視界に入ったのはライダーの顔だった。花の咲いたような笑みと共にライダーがダイブしてくる。ああ、これはヤバい。何故か可愛らしい洋服に着替えているライダーだけど、鎧を着ていないとはいえ、人一人分の重量をはたして僕は受け止められるのだろうか……、無理だな。
「むぎゅっ」
思ったより衝撃は少なかった。布団がクッションになってくれたみたいだ。
「マッスター! 起きたー!」
なんて可愛らしい笑顔。なんだか凄く怖い夢を見た気がしたけど、ライダーの笑顔で一気に気分が軽くなった。
「お、おはよう、ライダー」
「オハヨー!」
抱き締めたい。今は僕も女の子なわけだし、大丈夫な筈。
いざっ!
「よかったー! もう、ボク達、すっごく心配したんだからねー」
両手を布団から出してライダーの背中に回そうとした所でライダーが離れてしまった。このやり場のない両の手をどうしたらいいんだ。
「どうしたの?」
「な、なんでもないよー」
のっそりと布団から出る。
「あれ?」
そう言えば、ここはどこだろう。少なくとも僕や士郎の部屋とは違う。というか、衛宮邸にこんな部屋は無い。
扉を押し開け、外に出る。すると、漸く見覚えのある景色が飛び込んで来た。
「ここは――――」
「ああ! 起きたのね、樹ちゃん!」
眩しいくらいの笑顔と共に大河さんがやって来る。
そう、ここは彼女の家だ。
「もう、心配したのよ! 士郎がセイバーちゃんやライダーちゃんと一緒に飛び込んで来て、『樹を助けてくれ!』って必死に頼んでくるんだもの。貴方達の家は吹き飛んでるし……」
その言葉を聞いて、漸く僕は昨日の事を思い出した。たった一夜の内に僕の家は瓦礫の山となってしまった。
「僕の家……」
やばい……、涙が出て来た。
「今朝早く業者の人達が来たんだけど、地中に不発弾が埋まってたんですって! そんな事あるのねー」
普通は無いよ。多分、教会の人達なんだと思うけど、神秘の隠匿の為とは言え、ちょっとテキトウ過ぎると思う。
「原因が原因だから、色々と調査が必要なんですって。だから、立ち入りも禁止みたいなの、一応、瓦礫から通帳とか色々と運び出して貰えたから、後で貴女も確認してね。お洋服とかも無事だった物は持って来て貰えたから」
「洋服が!?」
おじさんが買ってくれた洋服が残っているかもしれない。そう聞くと、沈み込んでいた気持ちが少しだけ楽になる。
ちなみに、これは後で知った事なんだけど、僕達の財産を運び出して貰えた理由は決して教会の人達のサービス精神が旺盛だったからでは無く、彼らを藤村組の人達が総出で囲って脅したらしい。如何に神秘に携わる者であろうと怖いものは怖いという事だろう。
「とりあえず、調査っていうのが終わったら、お爺ちゃんが建て直してくれるって言ってたから安心してね」
「ほ、ほんと!?」
「もちろん! だからほら、涙を拭いて」
「は、はい……」
おじさんや士郎と一緒に過ごした家。建て直しても、一度壊れてしまった物は取り戻せない。それでも、あの土地でまた暮らせる事が堪らなく嬉しい。
「良かったねー」
「う、うん」
その後、大河さんに連れられて、三人で大広間に向かった。
そこには士郎がすっかり疲れ果てた様子で座っていた。
「ど、どうしたの?」
「樹! だ、大丈夫なのか!? どこか痛い所は無いか!?」
思わず心配になって声を掛けると、士郎は血相を変えて僕の所に駆け寄って来た。
「だ、大丈夫だよ。士郎の方こそ、なんだか疲れてるみたいだけど……」
「俺の事はどうでもいい。そんな事より、本当にどこも痛くないのか? 気分が悪いとかは?」
「な、無いよ。全然問題無い」
「本当か?」
「う、うん」
「……そうか」
深々と息を吐きながら、士郎は床に座り込んだ。
「だ、大丈夫?」
「ああ……」
ぐったりとしている。
「だから言ったのに……。ほら、樹ちゃんは大丈夫だから、一度寝たほうがいいわよ」
「え? 寝てないの!?」
昨夜あれほどの戦いがあり、そうでなくてもサーヴァントを召喚したのだ。僕が倒れたのもサーヴァントの召喚や宝具の発動に相当魔力を奪われた事が原因だ。宝具こそ使っていないとはいえ、士郎も疲労がかなり蓄積している筈。
「は、早く寝なきゃ駄目だよ!」
「……本当に大丈夫なんだな?」
「ぼ、僕? うん、僕なら全然大丈夫だから、ね?」
「……ああ」
うとうとしている士郎に肩を貸しながら、大河さんが士郎の為に用意してくれた部屋に連れて行く。布団に入るとあっという間に寝息を立て始めた。相当疲れていたらしい。
