ガンプラ格闘浪漫 リーオーの門   作:いぶりがっこ

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・Aブロック準決勝

ナガラ・リオ(空手) VS ビグザム剛田(プロレス)
リーオー虎徹        AGE-ONEタイタスNOAH


何も考えずに走れ!

 ――カツン、カツン。

 

 年季の入った黴臭い石畳を、乾いた金属の靴音が叩く。

 ほの暗く細長い、アーチ構造の回廊。

 仮想空間なればこその懐古趣味であるが、ナガラ・リオは存外、このひと時が嫌いでは無い。

 

 背後より異形の吐息が頬を撫ぜるような生々しい闇。

 とても電子の匠とは思えぬ魔性の気配は、しかし、彼が幼少より慣れ親しんだ山中の夜に良く似ていた。

 

 点々と灯る松明の先に、パックリと空間を四角に断ち切ったかのような眩い白が見える。

 ふわりとほのかな風に乗って、歓声が少年の耳にまで届く。

 この熱狂、恐らくあの男、ビグザム剛田は既にあそこに居るのであろう。

 

 ふるり、と知らず指先が震える。

 武者震いなどと強がるつもりは毛頭ない。

 恐怖に疎いと言う事は、武術家としては致命的である。 

 野生の時代に培われた生存本能のファクターが、どこか欠落しているのだ。

 肝要なのは恐怖を捨て去る事では無く、それを御する事。

 

(……今日は、死ぬには良い日だ)

 

 瞳を閉じ、おまじないのようにそっと呟く。

 亡父の口癖。

 生き延びたい、と言う生物の大前提を覆す事によって、死人の世界から現し世を覗く。

 事象をあるがままに捉える事が出来たならば、その時心は波立たず、拳のブレは無くなるのだ。

 

 静かに息を吐き出し、ゆっくりと瞳を開ける。

 ……指先の震えは、収まらないままであった。

 

 どうやら今日ばかりは、おまじないも効きそうに無い。

 肉体が覚えてしまっているのだ。

 信じていた空手が砕かれた夜の記憶を。

 

 どくり、と沸き立つ血液が心臓より噴き上がる。

 それが歓喜なのか、恐怖なのか、あるいは発作的な衝動なのか定かではない。

 様々な感情がないまぜになり、僅かばかりの理性までをも押し流そうとする。

 

(本当に闘るのか? こんなグチャグチャな状態で……)

 

 かたかた、と、ついには膝にまで震えが伝搬する。

 何とかしなければならない、が、暴走する感情を御する術を少年は知らない。

 滾る血潮に押されるままに歩は進み、さまざまな記憶が脳内を駆け巡る。

 

 眩いスポットライト。

 はちきれんばかりの肉体。

 固く張りつめたロープ。

 揺れるキャンパス。

 熱狂に燃えるリング。

 強い。

 プロレスラー。

 それはもう、兵器。

 てんで届かなかった、空手家の刃――

 

『最後の貫手……。

 リーオーの指先がこんな状態じゃなかったら、きっと完全に決まっていた』

 

 ――ヒライ・ユイの声。

 

(…………)

 

『ナガラの拳は、どこも壊れてはいない。

 ただ、私のリーオーの指先が、空手の威力に耐えられなかっただけ』

 

 みちみちと膨らんだ手の甲をなぞる、ほっそりとした白い指。

 

 感情を押し殺して、淡々と少女が語る。

 感情をひた隠しにした眼鏡の奥で、少女が静かに泣いている。

 

 ずきり。

 

 一際大きな痛みが胸中を刺し貫く。

 

 確かにあの日、自分はプロレスに敗れた。

 だがそれは空手の敗北を意味する所では無い。

 単純に、自分の修行が、実力が足りなかったと言うだけの話だ。

 空手への信仰は、未だ揺るがず少年の胸の内にある。

 敗北の屈辱など、あの日の少女の心の痛みに比べれば些事に過ぎない。

 

 純白のリーオー。

 それがどれほど尊い代物であった事か、ガンプラを知った今なら分かる。

 どれほどに少女の想いを、その信仰を乗せた機体であったかを。

 そこいらのガンダムに遅れを取るような生半な機体では決して無かった。

 それを自分は、知ろうともせずダメにした。

 

『――私にはもう、あなたと組む資格が無い』

 

(……違う、違うんだ! ヒライ)

 

 必死に心の中で叫ぶ。

 ヒライは何も悪くない。

 自分が未熟だったのだ。

 力も、技も、心構えも、何もかも。

 そう少女に告げたかった。

 

 だが言わなかった。

 くだらない泣き言など、ストイックなヒライの耳には届かない。

 ただ、謝罪を口にした分だけ自分の気持ちが軽くなると言うだけの欺瞞だ。

 あの時の少年は、少女の魂を救う術を持たなかった。

 だから代わりに別の話をした。

 亡父に学んだ野良犬の生き方の話をした。

 

 力が足りない、言葉も持たない。

 だから少女を巻き込んだ。

 自分にとって最も都合のよいやり方で。

 

 あの日以来、リオはヒライの作ったリーオーを何度も何度も潰し続け……、

 そして今日、ようやくこの舞台にまで辿り着いた。

 

(許してくれ、ヒライ、必ず埋め合わせはする)

 

 証明する。

 ヒライの作るリーオーが、ガンダムを倒し得る可能性の牙である事。

 今日、この時、この場所で。

 あの、黒く太く強大なガンダムを相手に。

 

 リーオーの足は、いつしか回廊の出口まで辿りついていた。

 たちまち広大な天地が視界一杯に広がり、わっ、と言う大歓声が少年の肌を叩く。

 

『さあ、空手少年がやってキタ――――ッ!!

 準決勝第一ラウンドは異例のリベンヂマッチだァ!

