対暗部用暗部「更識」の本部は、埼玉と東京の境目にほど近い場所にあった。
更識家の屋敷も兼ねているそこは、築三百年をゆうに超える日本家屋であり、庭の池の水面は鏡のように月を映している。
そんな池の前、浅葱色の着物を纏った「彼女」はいた。
跳ねた水色のくせっ毛を短く切り揃えた「彼女」は、どこからともなく扇子を取り出すと広げる。その表面には達筆で「嵐の前」としたためられていた。
「フランスでの事件の顛末は、既に通信越しに聞いたけれど……箒ちゃんが拉致されたという事は、いよいよ動く可能性が高いわね?
「彼女」は庭の一角に立つ木の方を一瞥すると、再び池へと視線を移してから口を開いた。
「ええ。そして箒を攫った以上、いよいよあいつが本格的に動き出す可能性は高い。そう判断します」
数拍して、木の陰に隠れていた少年が返す。
すると「彼女」は新たな扇子を取り出し広げると、少年のいる方へと見えるよう、手を動かした。
「そしてその決戦の場は、安崎裕太が前の世界で恨みを募らせた国――つまり、日本の可能性が高く」
「ええ、恐らくですが……想像通り、あいつはIS学園にも侵攻可能な都市部を拠点とするはずです」
扇子に書かれた「関東周縁部」という文字を視界に捉えた一夏が、頷きつつ「彼女」の言葉に同調する。
一式――いや、安崎の性格上、絶対にIS学園に兵力を差し向けるに違いない。
たとえそれが、本来の目的に不必要な事だとしても。
そう一夏も「彼女」も、ハッキリと確信していた。
「どうします? 今なら逃げることもできますけれど」
「冗談言わないの、ここで逃げちゃ対暗部用暗部失格だし――それにね」
そう「彼女」は途中で言葉を区切ると、一夏のいる方へと向き直る。そうしてから再び扇子を持ち変え、続ける。
「今でも
「生徒会長」と書かれた扇子で口元を隠して口にしていた「彼女」だったが、しかし。最後まで言い切る事は叶わなかった。
突如咳き込むとその場にしゃがみだし、慌てて扇子を落として手を口に当てはじめる。
「……でも、そんな身体じゃ」
「バカ言わないの」
「それに今、簪ちゃんは海外遠征に行ってて今いないのよ。前とは違って、何も気にせずに戦えるってもんじゃない。違う?」
あくまで強気でそう口にし、一歩も譲ろうとしない「彼女」に対し、一夏はしばらく黙ってから再び話しだす。
「……あなたから勝手に借りてたもの、お返しします」
それだけ言うと、目の前の木の出っ張った枝のひとつへと、二対になった菱形のストラップを括りつける。
「あら? もう制止するのはやめにしたのかしら?」
「あくまで返すだけです。ついて行くのは認められません」
「そう。じゃあ勝手にさせてもらうわね」
穏やかな笑みを浮かべながら言いつつ、木の向こうにいる少年の表情を「彼女」は想像する。
何度言っても聞かない自分に呆れているのか、それとも少し怒り気味なのか――などと、考えていた時だった。
「この後については、そちらに任せます。それと……今まで半年間、ありがとうございました」
最後にそれだけ言うと、徐々に一夏の気配が遠のいていくのを「彼女」は背中越しに感じた。
こうして、再び。月明かりに照らされる庭園には「彼女」一人となっていった。
「まったく、本当に感謝しているのなら……顔位見せなさいっての」
まぁ……直接見に行ける距離だったのにそうしなかった私も私だけれどね。
そんな事を思いつつ、いまだ血で汚れた手で「彼女」は一夏のいた場所へと向かう。
そうしてから枝に引っかけられた愛機を手に取ると、そのまま扇子に接続させる。これで、
「彼女」は安堵と懐かしさの入り混じった感情をひととき味わうと、今度は夜空へと顔を向ける。
「今から追いかければ……」
まだ屋敷を出てそう時間が経っていないから、きっと本気で追いかければ一緒にいる事も不可能ではない。
そんな一瞬過った、未練がましい感情を「彼女」は首を横に振って切り捨てると、またも池へと視線を戻した。
「……いや、よそう」
そうだ、彼にはもう心に決めた人がいる。今から自分が未練がましく、追いかけても迷惑だ。
加えてこれから、戦いに赴くことを考えると――余計な感情は不要なんだから。
