ラブライブ!~輝きの向こう側へ~   作:高宮 新太

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番外編 トラウマはそう簡単に消えないからトラウマ

 これは最初の物語。出会いの物語。

 彼、海田雪。この時若干5歳。 

 海田雪は幼稚園が終わりいつものようにいつものごとく公園で時間を潰していた。

 というのも、彼の父親は仕事が忙しく幼稚園が終わる時間帯に迎えに行けないのだ。一人で家にいるのは息がつまるので誰かがいる公園で暇をつぶすのが彼の日課だった。

 しかし彼はそれでも泣きごとを言わなかった。その頃には自分には母親という者がいないんだということが薄々感づいていたし、父親が一人で懸命に頑張ってくれているのは分かっていた。文句を言ったところで状況が改善されないという諦めでもあったのだろう。

 その日もブランコを揺らしながらぼーっと風景を眺め見る。同い年とおぼしき子供たちは皆、各々の集団で遊んでいる。一人でいるのは彼だけだった。付き添いの保護者がいないのも、彼だけであった。

 数ある集団の中でもひと際目立つのは、砂場で泥遊びをしている女の子。

 体をめいいっぱい動かし、頬に泥をつけ、その泥さえ霞むような笑顔。周りの者も本当に楽しそうに笑っている。集団の中心にいることは一目で分かった。

 対して彼は微動だにしない。ブランコを揺らすことに飽きたのか、それとも揺らす気すらなかったのか、ただそこをベンチ代りにしているだけだ。当然表情は明るくない。かといって暗くもない。まるで眩しいものを見るかのように、欲しいおもちゃを見るかのように、目を細めているだけだ。

 それがここ二、三日の彼と彼女の関係であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その次の日も彼の日常に変化はなかった。

 変化があったのは彼女の方、高坂穂乃果の方だった。

「ねぇねぇ、あの子いつもあそこにいるよね?」

 穂乃果は一緒に遊んでいた少女に訪ねる。ほぼ毎日一緒に遊んでいる少女だった。

「うん?ああ、確かにいるね。いつも夜遅くまで公園にいるんだって。ママが言ってた」

「ふーん・・・」

 生返事。何か考えているということは分かった少女は穂乃果の顔を覗き見る。

「穂乃果ちゃん?」

「穂乃果、ちょっと行ってくるね」

「え?」

 別段何かを決意したわけでも、力強い言葉でもない。ただふらっと本当に思い付きの一言と共に穂乃果はトテトテと泥遊びをしていたそのままの格好で彼のもとへと歩みよる。

「ねぇ君!今一人?一緒に遊ぼうよ!」

 その言葉に彼は呆けた。それもそうだ。なんとなくぼーっと見ていた女の子が急にこちらに歩いてきたと思ったら突然、突拍子もない事を言い出したのだから。

「あ、え、・・・うん」

 勢いに押されて思わず頷いてしまった彼は嬉しそうな表情の穂乃果に手を引っ張られて泥だらけの砂場へと連れられる。

「ことりちゃん!連れて来たよ!」

「ええ!?頼んでないよ~」

「・・・・・・」

 三者三様。出会いは必ずしも良いものではなかった。それでもこの後もずっと繋がって行くとはこの場の誰も思っていなかったであろう。もっとも人間関係など誰かの想像通りに行くことなどないものなのかもしれないが。

「ほら!遊ぼうよ!」

 ことりの反応は意にも返さずグイグイと押す穂乃果に彼は困惑する。

「どうやって?」

 ここ何日か彼女が遊んでいる姿は見てきたのだがそこに自分が加わることなど想像もできない。どうやって遊んでいいのかすら今の彼には知りえなかった。 

 そもそもの問題として彼はそれまで誰かと遊んだことがなかった。いつも一人だった彼は誰かとの遊び方なんて知らなった。

「そんなの遊びたいもので遊べばいいんだよ!」

 そういうと穂乃果は乾いた泥を洗おうともせずに滑り台へとよじ登る。それをことりが後ろからついて行く。

 彼は周囲を見渡した。他の子どもたちは鬼ごっこやままごとなどをやっているがどれも彼にはピンとこない。そうこうしてるうちに滑り台の頂点へと達した穂乃果と次いでことりが勢いよく滑り落ちてくる。

