『月
分岐した兵長視点。
時系列が若干前後しているので、判りづらいかも知れません。
が、間に入れても今度は話の流れが掴みにくくなるという仕様。
――ふわり、と。
隣にいたレイフォンに柔らかく抱きしめられ、続いて響き渡った乾いた音に、周りの時間が止まったような気がした。
『 ――大丈夫か……?レン 』
あの時、『彼』はそう言って、震える私を強く抱きしめてくれた。雪に白く染まった視界の中で、『彼』が流す命の色だけが鮮やかで。
『彼』は最期まで私に笑い掛けてくれていて。
「……レン、」
おそるおそる、彼の背中に腕を回し――掌が、ぬるりとした感触に濡れた。
――嗚呼。きっとこの手は、あの時と同じ色に染まっている。
「レン……ごめん」
なぜ、あやまるの。
あなたは悪くない。
ずるり、と頽れる彼を抱き支えたまま、引きずられるようにして膝を着く。彼の服を染めていく赫に、目の前が滲んだ。
「……レン……」
そっと息を吐くように名前を呼ばれ、冷たい指先に頬を撫でられた。
「……けが、は……?」
ふるふる、と首を振る。
それで安心したように息を吐き、『彼』と同じように彼は微笑んだ。
「……ごめん、ね……」
そうしてまた、謝罪の言葉を口にした。
やめて。あやまらないで。
あなたが悪いんじゃない。
そう口にしようとして、彼が心から困ったように笑っているのに気付いた。
「……それでも、後を…………どうか、」
その言葉で、ようやく遠い記憶から『今』に引き戻された。今、ここで倒れたのは、遠い『彼』では無い。2人で自由気儘に世界を旅していた『彼』では無く、光浄都市ヴォルフシュテインの【剣守】。ヴォルフシュテイン卿という立場にあるひと。
――何よりも、都市の安全と存続を優先しなければならない、ひと。
『彼』を失った時は、『彼』を想って慟哭できた。
そして今、このひとを想うのなら、ただ泣き叫ぶことなど許されない。
視界を歪ませていた涙を乱暴に拭い、倒れた彼に頷いて見せる。微笑みさえ浮かべて。
「……あやまらないで。大丈夫よ。まかせておいて」
――悲鳴を上げる心など、気にしない。あなたはちゃんと気付いてくれているから。
「その代わり、今度は私の我が儘もきいてくれる?」
微かに笑みを滲ませ、レイフォンは小さく頷いた。先ほどよりも深く安堵の息を吐き、ゆるやかに瞼を下ろす。
するり、と。
微かな感触を残して、頬に触れていた彼の手が滑り落ちた。
【Arma 04:weak vinan, en na fhyu nuih.】
乾いた音が響いた。それは、聞き慣れた音によく似ていて、舌打ちする。
すぐ隣の少女を自らを盾にして庇い、崩れ落ちるレイフォンを視界に入れて、人を掻き分けながら進んだ。――この瞬間だけ、立体機動装置を身に着けていないことに歯噛みする。
どうにか駆け寄った先で、意識を失ったらしいレイフォンの傍らに膝を着いて口元に手を翳して呼吸を確かめた。ひと先ずはまだ生きていることにひっそりと安堵の息を吐く。
だが、今日の負傷を振り返ると、さすがに出血量が危うい。
「――閣下…っ!!」
水を打ったように静まり返っていた民衆から、ようやく悲鳴のような声が響いた。それを端に、民衆の気配が大きく揺れる。
――混乱が起きるのは、好ましくない。
思わず眉をひそめ、舌打ちする。混乱する前に手を打とうと口を開きかけた時――
「動くな」
静かに耳に沁み込む声が、その場を抑え込んだ。
コツ、コツ、とゆっくりとした足取りで、近付いて来る。顔を上げれば、黒衣の王と目が合った。
「静かに。衛兵の指示に従うように。それから、医官と部屋の用意を」
その指示で、弾かれたように王宮の中に駆け戻る侍従と民衆を誘導しだす衛兵をそれぞれ見て確認し、その王はレイフォンが抱えていたらしい刀剣を持ち上げる。――たしか、【天剣】と呼ばれていた青年の、変身した形だったはずだ。
「私は【天剣】を『シンの間』へ戻さなければなりません。メザーランスはヴォルフシュテイン卿を頼みます」
「――はい。謹んで拝命いたします」
思っていたよりもしっかりとした返事を返した少女に思わず感心する。その一瞬を読み取られたらしい。王の視線が再びこちらに戻ってきた。
「――あなたは、」
言い掛けて、すっと目を細められる。その視線は、首に提げた指環を確認していた。レイフォンがマフムートに頼み、そして渡された、紋章付きの指環。――さて、何を言われるのか。
「――御到着早々、御目汚しを失礼いたしました」
まず発せられたのは、その言葉だった。どういうことだ。耳聡い連中がさりげなく視線を寄越したのを感じ、思わず顔を顰める。
「詳しい話は、また後ほど。今はレイフォンを頼みます。メザーランスが案内しますので」
