ガンプラ格闘浪漫 リーオーの門   作:いぶりがっこ

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・Bブロック二回戦 第二試合

 ハリマオ(我流) VS アムロ・レン(琉球舞踊)
 バクバクゥ           リ・ガズィ風月



可能性の獣

 ――武。

 

 嘗ては『(ほこ)(すす)む』と書いた概念である。

 その手に携えた戈にて己が往く道を切り開き、或いは戈と化すまでに鍛え抜いた魔拳を以って、立ち塞がる全ての敵を打ち斃す。

 正しく乱世の処方。

 血河を渡る戦士たちが唯一つ頼りとする骨子であった。

 

 一方、今日では往々に『(ほこ)(とど)む』と読む。

 理不尽に振りかざされんとする暴力の戈、それを抑え、制するための術である。

 侵略、ではなく、専守防衛。

 成熟する文明社会のニーズに合わせ、武術もまた窮屈ながら真っ当な形に在り方を変えた訳だ。

 

 戈を止む。

 なれど生まれついた獣の性はどうにも捨て難い。

 かつてキャスバル・レム・ダイクンが嘯いたように、全ての人間に英知を授ける事など不可能なのだ。

 

 

『最上大業物十二工・長曾根虎徹の作は、当代に比類なき名刀と言う』

『証は?』

『四ツ胴を斬ったそうな』

 

 

『三雷会こそ地上最強の空手、その事実を広く世に知らしめん』

『……で、誰を殴る?』

『そうだ、牛だ、牛を殴ろう!』

 

 

『護身術、とは力無き弱者の為の技、非力な女子供が修めてこそ初めて価値を持つものよ』

『けれど、その……、相手が虎、と言うのは……?』

 

「――カカ、面白そうじゃのう、絶滅危惧種をブン殴れるんか?」

 

 

 護身。

 長年を費やしその身に修めた理合にて、地上のあらゆる災厄を凌ぐと言う武の神秘。

 鳴呼、なれど今。

 その神秘の証明の為だけに、少女は敢えて、その身を窮地に置こうと言う。

 

 本末転倒。

 度し難き莫迦。

 救い難き畜生。

 なればこそ、ガンプラ・ファイトが蜘蛛の糸。

 

『――かつて風狂の体現者、一休宗純は幼少のみぎりに言いました。

 将軍様、こちらは準備万端整いましてございます。

 さあ、早い所あの虎を屏風から追い出して下さいませ』

 

 奇妙なアナウンスが仮想空間に響く。

 それは日本人なら誰もが知る、有名な頓知話の一説。

 ただし、語り部はあの格闘脳、エイカ・キミコ。

 

『時の征夷大将軍・足利義満応えて曰く。

 よくぞ申した一休!

 誰かある、GPベースを持てィ!!』

 

 どっ、と一際歓声が沸き、二回戦最後を飾る両者が仮初のコロッセウムに降り立つ。

 美女(?)と野獣(??)

 例えばこれが小説の類ならば、リアリティが足りない、と一蹴されかねない珍妙なるカード。

 

 今、しゃなり、しゃなりと貞淑なる足使いで、藍染のリ・ガズィが篝火のロードを進む。

 ほう、と誰かの溜息が洩れる。

 風雅なる佇まい、淀みなき足捌き。

 一流の擬態。

 なれど隠しきれない。

 その性、この少女、凶暴につき。

 

 一方、相対する野獣はどうかと言えば、こちらはこちらで様子がおかしい。

 浮ついている。

 と言うか、足元が妙にふわふわとしてぎこちない。

 一回戦で見せたような、触れる者全てを傷つけるようなギラついた気配が消え失せている。

 満員の観衆に慣れたのか。

 あるいは、先刻の麻酔が効きすぎたのか……?

 

 舞台の中央、4、5メートルの距離を挟んで両者が向かい合う。

 この段になっても虎は余裕綽々であった。

「くぁ~~~~」とばかりに大顎を開き、背中を伸ばして欠伸を一つ。

 まるで人畜無害、戦いに向かう気配の欠片もない。

 

「よぅ、どしたえトラちゃん、おねむかいや?」

 

 呆れ果てたアムロの声。

 ピクン、とバクゥの顔が動き、値踏みでもするかのようにスンスンと鼻を鳴らす。

 が、その内に興味を失ったのか、ついとそっぽを向いてごろりと丸くなってしまった。

 

「成程、のう」

 

 アムロは理解した。

 擬態でもなければ気まぐれでも無い。

 怠惰こそが野生の証明。

 野生は無駄を嫌う。

 無駄なエネルギーの浪費を嫌う。

 故に満腹の時は戦わない。

 その身に脅威の無い時は梃子でも動かない。

 

「……そうかい、うぬもあのデカブツと同じ見解かい。

 ワシん事はあのマーくんほどにも気にかからぬ、と」

 

 くつくつと、珍しいタイプの嗤いがアムロの口よりこぼれる。

 傍らのMS少女が、思わずぎょっ、と目を見張る。

 あの空手少年がたまにやる類の嗤いだ。

 湿っぽく、陰鬱で攻撃的な自嘲めいた嗤いだ。

 己が内から湧き出した黒い衝動を、腹の底でぐっと押し潰した際に噴き出す嗤いだ。

 

『ちょ、ちょちょちょタンマ……』

 

「別に暴れやせんわい、犬畜生じゃあるまいに」

 

 色めき立つMS少女を片手で制し、すっくとリ・ガズィが居住まいを正す。

 人形のようにピンと背を張り、MS少女を遮っていた左手を、ゆるりと前方にかざす。

 差し出された左手、しなやかなるプラスチックの手甲がクルリと返る。

 その所作に、居合わせた者たちの幾人かがはっ、と気付いた。

 

