「ふぅ・・・・」
松浦果南は、実家でもあるダイビング教室のそのベランダで一人ため息をついていた。
今の今まで、お客様を相手に何時間もダイビングをしていたせいか体がひどく思い。
ここの所、その体が軽くなったことはないのだが。
「そろそろ、学校かぁ」
お父さんが入院したという”建前”で学校を休学していた彼女だったが、それもお父さんの退院と共に明ける。
本来なら喜ばしいことだ。
お父さんが退院したことも、学校に通えることも。
今まで会っていなかった友達に久しぶりに会う緊張はあるかもしれない。だけどため息をつくほどじゃあない。
そう、理由はもっと他にあった。
「・・・・・・せんせぇ」
夕陽の日差しが彼女の顔を真っ赤に染めて、その声色はどこか儚げな色っぽさを備え付けていた。
「せ、先生・・・・」
「大丈夫だよ、津島さん。案外誰も君のことなんて考えてないって」
「先生!それ慰めてない!」
「あれ?」
千歌ちゃんたちのスクールアイドルが正式な部として認められて早数週間。
僕は朝早くから津島さんのお迎えに上がっていた。
なぜなら津島さんが学校に行く気になったからで、それがあのファーストライブと関係しているのかは彼女自身しか知らない。
まあ何はともあれ、教師としては生徒が学校に来てくれるのはいつだって嬉しいもので。
だから精一杯のフォローのつもりだったのだが、どうやら津島さんはお気に召さなかったようだ。
ずっと膨れたほっぺが萎まない。
「善子ちゃん、先生の言う通りずら。誰も入学初日のことなんて気にしてないずら」
「ほら!国木田さんもそう言ってるし」
学校の廊下、まだ誰も人気のない場所で僕らは三人でひたひたと歩いている。
国木田さんはどこから聞きつけてきたのか、津島さんが今日学校に来ると知って早めに登校してきたらしい。
物凄く友達思いなのだろう、それは教室でのルビィちゃんとのやり取りを見ていてもわかる。
「うぅぅ、先生も花丸も私が暴走しそうになったら止めてね?」
泣きそうな顔で不安そうな津島さん。
入学初日のことが相当トラウマになっているらしい。僕らは幾度も中二病が出そうになったら止める契約を結ばされていた。
「わかってるずら。ね、先生」
「大丈夫、大丈夫。任せてよ」
正直、そこまで強く言えるほど自信なんてないけれど。
それを言ってしまったら津島さんの不安は一生消えないだろうし、学校にだって行く気がなくなってしまうかもしれない。
僕の所為でその可能性を広げてしまうわけにはいかないのでここは精一杯強がるだけだ。
「それじゃあ僕は職員会議だからここでお別れだけど、津島さん」
教室の前までついて、僕は最後に彼女に一声かける。
「・・・何?先生」
一抹の不安と、胸に広がるドキドキで気分すら悪くなりそうになっているその表情のままそれでも僕にちゃんと目を合わせてくれる。
そんな彼女はきっと、この学校でもやっていけるはずだ。
いいや、やっていってほしい。
一人の教師として、そう切に願う。
「人間関係なんて最初が一番肝心なんだから、君はもう一度失敗した身だ。だからもう当たって砕けちゃえ!」
「最低!」
あれ?励ましたつもりなのになぜか怒られているんだけど?ポカスカと殴られているんだけど?
「仲良しずらね~」
「な・・・!仲良くなんかない!」
あ、良かった。矛先が国木田さんにいった。
殴られた右腕をさすりさすりしながら僕は、まあ嫌な緊張も取れたみたいだし結果オーライってことで。と、思うことにした。
「じゃあ、本当にここでバイバイだね。津島さん、程よく頑張ってね」
「何その適当なアドバイス、もうちょっと教師らしいこと言いなよ」
そっぽをむいて口を尖がらせて、津島さんはそう言った。
「はは、ごめん。苦手なんだこういうの」
僕はそんな彼女に笑って謝る。
こんな彼女を見てもらえればいいと思った。そうすればきっと、友達だって出来るよと。
流石にそこまでは口にはしなかったけれど。
「それでは、職員会議を始めます」
職員室に書記さんの澄んだ声が響く。
生徒も教師も人が少ないこの学校では、勤続年数などあってないようなもので。完全実力主義の社会へと変貌していた。
日本式の年功序列など、なにそれおいしいの状態であり、アメリカンなスタイルが横行している。
帰国子女である小原鞠莉さんが理事長だということも少なからず影響があったかなかったかでいうと多分ないのだろう。
そんな場所でも書記さんはものの見事にのし上がっており、今では肩書きがいくつあるのか僕も分かってない。
高校の頃は人見知りで、変なところでは行動力があったけどまさかこんなに変わるなんてねえ。
いいや、変わってはいないか。あの頃からいつも、僕の至らないところを助けてくれた。
「海田先生?聞いているのですか?」
「あ・・・すいません」
などという回想すら、書記さんのレーザービームのような視線に遮られる。
「まったく・・・・いつまでも変わらない」
「え?」
「なんでもありません」
語尾が良く聞きとれなくって、聞き返したのがいけなかったらしい。レーザービームは強度を増して僕を貫いてくる。
「えーっと・・・何の話でしたっけ?チッ、海田先生が余計なことするから忘れてしまったじゃないですか」
「凄い、物凄い理不尽が飛んできたんですけど」
何?これが社会?これが大人になるということなの?だったら僕まだ子供のままでいいんですけど。
鬼の形相で僕をにらみつける書記さんにブーブー文句を言っていると、いずれ本当に絞められそうなのでここは大人しく引き下がる。
大人だからね!僕は!
