俺に出来た初めての友達は、笑顔が眩しい、明朗快活な少女だった。
腕を引っ張られ飛び込んだその先には、俺に対してあまりにもそっけない態度をとる少女がいた。
最初はぎこちなかった。
会話は途切れ、空気は重く、傍から見れば歪な三人に見えたことだろう。
ただ一人、活発な少女だけが笑顔で仲を取り持とうとしていた。
その内に、活発な少女の健気な数多の頑張りのおかげか、冷たい態度の少女はやがて心を開いて行くようになる。まあこの後すぐに、俺を女の子と勘違いしていた誤解が解けまた警戒されてしまうのだが。それはいい。
そして、段々と三人の楽しい時間が、想いが共有されていくようになる。
やがて、一人の内気な少女がその輪に憧れを抱く。そしてやや強引に引っ張られ、輪の共有に加わっていく。
こうして俺の少年時代は、俺の心の中で小さくも眩しい光となっていた。
ここで一つ、俺の人生は区切りを迎えることになる。あまりにも早い区切りを。
幼稚園のころから一緒だった。しかし、その頃には一緒に遊ぶことは減っていた、一緒にいる事さえも減っていた。だが仲が悪くなったわけでも、嫌いになったわけでもなく。
ただ、疎遠になった。物理的にではなく、心理的に。
距離にすれば、ものの数メートル内にその時のクラスメートだったことりがいた。学年は六年になったばかりだった。
だがしかし、その口から雪君と呼ばれることも、一緒に帰ることも、遊ぶことも、なくなっていた。逆も同様に。
男女の差が出始めたころから、なんとなく一人男だった俺はその輪から自ら外れて行った。
穂乃果や海未やことりは、俺と違って他の友達もいたから、勿論同性の。段々と、遊びにくくなっていた。それでも穂乃果辺りはそんなの気にせず遊びに誘ってくれたが、自ら避けるようになった。俺と遊んでることで、みんなを困らせたくなかった。
この頃から俺は独りでいることが多くなった。
にこちゃんと知り合ったのも同じ時期だった。ベビーシッターのバイトで、初めて行った家だった。にこちゃんは妹と妹と弟の面倒を一人で見ていた。中学生だったにこちゃんは友達を家に呼ぶこともなく、部活で帰りが遅くなることもなく、自らの時間のほぼすべてを家族に捧げていた。
その時のにこちゃんは、当時は俺より身長が高かったように思う。女の子は男の子より成長が早いからだろうか。
俺がにこちゃん家にバイトとして行ったのは偶然だったけど、仕事ではなく、ただこの娘が少しでも楽になればいいと思った。
時にして一年ぐらい、今よりも少し真新しいにこちゃんの家にほぼ毎日通っていた。
買い物も掃除も洗濯も妹と妹と弟の面倒だって、やれることは何でもやった。それ以外することがなかったからというのもある。小学六年生を雇ってくれるところなんてない。年齢を偽証し、お客さんを騙す事で、お金を得ていた。だがしかし、そんなものを二つも三つも抱えられるほど、当時の俺には圧倒的に足りなかった。身長も体力も時間もノウハウも知識も。
だから尽くした。だから尽くせた。だけど、それでもにこちゃんの帰りが遅くなることはなかった。
理由をにこちゃんに聞いても、助かってるだとかずいぶん楽になったと微笑みながら言うだけで、実際に、家族の為に使っていた時間を己の為に使うことはなかった。
今になってようやく分かる。ただそれ以上に大切なものが、家族以上に大切なものが、その時のにこちゃんにはなかった。ただ、それだけの事だと。
思えば、俺はにこちゃんに投影していたのだ。共通点がたくさんあったから。片親な事、友達がいない事、家族のせいで自らが苦労している事。
だから、にこちゃんがアイドルグッズを集め出した時は、少しだけ救われた。趣味に懸ける時間が増えたということだから。自分の為の時間が増えたということだから。彼女が少しでも幸せになればと本気で願ったし、その為にもより一層、仕事に打ち込んだ。
だが決定的に違うのは、彼女は独りじゃなかった。妹と妹と弟がいた。血のつながりがあった。俺には、それがなかった。
そこでまた俺の人生は区切られる。少年時代が、小さな光だとするならば。後に続く中学生時代は深い闇だった。
範囲は広くない、けれどこその深い闇。覗きこもうとすると、自らですら、飲み込まれてしまいそうになるほどの。
そこで俺は、読んでいた日記を閉じる。