「ほら何やってるの!早く登んなきゃ負けちゃうよ!?」

 いったい何に負けると言うのか、そもそもどんな勝負なのか、そんな些細なことを吹き飛ばすように穂乃果は彼の手を握り、滑り台の頂点へと導く。

 滑り台は誰もいなくなった公園で何回か滑った事はあったが、面白いと感じることはなくそれ以来近づいてもいない。他の遊具も同様だった。 

 ただ、そこから見た景色は、それまでとは何かが違っていた。それは共に滑る人がいたからなのか、単に景色などに注意を向けることがなかったからなのか、結論が出る前に穂乃果にがっしりと背中から腕を回され、勢いよく滑り落ちた。

 結果、泥遊びをするために水浸しにした砂場に頭から突っ込み顔じゅうが泥まみれになる。

「あっひゃっひゃひゃひゃ!」

「――――――ぷっ」

 二人ともこらえきれないと言った様子で笑い転げる。

 彼は何が面白いのかわからなかったが、二人を見ているうちに自然と表情が緩み、最後には三人で大笑いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからというもの、彼の日常は驚くほど簡単に明るく変化した。

 毎日一緒に遊び、遊んで、遊んだ。

 最初の方こそ警戒していたことりも、徐々にバカらしくなったのか慣れたように笑いあった。

 鬼ごっこをした。缶けりをした。ケイドロをした。靴飛ばしをした。砂のお城を作った。段ボールの剣で戦った。他にも色々と知らない事をした。初めての事ばかりだった。

 だけど、光があるならそこには闇が生まれる。単純なことだった。

 彼は今まで味わわなかった孤独を味わうようになった。皮肉にも誰かと一緒にいたいと願い、寂しさを紛らわせたいと思い描いたその代償としてより一層寂しさは増した。

 彼はいつも一番最後だった。何をするにも、何を終わらせるにも。

 真っ赤に燃える夕日が落ちていく頃、他の子供は親に連れられ暖かい家に帰って行く。

 穂乃果やことりはいつも最後まで残ってくれた。やがてことりのお母さんが来て、穂乃果のお母さんが来た。笑顔で手を振る彼女たちに彼もまた笑顔で手を振る。

 そして最後には誰もいなくなった遊び場で、一人公園へと戻る。暗くなって、街路樹に照らされなければ前すら見えない暗闇で、一人、父親の帰りを待つ。

 どれほどの孤独だっただろう。その小さな体で、暗い公園で誰もいない。一人で父親を待つ彼の心境はいかようなものだっただろう。

 その気持ちは彼しか知らない。その孤独も悲しみも侘しさも彼しか知らない。

 だが、それでも想像することは出来た。慮ることは出来た。

 小さな子供が公園で待ち人を待っているなど、噂にならないはずがない。ある日、穂乃果の母親は穂乃果に言った。

「ねえ穂乃果。いつも遊んでいる彼、名前なんて言ったかしら」

「え?雪ちゃんの事?」

「そうそうその雪ちゃんね。今度うちに連れてきてよ」

 その母親の提案に、穂乃果は分かりやすく顔を輝かせる。

「そっか!そういえばまだ家で遊んでなかったね!」

 その提案を穂乃果はすぐさま実行する。その日、いつもの集合場所であった公園にいち早く行った穂乃果は先に来ていた彼にいの一番に誘う。

「ねね!今日は穂乃果の家であそぼ!ことりちゃんと海未ちゃんも呼んでさ!」

 海未ちゃん。というのは先日穂乃果達とまさにこの公園でかくれんぼで遊んでいた際。木陰にかくれて穂乃果達を羨ましそうに眺めていた少女の事である。少々引っ込み思案というか怖がりな女の子だった。