 リ・ガズィが、見えざる『扇』を開いたのだ。

 アムロは今、何らかの表演に興じている。

 武術、ではなく、おそらくは舞踊の。

 

 宇宙の蜉蝣のように、ゆらり、とリ・ガズィが歩を進める。

 上体のブレない摺り足の運び。

 それでいて、足元の砂を無粋に舞上げる事も無く、ゆるゆると滑るように間合いを詰める。

 

 小癪な蠅め。

 ギロリ、とバクゥの片目が動くも、殺気はぬるりとアムロの五体をすり抜けていく。

 掴みどころが無い。

 まるで、鵺。

 撃尺の間境。

 越えるでもなく、ぬらり、と――

 

「ヌガアァアアァァッ!!」

 

 カッ、とハリマオの両目が開いた。

 野生の眼力。

 謀られる事無く虎が動いた。

 

「!!?? ガッ」

 

 そして、飛び出した勢いのままに、バクゥが中空に投げ出された。

 その顎先が、見えざる『扇』を捕えるかに見えた刹那、鮮やかにリ・ガズィの左手が返り、勢いのままにバクゥの巨躯がすり抜けたのだ。

 

「ニャガッ」

 

 ネコ科動物特有のしなやかな肢体が中空で翻り、バクゥがズン、と大地に突っ伏す。

 後背の騒乱を振り向きもせず、ゆるゆるとリ・ガズィが距離をとる。

 ぴたり、と両雄が静止し、一拍遅れて、わっ、と静寂が弾ける。

 

 

 

「んだァ!? あの嬢ちゃん、何を仕掛けたんだ!」

 

「……分かんねえ、けど」

 

 モニターを臨むゴウダの驚きのに対し、傍らのナガラ・リオが呟く。

 その脳裏に、かつての少女の動きがまざまざと蘇る。

 今、アムロがハリマオ相手に仕掛けた投げ。

 それ自体は前試合にヤマモト相手に使ったものだ。

 隅落とし、或いは空気投げの類に近い。

 まるで相手が一人でに浮き上ったかに見えるほどの練度を除けば、体捌き自体はオーソドックスなものである。

 

 だが、読み切れなかったのはその前の歩法。

 沖縄で少女と初めて出会った時に垣間見た、あの怪しげな足運びだ。

 当るとも当らぬとも分からぬ、鵺のような足捌き。

 攻めるための技では無い。

 間合いを詰め、相手に攻めさせ、後の先を取るための技術。

 最後の投げはその答え合わせに過ぎない。

 

「……よく分からんが、つまり、今のはさっきのフリッカージャブと同じ。

 天才少女特有の見せびらかしをやったってワケかい?」

 

「それも、どうだかな?」

 

「なんだよ、さっきから、歯切れが悪いな?」

 

「…………」

 

 ゴウダの非難を聞き流し、むっつりとリオが押し黙る。

 先の交錯の刹那、少女の背から『鬼』が噴き出したのを少年は確かに見た。

 腕を極める、あるいは中空の相手を蹴り倒す。

 投げに移るその瞬間まで、アムロはゴング前の『瞬殺』を意識していたに違いない。

 

 だが、殺気は一瞬の内に雲散してしまった。

 いつもの天才特有の気まぐれなのか。

 技のかかり、間合い、仕掛け所を誤ったのか。

 

 ――あるいは『虎』の反応が、アムロの予想を凌駕したのか?

 

 

 

「ふぅん……」

 

 わきわきと結んで開いてを繰り返し、得心が行ったようにリ・ガズィが踵を返す。

 視線の先でバクゥが鎌首をもたげ、グルル――、と低く呻く。

 

「ほれ、呆けてんなや姉ちゃん。

 屏風から出してやったんじゃ、早いとこゴングを鳴らしてくれや」

 

『あ、ああ……』

 

 アムロに促され、我に返ったMS少女が慌てて距離を取る。

 弛緩していた空気がたちまち張り詰め、ようやく会場に勝負の気が満ち始める。

 

「カカ、気に入ったわい、トラ公。

 もうちっとだけ遊んでやろうかの?」

 

「ウガガ」

 

 異文化コミュニケーション。

 静寂に満ちた闘技場で、両者は奇しくも同じ言葉を吐いた。

 

 

 ――カン、と高らかとゴングが鳴った。

 

 先に動いたのは、やはりハリマオ。

 バクゥの四足がしなやかに砂を掴み、風を巻いて獲物へと迫る。

 

 一方のアムロは両手をぶらりとさせたいつもの無形。

 

 無形の位。

 大元を辿れば剣術、柳生新陰流の極意に由来する動きである。

 

『構え』では無く『位』を用いるのは開祖の剣術理念によると言う。

 型、構え、と言う言葉では硬すぎるのだ。

 本来、臨機応変であるべき肉体の働きを定型化し、自ずからその選択肢を狭めてしまう。

 

 故に、位。

 状態としては一見、静止しているように見えたとしても、その実無限の選択肢を孕んだ動作の只中にある。

 今のリ・ガズィもそうだ。

 何が飛んできても、何を仕掛けてこようとも、どうとでも動ける、どうにでもなる。

 

 ……と。

 

(……?)

