戦いが終わった後、さしもの悟空とベジータと言えどどちらも疲労の色を隠せなかったが、その表情は晴れやかなものだった。
お互いのライバルと気が済むまで戦えたことで、心の淀みも綺麗さっぱり拭い去ることが出来たのである。
戦いの結末を言えば、孫悟空の勝利に終わった。超サイヤ人2同士の戦闘ではほとんど差は無かったものの、悟空が真の力を解放し「
追いついたと思えばまた突き放す。悟空の底なしの戦闘力を再び目にしたことで、ベジータはそのコンプレックスをさらに刺激される――かと思いきや、今回の彼がそうならなかったのは誰にとっても意外な結末だったと言えよう。
それは決して、超サイヤ人3という次元の違いを前に戦意を喪失したわけではない。
決して、プライドを折られたわけではない。
悟空と戦っている間に、ベジータはなんとなくわかった気がしたのだ。
何故天才である筈の自分が、どれだけ努力しても悟空に勝てないのか。
始めは守りたいものがあるからだと思っていたが……きっとそれもまた、強さの秘訣の一つなのだろう。現にベジータはかつては見向きもしなかった自分の家族を「守りたい」と思ったその時から、それまでとは明らかに違った力の伸びを感じている。守りたいものの存在が、ベジータに得体の知れない力をもたらしてくれたのだ。
だがそれ以外にもカカロット――孫悟空という男には、ベジータには無いものがあった。
ベジータはこれまで、自分の思い通りにする為に、楽しみの為に、敵を殺す為に、そしてプライドの為に戦ってきた。
しかし悟空は、決して勝つ為に戦っているのではない。絶対に負けない為に、極限まで極め続けて戦っているのだ。
だからかつてベジータを見逃した時のように、敵の命を奪うことに拘りはしなかった。
――戦いが大好きで優しいサイヤ人だからこそ、孫悟空という男は限界なしに強くなれるのだ。
今一度全力で戦ったことで、ベジータはそのことがわかった気がした。
だからこそ、ベジータは自分の意志で決めることが出来たのだ。もうカカロットの後を追い掛けるのはやめようと。
もちろん、悟空を超えることを諦めたわけではない。しかしそれよりもベジータは、純粋に自分の限界を極め続けることを考えるように決めたのだ。
「カカロット……俺もなってやるぞ、超サイヤ人3に」
「ああ、また戦おうぜベジータ」
ベジータは過去の悪行故に、死後の世界で悟空と再会することはないだろう。ベジータ自身もそのことには感づいているが、あえて誰も、何も言わなかった。
宿命のライバル二人の戦いは、そうして完結したのである。
一同がキビトの瞬間移動によって地球に帰還したのは、天下一武道会が終わって数時間以上もの時間が経過してからのことだった。
既に日は沈んでおり、詰めかけた大勢の観客達もそれぞれの帰路についている。
ビーデルから魔人ブウの話を聞いたことでチチらが心配そうに息子達の帰りを待っている中で、一同は何食わぬ顔で、全員で帰還を果たしたのである。
「界王神様、本当にこの剣、僕が貰っちゃっていいんですか?」
「ええ。あのまま界王神界に残しておいても仕方ありませんからね。Zソードが貴方を選んだのですから、貴方が持っていた方がご先祖様も喜びます」
「ありがとうございます!」
「それ振ってれば、いい修行になるんじゃねぇか?」
「そうですね。凄く重いですし……僕も、お父さんみたいに頑張ります」
選ばれし者にしか封印を解くことが出来ないと界王神界に伝えられる伝説の剣、「Zソード」を引き抜いた悟飯がそれを土産に持ち帰ったりということがあったものの、彼らにとってはそう大した問題ではない。
待っていたチチ達から見れば戦いで胴着がボロボロになった悟空とベジータ以外は至って無事な様子であり、その二人に関しても戦いで受けたダメージはキビトに回復させてもらっている為、クリリンら「気」を読める者達にはすぐにわかった。
魔人ブウとやらの脅威は、既に消え去ったのだと。
