ガンプラ格闘浪漫 リーオーの門   作:いぶりがっこ

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その名はヒライ・ユイ①

 ――カラン、コロン。

 

 ちらちらと桜吹雪の舞う河川敷に、時代外れの下駄履きが乾いた音を立てる。

 洗い晒しのジーンズにTシャツと言う、ラフな格好の少年。

 ただ、切れた唇と額の傷。

 それに鼻の頭を押さえるガーゼだけが、先日の死闘の爪痕を匂わせていた。

 

 ナガラ・リオである。

 

 涼やかな一陣の風が頬を撫でる。

 だが、鮮やかな世界とは裏腹に、少年の足取りは重い。

 三日前には死んでも良いとさえ思った悠久の空。

 その空の色は、あの時と何一つ変わりがない。

 

 変わったのは少年の心だ。

 右手の指が、そっとポケットの内側に触れる。

 さして大きくもないズボンの裾をパンパンに膨らませている茶封筒。

 

 200万、入っている。

 リオの心根を曇らせている一端がそれであった。

 

 

 リー・ユンファがリオの下を訪れたのは、検査入院を終え、荷物をまとめていた頃合であった。

 

「この間のファイト・マネーですよ。

 どうぞ受け取ってください」

 

 そう言って差し出された茶封筒を、リオは怪訝な瞳で受取り、開け口より中を改め、そして無言でリーへと突き返した。

 

「どうしました? 200万じゃ安過ぎましたかね?」

 

「貰う謂れがねェ。

 親父の空手は見世物じゃないんだ」

 

「迷惑料も兼ねて、と言っても、君は嫌がるのでしょうねェ?

 では、こう考えてはどうでしょう?

 次の試合に向けての契約金と、それまでの栄養費と言う事で」

 

「……次の、試合?」

 

「引き受けて頂けるのでしょう?

 先日のガンプラ・ファイトの反響も上々でした。

 キミコ君や他のユーザーたちも、君の本格参戦を心待ちにしていますよ」

 

「…………」

 

 ガンプラ・ファイト。

 とくん、とリオの心音が跳ねる。

 数年ぶりに人里に下りてきてから、今日に至るまで度々感じていた、何とは無しの疎外感。

 ただ一つ、あの夜のバカげた闘いの最中だけは、その侘しさが払拭されていた。

 あの興奮を、もう一度舞台の中心で味わいたい。

 そう考える自分がいる事を、一概に否定は出来なかった。

 だがその想いは同時に、真の武術の在り方を求めて三雷会と袂を分かった、亡父の生き様の否定に過ぎない。

 

「まだ、俺はやると決めたワケじゃあ……」

 

「では、どうします?

 お父上の目指した空手道を復興する、そのための具体的なプランがありますか?

 高邁な志を抱きながら、日雇いの合い間にでも稽古を続けますか?

 ガンプラマフィア連中の用心棒でもやって糊口を凌ぎますか?

 ああ、それともいっそ俗世とのしがらみを断ち切って、もう一度山にでも籠りましょうか?」

 

「テメエには関係ねえ話だろうが?」

 

 ぶっきらぼうなリオの言葉を遮って、リーがずいっと身を乗り出す。

 

「私はねえ、悲しいのですよリオ君。

 腕っぷしが強いという事は、それだけで素晴らしい事なんです!

 あなたのように体格に恵まれない者が強いというのは、特に。

 ……けれど哀しい哉。

 現在において達人たちの多くが、世間から真っ当な評価を受けてはいません。

 絶域の技と満たされぬ心を抱えながら、誰もが慎ましやかな生活を強いられている」

 

「…………」

 

「受け取るのです、リオ君。

 それでうまい食事を取り、最高の環境を整え、万全の肉体を作り上げるのです。

 その上で君が参戦を拒んだとしても、それは投資家である私の目が節穴だったと言うだけの話。

 世の武道家たちの為にも、君はこれで良い生活をするべきなのです」

 

 と、言いたい事だけを一方的にまくしたてながら、リーが再び茶封筒を捻じ込んで来た。

 反応に窮したリオが返す間もなく、クルリと背を向ける。

 