 

 思いもよらず、ハリマオの行動が変じた。

 止まった。

 間合いの外一杯。

 なんじゃ、と疑問の洩れる間もなく、ゆるりとバクゥが立ち上る。

 四足の位から二足の位へ。

 鮮やかな変化。

 ぬっ、とバクゥの巨体がリ・ガズィの上に影を成す。

 

 ぎくり、

 思わずアムロが『構え』てしまった。

 傍目には、体勢は何一つ変わっていない。

 だが、攻める、と言う選択肢の半分を自ら殺してしまった。

 迷わず野生が動いた。

 

「にゃがァ!」

「オゥワ!?」

 

 凄まじきハンド……、もといフットスピード。

 思い切りのけぞりかろうじて避ける。

 オオオオ、と観衆よりどよめきが上がる。

 

 ハリマオの選択。

 意外、それはミッキー・ローク。

 猫パンチ。

 野生の虎が放つ本格派の猫パンチ。

 

「なっ、なンじゃァッ!?」

「にゃん!」

 

 驚く間もなく虎が迫る。

 にゃん。

 にゃん、ツー。

 ボクシングと野性を組み合わせた、全く新しいコンビネーション。

 

 ドタドタとした素人極まりない足捌き。

 人間離れしたアンバランスな重心移動。

 そして常人を遥かに超越する身体能力。

 

「チィ!」

 

 結果、予測不能。

 読み切れない、看破出来ない。

 篤人流四百年の眼力が、生後間もないタイガー流拳闘術に良いように翻弄されてしまう。

 

「クッソ、こやつ……!」

 

 返しの右を捌きながら、アムロがぎりりと奥歯を噛み締める。

 軌道の読めない前脚と異なり、ハリマオの心情だけは手に取るように分かる。

 

 これは、座興だ。

 ハリマオにとってアムロ・レンは、恐れるほどの手合いではない。

 だから遊びたくなったのだ。

 今やっているのは、さながらルクス・ランドアごっこ。

 

「ニャガォ!」

「なァめるにゃァアぁァァッ!!」

 

 チャンピオン気取りの大振りのスウィング。

 流石にこれは見切れた。

 少女が蛮勇で以って虎穴へと潜り込む。

 差し出された右前脚を両手で捕え、腰を返して思い切り巻き上げる。 

 

 鮮やか。

 仕掛けた瞬間に思わず旗が上がるほどの一本背負い。

 

(――!)

 

 すぐにアムロは違和感に気付いた。

 背中が軽い。

 予期していた獣の抵抗が無い。

 それどころか、思いもよらぬ速度でバクゥが廻る。

 アムロの技量がバクゥの重量を完全に殺し切った、ワケでは無論ない。

 

 今、仕掛けているのはハリマオ。

 投げられる瞬間に後ろ足で大地を蹴り、流れに逆らう事無く自ら跳んだのだ。

 要は反射神経。

 獣の直感と瞬発力があればこそ成せる技。

 頭から大地に落ちる筈だったバクゥの体が高速で一回転し、何事も無かったかのように二足で砂地を踏む。

 

(ありかい! そんなの)

 

 驚愕。

 だが、言っている場合ではない。

 気が付いたら攻守が交代していた。

 バクゥの五体が弓なりにギリギリとしなる。

 投げられた勢いに更なる回転力を自ら加え、絡め取られた筈の前脚が加速する。

 凄まじいまでの膂力。

 このままではリ・ガズィは、両腕ごと一本釣りに思い切りブン投げられる。

 さりとてこの膂力。

 今、この前脚の拘束を解放するのも、それはそれでヤバい。

 

「ヒィッ!」

 

 意を決し、パッ、と両手を離す。

 瞬間、矢の如く放たれた右前脚が体ごとグルンと弧を描き、再びアムロの眼前に迫って来た。

 咄嗟に屈めたリ・ガズィの頭の上。

 ビュオン! と剛爪が後頭部を掠め、弾けたメットから真っ赤なしゃぐまがばさりと舞う。

 ぞくぞくとアムロの背筋が震える。

 頭を下げたのは読みでは無く、ただの山勘。

 もしも打撃が脇腹に来ていたら、今ごろ口から胃袋をブチ撒けていた所だ。

 

「……カカ!」

 

 恐怖。

 思わず嗤いが零れる。

 頭がいつものように回らない。

 だが、体が滅法動く。

 生存本能。

 アムロの動物的直観が理合を超えて、肉体を前へ前へとプッシュする。

 

「ムギャ……!」

「カァッ!!」

 

 先。

 返しの左を見舞おうと体を返したバクゥ。

 その眼前目掛け、リ・ガズィの右指がVの字を描く。

 ハリマオの野性と瞬発力は、この時、如何なく発揮された。

 前に出ようと動いていた肉体に無理やりブレーキをかけ、後ろ足で砂地を蹴り上げながら後方に逃れる。

 

「ング」

 

 砂礫がリ・ガズィ手甲を叩き、むわっと周囲に拡散する。

 さながら砂塵の煙幕。

 リ・ガズィの追い足が思わず止まる。

 見事なる逃走劇。

 しかもそれが、そのまま逆襲の兆しに繋がっている。

 

 アムロにとっては絶対の窮地。

 この状況でもハリマオは、磨き抜かれた嗅覚と聴覚で容赦なく襲いかかってくる事だろう。

 対してアムロが頼れるのは、己が第六感の一点張り。

 

「――! ヒョオォ!?」

 

 キュピピーン、とアムロの脳裏に閃光が走り、本能的にリ・ガズィが半身を取る。

 刹那、斬撃が煙幕を切り裂いて、足元から天空へと駆け上がる。

 

「~~~~ッッ」

 

 息が詰まる。

 一歩でも反応が遅れていれば、正中線を股倉から縦一文字に抉られていた。

 恐るべしは野生のハンター。

 気勢どころか呼吸までも殺し切り、強欲に必殺を狙ってきた。

 

「ヌギャアアァァッ」

 

 息付く間もなく左が飛んでくる。

 下がりたい、だがそれでは虎の思う壺。

 調子に乗せては勢いのままに削り殺される。

 

「チョイなァ!」

 