 鍛えに鍛えた空手の拳は、今度こそプロレスラーの装甲を貫けるのかッ!?』

 

 MS少女の大仰な物言いに会場が沸き立ち、熱狂が仮初の大気を焦がす。

 ガンプラファイト地下トーナメント、準決勝第一試合。

 格闘バカの一夜限りの夢の祭典も、いよいよ佳境に差し掛かろうとしていた。

 

 割れんばかりの歓声の中、少年が悠然と歩を進める。

 視線の先、舞台中央では件の男が観衆に片手を振るっている。

 

 元超日本プロレス所属『ビグザム剛田』

 そしてプロレスラーのために生み出されたガンプラ『AGE-ONEタイタスNOAH』

 

 むわっ、と、たゆたうような熱波が少年の頬にまで届く。

 ただ、そこに在るだけで、会場の空気が2、3度は滾るかのような圧倒的存在感。

 男と言う生き物を丸ごと鋳型に閉じ込め熱したかのような、黒く、太く、逞しいMF……。

 

「ったくよう、ロクでもねぇ夜じゃねぇか」

「…………?」

 

 飄々と声援に応えながら、まるで飲み屋にでも繰り出そうかと言う気軽さでゴウダがぼやく。 

 

「ぼうやがいけないんだぜ。

 そんなチンケなナリで頑張りすぎるからよォ……。

 おかげでこっちはもう、奥歯の奥までガタガタだよ」

 

「ああ……」

 

 言われ、リオもまた自然体で応じる。

 指先の震えはいつしか収まっていた。

 

「悪ぃな、アンタに気を使わせちまったか?」

 

「まっ、ともあれ、こんなトコまで来ちまったんだ。

 この間の試合よりは気張ってくれや」

 

「……やるだけの事はやってみるよ」

 

 短く応え、背を向ける。

 因縁だの雪辱だの、プロレス的な諸々を取り払った軽さ。

 こんな他愛ない雰囲気から、息を吐くように死闘が始まる。

 この微妙な緊張感も悪くない。

 

「ああ、それとよ……」

 

 小間事でも思い出したかのようなゴウダの呟きに、ふっ、とリオが振り向いた――次の瞬間

 

 ガズン!!

 

「――ガッ!? ??!?」

 

 不意に頭上から衝撃が来た。

 

 ハンマーブロー。

 天空から容赦なく打ち降ろされた、ゴツイ、手。

 後頭部。

 火花。

 フラッシュ。

 虫が……痺れ、視界が傾ぐ。

 

 不意打ち、奇襲、困惑。

 バカな。

 189cm116kgの偉丈夫が?

 自分の方から仕掛けるならともかく。

 

 思う間もなく、第二打!

 背面、否応なく地面に叩きつけられる。

 じゃらり、と鉛の擦れ合う音。

 

 いや、違う。

 凶器攻撃。

 バカか、俺は。

 ゴウダ・カオルは徹胴徹尾プロレスラー。

 オーディエンスを盛り上げるためだったら、悪魔にだって魂を売る男。

 

「……へっ、一足お先に、カリだきゃあ返さしてもらったぜ」

 

 タイタス、喜色満面。

 重厚な鎖をじゃらじゃらと弄びながら、開いた左手で卸したてのマスクをベリベリと剥がす。

 たちまち、あっ、と観客が叫ぶ。

 

「ゴウダが突っかけた!」

「因縁の鎖分銅ゥ!?」

「まだ根に持っていやがったのかッ!」

 

 

『ちょちょっ!? おっさ、アンタ何やっと――』

「しゃーらっぷ」

『ぷぎゃ!?』

 

 と、このタイミングで最悪のアクシデントが重なった。

 振りかざしたタイタスの拳がぶち当り、傍らのMS少女が思い切りはしたなく引っくり返る。

 何という偶然!

 伝統芸能。

 阿吽の呼吸。

 完成された茶番。

 ともあれ、これで審判(じゃまもの)はいなくなった。

 

「……リオ君が一言でも抗議をしたら、即座にゴウダ選手を反則負けにしなさい」

 

 諦観の溜息と共に、リー・ユンファが力なく扇子をかざす。

 やや遅れ、ゴングの音が架空の空に響いた。

 

 

 

「HAHAHA!  あー ゆー ですとろーい?(あなたはデストロイですか?)」

「ぐガ……ッ」

 

 無理矢理引きずり起こされたリーオーの首筋に、後背よりじゃらりと太い鎖が絡み付く。

 抵抗する間もなくピン、と鎖が張られ、そのまま高らかと宙吊りにされる。

 呼吸が出来ない、どころでは無い。

 厚い襟首の上から頸椎まで圧し折ろうかと言う圧倒的膂力。

 しかも今度は学習している。

 空手家の手の届く所に指が無い。

 

「……っの……!」

 

 必死。

 リーオーが首筋の鎖を両手で掴み、ブラブラと必死で体を揺する。

 吊られた頸椎を支点にブランコのように高らかと両足が上がり――

 

「――じゃらぁッッ!!」

「んぉ!? げぎゃッ!!??」

 

 瞬間、反動をつけた渾身の後ろ踵蹴り。

 左の撃鉄が、金色に輝くタイタスの股間を強かに叩いた。

 

 睾丸は、内臓である。

 肋骨も胸骨もなく、薄皮一枚隔てて外界に曝された絶対急所。

 生殖活動に必要な適温を保つべく配された、人体の苦肉の策。

 鍛えようがない、抗いようが無い、いかなタフガイであっても。

 

「がはっ」

 

 じゃらん、と鎖が太い手を滑り落ち、たちまち二人の体が大地に沈む。

 

「げばッ んっぐぅ……ッ!」

 

 むせっ返る肉体に鞭打って、リーオーが力強く体を起こす。

 ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を吐き出し、ようやく一息ついて足元を見下ろす。

 

 ――黒く、太く、逞しいタイタスは股間を抑え、未だ蟇蛙のように大地に這い蹲っていた。

 

「ぜぇ、ぜァ……、ふっ、ふへっ、へひゃ……」 

 

 湧き上がる黒い衝動を押し殺し、くつくつとリオが嗤いをこぼす。

 

「……へ、ではっ、でははは……」

 

 少年につられゴウダも嗤う。

 嗤う、それしか出来ない。

 

「ジャアァッッ!!」

 

 直後、褌身のサッカーボールキック!