10月上旬。もうそろそろ冬の寒さに肌寒くなってきた季節に、俺は掃除をしていた。換気の為に開けた窓から風が吹きこんできて俺は身を震わせる。その風は、もうほとんど葉が残っていない裸の木々を必死に揺らす。
大掃除に向けて、少しづつ少しづつ、段階を分けて掃除をしていたところ、ノートとノートに挟まった自らの日記が見つかったのだ。
幼稚園のころからつけていた日記。絵日記から、段々と理知的になって行く様が、ちょっと面白くてつい読み込んでしまったのだ。
これではいけないと気付き、日記を閉じた次第だ。なにせこの後はミューズの様子を見に行かなければならない。ここのとこ忙しかったせいか、予選突破を決めてから一度も行けてない。
さっさと掃除を終わらせて、音ノ木坂へと向かおう。
「え?いない?」
音ノ木坂について、普段なら生徒会同士の交流やら必要書類の受け渡しやら適当な理由をでっちあげて、一度生徒会室へと寄ってから部室なり屋上なりに顔を出すのだが、今日は違った。
なぜなら、生徒会室には穂乃果達はおらず、代わりに他の生徒会役員に聞いたところ、穂乃果達はもう学校に残っていないということだった。
一応、今日この日に音ノ木坂に行くということは伝えておいたはずだが。それとも何か急用でもあったのだろうか。穂乃果、海未、ことりの三人が同時にいなくなる用事、か。
まあとりあえず、絵里先輩にでも聞けばわかるだろうと、教えてくれた生徒会役員に礼を言って、学校を探索する。
しかし。―――――――部室。―――――――屋上。―――――――教室。
どこに行っても、ミューズのメンバーは誰一人としていなかった。
「うげ・・・」
それでもなお、めげずに探索していると、目の前をコツコツと歩いているのはこの学園の理事長であり、ことりの母親でもある叔母さん。叔母さんといっても見た目は若々しく、お姉さんといわれても思わず納得してしまいそうな美貌には、なるほど確かにことりと似通っている顔立ちをしている。
俺はとっさに、廊下の角を利用して隠れる。今ここでこの人に会うのは避けたかった。なぜなら俺はやや強引にこの学園に侵入している身であり、彼女はこの学園のトップなので俺の事をいろいろと探られるとまずいのだ。
いや、それ以前にもことりを通じて知り合いとはいえこっちに戻ってきてからこの人とは会っていない。しかも、娘であることりの為になるであろう、留学を、帳消しにしてしまった張本人の一人である。普通に気まずい。
それに一応表面上は小細工してあるとはいえ、調べられれば即アウト。彼女なら話をつければ分かってくれそうなものだが、それはもうばれてどうしようもなくなったときの奥の手だ。それまではバレないほうが良いに決まっている。
などと色々と理由をあげるものの、ぶっちゃけた話、俺はこの人が苦手だった。初めて会ったときにお姉さんと間違えてしまい、そのあとすぐに叔母さんと呼んでしまったことにより少々俺に対する当たりが強い気がすると、自分の中ではそう感じている。
「・・・・・?」
すると、なにか異変に感じ取ったのか、立ち止り辺りをきょろきょろと見回す。
首を巡らせた程度ではこの位置からはバレないのだが、少しでも引き返されると即座にバレる位置にいるのは確かだ。
ひょっこりと、渡り廊下を観察する。渡り廊下に人影はない。どうやらその場を去ってくれたようだ。一安心して胸をなでおろす。
さて誰もいないんじゃどうしようと後ろを振り返った瞬間――――――――――。
「ばあ!!」
「うわあああ!!!」
思いっきり近づいた理事長の顔が、鼻と鼻が触れ合うようなわずか数センチ先に出現して、思わず叫ぶ。
「あらあら。そんなに悲鳴を上げなくてもいいんじゃない?ちょっぴり傷つくわ」
手を顔にくっつけ、困ったような表情に、俺は困っていた。
明らかにあの渡り廊下の向こう側にいたはずなのに、ちょっと目を離したすきに後ろに回り込まれたなんてまるでピエロだ。
「別に、あっちの廊下からぐるっと旋回してきたのよ」
俺の表情から読み取ったのか、声に出してもいないのに疑問に答えてくれる。
「それにしても久しぶりね。挨拶がなかったのは偶々都合が悪かったととらえておくわ。どうせいつでも会えるのだし」
言外に、お前の小細工などすべてお見通しだと良い当てられている気がした。こういうところも苦手だ。
