世界的IS企業の凶行という、未曽有の事件から数日後。
無人機による猛攻により国家IS部隊を撃退、現在は静寂が支配した街と化したパリ。
そのシャンゼリゼ通りに、ひとりの少女がいた。
デュノア社の
ジャンヌ・ダルクの操縦者の少女が、往来のど真ん中を踊るように歩いていた。
「うふふ、もう最高ですね」
脅してセットさせた髪を夜風になびかせ。
散々今まで見せてきた、邪悪な笑みとは対照的な穏やかな笑顔で。
夢見る乙女のように、少女は軽やかにステップを踏んでいた。
「ああ、幸せ……」
前世は途中から最低だった。
最期の最期まで、何もかも奪われて――にも拘らず、自己犠牲という名の欺瞞で死んでいった。
結局、守るといった男は何の役にも立たないまま。
今世は初めから最悪だった。
いけ好かない男によって生み出され。
初めから、反りが異常に合わない女の記憶を有して。
苦痛に喘ぎ、眠れない夜を何度過ごしたことか。
「やっと、やっと私も掴めたんだわ」
だが折れずにいられたのは、それらの記憶を怒りの炉にくべられたから。
最悪の相手に首を垂れたのは、絶対に勝ち取ると決めたものがあるから。
「ああ、やっぱり私は正しかった」
嘆いても、悲劇のヒロイン等とこき下ろすのであれば。
縋っても、誰も助けてくれないのなら。
世界が私を不幸にしてくるのであれば。
もう――私は何にも、誰にも救いを求めるつもりはない。
自分で、どんな手を使ってでも。
「絶対、幸せになってやるのよ……」
瞳を開けた時、少女の目は据わっていた。
満たされたか?
答えは否ではないが、まるで全然足りていない。
もっとだ、もっと寄越せとギラつく目で少女はオルレアンの方角を見て。
次なる欲望のはけ口として。
殺すべき相手を頭に浮かべていく。
ありったけの憎悪を含めた嘲笑とともに、今度こそあの女どもの首を斬る。
お預けを食らっただけに、きっとその味はより甘くなっているに違いない――。
「堪らないわね……」
思わず少女がに舌なめずりをしたのと、量子通信がかかってきたのは同時だった。
小さく舌打ちすると
「何の用かしら?」
快も不快も、通信がかかってきたことへの苛立ちも。
全てをひた隠しにしたポーカーフェイスで、少女はモニタ越しに映る相手に対し話しかける。
少女はこの男を苦手としていたし、嬲られた夜を忘れたわけでは決してない。
だが、彼女も所謂「忌み子」として扱われた事もあるだけに。
(見捨てれば、寝覚めが悪いですものね)
等と、不本意ながらも。
『進捗はどうだぁ?』
「どうもこうもないわ……現在、フランス軍とゴーレムがじゃれてる。あと数時間後には片が付くんじゃないかしら」
男はねっとりと、女は淡々と。
一組の男女は画面越しに業務連絡を交わす。
互いに相手への思うところがあるとはいえ、今は大事な作戦の最中だ。
『早めに始末しろよぉ、おフランスの代表候補生様よぉ?』
「…………わかったわ」
今にも叫びそうになる心の逸りを抑えながら、少女は淡々と声を返していく。
まもなくして通信は切れると、再びパリの街をを静寂が支配する。
そんな中、少女は立ち上がると舌打ちを一つ漏らした。
「私は、あのバカ女じゃないわよ」
あいつの露悪的な態度は気に障る。
――しかもそれが、かつて彼女が愛した男の顔と同じならば尚更。
そう考えると、さらに怒りはふつふつと煮え滾っていく。
「分かったわよ……やりゃあいいんでしょ、やりゃ」
舌打ち交じりに少女は吐き捨て、適当なビルの壁へと立てかけてあった剣を帯刀。
流れるような動作でもって引き抜き、世界最強のIS、第四世代機を降臨させる。
次の瞬間には己が得物たる旗を構えた少女は、瞬時加速を使って一目散に疾駆。
すぐに一陣の風は夜空にも吹き荒れて、戦場には
旗のビームを展開し、
「さぁて、狩りの時間とでも洒落込もうかしら」
少女は侮蔑の笑みとともに言葉を放つと、廃墟と化しつつある市街地を駆けて行った――。
◆
オルレアンでの戦闘が終わってから五時間が経ったデュノア社のブース前は、不気味なほどに静まり返っていた。
いくつか設置された臨時の避難スペースからの喧騒が遠くから微かに聞こえてくるのも、それに拍車をかける。ここだけ別世界のように切り離されたかのようだった。
そう、あの夢の世界に似ていて……。
「……ッ! 何を考えているんだ。私は……!」
