これでおしまいです(多分)
最新巻を読んだ人向けなので、その点だけ注意して下さい。
林立する木々の合間を縫って、その影は白の軌跡を残しながら駆け抜けていく。勢いを全く緩めることなく車以上の速度で走っていることから、当人の卓越した身軽さが伺えるだろう。明らかに、ヒトとしての身体能力を超越している。
それもそのはず。彼はヒトとは一線を画した生き物。食物連鎖の頂点とされるヒトを喰らう側の存在、
それも、世にも珍しい『半』
「……ヒナミちゃん、一回休憩する?」
「ヒナミは大丈夫だよ?」
「そう? じゃあ、もう少しだけあそこから離れるね」
「うん、お願いお兄ちゃん」
オークション会場から無事脱出したカネキは、ヒナミを抱えたまま持ち前の俊足を活かして移動していた。大分距離を取り、後ろを振り返って見るも追っての気配すらない。恐らく上手く巻けたのだろう。
だが、CCGの包囲網を甘く見ると痛い目に遭う可能性も否めないので、保険に保険を掛けて身を隠すことの方が賢明である。カネキは更に加速して人の営みの薄い場へと移動を続けていた。
意識していた訳ではなかったが、脚は20区へと向かっていた。これは身体に染み込んだクセのようなものであろう。
もう、あの暖かく心地の良かった喫茶店はない。記憶を失ったあの日に、跡形もなく消えてしまったのだから。
また、カネキたちが根城にしていた隠れ家もないのだろう。もしあるのならば、ヒナミが『アオギリ』の一員になっているはずがない。
カネキは今、宛てのない逃避行をしているのだ。
(……さて、この後どうしようか……)
きっと今頃は、佐々木琲世が逃走したことが露見しているだろう。
加えて、それと同時にこのような報告もされているはずだ。
SSレート喰種『ハイセ』の討伐必要性有り。
もしかしたら『カネキケン』かもしれないが、兎に角、確実にCCGの敵対勢力として認識されたはずである。
しかも解き放たれたのSSレートを超える喰種だ。最重要捕縛対象、もしくは最重要討伐対象として報せが周ってることだろう。
「はぁ……」
どうしても溜め息が漏れてしまう。
CCGに恨みはなくはないが、別に毛嫌いしているわけではない。親交のあった友人も部下も上司もいた。基本的には良い人が多かったから、居心地も悪くなかった。
そんな人たちから、組織から、付け狙われる存在に変わったのだと思うと憂鬱にもなる。
あの場にいたみんなはもう家族でも仲間でも何でもない。命を削り合う敵なのだ。
もう簡単に会うことも、話すことも出来ない。
一緒には、いられない。
(ハイセのために、最後にお別れだけでも言いたかった……)
心情としてこれはもちろん本音なのだが、その行動は文字通り命懸け。というより、あの
(まぁ、ハイセも許してくれるかな? あの人の恐ろしさはハイセも知ってるしね)
一先ずとして、CCGについてはもう放っておくにした。
味方になるわけではないが、率先して敵対する必要もない。出来る限り関わらなければいいだけなのだ。
そして、今のカネキにとっての最優先事項は別にある。
今後生きていく上で絶対に必要になる、重大な問題が。
「う〜〜〜ん、どうしようかな?」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「うん、僕、……これで帰る居場所がなくちゃったなぁって」
勿論、他にも気になることは山程ある。しかし、可及的速やかに解決しなければならない問題はこの件であった。
幾ら喰種が身体的に優れているといえど、雨風を凌げ、命の心配なく寛げる安全地帯がなければ精神が擦り切れてしまう。だからこそ、拠点となる場所の確保は絶対に必要なのだ。
「ヒナミちゃんはどうするの? 『アオギリ』に戻りたいなら、僕は止めないけど」
「ーーううん。ヒナミはずっと、お兄ちゃんと一緒にいるよ」
「……ありがとう、ヒナミちゃん」
ーーどうしてヒナミちゃんはこんなに良い子なんだろう?