「ああ、それと。ことりの件に関してはありがとうね。私としてはことりの可能性を広げる選択だと思っていたのだけれど・・・やっぱり親は駄目ね。子供の事になると、盲目的になるわ」
「あ、いえ。そんなことはありませんよ。あれは僕たちの責任でもありましたし。親が子供の為に何かしようとすることはとても当たり前で、とても立派なことだと思います」
そこでようやく、俺は口を開くことができた。思うところがあるのか、理事長はとても温かな、それでいて悲しい瞳を向ける。その瞳に映る俺の顔は、俯いていてよくわからない。
俺はことりと幼馴染、要するに途中例外はあったものの、小さい頃から一緒にいた。当然、理事長と出会った、という言い方はおかしいかもしれないが、知り合ったのもその時期だ。
となれば必然、俺の父親の事も知っている。その頃はまだ、まっとうな父親であったのだが時が進むにつれて、父兄の間で良くないうわさがあったのも、知っている。
「いやでも、本当に久しぶりね。ことりがなぜか雪君を家に呼ばなくなったものだから。何年ぶりかしらね」
暗くなった空気を変えようとしたのか、声には必要以上に懐かしむ色が見える。
すると、何を思ったのか両手で俺の体をベタベタと触り始める。
「程よい肉付き、端正な顔立ち、決して驕ることのない性格。・・・うん。良い男になったわね。やっぱり私の見立てに狂いはなかったわ」
「うわ、ちょ、やめ」
うんうんと頷き、なおも体中をベタベタと触られる。そんな行為になぜか俺は気視感に襲われた。さっきから感じていたが、妙に誰かに似ているのだ。
そこで俺はああと気づく。ツバサさんだ。ツバサさんに似ているんだ。勿論容姿や外見の話ではなく、こうやって妙にスキンシップをとってくるところとか、含みのある言葉で誘導しようとしてくるところなどが、妙に似ているんだ。だからなんだという話ではあるのだが。
「それで?女子高である音ノ木坂学院に一体全体男の子である雪君がどうしているのかしら?それとも女子高に転入しようとか考えてるの?確かに雪君なら女装すれば何とかいけそうな気もするけど――――――――――――」「あ、あの!俺!用事があるんで!」
失礼しますと、お辞儀をしてその場から走りさる。わき目もふらず走り去る。身の危険を感じたから。背中を走る寒気は気温によるものなのか、はなはだ疑問だが身震いしながら―――――――――――。
思わず勢いで飛び出してきてしまったけど、これからどうしようか。音ノ木坂には穂乃果達はいなかったし、なぜか絵里先輩たちに電話してもつながんないし。
とりあえず、買い物でもして今日は帰ろう。
そう思い、いつものスーパーに立ち寄る。なんてことのない、いたって普通の地域密着型の地元のスーパーだ。
入り口でカートとカゴを手に取り、今日の献立を考える。特売品とタイムセールを加味すれば今日の食事は期待できそうだった。
とはいえ、無駄なものを買えるほどの経済的余裕は俺にはない。
穂乃果達と会うことができなかったせいで、タイムセールまでの時間が浮いてしまった。他に買う者は即座にカゴに入っているし、これからどうしようかと頭を悩ませていると。
見知った髪形の、見知った制服の、見知った人間がそこにいた。
どうやらその見知った人間は、両手にお魚を手に取りながら見比べているようだ。
「にこちゃん?」
「うわっっ!!」
その後ろ姿に声をかけると、ひどく驚いたようにのけぞる。そんなに驚かせようとしたつもりはなかったのだけど。
「ななななな、何してんのあんたこんなとこで!!」
「何って、にこちゃんと一緒だと思うんだけど」
何してると言われても、スーパーにいる人間がすることなど一つしかないと思うのだが。
「あ、ああ買い物ね。そうよね、そりゃそうよね・・・」
他にも何やら一人でブツブツと独りごとを言っているようだが、小さすぎて聞き取れない。
「それより、今日音ノ木坂に行っても誰もいなかったんだけど、にこちゃんは何か知らない?あれ?ていうかなんでにこちゃんは買い物してるの?」
本来ならこの時間は練習しているはずだ。今日だってその練習を見に行こうとしていたのだから間違いない。まあいっても誰もいなかったんだけど。
「はあ?いやそんなはずは―――――――――」
「「「「「「「「雪君ちゃん?!」」」」」」」
「はい?」