「・・・・いいの?」

 それは普通に聞けば確認の言葉だっただろう。だけど彼の場合は違った。彼は他人の家に行ったことがない。つまりは他人の家を知らない。知っているのは自分の家だけである。自分に置き換えると、彼はとてもではないが家に誰かをそれも友達を招くことなどできはしなかった。

 家にお菓子はなければジュースもない。誰かと遊べるおもちゃもゲームもない。あるのは散らかった衣類と、灰皿いっぱいに盛られたたばこ。そしてビールの空き缶のみだ。 

 そんな彼は穂乃果の家に行って愕然とした。

 玄関というか、店の入り口を開けると甘くて良い匂いが出迎える。そしてそのにおいと共に笑顔の穂乃果のお母さんが優しく出迎えてくれる。穂乃果の家は和菓子屋だ。少し特殊ではあっただろう。

 だがそんな瑣末なことが気にならないくらい。自らとは違っていた。

 先頭にいた穂乃果は「ただいま」という。そして当たり前のように「おかえり」が帰ってくる。まるでいつもそうしているかのように「手を洗いなさい」と怒られる。

 そのすべてが彼にとっては新鮮だった。体験したことがなかった。

「穂乃果のへや二階だから」

 皆で手を洗い、ことりは行き慣れているようにすいすいと階段を上っていく。

 海未は初めての友達の家というものに緊張しているようできょろきょろとあたりを見回すことに忙しい。

 部屋に入っても衝撃だった。彼の家にはまず本棚がなかった。そして本棚がないということはそこに収まる本や漫画もないということだ。

「見る?」

 初めて見る漫画に興味津々だった彼に気づいたのか、穂乃果は一冊手にとって渡す。

 きっかけというものがあるのなら彼の女ったらしっぷりの原点はここだったのかもしれない。

 その他にも知らないことはたくさんあったが、一番は妹だった。

「―――――おねえちゃん」

「あ!雪穂」

 部屋の扉からおずおずと覗いている少女は二~三歳くらいのかわいらしい少女だった。

 それからその少女も加えて5人で遊んだ。楽しい時間だった。そして楽しい時間とは例外なくすぐに過ぎ去るものだ。

 辺りはすでに真っ暗。そろそろ帰ろうという話に穂乃果の母親がまた一つ提案をした。まるで最初からその提案こそが目的であったかのように。

「もう暗いし、今日は泊って行ったら?」 

「え?でも・・・・」

「この時間に外を出歩くのは危ないし泊って行った方がいいわ。ほら電話貸してあげるからお父さんに電話して?」

 説得され、言われた通り受話器まで移動する。だが数字が羅列してあるボタンを押すことができない。なぜなら家の電話番号を覚えていないのだ。いやそもそも、家に電話などない。あるのは父親がもっている携帯だけ。だがその番号も知らない。

 受話器の前で固まっていると不審に思ったのか、声をかけられる。

「あら?もしかして家の番号忘れちゃった?」

 彼は素直にうなずく。正確にはそもそも知らないのだが。

「じゃあ後で私が連絡網で連絡しておくわ。だから大丈夫」

 なでなでと頭を優しく撫でられる。どこかくすぐったくて、でも悪くない気持ちだった。

「よーし、じゃあもっと遊べるね!」

「その前にお風呂入りたいよ穂乃果ちゃん」

「ふぇぇ」

 ことりの言うことに穂乃果の母親が後ろ盾をする。

「その通りよ。早くお風呂入ってご飯にしましょ。お腹、空いてるでしょ」

「はっ!!そう言われれば確かに・・・!」 

 じゃあ早くお風呂に入ってご飯食べよう!と息巻いてポンポンと服を脱ぐ。脱いだ服をそのままにお風呂に直行している。

 穂乃果以外皆でため息をついて、後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の中で今なお人生でベストスリーに入る騒々しいお風呂だった。ちなみに残り二つは中学の頃の自然教室と修学旅行である。

