僕らがお爺さんの家に来てから二日目の朝がやってきた。
「うあー」
おっさんみたいな、寝起き特有の掠れた声を出しながら僕は目覚める。
カーテンも何もないこの部屋は、朝日を直に浴びることになるようで。照りつける、というほどまだ高くは登っていないけどそれでもやっぱり眩しさに目を細める。
まだまだ四月の朝は冷え込むようで、掛け布団を剝ぐと少し肌寒い。
よっこいせと、トイレでも行こうと立ち上がりかけてふと、妙な重力に引っ張られていることに気づく。
「ああ、そういや、一緒に寝たんだっけ」
小さな手。子供の手。
そんな可愛らしい手が、すーすーと寝息を立てながら僕のジャージを引っ張っている。
うーむ。
どうしたもんかと寝ぼけた頭で考えて、ま、いっかとどうでもよくなった僕は二度寝するべく布団に出戻りした。
・
・
・
「で、なーんでこうなってるんでしょうか」
二度寝して、朝ご飯の匂いに釣られて起きた僕は現状の視界に疑問を投げつける。
可愛らしい寝息を立てていたはずの伊織ちゃんは、なぜか嬉しそうな顔のツバサさんに代わっている。
なんだこれ、と反対方向を向けば。
「あ、だ、ダメだよ。雪ちゃん、こんなとこで」
穂乃果の夢の中の僕は何やってるんでしょうか。ていうかなんで二人がこの布団に潜り込んでいるんでしょうか!?
おいおい、寝起きからツッコませるんじゃないよまったく。
ていうか狭い。狭いな。
さすがに一つの布団に高校生が三人って、キャパオーバーもいいとこだ。
もしこの状況が誰かに見つかったらまずい。いや、別に何もしてないけれども。あらぬ誤解は受けないほうが身のためだと、僕はこの一年ちょっとで学んだ。
よいしょっと、起き上がろうとした瞬間。
「げふっ!」
「随分とご身分の良い寝起きなことで。なあ?」
「ね、姐さん」
僕のおなかに思いっきり体重をかけてヤンキー座りで座ってきた姐さんに、僕は弁解のしようもない。
いやあるけど、でもどうせ聞き入れてくれないのは目に見えてる。般若のような顔してるもん。般若のモデルは姐さんなんじゃねえのってくらいそっくりだもん。
「朝ご飯できたけど、お前はいらないよなあ。もうお腹一杯だろ?」
「い、いえ。要ります」
なぜか敬語になってしまうのは姐さんの迫力のなせる業だろう。
「なあ、そこの二人も」
「「ビクゥ!!」」
あ、起きてたんすね。じゃあさっきの寝言は何だったんだよ。
ダラダラと目に見えるほどに冷や汗でビショビショになりながらの朝は、とてもじゃないが爽やかとは言いづらかったのでした。まる。
そんな寝起きを迎えて、朝食はこの世のものとは思えぬほどにぴりついていた。
なんだこの家、来てから一時も休まるときがないんだけど。常にピリピリしてるんだけど。
誰もしゃべらないのは昨日の夜と同じだが、こと姐さんのプレッシャーは一流の殺し屋かと言いたいほどに強くて。
こと、両隣の二人のビビりようはまるで生まれたての小鹿状態だ。なんだか可哀想ではある。
そんな朝食を終えて、伊織ちゃんがグイグイと裾を引っ張ってきた。
「ん?」
今朝はいつの間にか一人で起きて、どうやら朝食の手伝いをしていたらしい。出来た子だ。
でも僕は知っている。そんな年齢と離れた落ち着きと気の周りようは普通じゃ身につかないことを。
そして、普通じゃないのはきっと——————。
「おべんきょ、見て?」
俯き加減で初々しく、伊織ちゃんはそう言った。
昨日までは自分のことを話すのは苦手そうだったのに、一夜を共にするというのはそれだけ距離が縮まる行為らしい。
まあね!普通しないよね!