にこちゃんが俺の質問を否定しようとしたところで、なぜかスーパーの出入り口から大声で名前を呼ばれた。それも複数の人数から重なり合って。
何事かとそちらを見やると、穂乃果や花陽、つまるところミューズのメンバーが荷物の陰に隠れるようにしてそこにいた。と思ったのだが、よくよく見てみると希と絵里先輩はいないようだ。
「ま、まさかにこちゃんの相手って・・・・・・雪、君」
「し、しっかりするにゃーかよちん!!」
「そ、そうだよ花陽ちゃん!!まだそうと決まったわけじゃないよ!」
「そうだよ!雪君が何らかの弱みを握られて仕方なくにこちゃんと付き合ってるかもしれないよ!?ていうか絶対そうだよ!!じゃないと私の雪君がにこちゃんと買い物デートしてるはずないもの私も知らない雪君と付き合えるだけの雪君の弱みって何!?にこちゃん!!」
「そうだったんですねこの腐れ外道!!」
「なんでよく分からないうちに腐れ外道呼ばわり!?」
なんだかよくわからないが、海未がにこちゃんの事を腐れ外道だと罵った事だけは明確に分かった。
「別にわかんなくて良いのよそんな事!!」
気づかぬうちに口に出していたのか、にこちゃんが凄い形相でこちらを睨む。かと思いきや、持っていたカートをメンバーの方へ投げ出し、凄い勢いで裏口へと消えていった。
前々から思っていたのだけど、にこちゃんは意外と足が速い。
「にこちゃーん」
一応呼びかけるものの、帰って来たのは悲鳴のみ。どうやら裏口で待ち伏せを食らったらしい。状況を見るに裏口にいたのは絵里先輩か、希のどちらかだろう。
とはいえ、何が何だか分からない。とりあえずみんなが学校にいなかった理由だけは分かった。
「追うにゃー!!」
凛の一言により、穂乃果以下、物陰に隠れていた皆が駆けだしていく。追うというのはにこちゃんを追うということだろうか。
展開のわけのわからなさにポカンと口を開けていると、ただ一人、駆け出して行かなかった真姫ちゃんだけがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
丁度良かった、真姫ちゃんに事情を聞こうと話しかけようとする。
「・・・・・・・・・・。」
すると、近付いたたからこそわかる感情の変化。いつもの真姫ちゃんとは圧倒的に違っていた。
「・・・・・・付き合ってるんだ。にこちゃんと」
もう人一人分の距離もない、一歩踏み出せばその体に触れることができる距離で、しかし、俺の足は踏み出せないでいた。
ぎょっとする。泣いていた理由もわからなかったし、真姫ちゃんが言っている意味もわからなかったからだ。
「ちょ、え?何?なんで泣いてるの!?」
「う・・・・・・・・ぐすっ」
俺の疑問には答えずに、かわりに真姫ちゃんは大きな瞳の目じりからぼたぼたと涙を落とす。
買い物をしていた周りの主婦からも奇異な視線を向けられていた。そりゃそうだ。いきなり騒ぎを起こした高校生の集団に、どう見ても知り合いの男が、女の子をスーパーで泣かせているのだから。
「と、とりあえず。ここから出ようか」
泣いてる真姫ちゃんを誘導し、とりあえず近くの歩道橋まで足を運ぶ。そこにある丸い石造りの椅子の一つに腰をかけた。
未だ泣きやまない真姫ちゃんに、俺は困惑する。
何がそんなに悲しいのか、泣いている原因が分からない。
とりあえずハンカチで涙をぬぐう。
この状況は俺か、俺が悪いのか。俺の所為なのか!?
ハンカチで真姫ちゃんの顔をぬぐいつつ、心当たりをぐるぐると考えてみても、一向に見つからない。
そんな状況で、突然がしっと、ハンカチを持っていた腕が掴まれた。ものすごい力で爪が食い込む。
「ぐぎぎぎぎぎ、に、にこちゃんだったら、アライズの人たちよりは、まだ雪を、うぐぐぐぐ、で、でも、にこちゃんと雪があんなことやこんなことをすると思うと・・・うがー!!やっぱり駄目!!!」
突然発狂し出した真姫ちゃんによって俺は押し倒される。
固い石でできた地面に頭を打ち付け、視界が一瞬揺れる。
なおも馬乗りにされたままで、再び見開いた視界の端でこちらに向かって歩いてくる一団を見つけた。
「あれ?雪ちゃん?」
その先頭にいたのは穂乃果。
そして後に続くメンバーたちが、後方からこの現状を確認しようとする。
馬乗りになって泣いている真姫ちゃんと、なすがままにされている俺を。
「はぁーふぅー。・・・・・・何真姫ちゃんに襲いかかってるんだにゃ!!」
