ウチの部長様の方針は、『飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教える』だ。俺はなるべくそれに従ってきたし、これからもそうするつもりだった。
ただ、ここに雪ノ下はいない。ましてや騎士様は、俺に依頼したわけではない。だから、これは俺が勝手にするだけだ。『別に、倒してしまって構わんのだろう?』というやつだ。
「キリト、あの赤豚のソードスキルの正体について教えろ」
俺の問いに、キリトは俯いたまま答える。
「あれは《カタナ》のソードスキルだ。β時代にモンスターしか使えなかった、高位スキルだよ」
キリトはそう言って立ち上がると得物を抜き、暴れ回るコボルドロードに体を向ける。
「行くんだろ。勘違いだろうが、俺もディアベルに頼まれたんでな」
「勘違いじゃないさ。ありがとう、ハチマン」
礼を言われる筋合いはない。俺は俺がこの世界から脱出するために戦うだけだ。いつの間に来たのか、アスナも俺たちの隣に立つ。
「わたしも行く」
アスナは邪魔そうに、フードを脱ぎ捨てる。美しく長い栗色の髪と、整った顔が露わになる。初めて見たが、フードの中身に思わず一瞬見とれてしまった。あの光景がフラッシュバックするが、今はそれどころではない。
「分かった……頼む」
なんとも短いやり取りだが、俺たちはそれでいい。俺とアスナは抜剣し、キリトは先行してコボルドロードに突っ込んでいく。手順はさっきと同じってことか。
「う……おお!!」
コボルドロードのカタナとキリトの片手直剣がぶつかり、互いに激しくノックバックする。
「スイッチ!」
俺とアスナは同時に前に出る。相変わらず化け物染みたリニアーがコボルドロードに刺さる。しかしさすがはフロアボス、体力はコボルドとは比べ物にならない。俺のソードスキルも大したダメージにはなっていないだろう。
「次、来るぞ!」
キリトの掛け声で、俺たちは散開する。地道にこれを続けていくしかない。一発で大ダメージを与えられるような技を、俺たちはまだ会得していない。
地道な攻防が十五回ほど繰り返された時だった。上段から来るように見えたコボルドロードのカタナが、くるっと回って下からになる。恐らくはカタナのソードスキルの一つだ。
「しまっ……!!」
キリトはソードスキルをキャンセルして、必死に体を捻るもソードスキルを正面から受け、アスナを巻き込んで吹き飛ばされる。数メートル飛ばされ、衝撃のせいで立てずにいる。
そこへ、コボルドロードが追撃を入れる。くそっ、この位置からじゃ間に合わない!
「ぬっ……おおお!!」
ガキンッと、コボルドロードのスキルを相殺した。俺ではない。両手斧使いのエギルが、キリトとアスナを守ってくれた。
「あんたがPOT飲み終えるまでは俺たちが支える」
「……すまん、頼む」
エギルの言葉を合図に、他のプレイヤーたちが一斉にコボルドロードに向かっていく。俺はダメージを受けていないんだ、立ち止まる理由はない。
POTを飲んで、一時休憩に入るキリトを横目に、俺は再びコボルドロードに向かって走る。キリトが戻ってくるまでに、少しでも多くHPを削ってやる。
そして、幾度か攻防が繰り返されたころ、キリトが立ち上がる。
「全員、全力攻撃だ!囲んでいい!!」
うおおお!!と、もはや誰のものか分からない怒号が響き渡る。そんな中でも、あいつの声はよく聞こえる。
「アスナ、ハチマン!最後、一緒に頼む!!」
「「了解!」」
不覚にも、アスナと声が被ってしまった。こんな時なのに、笑えてしまう。
「行っ……けぇッ!!」
俺たち三人のソードスキルはコボルドロードを斬り裂き、コボルドの王はその姿を青いガラス片に変え、消えていった。
・ ・ ・
ボスの消滅とともに、取り巻きだったコボルドも消え去る。ああ、やっと終わったんだな。これで第一層をクリアできたんだ。
俺たち三人は、地面にへたり込んだまま、恐らく同じようなことを考えただろう。そこへ、両手斧使いのエギルがのしのしと歩いてくる。
「見事な剣技だった。コングラッチュレーション、この勝利はあんたのもんだ」
エギルがキリトに向けて、拳を差し出す。キリトは照れ臭そうに拳を合わせようとする。
「何でや!なんで、ディアベルはんを見殺しにしたんや!」
突然の叫び声。一斉に全員の視線が叫び声の元へ集まる。叫んだのはキバオウだ。キリトは意味が分からない、といった表情で聞き返す。
「見殺し……?」
「そうやろが!あんたは……ボスが使う技を知っとったんやろ!あんたが最初っからそれを教えとったら、ディアベルはんは死なずに済んだんやないか!!」
キバオウの悲痛な叫びに、周囲がどよめき始める。「そういえば……何で」「……攻略本にも載ってなかった」などと、疑問を次々と呟いていく。
くそっ、この流れはマズい。昨日、エギルによって収まったβテスターへの不満が、ここに来てまた高まってる。このままでは疑心暗鬼になって、先導できるβテスターを排除してしまう。情報を捨ててしまう。
戦ったのは今日一日だけだが、確信がある。βテスターは、キリトはSAOの攻略に必要な人材だ。実力もさることながら、情報や咄嗟の判断力も、俺の比じゃない。
考えろ。βテスターを守るために、何をすればいいか。ディアベルの依頼を遂行するために、何をすればいいか。キリトや鼠が吊るし上げをくらわないために、俺のすべきことを。βテスターでない俺の言葉では、重みが足りない。あと一手必要になる。