「・・・っ!?」「—————っ!」
そんな伊織ちゃんの態度を見て、両隣の二人が騒がしい。いや喋ってはないんだけど。
「ちょっと、どういうこと?」
あ、喋った。
「なんで仲良くなってるのかな?な?」
おかしいな。口を開くほどにピリピリが増している気がする。三割増しで緊張感が高まった気がする。
「なんでって、なんでだろう」
いや僕だってそんな明確に仲良くなった理由を語れるわけないじゃない。一晩一緒に寝たって言ったら、この修羅に金棒を与えるようなもんだってわかるし。
厳しい世の中になったなあ。いやまあ元からか。
元から、僕なんかには厳しい世の中だ。
あ、泣きそうだ。
いかんいかん、と僕の心を奮い立たせて伊織ちゃんに向き直る。
「じゃ、あっちの部屋いこっか」
「・・・うん」
お勉強を見る、なんだかお兄ちゃんみたいな行為だ。
なんて呑気に構えていると。
「待った。お勉強ならそこの万年赤点ギリギリ男より、私の方がいいんじゃないかしら?」
ツバサさんが焦ったような表情で待ったをかける。ていうかよお、今関係ねえだろお赤点ギリギリはよお。ギリギリなだけで取ってはないし!
まあ、そりゃ万年成績上位に名を連ねていらっしゃるツバサさんよりは頭ヨクナイですけど。
「う、うう。小学生くらいの勉強だったら私だって!」
はーい穂乃果は黙ってて、僕より成績悪いんだからー。
「いやいや、二人共大丈夫だ。頭のデキは関係ないから」
「ですよね!って千早さん!?」
にっごり、と濁った笑みを浮かべて後ろに立っている姐さん。ああ、なんとなく次のセリフがわかってしまった。
「な、なんでしょう?私達今からお勉強会するんですけど?雪と」
「いや伊織ちゃんとね」
なんで僕がお爺さんの家まで来てお勉強会しなくちゃならないんだよ。どう考えてもおかしいだろ。
「ダメだ。お前らは今からたっぷり教会の手伝いをしなくちゃならないんだからな」
「」
「」
やっぱりね。姐さんの企んでる顔はわかる。
白目をむいて、ムンクの叫びみたいになってる二人。わかるなあ、その気持ち。
「ちょ!なんで!?」
ツバサさんが思わず敬語を使わずに反抗した。
「なんで?お前ら、まさかタダで下宿しようってんじゃねえだろうな」
「うぐぐ」
それを言われてしまったら。ツバサさんはそんな顔をしていた。
「で、でもでも!私達家の手伝いもやったし・・・」
泊めてもらっている立場な以上、あまり強くは言えないけれどでも抵抗の意志は見せる穂乃果。
「それだけじゃなあ。朝も、どこかの誰かとお楽しみだったみたいだし?」
あ、なんか根に持ってるな。ていうか、楽しみなんかなかったですけど。
「やだやだやだやだ!雪ともっと親密になるって決めたのにぃ~!」
「助けてよ雪ちゃーん!!」
二人は首根っこをつかまれて、ズルズルと姐さんに引っ張られていった。
そんな二人を穏やかな目で手を振り送ってから。
「さて、じゃあ行こうか」
「う、うん」
伊織ちゃんが引いていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
ああ、穏やかだなあ。
田舎で済んだ空気と、畳の匂いに囲まれながら少女と和やかな時間を送る。
理想だ。正に理想の老後がそこにあった。
「お兄ちゃ——————あ」
どこかわからないところでもあったのだろう。僕に質問しようと口を開いた瞬間、伊織ちゃんは顔を真っ赤にした。
「あはは、いいよ。お兄ちゃんでも」
実は密かに憧れだった。雪穂も亜里沙ちゃんもこころちゃんもお兄ちゃんとは呼ばないし。
ここあは呼んでくれるけど、にーたん呼びだしね。
「う~///」
ポカポカと胸を叩いてくる伊織ちゃん、なんだか面白くって自然と笑顔になってしまう。
ずっと机に向いて疲れたのだろうか、そのままぽふり、と僕の胸になだれ込んできた。
暖かく柔らかな日差しと、湯たんぽのような心地いい体温と、まるでミルクのような甘い香り。