無意識に邪悪な方へと向かっていった思考を否定すべく、震える声でそう紡ぐ。
別に頭の中だけで否定してもよかったが、口に出したのは危機感が半端なものではなかったから。
本当にこのまま危険な領域へとふらふらと歩いて行ってしまい、二度と帰ってこれなくなるかもしれない。
そう思うと身体がこわばり、私の背中にゾクリとした感覚が走る。とにかく、思考を切り替えなければ――。
「何考えてるって?」
そう思ったのと同時に、背後から幼馴染の声が聞こえてきた。
振り返って確かめてみると、果たしてそこには鈴の姿があった。ピンク色のISスーツに制服のジャケットを羽織っていた彼女は点在する瓦礫のせいで数度蛇行しながら私のもとへとやってくると、すぐ真横で立ち止まった。
「……何でもない」
ちょうど停止したタイミングを見計らって口を開くも、返事を何も考えていなかった自分に気づく。だからだろう、慌てて紡ぎだされたそれはいつも通りのはぐらかしだった。
そろそろ話さないとマズいのではないか。
正直何度かそう思ったこともあるのだが、どうしてもそれができなかった。言おうとするといつも感情が邪魔をして、ついつい二の足を踏んでしまうのだ。
いったい私は何を怖がっているのか。
信じてもらえない事ももちろんあるが、それだけではないのもまた確かだった。
「それよりお前、何の用だ?」
誤魔化すようにして視線を瓦礫の散らばるステージへと向けつつ、鈴へと尋ねた。
時計を確認してみても、アーリィ先生から言われた集合時間まではまだ一時間近くあるし、一人にさせてくれともあらかじめ皆にも告知しておいたはずだ。
それなのにやってきた鈴には少し苛立ちも感じるが、同時にあの恐怖の世界から引き戻してくれたという感謝の念も抱いていた。
「別に。ただあたしも、散歩してたらこっちに来てみたくなっただけよ。悪い?」
嘘だな。瞬時にそう判断できる。付き合いの長い私でなく、セシリアやラウラでさえも同じくらいのスピードで見破れるに違いない。
それくらいコイツも、嘘をつくという行為を苦手としていた。
つくづく似た者同士なんだな、私たちは。
にわかに頭に浮かんできたのはそんな内容の思考だったため、ついつい微笑が口の端から漏れ出る。向こうも私の態度に気づいてか、ため息一つつくと再び口を開く。
「この際だから、はっきり聞いてみる。あの、さ……あんたの隠していることって何なの?」
「なんだ」と尋ね返そうとしたものの、そんなことをする余裕も与えずに鈴は畳みかけるようにして言葉を続ける。
あんなことを考えていた矢先にこれか……。
まぁこれだけの事件が短い期間の間に篠ノ之箒という人間を中心に起こったんだ、疑うのだってごくごく自然なことなんだろう。
それに、いつまでも隠し通せるものでもないのは、ほかでもない自分が一番よく知っている。私も隠し事をするのは致命的に下手糞なのだから。
さらに言ってしまえば、もうすでに姉さんには伝えている事柄でもある。あの口の軽い天災の事だ、鈴に尋ねられれば電話越しにしゃべってしまうのは想像に難くない。もはや逃げ道はないに等しかった。
ならばもう――言うほかあるまい。
「……実は、だな」
現実での不可解な出来事とリンクしていた、夢という名の「事実」。ずっと胸の内に秘めていたそれを夜空の下、ひたすら鈴へとぶつけていく。
己が死ぬ夢、そしてあの少年の事。
鈴やセシリア、ラウラとは初対面の頃から既視感がどうしてもぬぐえなかった事。
時折強烈なデジャヴを感じて、頭痛を催してしまう事。
紅椿というISの事。
そして今日襲ってきた敵の少女とイザベルの顔、それにも見覚えがあるという事。
「これが、私が隠していた全て、だ」
口にし終えると、満天の星空へと視線を移す。一気に話したからか、妙に喉の渇きが気になる。
……いや、緊張のほうが大きいんだな、この後への。
私の数少ない友人である凰鈴音という少女が、どう反応するのか。恐らくもう間もなく訪れる瞬間、それに対する覚悟は全くできていない。
「箒」
何分経っただろうか。静寂を切り裂いて、鈴が私の名を呼ぶ。おっかなびっくりといった体で視線をゆっくりと鈴へと向けると――。
「こんの……馬鹿ぁ!」
強い衝撃が頬を襲ったかと思うと、次の瞬間には視界には再び満天の星空が広がる。唐突な事態だったからか、殴られたのだと気づいたのは数秒して痛みが襲ってきてからだった。