「ですがねえ、リオ君、世の中は一樹の縁とも言います。

 今日の縁が次回のファイトに繋がる事。

 一人の格闘技ファンとして、勝手に期待させてもらいますよ」

 

 そう言って笑みを向け、飄々とリーは立ち去って行った。

 結局その時のリオは、返すべき言葉を見つける事が出来なかった。

 

 

 三雷会の空手を打倒して、父の正しさを証明する。

 

 そのためであれば死んでも良いと思っていた。

 それで死ねたなら、どんなに良かった事であろう。

 

 だが現実には、こちらが命を賭けるほどの事もなく、敵は戦わずして自壊していた。

 そして自分は、失意の中で戦いに敗れた。

 生前に亡父が否定していたプロレスに、リングの上で敗れたのだ。

 

 三日前のリオであれば、リーの言葉を茶封筒ごと突き返していた事だろう。

 だが今のリオは、そう出来るだけの軸を失っていた。

 これから何を目標にして、何を支えにしてこれからを生きれば良いのか?

 己の拠り所と言う物を完全に見失ってしまっていたのだ。

 

(それともいっそ俗世とのしがらみを断ち切って、もう一度山にでも籠りましょうか?)

 

 先刻のリーの言葉が、ワヤになった頭の中に響く。

 それも良いかもしれない、と思う。

 三雷会打倒の目的を成すまで、そう思い耐え続けた苦難の日々。

 だが、その苦しく侘しかった日々が、今ではもう懐かしい。

 人の世がこんなにも息苦しいものであるとは、思ってもいなかった。

 今、この茶封筒を思い切り河川に投げ捨て、山に帰る。

 そうすればどれだけ足取りが軽くなる事であろうか。

 

「……それで親父の教えてくれた空手は、そのまま埋もれちまうってのか?」

 

 冗談じゃねえ、と思う。

 栄光が欲しい、と思う。

 平穏が欲しい、とも思う。

 

 ぐるぐると堂々巡りを繰り返しながら、少年の足は古い記憶を辿る。

 この河川敷を抜ければ、ちょっとしたドヤ街に出る。

 そこの外れに、古い木造の一軒家がある。

 狭っ苦しい住居に、道場とは名ばかりの板の間。

 それにかろうじて巻き藁が置けるだけの中庭がある。

 

 山に籠る前に、父と暮らしていた家だ。

 もう、十年も前の話になる。

 ここいらの風景もだいぶ変わった。

 あるいはもう、そんな時代錯誤な家屋は残っていないかも知れない。

 

 それでもいい。

 このまま人の世界に留まるのか。

 あてもない放浪の暮らしに戻るのか。

 そんな決断のきっかけが、わずかでも残っていてくれたならば……。

 

 

 妙であった。

 十年ぶりの我が家を前にして、リオの足が止まる。

 結論から言えば、実家は確かにそこにあった。

 記憶に残る当時の姿と寸分たがわぬ懐かしの家。

 

 だが、それこそが妙だ。

 十年、碌な管理もせずに放って置かれた家だ。

 取り壊されていてもおかしくはない。

 運良く原型が残っていたとしても、廃墟同然のお化け屋敷になっているのが自然であろう。

 

「やあやあ、戻ってきたのか少年!

 どうしたんだい? 突っ立ってないで入ればいいのに?」

 

 ガラガラと不意に戸が開き、伸ばしかけたリオの手を遮って、三角巾に割烹着姿のブロンドが、にゅっと玄関に顔を出した。

 

「いやいや、この玄関がまた苦労したんだよ。

 やけに鍵が開かないな~っと思ったら、単に建付けが悪いだけでやんの」

 

「…………」

 

「おっと、この恰好じゃ分からなかったかい?」

 

 言いながら、ブロンドがいそいそと割烹着を外しにかかる。

 ソバージュの髪が風に揺れてふわっと広がり、白衣の下から藍色のセーラー服が現れる。

 ああ、とリオの口から呟きが漏れる。

 三日前、球場跡で出くわした、変な女だ。

 さすがに陣羽織こそ纏ってはいないが、これだけ強烈なキャラクターを見紛う筈もない。

 

「そう、変なお姉さんことエイカ・キミコだ。

 いっや~、待ちかねたよ少年」

 

「人の心を読むんじゃねえ。

 て言うかアンタ、俺の家で何をやってるんだ?」

 

「そう、それ、キミの家。

 そいつを守るためにここ数日、ハム姉さんは色々と骨を折っていたんだぜ」

 

 呆然とする少年の心を置き去りにして、ハム姉がバシバシとその背を叩く。

 

「少年、お父上が亡くなられた時、まともに相続手続きを行っていなかっただろう?