 気合いで呼吸を合わせる。

 必殺の爪を紙一重でかわしながら、虎の前足首を両手で捕え、勢い良く捻じり返す。

 これまた鮮やかな小手投……。

 

「……ガッ」

 

 先ほどの二の舞。

 ベクトルに逆らう事無くバクゥの巨体がグルリと回り、すかさず側頭部に蹴りが飛んできた。

 左の受けが間に合ったのは、まさしくアムロの天才の証明であろう。

 だが、美女と野獣の体格差。

 衝撃を殺しきれない、後方に体が泳ぐ。

 まさしく思う壺。

 虎が迫る。

 一気呵成。

 

「ガウァ!!」

 

 爪。

 爪。

 牙。

 

「チイアァッ!」

 

 掌。

 肘。

 

 爪爪。

 躰。

 脚爪。

 爪爪牙。

 蹴。

 爪。

 跳。

 爪。

 拳。

 爪爪爪。

 砂。

 爪爪牙膝牙爪転牙牙牙砂砂砂爪牙牙牙牙――

 

 歓声が沸く。

 仮初のコロッセウムが鳴動していた。

 打ち合っている。

 虎と少女が。

 バクゥとリ・ガズィが。

 

 今までのような男比べの類ではない。

 技量比べ、組手、あるいは散打。

 

 それは本来、二足歩行の人間同士が互いの技を試し合う光景。

 利は無論、篤人流四百年の宗家にある。

 実際、荒削りなバクゥの連打は、悉くを払われ、いなされ、的確に反撃を打ち込まれている。

 まるで大人と子供。

 四百歳もの年齢差が、一朝一夕に覆る筈も無い。

 

 ――にも関わらず、流れは徐々にハリマオの側に傾きつつあった。

 

「チィッ!」

 

 アムロの口から舌打ちが洩れる。

 

 例えば、打撃を殺す懐の深さ。

 

 例えば、奇怪な重心から繰り出されるアンバランスな一撃。

 

 例えば、ダメージの蓄積を阻む柔軟な筋肉。

 

 例えば、常人より遥かに御し難い骨格。

 

 例えば、野生の瞬発力が成す超反応。

 

 読みきれない。

 攻めきれない。

 極めきれない。

 

 理はアムロにある。

 攻撃は当ってはいる。

 だが、致命傷には程遠い。

 どころか、却って打込むごとに野獣のアドレナリンを分泌してしまう。

 

 確かにハリマオの攻撃は当らない。

 だが、その打撃の全てが奔放、かつ必殺。

 いつものような余裕綽々の見切りが出来ない。

 予測困難な猛獣の連打を前に、思い切りの良い返しを放つ事が出来ない。

 一撃避ける毎にその心身を損耗して行く。

 

(……ッ マーくんの仕業かい!

 あんの小男、余計な置き土産を……)

 

 ぎりり、と奥歯を食い縛り、現代の拳聖に謂れなき八つ当たりをする。

 一回戦開始前、あの時のハリマオは、確かに単なる虎であった。

 馬凶愛が油断なく勝負を決めてさえいれば、何の問題も無かったであろう。

 

 だが、虎は生き延びてしまった、

 死線を潜り、武の恐ろしさを知り、そして学んでしまった。

 ハリマオは『進化』したのだ。

 いや、今なお進化し続けていると言ってよい。

 

 ――軽身功、浮術、仙道、消力。

 

 歴史に名立たる拳法家達が理想と目指した躰術の理想形を、野生の肉体と瞬発力が蹂躙する。

 

 新生黒虎拳。

 リアル・シラット・ハリマオ。

 中国四千年へ面白半分の当て擦りが今、アムロに返る刃となる。

 

(……アホくさい、やってられるかい、こんなの)

 

 はあ、と一つ溜息を吐き、リ・ガズィがだらりと両手を下げる。

 両手ぶらり、得意の無形。

 

 篤人流古武術において、この位の要は二つ。

 視界を遮るものを取り払い、『見』に注力する事。

 攻撃、防御のセオリーを敢えて外す事により、相手に次の動きを気取らせぬ事。

 

 組手を捨てる。

 このまま粘った所で、命賭けで虎を拳士に教導するようなものだ。

 己が引き出しは古武術家にとっての生命線。

 これ以上は見せぬ、これ以上は与えぬ。

 

(天才は、初太刀で殺せ、じゃったの)

 

 ビュオン! と唸りを上げる豪爪をゆらりと避ける。

 反撃のための最小の見切り、などと、みみっちい事はもう考えない。

 次に動く時は、一撃で虎を仕留める時。

 

 間を置かず、返しの左。

 これも難なく外す。

 さすがにハリマオも気付いたか。

 

「ルガァッ!!」

 

 咆哮と共に更に馬力の乗ったスウィングが来た。

 アムロは更に深く息を吐き、十分な脱力によってこれを外す。

 所謂こんにゃく戦法。

 けれど人の肉体は蒟蒻ではない。

 当たれば死ぬ。

 顔にこそ出さぬが、アムロにとっても我慢比べの時間。

 

(……違う)

 

 虎の連撃。

 心中で舌打ちしつつ避ける。

 ハリマオの攻撃、確かに荒くなってはいる。

 打てば当たる、だが殺し切れるほどではない。

 問題なのは、今のハリマオの憤りが本物か否か。

 そう言う小賢しい搦め手をやりかねないのが眼前の畜生だ。

 

「ガルゥオァ!」

 

(!)

 

 痺れを切らし、バクゥがバッ、と諸手を広げた。

 刹那、弾かれたようにリ・ガズィが動いた。

 明らかな誘い、罠の公算、大。

 だとしても、アムロにとっては千載一遇の好機。 

 

 両側面から挟み込むように、虎の両腕が迫る。

 その必殺の爪の内側へと全身を滑り込ませる。

 両のこめかみに添えた拳で外からの圧をいなしながら、更に相手の眼前へと肉薄する。

 ここまでは読み切れた。

 諸手の爪は囮、敵の本命はそこからの噛みつき。

 必ず自ら頭部を前へと差し出してくる。

 その両眼目がけ……、親指を突っ込む!