純粋にそう思うカネキは、ヒナミの想いに気付いていなかった。
幾ら戦闘能力においては化け物レベルに達しても、鈍感なのは変わっていなかったのだ。
まぁ、恋愛経験がほとんどない、あったとしてもリゼとのバイオレンスなデートしかしたことないので、仕方がないと言えばそうかもしれないが。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
「うん? どうしたの?」
「あのね、ヒナミ『アオギリ』で貯めたお金一杯持ってるから、それを使うんじゃダメかな?」
「……………う〜〜〜ん」
思わずカネキは唸ってしまった。
ヒナミとしては、善意100%からの提案なのだろう。カネキの帰る場所を作りたい一心で思い付いた、最高のアイディアのはずだ。
しかし、カネキはそれには簡単には頷けない。
むしろそれは、何としてでも回避したい最終手段であった。
(女性に、しかも年下の女の子のお金で世話になるなんて、完璧にヒモじゃないか……⁉︎)
既に女性の想いを察せないという愚行を犯しているカネキであるが、その上さらにヒモになるなど男として最低であった。最早プライドが許さないし、許せない。
これは断固拒否する方向で話を進めなければならないと確信した。
(落ち着け僕……、この展開はあり得ない。でも家もお金もないのも事実だし、あぁもうっ! こういうときにあの人が……いれ、ば……あれ?)
おかしい。そう思えばおかしい。
というより、何故気付かなかったのか。
そもそもあの隠れ家は、カネキを支援する
「そう思えば、月山さんは? ハイセの頃の二年間でも、一度も
「あ、……その、……うん。月山さんはね、そのね……」
「……もしかして殺されちゃったの?」
言い淀むヒナミの反応からそう推察するカネキだったが、「ち、違うよ!」と慌てた様子でヒナミが否定した。どうやら違うらしい。反射的に舌打ちしてしまったカネキは悪くない。
「月山さんはちゃんと生きてるよ! 多分だけど……」
「……それじゃあ、あの人今何やってるの?」
カネキからすると、生きているあの
普段は紳士な月山だが、自分が手に入れたい食材を見つけると
だからこそ気に掛かりヒナミに聞いてみたのだが、返答は予想の斜め上をゆうに超えていた。
「あの、そのね。……月山さん、家に閉じこもっちゃったの」
「…………………………………はい?」
率直言うと、意味不明だった。
「……えーと、それは何でなのか分かる?」
「……その、多分だよ? ヒナミも直接聞いてないからわかんないんだけど……」
ヒナミの話しを要約するとこんな感じだった。
ーーカネキ君のいない世界では生きていけないッ!!!
……怖気が背筋を爆走した。
「相っ変わらず気持ち悪いですねあの人はっ!?」
衝撃の気持ち悪さに叫んでしまったカネキは悪くないだろう。純粋無垢で天使のように優しいヒナミですら、「あはは……」と苦笑いものなのだから。
この機会にあの変態との縁という縁を一刀両断でぶった斬り、金輪際二度と関わり合いになりたくないという強い思いが出てくる。
だがしかし、状況が状況のため即座に決断を下せなかった。
(うーん、僕にとってどっちが良いか……。ヒナミちゃんを頼るか、月山さんとの繋がりを復活させるか……)
正直、かなりの葛藤が生まれた。
ヒモor変態である。
取れる選択肢が残酷すぎるのではないだろうか? 一体自分が何をしたというんだと、カネキはいるかも分からない神様に一から百まで問い詰めたい気持ちであった。
悲劇の主人公を気取るつもりも喜劇を演じるつもりも皆無なのに、三年前の事件がきっかけで人生が狂ってきている。
まぁ、もう今更の話しなのだが。
(……はぁ、しょうがないか)
「ヒナミちゃん、今から月山さんの家に行きたいんだけど場所分かる?」
「うん、大丈夫だよ!」
「それじゃあ、案内お願いできるかな?」
「任せて!」
天秤に掛けた結果、カネキは変態を掴み取った。これ程までに苦渋に満ちた選択をしたのは生まれて初めてであった。
せっかくカネキとしての意識を取り戻したというのに、早速その精神がゴリゴリと削られているような感覚である。
ただ、憂鬱なカネキに対し、ヒナミは本当に嬉しそうに笑っていた。そんなヒナミの表情を見て、カネキも心が穏やかになっていく。
気持ちの切り替えにあまり時間が掛からなかったのも、ひとえにカネキも想像したからだ。
楽しそうに笑う自分たちを。
短い時間ではあったが、家族のように暮らしたあの時を。
(……何だかんだあるけど、あの人もやっぱり、結局のところは仲間なんだよね)
