海から帰って、僕らは家に帰ってきた。
伊織ちゃんはちゃんと母親と学校に連絡して、迎えに来てもらうことになっている。
そして僕らも、遊び疲れて心地よい疲労感のまま。
今までと同じように、微かに最期を惜しみながら。
黙ったままのお爺さんと、考え込んでる僕と、素知らぬ顔でご飯を口に運ぶ姐さんを尻目に談笑に興じる他の三人。
そうやってなんでもないご飯を食べて、暖かいお風呂に入って。
伊織ちゃんをちゃんと見送って。
明日の飛行機の見送りを約束されて。少し寂しそうな表情を見送って。
そしてクーラーの効いた部屋で布団にくるまって寝る。
わけには、僕だけはいかない。
だって、僕は観光に来たわけでも、ツバサさんや穂乃果と親交を深めに来たわけでもない。
そして姐さんに会いに来たわけでも勿論ないのだ。
そう、僕の目的は僕の願いはもっと別のことで。
「待たせて、すいません」
「・・・・ああ」
しゃがれた声からは今まで生きてきた年月が伝わる。
その皺だらけの肌からは、今までの苦労が透けて見える。
その一挙手一投足から、これまで積み重ねてきた何もかもが僕を圧倒する。
年を取るというのはそれだけでこうも違うのかと、自分の覚悟が揺らぎそうになる。
「————————————、」
揺らぎそうになって、ツバサさんの顔が、穂乃果の顔が、皆の顔が。
そして姐さんの顔が浮かんで。
僕は覚悟を思い出した。覚悟を決めたのではなく、思い出した。
「この家を継ぐがどうか、そういう話でしたよね?」
「ああ」
今度は間髪入れずにお爺さんは答える。
相変わらずその表情からも声からも、感情は読み取れない。
そもそも、なんの面識もない僕になぜ家を継がせようと思ったのか。それすら僕には曖昧だ。
聞けば答えてくれるのか、くれないのか。気にならないわけじゃあないけれど。
でも。
それで僕の気持ちは変わることはないんだから、結局は意味のないことなんだろう。
「家を、畑を継ぐという話。すいません、断らせてください。ごめんなさい」
畳の部屋で、中央にある真っ黒い机を挟んで対峙する僕とお爺さんの距離は、きっと目に見えるそれよりも遠く離れている。
だけど、だからこそ。
どれだけ遠かろうが、この気持ちだけは伝えなきゃいけない。この僕の中での決定だけは許し、理解してもらわなければならない。
頭を下げて、僕はそう口にした。
「なぜだ?畑の仕事が辛かったからか?」
「違います」
畑の仕事が辛くないという意味ではなく、それが理由ではないという意味で。僕は頭を上げ、目を見て否定する。
「じゃあ、なぜだ?」
威圧感たっぷりのその声は、不服そうに僕を責め立てる。さっきまで感情なんか見えなかったのに。
それほど意外だったのだろうか、でも僕の中ではきっと来る前から決まってた。
ここに来てようやく自分の中の気持ちに気付いたのは、きっと愚鈍だといわれるべき類のものだろうけれど。
「——————————僕には将来やりたいことなんてわかりません。どころか今自分が何をしたいのかそれすらはっきりとはしない」
それは家庭環境のせいなのか、それとも元来持った性格なのか。原因がなんなのかに興味はないし知ることもできない。
だけど。
「それでも、一緒にいたいと思える人達がいるんです。一緒にいたい人達がいるんです」
お爺さんは口を挟まずに聞いてくれる。こんなどうしようもない僕を。
”どうしようもないことを決めてしまった僕を”。
「確かに、こんなあやふやな僕には願ってもない安定するチャンスなのかもしれない。手を伸ばせばまともに仕事に就ける、そんなチャンスはそう何回もないのかもしれない」
でも、それを手放してでも。手に入れたいものがあるんだ。
例え誰もかれもを傷つけてしまうのだとしても。
だって、こんな僕なんだ。両手が塞がるほどの願いは持ちきれない。
「俺は、あいつを息子だとは思っていない」
お爺さんのその声は、また感情のわからないそれに戻った。
僕がその機微を受け取れないだけかもしれないけれど。
「だが、お前のことは自分の孫だと思ってる」
「————————!!」
初めて言われたその言葉。ずっと不安だった、欲しかったかもしれないその言葉に。
でも僕は、不思議と冷静だった。
「・・・じゃあ、なんで今まで連絡しなかったんですか?」
怒っているわけでもなく、ただ純粋に疑問として自分の中にあったそれを僕は勢いで外に出す。