「悟空さ! 悟飯!」
「みんな、大丈夫そうだな。その様子だと」
彼らの帰りを待っていた仲間達が一斉に駆け寄ると、界王神とキビトの二人はその様子を微笑ましげに眺めながら界王神界へと帰っていった。
魔導師バビディ、魔人ブウという脅威が去った以上、宇宙の管理者たる自分達がいつまでもこの星に長居しているのはまずいと……彼らなりの善意であった。
去る二人を見送った後で礼を言い、ネオンはチチ達と共に帰りを待っていた一人の少女の元へと向かった。
「ネオン……」
「約束は果たしたよ」
「……ありがとう。貴方も無事だったのね」
「後は、君の番だ」
「えっ?」
弟や、幼い友人のトランクス達に温かく迎えられている悟飯の姿を一瞥した後で、ネオンはやり切った表情でビーデルに言った。
「彼のこと、後はよろしくね」
「……言われなくてもそのつもりよ」
魔導師バビディとの戦いで彼を連れて帰ってくるという約束は、無事に果たすことが出来た。
そしてそのネオンが、今度は彼女に約束させる。
自分があの世に帰ってからのこと――我ながら酷い押しつけだとネオン自身も内心では苦笑しているが、ビーデルはその頼みを快く引き受けてくれた。
その返事に満足し、ネオンは微笑む。
まだあの世に帰るまで大分時間は残っているが、もはやこの世でやり残したことはほとんど残っていないと言えた。
「ネオンお姉ちゃんも、おかえり!」
「うん、ただいま。悟天、大会は残念だったね」
「うん……あと少しだったのに、トランクス君に勝てなかった……」
「勝負は時の運だから、仕方ないよ。悟天はよく頑張った。あんなに強いなんてびっくりしたよ」
「えへへ、僕もっと強くなるよ! トランクス君や兄ちゃんや、お父さんより!」
「ふふ、頑張れ。君ならなれるさ。うん、私もそう思う」
子犬のように駆け寄ってきた悟天に対して腰を下ろして目線を合わせると、ネオンがその頭を撫でながら言う。
無邪気という言葉がよく似合う彼の姿を見ていると、亡くなった弟のことを思い出す。それによって何度か悲しみを蘇らせることはあったが、いつも同時に、それ以上に癒されるのだ。
そしてこの時のネオンの心は、彼女自身が思っている以上に彼の無邪気さに救われていた。
「今回は負けちゃったけど、悟天は頑張ったからね。約束したおもちゃをあげるよ」
「本当!?」
試合に勝ったら、私があの世から持ってきたおもちゃをあげる。少年の部が始まる前に悟天と交わした約束だが、ネオンはそのことを一言一句しっかりと覚えていた。
悟天は惜しくもベジータの息子であるトランクスとの戦いに負けてしまったが、それでも彼がこの日の為に頑張ってきたことは見ていればわかった。だからこそ、これはご褒美として――否。
(ご褒美と言うよりも、これは私のことを覚えてくれたお礼だね)
建前上は頑張った悟天へのご褒美だが、実際には自分の心をその無邪気さで救ってくれたお礼だった。
そして彼に対する感謝の気持ちとして表すのに何が一番良いのか選んだ結果が、自分があの世で作ってきた一つのおもちゃだった。
「占いババ様」
「わかっておる。ほれ」
ネオンが占いババの方を向くと、占いババが即座にその意図を察する。
すると占いババが頭に被っていた大きな三角帽子を外し、その中から白く丸い物体が飛び出してきた。
それを見た悟天が「うわあっ!」と、声を上げて驚き、それ以外の者達も同様に驚いた。その反応を見たネオンがしたり顔で笑い、サプライズの成功に一人喜んだ。
「ギルルルル! ゴテン、アイタカッタ!」
「うわ!? 喋った?」
「それが、約束のおもちゃだよ。空を飛んだり言葉を聞いたり話したり、身の回りの手伝いとかも出来るけど……どうかな?」
「お姉ちゃんが作ったの? すごい! ありがとー!」
球体上の白い装甲に、丸い形の一つ目。
装甲の内側から飛び出した細い手足は収納可能で、自在に飛行することも出来る。
