本格的な冬が訪れてきたこの頃。このSAOにも、冬は来る。正式サービスの開始が一年と一月ほど前なため、冬が来るのは二度目だ。
アインクラッドは大寒波に見舞われ、特定の層を除いてほとんどの層に雪が降り積もっていた。ふわふわと雪が天から舞い降りてくる光景は、なかなか乙なものである。……これだけ積もるとちょっぴりワクワクしてしまうから困る。
しかし仮の体であるアバターでも寒さは感じてしまう。別に寒さを無視したからといって、風邪をひいたり凍死したりするわけではないと思うが、精神的にキツいものがある。
俺は寒さに負けて買ってしまったマフラーを口元に引き上げる。このマフラーは装備品というよりは、装飾品だ。ステータスに関与しない分、筋力パラメーターに負担がほとんどかからない。ゆえにボス攻略の場で身に付けていようと、さほど問題はない。
第四十六層フロアボス《スノーラビット・イン・ワンダーランド》の攻略の最中、そんなことを考えていた。
真っ白な体に紅い目。後ろ足のみで立ち、スーツを纏ったそれは絵本に出てくるあれと一致する。しかし白ウサギと違うのは、こっちのウサギは巨大なメイスを携えている、という点だろう。
顔もリアルに作り込まれ過ぎていて気持ち悪いが、絵本の絵もこんな感じだったような気がする。
俺は血盟騎士団、聖竜連合、その他小さなギルドの混成部隊が雪ウサギと対峙するのを横目に、今日も取り巻きを掃討する。
「寒っ……」
不意に来た冷たい風に体を震わせる。この寒い時期に、よりにもよってボスは雪ウサギ。迷宮区内は雪は降らないが、気温は外と変わらない。それどころか、日光が当たっていない分余計に寒く感じる。
ソードスキル《ブラスト》。わらわらと集まってくる取り巻きのモンスターを、二連撃ソードスキルで全体的に削る。四体のモンスのHPが二割まで減少し、俺はソードスキルを使わずにその残りを削り切る。
mobが四体とも消え、リポップまで時間ができる。俺は一息つくと、ボスとの戦いに目を向ける。戦いが始まる前に言われたヒースクリフの言葉を思い出す。
『君ばかりが見せるのは些か不公平だ。先日のお礼に、今日は私が披露しよう』
薄い笑みを顔に貼り付けたまま、ヒースクリフはそれだけ言って去っていった。先日、というのはどう考えても前回のボス攻略でのデュエルのことだろう。俺の反則技に対し、ヒースクリフも反則的な反応速度で引き分けた決闘。ちなみに、世間的には俺が逃げて決闘は行われなかった、という結論に至ったらしい。
あの技を使用する際にはヒースクリフからは見えないように隠したつもりだったが、やはりもう暴かれていたのか?あれは攻撃力が高すぎて、本来ならデュエルで使っていいものではないが、ヒースクリフはタンク型で防御、体力ともに高い。
だからクリティカルさえ出なければ七割削る程度で済むと考えて使用したが、考えが浅かったか。……いや、初見で躱したあの男が規格外すぎる。多分野生の勘とかいうやつだ。
これがバスケのゲームだったら、《天帝の目》とかめっちゃ使ってきそう。むしろゲームじゃなくても使ってきそう。……なら、僕は影だ。
影が濃いほど、光はその輝きを増す。つまり影が薄い俺では光を際立たせることはできない。QED証明終了。……パスするどころか、パスをもらえないまである。そもそもぼっちの俺には相棒がいない。
「っと」
馬鹿なことを考えている間にリポップしたmobを、ソードスキルで両断する。素早いタイプのモンスではないので、当てるのは容易い。
残りのmobたちは、俺ではなく他のプレイヤーにタゲを取ったようだ。集まりすぎて困っている様子はないし、放っておいて構わないだろう。
俺はまたボスを相手取っているパーティーたちに目を向ける。ヒースクリフのあの言葉が、どうにも気になってしまう。
雪ウサギはその短い腕で器用に杖、恐らくは片手棍に分類されるであろう武器を振り回している。タゲを取っているのはやはりというか、ヒースクリフだ。
そしてそれは唐突に、しかし静かに起こった。
雪ウサギがソードスキルの構えを取ると、ヒースクリフは俺が見ているのを確認するように視線だけを一瞬向けてくる。
そして元々強大な膂力に、システム的にアシストされた片手棍が暴威を振るって、ヒースクリフに襲いかかる。
ヒースクリフはそれを、左手に持つ盾で弾き返した。
「…………は?」
俺はここがボス部屋だということも忘れて、呆気に取られていた。いや、俺だけではない。あの瞬間を見ていたプレイヤー全員がその場に凍りついたように立ち止まり、ヒースクリフに釘付けになる。
ソードスキルを弾かれてノックバックする雪ウサギ。その無防備な腹部をヒースクリフは狙う。二撃、三撃と入れ、そこから繋げるようにソードスキルの構えを取る。
しかしそれは元片手直剣使いの俺も見覚えのない構え。そして放たれた剣撃は、見たことのないものだった。
そのまま全員が唖然と見守る中、ヒースクリフは一人で雪ウサギを斬り殺した。
クリアの文字と共に全員に経験値とコルが分配されたが、誰一人として身動ぎしない。視線の先にあるのは血盟騎士団団長ヒースクリフ。
フロアボスという、この層における最難関をほとんどただ一人で打倒した。
