就活とかね、研究とかね……色々あるんです現在進行形で……。
第2章はもう少し続くし、続きはいつになるのやら。
第四十八層が開放されてから三週間ほどが経過した。既に第四十八層は攻略され、四十九層が開放されている。最近の攻略ペースからするともう次の層が開放されていてもおかしくはなかったが、とある理由により攻略速度は少し落ちているらしい。
俺にはとんと縁のなかったイベント。冬の代名詞とも呼べる今や世界中で理由もなく祝われている日が近付いている。
鼠との待ち合わせで、指定された場所には大勢のカップルや仲の良い男グループがイルミネーションを見て騒いでいる。SAOの男女比は圧倒的に男性が多いため、リア充はそれほど多くは無いようだ。
「だーれダッ!」
ガバッと視界を何かで遮られる。こんな嫌がらせをしてくる人間は世界広しと言えど、あいつしかいないだろう。そもそもあの女に呼び出されてここにいるのだから、選択肢は一つしか無い。なんなら声を出していなくても当てられるまである。
「鼠……、離せ」
「おや、相変わらずつまんねー反応だナ。最近は前にも増していっそう連絡してこなくなったシ、もしかしてポチはおねーさんのことが嫌いなのかイ?」
「いや……、」
結構世話になっている手前、はっきり言うことが出来ず、言い淀む。それを是と受け取った鼠が、泣くふりをしながら耳元で囁く。
「ポチに嫌われてるなんて……今回の報酬が釣り上がりそうだナ」
「おい馬鹿待て止めろ。この間もぼったくってたじゃねぇか」
いくら階層が上がるとともに貰えるコルが増えるとはいえ、あの金額はどうかと思う。俺が鼠に支払った金でそろそろ家が買えるのではなかろうか。
不満の意を込めた視線を鼠に送っていると、鼠はカラカラと笑い始める。
「冗談だヨ、ポチ。それで、今回聞きたいことっていうのハ?」
ようやく鼠の手から解放され、視界が戻る。俺はニマニマとする鼠に指を三本立てて見せる。
「今日は三つ、聞きたいことがある」
・ ・ ・
鼠とのやり取りから数日後、四十六層にある簡素な宿屋。その一室で、俺はベッドに腰掛けてウインドウを操作する。普段使うことが殆どない機能を利用しているため、中々上手くいかず少し手間取っている。
だが、若さゆえの学習能力の高さなのか、十分も使っていれば自然とコツが掴めてくる。問題が無いか一通り確認すると、決定ボタンを押し、作業を終了する。
はー、肩凝る気がするな。ここは仮想現実なので、そういうことは一切無いのだが、慣れないことをしたせいだろう。疲労感が押し寄せてきたので、そのままベッドに倒れ込む。
仮想空間とは思えない気持ちよさに、思わず眠ってしまいそうになるが、そういうわけにもいかない。今日は十二月二十四日、クリスマスイヴだ。
SAOに閉じ込められてから、二回目のクリスマスイヴ。最近流れ始めた噂に、今日限定でイベントボスが現れる、というものがあった。去年は特になかったはずだが、確か去年の今頃はまだ5層をクリアしていなかったはずだ。つまり、イベント自体はあったが、攻略度が足りていなかったために誰もイベントに気が付かなかった、という可能性もある。
考えていると、ピコン!と機会音が流れる。俺は再びウインドウを確認し、起き上がる。
俺はポーチから転移結晶を取り出すと第三十五層に移動し、目的地へ向けて走り出す。全力で走り続けて十分ほど経過しただろうか。目的の場所に辿り着く。
そこでは逆立った赤い髪の侍が刀を構え、銀色の甲冑に身を包んだ兵士たちと睨み合っている。侍の後ろではその仲間たちが同様に構えているのが見えた。
予想通りの展開になっている。俺は彼らの睨み合いを仲裁するため一歩前に出て、言葉を発そうとするがその前に赤髪の侍が俺を見つける。
「お、おおハチマン!やーっと来やがったかコノヤロー!」
「ああ、悪かったな、クライン。面倒なこと押し付けて」
赤髪の侍こと、ギルド『風林火山』のリーダー、クラインが安堵ゆえか少し涙目で俺を見る。俺が鼠を介したメッセージのせいでプレイヤー同士で戦わなければならないところだったのだ。ならあんな情けない顔をしても責められはしない、と思う。
