この話から、だいぶ一人称視点の書き方になりました。
もはや懐かしい。
目を庇っていた腕を、おそるおそる下げる。あまりにも強烈な光が治まった時、そこには巨人の影も形も、何も残ってはいなかった。
【邂逅04:孵り、羽ばたく小鳥への贈奏】
「…………」
周囲を見る。やはり、どこにも巨人の残骸は無い。
その事実に呆然としていると、背後からカナギの手が頭に置かれた。その感触に我に返る。
「――怪我は?」
「あ、ありません!」
反射的に上官にするような敬礼をして応える。
そうか、と言ってカナギはポンポンと私の頭を撫でた。
「えっと。――もう、動いてもいいんでしょうか」
「ん?――ああ。そこまで厳守しなくても良かったんだがな」
ふっ、と小さく苦笑する気配にぱっと振り返り、苦笑というよりも呆れたような微笑であることに衝撃を受けた。
なんか、目元が和らぐと、途端に10才くらい若く見えるんですが。
さすがに10才は言い過ぎだとしても、通常モードよりは若く見えるのは確実だった。
「――カナギ」
ユウの声に、思わず肩が跳ねた。
正直、驚愕やら恐怖やら緊張やら安堵やら、とにかく色々な感情が入り乱れていて、とにかくいっぱいいっぱいなので、しばらくはユウを見たくない。
「カナギ。■■■?」
「問題無い。手当くらいは自分で――」
……ん? 手当?
今、手当と言いましたか?
「――って、怪我してるんじゃないですかカナギさん!!」
よく見れば、身体の影にして隠すようにしていたが、左手の甲を負傷していた。
思わずその手首を掴み、じろりとカナギを睨む。
「……折れた木の枝が、掠っただけだ」
「四肢を失ったり命を落としたりはずっとマシですけど。でも放っておいたら傷口から身体が腐っていったり、熱を出して死んでしまったりするんですよ!?」
「あー……うん。わかったから。とりあえず、離れろ。な? 本来の人間種みたいにヤワじゃないし」
「それは突っ込んで良いところですか?」
ここだ。
この部分が、ユウの戦闘能力とか、壁の『外』のことに繋がる、重要なキーワードだ。
「――『残念ながらお前たち通常の人間種とは基本スペックが違うんだ』とも言ってました。そして今、『本来の人間種みたいにヤワじゃない』と言いました」
この世界でこれを「どうゆうことだろう」と思うだけの人は間抜けだと思う。あるいは、相当にお目出度い人だろう。
――――この、人類が『天敵』に追い詰められた世界では。
「――――あなたたちは、『人間』ではないんですか」
それは、『人類と巨人』という自らの常識である構図を、打ち崩すには十分すぎる言葉だった。
(それでも、自分に出来る精一杯を)
ただ、恩人である彼らを傷付けるかもしれない事だけは、申し訳なく思う。だから、応えてもらえなくてもかまわなかった。
カナギは視線を逸らさなかった。じっと私の瞳を覗き込むように視線を合わせている。むしろ私の方が視線を外したかった。
だが、ここで逸らせば何も応えてくれる気がしない。だから、意地でも逸らさない。睨み付けるようにして視線を合わせていると、横からくすくすと笑う声が聞こえた。
ちらりとカナギが声の主――ユウを一瞥する。
「……◆◆◆、◆◆◆◆◆-◆◆◆-◆◆◆◆、◆◆◆◆◆◆◆◆」
「■■■■■■■■■■。■■■■、■■■■■■■」
「…………」
「■■■■■■■■■」
いや。何言ってるんですか、2人とも。
お願いだから私の解る言葉で――って、多分、どこまでなら話せるかとかの相談してるんですよね。それにしてはユウが一方的にカナギを微笑みながら圧倒しているようですが。
やがてカナギは項垂れて嘆息し、ユウは私に向かって「いい仕事したぜ」と言わんばかりの笑顔でグッと親指を立ててみせた。
ひょっとして、論破してくれたんでしょうか。わかりません。知らない言語なので、本当に。
「――そもそも、だ」
え。教えてくれるんですか。非常に面倒臭そう且つ、うんざりしたような表情ですが。
なんだかんだで誠実な人ですね。
「俺たちは一度も、お前に対して自分たちを人間に分類するような言葉で語ってはいなかった、と記憶している」
「――たしかに。言われてみれば……」
【守の民】【狼呀の民】の他には『一族』とか『種族』とか言ってたような……?