 そのせいでここは小火鯵(ボヤージ)組の地上げを喰らって、危うく取り壊される寸前だったのさ」

 

「そう、だったのか?」

 

「んで、ほうぼうに手を尽くして権利書を取り戻したのが二日前。

 それからは窓の修繕に畳の張替に室内の大掃除。

 いやいやいや、人の住める家にするってのも大変なモンだ」

 

「……そいつはあの、リーとか言うプラモ屋の差し金か?」

 

「ふふ、これはエイカ・キミコ個人の趣味さ。

 この家が残っていなかったら、キミがすぐにどこかに行っちまうような気がしてね」

 

「…………」

 

「家主に言うのもおかしな話だが、上がって行きなよ、少年。

 せっかくここまで来たんだ、実家の敷居をまたがずに帰る手は無いだろう?」

 

「ああ」

 

 言われるがままに下駄を脱いで廊下に上がる。

 ぎしり、と年季の入った板の間が軋みを上げる。

 どこか懐かしさを覚える、すえたような旧家の匂い。

 

「ガスと電気は使えるようになったんだが、台所の水回りは時間がかかりそうでね。

 今日の所は外食で済ませるとしよう。

 それにしても、今時露天風呂とは風流な家だねェ」

 

 キミコの砕けた物言いに、知らずリオの顔にも苦笑がこぼれる。

 ちらり、と中庭とも呼べぬ狭い土間を見れば、新しく打ち直された巻き藁の横に、わざわざショッキングピンクに塗り直されたドラム缶が据えられている。

 

 郷愁を噛み締めながら襖を開ける。

 真新しい畳の香りがたちまちに鼻腔を突く。

 六畳一間。

 仏間を兼ねた、この家唯一の生活空間である。

 襟を正して腰を下ろし、ピカピカに磨かれた小さな仏壇の前で正座を組む。

 荷物とも言えぬ小さな袋の中から、比較的新しい位牌を取りだし、そこに据える。

 木魚も線香も無い、宗派も読経も分らないが、そこにこだわる親父でもないだろう。

 

 手を合わせる。

 瞑目。

 瞑目。

 瞑目。

 

「……ああ、その、エイカさんよぉ」

 

「ん、どうした少年、改まって?」

 

「いや……、今回はその、色々と世話になっちまって」

 

 そう言って、リオがバツが悪そうにそっぽを向く。

 素直に礼を言われるとは思ってもいなかったのだろう。

 キミコはしばし、ぱちくりと目を丸くしていたが、その内に人懐こい笑みを浮かべて言った。

 

「ふっふっふ、礼を言うのはまだ早いな、少年。

 道場の方を見てご覧よ。

 きっと君もド肝を抜かれると思うぜ」

 

 

 唖然。

 呆然。

 自失。

 

 道場の鴨居の前にあって、確かにリオはド胆を抜かれていた。

 生まれ変わった道場、その余りにも凄まじい有様に。

 

 鏡のように輝き放つまで磨き抜かれた板の間に、わざわざ打ち直された小さな神棚。

 これはまあいい。

 当事者の武道と言う概念に対する愛着が隅々まで感じられて、思わずセーラー服の25歳に恋しそうになる程の心配りに溢れた部屋だ。

 

 だが問題は、部屋の中央を占拠する異物の存在である。

 ゲームセンターにある匡体などよりも二回りばかり大きい、小型の宇宙船のようなカプセル。

 無論、知っている。

 それは三日前、リオに地獄を見せてくれた装置。

 『ガンプラ・トレース・システム』のシュミレーターであった。

 

「な、なんじゃァこりゃあああァァァ――――ッ!?」

 

「いっや~、狭い道場内で組み上げるのがまた一苦労でねえ。

 電気系統の接続も今日中には終わるから、明日っからはガシガシ特訓できるよ!」

 

「……ッ じゃねえよ!?