それは、ネオンがツフル人の王が持つ知識と技術力を用いて作り出した、七歳の子供に与えるにはあまりにも豪華なおもちゃだった。
「ペットロボットね? でも、推進力も無しで空を飛べるなんて……よく出来てるわねーあのロボット」
「いえ、ああ見えて構造は単純ですよ。私一人でも一日あれば作れましたし……多分、ブルマさんなら簡単に同じ物を作れるんじゃないかと」
「貴方一人で作ったの? 惜しいわね~、うちで働いてほしいぐらいだわ」
「あはは……恐縮です」
「ギルルル!」と発声しながら元気に悟天の周りを飛び回るロボットの姿を眺めながら、科学者のブルマが関心げに呟く。世界有数の科学者である彼女の目にも留めてもらって、ネオンは光栄な気分だった。
「名前はなんて言うの?」
「ギルル、ナマエ、マダナイ」
「その子はまだ生まれたてで、名前をつけていないんだ。悟天が何かつけてあげて」
「うーん……じゃあ、ギル! ギルギル言うからギルって呼ぶね!」
「ギルルル、リョウカイ! ギル、ナマエ、キマッタ! ギルルルル!」
球体上の白いロボット、ネオンの与えたおもちゃの名前は「ギル」に決まったようだ。
新しいご主人様に命名されて、ペットロボット改めギルは嬉しそうだ。悟天もまた嬉しそうにはしゃぎ回り、周りの者達もその光景を微笑ましそうに眺めていた。
自分のプレゼントが気に入ってもらえたようで、ネオンにはそれが何よりも嬉しかった。
その後、悟空の瞬間移動によって移動を行い、カプセルコーポレーションのブルマ邸にて身内によるパーティーが開かれた。
悟空があの世から帰ってくると聞いてから、ブルマの両親らが気を効かせて準備していたのである。
ブルマ一族の財力によって開かれたパーティーは一般家庭のそれと比べるにはあまりに豪華であったが、一日限りで帰ってきた悟空の為とあらば資金を惜しむことはなく、腕利きの料理人達が出す料理が次々に出されてはサイヤ人達の胃袋に消えていった。
それはパーティの主役たる悟空だけではなく、誰もがこのパーティーを楽しんでいた。
「カカロット、貴様ぁっ! 俺が楽しみにしていた寿司を!」
「ん? だって残ってたじゃねぇか」
「俺は一番食べたい物は最後に残しておく主義なんだ! くそったれぇ!」
「ああっ! おめえ、オラのチャーシューを!」
「ふはははは! 食べ物の恨みは恐ろしいのだぁ!」
それは、コンプレックスが解消されたことによって一つあか抜けたベジータが、戦闘とは別のことでライバルと競い始めたり、
「とんでえええゆっきたあああああいいいいいいYOIYOIYOI!」
「よっ、クリリン! 宇宙一ィ!」
「お上手ですわぁ……」
「独特な歌い方じゃなぁ」
「はしゃぎすぎだ。馬鹿……」
純粋な地球人最強の男が、カラオケによってその美声を披露したり、
「ギルル!」
「プールだ!」
「それえええっ!」
まだ遊び足りない子供達がロボットと共に邸内の温水プールに飛び込んだりと、各々に充実した時間を送っていた。
それが落ち着けば、悟空を中心にした仲間達によるかつての思い出話で盛り上がったりもした。
悟空がパオズ山でブルマと出会ってから始まったドラゴンボール探しの冒険や、天下一武道会での戦いの日々。多くの戦いや出会いがそこにあり、ここに集まった誰もが生涯忘れることの出来ない思い出だろう。
大人達から語られる濃密な出来事に、まだその頃には生まれていない悟飯やネオン達も興味を引かれ、食い入るように話を聞いていた。
「あっ、そう言えば今日の天下一武道会は誰が優勝したんだ? やっぱり18号か?」
「いや、ミスター・サタンだよ。あいつだけがバトルロワイヤルで残ったんだ」
「本当か!? あいつ、本当はすっげー強かったのか?」
「いや、てんで弱かったよ。でも優勝を譲れば優勝賞金の二倍くれるって言うもんだから、俺と18号で一緒に負けてやったんだ。なっ」
「……私はお前達とは違って、金さえ手に入ればどうでもいいんだよ」
