「――君も一応は【剣守】で政治に絡むなら、本当は解っているだろう?」
――――確かに、たぶん本当は解っていた。
「――いま、此処にいるのは、【降魔】【狼呀】【セラ】【守】、それぞれの民だ。それから、さっきからこちらを観察している【エデン】――【壁】の民もいる。最低5つの民がいる訳だ」
言われて、改めて認識する。
この状況で私情を優先するのは愚行だと。
「そして、状況を軽く整理してみよう。【狼呀】【セラ】【守】は、【大罪人】である彼――ガハルド・バレーンから、反体制組織の情報が欲しい、と思っている。対して、君たちは一刻も早く【核石】を奪還し、出来るならば自らの手で制裁を下したい。――合ってる?」
けど、感情は理性を拒絶する。だから、否定も肯定もできなくて。
「だが、本当にそれを実行したとしよう。――確実に、ヴォルフシュテインは窮地に立たされるぞ。他の民が欲する情報を『握り潰して処分した』として。代償は何だ。君たちの首か? 君たちたかが2人の首に、他の民が戦争回避するだけの価値を見出すとでも思っているのか?」
そこまで言われて、頭を殴られたような衝撃を受けた。
自分は確かにレギオスの【剣守】であり、これは【王】と【天剣】に次ぐ地位である。
だが。
同時に、それはレギオスの――【流砂の民】にのみ通じる権威であることも事実だった。
故に、他の民からすれば、自分の――【剣守】の首など、大した価値は無い。
それもまた、紛れもない事実で。
けれど。
どうしても、許せないのも、事実で。
他の民が【流砂の民】の内実など知った事かというのなら。
自分だって、そういう対応でも良いはずだ。
そう、思ってしまった。
走り出そうと低く身構えた瞬間、【狼呀】の彼が微かに嗤ったのが見えた。濡れた石畳を蹴ると同時に彼が手にする刃の軌道を読み、驚愕に目を瞠る。
一寸の躊躇いも無く振るわれた刃をとっさに自らの手で握り止め、次の瞬間には激しい怒りと憤りのままに思わず叫んだ。
「――――何をしているんですか、あなたはっ!!」
何をしている、巫山戯るな。違うだろう、そうじゃない筈だ。
【狼呀】は、何よりも『生きる』ことに貪欲な一族の筈だ。
こんな――こんな『賭け』なんかに自分の命を使うなど、しないだろう。
「――いや、ね。正直、まともにやり合っても勝てないし。でも君たちを止められなかった場合、俺は嬉々として『処分』される可能性の方が高くて。とりあえず、確実に君たちの気を引く方法といえば、」
――いわゆる『自害』くらいしか無かった訳で、などと。
そんな、笑みさえ浮かべて、言わないで欲しい。それが自嘲の類なら、なおさらに。
「そういう訳で、君たちに感情のまま行動されると、どのみち俺は『処分』確定だから。少しでも生き延びられる方に賭けてみたんだけど……どうなのかな?」
――――君たちは俺を生かしてくれる? と耳元で囁くように問う。
「――――~~~~~~~っっ」
思わず掴んでいた刃を払い、顔を歪めて睨む。心なしか顔が赤くなっているような気がするが、正直、気にする余裕はなかった。手で顔を覆おうとして、その手が血で濡れていることに今更ながら思い至る。
『……レイフォン』
彼女の声に、思わず顔を伏せた。剣の柄を離せば、彼女がヒトの形に戻る気配が伝わる。彼女は気遣うような表情でこちらを覗き込み、そしてやはり顔を伏せて『ごめんなさい』と小さく告げた。
――――君たちは俺を生かしてくれる? など。
あんな風に【狼呀】に訊かれれば、大抵の高位の【降魔】は応えるだろう。何故そうなのかは知らない。ただ、【降魔】の因子には、そんな風に刷り込まれているらしい。遠い祖先同士の契約が云々、とかは聞いたことがあるものの、正直ここまで明確に影響を受けるとは思っていなかった。
「――――ユウッ!!」
内心、かなり動揺していたらしい。その叫びを聞くまで、場の気配が変わったことに気付いていなかった。
顔を上げれば、自分たちの前には腕を広げて庇うような態勢の彼の背中。背にある【狼呀】のエンブレムが良く見える。その、向こうで。
逃げた男が、【降魔】としての牙を剥いたのが解った。
とっさに隣にいたレンを抱き寄せ、庇う。
「っミリアン!!」