 とっととコイツをのけろ!

 こんなんじゃあ組手も稽古もできないじゃねえかッ!」

 

 ナガラ・ルオが激昂する。

 いかに何年もほっぽり出していた家とは言え、こうも好き勝手されてはそりゃあ怒る。

 だが、その辺の反応も既に予想済みだったのであろう。

 キミコは特に悪びれた様子も見せず、しゃあしゃあと口を開いた。

 

「……組手~? やる相手がいるのかい、少年?」

 

「ぬっ」

 

「型稽古をやったり、サンドバッグを蹴れるぐらいのスペースなら十分にある。

 庭に下りて巻き藁をぶっ叩いたっていい。

 しばらくは一人きりの道場なんだろ?

 シュミレーターの一つや二つ、置いてあったって邪魔にはならんだろうに」

 

「勝手な事ばかり言ってんじゃねえ!

 俺はまだやるなんて一言も言ってねえぞ!」

 

「……それでも、さ。

 やると決めてからじゃあ遅いんだよ、少年」

 

 声のトーンを落としたキミコの物言いに、思わずリオの気勢が削がれる。

 

「少年も知っての通り、ガンプラファイトは非公式、非合法のアングラな大会だ。

 通常の格闘技のマッチメイクのように、十分な調整期間を設けて……、

 なんて言うスケジュールの余裕はない。

 明日、急遽試合を組まれても対応できる。

 それくらいの心構えで実戦と調整を進めて置かなきゃ、メインイベンターは務まらない世界さ」

 

「けれど、俺は……」

 

「ゴウダのおっさんの道場にだって、勿論シュミレーターはある。

 やると決める、それから準備する。

 プロの世界じゃあ、その数日が命取りだ。

 ウジウジ悩んでばかりいたんじゃ、時代に置いて行かれちまうよ、少年」

 

「…………」

 

「ま、少年にどうしてもその気が無いなら、機械の方は明日にでも撤去するさ。

 とりあえず私は台所の方にいるから、何かあったら声をかけてよ」

 

 むっつりと押し黙ったリオの肩をポン、と叩いて、そのままキミコが廊下へ消える。

 ポツン、と一人残された道場で、リオが深くため息を吐く。

 

(……ゴウダの道場にも、シュミレーターはある)

 

 その一言は存外に堪えた。

 

 ゴウダ・カオル、41歳。

 職業:プロレスラー リングネーム『ビグザム剛田』

 ショー・プロレスで鍛えた体を切り売りするのが生業の男である。

 ナガラ・リオが空手に捧げて来た倍以上もの時間を、見世物の舞台に上がるためのトレーニングに費やして来た男である。

 亡父の教えの前に立ち塞がり、ものの見事に粉砕してくれた『仇敵』である。

 

 ――そして、この人里に下りてきてから初めて、リオの全力に付き合ってくれた、タフな男。

 

 これからリオが、父の教えを貫いて生きるつもり、ゴウダは絶対に越えねばならない壁だ。

 最強のプロレスラー。

 その存在は、ただそこに在るだけで、亡父の生き方を真っ向から否定する。

 もう一度、あの男の前に立ち、全力を尽くして打倒する。

 リオの新しい人生は、その先にしか見出す事は出来ないであろう。

 だが、それは同時に、父が否定した興業、見世物の舞台に立って口に糊する事を意味している。

 理想と現実、二律背反の狭間にあって、息が詰まるほどの苦しささえ覚える。

 

「……俺は一体、どうすりゃいいんだい、親父よお?」 

 

『――ガンプラが嫌いなら、そんな世界に関わらなければいい』 

 

「ん?」

 

 ふっと、幻聴のようにか細い声が聞こえた。

 訝しげにリオが、庭先へと視線を向ける。

 そこにいたのは、これまでのゴウダやキミコに劣らぬ、異様な個性の持ち主であった。

 