両頬を軽く叩きながら「彼女」は思考を切り替え、扇子を仕舞うと。ゆっくりと屋敷へと戻っていく。一夏と違い、敵が動き出してからでも決して「彼女」の場合は遅くはないのだから。
「彼女」の名は
そして此度の身体は病気により蝕まれ、かつての栄光とは程遠い存在となった少女。
人はかつての彼女を、
◆
優奈と仲間になってから、二日が経過した。
「ねぇ、そういえばなんだけどさ……向こうの世界の私って、どうなったの?」
「え、ナギ? いきなりどうしたのさ?」
シャンゼリゼ通りに放置されていた、ゴーレムとエトワールの残骸を物色している最中。ふとあの話を聞いてからずっと気になっていたことを、異世界人の少女へと訊いてみる。
「途中から私の名前が出てこなくなっていたわけだし……」
「そりゃ当たり前かぁ。気になっても……」
目の前で倒れっ放しになっていたゴーレムを、工具を使って分解する手を止めて、頬を掻いた優奈は。しばらく黙って作業を続けてから、口を開いた。
「……少なくとも、私が最終作戦をやる前までは大丈夫だったよ。そのあとの事は…………ゴメン、一夏に聞いて」
「一夏にって……いったんあの人が戻った時に、どうなったか聞かなかったの?」
「そりゃあね。私もほかに考える事がたくさんありすぎて……正直、そこまで気を回せていなかったし」
なんとも微妙な返しをした優奈に突っ込むが、さらなる返事も煮え切らないものだった。
でもまぁ、同じ状況だったら……私もテンパってたかもしれないなぁ。
なんて、思っていると。
「やっぱりコアはない、か……」
ぼやきながら優奈は物色を終えると、私のいるアクシアのバイク形態の近くへと戻ってきた。
「回収できたのはジャンヌだけって感じ?」
「そうだね。こいつだけ」
優奈がそう言って、腰にぶら下げていた剣をあらためて手に取る。
それは偽骸虚兵になったシャルロットの死体が使っていたもので、私達を苦しめた第四世代機体の待機形態である。
「ちっ、あとひとつ見つけられなきゃ、面倒なことになるってのに……」
頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと髪の毛をかき回す優奈。 彼女が数日前に語ったところによると、安崎の現在の居場所さえざっくりと分かれば、コアをふたつ使えば一瞬で移動できるそうな。
そういう訳で、現在。私達は機体を直して戦力回復を行いつつ。
皆で手分けして、いまだに無人のままのパリ市内の無人機残骸からコアを手に入れるべく巡っていたのだった。
でも、もうフランス軍がジャンヌと戦った場所も、私達がここまでたどり着くまでに戦った道程も、鈴と優奈が出会ったという場所も見ていて。ここ、シャンゼリゼ通りが最後の戦場だったんだ。
それでも、見つからないとなると――。
「よし、いったん戻ろう。乗って……ナギ?」
考え事をしている間にも、もう既に優奈はバイクに跨っていた。
そんな彼女に対し、私は。一度自分の指にはまっていた指輪を見てから……。
「最悪の場合は、なんだけどさ」
「何よ急に。見つからなかった場合の、他の移動手段での想定でもしてたの?」
全くの見当違いの事を言ってきた異世界人に対し、私は「ううん」と首を振ってから、続ける。
「私の打鉄を使うってのは? だって代表候補生でもない私がこんなの持ってても、役に立たな――」
「ナギッ!!」
だけどその提案は、優奈にとっては何かの地雷だったらしく。
カッとなりながら彼女はバイクを降り、両手を私の肩へと置きだした。
「いい? 戦わなくってもISだけは持っていて。絶対防御と逃げる足としてだけでも結構、違うんだから。でないと、あんたの命に関わるんだし」
「わ、わかった……」
あまりの剣幕に、しどろもどろになりながらも返事をした直後。優奈は再びバイクの方へと戻っていくと跨りだす。
この反応から察するに、もしかして――と、思ったのと。優奈のバイク正面のモニターにアーリィ先生と鈴が映ったのは、全くの同じタイミングで重なった。
「鈴にアーリィさん? どしたの?」
『いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたいサね?』
「じゃあ、いいニュースからお願い」
私がバイクの後部に跨ったのに前後して優奈が答えると、鈴は画面越しにキューブ状の物体を、私達へと見せつけてくる。
「コア、あったんだ!?」
『もしかしたらと思って、調べてみて正解だったわ。開発部のカギのかかったロッカーを破壊したら、こいつが中から出てきたわ』
「おぉう、中々にバイオれーんす……」
専用機を部分展開しながら語る鈴に、汗を流しながら答える優奈。その表情は何とも言えないものをしていた。
「ところで、悪いほうってのは?」
『いよいよ安崎が、現れた地点を特定できたサね』
「――ッ!」
一瞬優奈は絶句すると、その間に鈴が畳みかけるように口を開いた。
『近いうちに戦いが始まるのは明白よ。だから――飛ばして、もどって来なさい!』
「分かった! ナギ、しっかり掴まってて!」
こうして、コアが揃った直後。
私達は風雲急を告げる情報を耳にして、集合場所となっていたデュノア社の医務室へと、バイクを飛ばしていったのだった。
◆
「しっかしまぁ、まさか目的地が東京とはね……」
「でも鈴さんも、狙われる場所に着いては薄々感づいていたのではなくって?」
安崎……一式白夜が東京を制圧下に置いて、数日前のパリと同じく無人機の闊歩するゴーストタウンに仕立てあげてから。ちょうど一日が経った。
あたし達は現在、全ての機体修理や武器の調達を終了させ。いよいよ、敵の本丸へと乗り込むための、直接的な作業に取り掛かっていた。
「まぁあいつの……安崎の性格を考えれば、他に候補なんてないからね」
放置されていた中から見つけ出した、ちょうどいいワゴン車へと。アクシアの後部から伸びる硬質ワイヤーを括りつけている作業中。一人バイクに跨り、正面モニターに座標を入力していた優奈が返答する。
優奈曰く「これで一気に東京までブッ飛ばせるから、大船に乗ったつもりでよろしく♪」だそうだけれど――。
「本当にここから日本まで行けるワケ?」
同じく作業中だったナギが、あたしも疑問に思っていた事を口にした。
「何度も言ってるじゃん。私の花鳥風月は束さんに改造して貰って、同じ次元内ならコア2個でワープできるようにして貰ったって」
それに対し、優奈は今までとほとんど同じ返しをする。
けれどこっちはワープなんて初体験なんだから、疑いを持つのは当然だったし……こうして直前になっても、不安は拭えないでいた。
「まぁ、気持ちはわかるサ」
「同じ異世界の記憶持ちでも、流石に実物を見たことはないからね」
「とはいえ今から普通に行く手段はない以上、信じるしかあるまい」
同じく作業をしていたアーリィ先生にシャルロットが口にした後、ラウラが結論付けた通り。他に手段がない。
今は飛行機も船も止まっているし。第一、時間がかかりすぎる。
もう、この異世界人の女に頼るしかないのだ。
「さぁて、準備完了! あとはコアを貰えれば、飛ぶだけだけど……覚悟は良い?」
バイクに座ったまま、液晶に座標を入力していた優奈が振り返ると。そう尋ねてくる。
その顔には「怖いなら残ってもいいよ?」と書かれている……ように見えた。
「バカにするんじゃないわよ。覚悟なんてとっくにできてるに決まってるじゃない! ねぇみんな!?」
優奈の方からみんなの方へと振り返り、確認をとると。誰一人として首を横に振るやつなんていなかった。
もう、みんな覚悟なんてとっくの昔に決めてるんだ。今更過ぎる。
「分かった。なら、行きましょっか! じゃあ、悪いけどコアを……」
優奈はこっちの様子を見ると、笑みで返す。
その後、イザベル――いえ、シャルロットに向けて続けると。向かっていった彼女からまずデュノア社にあったコアを、次にラファールカスタムのコアが手渡される。
「本当に、こっちでいいのね?」
優奈はシャルロットが
あいつは第四世代の方が役に立てると思う。そう言って、機体の乗換えを自分から提案してきたのだ。
「うん。こっちの方が戦いにおいても役に立てると思うから」
「じゃ、悪いけど……使わせて貰うよ」
「気にしないで。今、一夏と箒を助けに行けるなら……安い、ものだから」