「ハチマン……まさか、オリジンが本当に……?」
「団長の誘いを度々断っている元オレンジか……」
甲冑の兵士たちがぼそぼそと呟く。このお揃いのフルプレートアーマー。これはギルド『聖竜連合』の一部隊だ。
最近聖竜連合が犯罪行為、つまりオレンジになることも厭わずかなり悪どい手を使って狩場の独占や、アイテムの強奪などを行なっているという噂があった。
ならば今回のイベント、その報酬アイテムを独占するために何か行動を起こすだろうと踏んでいた。まあ、殆どは鼠に聞かされた話なのだが。
そこで俺は鼠から三つ情報を買った。『黒猫団の動向』、『黒猫団またはキリトの動向を調べにきたプレイヤー』、最後に『クラインと鼠を介して連絡する方法』だ。
最後の一つは情報というよりはお願いだが、大量のコルと引き換えに快く引き受けてくれた。
こうして俺は『キリトたちをストーキングしたクライン』と連絡を取り、さらに『クラインをつけた聖竜連合』と相対することになっている。
クラインはまさか自身がつけられているとは夢にも思っていなかったのだろう。だからこそ、さっきは情けない顔をしていたのだ。
「オリジンくん、君もあのアイテム狙いか?」
聖竜連合……DDAの隊長なのだろう。隊の中で最も装備の充溢した人物が俺に話しかけてくる。
「そっちも『蘇生アイテム』狙い……ってことで良いんすよね?」
そう、今回のクリスマスイベント。その報酬はプレイヤーを蘇生させることができるアイテムだと囁かれている。しかしこれはイベントが発生する当日になっても未だ噂の領域を出ない。
フラグ回収によるMobからの情報が全く足りていないのだ。あの鼠ですら確証を持てていない。そんな中でどうやって知り得たのか、ボスの出現場所を知ったのはキリトたち月夜の黒猫団のみ。
だからこそクラインはキリトたちをつけ、そこをDDAにつけられたのだ。
「ならばハチマンくん、やはり君はDDAに入るべきだ。目的が同じならば、共に手に入れて分かち合うのが一番だと思うんだが」
隊長の人はこの局面でも俺を勧誘してくる。だが、俺の答えはとうの昔に決まっている。
「リンドさんにも何度も言いましたが、お断りします。それに俺は蘇生アイテムなんて欲しくはないんで」
「……何だと?」
怪訝そうな表情を浮かべる隊長。それだけでなくDDAのメンバーや、風林火山の人たちも眉を潜めている。
「では何故ここに来ている?黒猫団と組んでいるのかとも思ったが……」
「俺は蘇生アイテムなんて信じてない」
簡潔に答える。動揺がさらに広がっていく。
「アンタたちも気づいているんでしょう?このデスゲームは、死だけが本物のクソゲー。俺たちが一年以上ナーヴギアを外せないのは、外せば本当に死んでしまうからだ」
そう、全員が考えた。もしかしたらこのゲームで死んでも、現実世界では目が覚めるのかもしれない。目が覚めずとも、クリアまで意識が戻らないだけかもしれない。
そんな淡い希望を抱いた時期があった。
しかしそうであるならば、今俺たちがここにいることと矛盾する。ナーヴギアから電磁パルスが発生しないのであれば、無理矢理取り外してしまえばいい。それで全員が目覚めてめでたしめでたしとなる。
そうなっていないのは、死が事実だからだ。『はじまりの街』のチュートリアルで姿を消した二百十三人が、確かに現実世界で死んでしまったからなのだ。
そして、脳をマイクロウェーブで焼き切られた人間を蘇生させる方法など、世界のどこにも存在しない。
彼女は確かにここで死に、現実世界で脳を焼かれ、もうとっくの昔にナーヴギアを外されて、その肉体はもう現実世界にすら存在しなくなっているはずだ。
「それでも俺がアンタたちを阻むのは、俺なんかよりよっぽどこの世界に詳しい奴が、俺なんかと違って諦めず、一パーセントにも満たない可能性に賭けて戦っているからですよ」
そこで一度言葉を切り、背負った身の丈程の剣の柄に手をかける。