「お兄ちゃん、ここからならあっちの方向に真っ直ぐだよ」
「よし、それじゃあ飛ばしていくよ?」
「うん!」
元気の良い返事と共に、ピョンとカネキの腕から跳ねて地に両脚を付けたヒナミ。カネキも気合いを入れ直したように一歩踏み出す。
二人の顔には笑顔が浮かんでいた。
これであの楽しかった日常を取り戻せるのだ。嬉しくない筈がない。
これで宛てのない旅はもう終わり。
カネキとヒナミは、かつての仲間の元へと全速力で駆け抜けた。
*
「……それは本当か、ウタ?」
「うん。確かな情報だよ、蓮示くん」
12月24日。
世間一般で言う聖夜にもかかわらず、東京にあるその喫茶店では少々張り詰めた空気に満ちていた。店としてそれは回避するべき空気なのだろうが、その日は貸し切り状態であるため、多少商売っ気のない雰囲気でも問題はなかった。
中にいるのは全員で四人。
その中でカウンターに立つ蓮示と呼ばれた強面の男性が、ウタと呼ばれたタトゥーとピアスが印象的な男性に話の真偽を確かめていた。
「一カ月くらい前のオークション掃討戦以降、CCGでは『佐々木琲世』の行方を捜してるらしいよ。因みにこれ、極秘情報だから」
「……生きて逃げたってことですか?」
ウタにそう尋ねるのは右眼が艶のある髪で隠れている、息を飲むほどに綺麗な女性。その表情は不安と困惑、そして、僅かな希望を携えていた。
そんな彼女に、ウタははっきりと告げる。
「うん。状況的に考えて、自分の意思で逃走したんだと思う」
「……そうですか」
その言葉で彼女の瞳に確かな希望の光が灯った。
もしかしたら、本当に限りなくゼロに近い確率かもしれないけれど、奇跡が起こったのかもしれない、と。
彼女が密かに喜びを感じているとき、もう一人いた眼鏡を掛けた男性が「……あっ」と声を出した。
「んだよクソニシキ」
「うっせぇクソトーカ。……でもそうか、もしかしたらそれに関係してるのかもしれないな」
「何の話だよ?」
焦れたようにトーカがニシキを睨み付ける。
普段の接客の時とは似ても似つかない彼女のその変わりようは、知らない人が見たら百年の恋も冷める程キツイものであるが、その場にいるメンバーにはいつものことなので全く動じていない。
「いやな、最近『アオギリ』で何かあったっぽいから調べてたんだが、……どうやらヒナミが離反したらしい」
「はぁッ!!?」
飛び出てきた驚愕の情報に目を吊り上げて反応するトーカ。
即座にニシキの胸倉を掴みあげて、縦横上下にと手加減なくガンガン揺す。
「っんで! そんな重大なことをッ! すぐに言わねぇんだよッ!!」
「俺もつい最近知ったんだ! 確定してなかったから言わなかったんだよ離せクソトーカッ!」
「……二人とも、静かにしろ」
「「
ヨモとしては優しく諫めようと注意したのだが、二人は耳を貸す気が全くないらしい。地味に凹んだヨモを、ウタが慰めていた。
トーカとニシキは、日常的に鬱憤がたまっていたためか、暫くの間互いに罵声を浴びせながら騒がしくしていたが、
「「「「ーー⁉︎」」」」
その動きが、急にピタリと止まった。ヨモとウタも同様に驚いた反応を示している。
四人の目線は店の入り口へと向けられていた。
その視線の先。扉の向こうにはヒトの、いや、喰種の気配。
「……本当にこの格好で入るの? 僕的にはちょっと……」
「もう! お兄ちゃんわがまま言わないで! 普段のお兄ちゃんじゃ目立っちゃうからダメってお兄ちゃんも納得したでしょ?」
「……そうだね、分かったよ。……ハァ」
それも、どこか懐かしさを覚える気配が二つあった。
「……おいおい、まさか」
ニシキが思わずといった様子でそう呟いた。
四人は決して五感が研ぎ澄まされた、感知に優れている喰種ではない。にも関わらず、このときだけは直感で分かっていた。
扉の向こういる、二人の正体が。
『貸し切り』の札が出ているだろうにも関わらず、その二人は躊躇うことなく扉を開けた。
カランカランという音と共に現れたのは、帽子に季節外れのサングラスを掛けた黒髪ロング、白髪ミディアムの二人。どちらも外見は女性にしか見えなかった。
だけど判る。片方、いや、両方とも変装していることが。
「「ーーふぅ」」
そんな四人の動揺を気にすることなく、当の二人は一息吐いていた。随分とリラックスした様子である。
実は此処に来るまで、敵対勢力に見つからないかと二人は常に緊張していたという事情があったのだが、残念ながらそれは四人の知るところではなかった。
呆然とした様子から逸早く立ち直り、幽鬼のような足取りでカウンターから出たのはトーカだった。
「……ヒ、ヒナミ?」