きっとお爺さんの言葉がなければ出さないはずだったそれを。
「それは・・・・」
そこで初めてお爺さんは言い淀んだ。口数少ない人だけれど、そんなことはこの数日で初めてだった。
「それは、爺さんが弱かったからだ」
「姐さん!?」
二人っきりだったはずの部屋の襖がいつの間にか開いていて、そこに姐さんは凛と立っていた。
「なんでここに?」
大事な話をしているなんて、姐さんはわかってたはずだ。
「当たり前だろ。”私だって、雪の家族だよ”。家族の決めたことを私には聞く権利がある」
・・・・ああ、確かに。それは本当に、当たり前で。確かなことだ。
妙にすっきりと納得してしまって、僕はそれ以上何も言えなくなった。
そんな僕を見て、姐さんは口を開く。
「爺さんはな、ずっと怖かったのさ。お前に恨まれているんじゃないかとな」
「・・・・・・」
恨む?なぜ?だって、僕とお爺さんなんて会ったことすらないはずだ。僕はその存在すら、手紙が来るまで忘れていたんだから。
でも、そんな疑問もお爺さんの悲痛な表情でかき消されていく。
「母さんが死んで、”アイツ”が自暴自棄になって私を捨てて。お前とここに来たことがあったんだろ?」
「・・・・うん」
それは覚えている。門前払いされたことも・・・。
「え?もしかして、そのことを?」
「それ以外、お前との接点があるか?」
ない。姐さんはいつものように冷酷に真実を突き付けてくる。
つまり、その時のことをずっと気に病んでいたのだ。目の前の無口なお爺さんは。
ありえないだろ、そんなの。だって。
「家族だから。悩んでたんだ。家族だからずっと気にしてたんだ。なんてことない、私と同じにな」
その言葉はぶっきらぼうに言い放たれた割には、なんだか僕を暖かく包んできて。
それが厄介なほどにやけに優しいもんだから、僕はもう。なんて言っていいか。本当にわからない。
本当に、わからない。
「これが、その証拠」
そう言って、ただ座りつくす僕に姐さんは一冊のアルバムを渡してきた。
中身を見なくても、それがなんなのかは流石に分かった。
「——————————、」
パラリ、パラリ、とめくって。写っていたのは赤ん坊だったころの僕と姐さん。二人の赤ん坊を抱きかかえて幸せそうに笑う母さんと。そして、父さん。
アルバムは重たくて、重たくて。
だけどその重さに似合わずにページはすぐに白紙になる。きっとその頃はすぐにいっぱいになると思っていた、残りのページ。
「大事そうに、押入れにしまってあったよ」
「・・・そ、っか」
さっきから、言葉がうまく出てきてくれない。まるで、喋り方を忘れてしまったかのように胸がいっぱいで、アルバムを抱えたまま動くこともままならない。
何分が経ったのだろうか。それとも何分も経ってなかったのかもしれない。
僕はようやく口を開くことができた。
「それでも、でもやっぱり継ぐことはできません。今、大事なものは僕にとっては変わらない」
馬鹿で、真っ直ぐで。意地悪で、素直で。楽しくて、辛くて。
キツイときに一緒にいてくれて。
笑いたいときに一緒にいてくれて。
泣きたいときに一緒にいてくれる。
そんな皆と、僕は一緒にいたいんだ。
あの時も、その時も、この時も、それはずっと変わらずに、その思いを持ち続けて、そしてそれは今もなお色褪せずに僕のずっと真ん中を通っている。
いつかは離れ離れになるのだとしても。
それが訪れるのはもっとずっと先のことでいい。もっとずっと先の話でいい。
「そうか」
お爺さんも今度は「なぜ」と、問うては来なかった。
伝わったかは分からないけれど、納得してくれたかはわからないけれど。それでもきっと、理解はしてもらえたと思う。
そうして、僕のきっと人生の中でもベスト3に入るくらい、マトモなやり方で自分の気持ちを衝突もなく伝えられたのだった。
「・・・って、どうした?もう爺さんは行っちまったぞ?」
「どうしよう姐さん」
お爺さんは僕の言葉を聞いて納得してくれ、そして部屋を去った。
「ああ、そうだよな。お前の人生を決めることだったんだ。急かしちまったな」
そんな余韻を感じたのだろうか、姐さんは普段使わないような声色で優しく肩に手を添えてくれる。
「いやそうじゃなくて、正座しすぎで足が動かないんだけど?ちょっと、どうしようこれ?」
「・・・・・・・」
ああ、台無しだっていうその瞳。バンバン感じてるから取り敢えず助けてくれます?