「大丈夫かな……」
「大丈夫よ。ただの寝不足だもの。大変だったのよー。『樹は大丈夫なのか!?』とか、『どっか怪我したのかも』とか、大丈夫だから寝なさいって言っても聞かないの。ちゃんとお医者さんに診てもらって太鼓判を押してもらったのに、樹ちゃんの事になると本当に心配性なんだから」
「えへへ……」
多分、誰かが目の前で倒れたら、士郎は同じように心配すると思う。けど、僕の事を取り乱すくらい心配してくれた事がヤバイくらい嬉しい。
「も、もう、仕方ないなー、士郎は」
「物凄く頬がゆるゆるだねー」
ライダーがクスクス笑いながら言った。
「それにしても、樹ちゃんに外国人のお友達が二人も居たなんてビックリしたわ」
「え? あ、うん」
ああ、そういう風に誤魔化してたんだ。セイバーとライダーについては既に説明済みっぽいから、合わせる事にした。
「コスプレだっけ? 樹ちゃんにそんな趣味があったなんてねー。折角のパーティー中にあんな事があって残念だったわね……」
思わず吹き出しかけた。そう言えば、最初に士郎にライダーの事を紹介する時、咄嗟にコスプレ仲間と誤魔化したんだった。
ライダーやセイバーの私服を用意する暇なんて無かったから、大河さんの家に飛び込んだ時も当然二人は甲冑姿。きっと、士郎は咄嗟に僕が吐いた嘘を採用して誤魔化したのだろう。それにしても、コスプレが趣味って……、自業自得だけど酷い設定がついたものだ。ただでさえ痛い奴と思われているのに、倍プッシュだよ……。
大河さんは僕達の昼食を用意してもらう為に厨房に顔を出して来ると言って先に行ってしまった。僕達はノロノロと食堂の方に向う。藤村邸には藤村組の構成員がかなりの数常駐している為に食堂が存在する。
「そう言えば、セイバーは……?」
項垂れながら、今朝から顔を見ていないセイバーについてライダーに尋ねる。
「セイバーなら出掛けているよ」
「出掛けたって、どこに?」
ライダーは言った。
「モードレッドのとこ」
「……はい?」
ちょっと、言ってる意味が分からない。
「あ、士郎には内緒ね。ちょっとした散策だって言ってあるから」
「いや、ちょっと待って! なんでいきなり!?」
「今朝方、向こうからこっちに挑発して来てね。ここを戦場にするわけにもいかないからってさ」
そう言って、ライダーは突然玄関口の方を見た。
「あっ、帰って来た」
「え?」
ライダーの言葉の通り、玄関の方からセイバーが普通に歩いて来た。表情は固いけど、怪我をしている様子は無い。服装はライダーと同じく可愛らしい装い。
「セイバー! 大丈夫だったの!?」
「そちらこそ、大丈夫なのですか?」
慌てて駆け寄ると、セイバーは僅かに表情を和らげて僕を気遣ってくれた。
「うん。僕は全然平気。それより……」
「ああ……」
セイバーはチラリとライダーを見て、それから溜息を零した。
「そう言えば、イツキに対しては口止めをしていませんでしたね」
セイバーは再び表情を引き締めて口を開いた。
「イツキ……。マトウシンジから言伝を預かりました」
セイバーの口から慎二くんの名前が出た瞬間、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
「ど、どうして、慎二くんから……? だって、セイバーはモードレッドに……」
「モードレッドの主が彼だったのです」
「し、慎二くんは何て……?」
彼は僕達が聖杯戦争に巻き込まれないように必死に動いてくれていた。なのに、僕がサーヴァントを召喚した為に士郎もセイバーを召喚する事になり、結果、彼の思いを踏み躙ってしまった。
きっと、彼は怒っている筈だ……。
「……彼からの言伝はこうです。『大方の事情は分かっている。だから、人の好意を完全に無視した挙句、サーヴァントを召喚した事に対して、とやかく言うつもりは無い。けど、こうなった以上は敵同士だ。僕は絶対に聖杯を手に入れなければならない。だから、お前達もちゃんと覚悟を決めておけよ、馬鹿共』と……」
淡々とした口調で再生される慎二くんの言葉。彼の真意までは分からないけど、僕が打った手は悪手の中でも最悪の部類だったようだ。
お前達も覚悟を決めろと僕達の親友は言う。それはつまり、彼は既に覚悟を決めているという事。そして、この場合の覚悟とは――――、殺し殺される覚悟を意味する。