 

「ッ!」

 

 突如、痛烈な力に両腕を持っていかれた。

 バッと諸手を広げ、何故か再び胸元を開いたバクゥ。

 隙だらけ、最大のチャンス。

 にも拘らず、まるで鏡写しになったかのように、リ・ガズィの両手が十字を描く。

 

「なん……じゃと?」

 

 そこでようやく気付いた。 

 己が胴衣姿に合わせ、せめてもの洒落っ気にと改造したリ・ガズィの『袖付き』の腕部。

 その両の袖口に、小癪なる爪先が引っ掛かっている。

 

 これは、磔刑。

 絶対絶命。

 一見、同じ状況なれど、ハリマオは文字通り最後の牙を使える。

 

「ギャラァッ!」

「カッ」

 

 処刑の一瞬。

 思いもよらずリ・ガズィが前に出た。

 ガパリと開いた大顎の前に、己が頭部を差し出す暴挙。

 自殺、惨劇。

 ひっ、と気の弱い観衆が視線をそむける。

 

 間を置かず、ゴギャ、と言う鈍い音。

 

「ギャガ!?」

 

 よろり、舞台の中央で二つの機影がもつれあう。

 相打ち。

 だが、哭いたのは意外にもハリマオ。

 

「――カ、カカ! カカカカ!!」

 

 かろうじて体を引き起こし、アムロ・レンが不敵に嗤う。

 ぶるりと一つ頭を振るうと、たちまち額より溢れた鮮血が視界を染める。

 

 やった。

 読み勝った。

 ブチ込んでやった。

 渾身の頭突き。

 分厚い頭骨を下顎に。

 

 ぐらり。

 バクゥの巨体が仰向けに泳ぐ。

 チャンス到来。

 問題は何を選ぶか。

 蔓……、ではワンテンポ遅い。

 掴む、極める。

 その間に猛虎の逆襲も覚悟せねばならない。

 

 やはり、狙うべきは打撃。

 それも即効性の求められる急所への一撃。

 答えは最初から出ていた。

 

「タマァ!!」

 

 ピン、と尖ったリ・ガズィの爪先。

 迷いも躊躇いも無く右脚が疾る。

 愉悦の瞬間。

 その貴重な遺伝子を蹴り潰してや――

 

「――ッ」

 

 思いもよらず、ぐっ、と両腕を引っ張られ、浮きかけた右足が大地に沈む。

 何たる事。

 何という執念深い爪。

 引っかけた袖口を離していない。

 バクゥの倒れ込む重量そのままに、リ・ガズィの上体が引き摺り込まれる。

 加速する肉体。

 跳ね上がる後ろ足。

 巴投げ?

 いや、この速度はむしろ打撃。

 バク宙……、ちゅうかサマソッ!?

 

「キイイィイィィ!!」

 

 アムロが叫ぶ。

 必死。

 もう武術もクソも無い。

 とにかく逃げる、腰を落として思い切り体を倒す。

 不幸中の幸い。

 バキャリと袖口が損壊し、勢いのままリ・ガズィが後方に尻もちをつく。

 同時にひゅん、とトンボを切って、バクゥの五体が鮮やかに翻る。

 

 オオオ、と。

 死線を繰り返すシーソーゲームに、観衆の溜息が洩れる。

 

「ヒィ、ヒィ……」

 

 パンパンと尻の砂を落としながら、ようやくリ・ガズィが体を起こす。

 誰だ、こんなロクでもないマッチメイクを仕組んだのは?

 一回戦はアシュラマン、二回戦はまんまハリマオ。

 どうやらとんでもないイロモノブロックに放り込まれてしまったようではある。

 

 とは言えども護身術。

 嘆いてばかりもいられない。

 守護(まも)り切らねばならない。

 相手が何者であろうとも。

 己が身を、己自身で。

 そうでなくては估券に関わる。

 

「……なんじゃいトラちゃん、待っとってくれたんかい?

 エエ子じゃのう」

 

「ウガ」

 

 からかうような甘い声に「その手は食うか」と虎が応じる。

 地に伏すように低い、這いつくばった四足の位。

 

 ぷん、と卵でも腐ったかような匂いが、アムロの鼻孔を仄かにくすぐる。

 死臭である。

 戦国期、矢尽き刀折れた極限下でなお生き延びる事を目指した篤人流なればこそ、そう言った気配を鋭敏に嗅ぎ取る聡さが宿る。

 ようやく向うも本身を抜く気になった、という事なのだろう。

 今のハリマオが放つ殺気、状況は先ほどより一段、死に近い。

 

(……ようやく、かい?

