鈴たちが臨海学校から帰ってきて一週間後。
無事夏休みに突入した私たちは、無事イベント会場となるフランスのオルレアンへとその足を踏み入れた。
今年でISがこの世に産み落とされて十周年となるため、歴代最大と大々的に宣伝されているイベントである。会場には三つものアリーナが新造され、学園の代表生徒は模範演武を披露することとなっている。
到着したその日から三日、時差ボケも直さずにリハーサルに明け暮れた。
想像していたよりも遥かにハードなものが待ち構えていたので、とても「楽しい旅行」なんて感想は今のところは抱けそうもない。正直ちょっと鈴を恨んでいるのはここだけの話だ。
そして現在。私たちはそのうち一番東側にあるアリーナでの披露を終え、更衣室で着替えている真っ最中だ。
「はぁ~よかった、今回は襲撃な……むぐっ!」
「(鈴さん、ナギさんの前でそういう話は禁止って決めたでしょう!)」
ため息をついてすぐに失言しかかった鈴の口を、間髪入れずにセシリアが塞ぐ。
今回のイベントの募集人数は五人。私たちは全員合わせても四人。もう一人は事件ともあの男とも無関係であった。
鏡ナギ。
私たちとおなじく一組所属で、長い黒髪に赤いヘアピンがトレードマークの美少女だ。彼女はクラスのムードメーカーではあっても、代表候補生でも専用機持ちでもない。正真正銘の一般生徒である。
そんな鏡さんの前で事件の話をするのは憚られる。前日に四人で集まってそう決めたというのに鈴と来たら……!
「ごめんごめん、ついうっかり、ね? でもまぁ、たぶん聞こえてないわよ」
「まったく、そういう気の緩みが戦場で命取りになるというのに……」
鈴のいい加減な言葉にラウラが釘を刺す。相変わらずすぐに戦闘関係に言葉が及ぶという部分は治っていないのは何となく気になったが、今回ばかりはラウラの言うことに同意する。なにせ鈴との付き合いは長いだけに、あいつのそういう点は誰よりも一番よく知っているのだから。ついうっかり、の一言で姉さんや周りに知られたくない秘密をばらされたことは一度や二度ではない。
二人だけの秘密にしてくれといった昨日の今日で、体重が増えたことをペラペラ話し出したときは一週間は口を利かなかったけか……。
「襲撃って……学年別トーナメントのあれが特別だっただけでしょ? みんな心配しすぎだって!」
鏡さんの言葉を耳にして、とりあえずは安堵する。
確かに私たち三人以外にとって、襲撃とはあの一件だけなのだ。それならば鏡さんの言う通りの認識でも不思議ではない。
まぁ……それに、ないことに越したことはないんだしな。
何かありそうという直感だけでここに来たとはいえ、あまり戦闘にはなってほしくはない。まして一方的に奇襲されるというのは最悪だ。できれば穏便に真相に迫りたいのだが……。
「ところで、この後自由時間だけどさ。みんなはどうするの?」
「私はデュノア社のブースに行ってみようと思っているが」
「あ~。例の新型ね。アーリィ先生の言ってた。私も行ってもいい?」
「…………ああ、もちろんだ」
事件に巻き込まれるのではないか? と思って少し悩んだものの、鏡さんの右手に巻かれた紐を見て首肯する。それは今回のイベント期間だけ、彼女用にパーソナライズされた打鉄の待機形態だった。
専用機持ちと模範演武を行うために最低限の性能向上に加え、万が一のことを考えての措置だとアーリィ先生から聞かされていた。
まぁとにかく、これさえあれば最悪何かが起こっても逃げ切れる可能性は高い。ここで断るのも不自然だし、発表までに会場に着けないほうがいやだ。
「新型、かぁ……何かの間違いで私の専用機になったりしないかなぁ」
「……ぶふっ!」
五人でアリーナを出てデュノア社のブースへと歩いていると、鏡さんがポツリとそんなことを呟く。その物言いがちょっと前の誰かさんに酷似していたため、失礼ながら聞いた途端に噴き出すのをこらえられなかった。
「な、なにいきなり……私そんな変なこと言った?」
「い、いや……すまない、そういうわけじゃないんだ。ただ、鈴も春休みには似たようなことを言ってたなって思いだして……」
「ちょっと箒、勝手なこと言わないでよ! そんなこと一言も言ってなかったじゃない!」
鈴の、私と鏡さんの会話に割り込む形の抗議。一言もかはともかく、あまり口には出していなかった記憶もあるが……。
「ですが鈴さん、口には出さずともオーラが滲み出ていましたわよ?」
鈴の言葉の後に間髪入れずセシリアが割り込み、春休み当時のことを口にする。やっぱり私だけじゃなく、セシリアも感じていたようだな。まぁ、あれだけわかりやすく顔に出ていたら当然だが。
「……それで鈴の奴、専用機持ちのマニュアルの分厚さに半泣きになってたな。春休みが終わるまでに覚えきれない、助けて箒って」
「あんなに無駄に分厚いのがいけないのよ! 電話帳じゃあるまいし。……あんたも、軽々しく専用機ほしいなんて思わな…………きゃっ!」
その後も女五人で仲良く会話に興じながら移動していると、先頭を歩いていた鈴が前を歩いていた人と衝突し、思いっきり転んでしまう。
まったく、前方不注意だからこんな事になる……の……だ…………!?
