メタルベビー――それはツフルと機械惑星ビッグゲテスターの超科学が融合したことによって生まれた、ドクター・ミューの最高傑作だった。
ツフル王の遺伝子データを元に生み出された彼はその思考パターンもツフル王のそれを完全に受け継いでおり、まさしくこの宇宙にツフル文明を再興するべくして生み出された存在である。
彼の力はかつて宇宙の帝王として君臨していたフリーザをも上回り、遂には伝説と謳われた超サイヤ人すらも凌駕する存在となった。
それが今、この地球にとって最大の脅威として立ちはだかっている。
「サイヤ人に滅ぼされたツフル人の復讐か……はた迷惑な話だぜ」
足元に転がる残骸――かつては「ドクター・ミュー」と呼ばれる存在だったそれを靴底で踏み潰すと、ピッコロは不快げに唾を吐いた。
――時は、少し前に遡る。
地上にてネオンの物と思われる大きな「気」を感知し、悟飯に連絡して共に現地へと赴こうとしたピッコロだが、結局彼がその場に訪れることが出来なかったのには一つの理由があった。
ピッコロが舞空術でネオンの居場所へと向かっている道中、ネオンとは違う別の「気」が、大きく膨れ上がっているのを感じたのである。
それはかつてクリリンや天津飯達と共に地球を守る為に戦った戦士の一員であり、ピッコロがこの地球の神だった頃は弟子でもあった武闘家――ヤムチャの「気」だった。
ヤムチャはセルゲーム以来武闘家を引退し、往年のようにまともに修行することも無くなっていた。そんな彼が、この時まるで戦闘中のように「気」を全開まで解放していたのだ。
妙だ、とピッコロは思った。
彼がネオンとの戦いに赴く為に「気」を解放したのだとしても、彼とネオンとではそもそも力の差が大きすぎる。昔こそ相手と自分の力の差を見誤る痛恨のミスを多々犯していたヤムチャだが、武闘家として円熟した今のヤムチャは良くも悪くも戦闘に慎重であり、そうそう同じ過ちは繰り返さない筈だった。
彼が「力の差はわかっているが、それでも戦う」、というほどの状況に追い込まれているとも考えられない。地上から感じられるネオンの気はフリーザ等が持つ悪人のそれとは性質が異なり、至って善人寄りの気なのだ。それ故に大きな気が現れたからと言っても一定の興味は持つだろうが、再び地球に脅威が現れたなどとは考えず、慎重な彼が自ら進んで戦いに行こうとは思わない筈だった。
「……行ってみるか」
修行をしていたと思っていた人間が、実は他の誰かと戦っていた――つい最近、そんな出来事があったばかりだということもあり、ピッコロは突如解放されたヤムチャの「気」を不審に思った。
もしかすれば昨日感じた、ネオンの後ろに潜んでいる「何か」と関係があるのかもしれない。そう思ったピッコロは方向を変えると、ネオンの「気」を感じる場所ではなくヤムチャの「気」を感じた場所へと向かった。
これがもし現在の地球で一番強い人間がピッコロであれば、ピッコロは不審に思いながらも真っ先にネオンの元へと向かっただろう。
しかし、彼がここでそうしなかったのは彼女の相手は自分ではなく、今や自分を遥かに超えた最強の戦士である弟子が――孫悟飯が引き受けた方が良いと判断したからであった。
「奴の相手は任せたぞ、悟飯」
無論、ヤムチャの異変が杞憂であれば、力が及ばないとわかっていてもピッコロは彼の加勢に向かうつもりだった。
しかし結果的に、彼が悟飯の戦いに加勢することは最後までなかった。
ピッコロが懸念していた通りヤムチャはこの時、修行をしていたのでもネオンと戦いに行こうとしていたのでもなく、ピッコロの知らない「新たな敵」と戦っていたのである。
都市街から大きく外れた地上――寂れた廃墟の一角に降り立つと、ピッコロはその場所で何者かと戦っているヤムチャの姿を見下ろした。
「ピッコロか! 意外だな、あんたが来てくれるなんて」
「……俺も、お前がこんなところで妙な奴と戦っているとは思わなかったぜ」
ヤムチャがピッコロの存在に気付き、ふっと安堵の表情を浮かべる。彼の纏っている服はとても戦闘を行うとは思えない派手なスーツ姿だったが、それは彼にとってもこの戦闘が不測の事態だったからと見て間違い無いだろう。