 まあいいわい、これ以上お遊戯に付き合わされるのは、こちらも御免じゃ)

 

 対するアムロは三度、だらりと無形の位。

 いや、先刻よりもくっ、と前足に重心を乗せた姿は、少女の如何ともし難い性の顕れか。

 アムロ・レンは度し難いほどの天才。

 故に、日常を持て余す。

 窮地を嗜む。

 綱渡りでもするかのように、軽やかに死線を歩く。

 今日もまたゆるゆると、自ら虎の尾を踏みに行く。

 

 つ

 リ・ガズィが半歩、間合いを詰める。

 

 つ

 合わせて半端、バクゥの後ろ脚が下がる。

 

 つつ

 リ・ガズィが更に大きく歩を進める。

 

 つつ

 一定の間合いを保ちながら、ハリマオが更に後退する。

 

 張り詰めた緊張感の中、駆け引きが進む。

 傍目には、少女の並々ならぬ気迫が虎を圧しているようにも見えるかもしれない。

 だが、見えている者には見えている。

 全ては予定調和。

 つ、つつ、と肉薄するごとに、アムロの周囲を取り巻く死臭が、くらくらと眩暈を覚えるまでに濃くなっていく。

 

 やがて、虎の後退がぴたりと止まった。

 壁際一杯。

 ハリマオ、背水の陣。

 とは言え、窮虎の狙いは精神的高揚でも無ければ孫子の応用でも無い。

 理由はもっとシンプル。

 踵の後ろに、スターティングブロックが欲しかった。

 理合すら吹き飛ばす初速を得られるほどの。

 

「ギャルルルル……」

 

 殊更に頭を低く、腰を高く上げたバクゥの姿勢。

 力漲る五体が、これ以上は退かぬ、と如実に告げている。

 

(……まるで、リオの試合の再現じゃの)

 

 緩やかな歩みを止める事無く、アムロ・レンがクスリと嗤う。

 まったく、あの小僧の不器用さは度を越している。

 幾つもの手札の中から相手の対応を予測し最善手を選び、最新の注意を払って間合いを詰める。

 そんな悠長な準備をしている間に、敵は盤石な布陣を終えてしまうだろう。

 

 故に迷わぬ、歩みを止めてはならぬのだ。

 天才には準備など必要無い。

 どうせ条件としては五分と五分。

 だがもしも、寸傲でも対主の動揺を誘う事が出来たなら、それだけで勝敗は確定する。

 いずれにせよ分の悪い賭けでは無い。

 そう言う世界で、アムロ・レンは今日まで生き延びて来た。

 

(よう見とけよナガラ・リオ、切り落としっちゅうのはも――)

 

 斬ッ!!

 

 突如、少女の脳裏に鮮血が咲いた!

 人類の革新(ニュータイプ)ッ!!

 迷わずリ・ガズィが飛んだ!

 

「ルガアアァアァアァァ――ッッ!!」

 

 合わせて一直線にバクゥが壁面を蹴った。

 その瞬間には少女はもう、ハリマオの視界から消え失せていた。

 

「カカ!」

「ギャウッ」

 

 ズン、とハリマオの腰骨に衝撃が来た。

 たちまち獣の太い頸に、しなやかな指先がしゅるりと纏わり付いていく。

 

 四足獣にとって最大の死角、頭上からの攻撃。

 立ち上がる暇すら与えず、天才があっさりと上を取った。

 いつかのリーオーのように、頸動脈を遮る爪襟も無い。

 決着。

 誰が見ても分かる投了の形。

 恐るべきは篤人流。

 恐るべしアムロ・レ――。

 

「カヒャッ!?」

 

 ゴッ、と頭上からアムロの首に衝撃が来た!

 頸椎であった。

 

「!? !!??」

 

 不意打ち。

 威力自体は大した打撃では無い。

 とは言え人体急所、じんわりと脳みそが痺れ、思考の余地が奪われる。

 驚く間もなく圧力が加わり、リ・ガズィの顔面がバクゥの背骨に縫い付けられる。

 

(そうか、こ、こヤツ……!)

 

 ようやく状況が理解できた。

 逆襲のハリマオ、秘訣は健康な肩甲骨。

 

 規格外の柔軟性を誇るハリマオの両肩。

 それが高らかと上空に立上がり、肘先でクロスしてリ・ガズィの頸部を抑え付けていたのだ。

 まるで人間断頭台。

 しかもこの台、加速している。

 四足から二足へ。

 

 進化する虎。

 進化するバクゥは―― 猛る!滾る!爆ぜる!駆ける!

 

「……ギャ! ガ……! ンゲ!!!」

「~~~~ッッッ」 

 

 凄まじい衝撃と圧迫。

 これが本当に人一人背負った酸欠の人間の走りか?

 アムロの脳裏に、根平海岸での苦いトラウマが甦る。

 そう、確かにあの夜もこんな場面があった。

 不器用な負けず嫌いの空手小僧は、こんな敗北を認めるしかない状況でも必死にもがいた。

 

 あの時と違う要素が二つある。

 一つは頸部を上から固定する太い両手……、もとい両足首。

 断頭台のように頭部をロックされ、脱出が出来ない。

 

 今一つは、バクゥの行く先。

 ここは海岸線では無い。

 全力疾走のバクゥが行き付く先は、必然――

 

(……壁!)

 

 

 ――ズン。

 

 衝撃。

 仮初の観客席が僅かに揺れた。

 

 凄惨なる自爆。

 リ・ガズィを背負ったバクゥが、全力疾走で己が身を壁面へと叩き付けたのだ。

 ざわざわと、そこかしこから恐怖が溢れだす。

 ガンプラファイト最大トーナメント。

 世界一どうしようもない負けず嫌いを決める大会。

 なれど人とは、ここまでして勝利を求めて止まぬ生物なのか?

 

「ギャル……ルルワ」

 

 先に動き出したのは、やはりハリマオ。

 痙攣する五体を無理矢理に引き起こし、しっかりと四足で大地を踏み締める。

 獣の柔軟な体躯も去る事ながら、衝突の瞬間、リ・ガズイの体を挟みこんでクッションとしたのだから、そもそも根底のダメージが違う。

 

 決着。

 両者の被害状況は明白。

 獣の全力を全身でを浴びた少女に、もはや、反撃の余力などは。

 

「……カ、キャハ、カヒャ……」

 

 会場にぽつり、虫の息のような嗤い声がこぼれた。

 ゆらり、と思いもよらずリ・ガズィの体が立ち上がる。

 

 いや、正しくは立ち上がれてはいない。

 やはり肉体のダメージは深刻。

 上体だけ、女の子座り。

 文字通り、腰が入っていないのだ。

 震える両膝は大地に投げ出されたままである。

 ただ笑声だけがケタケタと、幽鬼のようにほつれた赤髪を揺らしている。

 

 頭を打ったか?