 年の頃は、13~14と思われるおさげの少女。

 身長は、成長途中のリオよりもさらに低い、140台後半と言った所か。

 年齢についてはおそらく間違いない。

 学校指定と思われる、小豆色で二本線のジャージ。

 ぺったんこな胸部に縫いつけられた刺繍に『三区王堤2-B 平井』の文字がデカデカと踊る。

 やや赤みを差した両頬には、年相応のそばかすが浮く。

 おそらくは化粧もした事がないのであろう。

 視線を遮る瓶底のようなグルグル眼鏡だけが、少女にとって唯一のアクセサリーであった。

 

「ああ、えっと、どちらさんで……」

「…………」 

 

「ウチに、何か用かい?」

「…………」

 

 反応が、無い。

 少女はただ、じっと無言でリオの方を見つめている。

 睨まれているのか、熱烈なラブコールなのか、あるいは立ったまま寝ているだけなのか。

 分厚い眼鏡に阻まれて、少女の真意が読めないままに、虚しい時間が過ぎ去っていく。

 

 ――と。

 

「やあユイちゃん!

 何だい、来てくれるんなら連絡してくれりゃよかったのに」

 

 明るい声を弾ませながら、パタパタとキミコが台所からやってきた。

 ちらりと、リオが横眼で藍色のセーラー服を見やる。

 

「やっぱりアンタの関係者だったんだな」

 

「ハハ、喜べ少年。

 私のは単なる戦闘服だが、彼女の方は現役だぞ」

 

 言いながら、キミコが少女のジャージにポン、と手を乗せた。

 

「紹介しよう。

 三区王堤女学院、中等部二年、ヒライ・ユイ(平井唯)ちゃん十四歳。

 超級堂でファイター用のガンプラ制作を手伝ってもらっているんだ。

 何を隠そう、少年のリーオーを作ったのもこの子なんだよ」

 

「ああ、あのプラモを……」

 

 まじまじと、リオが少女の顔を覗き込む。

 先日の、純白のリーオー。

 素人目にも、確かに出来の良いプラモだとはおもっていたものの、それが自分より幼い少女が手がけた作品だったと言う事実に、少年はいささか驚きを隠せずにいた。

 

「ユイちゃん、改めて紹介するけど、こっちの少年は……」

「知ってる」

 

 キミコの言葉を遮って、ヒライが淡々と口を開く。

 

「私のリーオーで、無抵抗のドムを破壊した人」

「…………」

 

 空気が凍る。

 一瞬、何を言われたのか分からなかったリオも、すぐに少女の言葉に宿る棘の正体を理解した。

 三日前の最初のガンプラ・ファイト。

 三機のドムと対峙した時の、ナガラ・リオのやり口を咎めているのだ。

 

 確かにあの日、リオは戦意を失った相手の機体を、徹底的に破壊した。

 ガンプラを愛する少女にとって、手がけた愛機が他人のガンプラを蹂躙する有様は、決して心地の良い光景ではなかったのであろう。

 無論、リオにだって言い分はある。

 唐突に命のやり取りに巻き込まれ、落ち着いて対処できるだけの余裕が無かったのだ。

 その後のダメ押しにしたって、武術家の立場としては当然の制裁であった。

 

「…………」

 

 だが、それを敢えて口に出しては、恥の上塗りである。

 余裕がなかった、あんな三下を相手に、命賭けの戦いを強いられた。

 その状況、それ自体が『武』の敗北である。

 

 常在戦場。

 武の真髄とは、そもそも日常の心掛けにこそあるのだ。

 ナガラ・リオが、いっぱしの『武術家』であったならば。

 少なくともあの場面で、あれ程の醜態は晒さずに済んだ。

 凄惨な私刑を行わずとも、事を収められる余裕も持てた筈である。

 

「私のプロトリーオーは、そこいらのガンダムに遅れを取るような機体じゃない」

「…………」

 

 ダメ押しのように、少女の舌鋒がリオを叩く。

 咄嗟に反論しかけ、しかし結局、何も言い返せないままに口を閉ざす。

 リングで対峙したタイタスの姿は、とても「そこいらのガンダム」と言い捨てられるような威圧感ではなかった。

 だが、思い返してみれば、確かに機体自体に特殊なギミックが仕込まれていた訳でもない。

 だとしたら、それが中の人、単純に自分とゴウダの、戦士としての格の違いなのか……?