「え?ちょっとまって・・・雪ちゃんって男の子だったのぉ!?」

「うん?」

 突然の発言に彼は首をかしげる。

「女の子だと思ってた」

「コクコク」

 どうやらこの場にいる全員彼を彼女だと勘違いしていたらしい。確かに容姿は中世的だし、髪は男の子にしては長い。ただ単に髪を切りに行くのが異様に遅いというだけなのだがそんなこと穂乃果達は知る由もない。それにこのぐらいの年の子は女の子と男の子の差が少ない。

 そんな驚愕?の事実は案外あっさりと受け入れられお風呂の中は銃撃戦と化していた。

「ことりちゃん行くよー」

 両手で湯船からお湯を発射する。いわゆるお風呂遊びの一つだ。 

「えいっ!」

「うわっぷ」

 穂乃果が発射したお湯は綺麗にことりの顔面に命中する。

「ここをこうして―――――――」

 彼はやり方が分からず海未にならっていた。

 その他にもペットボトルの底に穴を開けて自作のシャワーにしたり曇ったガラスにお絵描きするなど存分に遊んだ。

 お風呂からあがると良い匂いがした。すでに晩御飯が作られ机に並べらていたのだ。

「わーい!いただきまーす」

「こらちゃんと髪をふきなさい」

 穂乃果はよく怒られる。彼は怒られるということがそもそもないのでそれはすこし羨ましい事でもあった。

「じゃあ、今度こそ・・・いただきまーす」

「「「いただきます」」」

 手料理というものを食べたのもその時が初めてだった。いつもコンビニか、お弁当屋さんで買って来たお弁当だったから。

「おいしい?」

「おいしいいい!」

 口いっぱいに頬張りながら穂乃果が答える。まるでリスみたいだ。

「――――――――雪ちゃんは、お家は楽しい?」 

 もぐもぐと食べていると不意に穂乃果の母親からそんなことを聞かれる。

 噂になっていた。家の事や、彼自身のことが。その大半は事実と反する事であったが、周りから浮いているのは確かだった。その自覚も彼にはあった。

「楽しくはないけど、でも辛くもないよ」

 それは彼の本心だった。羨んだこともある。恨んだこともある。でも誰よりも一番、彼は知っていた。自らの父親がどれほど頑張っているのかを。駄目なところもある。嫌なところもある。それでもたった一人の父親の頑張りを。もしかしたら世界で彼だけは、知っていたのだ。

「―――――――――そっか」

 穂乃果の母親はそれ以上何も言うことはなく。ただ微笑みながら彼らを見守っていた。

「ふぅーまんぷくまんぷく」 

「あら、いったいどこで覚えてきたのそんな言葉」

「昨日テレビでやってた」

「まんぷくまんぷく」

「ほら、雪穂が真似しちゃったじゃない」

「ええー穂乃果の所為じゃないよー。ねえ雪ちゃん」

「穂乃果ちゃんは雪穂と似てるね」

「そりゃそうだよしまいだもん」

 穂乃果はえっへんと誇らしげに胸を張る。対して彼はきょとんと首をかしげた。

「しまいってなに?」

 彼にはよくわからなかった。一人っ子であったし、そう言う話を父親とはしないから。疑問を抱くことすら今までなかったのだ。

「しまいって言うのは・・・・・・・おかあさーん?」

「ええ!?いやほら、姉妹っていうのはねいわゆるコウノトリさんが運んでくるみたいな・・・・」

 あたふたしたような慌てぶりに二人は顔を見合わせその慌てっぷりがなんだか面白くて意味もわからず笑った。

「・・・・・ふぁーあ」

 しばらくすると穂乃果があくびをする。見るとことりや海未も眠そうだ。 

「寝ましょうね」

 優しい言葉に促され穂乃果の部屋へいくといつの間にか布団が敷かれていた。

 そこで発生する問題が誰がどこで寝るか。まさか十年後まで同じ問題にぶち当たっているとは誰も考えもせずにじゃんけんで決まったのはベットに穂乃果と雪。布団にことりと海身であった。