「……だから、邪魔をしないでくれ」
DDAのメンバーにかなりのどよめきが起きる。こいつらは攻略組の一部隊。ならば俺が無敵の剣士ヒースクリフと引き分けたユニークスキル持ちだと伝わっているはず。
「落ち着け!」
隊長の声がシンとした雪景色に響く。
「ここは退こう。君が相手となれば引き退っても文句は言われない」
「退却ー!」
隊長の意思を大声で伝える副官のようなプレイヤー。思ったよりあっさり退いたことに少し驚いた。最悪の場合乱戦も覚悟をしていた。その時には暗黒剣スキルは使わず、両手剣スキルのみでなんとかするつもりだったが。
「ハチマン、お前ェ……」
剣から手を離し、脱力しているとクラインが泣きそうな表情で名前を呼んでくる。何だ、と答えようとして気づく。キリトと黒猫団の皆がエリアを移動してきた。
「ハチマン……やっぱり来てたのか」
疲れ切った表情のキリトが小さく溢す。俺は今回黒猫団の情報を買った時、それを鼠に口止めしていない。黒猫団が自分たちの情報を買った人物、という情報を買えば安価で俺の名前は手に入る。だから、この行動を予測されても不思議はない。
「いや、偶然通りかかっただけだ」
茶番と分かっているが、俺は惚けてこの場を去ろうとキリトたちに背を向ける。
「ハチマン」
もう一度、キリトに名前を呼ばれる。振り向くと何かが飛んでくる。それを反射的に掴んだ。
「これは……」
「すまない、ハチマン……」
謝罪だけすると、キリトたちは俺に背を向けて去っていく。クラインがキリトの肩を優しく叩き、黒猫団のメンバーは少しだが肩を震わせる。
ああ、やはりそうだったのか。いや、分かりきっていたことだった。意味のない行動だと理解しながら、俺はキリトに渡されたアイテムの詳細を開く。
それは確かに蘇生アイテムだった。
だが、蘇生することができるのは死んでから十秒以内のプレイヤーのみ。恐らくはナーヴギアが脳を焼くまでの猶予が十秒なのだろう。
やはり彼女をこの世に呼び戻すことなど不可能だったのだ。
力が抜け、その場に座り込む。寒さのせいか、それとももしかしたらナーヴギアとの接続不良でも起こしているのか、頭が全く働かない。
なにも考えることができない。ただただ虚脱感と虚無感のみが頭と体を支配しているような、そんな感じだった。
わかっていた。わかりきっていたことなのに、サチが生き返らないことにショックを受けているのだ。
DDAのプレイヤーたちを偉そうに諭しておいて、一番期待していたのは俺だったのだ。だからこの場所に来た。
俺はこれからなにをすれば良いのだろうか。
うまく働いてくれない頭で、これからのことを考えていたとき、ふと後ろから暖かいものに頭を包まれる。
「……ポチ」
声と口調で鼠だと判断する。鼠は後ろから俺の首に腕を回して抱きしめているらしい。その腕にさらに力が入る。
「ポチ、もういいんダ……」
なにがいいのか皆目見当がつかない。尋ねるべきかとも思ったが、それを口に出すことすら面倒だ。
一応女の子に抱きしめられているという事実にもなんの感情も浮かんでこず、ただぼーっとその状況に甘んじている。
「もう、泣いていいんダ」
「っ……!」
ふわふわとした夢見心地から、一気に現実に引きずり戻される。
思考がクリアになり、正常な働きを取り戻した脳で、はっきりとサチが蘇らないという事実を認識してしまう。
途端に目の奥が熱くなり、クリアになった思考に反するように、視界がどんどんぼやけていく。
「サ……チ……」
喉が震えるのは寒さのせいではない。
「サチっ……!」
頬を伝うのは溶けた雪ではない。
「サチ……サチ……っ!」
この心の痛みは、偽物ではない。
「生きよウ、ハチマン。それがサッチーの最後の願いだったんだカラ」
鼠の言葉で、頭の中に彼女の声が反芻される。
『死なないでください』
それは確かに彼女の言葉で、本当の彼女の想いで、本物の彼女の心だった。
顔を上げれば満天の星空も、舞い降りる純白の雪も、何もかもがぐちゃぐちゃになって見えた。