「……どういう状況だ? 話すんだ」
「俺も知らねーよ。プーアルと一緒に旅をしていたら、何故だかあの如何にも怪しげな科学者に襲われたんだ。
「科学者か。ふん、今度は腹を貫かれずに済んだようだ」
「っ、人がせっかく忘れようとしていた記憶を……って、お、おいっ、ピッコロ! 何だか向こうでとんでもない気が戦ってるぞ!」
「悟飯とネオンだ。アイツらが戦いを始めたんだ」
「ネオン? 誰だそいつ?」
ヤムチャから事情の説明を求めれば、彼にもよくわからないという要領を得ない言葉が返ってきた。
そこでピッコロは質問の相手を彼を襲ったという張本人――一目見て地球人でないとわかる青色の肌に覆われた、一人の老人の姿へと目を向けた。
「……また一人、大きな力を持った奴が現れおったか。原住民だけではなく、サイヤ人にナメック星人とは……何だと言うのだ、この星は」
ヤムチャとの戦いによってか身体のあちこちに損傷を負っている老人が、ピッコロの姿を見て苛立ちの言葉を吐く。
老人の身体からは例によってドクター・ゲロの造った人造人間のように「気」を感じないが、それでも仮にもピッコロはかつては地球の神と呼ばれていた存在だ。例え「気」は感じなくとも、相対する相手から滲み出る悪意は手に取るようにわかった。
「貴様は何者だ? いや、それは貴様を倒した後で聞くとするか」
「ほざけ! 貴様ら如きに、私の野望を邪魔させはせんぞ!」
この老人はあの黒い鎧の少女、ネオンと何か関係があるのではないか。直感的にそう思ったピッコロは、悪意を包み隠さない老人を相手に力尽くで聞き出すことに決めた。
基本ベースが好戦的なピッコロ大魔王である為に、元来話し合いは主義ではないのだ。
そうしてターバンとマントを外したピッコロが老人――ドクター・ミューと戦ったのが、つい先ほどのことだった。
戦闘自体は、ものの数分と掛からなかった。
拍子抜けするほどあっさりと、ピッコロが勝利を収めたのだ。
彼の戦いを間近で見ていたヤムチャは「俺と互角ぐらいだったんだけどな、そいつ」と半ば呆れ、半ば悔しそうに呟いていたが、あえて言うことはないがヤムチャと互角程度の相手だったからこそ簡単に勝負がついたのが事実である。ヤムチャとて本気を出せば惑星一つ消滅させられるほどの戦闘力を持っているとてつもない強者の一人なのだが、ピッコロの強さはそんな彼とすら比べ物にならないのだ。
生まれ持っての力の格差を痛感して嘆く姿は悟飯達超サイヤ人に対しての自分を見ているようで、ピッコロにはどこか他人事には思えなかった。
それ故にピッコロは、そんなヤムチャに励ましも叱責の言葉も掛けず、戦闘能力を奪われ地面に倒れ伏した老人の姿へと目を移した。
「さて、では聞こうか。貴様は何者だ?」
「……ふん、貴様のような奴がベビーの素体になれば、計画は何もかも思い通りに行っていたのだろうにな……」
「どういうことだ?」
老人は既に抗う気力を失ったのか、ピッコロが問えば躊躇うことなく必要な情報を話してくれた。
老人の名前はドクター・ミュー。かつてサイヤ人によって滅ぼされた種族の一つ、「ツフル人」の科学者であり、七年前にサイヤ人の生き残りを抹殺する為にこの地球を訪れたのだと。
――そしてピッコロは、彼の生み出した人工寄生生命体「復讐鬼ベビー」の存在を知った。
「まさか……そんな奴がこの地球に潜んでいたとは……!」
「ベビーは私の最高傑作だった。どんな人間にも取り付くことが出来る能力に加え、本体の力もサイヤ人のそれを遥かに上回る……貴様は勿論、この世に敵う者など誰もおらぬ。ベビーさえ居れば、憎きサイヤ人を皆殺しにした上で、この宇宙にツフルの文明を再興出来る筈だったのだ……」
彼の話によって、ピッコロは事の全てを理解した。
ツフル人の復讐と、復讐鬼ベビーとネオンという地球人の関係。ドクター・ミューの話によって、その全てを知ったのだ。