「襲ってないよ!むしろこの状況だと襲われているのは俺じゃないですか!?」
「問答無用!!死ね!!この腐れ外道!!」
「腐れ外道!?それはにこちゃ――――――――――――」
言い終わる前に、海未と凛のダブルドロップキックが飛んでくる。とっさに真姫ちゃんを押し、そのせいでドロップキックがクリティカルヒットする。
ズガシャ!!と、蹴りの勢いで地面を擦って行く。鈍い痛みに顔をしかめていると、頭の真後ろ。わずか数センチのところを車が通った。
ちりちりと髪の毛が風になびき飛んでいく。
「死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!シャレになってないから!!これはマジで死ぬ奴だから!!スクラップになる奴だから!!」
慌てて抗議をするも勢いよく走ってのしかかってくることりに、その講義を中断される。
「雪君のバカぁ!!にこちゃんと勝手に付き合っちゃうし!!真姫ちゃんは襲うし!!何されたの!?二人にどんな弱み握られたの!?ことりにも話してよ!!」
そう言いながら首筋を掴みがくがくと頭を揺さぶってくる。そのせいで揺さぶられるたびに、車道を走る車にかすって行く。
「いや話したらことりにも弱み握られちゃうよねそれ!!いや弱みなんて握られてないけど!!ていうかちょ!!マジ!!マジで死ぬ!もうすでに髪の毛が何本か逝っちゃってるから!!いったん落ち着いて!!いったん落ち着いて俺の話を聞いて!?」
しかし、ことりは止まらない。なので皆に助けを乞おうとしたのだが、揺れる視界でかすかにとらえたのは、全員がこちらを死んだような目で見据えている事だけ。
「話って何!?まさかのろけ!?俺のにこちゃんマジ天使とかいうつもり!?いい加減にしてよ!!天使はことりだけでしょ!!」
「いやことりちゃんは天使じゃなくて天使の皮を被った悪魔――――――――――」
凛が言い終える前に、ことりから何かが投擲され凛の顔にぶち当たり、凛が倒れる。
「あれ?・・・・あれ俺の携帯!!いつの間ににににに!?」
ガシャンと地面と擦れる嫌な音が響く。
「そんなことはどうでもいいのよ!!ねぇなんでにこちゃんなの!?にこちゃんならことりでもいいでしょ!?にこちゃんにできないことなんでもさせてあげるよ!!」
「いやだから俺の話聞いて!!にこちゃんとは別に付き合ってないんだって!!」
俺の一言にがくがくと揺さぶられていた頭がようやく解放される。三半規管が思いっきり揺らされたためか、少し気持ち悪い。
「・・・・・・え?付き合ってないんですか?」
俺の一言に、なぜかことりではなく海未が言葉を返す。他のみんなを見ると、死んだ目に徐々に光が灯って行くのが分かった。
「いやだから付き合ってないって。大体、なんでそう言う話になってるの?」
100歩譲って、真姫ちゃんは誤解を招く要因があったのでいた仕方ないが、にこちゃんに至ってはなぜそういう話になったのか全くの謎だ。
「それは、にこちゃんが様子がおかしかったから、誰かそういう人ができて密会でもしてるんじゃないかーって」
俺の疑問に穂乃果が答えてくれる。
「はぁ。様子がおかしいって?」
「練習を途中で抜け出したり、何か隠し事してるようなのよ」
絵里先輩が困ったように言う。
そうだったのか。予選突破で気持ちが高ぶって特ににこちゃんは練習にもいつも以上に精を出していそうなものなのに。
なにか用事でもあったのだろうか。それにしては普通に買い物してたような気がしたけど。
「でも、本当に良かった。雪君がにこちゃんと付き合ってないって分かって。アイドルにそういうのはご法度だもん」
ほっとした様子で何かをしまう花陽。その手には金属バットが手に握られていたように見えたのは気の所為ですよねそうだと言って誰か。
「大丈夫だよ雪君。私は信じてたよ!」
「どの口がそれを言うか!!」
「あうあうあうあ」
未だ俺にのしかかっていることりにこの口か、この口か、とほっぺをつねる。
希に手をとってもらいようやく立ち上がる。まったくとんでもないとばっちりだ。
やれやれと橋の欄干ににうなだれる。
「あれ?雪さん?」
はい?と、名前を呼ばれた方向に首を巡らせると。
「・・・・こころちゃん?」
その先にはこちらをきょとんとした表情で見つめる心ちゃんの姿が。