 

 決して人間相手に使うべきでは無い蹴撃を、タイタスの顔面目がけて思い切り叩きつけた。

 バギャッと派手に音を立て、タイタスの上体が跳ね上がる。

 

「……! でぇっ」

 

 振り抜いた瞬間、不意にリオの爪先に痛みが走った。

 出所は蹴り足の先端。

 ヒライが丹精込めて作ってくれた右の親指に、タイタスが文字通り喰らい付いていたのだ。

 

「~~~~っ やめねェかバカ!」

「ンゴ! ンガ! んっヌゴガ!」

 

 リーオーが必死で右足を振るい、タイタスを振り落とそうとする。

 だが、喰らい付くタイタスもまた、必死。

 ここで振り払われては、股間の激痛が引く前に滅多蹴りにされる。

 ともかく十秒、あと数秒か?

 それまでは恥も外聞も捨てて凌がなければならない。

 

 必至、双方ともに必死。

 大の大人が。

 おそらくはガンプラバトル史上、最も必死、かつ低レベルな男たちの攻防――。

 

「フンガアアァ―――ッ!!」

「!」

 

 やがて、時は来た。

 突如として蘇った人間MAが、強烈な体をリーオーに浴びせてきた。

 思わず踏み止まろうと前傾になった肉体を、アーチを描いて逆方向にぶっこ抜く。

 鮮やかな返し、リーオーの体があっさりと浮き上がる。

 見事なフロントスープレックス。

 だが完璧では無い。

 空手家の両手が空いている。

 迷いもせず、リーオーが親指をタイタスの両目に突っ込みに行く。

 

「ウヌ!」

 

 頸を捻って両の親指を交わし、バランスを崩した二人がもつれるように大地に転がる。

 双方、砂地に塗れ、歓声が、興奮が混じり合う。

 

「でははッ、汚ェ!

 えげつねぇなあ、ぼうや。

 モノホンの空手家と闘りあってるんだって、ようやく実感が沸いてきたぜ」

 

「……くっ」

 

 どの口が言うか?

 くつくつと、どちらからともなく嗤い合う。

 大気が沸騰する。

 どくり、どくりと心臓が鳴り、煮え滾る血液がオイルとなってリーオーの全身を駆け巡る。

 

「ゴウダ……、ゴウダアァアアァァ――ッッ!!」

 

 魂の木星エンジンに火が点いた。

 それは地獄への片道切符。

 衝動に身を任せ、今、野良犬が勇ましく大地を蹴った。

 

 

 そこから先は滅茶苦茶だった。

 

 熱狂、狂乱、乱打。

 歯止めも効かぬまま、しっちゃかめっちゃかに拳を振るっていた。

 作戦も、理性も、野良犬を繋ぎ止める鎖の全てが弾け飛んでいた。

 体が熱い。

 拳も。

 幻想と現実の狭間で、熱にでも浮かされたように体が動く。

 打ち込んだ指先から灼けるような炎が広がり、ぶわっ、と会場全体に熱病が伝染する。

 

 湧き立つような歓声、それで気付く。

 自分が今、ゴウダの仕掛けたアングルの中にいるのだ、と。

 気が付いて、だから何だと右脚を浴びせる。

 確かに自分は浮かれている。

 ゴウダの流れに乗せられている。

 ゴウダの生み出した流れの中で、滅法肉体が動いている。

 それならばもう、それで良い。

 

 向うはプロレス二十余年。

 海千山千、立ち止まり、心理戦で渡り合えるような手合いではない。

 無策、無謀――、若さゆえの過ち。

 ビグザム剛田には無い、ナガラ・リオの重要な牙だ。

 ゴウダが流れを生み出すならば、その潮流に乗り切って押し込むのみだ。

 

「シィヤッ」

 

 相手の足元目掛け上体を沈めながら、背中からブン投げるように右拳を飛ばす。

 ロシアンフックに近い右のスウィング。

 大振りでありながら軌道が読まれにくく、しかも丁度良い位置にデカブツの顔が来る。

 ナガラ・セイイチロウの空手では無い。

 大格差を克服せんとするリオの鍛練が、自然にそのフォームを生み出したのだ。

 

(これなら――!)

 

 ガギン、と言う鈍い手応え。

 まるで、壁。

 衝撃は十分、だが、上体が止まる、てんで打ち抜けない。

 知っている、この感触は件の肩止め。

 ゴウダ特有の顔面を打たせていく防御法。

 

(これなら、じゃねえっ!)

 

 たちまち飛んでくるビッグ・ブーツ。

 半身を取ったリーオーの脇を、ビュオンと太い脚が通過する。

 驚く間もなく、至近からの掌底。

 逃げれば打ち抜く、受ければ掴む。

 欲望に満ちたブ厚い手。

 

「シッ」

 

 下がりながら、左のショートアッパー。

 顔面に迫る強欲を、下からパァン、と跳ね上げる。

 ビリビリとした左手の痺れが、たちまち背筋に伝搬する。

 

(下がっている、場合かッ)

 

 迷いもせずに再び踏み込む。

 厄介なのは体格の圧力。

 根負けして退がれば、たちまち世界の果てまで追い詰められる。

 

 恐怖を忘れてはならない。

 恐怖に呑まれてもならない。

 

 リーオーの拳が届く間合い。

 タイタスにとって、殴り合うには窮屈な間合い。

 積極的に掴み合うには、微妙に遠い間合い。

 そんな、あるかないかのギリギリの位置だけが、リオがゴウダと張り合える唯一の世界線。

 

(それにしたって……)

 

 一体、どう言う事なのか?

 何と言う肉体である事か。

 大雑把なタイタスの金型に、超圧縮したゴムを極限まで充填したかのような規格外の肉体。

 重厚にして、芳醇。

 

 少年の十年を凝縮した空手家の拳。

 確かに当ってはいる、間違いなく効いてはいる。

 しかし、芯の芯まで響かない。

 これでは斃れない、斃せない。

 

 かつて、ビグザム剛田は酒の席で嘯いた。

 プロレスラーは天に愛されし特別な職業だと。

 種族が、立っているステージが違う、と、つまりはそう言う事なのか?