「ヤムチャは?」
「クリリンにやられた。くそっ、あとちょっとだったんだけどなぁ」
「ヤムチャさんの新技、俺、危うくやられるところでしたよ~、これも18号との修行のおかげだな!」
「ばーか……」
和やかな談笑は夜遅くまで続き、幸せなパーティーの時間はあっという間に過ぎ去っていった。
夜が明けて朝が来れば、悟空は程なくしてあの世に帰らなければならない。しかしこれだけ充実した一日ならば、皆満足して彼を見送ることが出来るだろうと――ネオンは一同の様子を眺めながら、目を細めた。
そして時刻は深夜十二時を回り、日付は今日から明日へと変わった。
泊まり掛けのパーティーが終わり、ブルマさんから借りたベッドの横で眠る悟天達子供組が寝静まったのを見届けた後、私は個室を出て彼と――パーティーの後片付けを終えて戻ってきた悟飯と対面した。
「すみません、悟天達の面倒を見てもらっちゃって」
「なに、寧ろ嬉しいよ。私、こう見えて子供好きなんだ」
「知ってます。よく懐いてますもんね、悟天。ネオンさんみたいなお姉さんが欲しかったってよく言ってましたよ」
「はは、私も悟天が弟なら最高だね」
こんな真夜中でも眠くならないのは、きっと私が死人だからという理由だけではないだろう。
こうして彼と向き合っていると、それがよくわかるような気がする。
「……ねえ、悟飯。今からちょっと、付き合ってくれないかな? 君と一緒に行きたい場所があるんだ」
「いいですよ。僕も外に出たい気分でしたし」
「ごめんね、いつもはもう寝る時間でしょ?」
「今日ぐらい大丈夫ですよ。夜更かししちゃっても」
「なんか悟飯、前より砕けた感じになったね」
「そうですか? うーん、確かにそうかも」
今この場に居るのは、彼と私だけだ。
今回のパーティーには悟飯がビーデルさんもどうかって誘っていたけれど、彼女は「私はパパと話したいことがあるから」って言って断った。
……でも、なんとなくわかる。本当にそれも彼女がパーティーに参加しなかった理由の一つだったんだろうけど、彼女は多分、私に気を遣ってくれたんだ。
私の時間は少ないから、だから今だけは、私と悟飯の傍から離れてくれたのだろう。
彼女の優しさと器の大きさに、私は感謝する。
――そして私は、そんな彼女の気遣いを無駄にしないことに決めた。
デート、と言うには味気なさすぎるけど、私は彼を誘って数分程度の夜空の旅を楽しんだ。
彼に教わったこの舞空術は、私にとって大切な宝物の一つだ。そんな宝物で彼と共に空を飛べる喜びは大きく、幸福な時間だった。
そして私達は、目的地へと着陸する。
私の……かつて故郷だった場所へと。
グラウンド・ゼロ――サイヤ人のナッパによって滅ぼされた、かつて大勢の人が住む都だった場所。
満月に照らされた爆心地にたった一つだけ聳え立っている墓石の前に降り立つと、私はそこに添えられた一束の花束を見つけた。
「花、添えておいてくれたんだ……」
「はい。だって、寂しそうじゃないですか」
「……ありがと、悟飯」
花はまだ真新しく、最近添えられたばかりの物だということがわかる。それは今でも彼がここへお参りに来ていることの証拠でもあり、私には嬉しかった。
この墓の下にはもう、誰も居ない。だけど、みんなが生きていた証にはなる。
そう思ったから、私はあの時この墓を建てたんだ。死んだ人達が一番辛いのは、遺された者に忘れられることだと思ったから。
墓に向かってしばし黙祷を捧げた後、私は隣に立っている悟飯に訊ねた。
「ねえ悟飯。あの時、最後に私が言った言葉だけど……覚えてる?」
「え? えっと……「偉い学者さんになりなよ」でしたっけ」
「そっちじゃなくて、その前の言葉だよ。私は君に向かって、自分が死ぬことを平気だって言った。この一時だけでも私は、とっても幸せだからって」
「……覚えていますよ。でもネオンさんは、本当に……」