「ああ、そうそう」
すると書記さんは話す内容を思い出したようで。
「浦の星女学院、つまり我が校は正式に沼津の高校と統廃合になることが決定しました」
淡々と、あくまで事実だけを述べるAIのように書記さんはそう言った。
そこに感情はなく、そこに意思はない。
だからこそ、その場の職員の誰も声を荒げる者はいなかった。
あったのはただ、諦めのため息と、遂に来たかという終焉の気だるげだけだった。
かくいう僕だってその一人で。
そっか、来ちゃったか。
そんな感想しか抱けなかった。
運命に抗う術も。
現実に反抗する気概も。
もう、僕にはなかった。
大人になるにつれ、なんてつまらなくなるのだろうと日に日に思う。
特に、キラキラした生徒たちを見ていると余計に。
だからこそ皆、思い出にすがって。あの頃の自分に元気をもらっているのだ。
あの頃は自分でそれが生み出せていたはずなのに。
「つきましては、生徒に伝えるタイミングなど事が事ですので慎重に決めていきたいと思います」
冷静な書記さんは確認事項を詰めていく。
必要なことだ。それを書記さんに背負わせてしまったことが申し訳なく感じる。
(そっか、でも何も今日じゃなくてもよかったのにな)
せっかく、せっかく津島さんが学校に行こうと決心した船出だったのに。
どうやらお天道様は微笑んではくれなかったらしい。
その後も確認することだけを淡々と進めていき。
「では、これにて職員会議を終わります」
ありがとうございました。
その言葉が響いて、職員室はやや閑散とした雰囲気になる。
「海田君」
「え、なに?書記さん」
僕もそれに倣って朝の授業の準備にとりかかっていたところを、書記さんに呼び止められた。
もしや、さっきのことを怒られるのだろうか。
え?うそ?マジで?
ちょっとぼーっとしてただけじゃん。それを目ざとく見つけられただけじゃん。あ、こういう態度がいけないのか。すいません、反省します。
などと心の中で言い訳を必死に考えていると、予想に反して優しい声色で書記さんは口を開いた。
「辛いだろうけど、まだ顔には出さないでね。アナタ、嘘つくのが下手なんだから」
「・・・わかってるよ」
少々、拗ねた言い方になってしまったかもしれない。
僕なんかよりよっぽど僕のことをわかっているのが、なんだかちょっとこそばゆい。
それでも確かに書記さんの言う通り、僕は嘘が下手くそだという自覚もある。
昔はそんなことないって思ってたものだけど。
「書記さんこそ大丈夫?辛いこと、全部書記さんがやってるんじゃない?」
「そんなことないわ、他の先生方だっているし。私がなんでもやってるわけじゃないもの」
「そう」
「そうよ」
でも、と書記さんは引き締まった顔で言う。
「生徒に伝えるタイミングとは言ったけど、バレるのも時間の問題よね」
「・・・かもね」
それだけを言うとやがて時計の針は始業へと刻々と近づいていき、僕らは別れの言葉を言い合う。
もう、後何度出来るのかわからない言葉を。
「センセー!この学校、統廃合されるって本当!?」
その日の放課後、津島さんはやや辛そうにはしながらも頑張って中二病を隠し通せていたその日。
何人かの生徒が、教室に残っていた僕を呼び止めた。
「・・・だ、誰から聞いたの?」
ちょいちょいちょいちょーい、え?早くない?ばれるの時間の問題どころの騒ぎじゃないよね?超特急で広まっちゃってるよね?光の速さで広まっちゃってるよね?
僕?僕じゃないよね?うっかり無意識のうちにぽろっとどこかで喋ってしまったわけじゃないよね?
そんなことになったら教師どころか僕は人間やめなくちゃならないんですけど?ジョジョ?