「っていうことが、昨日の夜にあったんだけど」
一夜明けて今日。東京へと帰る日はこれ以上なく晴天でこれ以上なく暑い日だった。
「そう、良かった・・・でいいのかしら?」
「・・・多分?」
昨日の夜のことを話さないわけにもいかないので、僕は二人にちゃんと打ち明けていた。だって、姐さんの口からポロリと出たりしちゃったらまた怒られそうだったし。
二人とも、微妙な反応なのは予想の範疇。
そりゃそうだろう。途中経過も何もなしに、結果だけを聞けば「ああ・・・そうなんだ・・」くらいの反応の話だ。
ただ。
「怒んないの?」
僕は恐る恐るにそう尋ねた。
勝手に一人で決めたこと。相談なんか何もしなかったこと。
てっきり文句くらいは言われると思ったけど。
「なんで?雪ちゃんが、そう決めたんでしょ?なら、怒ることなんて何もないよ」
「そうよ。ま、少しくらい話してくれてもよかったとは思うけどね。もう慣れっこよ」
二人とも、緑茶をすすりながらもうベテランのような雰囲気を醸し出している。
頼りになるなあもう。
自分でも口角が上がるのがわかってなんだか恥ずかしいけれど。
それでも、やっぱり自分の選択が自分の中で今一度浸透して、間違ってはいなかったと思える。
そして実を言えば、もう一つ。
決めたことが、あの夜にあった。
————————————————昨日の夜。
「それで?そこまではっきり爺さんに言ったってことは、身の振り方を決めたってことでいいんだよな?中途半端ってのは私は一番嫌いだぞ」
さっきまでの姐さんとは思えないほど冷たい声と、視線で僕を射止める。
「ああ、決めた」
だから、それに負けないように。僕もしっかりと姐さんの両の瞳を見据えてそう言った。
「・・・そうか」
そんな僕の態度を予想してなかったのだろう姐さんは多少面喰ったようだけど。
「それで?どうするんだ?決めたってことは、アイツらの気持ちに向き合うってことだろう?」
誰もが口にしなかった、できなかったその問題に姐さんだけはズバズバと切り込んでくる。
当事者ではなく、けれど関係者である姐さんはきっとその辺は言いやすいというのがあるのだろう。
「ほら、さっさとゲロッちまえよ。誰を選ぶんだ?あの金髪か?それともツンデレ?一緒に来てる二人って線もあるよな」
・・・関係ないかな?ただ言いたいこと言ってるだけかなこの人。
一ミリも笑ってないその表情で淡々というもんだからわかんないけど。
「あと、あれか。幼馴染なんだっけ?あのアホ面と一緒にいる三人は。黒髪ツインテもいたな。やたら声の大きな元気っ娘も、大人しそうな眼鏡もいたし、お前んちに警察が来た時にも女を連れ込んでたよな」
「変な言い方しないでよ」
きっと、僕のこの決断を聞いたら姐さんは・・・。
姐さんは・・・・どうするんだろうな?
やっぱり怒るかな?それとも突拍子もなさすぎて笑う?
意外と受け入れたりして。
わかんないや。
ていうか以外と皆のこと知ってるんだな。会ったこととかあったっけ?少なくとも僕は紹介してない。
なんて類のことを発言すると。
「・・・知らねえよ。そんなには」
どうやら自覚してなかったようで、姐さんは少し驚いたように目を見開くとぷいっとそっぽを向いてしまった。
(うわー、レアすぎてこれ多分もう一生見られんだろうなあ)
口にしたらまた元の姐さんに戻りそうだったから口にはしなかったけど。
・
・
・
そしてわずかな沈黙が場を支配して。
待ってくれてる姐さんのためにも言わないという選択肢はすでにない。
そう、いうんだ。だって、結局当事者である皆に言わないという選択肢はそれこそ本当にないんだから。
だから、ここで立ち止まってちゃ話にならない。
「で?だれを選ぶんだ?お前は」
姐さんは話しやすいように促してくれる。
こうやってようやく知る姐さんの優しさに甘えながら、僕は口を開いた。
「そうだね。選ぶ、選ぶか・・・」
「?」
「選ぶ、なんていう表現を使うとしたら。うん、僕は」
そして僕らは東京に帰る。
一つの幕を閉じるために、カーテンコールを下すために。
「誰も選ばないよ」
いつまでもぬるく甘いお湯につかってるわけにはいかないから。
答えを、出しに行くんだ。
次回最終回。
「進んだ先に」
どうも皆さんお久しぶりです高宮です。一か月ぶりというこの体たらく誠に申し訳ございません。
ポケモンのほうはゴリゴリ更新していたのに、こっちはまったく更新できませんでした。
ということはこれくらいにして、さあいよいよ次回最終回です。ここまで読んでくださって皆さんありがとうございました。
とはいえ、次回もあるし、ちょっとした報告もあるので次回も変わらずお待ちいただければ幸いです。
この一か月はその報告のための前準備と思ってもらっても結構ですよ!
あ、EX系の話のネタはこれまで通り受付てますんでそちらもよろしくお願いします。
ではでは、また次回お会いしましょう。