「大丈夫?」
「あ、はい。大丈……夫です…………」
鈴とぶつかった少女を見た途端、時間が止まったかのような感覚さえ覚えてしまう。
可憐。
一言で言ってしまえばそんな言葉が似合いそうな、金髪の少女。どことなく中性的な印象を抱かざるを得ず、もし男装したならば絶世の美少年に化けることすら可能に違いない。
もっとも、私にとってそんなことは微塵の価値もなかった。
私にとっての、一番の問題。
それはセシリアやラウラに会ったときに感じた、奇怪なまでの既視感が目の前の少女からも漂っていたことだ。
しかも、今までの何倍――いや、何十倍も強烈なものが。あまりの凄まじさに、思わず意識を失ってしまいそうになるほどだ。
やはりこの既視感も、何かのヒントなのか?
しかも気のせいだろうか。向こうもこっちを凝視しているように感じる。
立ち上がってすぐに私を見たまま、石像にでもなったかのように微動だにしない。
まさかこの女も、同じような「何か」を私に感じているのか……?
警戒心と恐怖心が心の中を支配し、震える右腕をゆっくりと懐への打鉄へと移動させていく。
「どうしたのあんた、それに箒も」
「お知り合い……なのです?」
しかし、そんな一触即発の雰囲気は鈴とセシリアの心配そうな声によって霧散してしまった。少女は二人の言葉を聞くと微笑みを浮かべてから口を開く。
「いえ、篠ノ之箒さんにまさかこんなところでお会いできるなんて思っていなかったので……」
「私を知っているのか!?」
思わず驚きとともに発してしまう。私の名前を知っている、もうこれはかなり怪しいといっても過言ではないのではなかろうか。
しかし私の言葉は、ラウラと鈴の笑い声によって迎えられてしまう。
「箒、お前は日本代表候補生だろう」
「それにあんたは束さんの妹でしょうが。普通の代表候補生より知名度は高いんじゃない?」
「ぐぅっ……!」
た、確かに言われてみればその通りだ。ちょっとISに関して聞き齧っていれば、篠ノ之箒という名を知っていても何ら不思議ではない。こんな事だけで短絡的に決めつけにかかっていた自分が恥ずかしくなってくる。
「ま、まぁとにかく、だ。私のことを知っていてくれているのは嬉しいな。ところで君は?」
「私……ですか? イザベル・デュノアっていいます。家もすぐ近くにあって、その……」
「ISに興味があったからここに来た、と。ところでデュノアといえば……」
「デュノア」という名字が気になって聞いてみたが、イザベルと名乗る少女は軽く笑ってから首を横に振った。
「時々聞かれますけど、あの企業とは何の関係もないですよ。というかデュノアなんて、ここら辺だとありふれた苗字ですし……」
「そ、そうだったのか……すまない、無知で」
「いえいえ。それでは、
最後にぺこりと礼をしてからイザベルは背を向け、ゆっくりと私たちの一団から離れていく。そんな彼女の姿を、私は半ば呆然としながら見送っていた。
僕、だと……?
