西方十勇士+α   作:紺南

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四十二話

Fグループ予選準決勝。

勝てば本戦出場決定と言う大一番。

ドームの中、歓声が雨霰と降り注ぐ。

その熱量は通常の武道大会とは一線を画していた。

 

ここに至るまでに目ぼしい有力選手はすべて敗退していた。

当初観客が期待していたのは、優勝候補たちによるしのぎを削る決闘である。

だが蓋を開ければまるで違う。全ての選手は鎧袖一触叩き潰された。

 

――――工藤祐一郎。

 

聞いたこともない名前だ。武道家マニアであっても彼のことはなにも知らない。

彗星のように現れ、他の追随を許さぬ圧倒的な力を見せつけた。

試合数が進むごとに、観客は彼が勝つのが当たり前だと思い始めた。

素人目でも明らかだ。彼が今大会で未だ本気を見せていないことは。

 

期待の新星と対峙するのは同じく新星、板垣辰子。

女性にしては長身。見るべきは豊かな胸周り。それ以外は華奢だが、彼女もまたその細腕で優勝候補の一角を屠っている。

審判のルーですら一目見て強いと判断するほど。潜在的な能力は簡単に壁を越えて行くだろう。

ゆえに惜しいと思った。ここまでの彼女の立ち回りを見れば、武道の心得がないことは一目瞭然なのだから。この大会が終わったらスカウトしてもいいかもしれない。そう思うほどにルーは彼女のことを高く評価している。

 

「さて、いよいよだネ」

 

しかし、いかに彼女が逸材でも今はともかく審判の仕事である。

スカウトの件は一旦頭の隅に追いやり二人に問いかける。

 

「ここまで来たからには、二人とも悔いのない試合をするんだヨ」

 

「はい」

 

「……」

 

工藤は頷き辰子は答えない。

気分でも悪いのかと訝しむが、緊張している様子ではない。その目は一心に工藤を見ている。

相対する工藤は愉快そうにしていた。工藤も分かっている。目の前の少女がとんでもない逸材だということに。

 

「いいかい、くれぐれも頼むヨ」

 

「なにがですか」

 

「君なら分かっているはずだネ?」

 

工藤は肩をすくめる。

彼が若い芽をつぶすような真似を好まないのは知っているが、一応念のため釘を刺しておいた。

場合によってはやりかねない。その疑念がある。

 

「さあ、始めるヨ」

 

いよいよその時が来る。

だと言うのに、二人は構えなかった。工藤はここまで全試合構えていない。

大体の場合で後手に回り、攻撃してきたところをカウンターで倒すのが定番となっている。それだけ余裕があるということだが、工藤のそう言う態度をルーは少し残念に思っていた。

 

「準備はいいネ? いくヨ。――――レディ、ゴー!」

 

開始の合図と共に辰子が疾風のように駆け抜けた。

ルーは完全に虚をつかれてしまう。今までの試合のどれよりも速い。自分ですら気を抜けば反応できないほどに。

 

速攻を仕掛けた辰子は目と鼻の先まで近づいて、工藤を掴もうと左腕を伸ばしてくる。

何が狙いだろうと工藤はその動きを観察する。しかし本当にただ伸ばしただけのようだ。掴むだけかと工藤は拍子抜けした。

 

正直に言って、その動きはとても単調。速さに目を瞑れば小さな子供が手を伸ばすのと大差ない。何より工藤にはその程度の速さは意味がない。

 

「はいよっと」

 

伸ばされた腕を逆に掴み、がら空きの側頭部に蹴りを叩き込む。思ったよりも手応えがあった。重い。石を蹴ったような感覚。足を振り切ることが出来ない。思いのほか体幹がしっかりしているようだ。

 

「どっこいせぃッ!」

 

しかし必殺でこそないが威力は十分乗っている。途中からさらに力を加えた。

人体から鳴ってはいけない重たい音が響き、辰子はふらりと揺れた。けれど足元はしっかりしている。倒れるほどではないのだろう。脳震盪ぐらい起こしてもいいはずだが、これはもしかしてあまり効いてないか?