 

(いや、違う)

 

 下らぬ世迷を打ち消す。

 ナガラ・リオはこれまで散々目の当たりにしてきた。

 地上最強のプロレスラーが、成す術も無く打ちのめされる所。

 日本のパウンド・フォー・パウンドが追い詰められる所を。

 ビグザム剛田も所詮、人の子。

 ルクス・ランドアが、ガチぴょんがそれを成した。

 

(だとしたらやはり、足りないのは俺……)

 

 ぎりり、と噛み締めながら拳を叩きつける。

 空手に捧げた青春、その十年、この正拳が不足だと言うのか?

 

 パンチの質が――?

 いや、着ぐるみの重さを取り払った『彼』の拳に、自分の拳骨が劣るとは思わない。

 で、なければ、技量が――?

 いや、老境にかかったルクスの剛腕は、既にボクシングテクとは無縁の境地にあった。

 

 自惚れでなければだが、自信の体力技量が二人に劣るとは思えない。

 だとしたら残すは……『心』の部分。

 

 あまりにもオカルトめいた、他愛のない妄想。

 ……しかし、思い当たる、フシがある。

 

 存在そのものが米国(ステイツ)である男、ルクス・ランドアの左フック。

 子供たちの夢を演じきる事に半生を費やした、ガチぴょんの武術(マーシャルアーツ)

 そして、未だに亡父の敷いたレールを踏み越えようと足掻き続けている、半端者の拳。

 

 馬鹿な事を、と思う。

 しかし、そう言ったモノがあるのではないか、とも思う。

 歴史的説得力。

 拳に乗った人生の重さ。

 その、器械では計れない何グラムかの重量こそが、ゴウダの二十余年に及ぶスクワットを打ち破る鍵なのではないのか?

 

 ……下らない事を考えている。

 自身の力量が及ばないのを棚上げして、無い物ねだりの言い訳をしている。

 そう割り切ろうとしつつも、思考は尚も未練を引き摺る。

 例えば、今、ゴウダの腕を叩いた左拳。

 これが亡父の物であったなら、果たしてゴウダはどうなっていただろうか?

 

(――! 何と言う事を!?)

 

 ぞくり、と、少年の背に悪寒が走る。

 男は一匹。

 初めて立ち会った時も、今際の際の病床にあっても、父は何ら揺らぐ事無く、そう言った言葉を少年に教えた。

 武術家にとっては、否、あらゆる世界において男は一匹。

 師も、実父すらも、男にとっては乗り越えるべき壁であり、突き詰めれば敵であると。

 

 禁を破った。

 自分の拳が、未だ過去の人間の技に及ばぬのだと、心の中で認めてしまった。

 そして眼前のプロレスラーは、ナガラ・セイイチロウの空手に比肩しうる戦士である、とも。

 

「オアァアァッッ!!」

 

 弱い心を振り絞るように叫ぶ。

 叫びながら振り抜く、渾身の前蹴り。

 フォーム、スピード、申し分の無い一撃であった。

 ヒライの作ってくれた右足の親指が、タイタスの鳩尾に深々と喰い込んだ。

 しかし、足りない。

 蹴った瞬間にそう思った。

 純度が低い。

 折れず、曲がらず――、日本刀のようなMFになりきれていない、と。

 

「ヌグ……ッ、っかまえたぜぃ」

 

 にぃ、とゴウダが嗤う。

 蹴り込んだ右脚を、ガッチリと太い両腕に抱え込まれた。

 ついに山が動く。

 どうくる、まさか、ドラゴンスクリュ……。

 

「ドゥリャアァアァァ――ッ!!」

「!?」

 

 タイタスが思い切り背筋を伸ばす。

 プロレスラーのブリッジ。

 信じ難い、抱え込まれた前足一本で、リーオーの体が宙に浮く。

 あり得ない、フロントスープレックス。

 人間技じゃない、圧倒的膂力。

 荒唐無稽。

 しかし同時に、あまりにも雄大、あまりにもゴウダ的。

 

「シャァ!」

 

 開いた左の踵。

 ブリッジの頂点で、思い切りタイタスの顔面に叩きつける。

 ぐちょり、と鼻骨の哭く音がする。

 しかし、その程度で崩れるようなヤワなフォームではない。

 

「……ツァ!」

 

 叩きつけられてしまった。

 硬い砂の上。

 とうとう浴びたプロレスラーの投げ。

 全身がビリビリと痺れる。

 とんでもない衝撃。

 とにかく、逃げなければならない。

 そうは思えど、右足をガッチリと抑えられている。

 たちまち少年の腰骨に、ズン、と116kgが乗る。

 

「セイヨッ」

 

 タイタスが思い切り両腕を絞る。

 リーオーの右足が高らかと反り返る。

 単純(シンプル)古典的(オーソドックス)な片足逆エビ固め。

 しかし同時に、40kg以上もの体重差がリオの心肺にのしかかる。

 ロープブレイクもない。

 極まれば必殺、当然の理屈。

 

(けどよォ、おっさん。

 空手家の手の届く所にケツを置いとくってェのは……)

 

 もぞもぞと、凶器の指先をタイタスの尻の下に捻り込む。

 

「……ッ!!」

 

 つねる。

 ウェイトトレーニングなど重ねようも無い臀部を両の手で。

 肉よ毟れよ、千切れ潰れろと呪詛を込めて。

 

「~~~~~~~ッッ」

「ウオァッ」

 

 一瞬、反射的にタイタスの尻が浮いた。

 一息に右脚をブッコ抜き、逃げる。

 大きく息を吐き出しながら、両雄が再び舞台中央に向き直る。

 

「ガキの……ッ、ケンカかよ?」

 

「空手に……ハッ! 児戯は……、ねぇ」

 

「そうかい」

 

 短く言葉を切ってタイタスが動く。

 フルスイング、逆水平チョップ。

 咄嗟に下がろうとしたリーオーの右脚に激痛が走る。

 

(片エビ……、この展開が狙いか)

 

 腹を括って踏み止まる。

 ビグザム剛田が打撃戦を所望している。

 そのためにリオの逃げ足を潰して来た。

 それならば手間が省けた。

 願ったり叶ったりではないか。

 

 ――ベッチイィィッ!