確かにイザベルは最後、そう口にした。
その前に一度「私」という一人称を使っていたにもかかわらず、だ。
些細な事と言われればそうかもしれない。だが、なぜかその言葉を聞いた途端に再び強烈なまでの警告が頭の中を支配してしまっていた。
彼女を追うべきか……? だが、デュノアの新型も気になる……。
「何してんのよ箒! ぼさっとしてると置いてくわよ」
「うぇっ…………あ、あぁ悪い。今行く!」
鈴に呼ばれて意識を戻した後、横目で辺りを再度確認しつつ返答をする。
さらっと見た感じだと、イザベルの姿は人ごみに紛れて確認することができない。これでは追うことなどほぼ不可能だ。皆との約束を反故にして単独行動を選ぶのは気が引けたため、こっそり安堵の息をつく。
そうしてから、私はみんなと並んで移動を再開するのであった。
◆◆◆
イザベルと別れて、数分後。
私たち五人は会場中央に近い場所にある、デュノア社のブースへたどり着いた。
新型の発表と目されるステージの開幕まであと数分ということもあって、すでに会場前には黒山の人だかりができている。
「うっへぇ……すっごい人だかりね」
「あのデュノアだからな。とはいえ想像以上なのは確かだが」
鈴とラウラがそんなやり取りをしているのを耳に入れながら、数十メートル先にあるステージの上を眺める。
白い壇上にはまだ何も置かれておらず、ちょうど一人の少女が舞台袖からゆっくりと壇上に現れるのがはっきりと見えた……のだが。
「イザベル……?」
思わず、小さな呟きとなってその名が漏れる。壇上に現れた金髪の少女の顔は、ついさっき私たちが出会った存在と全く同じ顔をしていたのだ。
だが、雰囲気はまるで違う。イザベルは太陽を思わせる明るい雰囲気を纏っていたのに対して、壇上の少女が纏うのは漆黒という言葉が似合いそうな冷たいオーラ。まるっきり正反対である。
そのせいもあって、二人がイコールとは到底思えなかった。
「どういう、ことだ……?」
「私にもわからん。とりあえず今は黙ってみているしかあるまい」
確かに、ラウラの言う通りだった。今すぐに行動を起こして変わるものでは断じてない。現在は警戒を怠らず、大人しく出方を窺うしか選択肢はなかった。万一のために懐から
そうしてから、顔を上げた。その時だった。
「篠ノ之、箒…………?」
いつの間にか舞台の中央に立っていた少女の、私の名を呼ぶ声。それがマイクによって最後尾にまで届いてきた。
彼女の視線はこっちに向かって真っすぐ伸びており、その顔には「唖然」という言葉そのものといってもいい表情が浮かんでいた。
「……フフ。私ってやっぱり持ってるのかしら。探す手間が省けたってものよね♪」
ほんの少しだけ続いた、沈黙の後。
少女はにわかに口角を吊り上げると、腰に下げていた剣を鞘から勢いよく抜く。そして彼女が刀身を天に掲げた途端、眩いばかりの光が周囲を包み込んだ。
「これがデュノアの、新型……」
思わず、放心したまま口にする。
それは既存のどの機体よりも小型化された手足を持ち、非固定部位も中型のスラスターユニットが左右一対ずつと極めて単純な構造をしたIS。ところどころ赤と銀色の装飾が施されており、さながら騎士の甲冑のようですらあった。
「さて、始めるわよ…………あの悪夢の続きを、ね!」
「悪夢…………だと!?」
私の言葉をよそに、少女は旗のような形状の武装を呼出。そしてそれを思い切り床に叩きつける。轟音が鳴り響き、ステージは一気に黒い炎に包まれる。
そして空から、見たこともない不気味な形状をしたISが三機も舞い降りた。
そのことから察するに、新型の無人機に相違あるまい。
「当たってしまった、か……! 打鉄っ!」
真相を知りたいとは心の底から願っていたが、そんな願望は瞬時に頭から吹き飛ぶ。今はこの場を速攻で鎮圧するのが先決!
私が、鈴が、セシリアが、ラウラが。同時にそれぞれの待機形態に思念を送り、専用機を次々と身に纏っていく。
「行くぞ、皆!」
私は掛け声を発するとともに刀を急速呼出し、目の前の邪悪なIS達に向けて瞬時加速で迫っていった……。