トーカの口からは
だが、その心配は杞憂に終わる。
「お姉ちゃんっ!」
黒髪ロングの方の女性ーーヒナミは、気付けば晴れ渡る笑顔でトーカに力一杯抱き付いていた。
受け止めたトーカは最初こそ戸惑っていたものの、愛しい妹分を母のような手使いで背を撫でている。
「ったく、心配掛けさせやがって……急にアオギリなんかに行くから」
「うん、ごめんねお姉ちゃん。でも……」
「分かってるよ。こうやって帰ってきてくれた。それだけで十分だよ」
ーーどうしても、叶えたいことがあるの。
最後にトーカがヒナミと交わした言葉。
揺らぐことのない強い決意をしたヒナミを止めることなど、トーカにら不可能だった。だから、苦い思いで仕方なく見送ることにしたのだ。
それでも、自分たちの元に帰ってきてくれた。
それだけで、それだけでも、トーカは満たされた気持ちになっていた。
そして帰ってきたということは、ヒナミは望みを叶えてきたということに他ならない。
トーカは残されたもう一人に目を向ける。
「……あなたは」
ーー佐々木琲世? それとも……
その後の言葉が続かない。
怖かったから。まだ自分のことを知らないままなのではないかと、言い様のない恐怖に身体と心が縛られていたから。
でも。
「……トーカちゃん」
「ーーッ!!」
そのたった一言で、トーカの不安は氷解された。
トーカの中で様々な感情が込み上げてくる。到底言葉で表すことのできない想いがトーカの中で駆け巡って治らない。
「……カ、カネキ……」
「……トーカちゃん、久しぶりだね」
以前あった別離の時のような優しい笑みで、今度は再会を喜ぶカネキ。
そんな彼を見て、トーカは持て余した荒ぶる感情をどう処理して良いか分からなくなる。
「……カネキッ!」
ダッ! と駆け出すトーカ。
両手を広げて笑顔で待ち構えるカネキ。
そのカネキの一歩手前でダンッ! と左脚を踏み込むトーカ。
不穏な空気を感じ、「……あれ?」と呟くカネキだが時すでに遅し。
「ーーおっせぇんだよこのクソカネキがッ!!!」
「うぐッ……!?」
……結果、いつも通り暴力に訴えてしまったトーカは悪くない。
この二人に感動の再会シーンなど必要なかったのだ。
カネキは呻き声と共に膝から崩れ落ちた。その際カツラが柔らかく落下するが、誰も気にすらしていない。
「……あれ? おかしいなぁ……ハイセの時に会ったトーカちゃんは優しかったのに……」
「アァッ!? なんでテメェなんかにお客様対応しなきゃならねぇんだよ!」
「……うん、そうだよね。これがトーカちゃんだよね。少し安心したよ」
あははと、諦めたように苦笑してしまう。
今の展開がいつも通りすぎて、笑うのを
あぁ、やっと、やっと帰ってきたんだ。この場所に。この暖かな空間に。
「……ったく、なんつー顔してんだよ」
一人感傷に浸っていたカネキだが、そんな彼を見てトーカがぶっきら棒にそう言う。
「ハァっ……いい加減シャキッとしろ!」
続けて溜め息を吐き、悪態も吐き、最後に、
「……折角だから、私が直々にコーヒーを淹れてやる。感謝しろよ!」
サービスまで提供することにした。
「……うん、ありがとう。久しぶりに、トーカちゃんのコーヒーが飲みたいな」
「……ちょっと待ってろ」
静かな足取りでカウンターへと戻るトーカ。
カネキの方を一切振り向かない彼女の顔は、きっと面白いことになっているのだろう。その証拠に、ニシキとヒナミはニヤニヤと笑い、ウタとヨモは見守るように微笑んでいた。
「ぶっ飛ばすぞクソニシキッ!」
「なんで俺だけなんだよ……」
照れ隠しに物騒な言葉を投げ付けるトーカだったが効果は薄そうで、ニシキの優勢を崩すことは叶わなかった。
「……………」
羞恥でおかしくなりそうなトーカだったが、まだやるべきことは残っていた。
こんなときが来たら、カネキに絶対に言おうと決めていたことがあった。
ーー言わなくちゃいけないことがあるんだ。
心の葛藤に打ち勝ったトーカは勢い良く振り向き、カネキにビシッと指を差す。
「いいか? 一度しか言わねぇから良く聞いとけよ!」
「……う、うん。どうしたの、トーカちゃん?」
突然変化したトーカの態度にカネキは疑問を覚えたが、厄介事を恐れて大人しくする。今のトーカに突っ込んだら問答無用でぶん殴られる確信があった。
「すぅ……はぁ……」
深呼吸一つして息を整えるトーカ。
そして……。
「ーーカネキ、おかえり」
「……うん。ただいま、トーカちゃん!」
こんな感じだったらなぁ〜(願望)
今後は遂に月山さんが動き出しますよ!
超楽しみです!
あっ、なんか希望とかあったら感想でお願いします!