 

「……ッグ!」

 

 相変わらずとんでもない打撃。

 受けに回った両手が爆ぜる。

 やはり右脚、踏ん張りが効かない。

 体が浮く、どうしようもなく後た――

 

「…っのォオォォ!!」

 

 ヤケクソ。

 フォームも何も知ったこっちゃ無い。

 全身を浴びせるように、右の正拳を打ち返す。

 

「ッシャア――ッ!」

 

 ただちに返ってくる豪腕、第二爆。

 体勢が崩れるほどの右ストレートの後、受けるしかない。

 

「~~~~~ッッ」

 

 息が詰まる。

 爆裂する両腕の痺れが全身に拡散する。

 禄でもない体格の暴力。

 無慈悲なる打撃。

 少年の十年を足蹴にする天鬢の差。

 それでも、それでもかろうじてリーオーが体を残す。

 知っている、勢いに流されればあの時の二の舞。

 昭和プロレスのフルコースを全身で浴びるハメになる。

 

「シャラァッ!!」

 

 少年が喚く! 木星エンジンが灼ける!

 

 打ち込んだ!

 打ち返された!

 

 打ち込んだ!

 打ち返された!

 

 打ち込んだ!

 打ち返された!

 

 打ち込んだ!

 打ち返された!

 

 打ち込んだ!

 打ち返された!

 

 リーオーが燃えていた、タイタスが燃えていた、仮初のコロッセオが燃えていた。

 リーオーとタイタスが打ち合っている。

 中量級にも満たぬ少年が、掛け値なしのパウンド・フォー・パウンドと。

 灼熱の刻、奇跡の刻。

 

 しかし、観客たちは薄々気が付いている。

 打撃も出来るレスラーと、打撃しか出来ない空手家が互角に打ち合っているという事実。

 夢の終わりは、近い。

 

(何て、なンってェ肉体だ……!)

 

 ナガラ・リオが震えていた。

 渾身の拳を振るうと言う行為に、細胞の欠片に至るまでが打ち震えていた。

 人間をぶっ叩くための拳だ。

 確実に人間を叩き殺す事が出来る拳だ。

 それゆえに本気で打ち込んではいけない拳だ。

 

 それを何発、何十発打ち込んだ事か。

 それでも斃れないのか?

 それでも逃げないのか?

 プロレスラーとは、人間とは、これほどまでの肉体を作り上げる事が出来るのか。

 

「オオッ」

 

 全身全霊を込め拳を打ち込む。

 ただちに倍返しが飛んできて、思い上がりを叩き殺される。

 

 これはまるで、あれだ。

 

 キャッチボール。

 

 フォームもクソも無く、ただただ全力でボールを投げる子供。

 悠々と片手で受け止め、的確に放ってくる大人。

 互いの肉体を用いたコミュニケーション。

 

 ――?

 なぜ、こんな下らぬ事を考えてしまったのか?

 キャッチボールなどしてくれる父ではなかった。

 

 空手しか知らない父だった。

 厳格な生き方しか知らない父だった。

 立ち塞がる敵をぶっ叩く事以外に、息子に託す矜持を知らない父だった。

 そんな父の不器用な生き方を、ナガラ・リオは畏れながら愛していた。

 

 ……

 …………

 ………………けれど、どうだろうか?

 

 本当は自分は、父と、キャッチボールをしてほしかったのではないか?

 たまの休日に、他愛の無い会話をしながら。

 全力でボールを放る自分。

 やすやすと受け止め、軽々と投げ返してくる父。

 世間一般の、よくある理想的な親子像。

 自分は今、あの最強のプロレスラーに、それを望んでいる。

 

(……勝てる、ワケがねぇ)

 

 ハッキリと気付いてしまった。

 相手の強さに感動している。

 亡父の姿を、似ても似つかぬ目の前の男に重ねている。

 ビグザム剛田が、自分の技など通用しない本物のプロレスラーである事を、心のどこかで望んでいる。

 殺されてしまった。

 武術の厳粛を、残酷さを、苛烈さを。

 プロレスラーの甘さに。

 

(まだ……、届かねぇ、今の俺の空手じゃ……)

 

 ガギン、と肘先が恐ろしく固い何かに食い止められた。

 たちまちリーオーの体が大地を失う。

 

「ドッセイヤアァッッ!!」

 

 来た!

 とうとうその時が来た。

 背中から大地に叩きつけられる。

 呼吸が出来ない。

 シンプルにして至高、ボディスラム。

 始まるのだ、ビグザム剛田のフィニッシュ・ムーヴが。

 

 決着が付いた、と誰もが思った。

 観客も、審判も、主催者も、選手たちも。

 ブン投げたゴウダも、投げられたリオすらも、そう思った。

 

 だが、素直に敗北を受け入れたその時、不意に少年の胸に天啓が降りた。

 氷解した。

 長らく胸中を惑わしていた複雑な方程式が、実にあっさりと解けてしまった。

 分かってしまった。

 プロレスラー、ビグザム剛田の倒し方。

 

(……? 何やってやがるんだ)

 

 ほう、と息をついて薄目を開ける。

 観客たちの声援と、少年を照らす月の輝き。

 ゴウダの奴は、決着を放っぽってドコに行ったのか。

 

「ォォオオォオオオオ!!」

 

 と、思ったら来た!