「……そうだ。私の計算を狂わせたのは、ベビーが最初に寄生したあのネオンとかいう小娘……奴が! 奴が私のベビーを奪いさえしなければ……!」
ドクター・ミューが恨めしげに叫ぶ。本来ならば彼らが地球に到着したその日――ピッコロ達が人造人間と戦うよりも前にベビーが表舞台に現れ、彼らの野望である「全人類ツフル化計画」を遂行する筈だったのだと。
その手始めとしてベビーが最初に取り憑いたのが、ネオンという少女だった。しかしドクター・ミューにとって計算外だったのは、ベビーが彼女に取り憑いたことによってその自由を失い、七年もの間彼女の体内に封じ込められることとなったことだ。
その話を聞いて、ピッコロは自分達が知らぬ間に命拾いしていたことを思い知った。
超サイヤ人すら凌駕するベビーという怪物が、孫悟空もベジータも精神と時の部屋で修行をしていないあの時期に出現していたとしたら、間違いなく地球の戦士達は全滅していたからだ。神にすら知られることなく一人でベビーと戦い続けていたネオンという少女には、元地球の神として感謝の思いしか無かった。
しかし、そのネオンも今は――と、ドクター・ミューが哄笑を上げる。
「ふっ、ふふっ、小娘め……奴の抵抗もこれまでのようだ。奴の精神は今や完全に塗り潰され、遂にベビーが表に出おった……これでサイヤ人も、全滅だ……!」
彼の放った不吉な言葉が廃墟に響き渡ったその時、ふと何かに気付いてしまったヤムチャが驚愕の表情を浮かべた。
「おい! さっきから悟飯の気が感じられないぞ……! ま、まさかそのベビーって奴に!」
「何っ!?」
いつからか、この地球上に悟飯の「気」を感じられなくなっていたのだ。
それに対して、彼と戦っていたと思われるネオンの「気」は健在だった。そして昨日に見せた瞬間移動を使ったのだろう。彼女の「気」は西の都の方面へと居場所を移しており、恐らくはベジータと思われる巨大な「気」とぶつかり合っていた。
そのネオンの「気」からは、彼女の純粋な気の中に極悪人達の物と同質の邪悪な「気」が含まれていた。それこそがベビーの「気」だと気づけたのは、ドクター・ミューの様子を見てのことだった。
「ふははははははははっ! そうだ! それでいいぞベビー! サイヤ人など、この世から滅びてしまえ! ふははははっ……は……」
「くそったれ!」
ピッコロは不快な笑い声に苛立ちを込め、ドクター・ミューの頭部に気功波を打ち込むとその命にとどめを刺した。
彼の身体はやはり人造人間のように機械物質で構成されていたらしく、爆散した身体からは血液ではなく液体状のオイルが飛び散った。
自分達の同胞を滅ぼしたサイヤ人達への復讐――かつてフリーザ軍とベジータによってナメック星人の多くの同胞を失ったピッコロには、彼の気持ちは痛いほどよくわかる。
しかし、だからこそピッコロは彼の行動を肯定出来なかった。
「悟飯……」
ドクター・ミューは、恨みをぶつける相手を間違えたのだ。彼らの企てた「全人類ツフル化計画」はサイヤ人の生き残りのみならず、この世で生きる全宇宙の人々を巻き込む許されざるものだった。
そして、ツフル人の抹殺には一切関与していない、未来ある子供達までも手にかけた。復讐という大義名分があれば何をやっても良いなどという理屈を、ピッコロは、ネイルは、地球の元神は認めなかった。
故に今しがたとどめを刺したツフル人の科学者に対して、ピッコロは哀れみこそ抱いても罪悪感は抱かない。
今のピッコロの心にあるのは、息子にも等しかった愛弟子の命がこの世から消えたことに対する自身への無力感と重い喪失感だった。
しかし茫然と立ち竦む彼の心を、ヤムチャの放った思わぬ一言が蘇らせた。
「ピッコロ……ん? いや、違うぞピッコロ! 悟飯の気は、まだ消えていない!」
「何!? ほ、本当だ……! あいつ、生きてやがった!」
先ほどはわからなかったが、集中して感覚を研ぎ澄ませれば、彼らほどの達人にはすぐにわかった。
酷く衰弱していたものの、悟飯の「気」はまだこの世に留まっていたのだ。
ならば急いで救助に向かわなければ……と焦るピッコロだが、その必要は無かった。