「後ろにおわせられるのは、もしやミューズの皆さんでは?」
「え?私たちの事知ってるの?」
指摘されたミューズのリーダーである穂乃果が疑問を返す。
「はい!いつもお姉さまから話は聞いています!矢澤こころです」
「矢澤・・・・?ってもしかして!?」
「にこちゃんのお姉ちゃんかにゃ!?」
いや妹でしょどうみても。そんなににこちゃん幼くないよ。いやでも精神年齢という観点から見ればあながち間違いでもないか。
意外と的を得ていた凛ちゃんの発言はおいて置くとして、みんなはこころちゃんに興味津々だった。
「へー。さすが姉妹、良く似てるわね」
「真姫ちゃんは一人っ子だもんね」
真姫ちゃんは顔の似ている部分に感心していたし、花陽がそんな真姫ちゃんをいつくしむような目で見ている。
「にこっちは普段うちらについてどんな話しとるん?」
「確かに。家でもにっこにっこにーとかやってるんでしょうか・・・・」
海未の顔が若干、子供の将来を心配する親の目線みたいになってる。
「お姉さまですか?そうですね、家ではアイドルの話を良くしてくださいます。
笑顔の心ちゃんが何気なく放った言葉に皆一瞬時が止まる。
「「「「「「「「・・・・・・バックダンサー?」」」」」」」」
どうやら皆が疑問に思った点は共通していたようだ。
「??お姉さまがセンターを務めていらっしゃるアイドルのバックダンサーとして、地道にアイドルへの道を歩んでいるんですよね?頑張ってください」
最後に持ってこられた一言により、悪意がないのが伝わってくる。ここで嘘をついているわけでもなさそうだ。
その事を悟った皆は裏でひそひそと内緒話をしている。
「これはどういう事?」
穂乃果が首をかしげ、それに絵里先輩が推測する。
「私たちの事をバックダンサーだと、にこがそうあの子に話しているんでしょう」
「なんでだろう?」
「それは、本人に直接聞いてみるしかないにゃー」
凛の一言に皆頷き、こころちゃんを振りかえる。
「あの、どうされたんですか?宇宙スーパーアイドルであるお姉さまの引き立て役であるバックダンサーの皆さ―――――むぐっ」
その一言に、場の空気が凍る。
「んんっ。こころちゃん、ちょっと静かに」
これ以上、こころちゃんを自由にしゃべらせておくと、皆の精神衛生上、そしてにこちゃんの為にも悪い方向にしか行かないので両手でこころちゃんの口を塞ぐ。
「あのー、申し訳ありませんが、にこと話がしたいので携帯電話を貸してはいただけないでしょうか」
「ふぁい、ひいれすよ」
俺の両手に塞がれたまま、いまいち何の事か分かっていないのか、素直に携帯電話を差し出してくる。こころちゃんの吐息やらなんやらで少しくすぐったい。
こころちゃんから携帯を渡された海未。何度かコール音が響いた後。
「はーい、みんなのアイドル矢澤にこでーす。にっこにこにー。御用のある方はーにこのーにっこにこにーの後に十秒以内で伝えてくださーいにっこにこにー」
妙に甘ったるい声が、歩道橋に響く。場の空気が一瞬凍り、すぐにマグマと化す。でもこれはしょうがない。俺もちょっとイラっときた。
「あの、わたくしにこのバックダンサーを務めさせていただいている園田海未と申すものですが」
バックダンサーを強調してそこまで喋ると、不意に携帯を絵里先輩が奪い取る。
「どういうことか説明してもらえるかしら?」
「ひどいよにこちゃん!!凛達の事そういう風に思ってたの!!ひどいや!!にこちゃんの貧乳!!」
「そうよ!バックダンサーってどういう意味!?」
各々怒りが爆発したのか、それぞれが早口でまくし立てる。
そして、携帯がことりに渡ると。
「妹の安全が惜しくばさっさと家に来い。さもなくば妹の恥ずかしい写真をネットにばら撒く」
その言葉を最後に、ぶつっと電話を切ることり。真顔だった。やり方が陰湿だった。声のトーンがいつもより低かった。場の空気もお通夜みたいになっていた。
トントントンと、指で机を一定のリズムで刻む音が、部屋に木霊する。
にこちゃんの家にお邪魔して、にこちゃんを待っている間に、ことりが椅子に腰かけ発する音だ。もともと家にいたにこちゃんの弟であるぼーっとした雰囲気の虎太郎も、奥の部屋に引っ込んでしまった。
いつの間にか、にこちゃんへの怒りなどどこかへ吹き飛んでただただ、この空間をことりが支配していた。
(早く!!早くにこちゃん帰ってきて!!)