 名月が隠れ、デカブツがたちまち視界を塞ぐ。

 ゴウダの選択。

 壁を蹴ってのフライングボディプレス。

 

 

(……アンタって男は、本ッ当にッ)

 

 思いながら体を跳ね上げる。

 ピン、と天空に向けた両足を、タイタスの鳩尾目掛け全力で叩き込む。

 

「グォッオオオッッ」

 

 剣山、所では無い。

 流石に効いたか。

 リーオー、最長の槍。

 

 ビグザム剛田。

 本当に、甘く、優しい、一途なまでのプロレスラー。

 ゆらり、とかろうじてリーオーが体を起こす。

 とにかくこれで、もう少しだけ悪足掻きが出来そうだ。

 

(許せ……、親父……)

 

 ヒョウ、と長く息を吐き、タイタスの巨体と正対する。

 両手は畳んで腰の脇に、下半身は、気持ち内股。

 

「オッシャアァ!」

 

 たちまち飛んでくる逆水平チョップ。

 リオは、リーオーは動かない。

 覚悟を決めた。

 もう逃げない。

 ヤケクソな反撃に、そして防御に逃げたりしない。

 

 ――ベッチイィィッ、と言う乾いた音が、会場に再び鳴り響いた。

 

「おっ!?」

 

 最初に違和感に気が付いたのは、打ち込んだゴウダ本人であった。

 ややあって、会場からもざわめきがこぼれ始める。

 リーオーは、倒れて、いない、避けても、いない、防御ても、いない。

 受け止めていた。

 さして厚くもない少年の胸板が、プロレスラーの全力を。

 

 ――コヒョオォォォ……

 

 静寂のコロッセオに、奇妙な呼吸音が響く。

 ハッ、と我に返ったMS少女が勢い勇んでマイクを掴む。

 

『ま、まさかッ!? 三戦(サンチン)ッ!!??

 信じられない……、古来那覇手の時代より伝わる空手道伝統の型ッ!!

 その真価は独自の呼吸法との組み合わせによる肉体のコントロールにあり!

 制御が成った時、ありとあらゆる打撃は……打撃はッッ!!』

 

 MS少女が叫ぶ。

 空手家が実戦で三戦を使っているのだ。

 気絶している場合じゃねえ!

 

「虚仮脅しを……するンじゃねぇッ」

 

 ゴウダが叫び、奮う。

 本気のナックルパート。

 ゴギャッと鈍い音がして、しかし尚も、リーオーは微動だにしない。

 

「ヒョオオォゥ……」

「くっ、こ、こンのォ……」

 

 ここに来てリーオー、尚も息吹。

 国内最強の男に相手に試す御伽噺(ファンタジー)

 激昂。

 震える肉体の力みをそのままにタイタスが動く。

 叩く。

 叩く。

 叩く。

 叩く。

 叩く。

 

 観客が沸く。

 何がどうなっているのかは分からないが、とにかく――

 

 

 

『――開かんと欲するならば、まずは閉ざすべし』

 

『――取り込まんと欲するならば、まずは吐き出すべし』

 

『――そう、肺腑の淀んだ空気を全て吐き出すのです。

 そうすれば肉体は自ずから新たな酸素を欲する。

 そしてイメージする、血中を巡り、肉体の隅々にまで力が戻る、と』

 

 三雷会館長・ハジメの声が脳裏に響く。

 三戦も息吹も、亡父に学んだ技ではない。

 そんなまどろっこしい技術に修練を費やすなら、まず殴った方が早い、と言うのが永樂流の実戦空手である。

 

『――えっ? 効果の程……ですか?』

 

 少年の素朴な疑問に、お人よしの館長が困ったように顔を背ける。

 

『うん、まあ……、気休め程度、かなァ?

 琉球の古老たちが使うならともかく、セイイチロウさんも見切りを付けた型、ですし……』

 

(ッ! ですよねぇ~ッ!!)

 

 必死。

 とにかく必死でポーカーフェイスを気取る。

 ナガラ・リオ。

 十六年の人生に於いて最大の痩せ我慢の時。

 すごい、マジですごいよプロレスラー!

 

(――けど、そう悲観したものでもないっすよ、館長)

 

 チョップの乱打を浴びながら、尚も必死で苦笑する。

 三戦立ち、思いのほか具合が良い。

 重量級の爆撃を受け、尚も踏み止まっていられる理由は、やはりヒライの拵えてくれた親指。

 ハの字に固めた足先に、キュッと力を入れる事で、自然に肛門が閉まる、下半身が固まるのだ。

 かつては船戦で用いられたと言うバランスの型、効果の程は伊達ではない。

 

(――そして、何より)

 

 観客が沸く。

 ただ痩せ我慢をしているだけで、周りが勝手に興奮する。

 空手家がプロレス(・・・・)を仕掛けるのに、これ以上最適な構えは無い。

 

「オオッ」

 

 ゴウダが吠える。

 痺れを切らした大振りのスウィング。

 どこまでも大甘で優しい男。

 

「シャア!」

 

 ようやくリーオーが動いた。

 指先の形は、貫手――。

 

「ガッ!?」

 

 相打ち。

 打撃音が交錯し、しかし、打ち負けたのはタイタス。

 それもそのはず、狙いは喉仏。

 

『ブッチャァ~~~~~ッ 地獄突きィ!!

 肉弾魔人が彼のシンガポールの拳聖ガマ・オテナより伝授されたと言う禁じ手がッ!

 今、実戦で炸裂したァ~~~~ッ!』

 

 MS少女の実況が冴え渡る。

 ニィ、と少年の口元に笑みがこぼれる。

 流石はハム姉、欲しい所であつらえたようなコメントをくれる。

 

 笑いながら駆ける、跳ぶ。

 狙いはタイタスの、首筋――

 

「グァ!?」

 

『こ、今度は延髄斬りィ~~~~ッ!?

 ま、まさか、これは……!』

 

 観衆の絶叫が、少しづつ戸惑いへと変わっていく。

 ようやく周囲が気づき始めた。

 この試合で初めて、ナガラ・リオがアングルを仕掛けているのだと……。

 

「……何のつもりよ、ぼうや?」

 

「気取ってんじゃねぇ、パクリ野郎が!