「あんたねぇ……どうして今までこんな大事なこと、黙ってたのよ!?」
立ち上がろうとしている間に、鈴から詰問というかたちでの追撃が飛んでくる。手は殴ったときから変わっていないんだろう、堅く拳を握ったままだった。
「信じて、くれるのか……?」
呆然と、半ば無意識に放たれた私の言葉。それに対して鈴は「当たり前でしょ」と小さく呟いてからため息を零すと、再び口を開いた。
「あんたってさ。ほんとあの時から何も変わらないよね……こういうとこ。一人で悩んで勝手に突っ走っちゃってさ。あたしや周囲の人に頼ろうともしないで。……ねぇ、私ってさ、そんなに信用ならない?」
「そんな事……ッ!?」
言いかけて、気づいた。
結局のところ私は心のどこかで気を許してはいなかったんだという事に。
だから勝手に裏切られると、信じてもらえないと疑心暗鬼になって、誰にも頼れなかった。
仲間を欲するような態度を見せておきながら結局心の底から信じていたわけでもない、言ってしまえばただ利用していたに過ぎない。そんな自分が途端にひどくみじめに、恥ずかしく思えてくる。
はっきり言ってこんなの、使えなくなったゼフィルスのパイロットを始末していた連中と何ら変わりないではないか!
「すまない、鈴。いままで私は、お前を信じ切れていなかった。本当に……申し訳ない」
俯いていた顔を上げ、目の前に立つツインテールの幼馴染に向けて深々と頭を下げる。
思えばこの六年、こいつには迷惑をかけっぱなしだった。保護プログラムの時も、私が孤立するのを心配して一緒の学校を志望校にしてくれた時も、いつも。
この四カ月は命のやり取りにまで付き合ってくれた。それなのに私は勝手に壁を作って接していた。なんと罪深い事だろうか。
「ふ、ふん! わかればいいのよ。わかれば……それにまぁ、アンタの気持ちも分かるし、ね」
「えっ?」
「あたしだって、日本に来たときはだれも信用できなかったんだ……心の底から、ね。だから保護プログラムが起きるあの日まで、アンタには心の底では疑ってかかってたんだ」
「そう、だったのか……」
言われて当時の事を思い出したが、そんな素振りをしていた場面など皆目見当がつかなかった。
鈴の言っていることが本当ならば、コイツは実は誤魔化すのが私なんかよりもずっと上手だったという事になり、嘘が下手なのはこの中で私だけだったという事になる。
別にだからといって何か変わるわけでもないが……なんか悔しい気もする。
「だから、そこまで気に病むんじゃないわよ。あたしはもう、許した」
私が感慨深く昔のことを思っていると、そっぽを向いた鈴からそんな言葉が吐き出される。
こいつの事だ、さっきからの一連の流れが急に恥ずかしくなったんだな。そう思うと少しだけにやけてくる。
「と・に・か・く! 今後は隠し事しないこと、いいわね? 次やったら絶交したついでにあんたの打鉄をスクラップにしたげるんだからね?」
「じゃあお前が隠し事したときは、私がお前の甲龍を再起不能にしてやろう」
「……なにそれ」
「お前こそ」
ひとしきり軽口を言い合ってから、笑い合う。今まで幾度となくこなしてきたことだったが、ここまで清々しい気持ちでできたのは滅多にない――というより、初めてだ。色々吹っ切れると快感の度合いも上がるのだと、しみじみ思ってしまう。
鈴はどう思っているんだろう? そう思いながらあいつのほうを見てみたが、あいつも心の底から楽しそうに笑っていた。
それを見て、ますます笑みが止まらなった。
そんな私たち二人だけの時間。その幕切れを告げたのは、私の携帯の着信音だった。ポケットから取り出してみると、液晶には「セシリア」とだけ素っ気なく表示されている。
「もしもし」
『箒さん、鈴さん! 大変ですわ!』
「何があった?」
私が質問する間に通話相手は変わり、今度はラウラの、焦りの色を含んだ声が電話越しに聞こえてきた。
『デュノアが宣戦布告を行っていてな、現在も生放送の真っ最中だ。アーリィ先生が呼んでいる、急いで戻れるか?』
「ああ、すぐに向かう……行くぞ、鈴!」
「ええ!」
こうして、私たちは光のある方へと並んで走っていったのであった。
これにて第三章は半分終了。後半は近いうちに投稿したいですね。
感想お待ちしております。ではまた!