「うん、少し嘘ついてた。ごめんね」
――それは、あの世で悟空さんに指摘されてから、ずっと彼に謝りたいと思っていたことだ。
「あの時の私は、本当は生きたかったんだ。辛いことばかりだったけど……幸せなこともあるってわかっちゃったから」
私自身、自分の本心がどこにあるのかわかっていなかった。
だけど、何よりも大切な友達に余計な心配を掛けるのが嫌だった。だから私は、そう言うことで彼の心と自分の心を守ろうとしたのだ。
「でもあの世で悟空さんに会って、あっさり見抜かれちゃったよ」
「やっぱり、僕に心配かけたくなかったんですよね……ありがとう。それを聞けて、安心しました」
「安心?」
「やっぱり、生きていた方が楽しいじゃないですか。死ぬのは悲しいですよ」
「…………」
どんなことがあったとしても、死ぬことが幸せで、救いだなんて思えない……その言葉は彼のお父さん、悟空さんと同じ意見だった。
やっぱり、この親子は似ている。そして、どこまでも真っ直ぐだと思った。
「……無理してたのかな、私は」
あの時から家族という存在に飢えていた私には、余計に彼らのことが眩しく見えてしまう。
それと対比して、自分の心の醜さに嫌悪感を抱くのだ。
だけど……それでも、そんな私にも、譲れないものはあった。
「でもね、悟飯」
「……?」
「あの時、幸せだったのは本当だよ」
今度は心から、本心を曝け出した笑みを浮かべて、私は悟飯に言った。
死んだことが幸せだったとは思わない。けれど、私があの時、傍に居てくれたのが彼で幸せだったという気持ちに偽りはなかった。
その気持ちを伝えると、悟飯がなんだか照れくさそうに鼻先を掻き、数拍の間を置いて言った。
「ネオンさん……どうにかして、君を生き返らせます。ベビーが生き返っても、僕が何とかします。だから……」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ」
今の私を見て、彼ならばそう言うだろうと思っていた。
彼は優しいから……私が本当は生きたかったなんて言えば、どうにかして生き返らせようと頑張ってしまうだろうと。
……でも、違う。違うんだ、悟飯。
私がこの気持ちを君に伝えたのは、この世に生き返りたかったからなんかじゃない。
「私はもうすぐ、生まれ変わる」
彼を連れてこの故郷を訪れたのは……全て、それが理由だった。
「生まれ、変わる……?」
説明を求めるように復唱する悟飯に、私が話す。
「死んだ人間が閻魔様の元で、天国に行く魂と地獄に行く魂に分けられるっていうのは知っているよね? その後、天国に行った魂は天国で楽しい生活を送ってから、地獄に行った魂は地獄で苦しい目に遭ってから、魂を浄化されて新しい命に生まれ変わる仕組みになっているんだ」
生まれ変わる――それはつまり、転生だ。
今ここに居る私が、新しい命としてこの世に生まれ変わるということ。
最初は、もっと先延ばしにしようと思っていた。いつか悟飯が寿命を終えるまで、私はあの世で彼のことを待っているつもりだった。
だけど、そんな気持ちはこの一日ですっかり無くなっていた。あの時抱いた彼とまた空を飛ぶという夢は、今日ここで叶えることが出来たのだから……。
「もちろん、浄化されれば前の記憶なんかも綺麗さっぱりなくなる。場合によって魂の強さだけは引き継がれるかもしれないけど、元の人格なんかは何も残らない。輪廻転生って言葉があるように、この世とあの世はそんな関係で成り立っているんだ」
「でもお父さんが言ってましたけど、お父さんとネオンさんは、大界王星ってところでずっと修行出来るんでしょう? だったら……!」
「ずっと修行したいって言えば、そうさせてくれるかもしれないね……でも、もういいんだ」
記憶も人格も無くなる。それが怖くて、いつまでも天国に居続ける魂ももちろん居る。地獄は期間が過ぎれば強制的に転生させられるけど、天国の方はその辺り自由に出来ているらしい。