 ぞくり、観衆が戦慄する。

 だが、戦場は待ってはくれない。

 物言わぬバクゥの瞳に、たちまち野生の闘争心が宿る。

 

「何やってんだ馬鹿! 黙って寝てろ!!」

 

 空手少年の必死な叫びが空気を震わす。

 茫漠とした深紅の瞳に、その意味が果たしてどれだけ伝わった事か。

 

 至近に迫るバクゥのデカい顔。 

 がぱり、と死の大顎が広がる。

 くつくつと嗤って、少女が右手を差し出す。

 見る影も無い緩やかな右突き。

 蟷螂の、斧。

 

 

 ――ばくぅ。

 

 

「キャアァアアァァ―――ッッ!?」

 

 絹を裂いたような悲鳴が観客席から響き、たちまち会場に混沌が溢れだした。

 リ・ガズィの、アムロ・レンのしなやかな右手が、肘の根元からばくりと咥え込まれている。

 無残なる天才。

 凄惨なる姿。

 いかにガンプラ・ファイトが最低保証付きの闘争とは言え、その光景は正視に耐えうるものではない。

 

 

 

「バッカ野郎、決着は付いてんだよ!

 とっとと試合を止めろォ!!」

 

 仮初の闘技場にナガラ・リオの振り絞るような叫びが轟く。

 傍らのゴウダが見かねたようにその肩を叩く。

 

「落ちつけよ坊や、ナントカシステムって奴があるだろ?

 嬢ちゃんは死にゃあしねえよ」

 

 だが、激昂するリオはゴウダの制止も振り切って、なお叫んだ。

 

「馬鹿言ってんじゃねえッ! 死ぬのはハリマオの方だ!!」

 

 

 

「……カカ☆」

 

 闘技場の中心で、奇怪な笑声が再びこぼれた。

 無邪気さゆえに残酷な、子供のように奔放なイントーネション。

 その音色に会場のざわめきが、はたと止まる。

 

 奇妙な状況であった。

 衝撃的な光景に紛れて気付かなかったが、今や向かい合った両機の動きが完全に静止していた。

 バクゥがひと思いに一噛みすれば、あるいは押し倒して踏みつけてしまえば、たちまちに勝敗が決すると言うのに……。

 

 いや、静止している、と言うのも少し違う。

 止まっているワケではない。

 振り絞った両者の力が拮抗して、そう見えているだけなのだ。

 瀕死の少女の片腕と、大会屈指の膂力を持った野獣の全力が釣り合っている。

 常識的に考えればあり得ない話。

 つまりそれは、アムロ・レンが理合を使っていると言う証座。

 

 

「カカ、カカ! カァーッカッカッカッカッカッカァ―――――ッッ!!」

 

 

 少女の笑い声に邪悪な快活さが戻る。

 ぐっ、と右足に力を込め、突き出した右手を捻じ込みながら体を起こす。

「ゴァ」と潰れた蟇蛙のような嗚咽を漏らし、バクゥの体が大地に突っ伏す。

 

「ようやく……、ようやっとかかってくれたのうハリマオォ!

 この瞬間を待ち焦がれておったんじゃァ!!」

 

 あっ、とたちまち観衆の悲鳴が上がる。

 禁じ手の正体は至ってシンプル。

 噛み付かれたのでは無い、咥え込まれたワケでも無い。

 ガラ空きになったハリマオの喉奥に、アムロが右拳を思い切り押し込んだのだ。

 

 

 

「根止め……、そいつを実戦で、人間相手に使うのかよ」

 

 ぎりっ、と奥歯を噛み締め、ナガラ・リオがモニターを喰い入るように見つめる。

 かつて高野の修験者が、襲いかかる熊を相手に必死で編み出したとされるその魔拳は、その実、運動力学においても理に叶った攻撃と言える。

 単に気道を塞ぐのみでは無い。

 この体勢になると、対主は口を閉ざす事が不可能となる。

 咬合力を殺されてしまうのだ。

 歯を食い縛る、と言う行動は、力を振り絞る全ての行為に突き纏う重大な因子である。

 それが封じられたと言う事は、即ち、戦士として無力化されたと言っても過言では無い。

 

 本来、対人戦に用いるべき技では無い。

 そもそも、拳が丸ごと呑み込めるほど大口を開けられる人間自体が世間には稀である。

 倫理的にではなく物理的に、狙って極められるような技では無いのだ。

 

 だが、実戦では不可能でも、ガンプラ・ファイトでならば可能であろう。

 まるで現実の虎さながらに巨大なバクバクゥの大顎。

 あくまで現実の人間サイズに過ぎないハリマオの喉。

 そのギャップ、篤人流四百年の禁じ手を試すのに、これ以上の適材はあるまい。

 己が生命の危機にそんな博打を思いつき、迷いもせずに実行に移す。

 まさしく鬼畜、天魔の所業。

 

 

 

「カカカ、ツイておったのぅ。

 ここが故郷のマングローブでなくて、のう?」

 

「ォ……ア……ガ……」

 

 嘲るように嗤いながら、ぐっ、と右手に力を込める。

 それだけで強靭であった虎の五体が一方的に蹂躙される。

 

「哭けや、ハリマオ。

 最期はカッチョよく極めさせて貰うでな」

 

「……ッ ガァ!!」

 

