幸か不幸か、私と彼は一心同体の存在になってしまった。
私が彼であり、彼は私に……えっ? ピッコロと神様みたいだって? へぇ、あの人もそうなんだ。それは知らなかった。やっぱり宇宙人って凄いね。
……コホンッ、ともかく、私とベビーは一方的な寄生関係にはならず、お互いを自分自身として同化してしまうほどに相性が良かったのだ。
それはきっと、私の心がベビーと一緒だったから。
私も彼と同じで、本当は自分から全てを奪ったサイヤ人が憎くて憎くて仕方がなかったんだ。この手に彼らのような力があれば、何度だって殺してやりたいとも思った。
私は聖人君子なんかじゃない。理不尽な宇宙人に町を吹き飛ばされて、ツフル人達のような心を抱かないわけがないじゃないか。
この世の全てを呪いたくなる、激しい復讐心。君達サイヤ人で言うところの、超サイヤ人になる切っ掛けみたいな感情を。
……でも、私にはそれを行う勇気も力も無かった。臆病な上に、元の私はあまりにも非力過ぎたから。
だから私は「仮に奇跡が起きて復讐を成し遂げたとしても、居なくなったみんなが帰ってくるわけじゃない」だとか、「私が人を殺しても、天国のみんなは喜ばない」だとか、そんな在り来りな理屈で自分を納得させながら、私はその感情を抑圧して生きていたんだ。
あの場所で、ベビーに会ったのはそんな時だった。
存在そのものが復讐心の塊であるベビーに寄生もとい同化された瞬間、私は初めて自分が抑圧していた復讐心がどれほど強烈なものだったのかを自覚した。
――憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い!
同化された瞬間に心の奥から溢れてきた醜い感情は、ベビーのものではなく、私自身の物だった。
言葉ではいくらでも綺麗事を並べていたけど、私の本心はベビーの持つ復讐心と全く同じだったのだ。
私はどこまでも深く純粋に、サイヤ人という存在を憎んでいたというわけだ。
『ならば何故お前は奴らを殺しに行かない? サイヤ人が憎いのだろう? その手で殺してやりたいのだろう?』
「……うるさい」
『この俺と同化したことで俺の力を得た今のお前に、「力が無い」からだという言い訳は通用しないぞ。今のお前なら、あのサイヤ人だろうと殺せる筈だ』
「うるさい、うるさいうるさいうるさい!」
それでもその本心を認めたくなかった私は、私の中に存在する彼と対話を行うことで、惨めにも彼と拮抗しようとしていた。
それまで抑圧していた復讐心を一気に解放することが、この世の全てを破壊することになるのだと私なりに気付いていたのだ。
私と同化したベビーの力は大きすぎるから、それを感情のままに振り回せば、家族と過ごしたこの地球や、私にとって大切な人々さえも失うことになる。そんなことだけはしたくないというちっぽけな理性だけが、あの時の私の心をつなぎ止めていた。
『さあ、サイヤ人を殺せ! 奴らを滅ぼし、共にツフル再興の為に戦うのだ!』
「うるさいって言ってるだろ!」
復讐の為に生み出された性質上、ベビーは復讐心を抑圧するという行動の意味を解さない。
サイヤ人が憎い。
サイヤ人を殺したい。
その為に生み出された。
その為の力がある。
なのにそれを振るうことが出来ないという状況は、彼からしてみれば我慢ならないものだろう。
それでも私は、精一杯彼を「説得」したつもりなんだけど……何年経っても、彼の本質は地球で出会ったあの日から一ミリも変わらなかった。
そんな彼に、私は叫んだ。
「私が誰よりも殺してやりたかったナッパはもう居ないんだ! ベジータはこの前に倒しただろ!? 君はこれ以上、私に何をしろって言うのさ!?」
『ベジータはとどめを刺し損ねた上に、サイヤ人の血を継ぐ存在はまだ三人も残っている。そいつらを殺せ!』
「っ……ベジータは、まだいいさ。……でも、悟飯と悟天は地球人なんだ。敵じゃない……地球人を攻撃するのは間違いなんだ!」
無駄な抵抗だとはわかっていたけれど、彼の思い通りにされるのは癪だったんだ。
「あの子達はツフル人とは無関係だ。復讐は、ベジータを倒せばそれでいい!」
『お前は、本当にそんなことを思っているのか?』
「……っ!」
日に日に増大していく彼の力と私の胸に再燃し始めた復讐の炎は、もはや抑えようにない段階にあった。
――だからその日、私は決意した。
サイヤ人とツフル人、そしてネオンという私自身との因縁の全てに、決着をつけることを。
それは、悟飯とピッコロが黒い鎧と交戦した日の翌朝だった。
悟飯の自宅は昨日現れた黒い鎧の襲撃によって崩壊している為、修理が終わるまで孫一家は現在一家で繋がりの深いカプセル・コーポレーションのブルマの家で厄介になっていた。
