入学
漆黒のISを纏う、銀髪の少女――ラウラ・ボーデヴィッヒの姿が、直下で燃え盛る炎によって照らし出された。
「貴様……一体何者だっ……!」
ラウラは鼻腔をイヤと言うほど刺激する焦げ臭い匂いに顔をしかめつつ、オッドアイの双眸で「白い翼を生やした男」をひたすら睨み据える。
一方の男は、そんな彼女を無感情に見下ろす。腕組みを崩そうともしていないあたり、彼は明らかにラウラの力を見くびっている。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
怒りの咆哮とともに少女は勢いよくスラスターを全力噴射。愛機の手にプラズマ手刀を展開し、高速で接近する。
目の前の奴が
ただ、目の前の男を殺せればそれでいい――!
「終わりだぁっ!」
叫び声と同時に男の喉首めがけ、ありったけの憎悪でもってプラズマ手刀を振り下ろす。
それは満身創痍のラウラにとって、最後の力を振り絞った渾身の一撃。
――だが、腕組みを解いた男は高速で武装を展開。呼び出した光の剣で、あっさりとラウラの攻撃をいなしてしまう。
「…………」
無言のまま、間髪入れずに男はカウンターとして剣でラウラを斬ると続けざまに回し蹴りを放つ。吹き飛ばされたラウラは地面へと強かに打ち付けられ、身に纏う漆黒のISの展開を解除させられる。
決着が、ついた瞬間だった。もはやラウラに残された選択肢はない。
――あとはせいぜい、首を刎ねられるのが関の山か。
顔を上げたラウラの視界に見えたのは、気だるげに近づいてきた男の姿。やがて間合いに入ると、彼は両手持ちにした剣を頭上に振り上げる――だが、いつまで経っても剣は振り下ろされない。
観念して目を瞑っていた少女がゆっくりと瞼を開く。すると、そこには何故か剣を量子格納する男の姿があった。
「……ちっ」
彼は舌打ちとともに少女を一瞥。そのまま背を向けて白い翼を最大限に広げ、どこかへと飛び去っていった……。
◆◆◆
「待て、逃げるなっ!!」
静寂の支配する真っ暗闇の中で、少女――ラウラの絶叫が響き渡った。彼女は目を開けると同時に上体をベッドから起こし、続いて辺りを見渡す。そこはさっきまでの瓦礫の中ではなく、
「夢、か……」
意識をにわかに完全な状態まで覚醒させたラウラはそう胸中で断じてから、すっと足をベッドの外へと伸ばす。身体には黒と赤で彩られたレッグバンドを除いて何も纏ってはいないため、白い肌にいくつも浮かんでいる大粒の汗がフローリングへと零れ落ちていった。
「……喉が渇いたな」
ラウラは一人そう言うと、ベッドのすぐ脇に置いてあったミネラルウォーターのボトルを少し荒っぽい手つきで掴む。
あの日以来ラウラはよく悪夢を見るようになったため、汗だくになって起きることが増えた。寝床のすぐ脇に水を置くのはもはや欠かせない。
「雪片……」
500ミリリットルのボトルを一気に半分以上飲み干したラウラは、言葉を紡ぎつつ窓際のソファに腰掛ける。それはあの日、彼女を斬ろうとした刀――
(ブリュンヒルデの祖国、日本……。何か手がかりがつかめると、いいのだが)
正面の窓から見える景色を眺めつつ、ラウラはぼんやりと考えを巡らせる。あんな悪夢を見た後というだけあって、二度寝する気にはなれなかった。
眼前には夜中でも煌々と明かりの灯されている空港と、天高く輝く月くらいしか見えるものはない。
「あの日と同じ三日月、か」
コップを傾けつつ、ラウラはそっと口にする。
こんな日にあの日と同じ月の形で、しかもあの夢を見てしまう。
そのことにラウラは、どこか運命じみたものを感じずにはいられなかった。
「まぁ、明日になれば何か分かるか……あの女と、顔を合わせられるのだから」
そう口にしてから、ラウラは残りの水を一気に飲み干すと、部屋の隅に掛けてあった真新しい制服を一瞥する。それは本国の命令で送り込まれた、明日から通うことになる学園の制服であった。