 油断。

 ハッキリとした兆候があったでワケではないが、ハリマオはアムロの胸中の、何とは無しの弛緩を敏感に感じ取っていた。

 それが本物の油断なのかは分からない、が、とにかく虎は動いた。

 野生の瞬発力を総動員した、高速で体を倒しながらのバク宙回転蹴り。

 先ほどは空振りに終わった攻撃であるが、今回は口中の右腕をそのまま引きずり込んでいる。

 確実に当たる。

 目を瞑っていたって当たる。

 当たる……はず。

 

「ほい」

 

 瞬間、アムロが文字通り、ふわりと宙に舞った。

 重力の枷を感じさせぬ軽やかさで。

 そうしてまるで華に惹かれる胡蝶のように、中空で仰向けになったバクゥの腹の上に緩やかに降り立った。

 

 どきり。

 天空を仰ぐハリマオの視線と、大地を覗き込む少女の視線が交錯する。

 その時ハリマオは見た。

 目に映るもの全てを焼き尽くす、煉獄のような赤――。

 

 まるで、走馬灯のようにハリマオはあの日の事を思い出していた。

 怖い物知らずだった幼少の自分。

 光届かぬマングローブの密林を我が物顔で練り歩き、いつしかとっぷり日は暮れて、そして虎の子は『アレ』と出会った。

 

 ――まもの(・・・)

 

 世界の深淵に潜む怪異。

 人里の大人たちに話しても信じはすまい。

 だが、人跡未踏の暗闇の世界には、確かにそう言ったモノが鎌首をもたげている事をハリマオは知っている。

 

 あの日、どこをどう逃げたのかは自分でも覚えていない。

 戦おうなどと思い付きさえしなかった。

 とにかく宵闇を駆けて、駆けて、駆け抜けて。

 全身に擦り傷と打撲の痕を創りながら、それでもハリマオは生き延びた。

 

 ああ、それではやはり、自分は衰えてしまったのだ、とハリマオは思った。

 文明社会と交わる事で、虎の子の野生が失われてしまったのだ、と。

 人の世界に、人の皮を被ったまもの(・・・)が何食わぬ顔で徘徊しているなど気付きもしなかった。

 

 時すでに遅し。

 此処は既に逢魔ヶ辻。

 今こそが最早、逢魔ヶ刻。

 

「カァッ!」

 

 リ・ガズィが腰を返す。

 右拳が虎の口中よりガバリと抜け、入れ違うように左拳が打ち下ろされる。

 バクゥの眉間を突き抜け、そのまま大地まで叩き付けんばかりの左。

 

「……南海の孤島に、ド畜生が潜んでいやがったかい」

 

 どこか憐れむ様に、モニターを臨むモーラがぽつりと呟く。

 直後、少女の全体重を乗せた鉄槌が、ゴッ、と虎の頭部を砂地へとのめり込ませた。

 

 

「……いや、悪くない、堪能させて貰ったわい、ハリマオよ」

 

 静寂に満ちた仮初の闘技場に、少女の独白が零れる。

 パンパンとスカートアーマーの砂を払い、ほつれた後ろ髪を整えながら、アムロ・レンはゆっくりと立ち上がり、再び嗤った。

 

「うぬはなーんも悪くないんじゃ、ハリマオ。

 カカ、それでも強いて過ちを挙げるならよ……。

 ワシと同じ時代に生を受けた、己の迂闊さを呪うがよい」  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ウガ

【挿絵表示】




・おまけ MFガンプラ解説⑯

機体名:バクバクゥ
素体 :バクゥ(機動戦士ガンダムSEEDより)
機体色:オレンジ・黒
搭乗者:ハリマオ
必殺技:野性
製作者:マスク・ド・サヤマ(監修:鱩正五郎教授と王大の皆さん)

 本機は現代社会のストレスに悩むハリマオ青年のため開発された、対仮想空間向精神的介護用補助骨格である。
 オブサーバーには日本動物学会の権威として名高い東京王国大学名誉教授・鱩正五郎(ハタハタ・マサゴロウ)氏が全面協力している。
 仮想空間での行動に一切の支障をきたさぬボディの開発を目指し、マサゴロウ教授は王大最先端の医療機器を用いてハリマオの肉体を解析。
 更に教授自ら一カ月に及ぶ観察とスキンシップを続ける事によって、ハリマオの肉体と精神に極力負荷のかからない疑似骨格の開発に成功した。
 が、実働テストの段階になって、本骨格はGPベース上で稼働しない事が判明。
 ただちリー氏お抱えのビルダー達が緊急招集され、「フルスクラッチしたMSっぽいガワを被せる」事で強引に問題の解決を図る事となった。
 最終的にはマスク・ド・サヤマ氏の製作した「バクゥっぽいシルエット」をベースに調整が行われ、ようやく本機のロール・アウトに至った。

 本機は元々医療目的に開発された経緯から、無限軌道やウィングと言ったバクゥ本来の装備の殆どが撤廃され、現実の肉食獣さながらのフォルムとなっている。
 口元にはサーベルファング代わりに、本物の虎をモチーフとした可動式の大顎を有する。
 とは言え製作の過程からも分かる通り、その骨格はあくまでハリマオがベースとなっており、本人の意思で自在に二足歩行を行う事も可能である。

 元来の目的から考えればMFのカテゴリに収まらない本機ではあるが、その後「ハリマオのストレス開放には更なる刺激が必要」とするリー氏の判断から、トーナメントに緊急参戦を果たす事となった。
 一回戦では中国拳法の雄、馬凶愛を散々に打倒して野性の恐ろしさを改めて観衆に知らしめた。
 続く二回戦では逆に散々な目に合わされてしまったもの、とりあえずハリマオのストレス開放には成功したようなので、まあ、結果オーライと言えるのではないだろうか?
 
 


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