私の処遇はまだ天国と地獄のどちらに行くのか決まっていないけど、天国に行くのならすぐにでも転生を選ぶつもりだ。
天国で楽しむ必要がないほどに、今の私は満たされているから。
「一日、この世に帰って、君とまた会えた。君と話せて、また一緒に空を飛べた。ネオンは満足です」
だから、私は笑った。
作り笑いなんかじゃない。今度は本当に幸せな気分で、笑顔を浮かべることが出来たのだ。
「本当に……そうなんですか?」
「うん、後悔はないよ。いや、一つだけ」
悟飯に問い掛けられると、一つだけ、この世でしておきたかったことに思い当たった。
そんな私は彼との間合いを瞬時に詰め――その頬に口づけした。
……うん、スッキリした。
「っ!? ええっ!?」
「ははは! 隙だらけだからそうなるんだー! そんなんじゃ、ビーデルさんを泣かせちゃうよ!」
「え……だってネオンさん、ええっ!?」
しばしの硬直の後、驚きの声を上げて狼狽える悟飯の姿に私が腹を抱えて笑う。
どうやら彼は、今になって私の想いに気づいたようだ。それは今まで私が上手く隠せていたってことなのか、はては彼が鈍感だったからなのかはわからない。
死人がこんなことをするのは、間違いなく悪いことだろう。下手をすれば、この世に生きている彼の心を永久に縛りかねないのだから。……だけど、彼は強い人間だ。
私の英雄、孫悟飯は死人に心を縛られるような柔な人間じゃない。私だってそう信じているからこそ、こんな大胆な行動を起こせたんだ。うん、我ながら無責任な自己弁護である。
「……と、これでもう思い残すことは何も無くなったわけだ」
「す、すみません! 僕、そういうのよくわからなくて……全く気づきませんでした」
「それでいいよ、悟飯。ううん、それが私にとっても幸せなんだと思う。君は私にとって最高のヒーローで、最高の友達だった」
「……ネオンさんのことは、ずっと忘れません」
赤らんだ顔の熱さを程よく冷やしてくれる夜風が、今は心地良い。おかげで私も、気恥ずかしさはあっても冷静な心を見失わずに済んだ。
自分からやらかしておいて何を言っているんだとは思うが、生まれ変わることを決めた以上、私はこの期に及んで彼と友達より上の関係になろうだなんて考えていない。
今のキスは、自分の気持ちに整理をつけたかったからだ。何一つ思い残すことがなく、綺麗に生まれ変わる為に。
「新しく生まれてくる私がどうなるのか……それは私にもわからない。何年後に生まれて、男の子なのか女の子なのか……そもそも人間じゃないかもしれないし、地球の生き物ですらないかもしれない」
そして私は、最後に彼に一つだけ頼みごとをすることにした。
実行するかしないかは彼次第で、別に実行しなかったからと言っても恨むことも悲しむこともない頼みを。
「だけど……もしどこかで私の生まれ変わりを見つけた時、ほんの少しでも気に掛けてあげると嬉しい」
「……わかりました。約束します。きっと、貴方を見つけます」
力強い言葉に、私は頷きを返す。
それにしても、駄目だな私は。今度は心から笑って別れようと思ったのに……どうにも、涙腺が緩んでしまう。
「ありがとう。私は……君と居て楽しかった。君のことが、ずっと大好きだった」
だから、これで時間切れだ。
占いババ様の力でこの世に居られる時間はまだ残っている。だけど、これ以上居たらまた未練が出来てしまう。
……だから、今度こそ最後。
「また逢う日まで……さよなら、悟飯」
笑いながらも零れてきた涙を拭った後、私は最後の言葉を告げた。
「さようなら……また逢いましょう。ネオンさん」
彼から返ってきた言葉に頷き、私の存在はこの場所から――この世界から消えた。
――そして、十年の時が流れた。
予定よりも長くなったので、前後編に分けました。次回こそが最終話になります。
十年の空白期はもちろん超とは違う流れになっていますが、それもまた次回に。