一時的とは言え家を失ったことで母のチチは浅からず沈んでいたが、弟の悟天はと言うと親友のトランクスと一緒に暮らすことが出来ると嬉しそうにしていた。パオズ山の家が一番落ち着くとは言っていた悟天だが、友達の家に寝泊りすることも好きだったのだ。
次男はそのように幼子らしい能天気さと柔軟な思考を持っているが、良い歳になり始めた長男である悟飯としては彼のようにリラックスしているわけにはいかない。懐の深いブルマの一家は「部屋なんか幾らでも余っているから気にしないで」と言っているが、親しい仲だからとそれに甘えてばかりいるわけにはいかないのだ。
悟飯もまだ精神面では子供な為に頭を使う仕事は任されないだろうが、滞在期間中、力仕事の類ならば幾らでもブルマ達の仕事を手伝うつもりで居た。
父母のどちらに似たのか、労働に積極的な悟飯がそうして健気にも早起きして家主の目覚めを待っていると、その異変は突如として起こった。
「……っ!? この気は……ネオンさん!」
地球上のどこかで、地球人の物とは思えない大きな「気」を感じた。
それは、昨日悟飯とピッコロが一瞬だけ感知した黒い鎧の「気」だった。
その気がこの西の都より遠く離れた場所から感じられた直後、悟飯の脳内に聴き慣れた男の声が響いた。
『悟飯、今の気を感じたな?』
「ピッコロさん? 今のはあの時の……」
悟飯とピッコロ師弟の間では、遠く離れた場所に居てもお互いに思考を伝達することが出来るテレパシーが使える。
黒い鎧の「気」を感じる方向に向かっていくピッコロの気を感じながら、悟飯は屋外に向かって広々とした邸内をその足で駆け抜けていく。
『急げ! 奴は何かするつもりだ』
「はいっ!」
丁寧に玄関口から邸内から飛び出した悟飯は、その勢いを助走に舞空術を飛ばすと、猛スピードで黒い鎧の「気」の元へと飛翔していった。
テレパシーで発せられるピッコロの声には焦りが含まれており、悟飯もまた妙な胸騒ぎに襲われていた。
しかし、星の一つや二つを容易く消し去れるほどのエネルギーがありながらも、あの黒い鎧の物と思わしき「気」には一片の邪悪さも感じられなかった。
それはまるで、悟飯や悟飯の父親である孫悟空のように。
(……会おう。会って、確かめなくちゃ)
悟飯は一刻も早くこの「気」の持ち主である黒い鎧――恐らくはあの少女、ネオンと会って話がしたかった。
情報が足りなすぎる今の彼にとって、彼女の口からは知りたいことが多すぎるのだ。
――貴方は何者なんですか?
――どこでそんな力を身につけたんですか?
――どうしてその力を今まで隠していたんですか?
――なんでベジータさんと僕を襲ったんですか?
――貴方の目的は何なんですか?
――貴方は良い人なんですか? 悪い人なんですか?
深く考えずとも、数秒の間にこれだけの質問が悟飯の頭の中で沸き上がってくる。
数日間心を通わせた少女が脳裏で消えそうな笑みを浮かべると、悟飯はハッと我に返ったようにその空域に立ち止まった。
そこは丁度、黒い鎧の「気」を感じた場所の上空であった。
ごくりと緊張に息を呑みながら、悟飯はゆっくりと黒い鎧の「気」が待つ地上へと降下していった。
「ここは……」
地上に降り立ち、黒く固まった地面を踏み締めると、悟飯は周囲に広がる目新しい景色に目を移す。
しかし、その際に抱いた感想は「何も無い」の一言だった。
辺りには草も木も建物も無い。微かに存在していると言えるのは、手のひらよりも小さい風化した金属や、コンクリートの残骸だけだ。
グラウンド・ゼロ――そこは紛れもなく、「爆心地」であった。
地面は抉れ、焼土となり、通常では考えられない「町」の姿がそこにあった。
跡形もないその姿からはほとんど考えも出来ないが、そこはかつて人々が日常を謳歌していた居場所だったのだ。
「来てくれてありがとう、悟飯」
無惨な光景に言葉を失う悟飯の耳に、一人の少女が放つ穏やかな声が響いた。
その方向に振り向いてみると、そこには五十センチメートルにも満たない小さな石碑の姿と、その前方からこちらを見つめている華奢な少女の姿が目に映った。
「ネオンさん……ですよね?」
悟飯と同じ十代前半の外見年齢でありながら、年齢相応のあどけなさが感じられない凛々しい顔立ち。それでありながら、どこか触れれば掠れてしまいそうな儚さを併せ持つ独特な雰囲気の少女。
それは紛れもなく、この数日間悟飯が師匠の真似事をして気の使い方を教えた少女、ネオンのものだった。
――しかし、今の彼女は白かった。
純白の法衣に身を包んでいる彼女は、腰まで伸ばされたその髪までもが、雪景色のような「白銀の色」に染まっていた。悟飯の知るネオンの髪色は悟飯と同じ「黒」であり、一目見てわかる彼女の変化だった。
