1話前のやつの続きです。
続けちゃいました…………。
張り詰めた空気の中、対峙するのは『半』喰種の二人。
恐らく、同じ人間によって造り変えられた存在。
そんな二人だからだろうか。同族嫌悪に似た醜い感情をぶつけ合っているため、包む雰囲気は濃密な殺気に満ち溢れている。
そんな彼らの一人、自らをカネキケンと名乗った彼を見たくなくて、ヒナミはもう一度声を掛けた。
「……お兄、ちゃん? ……本当に、お兄ちゃん、なの?」
不安げに揺れるヒナミの声を聴いて、彼は振り向く。
「……あっ」
彼の表情に、ヒナミは心の奥底が震える。
先程までの辛辣な気配を漂わせていた態度とは激変した、優し気に此方に微笑むその顔を見て、ヒナミは確信した。
あぁ、この人はお兄ちゃんだ。
ヒナミがずっとずっと会いたかった、大好きな
「……ヒナミちゃん」
数年振りに名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がる。
もちろん嬉しさもあったが、それ以上に罪悪感にも襲われていた。
ヒナミはカネキが敵対していた『アオギリの樹』に所属している身である。
入ってからヒナミは変わってしまった。
ヒトを殺した。
喰種を殺した。
もう常に守れて愛されて育ってきた純粋無垢な子供ではない。
両手が血に塗れた唯の化け物。
極め付けに、『アオギリの樹』はカネキを喰種にした科学者が所属している組織。
そんなところにいる自分は彼に拒絶されてしまうのではないかと、いつもいつも心を痛めていた。
カツカツと、ゆっくり歩み寄って来るカネキの顔を直視出来ない。
何かが決定的に壊れてしまいそうな罪悪感に押し潰されて、顔が自然と俯いてしまう。
そうしてる間に、カネキはすぐ側まで来ていた。
「……っ」
悲しみから涙で滲みそうになる瞳を、ギュッと固く閉じる。言いようも無い恐怖のせいで、身体の震えが止まらない。
ずっと会いたくて、やっと会えたのに。
嫌だ、嫌だ、嫌われたくない。そんなのは嫌だ。だけど、それでも私はお兄ちゃんに対して酷いことをした。だから嫌われても仕方ない。でも、そんなの…………。
ーーポスンっ。
「…………えっ?」
頭の上に暖かな感触を感じた。
その熱はヒナミの心を温め、癒してくれるみたいに身体全体に広がってゆく。
気付けばもう、震えは止まっていた。
恐る恐るといった様子でゆっくりと顔を上げる。
そこには、大好きなヒトの、大好きな笑顔が浮かんでいた。
「……ごめんね、心配掛けちゃったよね……」
「……お兄……ちゃん」
カネキは笑ってヒナミの頭を撫でてくれていた。
片膝をついてヒナミに目線を合わせてくれるカネキの気遣いに、第一に謝罪の言葉を言うカネキの優しさに、ヒナミは目頭が熱くなる。
カネキもカネキで、様々な感情が混ざり合ったような泣き笑いの表情を浮かべていた。
「……うん、ヒナミちゃんは大きくなったね。それと、……凄く綺麗になった」
「……ぐすっ、……お、お兄ちゃん!」
「……よしよし。本当に、ごめんね」
二年振りの再会は込み上げるものが多すぎて、ヒナミは自然と涙が零れ落ちてしまう。
自身の胸に飛び込んで泣くヒナミを、カネキは優しくあやしていく。呼吸を落ち着かせようと背中を撫でるその姿は、妹を世話する兄のよう。
やっと、帰ってきた。
やっと、戻ってきた。
あの頃の楽しかった日常が、この場さえ切り抜ければ、これでまた戻ってくる。
取り戻したこの絆を、もう絶対、二度と離さない。二人とも、心に誓うことは同じ。
しかし、それを邪魔する者がその場にはいた。