果たして呼ばれた『女神』は、放たれた衝勁の何割かを『ほどいて』消してくれた。
だが。
「――【フェンリル】…っ」
そのまま後ろに倒れ込んできた彼を受け止め、顔を歪める。
――紅い、紅い河。闇の黒。石畳の白っぽい色。雨。
(――ああ、駄目だ)
思い出してしまう。重ねてしまう。――どうしても。
彼をレンに預け、駆け出そうとした。その刹那に腕を掴まれ、思わず動きを止める。
ぞっとした。――その掴む手の、あまりに儚い感触に。
だめだと言い、緩慢に瞼を落とす。
するり、と力が抜けて落ちる手をとっさに取り、握りしめた。
――――視界が歪んだのは、だめだと言った彼の言動が、故郷の彼らと似ていたからだ。
【Loar 02:Rrha quel gagis pitod viega geeow, linen en messe her manaf, yanje yanje. 】
「――ユウッ!!」
その声で、我に返った。
顔を上げれば、女の人が駆け寄ってくる。その顔を見て、思わず瞬いた。自分たちをこの街まで連れて来てくれた兵団の一人だったはずだが――どうやら彼の、『壁の中』の知り合いでもあったらしい。
その人は自分が支える青年を見て息を呑み、歯噛みする。そして何かを振り払うかのように傍らに膝を着き、視線を走らせた。
だが動揺し、思考が空転しているのも同時に察せられる。
ふと。
ひょっとして、負傷兵の応急処置には慣れていないのではないか、と思った。真偽は不明だが、なんとなく的外れではないような気もする。
「――レン、代わって」
言いながら青年を代わりに支えてもらい、自由になった手で自分の外套を引き裂いた。同時に改めて青年の負傷具合を確認する。――幸い、単一で致命傷に至るほどの深すぎる傷は無い。致命的な急所になりうる部分も、どうにか避けている。だがこれは、あの男も曲がりなりにも【降魔】であった為だろうと考えた。あの状況下で急所だけは避けるなどという行動は流石に【狼呀】でも不可能だ。――【降魔】の中には無傷で済む者もいるが。
目立って深い傷は右の大腿部、左肩の2ヶ所。他は細かい裂傷が数えきれないほどあるが、それは後に回す。裂いた布を大腿部の傷口にあてがい、傷口の上――心臓側に近い方できつく縛る。本来はただ傷口を布か何かで押さえて直接圧迫するだけで構わないのだが、流れる雨水の為、正確な出血量が把握できない。念の為に止血点――患部の心臓側にある動脈を骨に押付けるようにして動脈の血を止めて止血を早める方法――の方を採用しておく。
こういった応急処置はレギオス同士で行われる疑似戦争で必要になることもある為、徹底して叩き込まれていた。
「――ヴォルフシュテイン卿」
逃げた男を追って行った筈の【守人】が、微かな血の臭いを纏って戻って来た。――どうやら、殺されたらしい。本当に、愚かな男だ。【降魔】である限り決して勝てない【狼呀の民】に喧嘩を――戦争の口実を与えるなど。他の民である【守人】が早々に幕引きしなければ、どうなっていたことか。
青年の傷口を押さえながら、ぼんやりと【守人】を見上げる。
紅い衣を羽織る彼は、小さく息を吐いてその手に持ったものを差し出した。
――――煌く銀沙が散りばめられた様な、
それに血塗れの手を伸ばし、思い止まる。
(――――こんな、)
こんな血塗れの手で、『彼』の魂に触れることなど――……
「……レギオスの一部は『塔』の機能を持っていると聞くが、レギオス・ヴォルフシュテインはどうだ」
【守人】の静かな言葉に、思わず瞬く。
確かにレギオス――自律型移動都市は、【狼呀】の神機を土台に【宝玉珠】の核石を都市の中枢に、そして内部には【翠ノ塔】の一部と同じ機能がある、と云われているが、具体的な資料は残っていない。ただ、【翠ノ塔】と同じようにして造られた、と云われている。
そして、『塔の機能』と称するならば、ひとつだけだ。そして、それを行使出来る者こそが【天剣】であり【剣守】である。
だから、行使は可能だ。【天剣】の核石も、【剣守】自身も、ここに在る。
だが、なぜ今それを訊くのか。
「――――なぜ、今それを?」
「――レギオスの『眠り姫』経由【翠ノ塔】の『碧珠天』と【守の民】の『鳥の神』なら、前者の方が問題も少なそうだが、」