皆の願いは一つだった。こころちゃんが気を使って淹れてくれたお茶も湯気が立たなくなってきた頃。
「そ、そういえば保留にしてた問題があったにゃー」
「な、何?凛ちゃん?」
空気に耐えられなかったのか、凛が唐突に俺の事を指さしてくる。
「なんでにこちゃんの妹と知り合いなのかにゃ!?いったいどこで知り合ったのかにゃ!?なんだかこの家の事もよく知っているような雰囲気だにゃ!?」
ぐっ、鋭い。来るかなとは思っていた質問が、今来てしまった。
すると、そんな凛ちゃんの質問で思い出したかのように、カツカツという音がより一層早く刻まれる。グリンと首を回し、まるでシャフ度のような角度からことりが俺を見つめる。その眼は血走っていた。
だがしかし、正直に小学生の頃年齢詐称していたバイトで偶々バイト先の仕事場がここでそこで知り合った。なんて言えない。
もしそんなことを知ったら、凛なんかはともかく、穂乃果達は気付いてしまうだろう。俺のバイトの中身に。もともと怪しまれているのだし、決定打を与えられたら崖を転がるように事態が急転してしまうかもしれない。
それは避けたい。穂乃果達には余計な心配掛けさせたくないし、バイトを辞めろと言われたら、素直に従ってしまいそうだったから。
でも今のバイトを辞めたら、確実に生活は苦しくなる。父親がいなければ、それでもいいのだろうが。そうもいかない。
しまった。あれこれと考え込んでしまった所為で、変な間が生まれる。
しかし、そこでその間を払しょくするようにチャイムが鳴った。
「ただいまーってあれ?靴がいっぱいある。・・・・もしかして」
にこちゃんの声が届く、内容からしてどうやら留守電は聞いてないみたいだ。
ことりがゆっくりと立ち上がる。
「雪君。話はまたあとでね?」
にっこりとこちらを見て微笑む。あ、なかったことにはしてくれないんですね。
再度逃げようとしたにこちゃんだったが、あっさりと捕まって、居間。
「それでにこっち、しっかりと聞かせてもらおうやないの」
「そうだよ。なんで私たちがバックダンサーなんかになってるの?」
穂乃果が静かに問いただす。
「に、にっこにこにーニコには何の事だか―――――――」
「にこちゃん♪」「はい真面目にします」
にこちゃんがにっこにこにーで逃げようとしたところ、ことりがたったの一言で修正させてしまう。
「・・・・前からよ」
「え?」
「別にいいでしょ?私が家で何言ってたって」
それきり、にこちゃんは何も言わなかった。表情も、ふすまを隔てた奥にある部屋であそんでいるこころちゃん達を見ているせいか、良くわからない。
「・・・・・帰って」
「でも」
「お願い。今日は帰って」
真姫ちゃんが食い下がったが、それを希が宥めて皆玄関の扉をまたいでいく。
すると、その最中にもう一人の妹であるここあちゃんが帰ってきた。
「あれ?お客さん?あ!にーたんだ!!」
ここあちゃんが俺を見つけるや否や、懐に飛び込んでくる。
そんな様子を、まだ玄関に残っていたのだろうことりと、海未に見られてしまう。普段なら何とも思わないのだが、今日この時に限って言えばもうちょっと我慢して欲しかったかな、ここあちゃん。ああ、ことりの目線がつららのように突き刺さってくる。
海身に至っては、まるで汚物でも見るような蔑みの目線をくれる。口元の動きをみると、「うわぁ」と言っているようだった。
「ぺっ」
「唾!?人ん家で唾はいたよこの子!?」
心なしか、玄関のドアを閉める音が三割増しで大きくなって響く。
「どしたの?にーたん」
「なんでも、ないんだよ」
「・・・・・・帰ってっていったのが聞こえなかったの」
俺は懐でここあちゃんを抱きかかえたまま、にこちゃんが呟く。
「そういえば皆で部屋に入ったよ。皆所狭しと置かれたアイドルグッズに驚いてた。この前来た時より増えたよね」
「だから――――――」
「増えたのはさ、ミューズのグッズだった」
「・・・・・・・・・」
「俺も持ってるよ。凛のクリアファイルに穂乃果のノート。絵里先輩のうちわとか」
「だから何」
「いいや、さて俺も帰るよ」
そう言い残し、玄関から去る。もうそこには他のみんなはいなかったけど。
数秒たってから、こころちゃんが玄関のドアを開けておずおずといった感じで顔を出してきた。
「あの、私なにか余計なことをしてしまったみたいで。・・・・お姉さまは嫌われてしまったのでしょうか」
震える声。俯く頭。こころちゃんの間とっている空気が、今にも壊れそうだった。
こころちゃんは賢いから。気付いてしまったんだろう。にこちゃんの嘘に。そしてそれが自分の所為だということも多分気づいてる。自分が壊してしまったのではないかと危惧しているのだ。