「ーーナニ俺を無視してくれてんのぉおおおおおおお!!!」
突如として、吹雪の如く羽赫がカネキとヒナミに襲いかかった。一つの一つの衝撃で轟音が鳴り響き、砂塵が舞い上がる。
「マ、ママンッ!!?」
安全な場にいた才子は顔を塞ぎながらも、カネキの身を案じて反射的に呼び掛ける。もし今の攻撃を喰らっていたら一溜まりもないだろう。
恐怖により身が竦んでいたが、それ以上に心配な気持ちが勝った才子は咄嗟に駆け出そうとした。
まず一歩、踏み出そうとする才子であったが。
「ーー全く……」
その心配は無用なものに終わった。
「ッ!!?」
すぐ側から聞こえた馴染みのある声に驚愕を露にする。
聴覚を頼りに声の方向を振り向いて見れば、そこにはヒナミを横抱きに抱えたカネキが何不自由なく佇んでいた。
「今のは小説で言えば、長年離れ離れになっていた主人公とヒロインが再会した感動の場面ですよ? それを邪魔するような野暮は止めてほしいですね」
「「…………はぁっ?」」
本気なのか冗談なのか分からないその発言に、味方である才子も、敵である白髪鬼も素っ頓狂な声を上げていた。
ヒナミはヒナミで現在進行形のお姫様抱っこに続き、先のカネキの発言のせいで顔を真っ赤に染めている。
「お、お兄ちゃん……恥かしいよっ」
「あはは、ごめんごめん。……僕も久しぶりなせいで舞い上がっちゃってるみたいだ」
「もうっ……。ヒナミ以外にこういうことしたり、そういうこと言っちゃダメだよお兄ちゃん!」
「うん、気を付けるね」
笑顔で受け応えをする二人であったが、今の会話にどのような意図が含まれていたのかカネキは気付いていない。命が狙われているというのに呑気なものであった。
だが台詞や態度はともかくとして、今の攻撃を余裕で切り抜ける実力があることが分かったために、白髪鬼は愉しそうに笑い出した。
「くひっ、くひひひひひひひ! ははははははははははははははは!!! そうこなくっちゃな! カネキケンさんーーYO!!!」
今度は先程よりも更に強烈になった弾幕が迫ってくる。
必殺の威力が込められたそれらに対し、カネキは動揺一つ見せない。
ただ静かに、赫子を展開させた。
腰から伸びる鱗赫は、全部で八本。
「ーー邪魔ですね」
まるで自分の手脚かのように鱗赫を縦横無尽に操り、飛んで来る羽赫を残さず叩き落としていく。息一つ乱さずに行われるその所業に、ヒナミはカネキの腕の中で目を見張っていた。
(す、凄い!!)
ヒナミが知っていた頃のカネキは此処まで圧倒的ではなかった。出せる赫子も四本が限度であったはず。それが今では倍にまで増え、尚且つまだ本気ではない印象を受けるのだ。尋常ではない成長である。
一体カネキの中で何があったのか定かではないが、今のカネキの強さは他の喰種と隔絶していた。
全ての羽赫を落とした後、カネキは優しくヒナミを降ろす。頭をひと撫でし、「少し待っててね」と言って、一人白髪鬼に向かうために背を向けた。
ヒナミはそんなカネキを見て心が騒つく。
また一人で行ってしまう。
またいなくなってしまう。
また何も出来ない。
もう、一人で戦わせないって決めたのに。
「ま、待ってお兄ちゃん! 私も、ヒナミも一緒に!」
「ーー大丈夫だよ、ヒナミちゃん。それに、……」
鱗赫が背から身体を包み込むように拡がっていく。その姿に、ヒナミは再び驚きで声が出なくなる。
(……か、赫者)
骸拾いや梟、彼らのような絶対的な力を持つ者特有の現象。発達した赫子が全身を包み込み、喰種として最上位の戦闘能力を誇る形態。
カネキのそれは未だ完璧ではないが、既にその片鱗を感じさせるまでに完成されている。