「ねね、雪ちゃんはこの中で誰が好き?」

「え?」

 電気を消し、暗闇に包まれた中で唐突に穂乃果が切り出す。

「あ!それ私も聞きたーい。誰とけっこんするの?」

「あわわ」

 ことりと海未も興味を示したようで彼へと視線が集まる。

「・・・・けっこんってなに?」

「ええ!?けっこんもしらないの雪ちゃん?けっこんっていうのはねお父さんとお母さんになるって言うことだよ」

「ぼく、お母さんいないからよくわからない」

 彼は独りでいる父親しか見たことがない。母親という存在がどういうものなのかピンとこないのだ。ましてや夫婦の事、結婚の事など彼にとって身近ではなかった。

「じゃあ穂乃果がけっこんしてあげる。そうすれば私がお母さんになるでしょ?」

「ええ?穂乃果ちゃんがお母さん?じゃあわたしはあいじんになるね」

「だめだよ!うわきはだめってテレビで言ってたもん」

「はわわ」

 なんだかよくわからないうちに決定されてしまったらしい、その後もあーだこーだ言いながら疲れていつの間にか眠っていた。

  

 

 

 

 

 

 

 

 事件は次の日に起きた。

 彼の中で昨晩のお泊まりは確実に変化をきたすものだった。それもで感じられなかったことを感じ、知らなかったことを知った。そのどれもが当たり前の事であったが、その当たり前の事を彼は今まで知らなかったのだ。

 そして、知ってしまった。自らの家が他人とは決定的に違うのだと。より具体的に。

 その日の遊びは木登りだった。穂乃果が良い景色なんだよと誘って海未が渋るがことりがなだめ、穂乃果がよじ登って二人もなんなく続いた。海未は性格と違って案外運動神経が良い。

 そんな数々のきっかけが、彼の中で渦巻いていた。絡まっていた。きっとそれは劣等感であり、嫉妬であり、反骨精神となっていたであろう。

 彼はその自分を渦巻く感情に気づかないまま、悪戦苦闘していたものの普段よりも勢いよく木によじ登った。

 それが悪夢の始まりだった。

 子供からすれば太く大きい木だったが、所詮、都会にある公園の中での話だ。幼稚園児の子供三人までがその木の許容範囲だった。

 ミシミシという音が漏れ聞こえる。その音に気づかぬまま、三人が腰掛けている枝に足を駆け、体重をかける。

 瞬間、木は折れた。

 幸いと言っていいのか、彼はまだ完全に登り切っていなかったため、幹にしがみついたまま助かった。いや訂正しよう。幸いではなかった。まだ彼もいっしょに落ちていれば、彼も何らかの怪我をしていれば、罪悪感というのはもう少し軽いものだったはずだ。少しヤンチャをして怪我をした。その程度で済んだだろう。しかし、その場でただ一人無傷だった彼の心はずたずたに引き裂かれる。

 その時の彼は何が起きたのか、すぐには理解できなかった。恐る恐る下を見ると、うずくまった三人が。ことりと海未はすぐに起き上がる、が、穂乃果だけがいつまでも起き上がれないでいた。海未の泣き声と救急車のサイレンだけが頭の中でいつまでも響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 穂乃果の症状はただの骨折だった。検査をして入院したのも二日だけで、後はすっかり元気になっていた。その事を聞かされたときはほっと一安心した。

 だけど、彼は忘れることができなかった。枝を自らの足で踏み抜いた感触を。怪我をした彼女たちを上から見下ろすように見た景色を。

 そして、父親が頭を下げている姿を。

 そんな彼の姿を彼女たちは見ていた。

 そして決意したのだ。

 一人は強くあろうと。もう己の弱さの所為で、己が泣いていたせいで、誰かが責任を感じる事のないように。 

 一人は笑顔でいようと。大事な人を不必要に不安にさせないために。安心させるために。

 一人は変わらない姿を見せようと。いつまでも変わらないことで彼に大丈夫だよと伝えるために。

 それは戒めであり楔であっただろう。だけど同時に強くつながった絆でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪ちゃん、大丈夫?」