きっと、にこちゃんは前から宇宙スーパーアイドルだったのだろう。家の中では。
前に希に聞いたことがある。にこちゃんが一年生の時、ミューズに入る前に、違うアイドルをやっていた事。そして、そのアイドルは空中分解してしまった事。
そして、にこちゃんはきっと自分がアイドルになったことは言い出せても、辞めたことは言い出せなかった。
だから、その時から、にこちゃんの嘘は始まっていた。
全部とは言わない。ほんの少しだけど、その気持ちは分かる。俺も嘘をつき続けているから。
「大丈夫。あれくらいでどうにかなるミューズじゃないよ。あれくらいでどうにかなるにこちゃんじゃないよ。にこちゃんは強いからね」
たとえ一人になっても、アイドル研究部を守り続けてきたのだから。ミューズが壊れそうになった時も繋ぎとめる線になっていたのだから。
さて、それじゃ、嘘つき同士。にこちゃんを補強してあげますか。
翌日。放課後。
音ノ木坂の校門の前。
「本当に良いんでしょうか?」
「大丈夫。理事長に許可は取ったからね。ほら、入校許可書」
昨日あの後、理事長室に大急ぎでいってもらって来た。貸し一つだと言われた。ちょっと不安だけど大丈夫と言い聞かせよう。
「あ、姉たん!!」
ここあちゃんが今まさに校門から出ようとしてきたにこちゃんを見つける。
「こころ!ここあ!虎太郎!なんでこんなとこに連れてきてんのよ!」
にこちゃんが俺に突っかかる。
「それはほら。今からライブをやるからさ」
「はぁ?ライブ?」
「そうよにこ。今からあなたの為にあなたがライブをやるの」
気づくと、にこちゃんの真後ろにいつの間にか絵里先輩が陣取っている。
「そうだよ宇宙スーパーアイドルにこちゃんの特別ステージだよ」
左腕をがしっと掴みながら今度は穂乃果が現れる。それと同時に、絵里先輩も右腕を掴み連行する形で元来た道を引き返す。目的地は屋上だ。
「ちょ!何!何すんのよ!」
「だ、大丈夫なんですか!?」
心配そうに見守るこころちゃん。にこちゃんがこころちゃんを心配なように、またこころちゃんもにこちゃんの事が心配なのだ。
それがちょっとだけ羨ましかった。それをちょっとだけ恨んだ。
でも、そんな感情は胸にしまった。
「大丈夫。今から凄いもの見せてあげるから」
「まじ!?凄いものって何!?」
ここあちゃんがきらきらとした瞳で食いつく。
だから俺は今できることをしよう。それしかできないのだから。
三人を連れて校舎に入る。目指すのはにこちゃんを連れて行った穂乃果達と同じ、屋上。
屋上に入ってまず目につくのは、普段とは違う事を示し、存在感を放っているステージ。そのステージは屋上の入り口の壁を背にセットされており、その眼の前にはレジャーシートや風船など小さい子供が喜びそうなものが飾り付けされてある。
そんな屋上の入り口が、不意に開く。でてきたのは、にこちゃん。ただしこちらもいつもと違い、背中に羽、全体的にピンクで統一された天使を模した衣装に身を包んでいる。俺がいる裏手からは詳しくは見えない。パチパチパチとまばらな拍手。たった三人しかいない拍手。
そしてその後ろには、ミューズ。今日一日に限り、嘘を真にするために色々なものを用意した。
嘘をついたのなら騙し通さなきゃいけない。それが嘘をつき続けたものの責任だ。そうして、いつか本当に宇宙スーパーアイドルになってしまえばいい。嘘を現実にすればいい。そうすれば問題は何もない。
にこちゃんの嘘はそういう嘘だ。
にこちゃんがこころちゃん達に向かって自分の気持ちを打ち明けている。それはきっと嘘いつわりのない真実。そして、にこちゃんは歌う。
にこちゃんは今できる最善を尽くしている。ならば俺に出来る最善の事は、その嘘を固める補強をしてあげる事。かつて俺は、目の前で精いっぱい歌う娘を幸せにしてあげたかった。だけどそれは傲慢だった。たった一人の人間で幸せにできるのなら、もっとこの世は生きやすい。
そうじゃないから、一人じゃ何も変えられないからこの世の中は厳しいんだ。
でも逆にいえば、誰かがいれば変えられる。皆がいれば変えられる。
・・・・・じゃあ、俺の事もいつかは変えてくれるのだろうか。
電飾が眩しくて空を仰ぎ見る。碧い空に吸い込まれそうになりながら。
逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。どうも高宮です。
思いがけず14000文字を超えました。切るところが見つかりませんでした。書き終わると二話に分ければよかったと激しく後悔しております。
いつの間にか希ちゃんの誕生日までもう二日もないし。やばいし。