ああ、穏やかだなあ。
何度だってそう思った。
そんな平和な空間に。
「おい」
ピリリと辛い声でぴしゃりと空気を締める一声が。
ちょっとビックリしながらそっちを振り返ると、クイと顎で裏を示す。
裏、つまりは畑やら田んぼやらが広がっている場所だ。
ただ、それだけ示すとお爺さんは何も言わずどこかへ去って行ってしまったが。
えー?なに?言葉足らずにも程があるって前も言ったっけなこれ。
「ついてきて、だって」
「・・・わかるの?」
伊織ちゃんが唐突に口を開くので驚いて僕は聞き返した。
「うん。おじいちゃん口数少ないから」
態度で何が言いたいかを当てなきゃいけないらしい。なにその恐ろしいほどにつまんないクイズ。
「その、あの人とは長いの?」
なんとなく、お爺さんと言えなくて、咄嗟に濁してしまう。
「おじいちゃん?幼稚園の頃からだよ」
へー、幼稚園の女の子と一体全体どうやったら知り合うのだろうか。
・・・いかんせん犯罪臭しかしない絵面しか浮かんでこんのだが。
「おじいちゃんがね、幼稚園の給食のお野菜とかお米とか作ってるの」
「ああ、そういうことか」
よかった夕方のニュースになるようなことじゃなくて。洒落にならんからな。
「って、それより早くいかないと置いてかれるんじゃ」
なんて僕が危惧していると。
「大丈夫だよ。おじいちゃん絶対玄関で待っててくれてるから」
焦った僕とは正反対にお爺さんのことを知っている伊織ちゃんは落ち着いて廊下を歩いていく。
「・・・・まいったな」
ほんと、遠い血縁者よりも身近なご近所さんだよ。
「うーん・・・・」
「おい、そっちの草まだ残ってるぞ」
「あ、はい」
そんなわけで、お爺さんの後についていった僕らは予想通り畑に案内されて。
「腰が痛い・・・」
なぜだか畑作業を手伝うことになってしまった。
あんなに穏やかに思えた陽気な日差しは、背中をじりじりと照りつける鉄板のような不快さを伴っているし。
あんなに気持ち良かった緑の自然が、今は顔も見たくないほどに並んでいる。
「さっさとせんと夜になるぞ」
作業は難しいことはない、単なる草むしりだ。
が、これが百メートルほどの広さの畑となると話は別だ。
単純に広い、単純に量が多いというのはこれほどまでに苦痛なのかと。
普段はどうしてるのか、聞いてみたいが。
「——————、」
僕に一声かけると、即座に遠くの方に離れて行ってしまうので話ができない。
なんなんだ。僕にここらの田んぼを継がせたいんじゃないのか、それで手伝わせてるんじゃないのか。
さっきからキツイことばっかなんですけど。一ミリも心揺らがないどころか、僕にできるか不安しかないんですけど。
「お兄ちゃーん!」
「ん?」
ブンブンと手を振って、大きな声で伊織ちゃんが僕の名前を呼んだ。
振り返ると、おばあさんと一緒に何か持っている。
「休憩だ」
すっと横を通ったお爺さんにそういわれて、僕はほっと胸を一つなでおろした。
うっすらと額に浮かぶ汗をぬぐいながら独り言を吐くように。
「もう、春だなあ」
なんて。
いつの間にか、太陽はすっかり天高く上り、時刻はお昼にちょうどいい。
「おお!」
労働の対価には十分なお弁当がそこにはあった。
おにぎりや唐揚げ、天ぷらにさつま揚げ。
揚げ物ばっかやん。いや、別にいいけども。
「ごめんねえ、男の子が好きなものよくわからなくて」
「あ、いえ!なんでも大丈夫です」
どうやら気を使わせてしまったらしい。おばあさんの言葉に、申し訳なく思うと同時に食べきれるだろうかという不安もある。
まあ、お爺さんもいるし大丈夫かな。
「あ、お爺さんと伊織ちゃんのはこっち」
そう言っておばあさんが取り出したのはもう一つの重箱で。
そこにはポテトサラダや、プチトマトなど彩鮮やか、かつ健康的でヘルシーな料理が並んでいた。
うわあ、おいしそう!