学園にはラウラと同じく、あの男と顔を合わせたことのある少女も入学する予定となっていた。
恐らく何か、聞きだせるはずだ。
本来の目的とは違うものの、彼女の中ではそれが主な目的となっている。
「待っていろ……必ず手がかりを、つかんでみせる」
ラウラは学園のある方角に視線を向けると、鋼鉄のごとき決意を感じさせる声音で口にした……。
◆◆◆
春休みに起こった一連の事件。その最後を飾ったサイレント・ゼフィルスの襲撃から、早くも二週間。ついに私たちは、晴れてIS学園に入学することになった。
入学式を終えた私たちは現在、三人で割り当てられたクラスへと向かっていた。
幸いなことに、私たちは全員一組である。幸先のいいスタートを切れて心も踊る。なにせ春休みは散々だったからな……。
「晴れてよかったわね、箒」
私の席――窓際の最前列である――の近くに立っていた鈴が窓の外に視線を向けると、爽やかな声音で言う。確かに二日続いた雨は止んで、雲一つない快晴が広がっていた。絶好の入学式日和だといえるだろう。
「嵐の前の静けさでないと、いいんだがな」
「箒さん、嵐って……。こんな学校の中で、そんな大事件が起こるとはとても思えませんが」
やはり私の席に集合していたセシリアから指摘が入る。
確かにIS保有数は世界最大規模であり、戦闘力に関しては他に類を見ない施設だ。そんな簡単に事が起こるとはとても思えない。だが、過信は禁物だとも思えてならないのだ……。
「まぁまぁセシリア。
そんな私の心配をよそに、鈴が軽口を飛ばす。この二人がイギリスで出会ってからまだ一ヶ月足らずだが、こんなやり取りが出来る程度には仲は良くなっていた。
元々誰とでも打ち解けやすい性格の鈴だったが、ここまで近しい距離になった相手はいなかったんじゃないだろうか? 下手したら私より早く、しかも深く仲が進展しているのかもしれない。
そんなことについて考えを巡らせていると、ついついちょっとした嫉妬を覚えてしまう。
「どったの、箒」
「別に、なんでもない……ところでお前らの制服、凄い改造っぷりだな」
あまりこの話を続ける気にもならなかったので、少しだけ不適な笑みを浮かべてから二人を同時に眺める。
IS学園は年頃の女子に配慮して、制服のカスタムを認めている――もっとも大半の生徒はスカートの長さを調節するくらいが精々だ――のだが、目の前にいる二人はそうではなかった。
セシリアはロングスカートに加えて裾と袖に黒いフリルを追加しており、鈴は大胆に肩と腋が露出するような切れ込みを入れている。
「え、これくらい普通じゃない?」
「鈴さん……流石に普通じゃないって自覚くらいは持った方が……」
「これでも地味にした方なのよね~、最初はノースリーブにする予定だったんだし。ところで箒、あんたは改造しなくて良かったの?」
「いい。制服な以上、本来は改造可というのがおかしい話なんだしな……」
そうは言ったものの、私だって制服の改造には興味はあったりする。
だがどう改造するか思いつかず、結局ノーマルのままにしてしまったのだ。こんなこと恥ずかしくて、鈴やセシリアには言えたものじゃない。
「ほかに大幅な改造している方は……やっぱり、いらっしゃらないのかしらね?」
「他のクラスや上級生にはいるんじゃない? こんど探してみようかしら……って、凄いカスタマイズね、あの子」
鈴がちょうど教室に入ってきたばかりの少女に視線を移すと、私たちもつられてそちらを向く。視線に気付いたのか、向こうもこっちを一瞥している。
ズボン状に改造した制服を着た、腰まで伸ばした銀髪をした少女。
これだけでもいやというほど目を惹くというのに、片側の瞳を眼帯で隠している。浮世離れしていたその風貌は、まるで物語の世界からそのまま飛び出てきたかのようだ。
だが、私が注目したのは容姿ではなかった。
「どこかで、会ったような……」
「えっ、今の銀髪の子と?」