 

辰子の様子をつぶさに観察しながら、工藤は辰子の手を放さないままでいた。これさえ握っていれば相手は離れようにも離れられない。互いが互いの間合いの内だ。攻撃を誘発することにもつながるだろう。

 

辰子は一歩二歩よろけ、歯を食いしばりギンッと工藤を睨んだ。その目に憎悪がぐつぐつと煮えている。前の試合で弟をぼこぼこにされた恨みである。常人なら思わず動きを止めていただろう。だが工藤は意に介さず、鬱陶しいとばかりその額に蹴りを打ち込む。

 

「ほれ、どうした。睨む余裕あんのか?」

 

「うぅ……がぁ!!」

 

一瞬怯み、だが果敢に立ち向かう。

相も変わらず左腕は掴まれたまま。振りほどこうにも振りほどけない。だから右腕を伸ばす。愚直なまでの姿勢である。掴むことが出来れば何とかなる。そう言っているようだった。

 

怪力自慢なのだろう。どれほどのものか興味があるが、馬鹿正直に食らうほど愚かではない。

工藤は迫る前腕を蹴り上げた。辰子は痛みで顔を歪め、一瞬動きが止まる。

その隙を見逃さず、ついには掴んでいた腕を離し、回し蹴りを放つ。

 

今度は振り切った。辰子は耐え切れず横向けに吹っ飛んだ。

投げ出された身体は受け身すらとれないまま地面に倒れた。

耐久力とパワーには目を見張る物があるが、それ以外は素人そのものだと工藤は思う。

 

「うぅ……」

 

苦悶の声を漏らす辰子。

ルーは大事ないと判断したようだ。立つ気があるならば立てるだろうと。

問題は気力である。工藤の攻撃にすっかり心が折れたならば止めてやるのが優しさだ。ルーはカウントを開始した。

 

「ダウン! ワン……ツ―……」

 

カウントを聞きながら、黙って辰子を見つめる工藤。一連の攻防で彼が抱いたのは違和感だった。

がむしゃらに突っ込んできたのは良い。ひたすら掴みかかろうとしたのも長所を考えれば納得できる。だがなぜ防御しない? 一番初めの蹴り。二回目の額蹴り。三度目の回し蹴り。すべてガードしようと思えばできたのではないか? 受け身すらとらないのはどういう理由だ?

 

膨らむ疑念に、目の前の少女は答えてくれない。

これで終わりならそれでもいい。スッキリしないが、そもそも目的は本戦に出場することなのだから。

 

工藤はルーのカウントに集中する。

ファイブ……シックス……セブン……。

 

「辰ッ!!」

 

その声は観客席から聞こえてきた。

予想以上に近い場所から聞こえてきた。見ればほど近い場所。

落下防止用に設置された欄干から身を乗り出しながら、板垣亜巳は辰子に言い放つ。

 

「本気でやりなッ!」

 

そう言った直後に亜巳は警備員に羽交い絞めにされた。

「気安く触るんじゃないよ!」と逆切れしながら、工藤に勝ち誇るような笑みを見せた。

訝しみながら亜巳が連れて行かれるのを見つめる。

リングの中央から莫大な量の闘気が噴き出したのはその直後。

 

「こ、これは……!?」

 

「ほう」

 

ルーとヒュームがそれぞれ驚く。

 

この時、川神市に集う壁越えの実力は全員がこの闘気を感知した。

ある者はありえないと呟き、ある者は驚愕に空を仰いだ。

かつて武神と呼ばれた川神鉄心は鬚を撫でながら彼方を見やる。

 

「……ま、ヒューム居るし大丈夫じゃろ」

 

遠く離れた達人にすら存在を知らしめたその闘気は、ドーム内全ての視線を集めた。武道家や観客の区別すらなく釘づけにする。素人目で見ても異常なほどの闘気が、板垣辰子から噴き出していた。

 

ゆったりと立ち上がる辰子にルーが息を呑む。

――――ここまでとは……!

 

潜在能力だけではない。まさかすでに壁を越えていたとは。

まさしく原石。何一つ練磨されていない状態でこれほどの存在感。磨けばどれほど光り輝くことだろう!

 

驚愕を隠せないルーを尻目に、ヒュームもまた思わぬ強者の出現に喜びを隠せなかった。

出来ることなら、この俺自ら戦いたい。動きは素人。無駄が多い。だが、手合せする価値がある。世界最強にそう思わせるほどの圧倒的闘気。うずく身体を抑えるのに苦労する。

 

「リュウちゃんを……」

 

獣の様な低い唸り声。

理性が吹っ飛んでいると言われても疑う者はいないだろう。そんな声だった。

 

「リュウちゃんをォ……!」

 

なおも溢れ出る闘気はコントロール出来ていないようだ。

ただ腕に集めることは出来ている。それ自体はおそらく無意識だろうと工藤は当たりをつける。だからこそ、目いっぱい集まっているあの腕は一切手加減なしに違いない。普通に捕まったら卵みたいに割られるかもしれない。