 

「ガンダムを愛してもいない人に、ガンプラバトルに関わってほしくな――」

「ていっ!」

 

「あ……」

 

 貝のように凹まされた空手少年に代わり、エイカ・キミコが物理的に動いた。

 止める間もなかった。

 ハム姉の柔い張り手が、ぺちり、と少女の頬を叩いた。

 

「初対面の相手に何を言ってんのさ。

 分かっているだろ、ユイちゃん?

 あの日、少年は自分に出来る最善を尽くして戦った」

 

「…………」

 

「怒りをぶつける相手が違うだろ?

 あの場で起こった事の責任は、私とリーの旦那にある。

 何で私を、直接殴りに来ないんだい」

 

 生粋の格闘技オタグが、諭すように懇々と語る。

 ヒライ・ユイは、何か言いたげに一瞬口を開いたが、結局そのまま口を閉し、くるりと家の外へと駆け出してしまった。

 少女の姿が完全に視界から消え、ふうっ、と一つ、キミコが大きなため息をついた。

 

「いや、悪かったね少年。

 ユイちゃんもさ、普段は素直で良い子なんだけど……。

 ああ見えて、ガンプラに関しては少々一途でね」

 

「いや、いいよ」

 

「……? どしたい、少年?

 無頼の空手屋が、随分と言われたい放題だったじゃないか?」

 

「ああ……」

 

 ぼんやりと、少女の走り去った庭先を見つめる。

 事実、リオ自身もあやふやな自身の感情を持て余していた。

 不思議と怒りや苛立ちと言った感情は湧かなかった。

 気持ち良く打たれすぎたからかもしれない。

 さっきのが舌戦ではなく殴り合いだったなら、今頃リオは大の字で空を仰いでいた所だ。

 

(そういや、親父以外の人間に叱られたのは初めてだっけな)

 

 ふっ、と苦笑が漏れる。

 空手、武術、と言う世界に関してならば、散々に殴られ、罵倒され、その厳しさを肌で味あわされてきた少年である。

 だが、ガンプラと言う世界において説教されたのは、無論、これが始めての事だ。

 リー・ユンファもエイカ・キミコも、格闘技に対する真摯さだけは随所に見られたものの、その情熱をガンプラに対しても持ち合わせているか言えば、いささか疑わしい所があった。

 

 安心。

 ナガラ・リオはきっと、安心したのだ、と思う。

 

 ガンプラ・ファイトの世界に飛び込むか否か。

 目先の選択に囚われるばかり、先程までのリオは、己が慢心に気付いていなかったのだ。

 生きるか死ぬかの世界で、本物の空手の拳を学んできた。

 その自分が戦うのだから、ガンプラ・ファイトの世界でも食っていくなどワケも無い事。

 知らず、そんな当然の思いを抱いていた。

 その驕りを少女は叩いてくれたのだ。

 ガンプラの世界を舐めるな、と。

 

 実際の所、少女がリオの何処に対して憤りを感じていたのか、ガンプラを知ってから日の浅い少年には、その心理を正確に理解する事はできない。

 だが、ガンプラ・ファイトと言う世界に、それだけの真剣さで挑む少女がいる。

 今、目の前の門の先に広がっているのは、そう言う厳しさを持った人間のいる世界なのだ。

 この事実こそが、リオにとっては僥倖であり、救いだ。

 ガンプラの世界を侮っていた自分が非難されるのは当然であり、それを気付かせてくれた彼女には感謝こそすれ、怒りの矛先を向ける理由は無い。

 

「……良い子だな、彼女」

 

 率直に、ナガラ・リオが少女の印象を語った。

 

「キミも相当に歪んでいるな、少年」

 

 対し、キミコはどこか呆れたように首を振った。

 