「うん、そうだよ。こんな姿になっているけど、私はネオン。君に近づいて、君のようになりたかった……身の程知らずの地球人さ」
悟飯の問いに、彼女――ネオンは自嘲の笑みを浮かべながら応じる。
するとネオンは、彼女の背後に見える小さな石碑の側を一瞥して言った。
「ここ、私の住んでいた町だったんだ。後ろにあるのがみんなのお墓。誰も建ててくれないから、私が一人で建てたんだよ? 埋めることが出来る骨は、どこにも無かったけどね」
その言葉に、悟飯は胸に痛みを覚える。
やはり、と思っていたことが的中してしまった瞬間である。
何も無い爆心地のようなこの場所は、ネオンの生まれ故郷――地球に現れた二人のサイヤ人によって滅ぼされた町だったのだ。
彼女の視線の先にある石碑に目を向けると、そこには彼女が添えたのだろう。綺麗な包装に包まれた美しい花束があった。
「あっ、今の言葉、別に君達のことを責めているわけじゃないからね? ただ、この町には一緒に墓を建ててくれる仲間すら残っていなかったのが、寂しかったっていう思い出だよ……」
ボソボソと力なく言葉を紡ぐ彼女の姿は、悟飯の目には酷く痛々しく映った。
今の彼女からは、何か「気」とは別の部分で憔悴しているように思えたのだ。
「ネオンさん……」
「って、こんな話、君がされても困るだけだよね。ごめんね、また勝手に感傷に浸っちゃって。こうやって不幸ぶるの、私の悪い癖だ」
たはは、と溢す笑みも、傍から見れば一目で作り笑いだとわかる。
その姿はいつかの……父孫悟空が亡くなり、弟の悟天が産まれるまでの母チチの姿とどこか重なって見えた。
それは正しく、大切なものを失ったことでぽっかりと心に穴が空いた人間の姿だったのだ。
「……貴方は、やっぱりサイヤ人のことを恨んでいるんですか?」
「こんなことをした二人だけはね、絶対に許さないよ。でも、サイヤ人って言っても色々居るだろう? これをやったのは確かに二人のサイヤ人だけど、これをやったサイヤ人と地球を守る為に戦ってくれたのもまた、彼らと同じサイヤ人なんだ。ナッパやベジータみたいなどうしようもないサイヤ人も居れば、君のお父さんみたいな素敵なサイヤ人も居る。善人も悪人も色々居るのは、私達地球人と何も変わらない」
「……そうですね」
憎んでいるのは町を焼いた二人だけで、全てのサイヤ人を憎んでいるわけではないという彼女の言い分に、悟飯は安堵の息をつく。
彼女が短絡的な思考に陥っていないのであれば、彼女が地球に危害を加えるというピッコロの懸念も起こり得ないと判断したのだ。
「……でも、「彼」はそう思っていない」
「彼?」
しかし、物憂げに放たれた言葉に、悟飯はそう言った楽観的な思考を中断する。
そして彼女の口から、ピッコロがもう一つ懸念していた彼女の「裏」に潜んでいる存在の名が語られた。
「サイヤ人に滅ぼされた民族、ツフル人が遺した最強最悪の寄生生命体――復讐鬼ベビー……君が私から聞きたいのは、彼のことなんだろう?」
「復讐鬼、ベビー?」
「そう、彼は……ッ!?」
ベビー――赤ん坊を意味するその名が語られると、悟飯は怪訝に眉を潜める。
すると彼女が額に手の甲を当て、顔色を青白くしながら言った。
「……包み隠さず、全部、話すよ。私が、何者なのかとか、どこであんな力を身につけたのかとか、どうして今まで、力を隠していたのかとか、なんで昨日、君を襲ったのかとか……私が何をしたかったのかも……全部……そう、全部だ。君の知りたいことは全部話そう……うぁッ……!?」
「だ、大丈夫ですか?」
言葉を放つ彼女の口は震えており、発作が起こったようにその手は苦しそうに胸を押さえている。
立ちくらみのようにフラフラと足が縺れ始めた彼女に肩を貸そうと近寄ろうとする悟飯だが、それは彼女の手によって制された。
呼吸を荒げる彼女の言葉は、途切れ途切れに紡がれていった。
「……そしてその後に……私の頼みを聞いて。ベジータでもピッコロでも他の誰でもない、私と仲良くしてくれた孫悟飯に……聞いてほしい頼みがあるんだ」
「頼み、ですか?」
小さく頷き、彼女が紺碧の双眸で悟飯の顔を見つめる。
その瞳には、何か覚悟を決めたような、強い心が浮かんでいた。
「……わかりました。聞かせてください」
そんな彼女の真っ直ぐな瞳に、悟飯も覚悟を決める。
土の上に腰を下ろした彼女は、一度呼吸を整えると、ゆっくりと語り出した。
サイヤ人とツフル人の対立から始まり、復讐鬼ベビーの誕生。
復讐鬼ベビーとの出会いと、ベビーと同化した今の
そして全てを語り終えた後、彼女は悟飯にこう頼んだ。
「私を殺して、孫悟飯」
――今、孫悟飯史上最悪の戦いが始まろうとしていた――。