誰もが言葉を失う中、真っ先に口を開いたのは意外にもアスナだった。
「だ、団長!今のは一体……?」
「ふむ。アスナくんにも見せるのは初めてだったな。あれはエクストラスキルだ」
ついうっかり、という表情のヒースクリフ。どうやら副団長であるアスナにも秘密にしていたらしい。なんだ、うっかりか。ヒースクリフも可愛いところあるな。……無いな。
秘密にされていた当のアスナは、少し食ってかかる。まぁ、副団長にまで秘密にしてたら、組織内の信頼関係が薄れるしな。
「……団長にも考えがお有りでしょうけど、私にくらいお話しして頂いてもよろしかったのでは?」
「君の言う通りだな。しかしあれを見せてしまうのは色々と都合が悪くてね。出現条件も分からない。余程のことがなければ披露する気はなかったのだが……彼に触発されたのだよ」
そう言うとヒースクリフは全員の視線を誘導する。その先には俺。
「……やはり、先日の彼のスキルも?」
「恐らく同じ類のものだろう。いくら調べようとも、あのようなソードスキルは見つからなかった」
たった今、圧倒的な力を見せたヒースクリフ。そいつと同等のスキルを所持していると示唆された俺。視線はこの二箇所に集中する。
というか、俺のことまでバラす必要ありましたかね。嫌がらせ?もしかしてこの前相討ちになったことを根に持って、その腹いせに嫌がらせしてるんじゃねぇだろうな。
「無論私の方も調べたが、やはり同じスキルを持つ者は存在していない。つまりは今現在、我々専用のスキルということだ。……仮に、『ユニークスキル』とでも名付けよう」
「ユニークスキル……」
部屋全体がざわつく。『ユニークスキル』、何故かなんの違和感もなく、その言葉を受け入れることができた。元々用意されていた言葉だったかのように。
「それで、ヒースクリフさん。そのスキルの名は?」
ここでリンドが前に出てくる。スキル名を聞くのは、そのスキルを持っている者を探し、自分のギルドへ勧誘するためだろう。まだ専用と決まったわけではないし、これから何人かに出現するかもしれない。
「『神聖剣』、スキル欄にはそう表記されている」
「神聖剣……」
俺も、アスナも、リンドも、その名を呟く。
「ハチマンくん、君のも教えてくれないかね?」
不意に、しかも遂に名指しでヒースクリフに尋ねられる。……嫌だ。この流れで絶対言いたくない。そもそも今後を考えるなら、ここで全否定をしておくのが吉だろう。
「……いや、なんのことか分かんないですね。俺はその、ユニークスキル?とかいうのは持ってないですし。ヒースクリフさんの勘違いじゃないですか?」
「……はぁ」
俺がすっとぼけると、アスナは頭痛でもするのかこめかみを押さえる。この場で俺の『ユニークスキル』を目撃したのはヒースクリフとアスナだけだ。
見ていない連中はヒースクリフの言葉で、俺が持っているという認識を得たわけだが、あれだけの威力を誇るスキルがそうそうあるとは誰も思わないし、あっても俺なんかに出現すると普通は誰も信じないだろう。
ならば俺自身がそれを否定すればヒースクリフの言は、自分から注目を逸らすための狂言となる。
「ならば私の盾を両断したスキルを教えてもらえるかね?」
「……いや、それは」
「両断?」「盾を?マジかよ」などとちらほら呟きが聞こえてくる。まずい、一瞬でも返答に詰まったこっちが不利だ。そこまでして俺のスキルを暴こうとしてくる理由はなんだ……?
他のプレイヤーが根掘り葉掘り聞いてくるならいざ知らず、ヒースクリフは既に強力なユニークスキルを獲得している。なら出現条件の特定が狙いか……?
なんと答えるべきか考えていると、ヒースクリフは追撃をかけてくる。
「どうした?答えたまえ」
「ひ、秘密?」
「…………」
うわぁお、視線がとっても痛い。ただでさえぼっちは視線に敏感なのに、このままでは肌荒れを起こしてしまう。
「……じゃ、じゃあ俺はこれで」
軽く会釈して、足早に立ち去る。誰も止める者はいない。今の俺は誰にも止められない。
ともかく、これが第四十六層のボス攻略の全容である。
・ ・ ・
ボス部屋を離れ、四十六層の迷宮区を歩く。転移結晶を使うのはもったいないので、レベリングを兼ねて主街区へと戻っている途中だ。例のスキルの熟練度上げも忘れない。
ピコン、という電子音がメッセージの受信を報せる。唯一フレンド登録している鼠かと思ったが、ウインドウを開くと届いていたのは簡易メッセージ。しかも差出人はヒースクリフだった。
『血盟騎士団は君を受け入れる準備がある。煩わしい喧騒に嫌気が差したなら、いつでも来たまえ。』
……あの野郎。自分のスキルを公開したのも、俺を巻き込んだのも、これが狙いか。確かに、『神聖剣』という話題のユニークスキルを所持しているヒースクリフの軍門に降れば、俺がユニークスキルを持っていてもそこまでの話題にはならないだろう。
「随分と性格の悪い……」
苦笑し、ウインドウを閉じる。あれで誤魔化せたとは思えないが、確証がなければ言いふらされることもないだろう。少なくとも大勢から質問責めにあうことはないだろう。
「Ha、ようやく会えたな『
「あ?」
唐突な声に振り向くと、そこには不気味な出で立ちの男が一人立っていた。