 

 鉄板焼き『菜宅』は、全国に36の店舗を構える外食チェーン店である。

 お好み焼きをメインとしながらも、そのメニューは通常の肉料理に海鮮、焼きそば、もんじゃとバリエーションに富み、アルコールを加えても庶民の懐に優しい値段設定となっている。

 自然、休日の夜ともなれば、家族連れや常連の飲み会が店内を賑わす事となる。

 

「デッハハハ! どうした坊や、ジャンジャン食えジャンジャン」

 

「いきなり酔っ払ってんのか、おっさん。

 まだ何も焼いてないだろうが!」

 

 活気に満ちた店内に、一際太い笑い声が響く。

 190近い屈強の体格に、やや後退の始まった髪を後ろで束ねた、愛嬌ある顔立ちの面長の男。

 ゴウダ・カオル。

 プロレスラー『ビグザム剛田』その人である。

 対面で威勢良くジョッキを煽る巨漢に辟易しつつ、慣れぬ手つきでリオがボールを掴む。

 

「おい、違えよ馬鹿。

 キャベツ、キャベツを最初に焼くんだ。

 具材で土手を作ってやらなあ、出汁が垂れ流しになっちまうだろうが」

 

「んだとぉ~?」

 

「ハッハッハ、私がやろう少年。

 男子厨房に立ち入らず、だな」

 

 言いながら傍らのキミコがボールを奪い、二丁のヘラでダカダカと具材を刻み始める。

 手持ち無沙汰になったリオの前に、ゴウダがぐいっと大ジョッキを差し向ける。

 

「……飲まねえぞ、俺は」

 

「なんだぁ~未成年、今更になって優等生ヅラかよ」

 

「そんなんじゃねえよ」

 

 ただ、とバツが悪そうにそっぽを向いてリオが言う。

 

「……酒が、判断を鈍らせる事もあるからよ」

 

「ククッ! そいつも親父さんの教えか?

 武術家なんてえ志すもんじゃねえなあ」

 

 小馬鹿にしたような声色に、リオが恨みがましい視線を向ける。

 そんな不穏な空気を気にした風も無く、飄々とゴウダが葉巻を咥える。

 手元を止めないまま、傍らのキミコが楽しむように会話に割って入ってくる。

 

「ふふっ、少年。

 日中も思ったけれども、戦っていない時の君は、本当にからっきしだねえ?」

 

「……ほっとけ」

 

「私は褒めているんだよ?

 いびつで歪んでいるからこそ、常人には出来ない事ができる。

 そうでなければ、自分より40キロ以上重いレスラーの額をカチ割ったりはできないさ」

 

 ドーナッツ状に築いた土手の中心に、慣れた手つきで出汁が注がれていく。

 ジュウゥ、と香ばしい音を立てる鉄板の中心を、無言でリオが見つめる。

 

 これが数日前であったなら、キミコの賛辞を素直に受け取る事が出来ただろう。

 常識知らずで結構。

 武術家として全うに生きられればそれで良い、と。

 

 けれど、リオは敗北してしまった。

 目の前にいるプロレスラーに、リングの上で。

 今のリオにとっての武術は、和気藹々とした夕食を妨げる重荷に過ぎない。

 

 失った誇りを取り戻すにはどうすれば良いか?

 目の前の男を倒せばよい。

 例えば、今、この場で立会いを望めばどうか?

 眼前の豪放なタフガイは「メシの後でやろうや」等と応じるかもしれない。 

 いや、そもそもが双方の合意なども必要ない。

 武術とは突き詰めれば勝つ事、生き延びる事だ。

 目の前の焼けた鉄板、無造作に置かれた粉鰹、隣の女が手にしているヘラ。

 仕掛けるための手段はいくらでもある。

 

(……そう言う事じゃねえだろ)

 

 熱しかけた少年の中の芯鉄が、急激に冷めていく。

 全てはごまかしだ。

 少年の中にある凛呼とした意志が、リングの上での再戦を望んでいる。

 理屈の問題ではない。

 リングの上でやられたカリは、リングの上でしか返せないと、少年の中の獣が喚いているのだ。

 