「・・・・・ん?ああ、大丈夫」

 額に脂汗をかき、顔色は驚くほど白い。分かりやすいほど大丈夫じゃないのは俺が一番よくわかっていた。

 場所は遊園地。その観覧車の中。穂乃果と二人。

「高所恐怖症だもんね」

 そう、俺は高いところが怖い。特に周りに人がいるとさらに重症になる。あの小さな頃の事故から、高いところに行くとあの時の感覚が繊細に黄泉あがってきてしまうのだ。多分、当時より何倍もひどく。

 足に力は入らない。体重をかけるとまたあの時のように踏み抜いてしまうのではと、あり得ないと分かっていてもぬぐえない。

「大丈夫だよ。穂乃果はここにいるから」

 そっと隣で抱きしめてくれる穂乃果に、俺は返事をすることもできない。でもこれでいいと思う。克服しなきゃいけないなんてことはないし、きっとこれに関して言えば克服しちゃいけないんだ。

 何回も苦しんで、思い出して。そうしないと自分で自分を許すことができないから。

 そうしてるうちに、自分たちを乗せた観覧車は一周し、元の場所に戻ってくる。

 穂乃果に肩を支えられながら、何とか地面に膝をつくことができた。

「・・・・大丈夫ですか?」

「・・・・まだ治らないんだね」

 下で待ってくれていた海未とことりが駆け寄ってくる。

 今日は八月三日。穂乃果の誕生日だ。何がしたいか聞いたところ「二人で遊園地に行きたい!」といわれたのでこうしてやってきた次第だ。海未とことりは偶然遊園地に来ていたのでせっかくだから一緒に回っていた。

 そして遊園地にくると俺は必ず観覧車に乗る。

 あの事件を忘れない為に。もう二度と、同じ過ちを繰り返さない為に。

 乱れた息を整えながら、穂乃果の左腕を見る。骨折した個所だ。

「ひゃっ!雪ちゃん?」

 無意識に穂乃果の左腕に触れていた。傷痕はない。何度も何度も確かめて。それでも今だに確かめる。

「こら。セクハラですよ」

 海未にバシッと手をはたかれる。ごめんなさい。

「わ、私は大丈夫だよ!いつでもバッチこいだよ雪ちゃん!」

「そう言う問題じゃないよね?穂乃果ちゃん」

「左腕だって、毎日牛乳のんでるから大丈夫だよ!ほらこんなに動くんだよ!」

 そう言ってグルングルンとわざわざ証明して見せる穂乃果。

「――――――――がっ!つ、攣った・・・・・」

「・・・あなたバカなんですか?」

「ふふっ」

「ちょ、笑わないでよ雪ちゃん!!海未ちゃんもバカって言わないで!」

「ごめん、あまりにもバカみたいだったから」

「雪ちゃんまで!?」

 うううと、泣きべそをかきながら地面に指で丸をなぞっている。

 一応は感謝しているのだ。こうしてまだ付き合ってくれていることに。まだつながりを持ってくれていることに。口には恥ずかしくて出さないけれど。

「穂乃果は変わらないな」

「そうかな?」

 穂乃果は照れたように頬をかく。いつまでも変わらない穂乃果でいてくれること、それが救いになっていると、そう思う。  

 今日は八月三日。穂乃果の誕生日だ。

 ハッピーバースデイ。穂乃果。




寝落ちした!どうも、もう一度言っておこう睡眠の重要性!高宮です。
過信していた。完全に余裕ぶっこいてた。ごめんなさい。穂乃果。でもちゃんと愛してるからね!
ということで一日遅れだけどハッピーバースデイ穂乃果。誕生日おめでとう。
つーかつい最近にこちゃんの誕生日祝ったと思ったらもう穂乃果?早くね?
次回も頑張ります。

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