 俺様が本当の空手を教えてやるってンだよ!」

 

「野郎!」

 

 短く吐き捨て、ゴウダが走る。

 打てば響くような見事な反応。

 

「オッス!」

「ンガッ!?」

 

 そして飛んで来た、意外過ぎる逆襲。

 ゴウダ・カオルの全力。

 中段正拳突き。

 倍返し、すばらしい解答。

 てんで素人丸出しのフォーム。

 だが重い。

 改めて思い知らされる。

 体重100kgを超す肉体が、弱者の為の空手などやってはいけない。

 

 吹き飛ばされながら、嗤う。

 鼻歌でも歌いたい気分だ。

 どこまで優しいんだ、このレスラーは。

 自分からリオの土俵に乗ってきた。

 

「オス!!」

「ド阿呆ッ!!」

 

 追撃の左の正拳。

 両腕を廻し、捌く。

 体勢が崩れたタイタス目掛け、本当の正拳突きを叩き込む。

 

「……ッ」

 

 いや、当て、ない。

 寸止め。

 眼前でピタリと止め、極める。

 思わずギョ、とタイタスが静止する。

 やはり、甘い。

 激痛にならいくらでも耐えられる男が、手心を加えられた、と言うショックに耐えられない。

 思考の空白。

 迷わず打ち込む。

 寸打、ワン・インチ・パンチ。

 

「クァ」

「歯ァ喰い縛れェッ!!」

 

 よろめくタイタスを追い、リーオーが仕掛ける。

 高らかと掲げた右手、スナップを効かせ、ブチ込む、張り倒す。

 

 ――パン!

 

「あ……?」

 

 一瞬、シン、と会場が静まり返る。

 リーオー右の平手、つまりビンタ。

 ナガラ・リオ、まさかの本職への闘魂注入。

 

「くだらねぇ三味線弾いてンじゃェ!!

 ビグザム、てめェのプロレスLOVEはそんなもんかァ!?」

 

「…………」

 

『え……? あ……、お……』

 

 

((((( お前がそれを言うのかよッ!? )))))

 

 

 居合わせた一同が、全員、心の中で突っ込みを入れた。

 

「……くく」

 

 くつくつと、ゴウダが両肩を震わして、この男には珍しい歪んだ嗤いをこぼす。

 その背中に、ぞくぞくとリオの心魂が震える。

 とうとう踏み込んでしまった。

 ここから先は、ゴウダ・カオルの真剣勝負(セメントマッチ)――

 

「ダシャアァアアアアアァアァァ―――ッ!!」

「 !? 」

 

 不意に空間が爆発した!

 驚く間も無く、浴びた。

 本気のノンビームラリアート。

 視界が一回転し、情け容赦なく大地に叩きつけられる。

 

「ハハッ! デハッ! デハッハハハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 ゴウダが嗤う。

 嗤いながら無理やり引き起こしてくる。

 恐い!

 恐い!!

 恐いッ!!

 

 恐怖をコントロールとか、もはやそう言う次元ではない。

 

「デハハハハハ」

 

 嗤いながら、強引にフロント・スープレックス。

 気力、体力、丸ごとブッコ抜かれる。

 やはり、強い。

 まともに戦っては、どう足掻いても勝ち目が無い。

 

「デハ!」

「くぬっ」

 

 尚も追撃のバックドロ――、いや。

 かろうじて足掛けが間に合う。

 蛙掛け、等と言うレベルには達していないが、とにかくは崩れた。

 勢いのまま、両者とも強かに頭を打ち付ける。

 

(……とにかく、とにかくこれも耐えた!)

 

 頭を振るって体を起こす。

 たちまち真上から、豪快なエルボーパットが降ってくる。

 

「グァ」

 

 成す術が無い。

 浴びる、浴びる、浴びる。

 タイタスの全力に、リーオーが追い詰められていく。

 

 しかし今、どれだけの人間が気付いているだろうか?

 ナガラ・リオは追い詰められながら、同時にゴウダを追い詰めてもいるのだ。

 

 ゴウダ・カオルは、間違いなく日本のパウンド・フォー・パウンドである。

 この男とガチンコでやり合える人間など、リオにはちょっと想像が追い付かない。

 だからこそ、同時に疑問にも思っていた。

 

 これ程の怪物が、なぜ本家のプロレスでは、一介の中堅レスラーに留まっているのか、と。

 

 華が無いから――? 否!

 パフォーマンスが下手だから――? 否!

 派閥抗争に敗れたから――? 否!

 

 今日の試合で、はっきりとリオには理解できた。

 ビグザム剛田は、プロレスを愛しすぎている。

 プロレスラーとして純粋すぎるのだ。

 

 相手の繰り出す全ての技に、耐えて、耐えて、耐え抜いて……。

 その輝きが最高潮(クライマックス)に達した瞬間、己の全力で叩き潰す。

 ゴウダ・カオルの美学、プロレスラーの矜持。

 活人剣のような男の生き様。

 

 だがしかし、もしも本当に相手の輝きを全て引き出す事が出来たならば。

 実はその時点で既に、プロレスの目的は達成されている。

 勝たずとも強さを証明できるのがプロレスラー。

 輝き放つリングの先に立っているのは、別に自分でなくても構わないのだ。

 

 ゴウダ・カオルに足りない物。

 それは欲。

 次代を導くカリスマが備えるべき資質が、決定的に欠落している。

 

 ナガラ・リオは違う。

 欲望に塗れている。

 勝ちたい。

 たとえこの先、一生敗北を続ける人生を歩むハメになったとしても。

 この勝負だけはどうしても勝ちたい。

 どんな手を使ってでも勝ちたい。

 空手を封印してでも勝ちたい。

 

 ……プロレスを使ってでも、勝ちたい。

 

 打たれながら、それでもリオは気付いている。

 ビグザム剛田は今、攻めあぐねている。

 必殺技(フィニッシュホールド)を探しているのだ。

 死闘の幕切れに相応しい、一世一代の必殺技を。

 

 耐える、吠える、投げる。

 それしか知らない42歳。

 あとどれほどの引き出しが残っている事であろうか?