「もう噂になってるよ」
「ね、皆話してる」
うーむ、驚くべきは女子の噂の進行スピードの速さか。
人の口に戸は立てられぬとは言うけれど、早すぎじゃないかい?まだ一日も経ってないんだよ?
「で、事の真相はどーなの?センセ」
「・・・そのことについては今現在調査中なのでお答えできません」
「何その政治家みたいな逃げ方!」
「あ!物理的にも逃げた!」
いやほんと、政治家さんって勉強になるわ。
こういう時は超ダッシュだよね。
なんて逃げ回っていると、教師としての能力やら大人としての品格やら(元々そんなものあったかはさておき)色々と疑われそうなので僕は優雅に物置小屋へと避難した。
「あれ?どーしたんですか?先生」
「・・・そっか、しまった。ここはもうスクールアイドル部の部室だったっけ」
思いっきり誰もいないと思って落ち着くためにタバコまで口にしてしまっていた。
キョトンとした桜内さんに見られてしまった。
「おタバコ、吸われるんですか?」
「いやー・・・あの・・・これはね、」
なんとか上手い言い訳を考えようと脳みそをフル回転させる。
「・・・・・」
も!海田雪は失敗した!そんなに要領のいい脳みその造りをしていなかった!
悲しいね!泣きそうだ!
「あの、別に責めてるわけじゃありません」
そんな僕の必死の形相が伝わってしまったのだろう、少々不服げに桜内さんは口を開く。
「私、そんなに怖いですか?」
「いやいや、そんなことないよ、そんなことないそんなことない」
「そんなことないの一点張りじゃないですか」
あれ、何だろうこの感じ。まるで詰将棋みたく一手一手詰められていくこの感じ。
桜内さんの顔がどんどん不機嫌になっていっている気がする。
「あ、そういえば他の皆はどーしたの?桜内さん一人?」
部室には桜内さんしかいない、ことを利用して話題を変えようと試みる。
「・・・さあ、もうすぐ来ると思いますけど」
「ただーいまー!ってあれ?どうしたの先生」
「千歌ちゃん・・・今ほど君の登場を心待ちにしたことはなかったよ」
桜内さんの言葉が部室に響きその数秒後、まるで計ったかのように千歌ちゃんは部室の扉を開けて現れた。
「千歌ちゃん・・・・だと・・・・?」
後ろに渡辺さんもくっつけて。
しくじった。つい、普段の通りに下の名前で呼んでしまったのが運の尽き。
物凄い顔の渡辺さんが僕をにらみつけている。
さあ、どうなる?海田雪!
次回へ続く!
「に、なるわけねえだろ?ああん?」
「あ、ですよねー」
まるで田舎のヤンキーのような首の曲げっぷりで渡辺さんの顔が近い。
ていうか、一応僕教師なんですけど?あ、聞いてない?ですよねー。
「た、大変ですぅ!」
「お、お邪魔しまーす」
そんなピンチに現れたのは、ていうかまあ僕が部室にいるのだから当然なのだけれど部員である国木田さんと、なぜか津島さんだった。
そして最初に慌てた様子で声を荒げていたのは黒澤ルビィさんで。
「よし!人数も増えてきたことだし!僕はそろそろ退散しよっかな!」
と、体よくこの場からパージしていきたかったのだが。
「逃がすわけねえだろ?おおん?」
「戻ってー!いつもの渡辺さんに戻ってー!お願いだからー!」
がっつり出口を塞がれた。
「って、そんなことをしている場合じゃなくて、学校が、統廃合されるって」
本当に焦っているのだろう。いつも内気なルビィさんが珍しく声を張りあげる。
僕としてはまあ、なんで津島さんがここにいるのだろうとか、早く首元の握った拳をどけてくれないかな渡辺さんとか色々思うところはあるわけだけれど。
一番は、そうか、この子たちにもその噂。いや噂ではなく事実なのだがそれが伝わってしまっているのだということだった。
学校を救おうとスクールアイドルを初めてまだ間もない彼女たちには、それは辛い現実なのだから。
「・・・千歌ちゃん」
渡辺さんの悲痛な声が千歌ちゃんに届く。ていうか凄いね、そんな声と表情でも一切力が緩まないんだね。どこで鍛えればそうなるの?
彼女の顔は俯いたままで良く見えない。
「————————————————————じゃん」
「え?」
俯いた顔から、言葉が零れる。
それに桜内さんが聞き返した直後だった。
「一緒じゃん!!音ノ木坂と!μ'sと!」
どーやら、まだまだ彼女たちの物語は続いていくらしい。
彼女の言葉を聞いて真っ先に僕はそんなことを思った。
どうも皆さま、お久しぶりでございます。高宮です。
え?なに?約二か月ぶり?まじで?嘘でしょ?嘘だよね?誰か嘘だって言ってくれ!
あい、ということで次回も頑張るのでよろしくお願いします。