その言葉で、理解した。【守人】が言いたいのは『魔法による治療法』についてだ。厳密にいえば『塔』の魔法は科学に分類されるらしいのだが、現在では詳細も失われているために『失われた技術』を指して『魔法』と称することがある。
この話はつまり――――【狼呀】の青年の治療をダシに、『さっさと【核石】持って故郷へ帰れ』との言葉であると解釈して間違いないだろう。あるいは、『さっさと受け取れ。話はそれからだ』という趣旨であると受け取っても間違ってはいないと思う。
言葉がかなり曖昧且つぼかされているのは『壁の中』だからだ。
「……どう、でしょうか。――――距離が、離れているので」
「――『距離』、ね。……関係あるか?」
無い。
実際のところ、距離は関係無い。なぜなら、レギオスの【核石】は、今ここに在るのだから。さらに言うなら、様々な要因があっていずれも『現実の距離は関係無い』ことに出来る。
ふと、自らの手を見る。
紅い色も、だいぶ雨で流れてしまっていた。
――――言い訳は出来ないぞ、と。
いつだったか、【天剣】に言われた言葉が脳裏に甦る。彼は、両腕に花々を抱えて穏やかに微笑みながら、静かに自分に説いていた。あれは――そう。歴代の【剣守】の墓参だったはずだ。『彼』の手を取り、ヴォルフシュテインを護り継いできた、忘れられた英雄たちの墓。
――――私は『水』で、『光』である。
水は映し、清め流すもの。光は照らし導くもの。故に誤魔化しは無い。言い訳も出来ないぞ、と。
「――――ああ、もうっ!」
あの時自分は、暗に逃げることは許さない、と云われたのだ。そして、そんな彼の手を取ったのは、紛れもなく己自身である。
【守人】の手から、彼の【核石】をやや乱暴に受け取った。
そのまま立ち上がり、瞑目する。懐かしい【核石】の波動を感じながら呼吸を整え、詩を紡ごうと唇を開いた。
「――――悪いが、それは目立つから禁止な」
ぽふ、と後ろから口を塞がれ、思わず瞠目する。目の前の【守人】が驚きに目を瞠って硬直しているのを見ると、それだけで『大物』が出現したらしいことは理解できた。
「あと、
「――は、」
「ついでに、この【狼呀】は私が貰っておくから、安心すると良い」
一瞬、思考が停止する。
いま、この『大物』は妙なことを言わなかっただろうか。
ほんの微かに、苦笑する気配。
固まっているうちに周囲の空間が揺らぎ、耳元に低く囁かれる。
「――ヤエトと劉黒によろしく、ヴォルフシュテインの」
とん、と背中を押された。歪んで揺らぐ景色の中でとっさに振り返った先、朱金に煌く双眸に軽く微笑まれて硬直する。
「――――お帰りなさい、ヴォルフシュテイン卿とメザーランス」
一瞬後。
まさしく瞬いた間に強制送還されたらしい。目の前には名詠光の残滓を纏った【夜】と、その背後に佇む【天剣】の姿。
「――兄さん…っ」
隣で座り込んだままのレンの声は、掠れていた。彼は困ったように微笑みながら静かに歩み寄り、そっとレンの頭を撫でる。
「――――劉黒、」
ヴォルフシュテインの【天剣】の名を呼び、握りしめていた【核石】を差し出した。劉黒は少し笑ってそれを両手で掬うようにして受け取る。【核石】はそのまま劉黒の手に沈むようにして身体の中へと消えた。
それを見届け、息を吐く。
「――劉黒。ごめん」
「――――いや。お前に負担を掛けたのは私だ。謝るべきは私の方だろう」
「違う。――そうじゃ、無くて……」
あの、自分たちを庇って倒れた、青年の姿が目に焼き付いて離れない。覚悟を決めようとした矢先、追い出されるような形になったのも、気に入らない。この、微妙な遣る瀬無さをどうしてくれよう。
「えっと、……投げ出して来てしまったことが、あって……」
自分の感情を言葉にするのは、苦手だ。戦場での合理的な判断なら、こんなに迷うことも無いのに。
「だから――えっと、」
思わず次の言葉に詰まり、そっと自らの【天剣】を上目づかいで窺う。
「――――家出、しても、良い……?」
目を点にした劉黒は、一拍後に『お前の我儘は初めて聞いたな』と言って軽やかに笑った。
次こそ、月曜のお昼過ぎになるでしょう。
(天気予報並みの精度の予告ですが)