無意識のうちに声に出ており、鈴が小声で反応する。
実際には、初対面なのは間違いない。だが、どうしてもそう思えてならないのだ。
「だとしたら、どこかの代表候補生の方かしら……でも、あのような方はお見かけしたことはありませんわね」
「私もあんな見た目の奴とは試合をしたことはない。だから、引っかかっている」
セシリアのつぶやきに、私も声を続ける。私やセシリアのようなIS保有国の代表候補生――しかも専用機持ちともなると、数多くの練習試合を経験している。加えて、学園に送り込まれる代表候補生はテストパイロットや専用機持ちといった「次期国家代表の卵」がほとんどだ。だから、もし彼女が同年代の代表候補生ならば、どこかで一度は戦っているはずだ。
だが私はもちろん、セシリアも戦ったことがないという。
つまり、彼女は一般入学の生徒に違いない。
しかし、それなら「なぜ見たことのある奴だ」などと思ったのだろう……。
実は、過去にも二回だけ同じ経験をしたことがある。
一回目は代表候補生になった際、更識という同時期に就任した青髪の少女と出会ったとき。
そして……。
「箒さん、わたくしの顔になにかついてますか?」
「ああいや、なんでもないんだ」
そう、もう一回の経験。それは一年前にセシリアと初めて出会った時の事だった。
なぜか目を合わせた瞬間から初対面だとは全く思えず、それどころか腐れ縁みたいな感覚すら覚えたのだ。困惑した気持ちのまま握手したのを、今でも鮮明に憶えている。
既視感の度合いで言えば、更識のときや今回よりセシリアの時のほうがひどかったと断言できた。
「全員揃ってるナ? それじゃあホームルームを始めるサね。ほらそこ、突っ立ってないでさっさと席に着くのサ」
銀髪が席に着いてすぐ、教室に隻眼隻腕の女性――アーリィさんが入ってくる。
さすがにこの間のように目立つ赤い着物を着ておらず、同じ色のジャージを着ていた。格好から察するに実技担当なのだろう。
「私が諸君の担任を務めることになった『
教壇に立ち、マイペースに自己紹介を始めるアーリィさん。
もっとも、生徒の大半は唖然としたまま固まったままだった――まぁ、まさか世界第二位の操縦者が担任になるなんて、予想できるほうがおかしいのだが。
「じゃあ早速、自己紹介してもらおうかナ。そうだな……出席番号順でいいサね。それじゃ、お願いするのサ」
出席番号一番の相川清香さんが立ち上がり、自己紹介が開始される。もっとも女性にしか操縦できず、かつ数も限られているIS界隈は意外と狭い。それが同じ国の同じ年頃となるとなおさらだ。大抵どこかのイベントや実機の試乗、進学のための塾などで顔を合わせている。
したがって日本人の多い一組で、私の知らない顔は数人しかいなかった――もちろん、その中にはさっきの銀髪も含まれている。
「イギリス代表候補生のセシリア・オルコットです。気軽にセシリア、と呼んで頂いてかまいませんわ、どうぞよろしくお願いしますわね」
「篠ノ之箒だ。日本代表候補生で、専用機も持っている。姉は開発者の篠ノ之束だが、私個人はただのIS操縦者に過ぎない。みんな、よろしく頼む」
「凰鈴音よ、実家はモノレールの駅を降りてすぐの商店街にある中華料理屋なんだけど、そっちもよろしくねっ♪」
粛々と自己紹介は進んでいき、私たち三人もそれぞれの分を滞りなく済ませておく。
ちなみに鈴は専用機について紹介しなかったが、これは最初の実技の時間に説明を入れるらしく、それについては触れないようにと釘を刺されているからだ。
さて、何事もなく自己紹介はさらに進み、あの銀髪の少女が締めを飾る事となった。すっと立ち上がり、直立不動のまま凛とした声を彼女は発する。
「ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。この学校に来たのは新型機の試験運用のためだ」
――ドイツの代表候補、だと……!?