「……なあ、おっさんは何でガンプラなんかやっているんだ?」

 

「金さ、あとは試合の場所な」

 

 リオが問う。

 即座に太く、シンプルな答えが返ってきた。

 いかにもこの大男らしい、楽天的で単純な回答。

 そして戦いの舞台では、シンプルな者ほど強い。

 

「ふふっ、このおっさんはプロレスはとにかくとして、経営の方がメタメタでね。

 社長に啖呵切って独立したまでは良かったんだが、色々あって残ったのは、小さなプレハブに粗末なマットだけって有様なのさ」

 

「ダハハ、世の中ままならない方が面白いってモンよ!」

 

 ゴウダの物言いに苦笑しながら、キミコがお猪口をちびちびと煽る。

 

「まっ、だからこそ私は少年に期待しているんだけどね。

 おっさんのプロレスの醍醐味は、耐え切ってからの逆転劇。

 けれど生憎、今のプロレス界には、おっさんを本気で攻めきれるだけの相手がいない」

 

「へっ、時代の移り変わりだわな」

 

「だからこそガンプラ・ファイトが、何とか足しになれれば良いんだがね。

 おっさんや少年みたいな『本物』が、もう一度世に出るきっかけに、さ」

 

「…………」

 

 二人の軽妙なやり取りを、むっつりと押し黙ってリオが見つめる。

 動機の純不純はとにかくとして、二人がガンプラ・ファイトの世界に本気で可能性を求めている事だけは理解できる。

 この男にリングの上で勝とうと思ったならば、リオもまた必死にならざるを得ないだろう。

 武術や父の意志はさておき、ガンプラ・ファイトと言うものに真っ向から向き合う必要がある。

 

(ガンプラ、か)

 

 ふっ、と少年の思考が、昼間の少女の姿に切り替わる。

 ヒライ・ユイ。

 少年が初めて出会った、ガンプラと言うものに真摯な情熱を向ける少女。

 何か言いたげな眼鏡の奥の瞳は、果たしてあの時、泣いていたのか、怒っていたのか。

 

(…………)

 

 ガンプラがいる。

 今更ながらにその事実に気付いた。

 戦場において己が身を預けるに相応しいだけのガンプラが。

 

 リーやキミコに頼めば、それなりの制作者を紹介してくれるだろうか?

 最悪の場合は、一から自分で作る必要もあるかもしれない。

 

 だが、それは何か違うような気がした。

 あるいは、初めて手にした純白のリーオーに対して、思いのほか自分でも未練を感じているのかもしれない。

 昼間、少女から突き付けられた刃。

 それに対する回答を持たぬまま先に進む事が、今のリオには、妙に不義理な行為を働いているように感じられてならなかった。

 

「ん~、どうしたんだい少年?

 さっきからずっと、黙っちゃって?」

 

「ああ、いや……」

 

『――私のプロトリーオーは、そこいらのガンダムに遅れを取るような機体じゃない』

 

 ふっとリオの脳裏に、昼間のユイの言葉が蘇り、それがそのまま口を突く。

 

「俺が最初に使った、あの、リーオーとか言うの。

 あれはやっぱり、凄いガンプラだったのか?」

 

「ありゃ? なんだい、自分で使ってて分からなかったのかい?」

 

「いや……」

 

「冗談だよ。

 何せ初めて使った機体とあっちゃ、その凄さを実感できないのも無理ない所だろうけど……」

 

 と、そこまで言いかけた所で、不意にキミコの瞳が悪戯好きの子猫のように煌いた。

 

「なあ少年。

 リーの旦那から貰ったこの間のギャラ。

 あれ、私に預けてみる気は無いかい?」

 

「……? 別に良いが、どうする気だ」

 

「ふっふ~ん、悩める少年のボーイ・ミーツ・ガール。

 ハム姉さんが助けてやろうか、ってね!」

 

 言いながら、焦げかけたもんじゃをかき集め、ちびちびと口元に運ぶ。

 ハム姉さんの瞳は、何やらガールズ・トークが大好きな女学生のように爛々と輝いていた。

 

 

 

 


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