「ッ! そうか……悟飯の奴、まだ仙豆を持っていたのか」
死を待つだけのようだった悟飯の「気」が、一瞬にして元の大きさへと戻った。
希望はまだ、潰えていなかったのだ。
「大した奴だよ、お前は……」
自分の助けなど、本当にもう要らなくなったのだなと、ピッコロは改めて弟子の成長を目の当たりにした。
ならば、せめて彼の戦いを最後まで見届けよう。ピッコロは心に誓い、飛び立った悟飯の「気」の行方を追った。
戦いは好きではない――昔から今まで、孫悟飯の中でその思いは変わらなかった。
彼が今まで戦ってきたのは確かに己の意志ではあったが、戦わなければ守れないから戦ってきたという、立たされてきた状況による部分が大きい。
自分が戦わない限り、平和な地球は無くなってしまう。そうなれば、学者になるという夢も果たせなくなる。そして何よりも、この地球に生きとし生ける自然や動物達、大好きな人々が傷つくことを悟飯は許せなかったのだ。
『恨むんならてめえの運命を恨むんだな。この俺のように……』
サイヤ人と戦う為、初めて修行を始めた時、ピッコロがそう言った。
そしてこの地球の運命の鍵はお前が握っていることを忘れるな、とも言っていた。あれから随分と時間が経ち、悟飯は精神も肉体も立派に成長を遂げた。その今でもまだ、彼の言葉は悟飯の中で生き続けていた。
彼女も――ネオンもまた、自分の運命を恨んでいたのだろう。だから、そんな運命を終わらせてほしいと悟飯を頼った。彼女は救って欲しかったのだ。望まない運命に支配された、自分自身のことを。
悟飯の心に、一つの感情が芽生える。
そして、思い出す。
『正しいことの為に戦うことは、罪ではない……』
死ぬ間際、人造人間16号が言い放った言葉だ。機械でありながらも温かい優しい心を持ち、死ぬ間際でさえ自分の命よりも自然や動物達を愛し続けていた彼は、悟飯の中では無機質なロボットではなく確かな「人間」だった。
話し合いなど通用しない相手も居る。精神を怒りのまま、自由に解放すれば良い。気持ちはわかるが、我慢することはない……彼はそう言って、地球の命運を悟飯に託してこの世を去った。肉体が魂を持たない機械であるが故に本物の人間と同じようにドラゴンボールで生き返ることが出来なかった彼だが、その思いは今の悟飯の中に受け継がれていた。
――だが、悟飯はそれでも迷っていた。
彼女は、ネオンはサイヤ人によって大切な全てを失った被害者だ。
内に潜むベビーによって狂化されている側面はあるが、今の彼女はただ精神を怒りのまま自由に解放させているに過ぎないのではないか、と。
そんな彼女とセルを殺したあの時の自分は、心情的には大した違いなど無いと思えた。
「……ネオン……さん……」
大きくえぐり取られた大地の下で、悟飯は薄れる意識を徐々に覚醒させていく。
身体中に激痛が走り、折角ピッコロに作ってもらった道着も無惨な形へと成り果てている。我ながら完全に死んだものと思っていたが、どうやら悪運強く自分は生きていたらしい。
震える腕を懐に巻きつけた袋に伸ばすと、その中から一粒だけ残していた「仙豆」を取り出す。
昨日、ピッコロから受け取った仙豆は二粒。内一粒は昨日の戦いで消化したが、悟飯はまだもう一粒仙豆を残していたのだ。ネオンの一撃で袋ごと焼き切れたものと思っていたが……幸いにも、時の運は悟飯に味方していた。
「ぐっ……く……!」
痛む身体を奮い立たせ、悟飯は口の中に仙豆を放り込んで一気に飲み込んだ。
瞬間、身体の内側から失った筈の力が蘇る。
死の淵に瀕していた悟飯の体力が、仙豆の効能によって回復したのである。
しかしこの時の悟飯の心情に、自身が無事命を拾ったことに対する安堵は無かった。
「行かなくちゃ……」
ただ心にあったのは、望まない戦いを続ける彼女のことを助けてあげたいという思いだ。
彼女は決して、話し合いの通じない相手などではない。
だからこそ、今の悟飯は彼女に対して怒りを抱くことは出来なかった。
――しかし、彼女の中に潜むベビーへの怒りは、既に限界を超えていた。