こいつらは間違っている。恐らく本人たちも、間違っていることに気付いているのだろう。けれど、それでもどうしようもない憤りを、行き場のない怒りをぶつけたくなる。その対象として選ばれたのが、βテスターだ。
大きく深呼吸をする。これは賭けの要素がかなり大きい。そして、失敗すればβテスターを更に危険に晒すことになる。成功したとしても、問題の解決にはならない。一時的に引き延ばすだけだ。あとは、キリトたち次第になる。
そしてどちらの場合でも、俺は生きて現実に戻ることはできなくなるかもしれない。生きて帰っても、雪ノ下や由比ヶ浜には罵られることになるな。……雪ノ下はいつものことか。
覚悟を決める。生きて小町の元へ帰るのが最重要事項だが、キリトたちがいなくなって、結局クリアできませんでは意味が無くなるのだ。よし。
「キリト、とりあえずPOT飲んどけ」
思いつめた表情で立ち上がろうとしたキリトの肩を押さえ、ポーションを手渡す。キリトはさっき以上に困惑している。
「は?いや、ハチマン。今はそれどころじゃ」
「いいから、飲め」
無理矢理、キリトのHPを回復させる。キリトは出鼻を挫かれ、戸惑っている。やるなら、今しかない。
「キバオウ、あんたの言う通りだな。βテスターたちはクズ野郎だ」
システムウィンドウを開き、装備している武器をデータに戻す。そして、短剣を装備しなおすと、振り向きざまに抜剣して。
「だったら、ここで殺しておこう」
キリトを斬った。
「なっ……!!」
俺のカーソルが、緑からオレンジへと変わる。犯罪を犯したプレイヤーという証拠だ。予想以上にキリトの反応速度が早く、短剣はキリトの肩を掠めただけだが、充分だ。
「ハチマン、何で……!」
肩を押さえ、混乱状態のキリト。周りのプレイヤー全員も、訳が分からず戸惑っている。
「何で、じゃないだろ。今回のボス戦、お前らβテスターが適当な情報を流すから、危うく全滅しかけたんだぞ?実際に一人死んでる。まあ、死んだのはクソβテスターのディアベルだったから良かったものの」
「な、なんやと!!」
ディアベルを侮辱され、キバオウだけでなく他のパーティーメンバーも怒りを露わにする。
「何を怒ってんだよ。ディアベルは明らかにβテスターだろ?最後の最後、お前らを下がらせて自分一人でラストアタックを狙いにいった。ボーナスを独り占めするためにな。そんなやつ、死んで当然だ」
「こっの……!!ディアベルはんはそこらのβテスターなんかとちゃう!ワイらのことをちゃんと考えて……!」
「お前の言葉を借りるなら、考えてなかったから二千人も死んだんだろ?」
「っ!!」
「だから、これ以上引っ掻き回されないように、βテスターはここで殺しておく必要がある」
キバオウから目線を外し、キリトに向き直る。裏切られたショックなのか、キリトは呆然と立ち尽くしている。ここからが賭けだ。
俺は、短剣をキリトに向け、心臓めがけて突き出す。
ガキン!と、俺の掴んでいた短剣が弾かれ、床に転がる。弾いたのは、レイピアを俺に向けたまま、キリトを庇うように立つアスナ。
「邪魔すんなよ。お前はβテスターじゃないだろ」
「わたしはβテスターじゃない。けど、キリトくんやディアベルさんも、βテスターの人たちも死んでいい理由はない。殺させはしない!」
構えを解かず、警戒を続けるアスナに思わず笑みがこぼれる。俺の予想では、エギルあたりが庇うかと思っていたが、これは予想以上にいけるかもしれない。
「どけ。そいつらは二千人ものビギナーを殺した、言わば大量殺人鬼だ。これ以上俺たちが犠牲にならないようにするには、βテスターを殺すしかない」
「貴方は間違ってる。この一ヶ月で身に染みたはずよ。自分の身一つを守るので精一杯だった。βテスターの人たちは、自分たちだけ強くなろうと思ったんじゃない。まず自分たちが強くなって、私たちを守れる力を付けてから、私たちを守るつもりだった!」
アスナの言葉は、キバオウたちにも届いただろうか。アスナのような考え方のプレイヤーが増えれば、βテスターは大丈夫だろう。それにしても、アスナは完璧に仕事をこなしてくれた。
「……愛してるぜ、アスナ」
「へっ!?な、なななにこんな時に急にふざけ……!」
思わず感謝の言葉が口から出てしまった。だが、そのお陰で隙ができた。素早く短剣を拾い、今度はアスナに斬りかかる。
「やめろ、ハチマン……!」
「…………」
今度はキリトに防がれ、鍔迫り合いになる。
「アスナは、傷つけさせないッ!」
「ふっ……」
俺は力を抜いて、鍔迫り合いの状態を脱する。キリトと色んな意味で怒ってるアスナ。そして他の全員が抜剣して、俺を包囲している。
「多勢に無勢だな。仕方ない、βテスターを殺すのは諦めよう。死んだ二千人に対して、助けてやれなかったのは俺たちビギナーも同じだ」
短剣を鞘に納め、堂々とキリトの横を通り第二層へと繋がる階段へ向かう。オレンジを攻撃しても、グリーンがオレンジになることはないが、攻撃すれば残り少ない俺のHPバーはすぐになくなるだろう。誰も、人殺しにまでなる勇気はあるはずがない。
……無防備に背中を見せてるんだけど、誰も麻痺毒とか持ってないよね?あれを使われたら、監獄エリアに一直線なんだけど。
すれ違いざまにキリトにだけ聞こえるよう、別れを告げる。攻略は任せた。
そして俺は第二層に一番乗りし、それ以降は街に入ることも叶わずずっと圏外や、フィールド内の安全圏で生活することになる。NPCめちゃくちゃ強いんだもん……。