 

 ラリアート……、それは使った。

 バックドロップ……、未遂に終わった、そもそも前試合で使っている。

 フライングボディプレス……、それも。

 関節技……、あり得ない、格上のルクス相手にしか許されないムーヴだ。

 

(知ってるよおっさん……、もう、アレ(・・)しか残ってねぇ……)

 

 パァン、と。

 思った直後にとうとう来た。

 顔面を挟み撃ちにするブ厚い掌。

 モンゴリアンチョップ、に見せかけた鼓膜打ち。

 

 ぐらり。

 三半規管が乱され、視界が揺らぐ、聴覚が奪われる。

 同時にぐっ、と体を畳まれ、ぐるん、ぐるんと視界が回転する。

 

 最初に仕掛けられた時は、何をされていたのかまったく分からなかった。

 打倒ゴウダを目指しプロレス研究を重ねてきた今なら、かろうじて分かる。

 

 タイタスバーストボム。

 相手の腰骨を捕らえ、掲げ、叩きつける。

 要するにパワーボム。

 不器用なゴウダにとっては唯一無二の必殺技。

 

(やはり、高い……)

 

 感嘆が漏れる。

 観客席が一望できる。

 ここだけが下界から隔たれたような、美しい世界。

 キーン、と言う耳鳴りの音。

 それ以外には何も無い、静寂と、虚空――

 

(いや……)

 

 とくん、とくんと言う心臓の音。

 まだ、生きている。

 あの世界と繋がっている。

『彼女』がくれた肉体も。

 ヒライのくれたリーオーも。

 

(――取り込まんと、欲する、ならば)

 

 まずは、吐き出す。

 空になった肺腑が、自然、新鮮な酸素を取り込もうとする。

 そしてイメージする。

 とくん、とくんと言う心音に乗って染み渡る。

 新たな生命の息吹が。

 全身の細胞の、奥の、奥の、その根源に至るまで。

 

「――オオッ!」

 

 やがて、落下が始まった。

 合わせてリーオーが動いた。

 

 全身のバネを連動させ、思い切り上体を反らす。

 踏み止まるのではなく、逆、加速させる。

 ガチリとタイタスの頸を捕らえた両足。

 これだけは死んでも離さない。

 

「ウオッ!?」

 

 ゴウダが喚く。

 ようやく気付いたか、バカ。

 もう遅い。

 投げ捨てた勢いのまま、両機が数珠繋ぎに回転する。

 廻る、廻る、視界が廻る。

 そして着地。

 リーオーは固めた両膝から。

 つまりタイタスは、頭から。

 

 フランケンシュタイナー。

 いや、形としてはむしろ、ウラカン・ラナ・インベルティダ。

 

 リバース・スープレックス、毒霧、三角締め……。

 パワーボムを巡る駆け引きの中でも、際立って鮮やかで芸術的な必殺技。

 

「――ワン!」

 

 エイカ・キミコが叫ぶ。

 知っている。

 これはそう言う大会ではない。

 

「ツー!」

 

 リー・ユンファが叫ぶ。

 だからどうした。

 空手家がプロレスラーをフォールしているのだ。

 これが叫ばずにいられるものか。

 

「……スリー」

 

 観衆の大号令に紛れ、ヒライ・ユイがポツリ、と呟く。

 空手しか知らない少年だった。

 信じた空手が通じぬ時は、潔く笑って死ぬような少年だった。

 その少年が、プロレスを仕掛けた。

 惨めに打たれ、這いずり回り、それでも生き延び勝とうとした。

 その意味に、心が波立つ。

 

 

 

 ――カン! カン! カン! カン!

 

 

 

 架空の空が、震えていた。

 歓声が、少年の全身を叩いていた。

 肉体が震えていた。

 感動に震えているのか、歓喜に震えているのか、失った物の大きさに震えているのか?

 それすらも分からなかった。

 

 とにかく、勝った。

 空手がプロレスに、ではない。

 少年がプロレスラーに、でもない。

 

 リーオーが、ガンダムに、勝った……。

 

「おっと!」

 

 ゆらり、とバランスを失った肉体が、ガシリと太い手に支えられる。

 抗議する間もなく、その丸く大きな肩に、ひょい、と担ぎ上げられる。

 何と言う大きな背中である事か。

 まるで幼少の頃に肩車してくれた父ような――。

 

「へっへ、してやられたなァ、ぼうや。

 まさか本当にプロレスをやってくれるとは。

 あ~あ、おかげでこっちは、エラい赤っ恥を掻いたぜ」

 

「空手がよォ、通じやしねえんだ。

 それしか無かった、それしか……」

 

「相変わらず陰気だなァ、武術家って奴は……」

 

 飄々と声援に応えながら、最強のプロレスラーが笑う。

 

「簡単なこったよ、ぼうや。

 永樂流空手のお品書きに、ウラカン・ラナも加えちまいな」

 

「……おっさんは、単純(バカ)でいいな」

 

「オウさ! 言ってなかったか?

 プロレスラーって職業は、神に愛された天才(バカ)にしか勤まらねぇんだよ」

 

「…………」

 

 はあ、と大きく息を吐いて、リオが両目を瞑る。

 今はただ、歓声と熱狂が少年の子守唄になるのみであった……。

 

 

 

 

 




・おまけ MFガンプラ解説補足

AGE-ONEタイタスA・I・K・D ~愛と怒りと悲しみのデスペラードモード~

 A・I・K・Dとは、エイカ・キミコがタイタスに搭載した裏モードの通称である。
 名称のデスペラードはCWA遠征時代のゴウダのリングネームに由来しており、わずか三カ月余りで無かった事にされたと言う文字通りの黒歴史である。
 遠征当時、中学一年生レベルだったゴウダの語学力の低さを逆手に取り、意味不明な単語を連呼しながら襲いかかるモンスターと言うギミックでデビューしたデスペラードであったものの、ゴウダ自身が今いちキャラクターを作りきれなかった事や、後輩の愚零斗悔死導(グレート・ブシドー)がオリエンタルヒールとして確固たる地位を築いた事などから早々にお役御免となり、失意の内に帰国するハメになったのである。

 本モード最大の特徴はマスクの下に刻まれた「タ」「ヒ」のフェイスペイントで、当時、ゴウダ本人が鏡を見ながら書いたと言うたどたどしい筆致が完全再現されている。
 モード変更に伴う機体性能の変化やファイターへの影響などは一切ないが、マスク下の「口」が解禁された事により、毒霧、嚙み付きと言ったヒールならではの攻撃が使用可能となっている。
 受領当初は「絶対使わねえからな!」などと若手芸人のようなコメントを残していたゴウダであったが、二回戦でのガチぴょんの猛攻を前に、遂に使用を解禁。
 残虐ファイトの限りを尽くして試合の主導権を握る事に成功した。


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