シャルロットの発言を聞いて尚、どこかすまなそうなままの優奈だったけど。しばらくしてから、意を決し。わかったと短く返答すると彼女からコアを受け取る。
これで、あいつが言っていた「準備」はすべて終了。あたし達は全員、後方のワゴン車へと乗り込んだ――瞬間。
「さて、シートベルトをしっかり締めといてね!」
優奈はそう言うとともに、バイク側面に一つずつ量子展開された、奇妙な形のボックスへとコアを投入。
「花鳥風月・改『オルテュギア・シフト』……発動!」
すると直後。パリィィンという、何かが割れるような音がした前後。ライトグリーンの何かがアクシアを中心に展開。周囲はその色の……何といえば良いんだろう、オーラとでもいうか。
とにかく、不思議なヴェールがあたし達の進行方向上を彩っていくと。シャンゼリゼ通りは見る見るうちに、まるでライトアップされたコースのような状態となっていった。
「どう、なってるの……?」
「ここをひとっ走りブッ飛ばせば、あらかじめセットした目的地まで一気にジャンプってワケよ。さぁて……行くとしますか!」
「え、ちょっとまだ心の準備が……きゃあああああああ!」
あたしの質問に、外からスピーカーを使って返答した直後。優奈はフルスロットルで走らせていく。
流石ISを改造したバイクなだけあり、その速度は並大抵のものじゃなくて。アーリィ先生以外は皆悲鳴を上げてしまい、車内は阿鼻叫喚の地獄と化した……が。
「3、2、1…………よし、今から――飛ぶよ!」
すぐに優奈の言葉が聞こえてきた刹那。緑の道が途切れた――その刹那。
「っつ……うそ、本当にIS学園だ……!」
鈍い衝撃とともに「何か」に着地した感覚がしたと思ったら、ナギの言った通り。
窓の外に広がる光景はIS学園の第一グラウンド。それそのものだった。
あまりに常識外れの行為を体感したせいか、この時ばかりはアーリィ先生とシャルロットも唖然としていて。口をポカリと開けていた。
「さぁて、着いたよ! 本日は神崎交通をご利用いただき、まことにありがとうございました……なんてね」
「あんたね……もう少しまともな運転の仕方はなかったワケ!?」
「しょうがないじゃん。こうしないと跳べないんだから。結構スピード必要なんだし」
ドアを開けつつ、ふざけた事を言った奴に文句を言い。それに対して言葉を返された――その時だった。
「ど、どういうことですかこれ……って、アーリィ先生!?」
少し離れたところで、何が起こったか分からないといった風に混乱していた生徒や先生たちの中から。一人の女性がそう言いながら、こっちへと向かってきた。
あたし達のクラス――1年1組の副担任、山田真耶先生だ。
「あ~その、えっと……いろいろあったのサ。色々とナ。この部外者含めてナ。詳しくは今から話すから、取調室でいいかナ?」
「ええまぁ、構いませんけど……」
後ろで優奈がISを仕舞う中、山田先生が答えて。春休み中に千冬さんへと事情を話した、あの取調室へと再び向かったのだった。
◆
「なるほど、無茶苦茶ですけど……あんなの目の前で見せられちゃ、信じないわけにもいかないですね」
ひと通りの話を終えた後、山田先生が言ったのはそれだけだったが。そこに優奈が続ける。
「奴らの狙いは私達が先でしょうし、ここから出て行けばしばらくは安泰でしょう」
「でも、彼の性格上。いずれ間違いなく攻め込んでくるサね」
「というか、決定打をこの四か月与えずにいただけでも奇跡的だと思います。一刻も早く残った生徒の避難と、防衛体制の確立を」
安崎の事を熟知しているアーリィ先生とシャルロットがそう続けたことにより、山田先生は顎に当てていた手を戻すと。
「分かりました。すぐに地下区画を開放し、残ってる生徒たちを避難させ――」
と、答えたその時。
けたたましいまでのサイレンが、学園中に鳴り響くと。先生ふたりの携帯が一気に鳴り響いた。
「何があった!?」
警戒心をあらわにし、勢いよくソファから立ち上がるラウラに。
「これはIS学園の戦闘警報……ってことはあいつ、もう部隊を差し向けてきやがった!」
と、優奈が歯噛みしながら答えたのだった……。