並べてみると、非常に不可解ではある。さらに確かユウに関しては『【狼呀の民】は戦闘種族だ』とも言っていたと思う。かなり妙な言い回しだ。
「ただ、【民】そのものは人間種族だ。【民】の内の半数、あるいは何割かが特殊な因子を保有し、そしてそれを発現させる者もいる。そういったものは普通の人間種とは別に考えられているから――というか、一緒くたにするとちょっと弊害が多くてな。だから、俺やユウを指して『普通の人間種だ』とは口が裂けても言えない」
「具体的には、どう違うんですか?」
「具体的には……それぞれの【民】によって『特殊な因子』というのは違う。だから一概には言えないが、【狼呀の民】の場合は……お前にわかりやすく例えると、『巨人に対抗するために自らの身体に巨人の核を埋め込み、強固な意志の力でもってそれを制御下に置き、その力を使って巨人から人々を守ろうとした一族の末裔』だと捉えるのが近い、かな。ちなみに、これを指して【狼呀】と云う。他には巨大な塔の上に住む、詩で魔法を使う民とか。あるいは移動する街に住む【流砂の民】の【降魔】とか」
言いながらカナギは私の足元に置いたままだった籠を開け、水筒と軟膏、清潔そうな布を取り出す。それを見たユウは心得たように水筒を取り上げ、手当をかってでた。
負傷した手をそっと取り、傷を洗って薬を塗り、丁寧に布を巻いて傷を保護する。
――――なんか。
手際が良いうえ、やけに丁重に見えて思わず瞬いた。内心で首を傾げる。この、目上の人に対するような、感じはなんだろうか。
「俺たちの住処には『人間種』のほかに『妖精種』『精霊種』なんかが共生してるんだが、『壁の中』にはいないんだろう?」
「――おとぎ話だと思ってました」
「だろうな。あいつらは基本的に希少だし。――で、ユウをより正確に分類するなら『人間種【狼呀】』になる。俺の場合は『人間種【守人】』だな。ちなみに『特殊な因子』の大部分は人間と共生している神性存在――『妖精種』とか『精霊種』に由来する。お前たちと敵対する可能性を懸念しているなら、悪いが知らん」
「――イルゼ」
カナギが治療の為に出したものを籠に片付けたらしいユウは、胸ポケットからメモ帳のような小さな本を取り出し、私に差し出した。褪せた紅い表紙には見たことのない文字と、壁の中で使われている文字が書かれている。
「――『Die schöne grausame Welt』?」
ぱらり、と中を見る。
そこにはやはり、見たことのない文字で何かが記されていた。だが、それぞれの一文と対応させるかのように、自分たちの文字も書かれている。
翻訳、されているのだろう。ところどころに癖の異なる文章があるのを考慮すると、すべては手書きで尚且つ、複数人が記したものであることが窺い知れた。
ふと著者の名前を探す。パラパラとページを捲れば、最後のページにそれと思しき署名があった。
――――G.Jäger
顔を上げてユウを見る。これを私に見せて、なんだというのだろう。僅かに首を傾げてみれば、ユウは困ったように頬を掻いてから本を指さし、そして私を指し示す。
なんとなく判ったが、これは間違っていてはまずい。確認の意を込めてカナギにも視線を向ければ、カナギは呆れたように溜息を吐いて、肩をすくめて見せた。
「――お前にやるそうだ。帰還したら読んでみろ。ただし、本当に信頼できる奴以外には見つかるなよ。色々な意味で『それ』は、お前たちにとって劇物に等しい」
カナギの眼差しは真剣で、本当に私を心配してくれているのが伝わる。だから、ただ頷いた。
「――イルゼ、カナギ」
呼びかけたユウは少し離れた先から、振り返ってこちらを見ている。その肩にはいつの間にか艶々と白く輝く小鳥が止まっていた。ひょっとしてあれも、カナギの鳥だろうか。
その鳥を見つけたカナギは、今までで一番うんざりしたような顔で深く――本当に深く嘆息した。
「――ソラ。なんでお前まで」
白い小鳥は首を傾げて、ピルピルと囀っている。肩に乗られているユウの顔には、ただ苦笑。
ルルル、と鳴いた小鳥は軽く身づくろいすると、再び青い空へ飛び立っていった。見れば、抜けるような蒼穹で、白い鴉が一羽、旋回している。