 

「リュウちゃんを傷つけたなぁァ!!」

 

咆哮と共に駆け出した。当然だが速度は先ほどより速い。

取りあえず、工藤はさっきより鋭くカウンターを打つ。

辰子は顔を狙った蹴りに反応し、今度はきっちり腕でガードする。しかし防御されたならそれごと打ち抜けばいいだけのこと。

 

突如重圧の増した蹴りを受け止めきれなかった辰子は横に吹っ飛んだ。土煙を巻き上げながらリングを外れ、壁に当たってようやく止まる。

ズルズルと崩れ落ちる姿は痛ましさすらある。しかし闘気は微塵も減っていない。まだまだ元気である。割と本気で打ち込んだ工藤にとっては嬉しい知らせだった。この分では手加減無用で戦える。

 

「突っ込むことしか出来ないのか? お前」

 

取りあえずそう言っておいたのは、工藤なりの助言のつもりであった。

 

 

 

 

 

 

 

それから二度、辰子は突っ込み工藤は迎撃した。

計三度の攻防で分かったことは二つ。繰り返すごとに辰子の動きはキレを増しており底が知れない。そして工藤の攻撃はあまり効いてないということだった。

 

特に三度目の蹴りはなんの手加減なく本気で打ち込んだ。しかも相手方の勢いが多少なりとも加わるカウンターである。だが、結果ほとんど効き目なしと言うのは、工藤にとっても予想外であった。

 

実力の分析に努める工藤の目の前で、三度リングに上がる辰子は今までの攻防で多少頭が冷えたようで、がむしゃらな突撃は一旦止んだ。

 

束の間平和が訪れたリングの上で、工藤は頭を捻る。

 

――――どうしたもんかね。

 

空を仰ぎ見ても答えは浮かばない。

本気で打ち込んで効果がないとは思わなかった。一方、相手の攻撃力は未知数だ。

一度捕まれば、もしかしたらそれだけで終わりかもしれない。

 

そうやってつい弱気に考えてしまった自分自身に苦笑する。

肌に感じる闘気は壁を越えている。耐久力は群を抜き、まだ見ぬ腕力は考えるだに恐ろしい。

予選でここまでの強敵と見えるとは、運が良いのか悪いのか……。いや、きっと良いのだろう。

 

苦笑している間に平和な時間は終わった。

辰子は捕まえることを諦めたらしく殴りかかってくる。

 

腰の入ったパンチは多少覚えがあるように思うが、武道家のそれには遠く及ばない。

荒削りの原石だ。どこまでの素質を秘めているのか、回避しつつそれを見極めることのなんと甘美なことよ。

 

激しい攻防を繰り広げる中、工藤はすでに一撃で倒すことを諦めていた。どれだけ打っても効かぬ以上、そうせざるを得ないわけだが、代わりに足に細かく打撃を集中させる。

相手の攻撃力がどれほどのものか想像すらできない。一撃食らって様子見などと余裕を持てる闘気ではない。自然と攻撃は速さに重きを置き、身体は後ずさり気味になった。

 

そうなると辰子が前のめりになるのは分かり切った事だった。

 

「はあぁっ!」

 

組み合わされた両拳が鉄槌のように振り下ろされる。

衝撃と轟音。土ぼこりが舞う。

攻撃の後、リングは凹み、砕けて、跡形もなかった。

 

――――ダイナミックですこと。

 

観客のざわめきが工藤の耳にまで届く。

 

段々と辰子の攻撃から容赦がなくなっている。

不良殺法とでもいうのだろうか。決まった型もなく子供の喧嘩のように力任せに繰り出される蹴りや拳。そのどれもが当たったらただではすまない威力だった。

 

自由にのびのび戦わせてしまっている。

一発食らえば吹っ飛ばされていたのと打って変わり、工藤がコンスタントに当てるようになった。辰子にとって警戒する必要が薄れたのが一因だ。

溜めの隙も、攻撃後の硬直も、工藤の攻撃が脅威ではないのなら何の遠慮もなく攻めることができ、防御を気にする必要はないのだから。

 

とは言え、どれほど気にしなくて済むとは言えど、小さなダメージは着実に蓄積している。

攻撃を当てるのが先か。蓄積したダメージが限界を超えるのが先か。勝負の行方はさながら我慢比べになっていた。

 

――――まあ、7割ってところか。

 

心の隅で導き出した結論。勝率7割。そんなところだった。

最低7割の確率で勝つ。相手は舞台を削り飛ばすほどの腕力。しかし大振り故に躱すのは容易だ。

このまま足を攻撃し続ければ、いずれ板垣辰子は立つこともままならなくなるだろう。そこに達する確率が7割。十分だろうか。

いや、そんなことはない。

 

――――7割……7割かよ。なんだそれ。

 

最初はほぼ10割の確率で勝てると思っていた。

辰子の実力がイレギュラーだったとはいえ、裏を返せば3割の確率で負けてしまう。

工藤から見ればその動きは赤子同然。才能だけの人間に、10回戦えば3回負ける。なんと情けない。

 

そもそもなぜ負ける?