立つや否やいきなり銀髪――ラウラの放った単語に、思わず困惑してしまう。
ドイツと前に試合をした時は、確かアンナとかいう金髪の少女が向こうの代表候補生として戦ったはずだし、もちろん観客席や控えの選手にもこんな一度見たら忘れられない外見の奴はいなかった。
じゃあ一体、このラウラというのはどこから……?
「今年の二月まではIS特殊部隊『
「――ッ!」
ラウラの口から放たれた「IS特殊部隊」という言葉。それに思わず私は絶句する。
IS特殊部隊というのは読んで字のごとく、軍のIS部隊のことを指す。アラスカ条約との兼ね合いから、その役割は専ら国防にのみ向けられているエリート中のエリートだ。その隊長ともなると、奴――ラウラ自身が言った通り、並みのIS乗りなどとは比較にならない実力者ということになる。
そんな国防の要の一人が学園に来るなど異例中の異例。定石破りにもほどがあるといえた。
さらに言えば、特殊部隊の人間ならば何故、私たちとの試合に出さなかったのだろうか。
通常そういった部隊の人間はより多くの研鑽を積ませるべく、対外試合や合同演習に引っ張り出される。
現に私も自国他国を問わずIS特殊部隊の人間とは戦ってきたし、代表候補生出ない相手とも試合を組まされたこともある。
「以上だ」
私が悩んでいるうちに、ラウラは自己紹介を終えて席に着く。これで全員分が終了し、そのままアーリィさんは授業を開始する。
もっとも、私の頭の中には授業内容など入ってこなかったのだが。
◆◆◆
一日中悶々と悩んでいても、時間というものは勝手に過ぎ去っていくものである。私が気付いた時には、もう放課後だった。
「明日からは、こんな事にはならないようにしないとな……」
ぼんやりと黒板の方をみながら決意する。結局、今日の授業内容は一切頭の中に入ってきてはいなかった。
恐らく初回な以上は復習程度の内容だったのだろう。そのことは不幸中の幸いだったといえなくもない。とはいえ、一応あとで鈴からノートを借りるつもりではあるのだが。
「今日はこれからどうする?」
別に教室に長居する必要もないので立ち上がると、ちょうど鈴とセシリアがこっちの方へと向かってきた。
「他の生徒はどうするって言っていた?」
「訓練機の貸し出し申請を昼休みのうちに済ませた方はアリーナへ、その他の方は部活見学が大勢を占めているといった感じですわね」
「そうか……」
「箒はやっぱ、剣道部に入るの?」
「さぁ、まだ何も決めていないからな……」
中学の時は全国大会で優勝こそしたものの、結局代表候補生の仕事が忙しくて半ば幽霊部員だった――もっとも、学校そのものもかなりの頻度で休んでいたのだが。
この学園ならばそんな事にはならない可能性も高いが、どうするか……剣道は好きなのは間違いないが、今はいろいろと立て込んでいるわけだし……。
「まぁとにかく、一度わたくし達も見てまわりましょうか」
「そうだな」
そう言って三人で教室を出た、その時だった。
入口のすぐ近くの廊下に立っていた銀髪の少女の声が、突如私の耳朶を打つ。
「おい、篠ノ之箒。少しいいか?」
こうして私は、ラウラ・ボーデヴィッヒと初めて言葉を交わすこととなった。