その鳥を追うようにユウは先に歩き始めていた。その背中を慌てて追いかけ、ちらりとカナギを振り返る。―― 一瞬、カナギの隣に、真っ白い人影が見えた気がした。
だが、カナギは何もなかったかのように歩き出している。なら、きっと私の見間違いだろう。
しばらく歩くと、明るい広葉樹の森から抜けた。
1km先にいたという兵団は、巨人に応戦している間に離れてしまったらしい。
途中、私が彼らに歌をねだると、カナギは音痴だから無理だと言って全部ユウにパスし、ユウはいくつかの歌を教えてくれた。
壁の中では、歌はあまり聴かない。これは政府が無闇に歌うことを禁じているからだ。そう言えば、カナギは「それは不穏分子に歌で民を煽ったりさせない為だろう。逆に、軍歌や賛美歌なんかの類は禁止されていない筈だ」と教えてくれた。確かにその通りなので、そういうことなのだろう。
広がる青空の下、草原を歩く。
何故か巨人の姿は見えなかった。もしかするとカナギかユウのどちらかが、何かしたのかもしれない。
不意に、先頭を歩いていたユウの足が止まった。
カナギを呼び、遙かな地平を指して何かを確認し合っている。残念ながら、例によって私には判らない言葉でのやり取りのため、ニュアンスを察するしかない。
「――イルゼ、あそこに巨大樹の森がある」
「うん。目立つから、よくわかるけど」
「現在その森に、お前がはぐれた兵団がいる。――馬があれば、一人で帰れるか?」
ここから森までの距離を目測する。そんなに離れていない。2㎞弱、だろうか。
馬で駆ければ、それほど問題のある距離でもない。
ひとつ頷き、答える。
「大丈夫。馬があれば」
その答えにカナギは微笑し、なら、と言葉を続けた。
「――とびっきりの馬を貸してやろう。ただし、何も訊くな」
途端、耳元で鳥がはばたく音がした。思わず耳を覆って振り向くと、すぐ傍に純白の馬が佇んでいる。
――どこから出した、とか。いつからいたんだ、とか。訊いてはいけない。とてつもなく気になるけど、同時になぜか、絶対に訊いてはいけない気がする。
ただ、そっと周囲を見渡してみると、空を舞っていた白い鴉の姿が消えていた。
(――まさか、ね)
「乗れ。在るべき場所へ還ると良い」
カナギに促され、鐙に足を掛けて見事な白馬に乗騎する。
「――――ありがとう。本当に、感謝してる」
――ユウに出逢わなけば、私は巨人に食われて死んでいた。
それこそが、自分にとっての真実だ。思い返せば、本当に感謝してもしきれない。
カナギに出逢わなければ、私はきっと『外』のことを何一つ知らずに、人生を終えただろう。
「いつか、借りは返す。――ううん。恩を返したいの。お礼がしたい。だから――」
「いらん。俺たちはお前を見捨てることも出来た。それをしなかったのは単に寝覚めが悪くなるからだ。お前が気にすることは何もない」
往け、とカナギは馬の尻を叩く。馬は抗議の声を一声上げると、そのまま大地を蹴って走り出した。
咄嗟に態勢を整え、振り返る。
青い蒼い空を背景に、大きく手を振るユウと、腕を組んで見送るカナギの赤い服装が、脳裏に焼き付いた。
――嗚呼。
壁の外の世界は、こんなにも広く、耀いていたのか。
――――なら、壁の無い世界だったなら、きっともっと、素晴らしかっただろう。
視界が滲む。
彼らは『外』で生きている。
ならば、自分たちも『外』で生きられない筈が無い。
奔る馬は、一陣の風と同化したかのように速い。
これじゃ、ゆっくりと感傷に浸る暇も無いじゃないか。
思わず笑みを零し、ぐいっと目から滲むものを拭い去る。
視界の中、どんどん兵団の姿が近くなる。見知った姿を捜し、見つけた小柄な、けれども頼もしく思える兵長の姿を目がけて馬の速度を落とす。
傍まで行って馬から飛び降り、力いっぱい敬礼した。
「――第34回壁外調査、第二旅団最左翼を担当、イルゼ・ラングナー!! 先日の巨人遭遇において兵団からはぐれておりましたが、只今をもって帰還いたしました!」
――――その声は高らかに、蒼穹に響き渡った。
ちょっと休憩。
だんだん、投稿の仕方に慣れてきたような、気がする。