手加減しているからだ。いつまで手の内を隠すつもりか。

今闘気を節制したところで、本戦では否応なく本気で戦わなくてはいけない。

今まで決勝に進出した面々を思い出す。

 

義経。弁慶。黛。石田。川神。フリードリヒ。マルギッテ。そして剣華。

強い人間を挙げればこれだけいる。その内脅威と思える人間は二人だけだが、戦うことになれば手加減にも限度がある。少なくとも闘気を節制出来る相手は数えるほどしかいない。

 

つまり、余裕ぶっていられるのも今の内だけだ。

余裕綽々で予選を抜けたところで、一か月後には本気で戦うことになるのに、一体何をやっているのだろう。

 

「はッ……」

 

自嘲が漏れる。

そうだよな。意味ねえよな。馬鹿なことやってたよ俺。

こんだけ強いのに、本気で戦わずに7割で勝つとか、そんなの失礼だよな。10割勝てるんだから、普通そうするよな。

おーけーおーけー。俺が間違ってた。

よし。じゃあ、本気でやろう。

 

工藤が唐突に動きを止める。

辰子はその顔に拳を叩き込んだ。衝撃波が走った。

観客は息を呑み、審判はただ見守っていた。

 

「――――なるほど?」

 

辰子の拳を受けて、吹っ飛びもせずその場にとどまる工藤。

辰子でさえ一瞬動きを止めた。工藤は不敵に笑って辰子に告げる。

 

「歯ぁ食いしばれ」

 

工藤の身体から気が放出され突風が吹き荒れる。

溢れ出した闘気はドームを包み空を覆った。

武の心得のない大半の観客でさえ、目に見えない何かが肌を突き刺す感覚を覚えた。

 

規模で言えば辰子と同程度。しかし練磨された闘気は見る者すべてに死の予感を与える。冷酷無比な冷たい闘気だった。

 

拳を振りかぶった工藤に一拍遅れ、辰子も拳を振り上げた。

二人の拳がぶつかる。込められた闘気の凄まじさは衝撃波となって周囲を破壊する。

拮抗は一瞬。次の瞬間には辰子は吹っ飛ばされていた。大砲のような重たい音が響き、リングは粉々になる。

 

二度、三度と辰子の体がバウンドし壁にあたって止まる。ずるずると崩れ落ちた後、指一本動かさない様子を見て、ルー、ヒューム共に試合の終わりを悟った。

 

「勝者、工藤!」

 

ヒュームが宣言する。だが歓声は起こらない。しんっと静まり返ったドームに空しく反響するだけだった。

 

ヒュームは工藤に視線を注いでいる。そこにはいつもの人を見下す態度はなく、強い警戒心が滲んでいた。

腐っていると思っていた人間が未だにこれほどの闘気を有している。しかも戦えば勝つか負けるか分からない。ギリギリの戦いになるだろう。世界最強の自分が、そう判断している。これほどの脅威は他にない。

ヒュームは工藤への警戒度を上げる。計画の修正が必要だった。

そしてそれはルーも同じである。それどころかドーム内の観客は程度の差こそあれ、皆一様に工藤を危険視していた。

それほどに工藤の闘気は冷たく、殺伐としていた。

 

――――この闘気……一体どんな経験を積めばこれほどになるのカ……。

 

闘気を抑え、一人去り行く工藤の背中を見ながら、ルーは使命感に駆られていた。

君が闇に落ちると言うなら、その時は命を賭して止めよう。かつて止められなかった友の姿をその背に被せながら、覚悟を滲ませる。

 

かくして、若獅子戦の予選は終わりを告げた。それは同時に波乱の幕上げであった。

本戦は一か月後。それぞれがそれぞれの思惑を抱えて迎えるそれは、一体何が起こるか想像すらつかない。さしもの九鬼でも、川上院であっても同じことだ。

しかし見る価値はある。一月後の若獅子戦本戦。波乱の予感が人々の胸を駆け抜ける――――。

 


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