隻眼の赫眼が怪しく輝き、一種の鎧のように身に纏われた赫子は、最後に特徴的な仮面のようなものを形成して動きを止めた。
「もう、一人で無茶しないから」
理性を保った状態のまま、カネキはヒナミにそう告げた。
「オッほぉマジか!!! はははははははははは!!! これでやっと俺の強さが証明でき「ーー邪魔なんですよ、あなた」……あ?」
それは、刹那の出来事。
哄笑を上げる白髪鬼の反応速度を遥かに凌駕した俊敏さでカネキは懐に侵入。それに気付き反射的に距離を取ろうとした白髪鬼だが、地面から潜り込ませた鱗赫で膝下から脚を縫い付けているため逃げ出そうにも逃げ出せない。
「ッ!?」
「ーーハイセの分のお返しです!」
そしてそのまま、声を上げる時間すら与えず、一際歪に蠢く赫子でその胴体を力の限りを尽くして叩きつけた。
肉と骨が壊れる音がした。
「あっがぁ!!?」
攻撃を真面に受けた白髪鬼は脚が半ばから千切れる程の衝撃で吹き飛ばされ、錐揉み状に壁へと激突する。そのあまりの威力に瓦礫が崩れ落ち、姿形を覆い尽くした。
ヒナミはそれを見て唖然とする。まさか、自分は歯が立たなかったあのタキザワ相手に、成功体オウル相手に、ものの一撃で勝敗を決するとは思ってもいなかった。元々SSレート並みの実力があることは理解していたが、今のカネキはそのレベルに収まる喰種ではない。
確実に、SSSレート。梟と同じ土俵に上がっている。その事実はヒナミにとってあまり嬉しくない、むしろ悲しいことであった。
やっとその背中に追いつけたと思っていた矢先、また離れてしまった感じがしてしまう。もう無理してほしくないのに、でもきっと、カネキはいつか一人で頑張ってしまう時が来るような、そんな気がしてしまう。
(絶対に、……そんなことさせない!)
ヒナミは決意を新たにする。
これからももっともっと頑張って、カネキの隣に立てるようにしようと、強い意志と共に、ヒナミの瞳に確かな光が灯った。
一方、当のカネキは何事もなかったのように赫子を元に戻した。
感触的に恐らく死んではいないだろうが、当分戦闘を行えるような状態ではなくなったはず。これ以上構う必要性もないし、アレがどうなろうと正直興味もない。後始末はCCGにでもお願いする予定である。
見届けることなく、カネキはヒナミの元へと走り寄る。
もう、この場に用はない。
「ヒナミちゃん、動ける?」
「それが、さっきの戦いのせいで身体が……」
「うん、大丈夫だよ。それじゃあ、少し我慢してね」
カネキは再びヒナミを抱きかかえる。やることは一つ、ここからの脱出である。
カネキケンとして覚醒した彼にとって、CCGはもう帰る場所ではない。もしこのままハイセとして生きていく選択をしたとしても、確実にヒナミがコクリア送りにされるか殺されてしまう。そんな未来を望むことはあり得ない。
結論を出すのは一瞬だった。
「マ、ママンッ!?」
逸早くその気配を察知した才子は、必死な表情でカネキを呼び止める。
才子にとって、彼はハイセなのだ。今側にいるヒトで信頼できるのは彼だけ。
そんな想いを込めて呼ぶが、その声が彼の心に届くことはなかった。
「才子ちゃん、……またね」
「待ってママンッ!! いかんで! ママンッ!!!」
涙ながらに叫ぶ才子であるが、彼を止めることは出来なかった。
彼はハイセのように笑い掛けたのを最後に、そのまま大きく飛んで通風孔から外へと行ってしまった。
悲痛に満ちた慟哭が聴こえる。
親を呼ぶ子供の声が、いつまでもその場に響き渡っていた。
もう1話くらい続くかも……
呼応御期待!