――なるほど。とりあえず、『深読みしたければ勝手にしてろ』という考えの下での発言だったらしい。むろん、俺に対してでは無く、他の連中に対して、だ。
要するに、この王はひと言ふた言で俺の後ろに『王が一応でも気を使う相手』がいると、耳聡い連中に対して言外に告げたことになる。そしてこの『言外』に含ませたことによって、『その事実を公にするつもりは無い』ということも同時に伝えた。
しかし、実際には別にそんな事実は無い。故に知っている者からすれば『勝手に深読みしてろ』ということになる。
――強かだ。ある程度は予想していたが、思っていた以上に。
もし『内地』のお偉い連中が言い掛かりに近い絡み方をしてきたとしても、相手にされないか片手であしらわれるに違いない。……気が向けば片手間に相手をしてもらえるかも知れないが。
その王は一度だけ周囲を見渡すと、緩やかに瞬いた。次いで静かに背を向け、王宮へと引き返す。その途中で先ほど「伏せろ」と叫んだ長身の男――トルキスの言によるとサーヴォレイドの王であるらしい――に近付き、僅かに目礼して短いやり取りを交わすと今度こそ王宮の中へと消えた。長身の男も軽く肩をすくめてから、静かに後を追って王宮の中へ戻る。
それを視界の端で確認しながらレイフォンを担ぎ上げ、隣の少女を視線で促した。
「……こっち」
一歩を踏み出した少女はしかし、思わず、といった様子で動きを止める。その視線の先を見れば、納得すると同時に、思わず閉口する羽目になった。
「――時間が惜しい。道を開くから、通れ」
金糸の刺繍を施された鮮やかな
「……なんで居る?」
ユウと共に、壁の中に残っているはずだ――と思うと同時に、きっと特殊すぎる方法でも用いたのだろう、とすでに察していた。判らないのは方法では無く、理由だ。
深く溜息を吐いた青年――カナギはしびれを切らせたように歩み寄り、肩に乗っていた小鳥が飛び立つ。
「方法を訊いてるなら、今から実体験させてやる。理由を訊いてるなら、ユウに頼まれたのと、大物が掛かったから」
「……なんだそれは」
「問答は後で。――ソラ」
パサ、と音がして頭の上に小さな温もりと重みが落ちて来た。――いや、たぶん『降りた』と言う方が適切ではあるのだろう。だが何か、からかわれているような気がする。
チチチ、と囀る小鳥に、カナギは顔を顰めた。ひとつ息を吐き、小さく頷く。
「わかってる。それに、お前の時みたいに馬鹿正直にやられたりはしない」
ピュイ、と鳴き返した小鳥は小さな羽音を立てて再び飛び立った。
――直後、目の前の空間に亀裂が走る。とっさに一歩身を引くと、とん、と軽く背中を押される感覚。
『――目を瞑りなさい。手を出せば、風の姫が導いてくれるでしょう。あの晩、黄龍殿の背でそうしたように』
その言葉に、そういえば同じようなことがあったな、と思い返した。まだひと月すら過ぎていないのに、かなり昔のことであるような錯覚を覚える。
するり、とレイフォンを担ぎ上げている腕に、少女の細い指が絡み付いた。そして、少女は躊躇いなく一歩を踏み出す。慌てて眼を閉じ、導かれるままに歩いていくと、ふと空気が変わったのが解った。
何かの花のような香りが鼻腔をかすめ、それと同時に少女の手の感触が離れる。
「もういいわ」
少女に促され、閉じていた瞼を開く。
月明かりに照らされた、蒼い影の落ちる花々が咲き乱れる庭園。まず目に飛び込んできたのは、その風景だった。物憂げな表情で天に祈りを捧げる少女の像を中心に抱く、白い花を基調とした庭園に風が吹き、花弁と香りが空間に広がる。
視線を転じれば、少し歩いた先で少女が佇んで待っていた。その小道の先には、屋敷の中へ続くらしい渡り廊下が見える。
「――ここは?」
「市街地から少し離れた郊外にある小離宮のひとつ。今はレイフォンに下賜されたから、レイフォンの
そう言って少女は背を向けて歩き出す。――やはり、落ち着いて見えても焦っているのだろう。それは自分もさほど変わらない。ただ、幸いというべきか、撃たれた傷も急所は外れていた。少女の反応的にも、無闇に焦る必要はなさそうだと判断しているに過ぎない。
ふと、もう一度振り返り、庭園を見渡す。
――月明かりの下、蒼い影に彩られた花園の中、祈る少女像の前。
闇色の髪を風に遊ばせて、佇む夜色の少女が見えた。
不意に現れた、としか言いようの無い唐突さでそこに佇んでいた少女は、視線が合うと茫洋と瞬き――そして見つけた時と同じ唐突さで、掻き消える。
皓々と輝く月が、やけに大きく見えた。
今から思うと入れなくても良かったかな、と思う話だけれど、最後の最後でレギオスの『眠り姫』が出てくるし、最初のレンの部分もザックリ切る予定だったけど、今後の『ある可能性』の為の仕込みだったのを思い出して、結局そのままに。
次の話は確実に加筆修正が入るので、ちょっと遅くなります。