基本的に好き嫌いはないけれど、後の作業のことを考えれば胃もたれしないこっちが良さげだ。
ま、文句言える立場じゃないし、そもそも文句というほど不満なわけでもないけれど。
外で食べるお弁当は、それだけで美味しいものだ。
「疲れたー!!」
「穂乃果、うるさい」
「き、筋肉が。筋肉がピクピクしてる」
三人が三人、完全に死んでいた。
一日中働かせられた。馬車馬のように働かせられた。
「二人は、なにしたの?」
畳に完全に五体投地の状況で、口だけ動かす。
「倉庫の片づけ」
「掃除」
うわー、バリバリの裏仕事ー。
「雪は?なにしたのよ」
「草むしり」
「「うーわー」」
二人して引かれた。草むしりごときでみたいな目で見られてる。なんだよ、結構頑張ったんだよこれでも。
「お兄ちゃん。大丈夫?」
「ん、大丈夫」
そういえば、伊織ちゃんは家に帰らなくて大丈夫なのだろうか。もうそろそろ日が落ちる時間だけど。
いくら慣れているとはいえ、流石に二日連続で泊まるのは無理だろう。
「ったく、へばるのが早いんだ。お前らは」
唯一、ピンピンしている姐さんが厳しい。おかしい、二人の話だと一番働いているはずなんだけど。
「・・・・じー」
「・・・・じ~」
えー、なんだろう。鬱陶しいなあ。
いつの間にか、二人が上体を起こしてこちらをジト目で見ている。
「なに?」
疲れてるから手短に頼むよ。
「仲良くなってる」
「・・・私がそこのポジションに収まるつもりだったのに」
二人の言葉に、僕と伊織ちゃんは顔を合わせる。
「いやー、伊織ちゃんといると楽しくって。ねえ」
「お、お兄ちゃんって呼んでいいって、言ったから」
どうやらまだ穂乃果たちには人見知りするらしい。お昼の声の張り方が噓のようだ。
「あ、もしもし。警察?」
「すいません冗談です」
結構本気のトーンだった。本気で携帯取り出してた。
なんて茶番をやってると。
ピンポーン。
と、不意にチャイムが鳴った。
「あ、おかーさんだ!」
伊織ちゃんは今まで見たことない元気さでドタドタと玄関へ。
取り残された僕らは、顔を見合わせて。
「行きましょ」
ツバサさんの一言で玄関へと歩き出す。
・
・
・
「うちの娘がどうもお世話になりました。ほら、ちゃんと挨拶」
てっきり、家庭環境に問題があるとばかり思ってた。
けれど、そこに出てきた母親はぱっと見いい人そうで。時折笑顔を交えながら感謝された。
伊織ちゃんも、今までのどの笑顔よりも楽しそうだ。
「お兄ちゃん、また明日」
「うん。また明日」
手を振って、いつまでも後ろ向きに手を振る伊織ちゃんを見送った。
「ほーんと、女の子と仲良くなることにかけて雪の右に出るものはいないわね」
ツバサさんがとげとげしい。
「明日はちゃんと遊んでもらうからね!」
いや子供か。穂乃果はちょっと論点がずれてるね。
ブツブツ言いながら、家へと戻る二人も見送って。
「夜は冷えるんだよなあ」
僕は一人、満天の星空を見上げながら、白い息を吐いた。
どうも!祝!!90話!!!高宮です!!!!
いやー、とうとう90話まで来ちゃいましたね。軽く引きます。
始めた当初はどこまで風呂敷を広げるのかも、いつまで続けるのかも決めてませんでした。まあ、今も決めてないですけど。
とりあえず、書きたいと思うことが尽きるまで頑張ろうかと思います。
それでは次回91話もよろしくお願いします。